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僕たちはSyamu_Gameの何を愛したのか?後編
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僕たちはSyamu_Gameの何を愛したのか?後編

2019-03-21 19:51
  • 21

大概のネット上の情報コンテンツというものは流行を食うこと・・・より多くの人間が参加するバズに自分もアクセス、ないし参加することが目的なので、その出来事が有名であるかないか、注目を集めているか、話題になっているかどうかというのは非常に重要な指標となる。

そして、自分が関わっている(追っている)出来事や人物がもっと有名になって欲しい、流行の中心になって欲しいという少し歪な形の射幸心が、そのコンテンツの「数字」を回転させる原動力となる。

2016年以降の、特に2018年頃のSyamu_Gameという話題の実態は概ねこれで、Syamu_Game本人が面白いというよりもむしろ、Syamu_Gameという話題を過熱させることが「面白い」構造になっていた、と言った方が真実に近い。

たかだか十数秒、数十秒の復活動画が瞬く間に百万再生だの数十万再生だの、リツイート数が何万だのワールドトレンド何位だの、国会議員がコメントだのトップyoutuberが言及だのと、よくよく考えれば、こういった言い草はどれもこれもSyamu_Gameなんぞまったく無関係で、「誰かの反応に対する反応」が話題の大部分を回転させ始めているのが分かる。

このバズに参加している人、あるいは、この話題を「バズらせようと」している人たちは明らかに、Syamu_Game本人にほとんど前提知識も、あるいはもっと言うと「関心」さえなかったことは、初めから明白だった。

ツイッターのアカウントを持っている人はそのタイムラインを眺めてもらえば分かるかと思うが、発信する側にとって話題に「なる」ことが重要なのは言うまでもなく、それよりもむしろ、受信する側に立つ多くの人々が、いかに話題に「する」ことに関心と行動を集中しているかが、SNSにおける昨今の情報のトラフィックの流れを追えばよく分かる。

もし、仮に、仮にだが、Syamu_Gameの人となりについて最低限の知識を持った人間が百万人いて、彼らがSyamu_Gameに対する純粋な関心から一人一回ずつ12月18日のライブ配信動画を再生していたら、その「百万再生」の意味はまったく今とは異なったものになっていたはずである。それは、単に百万人が百万回呆れただけであり、ただただ百万人の54分が蒸発しただけにすぎなかっただろう。

でも、実際にあの動画を再生した人の多くは、Syamu_Gameの人となりなんてまったく知らないし、純粋な関心なんてカケラほどもなかった。

そりゃあ、まとめブログなりなんなりで過去にSyamu_Gameに触れた人もいくらかいたかもしれないが、それにしたって単に話題をつまみ食いしただけのことである。Syamu_Gameのことを「分かっている」と言えないのはもちろんのこと、「知っている」とさえ言えない水準に留まる。

ヘッドセットレビュー動画が3年間で12万再生、猫夜叉にゴチャゴチャ言ってるシーン集が同じく30万強、無職和歌山旅行でさえ精々が60万再生程度である現状を考えると、Syamu_Gameについて必要知識を持ち合わせている人間の数は、復活直後の話題の過熱ぶりに比して、その実数は著しく少ないと言わざるを得ない。

もしも、Syamu_Gameが20代後半にもなって女子中学生をネチネチ困らせるような悪性こどもおじさんであることを知っていたり、あるいは、無職で時間も有り余ってるくせに、敢えてamazonお急ぎ便を利用した挙句、着便の翌日に開封して配達業者の努力を水泡に帰すような愚行をする馬鹿であることを前もって把握していれば、この男がヒカキンに一目置かれるような大物youtuberになるなんて実しやかに囁かれた噂が、常軌を逸した病的な誇大妄想に過ぎなかったことなどすぐに気づくはずである。

しかしながら現実には、復活したSyamu_Gameこと濵﨑順平が、このままいけば大物Youtuberとして成功するかもしれない、なんてとんでもないシナリオが、浅はかにもまことしやかに話されていたのである。濵﨑順平を少しでも分かっていればそんなことは言えないにも関わらず。

