空砲を撃つような現実
問題になっている殺人事件の12週間前、ジョン・マカフィーは、スミス&ウェッソン製のリヴォルヴァーのシリンダーを開くと、わたしと彼を隔てるテーブルにバラバラと弾を落としてみせた。弾のうちいくつかは床に落ちた。マカフィーは66歳。やせ形だが筋肉質で、ひじから手首にかけて血管が浮き出ている。髪はまだらに脱色され、肩から腕までタトゥーを入れている。
彼が25年以上前に創設したウイルス対策ソフトウェアメーカー、マカフィー・アソシエイツは、次第に人気を獲得していき、2010年には76億8,000万ドルでインテルに買収された。マカフィーはいま、ベリーズ本島から24km離れたところに所有する島のバンガローでひっそりと暮らしている。窓には日よけが下ろされており、わたしのところからは外に広がる白い砂浜もターコイズブルーの海も断片的にしか見えない。テーブルには弾薬の箱、マカフィーの写真入り偽造IDカード、熊撃退スプレーなどが積み上がり、なぜか赤ん坊のおしゃぶりまである。
マカフィーは床に落ちた弾を拾い、わたしを見た。「ここに弾がひとつあります」。ヴァージニア州での幼少期に染みついた南部訛りを隠さずに言った。
「銃を置いてください」とわたしは言った。ベリーズ政府がマカフィーを私有軍組織とドラッグ貿易の罪で訴えているのはなぜかを知るために、わたしはここに来たのだ。テクノロジー産業で起業して大成功を収めた人が中央アメリカのジャングルに姿を消してドラッグディーラーになるなんてありえないと思っていた。しかし会ってみると、それもありうるかもしれないと思えてくる。
だが彼はあくまで、罪はでっち上げだと主張する。「起こったとされる出来事も、実は起こっていないかもしれません」と彼はわたしをじっと見て言った。「ちょっと試してみましょうか?」。
そう言って彼は、拾った弾丸を先ほどのリヴォルヴァーに入れ、シリンダーを回転させた。「怖いでしょう?」と彼は問う。そしてリヴォルヴァーを自分の頭に突きつけた。わたしの心拍数がぐっと上がる。「ええ、怖いですとも」。「こんなことやめましょう」と言うと、「確かにやる必要はありません」と彼も認めたものの、銃口は依然として彼のこめかみに当てられている。そして引き金が引かれた。何も起こらない。彼は素早く3回、さらに引き金を引いた。リヴォルヴァーには5発しか弾が入らない。「銃を下ろしてください!」。
彼はわたしをじっと見つめたまま、5回目の引き金を引いた。何も起こらない。そのまま彼は何回も引き金を引いてみせた。撃鉄がカチカチいう音に合わせて「一日中でも引いていられますよ」と彼は言った。「何万回でも引けます。そして何も起こりはしません。なぜかわかりますか? あなたは重要なことを見落としているからです。事実と異なった現実をもとに、物事を考えているからです」。
同じことがベリーズ政府の訴えにも当てはまると彼は言う。そういった訴えが、まるで煙幕のように事実を歪めようとしているという。しかし、ある夜明け前の暗闇の中で問題が起こったという点は誰もが認めるところだろう。
12年4月30日、午前4時50分ごろのことだ。ベリーズ本島にマカフィーが最近開拓した1haもあるジャングルの中、見張り小屋ではテレビがついていた。酔った夜警がマドンナの『ブロンド・アンビション・ツアー』のDVDに見とれていたのだ。
夜警は、トラック数台の音を聞いた。そしてブーツが地面を蹴る音、鍵がねじ切られてゲートが開けられる音。迷彩服を着た数十人が敷地内になだれ込んできた。多くは、FBIの訓練も受けている精鋭部隊、ベリーズ警察犯罪組織撲滅捜査部隊(GSU)の隊員で、みなタウルスMT-9サブマシンガンを持っている。彼らは、犯罪組織の解体を任務としている。
夜警はこれだけ見届けると、椅子に深く座り直した。何しろマドンナのDVDをまだ観終えていないんだから。「警察だ! 全員、外に出ろ!」。敷地の奥の方にいたマカフィーは草葺き屋根のバンガローから飛び出した。裸でリヴォルヴァーを持っている。彼がソフトウェア業界の寵児だったころとは、彼を取り巻く状況は大きく変化していた。彼は全米各地にあった別宅や10人乗りの飛行機など、所有していたものを09年までにほぼすべて売り払い、ジャングルの中に居を構えた。その砦がいま、攻撃されている。31人もの隊員が彼めがけてやってくる。応戦するには銃も人手も足りなかった。マカフィーがバンガローの中に戻ると、ベッドでは17歳の少女が裸のまま起きあがっておびえていた。
GSUが階段を駆け上がってくる音を聞いて、マカフィーは下着をはき銃を置いて、両手を上げて外に出た。隊員たちはマカフィーを壁にたたきつけるようにして手錠をかけた。「メタンフェタミン製造の疑いでおまえを拘束する」と隊員のひとりが告げた。
マカフィーは身をよじって隊員の方を向き、こう答えた。「それはまたびっくりするお話ですな。実際、わたしは1983年以降、ドラッグを売ったことはないのですから」。
始まりは1983年
1983年はマカフィーの人生における岐路だった。カリフォルニア州サンタクララの情報ストレージシステム会社オメックスで、38歳にして彼はエンジニアリング部長を務めていた。そのころ、部下にコカインを売っており、自分でも大量に摂取していた。ハイになりすぎて集中できなくなると、クアルードを摂取した。デスクで睡魔に襲われると、さらにコカインを摂取して目を覚ます。彼は1日をきちんと過ごすことも満足にできず、午後になるとスコッチを飲んで頭の中の騒音を追い払おうとしていた。
