もしあの遊園地・テーマパークが閉鎖されていなかったら

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  • 「閉鎖された遊園地・テーマパークがもし今でも存続していたら…」というテーマ
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北海道・東北[編集 | ソースを編集]

TBS樽前ハイランド[編集 | ソースを編集]

  1. オールスター感謝祭やSASUKEの会場として、使用されていた。
    • 東京(=TBSのご当地)から遠いので交通費などがかさむためそれはなさそう。
      • 全日空(ANA)が協賛の形で出演料・交通費を負担したかもしれない。航空移動は勿論全日空で。
  2. 加森観光あたりに身売りされている気がする。
    • もちろん名称から「TBS」が外されている。
    • 北海道のTBS系列局であるHBCの可能性もあった。

関東[編集 | ソースを編集]

ユネスコ村[編集 | ソースを編集]

  1. ユネスコ村大恐竜探検館とのコラボレーションが企画されていた。
    • 大恐竜探検館とともに、2006年に閉鎖されていたかもしれない。
    • そもそも大恐竜探検館自体存在しなかったのでは。
  2. 愛知県にあるリトルワールドに匹敵するぐらいのものになっていた。
    • 向こうは実物を現地から持ってきているのに対しユネスコ村はあくまでミニチュアなのでそれは無理。
  3. 東武ワールドスクウェアとの差別化が図れるかどうかが生き残りを左右していたと思われる。

船橋ヘルスセンター[編集 | ソースを編集]

  1. 1983年に東京ディズニーランドが開業したことにより、入場者数が激減し、1990年代に閉鎖となった。
  2. ららぽーとTOKYO-BAYの開業は史実通りだが、史実よりも遅れていた。
  3. さすがにららぽーとは来ないと思うけど後にショッピングセンターが出来ていたかもしれない。
  4. 京成バスの「親水公園東」バス停は「劇場前」のまま。
  5. こち亀71巻「レジャーランドツアー(前編)の巻」に登場する「スーパー船橋ヘルスセンターランド」は別の名前になっていたかも。
    • 本物と正式にタイアップできていた可能性あり。
      • その場合、「なんとなくなつかしい名前だな」という台詞は別のものになっていた。
  6. 史実で閉鎖の大きな原因となった温泉採掘差し止めを何とか出来ているのが前提。
    • どこか別の場所で源泉を見つけられない限り運命は変えられなかった。
  7. リニューアルされることがあったら名称に「スパ」か「リゾート」が入っていた。

谷津遊園[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪府にあるみさき公園のようなものになっていた。
  2. 電車館ができて、スカイライナーとして使用されていたAE形電車 (初代)も展示されていた。
    • 中には,系列で使用された車両も展示される。
  3. TDLの計画に京成が関わっていなければ平成までは生き残っていたはず。
    • 史実の閉園当時(1982)でも黒字経営だった。
  4. 保存されていたコンステレーションが生き残っていたら航空ファンの聖地にもなっていた。

向ヶ丘遊園[編集 | ソースを編集]

  1. それでも向ヶ丘遊園駅に今でもロマンスカーが停まっていたかは微妙。
    • いずれにしても快速急行は通過。もしかしたら快急の登戸停車時点で最寄り駅が登戸に変更された。
    • モノレールは史実と変わらず廃止。
  2. 事実上園内全体が藤子・F・不二雄ミュージアムになる。
    • 駅名標がドラえもん風になるのは登戸駅ではなく向ヶ丘遊園駅。
    • ウルトラマンファンの気持ちはいかに?
  3. 「ロマンスカーミュージアム」はここの中に。それ以外の通勤車もここに流れ着く。

J-WORLD TOKYO[編集 | ソースを編集]

  1. 2020年のコロナで結局は閉鎖に追い込まれた……と思いきや「鬼滅の刃」ブームで延命出来たかもしれない。
  2. 現在は「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」がテーマのアトラクションやフードで埋め尽くされている。

中部[編集 | ソースを編集]

新潟ロシア村[編集 | ソースを編集]

