コロナ禍で音声コンテンツ市場が急成長している。多様なサービスが誕生する中、日本での草分け的な存在が、オトバンクによるオーディオブック配信サービスの「audiobook.jp」だ。2018年に聴き放題のサブスクリプションを導入したことで利用者が急増し、21年6月には会員数が200万人を突破した。オトバンク代表取締役の久保田裕也氏は現状を「まだ200万人」と表現し、もっとユーザーは増えると期待する。
オトバンクの成長の背景には、コンテンツ制作に対する強いこだわりと、それを支えるチームづくりがある。久保田氏に「耳のスキマ時間」争奪戦の勝算を聞いた。
オトバンクが運営するaudiobook.jpはオーディオブック配信サービスだ。07年にFeBeの名称でサービスを開始し、年々会員数を増やしてきた。18年に現在の名称に変えてサービスをリニューアル。1冊ごとに購入する仕組みに加えて、月額750円で聴き放題になるサブスクリプションを導入したことで会員数が急増している。19年10月に100万人を超えると、21年6月には200万人を突破。1年8カ月で倍増した。
コロナ禍では、スマートフォンのアプリやネット上でラジオを聴くradikoの会員数が増加しているほか、stand.fm、Voicy、RadioTalkなどの音声配信サービスが続々誕生。21年に入ってからはClubhouseやTwitter Spaceなどの音声SNSも利用者が拡大している。久保田氏は現状を追い風と捉えて歓迎する。
「われわれにとってもありがたい動きだと思っています。文字でも、漫画でも、映像でも同じで、コンテンツは利用者が増えれば増えるほど発展します。日本では聴いて学ぶ習慣が英語くらいしかないので、他の国に比べてなかなかマーケットが広がりませんでした。それが今、聴く体験をする人が増えています。市場を育てていくことは1社ではできないので、音声サービスはもっと広がってほしいですね」
一方で、audiobook.jpの会員数が200万人を突破したことについては、まだまだ満足をしていないという。
「個人的にはまだ200万人という感じです。聴くことに慣れている人がもっと増えてくれば、ユーザーは何千万人の規模になるはずだと考えています」
オーディオブックというコンテンツがまだ日本で知られていなかった頃、日本で最初に提供するサービスがオトバンクだった。04年12月、代表取締役会長の上田渉氏が東京大学在学中に創業。久保田氏は上田氏と同じゼミの後輩だった。久保田氏は3年生だった05年3月には就職活動を終え、外資系企業から内定をもらっていたが、上田氏に誘われて手伝い始める。
「オトバンクは読書家だった上田の祖父が、緑内障によって失明して本を読むことができなくなったという上田自身の体験から生まれた事業です。飲み会で私の前の席に座った上田が、『俺、会社を作ったんだよね』と聞いてもいないのに話し始めたんですね(笑)。話半分で聞いていたのですが、勝手に手伝うことが決まっていました。
ある日、経営会議に出てほしいといわれて、予定していた飲み会が中止になったのでたまたま会議に参加すると、その場に創業メンバーがいました。当時エンジェル投資家を始められていた瀧本哲史さんもいました。それで気づいたら、本格的に手伝うことになってしまったのです」
オトバンクは視覚障害がある人向けに、対面朗読をするNPOを運営することの検討から始まった。しかし、いきなり大きな課題に直面する。書籍を朗読に使うことの許可が、出版社から出なかったのだ。
「朗読で読みたかったのは有名な作品でしたが、出版社にとって作品は大きなビジネスの源です。著作権の許可を得るのが大変だということを、全く知りませんでした。出版社の方からは、NPOの取り組みとして素晴らしいかもしれないけど、お金にならないボランティアで著作権の許可を取るのは難しいですよと言われました。私たちも『ビジネスとして成立するのであれば実現するのでしょうか』と聞くと、『可能性はゼロではない』と言われたので、本格的に検討を開始しました」
