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【アニメ】AbemaTVでゼーガペイン全話見た(初見)

 


  •   1、ゼーガペインとは

  •   2、肉体と一回性

  •   3、我思う、ゆえに我ありcogito, ergo sum

  •   4、色即是空とナーガのシステム

  •   5、進化と現状

  •   6、痛みとクオリア

  •   7、個人と自由意志という概念

  •   8、自由は個人を消失させる

  •   9、陰陽・ネガティブとポジティブのシステムによる分断

  •  10、両義的、そして成長

  •  11、その他資料

  •  12、ゼーガペイン商品など

  •  13、あとがき



初見1周目の感想・メモ。
めちゃくちゃ長い上に深い考察などをしているわけでもないので、
読みたい人だけちまちま読めばいいと思う。
ちょいちょいネタバレしているのでまだ途中の人は注意。



ゼーガペインとは


ゼーガペインとはサンライズのロボットアニメであるが、ロボットアニメというより
学園日常ものハードSFである。

かっちりしたSF世界設定をもとに世界の解明とそのあり方を決める流れに繋がっていく
ところも無理がなく手堅い。
人物像も普通の高校生でリアリティはあるがラノベのようなぶっ飛んだ派手さはない。
キャラデザもジブリやサマーウォーズなどに近い。
テーマが哲学的で子供には難しい。
ロボットのデザインが比較的地味。

などなど、とっつきにくい要素でできているが、しっかりつくられているために
一部の人に根強く愛されている。

OP・EDも含めて音楽が非常によいというのもポイントである。




ゼーガペインwiki | ゼーガペインwiki

Wikiはネタバレ満載なので注意。



肉体と一回性


実体か幻体か?というのは多分ある段階で人類が選択しなければいけない。
すべてがFになる」のシリーズもそこから始まり、最新のχの悲劇がまさにそれで、
百年シリーズWシリーズに繋がっている。
スカイ・クロラもまた別のそのような物語かもしれない。

死んでもリセットされるがまたやり直せる、あるいはいくらでも肉体のスペアがある
アビスやシン、エヴァの綾波のような形は死や一回性を克服している。
Wシリーズで爆破されても損傷がひどくなければまったく元通りにできる。

恐らく考えるべきは死という概念と一回性。
ヒンドゥー教徒は他の宗教の人ほど死を恐れないという。
転生の概念が強く信じられているからだ。
人生は一度きりという概念ではなく、何万回も繰り返すうちの1回が今と考える。
だから1回に対する固執や貴重に感じる価値観が他の宗教の人よりは薄いらしい。

リセットされてまたやり直すというのは仏教的で、転生しても悟りに近づこうと
しない限り、何千回でも同じような事を繰り返して終わり、また転生するだけ
であるらしい。

悟りに近づくって何なのというと↓



仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫が煩悩に左右されて迷いの生存を繰り返し、
輪廻を続けているのは、それは何事にも分別の心をもってし、分析的に納得しようとする
結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱しなければならない、
その方法は事物を如実に観察することで実現する。
これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

この悟りの境地を「涅槃」といい、それは「寂静」であるとされる。
煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。



つまり、ネットの炎上やテレビの芸能ニュースなんかを話題にして単調な労働を
毎日繰り返して80年過ごすと悟りとほど遠く、我関せずと静観し一切心動かされない、
同じ事の繰り返しでまるでそこから動かない事からの離脱、解脱を目指していくのが
ブッダの教え…らしい。

その繰り返しは何をしていいか分からない多くの人を救っている。
ブッダの教えとは「繰り返しの虚しさ」とまず向き合わなきゃいけないから
苦行である。

この作品は、それまでにありがちだった現実や肉体こそが価値で
仮想空間は架空だから意味がない、とはしていない。
最初から物語の設定上、そうできないようになっている。

肉体と一回性、データと理論上の無制限はメリット、デメリットでとらえるべきだろうが、
どちらにもデメリットがあるし、どちらがいいかは個人差でしかない。
最終回まで見るとクロサワ(エリンギ先輩)の言う事も分からなくはない。
死の恐怖を目前にすると死の克服を選びたくなるのも当然だし、どちらが悪いわけではない。
どちらを選びたいかでしかない。