  1. 倒産した新潟中央銀行の代わりにロシア政府がスポンサーとなり、全面的にバックアップ。
    • 経営面で安定するが、ロシア側の意向でプロパガンダ満載に。
      • 「ミニ択捉・国後ガーデン」を設置して観光PRとともに、「ロシア固有の領土です。ご理解ください。」
      • どう考えても右翼に破壊される図しか想像できない。
  2. 上坂すみれをキャンペーンガールに採用する。
    • 週に一度は特設ステージでライブショーを開催。
  3. ロシアの戦車その他の兵器も多数展示され、体験できるようになっている。
  4. 愛知万博で展示された冷凍マンモスは最終的にここに行き着いていた。
  5. 園内にチェブラーシカランドができ子どもや女性に結構受ける。

金沢サニーランド[編集 | ソースを編集]

  1. 今でも全国唯一の「お座敷動物園」があるテーマパークとして有名。
  2. 大浴場のローマ風呂は混浴がウリ(?)だったが、さすがにこのご時世、男女別になっている。
    • そのおかげで女性客が増加。一方男性客は減少。差し引き収益はプラスマイナスどっち?
    • 円形の大浴場を扇形に仕切るのか、もう一つ同規模の大浴場を作るのか?
    • もちろん、名称は「テルマエロマエ」に変更。映画とタイアップするかも。
  3. 山麓の急斜面の立地を生かして、日本最大規模のジェットコースターを新設。
  4. 今で言う健康ランドの性格を兼ねているので、「テルメ金沢」や「金沢ゆめのゆ」は存在していない。
  5. ふもとの天神橋あたりからロープウェイあるいはケーブルカーを引いて集客するようになる。

涛々園[編集 | ソースを編集]

  1. 自前の歌劇団を組織して興業に乗り出す。
  2. 周辺の府県からも客を呼び込むため、JR各駅から涛々園前駅まで直通列車を走らせる。
    • むろん、金石線は今も存続。
  3. 21世紀にまでには、涛々ランド(TOTO Land)あるいは涛々ワールド(TOTO World)に改名。
    • 某ウォッシュレット会社の経営と勘違いされる。
      • むしろ、この会社が経営下に納めるか有力スポンサーになる可能性も…
    • IRとして、パーク内でサッカー賭博ができるようになるかも。

名古屋港イタリア村[編集 | ソースを編集]

  1. コスプレ会場やバーベキュー場になることはなかった。
  2. レゴランド・ジャパンやリニア・鉄道館とのコラボレーションが企画されていていた。
    • レゴランド・ジャパンが史実よりも早く開業していたら、繁盛していたかもしれない。
    • 施設自体の魅力があまり高くなさそうなのでそれはよく分からない。
  3. 木造建築禁止のエリアなのに多くの建物が木造だった件がさらに大騒ぎになっていた。
  4. テーマパーク分が薄まり最終的に普通のショッピングモールと化していたかもしれない。

ポケパーク[編集 | ソースを編集]

  1. 新作が出るごとに改装していた。
  2. いずれレゴランドと競合していただろう。
  3. ポケモンGOのポケストップが配置されてた。
    • それはほとんどの施設に共通することでは。
  4. そもそも恒久設置のつもりなら笹島ではなくもっと名古屋市街地から離れた場所になっていた気がする。
    • あの土地を遊園地に使うことなどまず考えられない。
    • 台北会場も恒久設置が検討されていた可能性大。
  5. この会社の中部拠点が近くに置かれる

近畿[編集 | ソースを編集]

伏見桃山城キャッスルランド[編集 | ソースを編集]

  1. 京都にあるので、外国人観光客向けのアトラクションが数多く作られていた。
    • それでも秀吉絡みなので韓国人は全然来ない。
  2. 伏見城をイメージした模擬天守は史料館として、リニューアル化されていた。
    • 耐震補強も行われていた。
  3. 近くにある京都アニメーションとのコラボも積極的に行われている。
  4. 「戦国BASARA」や「刀剣乱舞」あたりとコラボレーションすることがあっても不思議ではない。
  5. 少なくとも近鉄資本からは離れていた。
    • 時期によっては得体の知れない外資に乗っ取られていた可能性もある。
    • 任天堂だった可能性もある。
      • その場合、同社のゲームとコラボしたアトラクションも設置されていた。
  6. 桃山御陵前駅からキャッスルランドに向かう近鉄バスの路線は廃止されなかった(遊園地の経営が近鉄から離れていたとしても)。