結局この騒動というのは、あの男のことを何も知らない人間が、あの男について多くのことを語っていたに過ぎなかった。

2018年11月24日以降の一連の話題っぷりは、「Syamu_Game(濵﨑順平)がどういう人間か」という根本にある人間的な部分をまったく無視した、実態から乖離した投機的なスクラムだった。

ヒカキンや丸山ほだか議員やその他有象無象の人間たちが、よってたかって濵﨑順平本人の分不相応に人気を水膨れさせ、そこから差益を得ようとする。その差益というのは、元AV女優のあず希のようなゴロツキにしてみれば実際の現金であり、その他の傍観するイナゴにとっては暇つぶしの話題であったりと、形態は様々だったが、Syamu_Gameという無関心の他人をダシにするという目的部分では共通している。

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あの復活宣言の翌日、自分はブロマガでSyamu_Gameはもう復活しないという記事を投稿した。いま画面に映っているのは、youtuberとしてのSyamu_Gameではなくまったく別の濵﨑順平だと言った。

だから、2018年末から始まったこの出来事は、Syamu_Gameの出来事ではなく濵﨑順平の出来事だと言うべきである。

しかし、それでさえ、どこまでが濵﨑順平だと言えるのか?

今回の騒動を形作っていたのは決して濵﨑順平ただ一人ではない。というよりもむしろ、観客を気取って濵﨑順平の周りに群がっている無数のイナゴたちこそが、この騒動の主人公だったような気がする。

濵﨑順平を口実にして、濵﨑順平みたいな人間以外に余暇を潰す方法を見出せないほど追い込まれた人々が、ここぞとばかりに一生懸命に騒動を囃し立てていた。

ある本スレ民が「こんな面白いことになっているのに何でここ以外盛り上がっていないんだ」と訝しがっていたが、注意深くレスを読んでいけば、本スレでさえ、こんなろくでもない放浪騒ぎに熱中しているのは一部の特殊な人間だけであることが容易に分かる。

だいたいの人間はこんなことではしゃがなければならないほど娯楽に飢えていないし、感受性がすり減ってもいないのだ。

しかしこんなことではしゃいでいる特殊な連中は、匿名掲示板特有の他人の視線を無効化する環境によって自分を客観視できず、どんどん深みに嵌り込んでいく。客席にいるつもりが、のめり込むだけ我がますます強くなり、いつのまにか自分の方がズケズケと舞台にあがって登場人物の一人になっている。そして極めつけは、本人がそのことにまったく気付けないまま、自分は傍観者に過ぎないのだと勘違いしている。

濵﨑順平を観察しているのだと強弁する連中がいるけども、あのコンテンツ(と言っていいものかどうかはこの際置いておいて)は実際のところ、濵﨑順平が何をしでかすかというよりも、濵﨑順平に群がっている連中が次に何をやらかすかを野次馬するためのコンテンツになっていた。

そしてその群がっている連中というのは単に代理人やsyamuサークルの男や元AV女優だけのことではなく、先に挙げたような、匿名掲示板でイキり散らしている自称傍観者たちをも含む。それは、こんなコンテンツにしがみつかないといけないほど感受性に障害を来たし、ソーシャルの掃きだめにまで追いやられた弱者たちの姿である。

しかし、そんなみすぼらしくて貧相で下品な連中の織り成す茶番劇が、マトモな人間にとって面白いはずがなく、鑑賞に堪えるわけがない。

かくしてコンテンツというのは他者を寄せ付けず、既にのめり込んだ人間達からも疲れ切って脱落する者がチラホラ見受けられるようになり、そして「終わって」いくわけである。