彼の混乱ぶりは、いまに始まったことではない。道路測量技師の父と銀行窓口係の母のもと、彼はヴァージニア州ロアノークで育った。父親は大酒飲みで「いつも不機嫌だった」ため、マカフィーや母親をひどく殴ることがよくあったという。マカフィーが15歳のとき、父親は銃で自ら命を絶った。
「毎朝起きると父親のことを思い出します。誰と付き合っても、そばに父親の影を感じます。父親が猜疑心を植えつけるのです。おかげでわたしの人生はめちゃくちゃです」
マカフィーは、ロアノーク・カレッジ1年生のころから酒を大量に飲むようになり、雑誌の定期購読の訪問販売で生計を立てていた。訪問先のドアをノックし、おたくは無料購読の権利に当選したから、ちょっとした発送料を支払うだけでよいと勧誘して回った。「無料購読といいながらお金がかかるのはなぜか、どうして払う意味があるのかを説明していたわけです。この作戦はうまくいきました」とマカフィーは振り返る。そのとき彼は、自信に満ちた態度がものを言うと学んだ。彼はほほえみ、相手を操るかのように青い瞳で見つめ、早口でよどみなく語りかけるのだ。「これで一儲けできました」と彼は言う。
なんとかロアノーク・カレッジを卒業し、68年にノースイースト・ルイジアナ・ステイト・カレッジ(現在のルイジアナ大学モンロー校)で数学の博士課程を受講し始めた。しかし、教え子の学部生と寝たことがきっかけで大学を追い出される(マカフィーはのちにその学生と結婚している)。結局彼はテネシー州ブリストルにあるユニヴァックで、時代遅れなパンチカード・プログラムを組んでいたが、それも長くは続かなかった。マリファナ購入の罪で逮捕され、有罪こそ免れたものの、会社を首になってしまった。
しかし経験豊富な彼は、偽物だが完璧な履歴書をつくり上げ、それを使ってセントルイスにあるミズーリ・パシフィック鉄道で仕事を得た。69年、同社は列車の運行管理にIBMのコンピューターを導入したところだったが、マカフィーのつくったシステムが活躍するのに半年もかからなかった。残念ながら、このころ彼はLSDとも出合っている。朝LSDを摂取してから出社し、運行計画を立てる毎日だった。ある朝、彼は別の幻覚剤DMTを試した。一筋吸い込んでも何も感じなかったので、一袋吸ってしまった。「1時間ほどで意識が途切れ途切れになりました」とマカフィーは言う。
人から何か尋ねられても、彼らが何を言っているか理解できない。コンピューターは月への運行スケジュールを計算していて、意味がわからない。いつの間にか彼はセントルイスの街中にいた。頭の中には声がいくつも聞こえ、誰にも見られないようにとゴミ箱のうしろに隠れた。彼は二度とミズーリ・パシフィックに戻らなかった。いまでもそのときのトリップ状態のままなのではないかと思える、と彼は言う。あの日以来すべては巨大な幻覚であり、いつかそこから目覚めて、気づいたらセントルイスの家のカウチでピンク・フロイドの『狂気』を聴いている、そんな日がくるのではないかと。
以来彼は、神経衰弱の一歩手前にいると感じていたが、83年、オメックスにいたときに症状が進行した。当時、ほぼ毎朝デスクでコカインをやたらと吸い、毎日スコッチを1瓶空け、ドラッグが切れたらどうしようという不安と戦っていた。妻は彼のもとを去り、飼っていた犬も人に譲った。互いの合意により(とマカフィーは言っている)、彼はオメックスを去った。家にひとりきりで閉じこもり、ドラッグばかりやっているうちに父親と同じように自殺することも考えた。「地獄みたいな生活でした」とマカフィーは言う。
ついに彼はセラピストのところへ行き、アルコール依存症患者の自助更生会に行くよう勧められた。会に参加してみた彼は、むせび泣いてしまった。参加者のひとりが彼を抱きしめ、独りじゃないんだよと言ってくれた。「そのときがわたしにとって本当の意味で人生の始まりです」。それ以降、目が覚めたという。
マドンナのコンサートDVDが終わると、マカフィー宅の夜警はおもむろに出てきて何が起こっているか見に来た。警察が彼を取り囲む。彼の面は割れていた。オースティン・“ティノ”・アレンといえば、盗みから暴行まであらゆる犯罪で28回も有罪判決を受け、人生のほとんどを刑務所に出たり入ったりして過ごしてきた男だ。
日が昇るころ、警察は捕らえた全員を岩壁に沿って並ばせた。ひとりの警官が外側の建物に向かおうとしたとき、マカフィーの飼い犬がかみつき、うなり、そして警官が言うには「さらに攻撃しようとしていた」。そこで警官は犬の胸部を撃った。
「何しやがる! 俺の犬だぞ!」とマカフィーが叫んだ。警察はそれを無視して敷地内を捜索した。ショットガン、ピストル、大量の弾薬のほか、何だかよくわからない薬品の瓶が多数見つかった。警察は、マカフィーとアレンをピックアップトラックの荷台に乗せると、ベリーズ・シティに向けて時速125kmで走り出した。
マカフィーはつとめて落ち着こうとしたが、状況は芳しくない。豪奢な生活から足を洗ったというのに、結局いま、悪名高い男と一緒にピックアップトラックの荷台で手錠をかけられている。アレンは自分の話が風にかき消されないように、マカフィーを手錠ごとたぐりよせた。マカフィーは身構える。「ボス、これだけは言っておきたいんだが、ここにこうしてボスといられて光栄です。あれだけの人手をかけても捕まえたかったんだから、あなたはよほどの重要人物なんでしょう」。
成り上がり物語