我思う、ゆえに我ありcogito, ergo sum


「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」

作品の序盤で示されるデカルトの言葉、概念。
キョウは「古すぎる(今更である)」とややシニカルに言うが、
データしかない世界において重要な価値観、概念となっている。






一切を疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた
世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、
そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。

「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。
―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である
(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。





ヘレン・ケラーは、この言葉に出会ったとき、身体のハンディは自分の本質ではない、
本質は自分の心にある、という信念を一生支える言葉に出会ったと述懐しています。



この概念はゼーガペインという作品においておおまかに3つ意味があると思う。

1つは哲学的解釈としてのそれ。
デカルトが試みた事の延長は、思考を機械的に数学のように論述する事で、
その先にある世界はナーガが作ったシステムという事になる。

1つは↑のヘレン・ケラーの解釈。
データしかない世界で主人公たちは心と他者の存在に本質を見る。
ゼーガペインはこの2つの価値観の対立の戦いである。

1つは、それ以外に自分の証明がないという事。
全てがデータで出来た世界では、当然のように存在しているものは何一つない。
データの欠損で人が消えるし街も消えるし自分の記憶も自身のものではなく
サーバーに保存されたものでしかないし欠落していく。
何をもって自分とするか、生きているのかというと本当に「今ここ」しかない。
自分が思考しているから存在しているから自分にとってはそれが存在である、
という危ういもの。

それが24話のシマのオリジナルとの禅問答であり雪に咲いた花のくだりだと
思う。色即是空については↓で。

思えばデカルトの時代は「ヒトが存在する」「自我」を疑う余地が
あまりなかったからこそ機械的な説明に振り切れても問題がなかったのかも。
現在では定義しないと人間は人間でいさせてもらえない。



色即是空とナーガのシステム



色即是空(しきそくぜくう)とは、『般若心経』にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。
「色」は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象を意味し、「空」は、固定した実体がなく
空虚であるという意味。

この世のすべてのものは、永劫不変の実体ではないとする仏教の教義。

「色」は、サンスクリット語ではルーパで、目に見えるもの、形づくられたものという意味で、
それらは実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変で実体はなく、
すなわち「空」である。

「空」は「無」や「虚無」ではなく、存在する宇宙のすべての物質や現象の根源には
目には見えないが、エネルギーがあり、宇宙に存在するすべてのものはこのエネルギーが
刻々形を変えているものである。すなわちエネルギーが「空」であり、「空」から
生み出される形象が「色」と解釈される。



これを前提に量子コンピューターを使って「」をシステムとして完成させたのが
ナーガで、アビスやシンがキョウたちを「光無き者」とするのは、色形しか持たず
空を持たないものという事なのではないか。
↓の陰陽で「陽」がナーガたち光あるもの、「陰」が主人公たち光なきもので、
多分「痛み」も陰の方じゃないのかな。だからこそ痛みがあるのかな。
そして「空」は「我」があってはいけない概念。我があると空になれない。



さらに↓


形ある見える物の背後には、必ず形作っている本質があります。その本質は見えないのです。
その見えない本質のことを、現代人は原子と呼び、お釈迦様は空と呼んだわけです。

原子は見えません。その見えない原子が、見えるすべての物を生み出しているのです。
だから、人間も万象万物も空です。原子です。原子が分子化し、様々な形に化身したのです。

その空も原子も生命の別名ですから、この表現の世界は物質の世界であると同時に、
生命の世界(空の世界)でもあるのです。その生命が様々な色を着け形を取って、
表現の世界に出てきたのです。色も形も様々ですが、その中身はみな同じ生命なのです。
だから人間も万象万物も生命です。

その生命は、この宇宙にたった一つしかありません。
ということは、あなたは私ではありませんか?。万象万物は私ではありませんか?

だからお釈迦様は、「他人を自分の如く愛しなさい!、すべての物を自分の如く愛しなさい!」
といわれたのです。一つしか無いということは、私しかい無いということですから、
私が他人を愛し、私が万象万物を愛するのは当然ではありませんか?



