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死を選ぶことと「生きごたえ」
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死を選ぶことと「生きごたえ」

2013-06-25 01:49
    下の動画で行われている自殺に関する議論、なかなか興味深かった。





    2012年の自殺者数は3万人を15年ぶりに割り込み、自殺を選ぶ人の数は、全体的には減少の傾向にある。しかし、若い世代について見れば自殺者数は高止まりしており、とくに20代では、死因のほぼ半数を自殺が占めている。

    この点について、自殺対策に取り組むNPOライフリンクの清水代表は、「20代の自殺では、例えば就職の失敗による絶望などが大きな要因となっているが、上の世代の人間には、『たかが就職の失敗くらいで』という認識をもつ人たちが多い。しかし、生きることには、その『阻害要因』と『促進要因』があり、若い世代の人たちには、この生きるための『促進要因』が、比較的少ない人が多い。したがって、就職失敗といった生きるための『阻害要因』が出てきた時に、その重みが、相対的に大きくなってしまうのだ」という趣旨の解説をされていた。

    これに対して宮台真司さんが言っていたことは面白くて、「その背景には、子どもたちが受け取っているメッセージ、教育の問題がある。人が幸せになれるのは、他人を幸せにすることによってのみだ。にもかかわらず、親たちは子どもに『生き馬の目を抜け』と教え、とにかく上昇せよ、そうでないと置いて行かれるとせき立てる。出世するのは出世自体が目的ではなくて 『立派なやつ』になるためなのに、そのことは語られない。そんな世の中で、子どもたちが『生きごたえ(≒生きるための促進要因)』を感じられるわけがない」とのこと。


    この主張は、私にもよく理解できるのだが、同時に、それは日本社会の現状を鑑みれば仕方のないことでもあろうと思う。

    少なくとも戦後の日本、とくにここ2、30年の期間においては、私たちは「大きな物語に依存するな」と言われ続けてきたし、その「大きな物語」のない社会において、生の価値を「自己決定」するのは君たち自身だとも、教え込まれ続けてきた。

    だが、いつも言っているように、「価値」それ自体というものは「事実」に基づいた合理的な推論から導出されるわけではないのだから、常に一種の「信仰」である。その価値を「自由に選んでいいよ」と言われたら、真剣に考える人であればあるほど、まさに「等価値」に乱立する多様な価値観の前に呆然として、立ちつくしてしまうほかはない。

    「普遍的な価値」というものは存在せず、親でさえ子どもにそれを強制することは推奨されないのだから、「良識的」で子どもを思う親であればあるほど、「では、私は子どもに、彼/彼女が自由に自分の価値を追求できる条件を与えることに専念しよう」と考えることになる。つまり、金と社会的地位をとりあえず得られるように、子どもをせき立てようとするわけだ。

    しかし、そのようにして仮に金や社会的地位を得られたとしても、自分の目の前に乱立する諸価値から、強いて一つを選ぶ基準を、どこにも見いだせないという事情自体は変わらない。そこで多くの人たちは、本来はあくまで自由な価値追求の条件であったところのものを、(意図的であるかどうかは人それぞれだが)目的それ自体へと転倒させてしまう。即ち、金や社会的地位、周囲から羨ましがられるような異性を得ることが、それ自体として「価値」になり「信仰」の対象になるわけだ。「金パン教」の成立である。

    この「金パン教」の信仰体系の中においては、当然ながら、「金とパンツ(金銭と性愛)」を獲得できるかどうかが価値判断の第一義的な基準になる。したがって、例えば就職に失敗すれば、「金パン教徒」としては失格者・落伍者の烙印を押される可能性が非常に高くなるわけで、それは絶望するのも道理であろうと私は思う。


    この点に関連して、上記の宮台さんの発言に対し、清水さんが提案していた内容は象徴的だった。彼の提案というのは要するに、「若いうちから海外に出る機会を増やして、日本以外の多様な価値観に、もっとふれる機会を増やせばいいのではないか」ということなのだが、これは私の見方からすれば、既に十分に多様である価値観を前に立ちすくんで、結局「金パン教徒」になるしかなくなっている人たちに対して、「もっと選択肢を増やして、もっと自由に選べばいい」と言っているのに等しいのであって、それが本質的な問題の解決になるようには、少なくとも私には思われない。
    (※ただし、そのことによって救われる人が存在する可能性は、もちろん否定しない。例えば、外国に存在する何かしらの確固とした価値観を受け入れることで、「金パン教」に陥らずに済む可能性もあるだろう。とはいえ、一部の海外在住者の中には、海外経験によってむしろ「金パン教」への信仰を強固にして、「日本人は金パンへの信仰が足りない!」と、私たちを説教したりすることもあるように思うが。)


    最後に、自殺の対策として、全く対照的な意見が語られている動画を紹介しておく。ここでの青山繁晴さんの主張には、私は基本的に共感的である。「価値観の多様な社会にこそ生きがいがある」という想定は基本的にフィクションであって、実際には、自分の周囲に確固とした特定の価値意識が既存している社会にこそ、「生きごたえ」というのは生じるものだと思うからだ。その際に、個人が当該の価値観に沿うにせよ抗するにせよ、その事情自体は同じである。






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