1986年、パキスタンでふたりの兄弟が、初のPC向けコンピューターウイルスを書いた。彼らの目的は破壊ではなく、自分たちのつくったものがどれくらい広がるか知りたかっただけだったので、ウイルスのコードには自分たちの名前、住所、電話番号まで書き込んであった。ラホールにある自分たちのコンピューターサーヴィスショップにちなんで、彼らはウイルスを「ブレイン」と名づけた。1年ほどで、サーヴィスショップに問い合わせの電話が入るようになった。ブレインが世界中に広まっていたのだ。そのころマカフィーは正気に戻ってから4年ほど経っており、カリフォルニア州サニーヴェイルにあるロッキード社で機密扱いの音声認識プログラムを組む秘密取扱許可を得ていた。そしてブレインウイルスが米国で流行していることを『サンノゼ・マーキュリー・ニュース』紙で読んだのだ。
マカフィーはウイルスのアイデアを脅威ととらえた。当時何が起こっているかわかる人は誰もいなかった。マカフィーにとっては、幼少時代、父親に理由もなく殴られたこと、そして何もやり返せなかったことが思い出された。非合理的な攻撃を目にしたいま、何か行動を起こそうと彼は思った。
彼はマカフィー・アソシエイツをサンタクララにあった65平方メートルの自宅で始めた。彼の事業計画はこうだ。ウイルス対策プログラムを組んで、掲示板で配布する。ユーザーがそれに対価を払うとは思っていなかった。彼の真の狙いは、対策ソフトの重要性をユーザーが認識し、職場で導入するようになることだった。実際そうなった。5年ほどで『フォーチュン』誌のトップ100企業の半数がマカフィー製のソフトを導入するようになり、ライセンス料を支払うのもいとわなくなっていた。大した経費も初期投資もなくして、マカフィーは90年までに年間500万ドルを稼ぎ出すようになっていた。
彼が成功した理由のひとつは、誰かに攻撃されるかもしれないという、彼自身がさいなまれている恐怖感を人々に広める能力があったからだ。会社を立ち上げてすぐに彼はウィネベーゴ製の8mもあるモーターホームを買い、そこにコンピューターを積み込んで、世界初の「ウイルス対策救急隊」を結成したと発表した。サンノゼ近郊でコンピューターに問題が発生していると電話を受けると、そこまでモーターホームを移動させて「ウイルスの残党」を探し出した。優良な訪問販売員だった彼だけに、話すトーンには確かな真実味があったが、商品を売るために話を誇張したり尾ひれをつけたりもした。
モーターホームは、もはや単なるモーターホームではなく、「ウイルスの攻撃に対してその場で効果的な迎撃手段を編み出す、世界初の特別ユニット」になっていた。
ドラマティックかつ茶目っ気たっぷりなやり方は、広告効果絶大だった。88年末には、彼はTVの「マクニール・レーラー・ニュースアワー」に出演し、ウイルスによる被害は深刻で、いくつもの企業が「経済的損失から倒産の危機に陥った」と米国中に説いていた。彼はさらに89年にウイルスに関する著書を出し、ウイルス被害について強調した。「現実があまりに深刻な事態なので、ことさら強調することもできない」と彼は書いている。「今後新たなウイルスがひとつもつくられなかったとしても、すでに出回っているウイルスだけでも数が多く、それらが複製されて問題を起こすので、甚大な被害を避けられない」。
92年、マカフィーはテレビ各社や新聞各社に対し、当時見つかったばかりのミケランジェロ・ウイルスが猛威をふるうと語っていた。彼の予想では、500万台のコンピューターが壊滅的被害を受けるとのことだった。マカフィー・アソシエイツのソフトは急激に売れたが、被害報告は数万件にとどまった。マカフィーは虚偽を公の場で述べたと批判されたが、視聴者がマカフィーの狙い通りに動いたにすぎない。彼は2000年に、「わたしの事業は予想通り2カ月で10倍に成長し、6カ月後に収益は50倍となった。いまやわが社はウイルス対策市場で随一のシェアを誇る」と説明してみせたのだ。
自分自身のパラノイアを人々に伝播させる能力によって、マカフィーは裕福になった。92年10月、マカフィー・アソシエイツはナスダックに上場し、マカフィーの持ち株は一夜にして8,000万ドルの価値になった。
悪徳と欲望の島へ
一部屋3m四方の留置所では、むき出しのコンクリート床が冷たく、尿のにおいが鼻をついた。隅に置かれたプラスティック製の牛乳ボトルの上部が切り取られており、それがトイレだった。それゆえだろうか、クイーン・ストリート署にある留置所を人々はピス・ハウス(小便の家)と呼ぶ。
まだ起訴内容は決まっていなかったが、警察側はマカフィーの所有物のなかからライセンスのない銃を2挺押収したとしていた。一方、同時に押収した薬品については、依然それが何なのかわからずにいた。マカフィーによると、彼の銃はすべてライセンスがあり、薬品は研究を進めていた抗生物質の一部だという。しかし警察は信用しなかった。パラダイスのような場所でゆったりと余生を過ごすはずだったのに、いまマカフィーは留置所にいた。
「ピス・ハウスへようこそ」。アレンがにやりとして言った。
マカフィーはシリコンヴァレーで30年近くの歳月を過ごした。表向きの彼は、2人目の妻ジュディーとごく普通の生活を送っていた。経験豊富なビジネスマンとして、スタートアップからアドヴァイスを請われたりもした。スタンフォードのビジネススクールはマカフィーの戦略を取り上げたケーススタディを2つも発表した。彼は実際の授業にも頻繁に呼ばれた。さらに母校のロアノーク・カレッジから名誉博士号を授与された。2000年にはコロラドのロッキー山脈沿いにある9,000平方メートルの豪邸近辺でヨガのインストラクターを始め、スピリチュアル系の本を4冊執筆した。02年に離婚してからも、学校にコンピューターを寄贈したり、薬物使用防止の新聞広告を打ったりする、模範的な市民だった。