↑を読むとナーガの言う事が分かる。
ナーガが作ったのは人を全て「空」にするシステムであり、データ上で無限進化を
繰り返せるシステムである。それは「解脱」「悟り」をシステム的に目指すとも
解釈できる。

↑を読んで「素晴らしい教えだ」と思った人はちょっと待ってほしい。
↑だと「個人」という概念は消えてしまうのだ。全てはある、全て保存されている、
しかし「自分は誰でもあるけど誰でもない」状態。

もしゼーガペインを見てナーガの言う事に賛同できないのなら、↑も全然素晴らしい
ものではないのだ。↑はそもそも心や個人という概念を持っていない。
物質の話しかしていない。

ゼーガペインとは、色即是空を「物理学のみでとらえる」ナーガの価値観と、
空に心を見て不完全な肉体を選択する主人公たちの価値観の対立物語である。

「我思う、ゆえに我あり」と定義する事によって存在しようとする。
「今ここ」の自分を重視するか、無限と進化か。



進化と現状


進化とは何をもってして進化なのだろう。
肉体や人間はあまりに脆く限られた時間や能力しかない。
知的生命体としての進化を考えるなら個人という概念は不要そうにも見える。

無条件に進化を肯定する考え方と、無条件に肉体や人間を賛美する考え方は
本質的に同じ。
現実が次の思考や議論の段階を必要としている。

肉体を捨てる事は他者の不要にも繋がる。
誰もが都合のよい世界に生きてもいいし、誰も肉体を持たないなら
子孫を残す必要がない。
そのために最終回に妊娠した女の子が出てくるのだろう。
データの世界では自分が繰り返されるから子孫を残す必要が全くない。
自分が消滅しないなら子孫に託す必要はなく、自分を進化させ続ければいい。
妊娠や子孫繁栄は肉体の消失、人生の一回性から必要とされるものでしかない。

今現実に生きる世代は一回性という概念を持っている最後の世代かもしれない。
だんだん人生は一度ではなくなり、無限に作り出せたり、一回が異常に長くなったり
していくのかもしれない。

なぜ今ゼーガなのか。
10周年だからなのだが、原型は現実にだいたいある状況だから。
VR元年と言われているし、量子コンピューターの実験も行われているし、
再生医療の研究も進んでいく。
それらが広く実用段階になると人はもうそれについて考えなくなる。
使う事やビジネスについてのみの話題になる。

自分には一回性や今に心から価値を見いだしたり無条件にそうと言える何かはない。
自分はこの世界が誰かが作ったプログラムでありVRだとしてもあまり驚けない。
高度に科学が発達すればそういう事も可能ではあるだろうから。

人類は人類の知能では人類を存続させられない可能性から肉体を捨てるだろうとも
言われている。まるっきりナーガみたいな話ですが、単に「人の定義や価値観を
変えればいい」という問題でもない。そこへの違和感は保持すべきものだろう。







痛みとクオリア


ゼーガペインというタイトル通り、痛みというものもテーマになっている。
痛みはネガティブにとらえられがちで、ない方がよいものとされる。
痛みや苦しみ悲しみなどは極力少なく、あるいは逆境に耐えられる程度にだけ
訓練として経験したり教科書的に学習して処理するものになっている気がする。
社会からあらゆる痛みは薄れ消え去りつつある。
それは優しい世界かというと、単に傷つかないだけの世界のような気がする。

痛みは時間をロスするから避けられる。
さらには時間の無駄でしかないともされる。
社会は傷付かない人間を求めている。
痛みが分からない方が上に行きやすい気もする。

考えようによっては痛みは自分であり他者との絆でもあるのかもしれない。
ある痛みを知る人間同士にしかない共感がある。
空の境界」で浅上藤乃が痛覚がない事で悩んでいるのがそれかもしれない。
痛みが分からないと他人が当然持っている経験が全てなくなっていく。
転んでけがをしても痛みが分からないとすれば、悲しくもないし他人の悲しみも
泣く理由も分からないし、いたわりの心も生まれない。
もちろん喜びや楽しさにもそれはある。

自分は悲しみや怒りや痛みを極力捨てて否定したがる人があまり好きではない。
その人は他人の痛みや悲しみまで軽いものとして勝手に捨てて、この世界から
その感情を持つ人に居場所をなくしてしまうから。
その事に気付かない残酷さ。
そういう人は知っている感情が少ないから、自分はいつも前向きでいられるけど、
他人をいつも否定して傷つけている事すら知りようがない、分かりようがない。

あらゆる痛みのない世界は幸福だろうか?
その個人は幸福だろうか?