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syamuさんのスイーツレビュー動画で

「モンブラン、栗!モンブランは栗!・・・モンブランソースがかかってます」

と、ほざくシーンがある。

当然モンブランは栗ではない。モンブランは西ヨーロッパ随一の巨峰に由来し、使用されている素材ではなく形状のことを指す。そのうえ、かかっているのはソースではなくクリームである。

しかし、この程度の間違いは本来、愛嬌程度にしか受け止められないものであって、教養云々が疑問視されるほどの過失ではない。

モンブランソースのくだりは流石にちょっとおかしいが、私たちが一般に触れる機会のある「モンブラン」はほぼほぼ栗の使用されたスイーツであり、そのイメージが栗に固まってしまうことは十分理解できる。そもそも外来語であるモンブランに対して原語に率直な正しいイメージを身に着けるというのは、はるか東方のかなたに住む日本人の私たちには不可能である。物のイメージというのは日常生活上の体験からくみ上げられて当然なので合って、そういう意味で、モンブランは栗、などと言い間違えるのは、大人でも許されるささいなことなのである。

しかしながら、syamuさんが相手となるとそうはいかない。こんなことが人の神経を逆なでしてしまうのだ。特に受け手が社会人の年代であればその感情は顕著となる。

朝は7時に起きて8時には家を出て9時前には出社、昼の短い休憩を除いて17時18時まで仕事詰めで、場合によっては20時21時まで残業をしてから帰宅、飯を作り風呂に入り、自由時間はあっても1時間か2時間、明日の仕事のことを思いながら晴れない気持ちで床につき、貴重な週休日は貯まった家事の消化に追われる日々・・・

毎日をクタクタになるまで戦い社会人が、たまの贅沢のスイーツに際して「モンブランは栗」などと言い間違えたって、みんな暖かい笑い声で答えてくれるだけである。あなたがどれだけ日々を頑張っているかみんな知っているから、そんなことで嘲笑ったりしなし、その無知に対して腹を立てたりもしない。

しかしsyamuさんは違う。愛嬌にならない。腹が立つ。厭味ったらしく聞こえる。

社会の荒波に揉まれることもなく、勝手都合のいい絵空事に逃げて、皆が必死に生きる毎日をいたずらに浪費している無頼の徒が「モンブランは栗!」などとほざいているのを聞いてしまうと、「その程度も知らずにその年までノンキにブラブラして、いい御身分だな!」と思ってしまうのが、人の情というものである。

考えてみると、この社会は「大人になる」ことから避けられない。

「大人になる」とは、付き合いの酒で肝臓を酷使したり中性脂肪を貯めたりすることであり、あるいは、営業の為の笑顔で顔にしわを刻み込むことであり、あるいは接待ゴルフで肌を焼くことであり、あるいは脳みそが狭い世界で固まっている上司からハラスメントを受け、ジジィどもの汚さに慣れることであったりする。つまり、「大人の世界」のなかで疲れて、かすれていくことである。

人間は肉体的に、繰り返す新陳代謝の合間に、老化という現象によって若さを少しずつ失っていく。それは生きていくための駄賃である。

同時に私たちは、社会的にも生きていくための駄賃を必要とする。それはつまり「大人になる」ことである。若々しさと無垢を手放し、大人としての世知辛い処世術を身に着けていくことである。

それはある種、「生存税」とでも言うべきものかもしれない。

老化のような自然の法則ではなく、それは人間がいつの間にかの事の成り行きで定められた「みんなルール」というあやふやなものに過ぎないのだが、ルールというものが持つ極めて理不尽な効力によって、私たちは払いたくもない「生存税」を払わされているのである。