しかし00年代後半になって引退の年齢が近づくと、彼は自らを欺いているように感じ始めた。クルマや飛行機などの資産はいつしか重荷となり、裕福な人の典型的な生活は自分に必要ないと気づいた。もっと飾らない生き方をすべきときだと感じたのだ。「ジョンは、いつも何かを探している」と当時のガールフレンド、ジェニファー・アーウィンは言う。マカフィーが「限界のその向こう」を探していると彼女に言ったのを覚えているという。
マカフィーは経済的にも痛手を負っていた。08年に経済崩壊が彼を襲い、それまでのようなライフスタイルを維持できなくなったのだ。09年までに400ha以上あるハワイの土地もニューメキシコに建設した私有空港も含め、所有していたものほぼすべてをオークションにかけた。そうすることで、財産を隠しもっているのではないかと疑われ訴えられるのを回避しようともしていた。彼は当時、ニューメキシコの敷地内で転んだという男性からすでに訴えられていた。ほかの裁判では、彼が設立した飛行訓練学校のレッスン中に飛行機が墜落して人が亡くなった責任は彼にあると申し立てられていた。そこで彼は、国外に出てしまえばやり玉に挙げられることも減るのではないかと考えた。もし裁判に負けても、国外に住んでいれば原告にとって資金回収が難しくなると知ってのことだ。
08年の初めごろ、マカフィーはカリブ海周辺に土地を探し始めた。彼の求める条件は至ってシンプルで、美しいビーチがある米国周辺の英語圏の国、というものだった。そしてベリーズのアンバーグリス・キーにある別荘を見つけた。
1990年代初頭にこの国を訪れたことがあり、気に入っていた。Google Earthで見てみたところ希望通りの物件だったので購入した。直接物件を見たのは2008年4月、彼が引っ越してきたときだった。
彼は魔法にかけられたようだった。
「ベリーズの人は下品であけすけです。ご立派な社会では見られないような、人間ありのままの姿を見ることができます。社会生活では普通、お互いから顔を隠すものだから」と彼は言う。このジャングルが、彼に自分とは何者か理解する機会を与え、彼はその魅力に逆らえなかった。
そこで彼は10年2月、ニュー川沿い、マヤ遺跡の16km上流にある湿地を1ha買った。そして翌年にかけて、100万ドル以上をつぎ込んで湿地に土を盛り、草葺き屋根のバンガローを一揃え建てた。ガールフレンドのアーウィンがアンバーグリス・キーで待っている間に、フビライ・ハーンの豪華な快楽の館よろしく湿地を開発した。古代チベットの芸術品を輸入し、習ったこともないのに小型のグランドピアノも運び込んだ。インターネット環境はない。夜になると、川の静かに流れる音だけが聞こえるような場所だ。彼はピアノの前に座り、オリジナルの華麗な旋律を奏でた。「神秘的な曲だった」と彼は評する。
老いるということが嫌いな彼は、2週おきに臀部テストステロン注射を受けている。余生をおとなしく過ごす気などなかった。葉巻製造事業やコーヒー販売業を始めたうえ、水上タクシーも開業してアンバーグリス・キーの各所をつないだ。また、特に必要に迫られているわけでもないのに、所有地内にバンガローを次々と建てた。
女マカフィー登場
2010年にマカフィーが昼食をとっていたところ、たまたま休暇で来ていた31歳の微生物学者アリソン・アドニジオと出会う。アドニジオはマカフィーに、ハーヴァードの大学院で植物がどうやってバクテリアと戦っているかを研究していると話した。彼女は、植物内の化合物に特に興味があった。そういった化合物は、病原菌の働きを阻害して感染症を防ぐとされており、研究がうまくいけば、将来まったく新しい抗生物質の開発につながるかもしれないという。
マカフィーは即座に、その研究を商業化するための事業を一緒に始めようともちかけた。ものの数分で彼は、この事業が医薬品業界を、ひいては世界をも変えうると熱い口ぶりで語り出していた。アドニジオは、ひたすら驚いていた。「彼はわたしが理想とする仕事を提示してくれました。自分専用の研究室、助手……素晴らしいと思ったんです」と彼女は言う。
アドニジオはその場で快諾し、ボストンでの研究職を辞め、家を売り払ってベリーズに引っ越した。マカフィーは敷地内に研究所を建て、数万ドル規模の機材を揃えた。アドニジオが研究を進めている間、マカフィーは事業を海外の報道各社に売り込んだ。しかし、アドニジオの研究ペースは、わき上がるマカフィーの情熱に追いつくことができず、彼の研究に対する興味は次第に薄れていった。彼は自分の土地から8kmほど離れた人口1万3,000人ほどの街オレンジウォークで多くの時間を過ごすようになった。彼は友人へのメールてこう書いている。「世界で最低最悪の場所だ。汚くて暑くて荒廃している」。ほとんど舗装されていない道を歩き、地元の人たちを写真に収めるのが好きだった彼は、こうも書いている。「社会から爪弾きにされた連中の放つ力に引かれる。売春婦、泥棒、障害者……一部の人々が担う独特な文化にいつも魅力を感じる」。
酒は飲まないと言いながら、彼はラヴァーズ・バーという酒場の常連だった。酒場のオーナーが「何とも言えず不愉快で調子っぱずれな声で、古くさいメキシカンミュージックのカラオケを歌う」のが大好きだ、と彼は友人宛てに書いた。その酒場が売春宿も兼ねていることに彼は気づいていた。「サトウキビ畑の下働き、露天商、漁師から農民まで、お楽しみのために15ドル貯められるなら誰でも」相手にするという。
