ORPが低い水は体に良い水?(3) ORPの値が意味すること
2018年9月6日
まだ少しですが、夏の終わりを感じられる朝晩となりました。相変わらずの残暑ですが、如何お過ごしでしょうか。さて、今回は水のORPの値が意味することについて解説したいと思います。
水(正確には水溶液)のORPは、前回のお話し中の表1に示すような電子のやり取りをする化学種が存在するとき、その標準酸化還元電位と電子のやり取り前後の化学種(電子をもらう前を酸化体、電子をもらった後を還元体といい、表1の半電池反応の左辺が酸化体、右辺が還元体となる)の濃度によって決まります。その理論を式にしたものをネルンスト式と呼びました(図4)。
式中のEの値が大きくなる(溶液の電位が高くなる)ための条件は2つです。標準酸化還元電位(Eº)が大きいこと、酸化体の濃度が高いことです。詳細は省略しますが、前者は酸化体の酸化力が高いことを示します。後者は酸化体が多量にいることを意味するので、やはり酸化力が強いことを意味します。つまり、水溶液の酸化還元電位が高いことは「酸化力が強い」ことを、逆に水溶液の電位が低いことは「還元力が強い」ことを意味します。
さて、インターネット上や宣伝広告で「〇〇水の酸化還元電位がマイナスで凄い」といった定番文句を見かけますが、酸化還元電位が低いと何が凄いというのでしょうか。どうやらこの根底には、酸化は錆び(=老化)のイメージで、逆に還元は若返りを連想することのようです。鉄は、鉄鉱石(主に酸化鉄)を高炉で燃焼させたコークスによって還元して産み出し、鉄は自然界で酸化されて腐食し、ボロボロの酸化鉄になって行くからでしょう。何か酸化反応は、我々の敵のようなイメージですね。
しかし、私たちは酸化反応のお世話にならなければ生きていくことはできません。食事により摂取した栄養素を身体の中で分解し、細胞の中にあるミトコンドリアで酸化(酸化的リン酸化反応)によってエネルギーを作り出しています。酸化反応は、私たちの生きるエネルギーを生み出す源です。そして、エネルギー代謝の副産物として、皆さんがよく耳にする活性酸素種を発生します。
活性酸素は酸化能力が高いという性質をもっていますが、活性酸素も有益な仕事をするため、私たちの体にはその量が適切に保たれるような仕組みを持っています。しかし、病気による要因や、紫外線や放射線・大気汚染・タバコ・薬剤などの日常生活の要因により過剰に発生した活性酸素によってそのバランスが失われ、有害な作用が発現する状態を酸化ストレスとよんでいます。酸化ストレスが亢進すると、DNAやタンパク質などを酸化させ、老化や病気の原因となる可能性が生じます。このような背景から、これに対抗するため還元力のある水が好まれ、酸化還元電位の低い水が求められる風潮ができたと思われます。
そこで、話を錆に戻して酸化還元電位との反応の関係を説明します。炭素が酸化された最終生成物は二酸化炭素です。図5は二酸化炭素(酸化体)と種々の炭素化合物(還元体)から成る半電池反応です。その酸化還元力を、表1と同じ次元で比較して頂くことができます。図5に示された半電池反応の標準酸化還元電位はどれも低く、これらの炭素化合物の還元力が等しく高いことが分ります。
しかし、実際に溶鉱炉の中で酸化鉄を還元するために利用されているのは、加熱されたコークス(炭素)によって生じた一酸化炭素です。しかも、950℃以上の高温でしか酸化鉄を鉄に還元することはできません。これは、酸化還元電位の問題ではなく、反応速度の問題といえます。つまり、酸化還元反応が実際に進行するか否かは、電位だけでは議論できないということです。
もう少し分かりやすい例を示します。例えば、ダイアモンドと鉛筆の芯(主成分である黒鉛)はどちらも炭素のみから成る物質です。両者のエネルギー(化学的にはギブスエネルギーという)は、図6のAがダイアモンド、Bが黒鉛に相当します。反応は自由エネルギーが低くなる方向に進行するので、ダイアモンドは自然に鉛筆の芯に変化します。