だが、syamuさんはこの意味での生存税を滞納している。

自分だけ、社会の荒波から免れている。

自分だけ、傷つかずに済む家庭的な空間に閉じこもっている。

辛い思いをせずに、ずっと夢を見ながらサボり続けている。

そんなズル休みしている男が、能天気な声で「モンブランは栗!」などと言っているのに出くわすと、世の大人たちは許せないのだ。それは愛嬌などにはならないのである。

もうこうなると、その年になって何してるんだと怒鳴るか、もしくは、コイツは成長不全の欠陥動物なのだと蔑すんだ目で突き放すかの二択になる。

しかし僕たちがどちらの選択しをとったかに関わらず、何であれそれにはある種のsyamuさんに対する羨望を含んでいたと思う。

自分たちの手が届かないような平和な空間で、先のことなど考えずに無責任な怠惰を味わうsyamuさんの日常が、どこかで羨ましく思う自分がいた。

確かにsyamuさんがこれまで失ってきたもの、そしてこれから失うであろうものの厖大さを考えれば、その羨望の念は不釣り合いなほどちっぽけなものかもしれない。しかしながら、動画画面の向こうに映し出される貝塚合同宿舎の日常風景は一種偶像化されていて、社会の生存税とは無縁の幻想的な世界が映し出されており、自分たちの呼吸する現実空間とは異なる世界が広がっていることに、私たちはどうしても奇妙な好奇心を抱かざるを得ないのである。

コイツはむかつくが、コイツの生きている世界は、少し羨ましい。

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なんてことを去年までの僕は思っていたわけだけど、もしかしたらこんなことはとんでもない勘違いだったのかもしれないと、今更ながらに思うようになった。

去年の冬、濵﨑順平は、平和な日常を捨てて貝塚を後にした。

なぜ怠惰で平穏な日々を自分から捨てたのかは分からない。代理人にそそのかされたのだとか、分不相応な夢を見てトチ狂ったのだとか、色々と憶測はあるし、例の謝罪動画では、youtuber活動を再開するために反対する両親の元を離れたと本人が語っている。

しかし、着の身着のまま、ほとんど手ぶらで身分証明書すら持たない裸一貫から、今までさして抵抗した経験もないであろう親の反対すら押し切って実家を出たというのは、やる気もないめんどくさいで青年期を浪費した無職とは思えない世紀の決断である。それを考えると、やはり何か格別の心情があったのだと思う。

やっぱ、辛かったし、焦ってたのかなぁ。

なにもせずボンヤリしたまま35歳まで生きて、日増しに肉体も思考も劣化していって、どんどん未来が黒くくすんでいって、そんな自分の視界に、やっぱり苦しんでいたのかなぁ、と思う。

バイトでもなんでもいいから働けと言う人がいるけど、あの濵﨑順平のことを思うと、バイトしたところで所詮は焼け石の水に過ぎず、未来の問題が根本的に解決するとは思えない。

食いつないでいけるじゃないかと言うが、濵﨑順平が自分は何もないポンコツなのだという現実を噛み締めたままこの先何十年生き永らえたとして、ただ惨めな自分を味わい続けるだけの人生など、拷問とさして変わらないじゃないか。

やっぱり、35歳無職濵﨑順平のドス黒い人生の問題を解決するには、一発逆転しかなかった。バイトなんかじゃなく、今の自分の運命をひっくり返すような、自分にしかできない輝かしい成功が必要だった。UUUM入りして本当に本当の大物Youtuberになるしかなかったんだろうと思う。

真冬の六本木ヒルズの前で、何処の馬の骨とも知れない知能の低い男と一緒に、何日も洗ってないギトギトの頭を晒しながら行った配信で、「オレハマダテオクレジャナイトオモウシ!」とボソボソ喋りながら意地を張っている姿を見たとき、僕はとても惨めで悲しい気持ちになった。

年をとることのない幼稚な貝塚ネバーランドで児戯に現を抜かしていたSyamu_Gameの姿はもはやなく、そこには、寒々しく刺々しいむき出しの現実社会の中で、灰色の虚空に見下ろされながら、無表情な地面に吠える35歳無職濵﨑順平の姿しかない。

あの六本木ヒルズでの配信動画には今までの数あるSyamuGame動画では決して見られないような、冷酷な痛々しさがあった。あんな悲痛な気持ちになる動画は、今までのこのコンテンツでは見られなかったものだった。