こういう、ぞっとするほどリアルな社会こそ彼の求めていたものだ。酒場で働く女たちはパトロンがビールを1杯おごってくれることに1ベリーズドルを手にする。稼ぐためにビールを一気飲みし、トイレで吐き、また一気飲みしに帰ってくる女もいる。ある女は1日で50杯もビールを飲んだという。「99%の人間は危険だとか不衛生だとか言って逃げるけれど、わたしはそうしませんでした。立ち去ることができなかったのです」とマカフィーは言う。
こうしてマカフィーは毎日のように朝までラヴァーズ・バーで過ごすようになった。6カ月後、彼は友人にこう書き送っている。「上品な社会とかろうじてつながっていたのに、ついに切れてしまうかもしれない。身につけている衣類はティファナの物乞いのなかでも最悪の奴らと同じくらいだし、奴らくらい不衛生な状態だ。昨日、初めて真っ昼間に街中で立ちションしたよ」。
ラヴァーズ・バーのベリーズ人オーナー、エヴァリスト・“パズ”・ノヴェロは、売春宿として長年営業してきたことを認めたうえで、自分にはパトロンたちを喜ばせる術があると自慢した。マカフィーが通い始めたころ、女を探しているのかと尋ねた。マカフィーが「違う」と言うと、ノヴェロは「少年がいいのか」と聞いた。マカフィーは否定した。そこでノヴェロはエイミー・エムシュウィラーという16歳の少女を連れて、マカフィーの家を訪れたのだ。
エムシュウィラーは女の子らしさの奥に図々しいまでの強さを秘めていた。子どものころから虐待を受けていること、金のために数えきれないほどの男と寝るよう母親に強いられてきたことなどを、事務的な調子でマカフィーに告げた。「恋はしない。わたしの仕事は、そういうことじゃないから」。彼女は銃を持っており、飛行士がするようなサングラスをかけ、胸元が大きく開いたシャツを着ていた。
マカフィーは、欲望、同情、哀れみの入り交じった複雑な気持ちになった。「わたしはまるでエイミーの男版だ。同じような人生を生きたことがあるからこそ、共感した」。
一方エムシュウィラーはマカフィーに対して何の感情もなかった。「かわいそうに思われようと思って、自分の話をしたのよ。人々が一日働いてやっと10セント稼ぐ国にミリオネアが現れたのよ。当然、彼からいろいろ奪い取りたくなるじゃない?」。
エムシュウィラーが情緒不安定で危険な女だと、マカフィーはすぐに気づいた。しかしそれすら彼女の魅力に思えた。「わたしが知る限り、彼女ほど健全なふりがうまい女はいない。魅惑的になったり、男っぽくなったりするんです。カメレオンみたいに」。1カ月ほどで、ふたりは夜をともにするようになった。
アンバーグリス・キーからやってきたマカフィーのガールフレンド、ジェニファー・アーウィンは、あきれてしまった。少女を出ていかせるよう彼に頼んだが断られた。アーウィンはベリーズを去った。マカフィーは彼女を責めなかった。「気が狂った女のために12年に及ぶ安定した関係を終えました。それくらい恋していたのです」。
ある晩エムシュウィラーは行動を起こそうと決めた。ベッドから抜け出し、寝室にかけてあったホルスターからリヴォルヴァーを取り出した。マカフィーを殺して、ありったけの現金を持ち逃げしようという計画だった。ベッドの足下に忍び寄ると、引き金に手をかけた。しかし最後の瞬間目を閉じたため、弾は彼から逸れた。「本当はあいつを殺したくなかったんだと思う」と彼女は言った。
マカフィーはベッドから飛び起きて銃を奪った。左耳が聞こえなかったが、とりあえずどう対処すべきか考えた。さんざん迷って、1カ月間携帯電話とテレビを取り上げると告げると、彼女はかんかんに怒って叫んだ。「殺しはしなかったじゃない!」。
腐った村のジョン・ウェイン
マカフィーは、エムシュウィラーを1kmほど離れたカルメリタにひとりで住まわせたほうがよいと思った。そこで2011年の初めごろ、そこに家を建ててやった。そこはほとんどの家がむき出しの木とトタン屋根でできており、1割の家庭に電気が供給されていない村だ。川沿いの穴から砂を取って建設会社に売るのがいちばんの産業だった。
この地域で育ったエムシュウィラーは、実のところこの小さく貧しい村は、メキシコにドラッグを輸出している主要な港なのだと、マカフィーに注意を促した。
それは、マカフィーの心に眠っていた強い恐怖感を呼び覚ますのに十分だった。「大いに動揺しました。川に恋した結果、カルメリタの恐ろしさを発見してしまったのだから」。
彼はエムシュウィラーにどうするべきか聞いた。「すると、村中の人間を撃ち殺してほしいと言うんです」。彼女を不当に扱った者たちへの復讐に自分を利用しようとしているのではないかと思ったので、まずラヴァーズ・バーの常連客たちから情報を集めた。聞こえてくるのは殺し、拷問、ギャング闘争の話などで、カルメリタは架空の村ではないかと思えてきた。「開拓時代の無法な米国西部地方さながらでした。自宅の4km先に世界一腐敗した村があるなんて知りませんでした」。それでも彼は攻めの姿勢を崩さなかった。大金を失ってもなお、彼は金持ちの部類だった。世界各地にいくつもの別宅をもつことはできないかもしれないが、村のひとつやふたつなら掃除できる。
