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会話

輸入理論でない、日本人の案出した「理論」を簡単に「学術理論」として受容するほど、日本社会学会は寛大ではないですから。どう考えても「当事者研究」は異例中の異例の扱いを受けています。
引用ツイート
伊藤絵美
@emiemi14
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当事者研究について原稿を書いていて、その英語表記に迷い、向谷地さんに相談したところ、いろいろとご示唆をいただき、その結果「Tojisha kenkyu」のイタリック体でいくことにした。そうだよね。世界に誇れる当事者研究だもの。日本語のまま固有名詞にする、というのは至極納得。
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「学術の枠組み」の変形は、教育学では既に長い歴史がありますから、その拡大路線…という側面もあったのかもしれませんねえ。
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慰安婦問題で上野が左翼の吉見義明を「文書史料至上主義」と攻撃したのは、共産党の力で「当事者研究」へパラダイム転換を終えた社会学と証拠に基づく史学の対立で、前者が共産党の利益のために行われたものであれば、いくら吉見の方が党に近くても、最初から上野の勝利は決まっていたと言えそうです。
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「公正なジャッジが必要な場には、利害当事者は入れるな」という要請の扱い。 最近の性暴力事案では、「検証する側」の委員に「検証される側」の関係者がいることが問題になってました→ osadanna.theletter.jp/posts/6eec2950 しかしそれでいくと、フェミニズムの論文の査読をフェミニスト女性がやるのは…?
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そもそもマルクス主義では、虐げられた者こそが自らの利害を説明しなおし、そこから状況を変えねばならないわけで、「中立はあり得ない」という想定だと思います。(中立を気取るのは「ブルジョア・イデオロギー」とされる) こういう政治系の議論では、査読者は常に利害当事者がやってる想定になる。
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外国の学会誌では、査読者選びについて「利益相反」の問題は明文規定されている所が多いですから、その手の論文は「政治論文」に数えられ、「学術論文」扱いは、少なくとも日本ほどにはされていないのでは?
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しかし「当事者が論じるジェンダー論」がこれだけ絶大な影響力を、それも世界中の大学でふるっていますので、リジェクトされてるとは思えないのですが…
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日本のようにフェミニズムがイデオロギー的に上野派=代々木一色で固まっている、ということは欧米ではないのでは? 欧米の女性史研究は日本のような反米マルクス主義一本ではなく、女性の進出先として軍隊をポジティブに捉えている本も少なくないです。上野派が都合の悪い本を日本語訳しないだけで。
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ありがとうございます。ただ、軍隊をめぐるイデオロギー云々より、 「利害当事者が査読や検証の任に当たること」をどう考えるか、が焦点ではないでしょうか。 どう論じようとも避けがたく当事者性の問題が出てしまう政治的テーマを、どう扱うか。そこが世界中で、ひどい混乱状況にあると思います。
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当時者研究(的研究含め)の学術方面に関わる問題点、だいたいこんなところでしょうかね?   1)一個人の主観を学術研究扱いすること 2)一人の観測者による単一人物に対する観測を「当事者研究」と位置付けること →続く
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松村さんの整理に加えて、「批評の禁止」(斎藤環)があると思うんです。 自助グループではお互いの発言への批判が禁じられることが多いですが、あれを学問研究でやる。 アール・ブリュット(art brut)じゃなくて、エチュード・ブリュット(étude brute)です、いわば。
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学問研究というのは厳しいディシプリンや物証に基づき、《忌憚ない相互批判》が必須のはずなのに、当事者研究では批判は禁じられる。アール・ブリュットで作品への批判が禁じられるように。 アートでは市場ができましたが、「当事者研究=エチュード・ブリュット」での研究成果はどういう位置づけか。
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「いやアール・ブリュットだって批評されてるぞ」とおっしゃるかたは、ぜひこの斎藤環の主張に直接の反論をお願いします→ technique.hateblo.jp/entry/20131115 斎藤環は「批評の禁止」とか言うくせに、当事者ポジションの私の主張に激怒して政治的に排除したわけで、言ってることとやってることが矛盾してます。
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私の反論は正規の学問教育の成果というわけではないので、その意味ではまさに「当事者研究 エチュード・ブリュット」的な主張だったのですが(当事者ポジションに置かれることそのものについての当事者研究)、 斎藤環氏は、その研究成果を政治的に排除した。
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上野千鶴子が吉見義明を「文書史料至上主義」と攻撃した時(1997年)、「歴史」"his story"は「男の歴史」で「女の歴史」"her story"に証拠はいらない、と主張した訳ですが、斎藤環と上野千鶴子、どちらの方が「当事者絶対主義」みたいなことを言い出したのでしょうか?
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>《「女の歴史」"her story"に証拠はいらない》 本当ですかこれ…すごいな。 90年代終盤の事情はよく存じませんが、「当事者絶対主義みたいなこと」については、左派イデオロギーの暗黙の前提をこの辺の人たちが表舞台で強調・確認した、という感じではないでしょうか。起源というより。
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斎藤環については、1998年にPHP新書『社会的ひきこもり』が出て、しばらくは家父長的なスタンスと見做されていたと思います。それを東京シューレ界隈などに強く批判されて、変わってきたところもあるのでは。(斎藤環の筑波大での師匠は稲村博といって、東京シューレから激烈に批判された人です)
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medicalnote.jp/contents/15072 これ(2015年)を読む限り師匠の稲村に対するスタンスは「やりすぎではあるが非常に先見の明があり、大きな影響を受けた」とありますね。『戦闘美少女の精神分析』を2000年に書いて以来、所謂ポストモダン系の知識人と交流を始めたみたいですので、上野の方が先ではないかと。
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そうすると、「当事者研究」なるものを「学問」として最初に認知したのは、上野千鶴子のいる日本社会学会だった、と見てよさそうですね。
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べてるの家で「自己研究」としてされていた活動が2000年以降に「当事者研究」に名前が変わったようなんですよねえ。   なぜ変わったのか?は大きな問題です。
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ci.nii.ac.jp/naid/400051882 これが一番古いべてるの家の当事者研究という文字列を含むタイトルのもののようですね。2002年。上野千鶴子の新書がその翌年。2002年前後に何があったんでしょうね。
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返信先: さん、さん、他3人
ここら辺の経緯については、もう少し慎重に調べたほうがいいと思います。 補助線として、1998年に乙武洋匡『五体不満足』、2000年に大平光代『だから、あなたも生きぬいて』がミリオンセラーになり、講談社の「当事者本」シリーズが劇的に認知されます。(2001年の拙著もその枠です)
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