奪われると痛みや悲しみでさえ返して欲しいと思うのかもしれない。
もしそれが貼り付けて体感してすぐはがして忘れられるシールのようなものに
なったらどうだろう。
それは自分ではない。
本編にもクオリアという言葉が出てくるが、痛みもまたクオリアなのだろう。




簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、
「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、
「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される
様々な質のことである。


人が痛みを感じるとき、脳の神経細胞網を走るのは、「痛みの感触そのもの」ではなく
電気信号である(活動電位)。脳が特定の状態になると痛みを感じるという対応関係が
あるだろうものの、痛みは電気信号や脳の状態とは別のものである。
クオリアとは、ここで「痛みの感覚それ自体」にあたるものである。

クオリアは身近な概念でありながら、科学的にはうまく扱えるかどうかが
はっきりしていない。




個人と自由意志という概念


日本はある意味では色即是空を体現している。
日本は記号と象徴の国だとロラン・バルトは言った。

日本の空気を読む、水に流す、滅私奉公のような思想や価値観や概念は
空の部分をシステム的に体現しているようにも感じる。
日本は即物的・拝金主義的でありながら実は目に見えない形式や概念にしがみつく。
目に見えず説明しにくいものばかりでできているからはたから見ればよく分からない。
つまり日本では空気や非言語の価値観のやり取りはないものではなく、
ありすぎて縛られてしまうもの。

日本は空気で動きすぎるからこそ誰もが空気を支配しようと躍起になる。
空気が個人を潰した全体主義を作り出すと誰もが知っている。
ではその空気を作り出しているのは何なのか。
空気とは奇妙なシステムである。

全体主義が個人軽視になるのは対立する価値観だからでもあるが、全体主義は画一化と
セットなので、いくらでも代わりがある個人には価値を感じにくくなるからでもある。
同じ服が沢山あると一枚ぐらいなくなってもまあいいかと考える。
そんな感じ。
人をひとかたまりの他人と思うと無価値に感じ、命さえどうでもよくなる。
他人を簡単に切り捨てる事は自分を切り捨てる事にもなる。

痛みを感じない世界、他人を感じない世界、個人を感じない世界。
我のない世界。

もし人が個人による認知と認識でしか世界をとらえられないのなら、
あらゆる個人固有の体験とクオリアが消失した世界に我ありと思えるのだろうか。

個人が消失した世界エヴァ以降よく取り上げられるテーマだ。
ギアスにも出てくる。

自分が危険だと思うのは自由意志の有無そのものより、それがないと断じる事による
個人の自由の侵害と軽視。
人を大規模に無意識に自在に誘導できる方法が見つかったら、個人という概念が崩壊する。
そうなると個人の人権や命は軽視される。
ある種の人たちはそんなものなくて当然と考える。
自然界にない概念をつくりしがみつく事も必要なのかもしれない。
人の社会でのみ通用する常識や価値観から解放されると、人は他人の命や権利を守らなくなる。

ナーガの思想の是非以前に、ナーガのした事は徹底的に個人のエゴである。
個人のエゴを力によって人類全体に押し付けただけである。
そうできてしまうのもまた「痛み」が分からないからなのだろうが、
自由意志はない派の人々はそこに向かう価値観を持っているように見えるから
自分は自由意志否定に否定的にならざるを得ないのだろう。
それは科学としてではなく、人を守るための人の価値観として安易に譲っては危険だと。

科学者でさえ人の社会をつくる概念からできた人にしか通用しない価値観の
システムに多少なりとも乗りつつ、科学的に意味のない概念だからと
否定するのは卑怯だと自分はいつも思っている。
「人類は存在する必然性がないから滅びてもいいと言う人類の一人という矛盾」は
「だから機械になりました!」という事では解になっていないだろう。
個人のエゴ(我)で空のシステムを作るというのも矛盾ですよね。我を是とすれば
我が消えるわけでもないし、是を是と証明できるわけでもない。