彼は、まずわかりやすい問題から解決に乗り出した。カルメリタには警察署がなかったので、彼がつくり、この地域を担当する警察官に取り締まりを始めるよう要請した。装備が足りないと警察が言ったので、彼はM16ライフルやブーツ、敵撃退スプレー、スタンガン、警棒などを買い与えた。勤務時間外にパトロールをする警官には金を出した。こうして警察は実質的にマカフィーの私有軍となり、マカフィーが自ら指令を出すようになった。カルメリタで誰がドラッグを扱っているのか、ドラッグの出所はどこかを、雇っている警官たちに捜査させた。「まるでジョン・ウェインが村にやってきたみたいだった」と、村議会の元議長エルヴィス・レイノルズは言う。
わたしが村を訪れたとき、レイノルズもほかの村民も、けんかや小さな盗みなどはあるがカルメリタは単なる貧しい村で、国際的ドラッグディーラーの一大拠点ではないと言い張った。むしろ村のリーダーたちからすると、あきれてものも言えない状態だった。「マカフィーがわたしたちのところへ来て自己紹介をして、この村で何をしているのか説明してくれると思っていたのですが、彼は一度も来ないのです」と村議会議員を2年務めたフェリシアーノ・サラムが穏やかな言葉使いで言う。「ただ突然現れて、わたしたちにあれこれと指示を出すようになったのです」。
マカフィーが敷地内に研究所をもっていることも、村民にとって謎を深める原因だった。アドニジオは研究を続けていたが、マカフィーは地元住民に何も知らせなかった。産業スパイを恐れていた向きもある。彼は自宅近くの橋でスーツ姿の白人と数台のクルマを見て、スパイに違いないと思った。
「グラクソ、バイエルなど、世界中のあらゆる製薬会社がスパイを送っていることを知っていますか?」とマカフィーは言う。「わたしは製薬業界のパラダイムシフトをもたらしうるプロジェクトを進行していました。情報を漏らすわけにはいかなかったのです」。
次第に彼は、四六時中見張られていると信じるようになった。エムシュウィラーが遊びに来たとき彼女は誰の影を見たわけでもないのに、気をつけるようマカフィーに何度も忠告した。ギャングたちがマカフィーに「焼きを入れる」、つまり強盗し殺してしまうつもりだという噂があったからだ。
あるとき彼女は、村議会議員がマカフィーに手榴弾を送りつけようと相談している会話を録音した。マカフィーは彼女のしたたかさに感嘆した。「まったく賢い子だ」と言いながら、彼女がいまや彼を守ろうとしている事実をうれしく思った。「彼は自分自身をこんがらがった機能不全の状況へと追い込んだ」と言うカトリーナ・アンコーナは、マカフィーが水上タクシー事業でパートナーを組む男の妻だ。「ここから出ていくようにと、わたしたちは彼を何度も説得しました」。
アドニジオもまた、マカフィーの振る舞いを心配しているひとりだった。当初この地域は安全だと彼から聞いていたのに、いま彼女は武装した男たちに囲まれて生活している。危険があるとすれば、元凶はマカフィーだと彼女は思った。「彼は恐ろしい人になってしまいました」。彼女は居心地が悪くなったのでベリーズを去ってしまった。
国家保安省の最高責任者、ジョージ・ラヴェルも、マカフィーが銃を大量に買ったりガードマンを雇ったりしていることを気にかけていた。「こういう人を見かけると、何をそんなに守ろうとしているのかと問いたくなる」とラヴェルは言う。GSUの隊長、マルコ・ヴィダルも同じ意見だ。彼は上司宛てのメールにこう書いている。「マカフィーの敷地内に麻薬メタドンを扱っている研究施設があるようだという情報を入手した。彼にまつわる情報を総合すると、状況を改善するために歩み寄る余地はない」。ヴィダルは強制捜査を提案し、上司の承認を得た。
幻想のロシアンルーレット
4月30日にGSUがマカフィーの敷地を捜索したとき、メタドンは見つからなかった。それどころか違法な薬物の類は何も見つからなかった。押収された物といえば、銃10挺と弾薬320発くらいだった。3人の警備員がライセンスなしで警備に当たっていたとして訴えられた。マカフィーはライセンスのない銃を所持していたとして訴えられ、ピス・ハウスとして知られるクイーン・ストリート署の留置所に一晩入れられた。
しかし次の日の朝、訴えは取り下げられ、マカフィーは釈放された。釈放はされたものの、彼はドラッグとの戦いが敵をつくったのだと確信した。
ヴィダルによると、当局はマカフィーが何をしていたのかわからなかったため、いまだに「要注意人物」だという。「何かをつくっているという証拠はないが、研究所の責任者であり、ギャングと関係をもち、重装備の警備員を配置する男を要注意人物とするのは妥当だとGSUは考える」とヴィダルは記している。
ヴィダルの疑いもあながち的外れではない。ベリーズに引っ越してきて2年経ったころから、マカフィーはBluelight.ruという薬物問題を討論するフォーラムに質問を数十回も書き込んでいる。だが彼は、バスソルトに入っていたMDPVという向精神剤について実験を始めたからだと釈明する。MDPVはアンフェタミンやコカインと似た効果をもつ合成麻薬に分類される。「ことの始まりは、使用済みフラスコを扱っているときに数滴指についた物質で、4日間も眠れなかったことだ。幻覚と幻聴があり、人生最悪の恐怖感に襲われた」と彼は投稿している。
一方で、性的興奮の高まりは薬物のリスクを正当化するとも彼は述べており、また2010年にMDPVを22kg製造したとも言っている。「3,000回分あまりをもっぱら国内で売りさばいた」と彼は記している。しかしエムシュウィラーもアドニジオも、その他わたしがインタヴューした誰も、実際にマカフィーが薬物を製造したところを見ていない。誰にも気づかれずに、そんなに大量につくれるものだろうか?
