341.お湯割りと武具工房長からの話
先程までの部屋に戻り、再び四人で温熱座卓を囲む。
外はそれほど寒くはないと思っていたが、手足は冷えていたらしい。暖かな上掛けを手にほっとする。
座卓の上には、緑色の瓶と琥珀の蒸留酒の瓶、そして銀の水差しが置かれていた。
「ダリヤ、お湯割りはウィスキーと梅酒、どっちがいい?」
「梅酒でお願いします」
ヴォルフの問いに、一瞬の迷いもなく答えた。
緑色の瓶は梅酒らしい。そして、銀の水差しの中身はお湯だった。
少し厚手のグラスに注がれたのは、薄茶の酒。そこにお湯を足せば、前世を思い出させる甘やかな香りがふわりと広がった。
ヴォルフはそれをダリヤに渡すと、同じものをグイードに作り出す。
その向かい、ヨナスが濃いめのウィスキーのお湯割りを二つ作った。
「風邪をひかぬように、乾杯」
「乾杯」
それぞれが温かなお湯割りのグラスを手に、ゆっくりと飲み始める。
舌を温めるのはお湯のぬくみ。それと同時に梅酒独特の味わいが広がる。
少し砂糖が入っているのかもしれない。前世のものより甘く感じる酒は一段通りがよく、身体が冷えていたせいもあり、つい半分近くまで飲んでしまった。
自分の向かい、同じく梅酒を飲むグイードは、まだ口をつけかけたところだ。
貴族の礼儀作法の本では、酒を飲む速度は周囲に合わせるよう、女性はよりゆっくりと書かれていた。それなのに、この場で一番上のグイードよりも勢いよく飲んでしまった。
ついグラスの中身が見えないように両手で包んでしまうが、隠せるわけもない。
「ロセッティ殿は梅酒が好みかな?」
「はい……」
「私も好きなんだが、お湯割りはちょっと時間がかかってね」
お湯割りはアルコールの香りも上がりやすい。もしかするとグイードはそれが落ち着くのを待っているのかもしれない――そう思っていると、ヨナスがするりと温熱座卓を出て、部屋の隅にあるワゴンから水差しをとってきた。
お湯の追加かと思ったが、グイードのグラスに注がれたそれは、白い湯気を立てていない。
「すみません、兄上、熱すぎましたか?」
「少しだけだよ」
水をだばりと足されたグラスは、かなりぬるそうだ。
だが、ふちに近い高さになった酒を、グイードはそっと飲み、ほうっと息を吐いた。
「暖まるね……」
彼がとても猫舌なのを理解し、ダリヤは黙って梅酒の香りを堪能する。
確か、ルチアが言っていた。『貴族の人は猫舌が多いみたい』と。
料理をする場と食堂が遠く、熱々の食べ物を食する機会が少ないせいか、それとも優雅に食べなくてはいけないので息を吹きかけないせいか――
理由はいろいろと考えられるが、本人がおいしく飲める温度が一番である。
冷えた身体が温まりかけたとき、ノックの音がした。
ヴォルフが廊下に出て、銀のワゴンを引いて戻ってくる。
そこから座卓に載せられた大皿は、ダリヤも口にすることの多い料理だった。
「『揚げ芋』です。ドリノの家の食堂で、一番よく売れる酒の肴だそうです。ドリノからレシピをもらったので、料理人にお願いしておきました」
味付けは二種。多めの黒コショウと塩、たっぷりの砂糖とほんの少しの塩だという。
ヨナスが、各自に小皿とフォークを配ってくれた。
流石に下町のように指でつまんで食べるわけにはいかないだろう。
小皿にとってもらった揚げ芋に、ダリヤはそっとフォークを刺す。
キツネ色の外側に、割れた内側は一段白い。熱々のそれを口にすると、指で口元を隠しつつ、ゆっくりと噛む。
塩味の利いた揚げ芋でエールを流し込むのもいいが、こうして砂糖味を梅酒で味わうのも合っている。
塩味と砂糖味、どちらも素朴で飽きのこない味だ。
夜、すでに食後、梅酒と共に味わう揚げ芋――罪深くもおいしい。
なお、向かいのグイードは揚げ芋一つを四つ分けにして並べ、冷めるのを待っている。
横から
その横、ヨナスがカリリと音を立てる。
口にしたのはグリッシーニ――スティック状の細いパンかと思ったが、ギザギザがあって短めなので別物らしい。
「ヨナス先生、どうですか?」
「おいしいです。塩みがわかりますし、食感が楽しいですね」
「よかったです!