日本は空気と色が支配する。
目に見えるものを重視しながら、目に見えない空気というシステムに縛られる。
同情や共感ですら全体主義的に押し付けられる事もある。「感動ポルノ」なんて
言い方をする人までいるぐらい。
それに対する違和感だけが心や我なのだろうか。

一言で言うと、日本は社会システムとしては「個人」「心」を否定しやすいから、
ナーガが作るようなシステムを推進しやすいと自分は思っている。
多くの日本人は「日本人には心がある」と考えているが、心を定義しないために
守れもしない。あって当たり前と考えるので価値を定義したうえで守れないし
当たり前だからそれについて考えず、気付けば支配され操作されている。



自由は個人を消失させる


自分を何度でもやり直せるし好きな自分にいくらでもなれるかもしれない。
自由すぎて自分という枠組みと実感を持たなくてよい事は幸せだろうか?
そこまで自由だとかえって自由の価値も分からなくなりそうだ。

どこまで自由でありたいのかを定義しなくてはならないのかもしれない。
自由をよい事と思うのは現在がかなり不自由だからで、自由になりすぎると
個人という概念や他人との区別すらなくなってしまう。

エヴァのTV版最終回。
真っ白な何も描かれない空間がある。
それを自由と呼ぶ。
でもそれでは自分がどんな形をしているのか、男なのか女なのか大人なのか人間なのか
どこにいるのか何も分からない。
何でも決めていいというのは本当に白紙なのだ。
そこまで自由度が高すぎると大抵の人は不安になる。
自分が分からない、自分がいないから他人も世界も見えない。

地面が描かれる。
地面があると歩く事ができる。
だけど地面に縛られる。
自分が空を飛べる可能性が消えるかわりに安心できる。

どんどん定めていく。
人は最初から他人や世界が既に決めたものだらけで生まれてくる。
1から全てつくるのは大変だからよい事でもある。
その代わり不自由でもある。
全てを1から決めていいなら別の世界や社会の可能性だってあったかもしれないのに。
生まれも育ちも選択可能なら違う自分の可能性だってあるのに。

デジタルとインターネットで自由、個人の権利は拡大している。
自分が決めていい範囲が広がっていく。
誰でも発言できる、写真を見せる、このあたりはまだ初期段階。
初期段階でさえ人は嘘をつくし顔を素材にして作り直して別物にする。

何のデメリットもなく整形できたら?
体形も性別も人種も変えられたら?
遺伝子操作できたら?
自分を好き放題に作り替えられたら、個人の外見と人格が他人からみて一致しなくなるし、
自分でも分からなくなる。
毎日アイコンと名前が変わるTwitterアカウントって覚えにくくないだろうか。
それと同じ。

自分は自分にどこまで自由を許すんだろう。
そして誰もが自由に世界をつくるほど、他人と離れていくかもしれない。
システムで分離してしまえるから。



陰陽・ネガティブとポジティブのシステムによる分断


SNSもネットも個別に分断する段階に入っている。
あらゆるところにフィルターがある。
嫌なものや興味のないものは見なくていいようになっている。
価値観が遠い人は自分の画面に表示されない。
そうするとポジティブな人はポジティブな人だけで固まり、ネガティブな人は
ネガティブな人だけで固まるようになる。

しかしそれは割合や状態の問題ではないだろうか。
ある個人にポジティブな時とネガティブな時がある。

一般に、常にポジティブな人の方が結果を出しやすい。
結果を出す人が社会を支配していく。
そうするとネガティブな感情とそれを持つ人が否定されていく。
価値観で否定されるのではなく、フィルターで見えない事と社会システムの決定権を
ポジティブな感情しか持てない人が持つ事によって、全体にポジティブを前提に
強制してしまうのだ。それはナーガと同じである。痛みが分からない事といつも
ポジティブは同じ事だし、力による価値観の全体への強制も同じ事。