ボロボロにやせ細った野良猫が、何も無い駐車場のアスファルトの上で、落ちているはずもないエサを探し求めて力なく徘徊しているような、無力な必死さと悲しさと汚さがあった。

翻って今、濵﨑順平はyoutuberとして復活している。

収益化も実現し、動画も継続的に投稿するつもりのようである。

しかし、動画を見てもらえば分かるだろうが、そこには、ズル休みをして家で余暇を持て余しているような余裕と若さはなく、生きていくための生活費を必要としている35歳無職しか感じ取れない。

結局、濵﨑順平は、湖口をしのぐ為に自分を切り売りする存在になってしまった。自分の声と時間を売ってカネに変える人間になってしまった。

それは、賃金労働者として生きる私たちのそれと、本質的には変わらないと思う。肉体的な負担の軽重は確かにあるけども、無垢な自由と夢を諦め、鉄臭い歯車の現実に自分を嵌め込もうとする行為は、その根本ではまさしく同じものである。

濵﨑順平は濵﨑順平なりの形で社会の歯車になってしまったのだと思う。

今更ながら、僕は無責任な夢を見ていたのだと分かった。

貝塚ネバーランドで永遠の児戯を遊ぶピーターパン無職など、ありえる話じゃなかったんだ。

そんな気楽な人間がいるわけないんだ・・・

思えば僕たちは、社会人である自分たちには決してなしえないような、無責任な逃亡の理想像をSyamu_Gameに求めていたのかもしれない。

でも、そんな幼稚なヒーロー像は、濵﨑順平本人の都合をまったく考慮していなかった。

濵﨑順平は無敵の無職なんかじゃなかった。気楽なピーターパンでもなかった。確実に行き詰まっていく人生からダメージを受けていた。その苦しみを理解できていなかった。

結局、彼も現実社会の圧力には抗し得ず、彼なりの方法で膝を屈したのだと思う。

MAD動画の夢の中でみた気楽なSyamu_Gameは、やはり幻想だった。

その幻想が木っ端みじんに打ち砕かれたことが、今は少しだけ悲しい。

***********

で、youtuber濵﨑順平がこの先どうなるかなんてことにはほとんど興味ない。

そもそも前の記事でも濵﨑順平について語りたいことなどなにもないと言い切ったし、この記事だって濵﨑順平じゃなくてSyamu_Gameについて語ろうとしたのが発端だった。

しかしまぁ、ここまで書いて触れておかないわけにもいかないので、最後に簡潔に述べておく。

残念ながら濵﨑順平氏は発展性のない人間である。本人のCPU不足やメモリ不足が改善されることはけしてない。加齢によって出来ないことは増えていくが、出来ることは増えないだろう。だから同じことの繰り返しになるのは目に見えている。

発展性のない以上、最初のスタートダッシュがピークとなり、あとはただただ漸減するだけじゃなかろうか。

淫夢もそうだが、この手の下品なネットコンテンツ界隈というのにはブースト補正があって、どんな糞動画でも他のコンテンツ動画に比べて必ずある程度数字は稼げる。閉じたコミュニティ構造のおかげで再生数の下限が割と高めに設定されている。

しかし逆に、高クォリティのものを作ってもあまり数字が伸びない。下品でいわくつきだからコミュニティの外に広がらないのである。

そういう意味で、濵﨑順平は自分自身が足枷になっている。その足枷は面白がった他人が作ったもので、決して本人の責任ではないのだが、ついてしまったものはしょうがない。

とにもかくにもそういうわけで、最初っから確変の希望などなかった。

最初の勢いが異常だっただけで、その目新しさがなくなれば、もうかつての勢いを取り戻すことはないだろう。

ズルズルとじり貧に追い込まれていくだけだろうが、まぁ、仰天ニュースにでも取り上げられればワンチャンあるんじゃない?

