民主派メディア「リンゴ日報」廃刊で香港は二度殺された
リンゴ日報の幹部の逮捕を報じる同紙を掲げ、当局に抗議の意を示す香港の市民(写真:ロイター/アフロ)
<『蘋果日報』の紙版は、6月24日(木曜日)が最後の一日。ネット版は、6月24日の明け方から、更新をしばらく止めます。各位読者の支持に感謝します>
これまで26年にわたって、幾多となくスクープを飛ばし続けてきた「最も香港人に愛された新聞」の最後のスクープは、皮肉なことに自身の廃刊宣言だった――。
来週6月30日、香港国家安全維持法の施行から、1周年を迎える。その翌日、7月1日には、香港返還24周年と中国共産党100周年という「2つのビッグイベント」が控えている。
こうした中、香港で6月24日、また一つ「自由の炎」が消える。『蘋果日報』(Apple Daily)の廃刊である。日本では、「リンゴ日報」の愛称で知られている。
創業者は筋金入りの民主派
『蘋果日報』は1995年、香港の著名な富豪の黎智英(Jimmy Lai)氏が創刊した。1948年広州生まれの黎氏は、12歳の時、反右派闘争や大躍進運動、3年飢饉で中国国内が大混乱に陥る中、密航船に乗って香港に渡ってきた。成人して、艱難辛苦の末にアパレルチェーン『ジョルダーノ』を立ち上げて成功させ、立志伝中の人物となった。
青春時代に中国の天安門事件に遭遇した私の世代は、香港で北京のデモを支援した人々が、様々なメッセージを書き込んだ『ジョルダーノ』のTシャツを着てデモしていた姿が懐かしい。
私は、1997年に香港が中国に返還される前から、香港へ行くとまず、『蘋果日報』を買って読んでいた。ほぼ全面カラー仕立てで、相手が北京政府だろうが香港の財閥だろうが、平気で噛みつく。香港で起こった突拍子もない事件などを扱う3面記事も抜群に面白く、独特の広東語漢字に見入ったものだ。
今世紀に入って紙面がデジタル化されると、デジタル版のニュースもどこよりも早く、面白かった。ちょうど2年前に、逃亡犯条例改正を巡る100万人デモ、200万人デモが起こると、『蘋果日報』は勢いづいた。特にネット版のデモの映像は生々しかった。昨年時点で、紙版10万部、ネット版購読61万部という香港最大部数を誇っていた。
中国では「所持していただけ」で取り調べ受けてしまう蘋果日報
私は2019年の年末、香港から高速鉄道に乗って北京へ向かった際、中国側の税関で捕まり、公安の部屋で1時間にわたって事情聴取を受けた。それは、「手提げ袋に『蘋果日報』を入れていた」という罪だった。香港西九龍駅前の安食堂で朝飯を食べていたら、近くの香港人のオッサンが『蘋果日報』を読み捨てて出たため、これから8時間56分も乗り続ける高速鉄道の車中で読もうと思って、何気なく手提げ袋に入れたのだ。
その時の、税関警察のものものしい雰囲気から、「『蘋果日報』を所持していた罪」というのが、私の想像以上に重いことに気がついた。公安に繰り返し、その日の朝の食堂の話をした。最後は、「罪を犯した所持品を放棄します」という文書にサインをさせられ、ようやく釈放された。中国当局は、この頃から『蘋果日報』を標的にしていたのだ。
それから2カ月後の昨年2月28日、黎智英氏が香港警察に逮捕された。まもなく釈放されたが、4月18日に再逮捕された。香港国家安全維持法が施行された後の昨年8月10日には、『蘋果日報』編集部に、200人以上の捜査員が家宅捜索に入った。その時の映像を『蘋果日報』のホームページで見たが、「戦場」と化していた。
先週6月17日には、『蘋果日報』の5人の幹部が逮捕された。そしてついに、「香港の表現の自由の象徴」が息絶える日が来たのだ。『蘋果日報』以外の大手香港紙は、すでに「親中派」に寝返っている。
『蘋果日報』なき香港はどうなるのか? 私は、元幹部に話を聞いた。以下、一問一答である。
香港を「第二の新疆ウイグル」とみなして弾圧に乗り出した習近平政権
――古巣の『蘋果日報』の廃刊をどう見ているか?
元幹部 「昨年6月に、香港国家安全維持法が施行されたことで、香港は死んだ。それからちょうど一年後、今度は「蘋果日報」が死んだ。そうして7月1日、香港は「屍(しかばね)の返還24周年」を迎えることになる。まさに香港の葬式だ。
リンゴ日報幹部の逮捕・同紙の廃刊に関して、香港当局の対応を批判する外国政府に対し「国家安保を脅かす行動を美化している」と反論した香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官(写真:AP/アフロ)
――その日は中国共産党100周年で、習近平政権は盛大な国家の慶祝を準備している。こうした中国大陸と香港の「一国二制度」をどう思うか?
元幹部 「一国二制度」と言うが、北京の共産党政権が望むのは「一国」の方だけで、われわれ香港市民が欲しいのは「二制度」の方だけだ。つまり「一国二制度」というのは、1997年にイギリスから返還された際の、北京政府と香港市民の「政略結婚」のようなものだったのだ。
それでも、これまでは互いに「仮面夫婦」を装ってきたが、習近平政権が目指すのは「強国強軍」であり、香港の自由と民主なんか看過できなくなってきた。だからこそ、一昨年に逃亡犯条例改正への反対運動が起こってから、われわれを「第二の新疆ウイグル族」とみなして、弾圧に出たのだ。われわれからすれば、「にわか成金」が、わがまま放題に香港という宝物を手に入れようとしているとしか映らない。
中国政府、北京五輪後に香港を一気呵成に吸収か
――いまのような状況というのは、以前から予測していたか? それとも青天の霹靂のように起こったのか。
元幹部 私自身は、1997年に香港が中国に返還された時、北京政府が「一国二制度」を約束した50年のうち20年、すなわち2017年の時点で、起こっているだろうことを3点、予測していた。第一に、中国大陸が強大になり香港を早期に吸収合併しようとする。第二に、中国大陸と香港市民の心理的不一致が拡大し、強く対立するようになる。第三に、その結果として、香港から脱出しようとする人が増える。この「3つの予測」は、現時点ですべて当たった。
――いま移民を考えている香港人は多いのか?
元幹部 多いなんてものではない。「アナタはどこへ行く(移民する)?」というのが、最近の香港人の挨拶代わりになっているほどだ。
これは「2022年問題」と呼ばれている。もともと「1990年問題」というのがあった。1997年の香港返還が7年後に迫った時、香港人が返還時の身の振り方を考え始めたわけだ。そして実際に約50万人が、香港を離れた。
同様に、2047年には中国に完全に吸収合併することが決まっているので、香港人は「2040年問題」と思っていた。ところが習近平政権になって、「2040年問題」は「2022年問題」に変わってしまったのだ。つまり、来年2月の北京冬季五輪が終われば、北京政府は一気呵成に香港を吸収合併してしまうかもしれないと、香港人は本気で思い始めている。われわれ740万香港市民は、「次なる蘋果日報」なのだ。
筆者:近藤 大介