痛みやネガティブな感情は、あえて保存しようとしないと消えていくだろう。
ゼーガペインでもアビスやナーガは進化の過程でそれを捨て去っている。
そうすると他者が存在する意味、存在しようとする意味が分からなくなる。
自分の肉体は無限に複製可能だから命や存在に固執する意味も分からない。
だからわざわざ敵地に乗りこんで聞きにくる。
分離してしまうと消えた価値観が分からなくなるんですよね。
永遠を手に入れたら死への恐怖は分からないし、逆もまたしかり。

恐らくポジティブな感情とネガティブな感情というのも陰陽のような、
2つで成立するシステムだと思うのだけど、ポジティブな人とネガティブな人に
分かれて全体としてのみ相互作用がある形でも成立するのだろうか。





原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた
明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、
すなわち陰の気が下降して地となった。

受動的な性質、能動的な性質に分類する。
具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男
などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。
森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、
陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。

重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける
善悪二元論とは異なる
と言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。
陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。
あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。



ネガティブ・ポジティブって善悪二元論なんですよね。



両義的、そして成長


両義性と概念としての量子性かなぁ。
最終回、キョウはどちらでもある統合されたキョウになっているような事が
両義であり量子性、つまり別のものや可能性を同時に保存する事。

視聴者にとってのキョウ(今のキョウ)がやたら明るく元気で前向きなのは
多分以前のキョウが思慮深く一人で抱え込み自滅した反動と反省と欠損で
そうなって、最終的に統合されたのだろう。しかし融合ではなく、
両方の記憶があるらしい。

人は一方を是とし、対立する意見や存在を消したがる、その事で安心する
性質があるから、個人の中にたえず自己矛盾を生みかねないその状態に
あるのは難しい事なのかもしれない。

最終回は結局一人で全てを抱え込んだ選択でもあるが、そこに「みんな」
があるかどうかという違いがある。
そして、強くなった。一人でも、繰り返しでも、終わりがないかもしれなくても、
自暴自棄になって投げ出す事はしない。

あのラストにはバッドエンドであるという解釈もあるようだ。
確かにどちらとも取れる。
しかしキョウ以外の人間が存在するという事は、何年かかったのかは分からないが
やり遂げたのだろう。
そのためにはどちらのキョウもどちらの人生、時間も経験も必要だったのかも
しれないな、なんて安易な感想。



その他資料









長いけど全部読むと面白いのではないでしょうか。
これ読むと、人間が機械に沿うべき的な科学的事実偏重の考えも古くて、
上の世代と古い哲学の常識なのかも。





ネタバレ記事。
6話までどういう世界なのか一切分からず日常の微妙な異常だけがある。
前半の次のピークは13話。

50話ぐらいの予定のものを26話に詰めたので、全体として無駄がない
構成になっており、1話に3話ぶんぐらい展開が詰まっている事もある。





ナーガ、ガルズオルム、コアトリクエの名前の由来やゼーガペインにおける
哲学ネタなど。

ゼーガの考察ブログ、まだ全然追いきれてないんですが。
とんだ哲学・SF厨ホイホイアニメですよね。ネタが濃い。
青春ロボットアニメなんですけどね。







期間限定無料記事。
量子サーバーの設定にはびっくりですよね。
何がってデータの欠損と容量問題。
それじゃ今のPCと変わらんやんっていう。
進化が目的で個人の保存が目的ではないからナーガにとってはどうでもいい事
だったんでしょうけど、容量問題がある限り夢のまた夢かも。



講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)
魚川 祐司
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仏教入門の分かりやすい本。



人工知能のための哲学塾
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未読。時間を見て読む。



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すべてがFになる」シリーズの先の先の最新作。
ネタバレになるけどまさにナーガが作るようなシステムに近いものが
作られかけている世界。
それがどういうものかは「百年シリーズ」「Wシリーズ」にある。

しかし↑のデータ欠損とサーバー有限問題も含め、それ以前にまず
「人類を新たな生命体にするためのシステムにクソコードが大量に混じって
 のちのち問題になる問題」「時間が経つと全部書き直す必要が出てくる問題」
ってやっぱり真賀田四季のような天才があらかじめ数百年後まで冗長性を仕込んで
天才を大量に雇って自らコードを手直しして世界のシステムをだいたい全部
構築するしかないのだろうか。