(了)

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他11件のコメントを表示
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僕としてはポジ林兄貴を責める気には慣れないですね。僕自身シャムさんのファンでありながら笑い者にしてた人間の一人ですし、星リン兄貴の動画も繰り返し視聴してた立場なので。
ただ直接明言はしてないにしても、前後編に別れた記事から兄貴なりのこのコンテンツを流行らせてしまった贖罪の念というか、罪悪感みたいなのを文の端々から感じます。

勝手な話になりますけど、シャムさんがそれなりに動画で日銭を稼いでいるのを見て夢が叶って良かったねって眺めてます。
27ヶ月前
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星林兄貴がsyamuさんのお気持ちに触れた上で行動を読み取ろうとしたところは見なきゃいけない点だと思っていて、
「結局代理人のロボット」「性杯」とか彼からの主体性を全く除いた見方がうんざりするほど多い中で、
こういう見方を実験的ではあれ試みたことは、星林兄貴らしいなとも思える。
とはいえそこから、syamuさんの今後まで見通すようなことを宿命論じみた形で言って、
「これでsyamuとは決別です」と、これは本当に言葉通り決別と見てよいのだろうか、¥。
むしろ見立てを固定化させることによって、自分とsyamuを永劫に縛り付けたようにも思える。
だとするなら、濱崎順平がこの「syamu」からの見立てを崩したその後こそが真にsyamuとの決別と言えるものになり、
syamu学の終焉、敗北ということにもなるのだろうか
27ヶ月前
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自立への最初の一歩を踏み出したsyamuさんもとい浜崎順平の道行きが少しでも救いがあればと思った
26ヶ月前
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オフゼロのころは皆を引きつけた物が何かはわからないけど
「確かにあった実」おそらく本人の意志のようなものが消えた。
今は星りんが冒頭で述べたように、周囲が騒いでるだけの「真のゼロ」コンテンツになってしまった。
精スプしているのだって本人だか代理だかわかったもんじゃないし、不確かな臭いもやの中でただ不快感味わうだけ。

ただ、知的障害だの発達障害だのアスペだのの人の特性がわかるのみ。
30歳頃が肉体的、知能的だけでなく意識、意欲、自我、行動力、全ての要素のピークだったのだろう。
そこからは数年で急速に衰えて半ば介護を受ける老人まで衰退すると。
今は意欲すら消え失せて詐欺師みたいなのに乗せられてふらふらと無意識に漂うだけの観葉植物。
25ヶ月前
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末期シャムのような芝居がかったわざとらしさでもいいから
自力で再び立ち上がってくれたらまだマシだったのかもしれない

15歳も歳下の他人にお膳立てされ、低知能だから半ば騙されて乗せられるような形で再登場し、
他人の指導で全く笑えないどころか見るに耐えない惨めったらしい35歳の実情をうぴーしていく・・・
これ以上ない最悪な復活の仕方をするのがまた最底辺極まってる順平らしい末路とも言えるがね
25ヶ月前
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お話が長い
25ヶ月前
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>>12で先見性のかけらもないコメントしてる自分に笑う

順平もそうだけど人はそう簡単に変われないんやなって今更実感しますねえ
24ヶ月前
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気付いただけ偉いですよ
24ヶ月前
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中山司最強!
24ヶ月前
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「おい、ネットリンチ扇動者!」

騒動が起きたら、騒動を起こした連中は後から入ってきたsyamuニワカで自分は関係ありません?
他の記事みたく「私は凶悪事件の被害者に感情移入し悲しみ、加害者には怒りをぶつけられる正義の人です」って主張したいなら、まず動画消せよw動画全部残して、現在進行形で濱崎順平(35)という特定個人イジメ、ネットリンチに加担扇動しといてそりゃないわ。

旗色悪くなったから、私抜けます。もう関係ありません(ただし動画は消さない・ネタにする)。ってただの邪悪な人間でしょ…薄気味悪いってこのことだって思ったわ。自分を正義だと思い込む邪悪って手に負えないでしょ。

23ヶ月前
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