彼に言わせると話は簡単だ。薬物依存者をだましてより有害な薬物に手を出させるための、巧妙ないたずらだったと言うのだ。「腐った世の中に対して強烈に皮肉をこめたやり方をした」と述べ、彼自身は摂取したことがないと言った。「もし自分でドラッグをやるとすれば、マッシュルームとか良質のコカインにしておきますよ」。「でもわたしを知る人は皆、わたしが二度と薬物に手を出さないとわかっています」と彼は言った。
マカフィーと最後に直接会ってインタヴューしたのは8月のことだ。アンバーグリス・キーにある別荘でわたしを迎えてくれた彼は、上半身裸で銃を斜めにかけていた。警備員がビーチをパトロールしている。マカフィーはいま、5人の女性とともに住んでいると話してくれたが、彼女たちは皆、17歳から20歳くらいに見えた。エムシュウィラーもその場にいたが、マカフィーはほかの女性たちを目で追っていた。
隠していた姿を4月に現して以来、彼はこの地を去ろうとして踏みとどまった。ベリーズ政府がパスポートを返還してくれたのになぜ国外に出なかったのかと問うと、「それじゃ逃げ出したと思われるじゃないですか」と答えが返ってきた。「カルメリタは3日で元の無法地帯に戻り、ベリーズ北部におけるあらゆる犯罪行為の足場となってしまうでしょう」。
マカフィーと一緒にビーチを歩き、彼のバンガローまで行った。あらゆる意味で彼の人生は、矛盾だらけの複雑な蜘蛛の巣に絡め取られている。彼はカルメリタで薬物と戦っているというが、同時に薬物摂取を促すようないたずらも仕掛けている。法の遵守を心がけているというが、彼がベリーズに移住した理由のひとつは、民事訴訟に負けた際、米国の司法システムに追われないためでもある。警察は彼こそ薬物問題の中心人物だと言うが、わたしはマカフィーが現実から逸脱してしまったのではないかと思えてならない。彼はカルメリタを再生させることで、自分自身も再生させようとしているのかもしれない。
わたしがカルメリタに行ったとき、村民はここは静かでのんびりしたところだと言ったこと、犯罪があるのは多くの人が認めるところだが自転車泥棒や酔っ払いのけんか程度だということ、実際わたしも身の危険は感じなかったことを、マカフィーに話した。
すると彼はこう言った。「犯罪の99%は警察に報告されていません。ギャングに妹を殺されたと通報すると、ギャングが報復のために殺しにくる。だから誰も何も言わないのです」。
わたしが話した村民は過去3年で2件の殺人しか記憶にないと話していたと伝えると、それはあなたの質問の仕方が悪いと反論した。言わんとしていることをわかりやすく見せるため、彼は銃を取り出した。
「もう一度試してみましょうか」と言って彼は自分の頭に銃を向けた。またロシアンルーレットだ。以前と同じように彼は引き金を何度も引いたが、何も起こらなかった。「これは本物の銃です。実弾が1個だけ入っている」と彼は言い、わたしの仮説に欠陥があると再び指摘した。わたしは何か見落としているようだ。
同じことがカルメリタにも言えるという。わたしは、彼のような見方で世界を見ていないようだ。彼はバンガローのドアを開けると、外の砂地を狙って引き金を引いた。鋭い銃声が風や波の音を引き裂いた。「自分で自分の現実をつくり上げていると思っていたでしょう? つくり上げていたのは、あなたじゃない。わたしです」。
そう言って彼は、撃ったあとの薬莢を弾倉から取り出すとわたしの手に乗せた。まだ温かい。
包囲網と殺しの罠
8週間後、朝4時半にわたしの携帯が鳴った。「こんな時間に起こしてすみません。ただ、GSUが一晩中、わたしの家の周りを取り囲んでいるんです。彼は25分かけてGSUが暗闇の中でどうやってそっと彼を取り囲んだか説明した。「隊員2人は家から1mも離れていないところにいました。一晩中、誰も一言も言葉を発することなく、ただ取り囲んで立っているんです。考えてみてください。気が狂いそうでしょう?」。
彼は、少しでも動いたら殺されるかもしれないと恐れて、一晩中じっとしていたらしい。朝4時になったころ、隊員たちは静かに去ったという。
わたしは彼に、少し休むよう勧めた。彼はひどく興奮しており、怖がっていた。「やつらが戻ってきます!」と突然彼が言った。「もううんざりです! 切ります。行かなくては」。
そこで電話が切れた。それから1週間後、マカフィーはベリーズとメキシコの国境から電話してきた。ベリーズはもうこりごりだという。前日に彼がビーチを歩いていると、GSUの潜水隊員たちが海中から現れたという。さらにその後、GSU隊員の一団が彼の部屋に押しかけたが、何も言わず、何もしなかったという。
さらに数週間後、マカフィーから再度電話があった。「無事メキシコから戻ってきました。ありがたい!」と言ってカンクン郊外で強盗にあって殴られたと説明した。いまはまたアンバーグリス・キーにいるという。「ここにいれば、人々がわたしに危害を加えないことは明らかです。ただ脅しているだけなんです」。
その後数週間にわたって何度も彼と電話で話した。彼はボディガードたちが情報を外部に漏らしているとして解雇してしまい、代わりに英国籍のウィリアム・マリガンを雇った。マリガンの妻はベリーズ人だったが、英国籍の彼ならベリーズ当局とのつながりは少なそうだと考えてのことだ。