最近ソフトバンクが大きな買収をしたけれど、それってこのシリーズの
「ηなのに夢のよう」みたいな事ですよね。

多分現実に人類を全部保管したうえで進化させるシステムや新たな生命体を
作ろうとするなら、とんでもない天才が独善的に作った方がシステムとしては
マシなものになると思うんですが、難しいので、現実には大手企業のうち
勝ち残った者の作ったシステムが使われるが、全てのコードを把握しきれている
企業はないだろうから…まず、人工知能を賢くして自力でコードを書き直して
保守してもらう必要があり、そこまでいくと人間に人間社会のシステムがどう
動いているか把握できない状態になるから、結局人工知能任せの進化か、
早く人類を進化させなければ!という事になり、人体改造や増強などは
意外と差し迫った問題だったりするのだと思う。

コードを今後もどんどん積んでいっても100年200年耐えうるシステム、
人間に作れるんだろうか。
↓で書いたんだけど。


【メモ】100年先を想定したシステムは作れるのか 2016/08/09
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-4941.html


他↓


「すべてがFになる」シリーズについて(ガイド・個人的おすすめ等)
2015/09/29
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-4466.html
スカイ・クロラシリーズ 森博嗣 感想 2014/01/20
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-3945.html


スカイ・クロラって「渡るギアス」に近いですよね。
だから死にあんまり意味がないし、個人もそんなに意味のある概念ではない
ような不思議なシステム。
だからこそ一回性のなかの短い時間にだけ固執して、あとはいらないという
極端な価値観にもなる。



ゼーガペイン商品など






AbemaTVの放送を見逃した方はAmazonプライムやhuluなどで。
今は配信サービスが沢山あっていいですね。



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戦闘曲好きですね。
優雅だったり怖かったりして。
OPがEDがちょっと幻想的で切ない優しい感じなのもロボットアニメでは珍しく、
作品によく合ってる。



森羅万象(ありとあらゆるもの) ~ピアノで語るゼーガペイン~
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10周年という事でこんなものも。



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割とお買い得なBOX。





あとがき


この記事、最終回観終わってだーっと書いたんですが、ちょっと記事の出来には不満。
もう3段階ぐらい上の思想や結論がないと弱いと思う。
自分の中で解がない事だからなのだろうけど、なぜ自由意志という概念は維持されなければ
ならないのかという問題と、個人という概念の継続と無限進化の対立はどちらもエゴ
でしかなく平行線なのでそこにもう1段上の思考が欲しい。

ちょっと前までそんなもの議論しなくても考えなくても保証されていて、
あって当たり前だったような気がするのですが、良くも悪くも社会の段階が進んだので
そう断言できない状況になったという。

SNS時代で、自分は個人という概念が曖昧になりあっという間に侵食されるのを見て、
それでも何とも思わない気付かない人たちを見て、自分も例外ではなく、
既に個人を保つ方法、不可侵領域の明確な線引きが定義とシステムとして必要なのか?
という事を真面目に考えないといけないなと以前から思っていて。

自分を保つ方法、…つまり、自分が自分と信じるものが曖昧になったり侵食されやすい
という事なのかな。それもまた当然個人だった、壁があったものがネットによって
なくなったからなのかな。

その壁を、システムを一切使わないか、システムとして設けてやるかしないといけない、
そうしないと個人という概念や存在を守れない現状が既にある
、と自分は思う。

ネット上のサービスにも技術的に可能だからの次、思想を強く反映する段階になっている
のだろうけど、そうすると個人の思想がばらまかれる洗脳システムにもなりかねない。
2ちゃんねらーが多少なりともひろゆき思想や価値観である事の超強力版とでもいうか。

別に量子コンピューターやサーバーやシステムがなくても、ヒトがヒトをデジタル化
し始めた時点で生じる問題なのだろう。
そこに少なくとも自分の価値観と思考が追いついていないという問題。
しかし脳にチップ埋め込んだら解が得られるとも思えない。
ヒト程度の知能や思考でヒトを定義するのが難しいしヒトを理解も解明もできない
としたら結構虚しい。



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