2:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:53:33 ID: ID:iw2
3:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:54:11 ID: ID:vFP
4:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:54:31 ID: ID:ur6
5:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:54:59 ID: ID:9OY
アメリカのロスアラモス国立研究所で原爆開発に従事していたハリー・ダリアンが、
中性子反射材である炭化タングステンでプルトニウムの球体を囲み徐々に臨界に近づける実験中、
誤って炭化タングステンのブロックを球体の上に落下させて急速に臨界状態を発生させてしまった。
ダリアンは推定5.1シーベルトの放射線を浴び、25日後に死亡した
9:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:57:49 ID: ID:HEH
これよく考えたら落とさんでも相当量被曝しそうなんやが…
11:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:59:00 ID: ID:i1k
臨界両を調べるわけやから核分裂はしてるよな
6:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:55:43 ID: ID:9OY
彡(゚)(゚)「ワイがやらんかったら誰がやるねん、大丈夫何回もやってるしヘーキヘーキ」
彡(゚)(゚)「あっ」ガツン
彡(゚)(゚)「熱っ!酸っぱ!まぶしっ!」
(´・ω・`)「これって…」
彡(゚)(゚)「危ない!皆逃げろォ!」バシッ
1946年5月21日 デーモンコア臨界事故(9ヵ月ぶり2度目)
同じロスアラモス国立研究所のルイス・スローティンは、プルトニウム球の周りにベリリウム半球を重ね、
間をマイナスドライバーで支えてグラグラさせることで臨界に近づけるというこれまた危険な実験を行っていた。
リチャード・ファインマンをして「ドラゴンの尾を踏む」と形容するほど危なっかしい実験を他のメンバーはやりたがらず
エンリコ・フェルミは既に40回以上この実験を行っているスローティンの身を案じ「年内に死ぬぞ」と警告していた。
しかし功名心の強いスローティンはなおも実験を繰り返し、ついに半球を接触させる事故を起こしてしまった。
青い光や酸味、左手に燃えるような感覚を覚えたスローティンは臨界状態を察知し、すぐさま半球を手で払いのけた。
周囲の仲間への被害は軽微で済んだもののスローティン自身は手遅れで、9日後に病院で死亡した。
僅か9か月間で2人の命を奪ったプルトニウム球は「デーモンコア」と呼ばれ、
その直後に行われたクロスロード作戦にて原爆のコアとして用いられ、爆発とともに葬り去られた
7:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:55:49 ID: ID:KsP
8:名無しの歴史部員 2018/11/08(木)23:56:24 ID: ID:dKl
12:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:00:05 ID: ID:xSc
13:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:00:14 ID: ID:vQX
14:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:00:22 ID: ID:kCQ
15:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:01:57 ID: ID:EQ9
16:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:02:04 ID: ID:Uen
(´・ω・`)「うん」ジャー
彡(゚)(゚)「貯塔に持ってくのめんどくさいから沈殿槽でええで」
(´・ω・`)「うん」ジョー
彡(゚)(゚)「!?ヤバい!逃げろ!」
(´・ω・`)「誰か止めに行かないと」
彡(゚)(゚)「ワイは絶対嫌やで」
1999年9月30日 東海村臨界事故
志賀原発の事故から3か月後、今度は茨城県那珂郡東海村のJCO核燃料加工工場で臨界事故が発生した。
工場内では硝酸ウラニル溶液の均一化作業が行われていたが、この時作業員は正規のマニュアルに従わず
「社内マニュアル」と称して溶解作業を専用の容器ではなく金属バケツで行っており、
更に均質化作業も正規の容器で行わず沈殿槽という臨界を起こしやすい形状の容器で行っていた。
結果として容器の周りにある冷却水が反射材となり臨界が発生、作業員は青い光を目撃し即座に退避した。
その後もJCO社員は事故対応を全く行わなかったが、政府からこのままでは強制命令が出ると告げられようやく「決死隊」を結成、
20時間後に臨界はストップした。事故から1年以内に二人が死亡した。
35:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:18:47 ID: ID:ar3
やきうのお兄ちゃんいっつも悪役やってんな
18:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:09:36 ID: ID:plt
20:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:10:17 ID: ID:ar3
デーモン・コア
アメリカのロスアラモス研究所で各種の実験に使われた、約14ポンド(6.2kg)の未臨界量のプルトニウムの塊である。事故前はルイス・スローティン博士が「ルーファス」(Rufus)
と名付けていたが安全性を度外視した危険な実験や不注意な取り扱いのために1945年と1946年にそれぞれ臨界状態に達してしまう事故を起こし、二人の科学者の命を奪ったことから「デーモン・コア(悪魔のコア)」の悪名がつけられたんやで
21:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:10:24 ID: ID:dip
22:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:11:17 ID: ID:EQT
23:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:11:33 ID: ID:ar3
生きてるのか…
29:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:13:04 ID: ID:EQT
記憶が曖昧やからもしかしたら同僚がそうなってその後死んだって言ってた可能性あるわ
31:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:13:22 ID: ID:ar3
ありがとう
30:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:13:08 ID: ID:Rw3
ヒエッ
27:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:12:08 ID: ID:xSc
さぞかし綺麗な色なんやろな
40:名無しの歴史部員 2018/11/09(金)00:36:54 ID: ID:6Hs
事故とは言えある意味で科学史に永遠に名を刻んだんやね
引用元:彡(^)(^)「ドライバー1本でプルトニウムの実験したろ!」