11月9日金曜日、マカフィーからメールが来た。午後10時半に「黒いスーツを着た強面たち」が彼の敷地の隣にあるドックに上陸し、その後ビーチに消えていったという。「わたしの飼い犬が皆、毒を盛られたことが30分後にわかったんです。そのうちメロウ、ラッキー、ディプシー、ゲレロはすでに死にました。エイミーに電話してメロウのことを伝えたら、ヒステリーを起こしていました」。
翌日、マカフィーが電話をかけてきて、飼い犬たちが苦しんで死んでいった様子を話した。苦しみを止めてやるために犬たちを銃で撃ったという。「不快感を覚えました。エイミーに2度電話しましたが出ません。気分がすぐれないようです」。
わたしは急に、8月にエムシュウィラーと交わした会話を思い出した。カルメリタで犬を虐待している人物に対する彼女の言葉を聞いてひやりとした。「あいつめ、わたしの犬に手を出してみな! 思い知らせてやる!」。また別のときに彼女は、マカフィーを心から大切に思うとも話していた。「もし彼が誰かの脳みそをぶち抜いてほしいと言ったら、わたしはその通りにするわ」。
マカフィーはわたしと電話をしたまま犬が死んだ原因を考えていたが、所有地を囲むフェンス沿いに「軍用ブーツの靴跡」を多数見つけた。これは警察がかかわっていた証拠だという。
「近隣住民から吠え声がうるさいと苦情が出ていましたよね」とわたしは言った。8月に、ビーチ沿いのバーの経営者が、マカフィー邸の警備員に、11匹もいる犬をちゃんと管理してほしいと依頼していた。そこでマカフィーがフェンスを建てさせたのだ。
アンバーグリス・キーのマカフィーの自宅から2軒南に住んでいるグレッグ・ファウルは、マカフィーの犬に特に腹を立てていた。ファウルはフロリダ州オーランドでスポーツバーを経営する大柄な男で、毎年ベリーズに保養に来ていた。せっかく熱帯のパラダイスで過ごす時間なのに、犬の吠える声が邪魔でしょうがなかった。
ファウルは犬の件で過去にマカフィーと対立したことがあった。マカフィーによると、ファウルは犬を撃ち殺すと脅してきたこともあるが、本気だとは思えなかったという。アリソン・アドニジオは2010年にベリーズに移り住んだ当初、ファウルの家に滞在したことがあったが、そのころから両者は恨み合っていたという。
犬が毒殺された週の初めに、ファウルは犬に対する苦情で訴訟を起こしていた。マカフィーは、近隣住民が犬の毒殺にかかわったのではないかとの説を否定した。「近所の人たちはみんな犬好きです。毒を盛ったりなんかしませんよ」。マカフィーはファウルについて特に言及した。「彼はそんなことをする人じゃありません。確かに彼は怒りっぽいけれど、犬に危害を加えるようなことはしないと思います」。
次の日曜の朝、ファウルが大量に血を流して仰向けに倒れているのが見つかった。処刑されたかのように後頭部を1発撃ち抜かれていた。空になった9mm口径のルガーが現場に落ちていた。押し入られた形跡はなかった。ラップトップPCとiPhoneがなくなっていたと警察は発表した。
その日の午後、ファウル殺害事件で事情を聞くため、ベリーズ警察がマカフィーの家を訪れた。それを見てマカフィーは、当局がまた彼を苦しめに来たと思い込み、急いで砂地に浅い溝を掘って、そこに自分の体を埋め、頭は段ボール箱で隠した。そして数時間そのままでいた。
警察はマカフィー邸にあった武器をすべて押収し、事情聴取のためにマリガンを連行した。警察が去ると、敷地の管理人が、ファウルが殺されたらしいとマカフィーに告げた。マカフィーは、そのとき初めてファウル殺害事件について耳にしたという。そして彼が最初に思いついたのは、GSUが殺そうと狙っていたのはマカフィー自身ではないかということだ。「警察はファウルをわたしと間違えた。きっと家を間違えたんです。ファウルは死んでしまった。警察が殺したんです。恐ろしい!」。
マカフィーは逃げることに決め、たびたびわたしに電話してくるようになった。ファウルを撃ったのかと尋ねると、「違います、違います!」と彼は言った。「そんな、ジョークにもなりません」(エムシュウィラーも、事件への関与を否定している)。
マカフィーが事件に関して知っていることといえば、警察が彼を追っており、もし捕まれば拷問を受けるか殺されるだろうということだった。「警察に捕まったら、わたしは一巻の終わりです」。
その後48時間、マカフィーは「足のつかない人物たち」の助けを借りてベリーズ国内を転々とした。「危険と隣り合わせでした。追っ手がいつ来るかわかりませんでした」。
ガールフレンドのひとりサマンサ・ヴァネガスが同行しており、ふたりはクッキーとタバコだけでしのいでいたという。火曜日の朝、警察がすぐ隣の家に捜索に来たが、ふたりは捕まらずに済んだ。こうして彼らはお湯も出ないしトイレも壊れている家に身を潜めるようになった。そこにあったテレビだけは映るようだった。
「わたしたちは『スイスファミリーロビンソン』を観ました。漂流する人たちを描いた物語です。自分たちもあんなふうにできるかもしれない、などと思いながら観ていました」
映画はハッピーエンドだったので、彼は満足した。
※この記事を印刷に出そうとしたところ、折しもジョン・マカフィーは拘束され、ベリーズに送還されるとのことだった。
ジョシュア・デイヴィス|JOSHUA DAVIS
US版『WIRED』コントリビューティング・エディター。本ストーリーの映画化が計画されているという。