ビジネスとして成立させるために、市場を俯瞰して分析したことで、海外ではすでにオーディオブックの市場が広がっていることが分かった。オーディオブックは05年頃、海外で1000億円のマーケットがあると見られていた。その一方、日本の市場については具体的な言及はなく、調べていくと日本特有の難しさがあることも見えてきた。そこで、オトバンクは出版社との交渉を続けながら、オーディオブックを日本で最初に提供するサービスの立ち上げに向けて株式会社化し、進み始める。その過程で久保田氏は、外資系企業の内定を断って、オトバンクへの入社を決意した。
「今でもそうですけど、そもそも自分の世代で75歳とか80歳まで自分の実力で食っていける自信がなかったんです。そんな中で海外を放浪した時に、多言語を扱う優秀な人たちと出会って、競争しても勝てないなと感じました。どうすればいいのだろうと考えた時に、目の前にオトバンクがあることに気付きました。オトバンクは当時1円の収入もなく、誰からも相手にされていなかった会社でした。でも、この会社を大きくすることができれば、その体験は単なるスキルとは異なり、他のところでは得られないものになると思い、入社を決めました」
しかし、全く収益がない状態が数年間続いた。07年1月にaudiobook.jpの前身のサービスであるFeBeをリリースするが、許可を得て自社で制作したコンテンツは10本にも満たず、大半が他社が制作した音声コンテンツだった。
「あらゆる出版社と交渉していましたが、サービスを開始した時点でもまだ、ほぼ全ての出版社から許諾がいただけていない状態でした。そのため、08年頃までは全く利益がありませんでした。しかも、この頃は現在とは違って、スタートアップにお金が流れる時代ではありません。サービスは立ち上げたけれども、コンテンツもお金もないし、これからどうすればいいのか分からない状況でした」
収益が上がらない時期に地道に取り組んでいたのが、音声コンテンツの制作力向上だった。創業から1年あまりで自社のスタジオを作り、どのような音源を作れば人は長く聴き続けられるのかを研究。プロトタイプを作っては、日比谷公園で休憩しているサラリーマンに聴いてもらいダメ出しをしてもらっていた。また、研究以外にもコンテンツの向上に寄与したのが、声優志望者に手伝ってもらうことだった。
「声優の卵のみなさんは、自分のサンプルボイスを録音したCDを関係者に渡して売り込みをします。われわれはスタジオを持っていたので、格安か無料でCDを作ることができます。なのでオーディオブックの制作を手伝ってほしいと言えば、人が集まってくると考えました。実際に声優の養成所や事務所に声をかけると、口コミで人が集まるようになりました。
声優のみなさんにとっては他のメリットもあります。ディレクターがいる環境下でナレーションをすることで、声優としてのスキルも上がります。制作に興味を持っている人も多いので、制作も含めた仕事も提供できました。
声優のオーディションは実施の直前に連絡が入ることが多く、シフト制のバイトがやりづらいと言われました。であれば、時間がある時に自由に会社に来てもらって、仕事ができる環境をつくれれば、人材を確保できると考えました。現在でも制作スタッフは業務委託を含めて20人以上いて、1人を除いて全員が声優か元声優です。創業当時からコンテンツ制作を支えてきたのが声優のみなさんですね」
地道にコンテンツを作りながら会員数を増やすことで、徐々に出版社の理解も得られていった。09年に単月で黒字化し、10年に初めて通期で黒字化を達成。12年にリリースした朗読アプリ「朗読少女」がヒットすると、15年頃にはオーディオブックも日本で利用者が増えるようになる。コンテンツの数も充実し、着実に会員数を伸ばしていった。
音声コンテンツのパイオニアとして、オトバンクが成長を遂げてきた要因はどこにあるのか。久保田氏に聞くと、コンテンツのクオリティーにこだわってきたことを一番に挙げた。
「クオリティーには妥協しない文化を根付かせてきました。活発な議論を重ねる一方、ユーザーさんに電話やメールで感想を細かく聞き、改善を重ねました。ユーザーさんの声は大きな財産ですね。