森のゆうえんち[編集 | ソースを編集]

  1. 京福電鉄越前本線正面衝突事故がなかったら、である。
  2. 京都市内にある数少ない遊園地として重宝されていた。
    • 外国人観光客向けのアトラクションを設置するなどリニューアルも行われていた。
    • 場所柄京都観光のついでに立ち寄れる遊園地として好評を博していた。
    • 史実のような大人受けしそうにないアトラクションのままではまず生き残れまい。
      • どこかで京阪の運営に変わったかも。
  3. 叡山電鉄の八瀬遊園→八瀬比叡山口への駅名改称もなかった。
  4. 同じ京阪系列のひらかたパークとのコラボも行われていた。

エキスポランド[編集 | ソースを編集]

  1. ジェットコースターの「風神雷神II」における事故がなかったら、確実に存続していた。
  2. ファミリー層向けをターゲットして、園内はリニューアル化されていた。
    • それにより、関西において、生き残っている遊園地として、重宝されていた。
    • 史実でEXPOCITYにある屋内動物園「ニフレル」が園内にできていたかも。
  3. それでも、2018年頃に閉鎖されていた。
  4. 「EXPOCITY」の開業が史実よりも遅れていたか、別の場所で建設されていた。
    • 史実の吹田スタジアムを中心とした辺りに建設されていた可能性もあり、その場合万博記念競技場を5万人収容の大規模なものにリニューアルしていた。

さやま遊園[編集 | ソースを編集]

  1. 南海高野線の狭山遊園前→大阪狭山市への駅名改名がなかった。
  2. 同じく南海沿線のみさき公園共々、地元南海沿線民から親しまれ続けている。
    • 難波繋がりで史実のみさき公園みたく、NMB48がCMに起用された。
    • むしろみさき公園が潰されているのが存続の前提条件なのでは。
      • もしみさき公園が閉園していた場合、「わくわく電車らんど」はこちらにできていた。
  3. ここのアイススケートリンクが今でも、高石市の大阪府立臨海スポーツセンターと並ぶ南海沿線のアイススケートの名所となっている。
  4. 跡地の高層マンションは建たなかった。
  5. いずれは少子化のため大規模な路線変更を余儀なくされていた。

フェスティバルゲート[編集 | ソースを編集]

  1. 新世界に隣接していることから、インバウンドの外国人によく利用されていた。
    • それ向けのリニューアルも行われていただろう。
    • 通天閣とセットで訪れる観光客も多かったと思われる。
  2. 東の浅草花やしき、西のフェスティバルゲートと呼ばれていた。
  3. 中之島にあるフェスティバルタワーとよく混同されていた。
  4. 隣にあるスパワールドとの共通利用券なども発売されている。
  5. 運営していた3セク会社はいずれは売却されていた。
    • 売却されなかった場合、大阪メトロの子会社による運営になっていた。
      • むしろ史実通り(?)マルハンが絡んでいるほうが可能性が高い。
  6. 構造上アトラクションの入れ替えができないことが後々になって効いてきた。
  7. どちらにしてもここに市電や地下鉄の車両が展示されることはない。

近鉄あやめ池遊園地[編集 | ソースを編集]

  1. 跡地に近畿大学付属幼稚園・小学校が設立されることはなかった。
  2. 菖蒲池駅に急行と快速急行が停車していた。
    • それにより、大阪難波・尼崎・神戸三宮~近鉄奈良間の所要時間が長くなっていた。
  3. 敷地内に近鉄資料館ができていた。
    • 現実では五位堂検修車庫で保存されているデボ1型もここで保存されている。
      • 高安車庫に保管されている3000系や18400系の運転台部分もここに移設されていた。
  4. 阪神なんば線開通後は神戸など阪神沿線からの集客にも力を入れるようになっていた。
    • 甲子園阪神パークも残っていた場合、両者によるコラボ企画も行われていた。
  5. 近鉄バファローズ記念館ができていたかもしれない。
  6. 近鉄の経営状態からして代わりに生駒山上遊園地が潰されていた恐れがある。
    • 戦前製の飛行塔も朽ち果てるか解体されるかしていた。

奈良ドリームランド[編集 | ソースを編集]