しかし、タンスの引き出しに大切にしまっておいたダイアモンドが、いつの間にか鉛筆の芯になったという話は聞いたことがありません。それは、A → Bに変化するとき、高い活性化エネルギーの山を越えなくてはならないからです。この山の高さは、反応の速度として観測されます。ダイアモンドから黒鉛への反応は、活性化エネルギーが極めて高いため、人間の寿命の間にその変化が起こることはなく、ダイアモンドが黒鉛に変化することなく安定に存在できるのです。
半電池反応の酸化体と還元体のエネルギー関係も全く同様で、図6のAとBの電子のエネルギー差に該当する値が、標準酸化還元電位に相当します。つまり、酸化還元電位は酸化力や還元力の強さを示しますが、実際に電子のやり取りが行われるか否かは、活性化エネルギーが支配し、反応速度として現れます。したがって、酸化還元電位を測定することで、反応の方向を知ることはできますが、その速度については何も情報を与えてくれません。そのため、酸化還元電位の値に注目するだけでなく、その電位を与える水溶液中の物質を同定し、その酸化反応や還元反応の特性を知ることが必要となります。
次にもう1点、水の電位測定の結果を見るときに注意する点を説明します。私たちのような電気化学屋はネルンスト応答という言葉を使いますが、測定された電位がネルンスト式に従っているか否かという点です。電位の話は、全て酸化還元反応の電位に押し付けられがちですが、実際はネルンスト式とは全く無関係、つまり酸化還元反応と無関係であることが多くあります。
例えば、水中に酸化体か還元体の片方しか存在しなかったり、そもそも酸化還元物質がなかったりして、ネルンスト式に従う明確な電位決定反応がないときです。このような場合でも酸化還元電位計を水溶液に浸せば数値を与えます。
しかし、その値は、気が付かない微量の不純物の平衡電位、吸着種によって発生した電位、測定に用いる基準電極との界面に由来する電位などの混成電位と称されるもので、電位発生の根拠が明確でないことが多くあります。酸化還元電位による評価は、数値の高低ではなく、その数値が酸化還元を意味しているのかを見極めることが重要です。飲料水のような希薄な水溶液の酸化還元電位を測定する場合には、特にこの点に注意する必要があると言えます。
また、最初にも述べましたが、酸化還元電位は水の中に含まれているイオンや物質の電子のやりとりのしやすさで決まるのであって、水そのものの変化を意味しません。勿論、健康云々とは直接関係を見出すことができる値ではありません。
最後に、日本の水道水質基準は、水道法に基づき51項目、更に水質管理上留意すべき項目として「水質管理目標設定項目」(26項目)が、今後必要な情報・知見の収集に努めていくべき項目として「要検討項目」(47項目)がそれぞれ定められています。これらは水質基準の各項目及び基準値は、WHO(世界保健機関)の飲料水水質ガイドライン等を参考にしつつ、健康影響等に関する研究・調査、諸外国の基準値等の設定状況、検査技術等を総合的に検討し、厚生労働省が決定しています。日本の水道水は極めて安全性の高いものに分類され、世界に誇る飲料水と言えると思います。
昭和58年 岐阜薬科大学大学院修了。同年から岐阜薬科大学薬品分析化学研究室において有機電気化学の分子化学への応用を研究テーマにして、機能性分子創製と分子解析、協奏的なプトロン-電子移動反応を基礎とする生理活性に関する研究、高速液体クロマトグラフィー-質量分析計測システムの生命科学研究、臨床化学研究への応用、生体機能物質や環境汚染物質の超高感度蛍光および電気化学検出法の開発などを行なっています。分析化学は薬学などの生命科学の土台を支える重要な学問であることを意識し、基礎を意識した教育と研究に心掛けています。そんな基礎分野の視点に立って健康に役立つかもしれないお話しを書きたいと思います。