制作スタッフだけでなく、経営陣の上田や私も、音のコンテンツを他社のものも含めて通常では考えられないくらい消費しています。私は90年代からずっとラジオを聴いてきて、同時に3局を流すような聴き方もします。『なぜこのコンテンツがいいのか』という感覚を、言語化できない部分も含めて現場と経営陣が共有できています」
コンテンツを重視するのは、社内の重要なカルチャーでもある。制作部門以外で社員を採用する際にも、コンテンツに造詣があるかどうかを重視している。
「オーディオブックに興味がなくても、アニメでも、スポーツでもいいので、何かのコンテンツに造詣が深いことを採用する時のポイントにしています。『これはめちゃくちゃいいよね』といった言語化が難しい部分が理解できない人では、コンテンツをめぐる多岐にわたる課題を解決するのは難しいと考えているからです」
また社内でのコミュニケーションでは、Slackを使ってほとんどの情報をオープンにしているので、意思決定のプロセスなどを全員が知ることができる。あわせて、ポジションに関係なく、誰にでも言いたいことが言える環境を作っている。その理由は、できるだけストレスをためないためだと久保田氏は説明する。
「仕事でたまるストレスのほとんどは人間関係が原因です。でもそれでは楽しくないですよね。どういう時にたまるのかというと、自分の話を全く聞いてくれないとか、意見を言える場所がないとか、意思決定に参加できないといった時ではないでしょうか。だからオープンにコミュニケーションをすることを基本にしています。
また、満員電車に乗って通勤することもストレスがかかりますよね。だから当社では社員に満員電車禁止令を出しています。今はコロナ禍なので、ほぼ全員がリモートワークです。
ストレスをためないようにしている理由は、余白を持ってほしいからです。言われた通りの業務を続けていると、脳はその業務に最適化していきます。そうなると、新しい発想を生み出すことが難しくなります。ある程度のミッションは与えつつも、細かく指示を出さないことで、新たなものを生み出せる環境を大事にしています」
オトバンクでは新たな音声サービスの研究開発も進めている。常に先を見て動いているという。
「3年後、5年後、10年後には、たぶんここまでのことができるだろうと考えながら、研究開発をしています。実現するには、今から準備しなければ間に合いません。その時期に提供すべき価値を考えて、逆算して開発するイメージです。
ただ、考えていることはシンプルです。あらゆる人に聴く楽しみを知ってもらい、コンテンツを聴く体験をしてもらうにはどうすればいいのか。聴くことが当たり前の選択肢になるには何が必要なのかを、ずっと考えています。
オーディオブックが普及している米国では、音声コンテンツに対して多額の投資が行われています。ここが日本と違うところです。日本でも音声メディアが盛り上がっていることは間違いないので、音声コンテンツの量がそろって、聴く習慣ができるように、良いものを提供したいですね」
今後も音声サービスが進化を続けていく中で、オトバンクは常に先を見据えている。目指しているのは「コンテンツ産業のインフラ」だと久保田氏は言い切る。
「コロナ禍になってあらためて感じているのは、コンテンツは生きていくためには必須ではないかもしれないけれど、人の心を健康的に保つという意味では必要不可欠なものだということです。
そうであれば、コンテンツ産業が元気な方が世の中にとってはいいですよね。コンテンツ作りに集中するためには、作り手に安定的にお金が流れる必要があります。今はまだ、紙のコンテンツから入るお金のほうが圧倒的に大きいですが、今までにはなかったオーディオブックがお金を生み、成長することが大事だと思っています。
コンテンツ産業全体を見ても、作り手にお金が流れるような取り組みはまだ十分とは言えません。やれることはまだまだたくさんあるはずです。われわれがコンテンツ産業のインフラになって、いい形で作り手にお金を戻せるようになりたいですね」
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