  1. 外国人観光客をターゲットにして、経営に取り組んでいた。
  2. 生駒市にある生駒山上遊園地とともに、奈良県にある数少ない遊園地として、重宝されていた。
    • 広島県の現状からして遊園地が数少ないからと言って簡単に重宝されるような気はしない。
  3. それでもダイエーは経営から撤退していた。
  4. 近くにある奈良少年刑務所跡地とのタイアップも実現していた。
  5. バブル期くらいにネズミ王国の模倣から脱することができないと生き残れなかったと思われる。
    • 奈良なので和や古代を前面に押し出していたら何とかなった気もする。
    • 史実でも末期までそれなりに稼げていたらしいのでもう一押しあれば運命は変わっていた。
  6. 2010年時点でも営業していたら、平城遷都1300年祭とタイアップしたイベントが行われていた。

甲子園阪神パーク[編集 | ソースを編集]

  1. ららぽーと甲子園はなかったか、別の場所にできていた。
    • キッザニアはEXPOCITYか、ららぽーと和泉のどちらかに作られていた。
  2. 阪神なんば線開業後は近鉄沿線からの集客にも力を入れていた。
  3. 現実におけるひらかたパークやみさき公園と同様、大阪近辺で気軽に行ける遊園地として賑わっていた。
  4. 恐らくひらかたパークのような経営努力が行われていただろう。
  5. 阪急との経営統合後は宝塚ファミリーランドにあった電車館がこちらに移設されていたかも。
    • 尼崎センタープール前の高架下に保存されている阪神の小型車もここで保存されていた。
  6. ららぽーと甲子園はできなかったため、ダイエー→イオン甲子園店は閉店しなかった。
    • 関西におけるキッザニアは別の場所にできていた。
    • コープ浜甲子園店も閉店しなかった可能性が高い。そのため、武庫川女子大学附属保育園は別の場所にできていた。
  7. 阪神なんば線開業後は近鉄沿線からの集客にも力を入れていた。
  8. 近くにある阪神甲子園球場と合わせてボールパーク化する構想が具体化していた。
    • 甲子園歴史館がこの園の中に建設されていた可能性あり。
  9. 戦時中に消えた水族館が戦後に復活できていたら生き物系を前面に押し出して差別化できていた。

神戸ポートピアランド[編集 | ソースを編集]

史実では、神戸ポートピアランドは、2003年に阪急は運営から身を引き、神戸市に譲渡されましたが、2006年に閉鎖されました。阪急による運営のままで、存続していたことを仮定した上で、

  1. ひらかたパークと同じやり方で、神戸市出身の芸能人をイメージキャラクターとして、起用していた。
    • むしろ阪急電鉄直営の宝塚歌劇関係者が起用されていたのでは。
  2. 宝塚ファミリーランドが閉鎖されていた場合、小林一三の生家と宝塚大人形館と電車館が神戸ポートピアランドに移転していた。
    • 電車館は京都鉄道博物館のオープン後に施設が拡張・リニューアルされ阪急阪神の鉄道博物館となっていた。
      • 名称も「神戸鉄道博物館」になっていた。
      • 展示車両も電車館から正雀に移された車両の他、阪神の保存車両や北大阪急行電鉄2000形も含まれていた。
        • 京福電鉄→えちぜん鉄道に移籍した元阪神の車両も引退後ここで保存されていた。
      • 鉄道だけでなく阪急・阪神が展開した文化事業(宝塚歌劇団・阪神タイガースなど)についても取り上げられていた。
    • 敷地面積が狭かったのでそこまでの拡張が行えたようには思えない。
  3. 神戸空港からほど近い遊園地として注目を集めていた。
  4. 神戸新交通が阪急阪神ホールディングス系列になっていたかもしれない。
  5. IKEAはポートアイランド内の別の場所に出店していた。
  6. 神戸を本拠地とするプロレス団体「ドラゴンゲート」は、ここに専用の試合会場を作ったかも。

宝塚ファミリーランド[編集 | ソースを編集]