ヨナスが食べていたのは、小魚の中骨から作った
庶民のおやつであり、ダリヤも子供の頃は時々食べた。
「一本くれないか?」
「一本と言わずにどうぞ。多くありますので。ダリヤ先生とヴォルフ様もどうぞ」
追加の小皿に配られた
「
「今度、おいしいものを見つけたら、兄上にもご報告します」
「そうしてくれ。楽しみにしているよ」
兄弟らしい会話に、ダリヤはつい口元がゆるんでしまう。
ふと隣を見れば、ヨナスもその錆色の目を細め、上がった口角をグラスに隠していた。
しばらくの歓談の後、ヨナスが空になったグラスを置く。
ヴォルフが追加のお湯割りを作ろうとするのを止め、自分達の方を向いて座り直した。
「失礼ながら、この場をお借りして、ダリヤ先生とヴォルフ様にお話ししたいことがあります」
「はい、なんでしょうか?」
商会のことか、王城の武具関係のことか、それともスライム養殖場との連携あたりだろうか。
背筋を正してヨナスに向くと、彼はヴォルフに視線を向けた。
「ヴォルフ様にお作りになった『
「ヨナス先生、魔剣開発については充分注意します。ただ、
「ダリヤ先生もヴォルフ様と同じ認識で――いえ、言い方を変えましょう。
「剣として使うことは考えておりませんでした。その、長い氷を出して楽しむ、『
「
ヨナスが復唱の後、口元を指で押さえたまま黙り込む。
グイードのような高魔力の者が補強するならともかく、薄い氷がただ伸びたところで武器にはならない。
ぶつかり方によっては皮膚が切れるかもしれないが、剣と打ち合うのは不可能だ。
「理解しました。ダリヤ先生とヴォルフ様は通常の魔導具として、私はあくまで武具として、見える視界が違うようです。私であれば――」
ヨナスが小皿を右手で持ち上げた。
「
ダリヤが呆然とする中、隣のヴォルフが聞き返す。
「ヨナス先生のおっしゃることはわかりますが、そこまで考えるなら、ナイフやフォークも一緒では?」
「護衛騎士はそういったものも注意しております。ですが、人は今までにない形を警戒しづらいのです。警戒不足、間合いがわからない武器、多方向の敵、どれも厄介です」
「それは……」
「理解するようにとは申しません。ただ、私のような視界の者もいるのだと覚えておいて頂ければと」
ヨナスの低い声の後、それまで黙っていたグイードが口を開く。
「二人とも、ヨナスの心配はわかるね? 外部に漏らさぬよう充分注意し、こまめに報告してくれ。報告さえあれば、秘蔵するか、武具工房でどうにかするよ。その為に追加給与をヨナスに支払っているのだからね」
「ありがたく頂いております。その分ぐらいは働かせて頂きますので、早めにお知らせください」
張り詰めていた雰囲気がきれいに溶けた。
ヴォルフと二人で礼を言った後、肩の力を少しだけ抜く。
そのとき、ふと思い出したことがあった。
「一つお伺いしたいのですが――父から、魔導具を武具にするより、魔導師の皆様の方がはるかに強いと教えられました。王城では武具関連の魔導具はまだ少ないのでしょうか?」
「それに関しては騎士団の内々になるが、詳しく聞きたいかい? 魔物討伐部隊相談役としての質問であれば答えるよ」
唇は笑みの形なのに、青い目が少し冷えた気がする。
ダリヤは慌てて否定した。
「いえ、結構です。失礼な質問をして申し訳ありません」
その情報が必要だと思えたら、魔物討伐部隊経由で聞くべきだ。
家に招いてもらい、温熱座卓で飲みながら話すことではなかった。
「いや、魔導具師としても武具工房の一員としても、気にかかることだろうね。代わりの話をしよう」
グイードが両手をテーブルの上にゆるく組み、にっこりと笑う。
「王城騎士団は『魔法至上主義』が一定数いてね、生活向けや補助として魔導具を使うのはいいが、武具として使うのは邪道だと主張する者もいる。そんな物に頼らずとも、自分の方が攻撃力があると。まあ、そういったのは私のいる魔導部隊に一番多いんだが」
内情は言わないのではなかったか。
隣のヴォルフが目をまん丸にしているところから、当たり前の話ではないのがわかる。
「そういう者達は高位貴族やその関係者がほとんどだ。確かに高魔力で攻撃力が高いが、負けず嫌いというか、頭が固いというか――」
「グイード様、グラスをお取り替えしても?」
「……ああ、頼む」
ヨナスがうまく切ってくれたらしい。グイードが話を止めた。
ダリヤはそっと息を吐く。
王城騎士団の魔導師や騎士は、やはりとても強いのだろう。だから武具系の魔導具を必要と思わないのかもしれない。
それほど強いなら、魔導具云々より、魔物討伐にその戦力を分けてほしいのだが――
この思いは、魔物討伐部隊の相談役だからなのか、それともダリヤ個人の願いなのかわからない。
ただ少しだけ、気持ちがざらつく気がした。
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