  1. 京都鉄道博物館開館後園内にある電車館がリニューアルされていた。
    • 阪急阪神の鉄道博物館となっていた。
      • 正雀にいる阪急の旧型車両の他尼崎センタープール前駅の高架下にある阪神小型車や桃山台にいる北大阪急行の保存車もこちらに移設されていた。
  2. ホワイトタイガーが阪神ファンに人気となっていた。
  3. 近くにある手塚治虫記念館とのタイアップも行われてる。
  4. 京阪のひらかたパークと南海のみさき公園と同様に関西近辺で手ごろに行ける遊園地として注目されていた。
  5. ひらかたパークと同じやり方で、関西出身の芸能人をイメージキャラクターとして、起用していた。
  6. 小林一三の生家や宝塚大人形館や電車館も存続していた。
    • 阪神との統合後、甲子園阪神パークが閉鎖された場合、阪神電車の車両も展示されていたかもしれない。
  7. 阪急新大阪線が開通していたら、遠方からの客も来ていた。
    • USJや太秦映画村に勝てるような要素があまりないためそれは微妙。
  8. 跡地に宝塚ガーデンフィールズを開業することはなかった。
  9. 園内にいたホワイトタイガーが現在に至るまで名物となっていた。
    • 2003・2005年における阪神タイガースのリーグ優勝の際には阪神ファンに注目されていた。
      • ただし阪神統合まで一部のファンにネタにされていた程度。
  10. 大劇場に入る際に入園料も込みになる立地構成は続いていたが、代わりに今ほど大劇場のチケット代は高くなってなかった。
  11. ひらパーで行われていた菊人形展をここに移すという話も出るが実現せず。
  12. 関西テレビは、番組のロケでここを使用。
    • 特に、関テレ製作のドラマの遊園地のシーンで多用されていた。

中国・四国[編集 | ソースを編集]

倉敷チボリ公園[編集 | ソースを編集]

  1. 今でも、倉敷市における数少ない観光名所として、重宝されていた。
    • 美観地区や大原美術館という全国区のキラーコンテンツがあるのであまり大きな影響があったようには思えない。
  2. 倉敷市での成人式が今でもここで行われていた。
  3. 倉敷駅ビルは減築工事をすることはなく、リニューアル化されていた。
    • 史実での倉敷駅の利用者数からしてチボリ閉園の影響は大きくないと思われる。
    • 減築と同時に雰囲気を合わせるくらいが関の山かと。

呉ポートピアランド[編集 | ソースを編集]

  1. 艦これとコラボイベントが行われていた。
    • ものがものなので地元の平和団体が騒いで中止になっている気がする。
  2. ファミリー受けをもう少し考慮していたら何とかなったはず。
    • ライバルだった広島ナタリーが96年に潰れたので広島都市圏唯一の遊園地として生き延びていてもおかしくなかった。
  3. マリーナホップに遊園地ができていなかった可能性が高い。

九州・沖縄[編集 | ソースを編集]

スペースワールド[編集 | ソースを編集]

  1. 地主の新日鐵住金と運営者の加森観光における賃貸借契約の更新交渉が不調にならなかったら、閉鎖されることはなかった。
    • あと魚を氷漬けにしたスケートリンクに批判が集まらなかったら、追い打ちをかけることもなかっただろう。
    • その件は閉鎖とは一切無関係では。
  2. 今でも、スペースワールド駅に快速列車と特急列車が停車していた。
    • 無論、往復切符とスペースワールドのフリーパスをセットにした割引きっぷが販売されていた。
    • 811系電車によるPR車両が今でも運行されていた。
  3. 「月の石」が今でもここに展示されていた。
  4. USJが買収していたかもしれない。
    • ここがかつて、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの候補地であったため。
  5. テコ入れ策としてJAXAが絡んだ宇宙関連の実物展示が追加されていた。
    • はやぶさやH-IIAロケットなどに関係する展示で航空宇宙ファンをそれなりに呼べていた。

ウルトラマンランド[編集 | ソースを編集]

  1. ウルトラマンシリーズのテレビ放送が開始されて50年になる2016年には盛大なイベントが行われていた。
  2. 西鉄3000形列車によるラッピング列車が運行されていたかもしれない。
  3. 熊本放送において、新ウルトラマン列伝以降のウルトラマンシリーズも放送されていた。
    • 史実では、新ウルトラマン列伝の一部の回を放送した上で打ち切りとなった。

関連項目[編集 | ソースを編集]

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