◆〈信仰体験〉 脳性まひの息子が教えてくれたこと 
 可能性を信じ抜く! それが私の使命 二つの福祉施設で理事を務める

 

「祈りは全部かなってきました。感謝しかありません。人の幸せを願えることが、最高の功徳!」と、笑顔で語る三塚さん

「祈りは全部かなってきました。感謝しかありません。人の幸せを願えることが、最高の功徳!」と、笑顔で語る三塚さん


 【東京都調布市】「こんな時、あなたならどうする?」と、優しく問い掛けるのは、三塚清子さん(78)=小島支部、婦人部副本部長。障がい者の生活訓練と就労支援を行う施設で、ソーシャルスキルトレーニングを担当している。ソーシャルスキルとは、コミュニケーション能力や、集団行動を円滑に営んでいくための技能のこと。
障がいの有無にかかわらず、周りとのコミュニケーションに不安を感じている人は少なくない。「ここで身につけたことが、必ずや利用者の社会生活に役立つと信じています」
 トレーニングは、大まかなシナリオを決めて、ロールプレイング(疑似体験)形式で行う。自己紹介や面接、利用者が最近経験したことなど、日常のさまざまな状況を想定し、対人行動を実践形式で学んでいく。
 何人かでグループになることで、同じ障がいがある人の行動を客観的に見ることができ、自分自身への理解を深められるという。
 これまでに、特別支援学級の介助員を15年、障がい児のための学童クラブの代表を10年、務めた。現在は、二つの障がい者支援施設で理事をしている。
 長年にわたる、障がい者の自立支援で大切にしてきたのは「どこまでも可能性を信じ抜くこと。そして、それを教えてくれたのは息子でした」。
 1964年(昭和39年)、職場で知り合った夫・岑生さん(故人)と結婚。長男・英之さん(54)=壮年部員=を出産し、幸せを感じていた。
 成長に違和感を覚えたのは、英之さんが1歳を過ぎた頃。同年代の子どもたちが歩き始めても、つかまり立ちさえできない。不安を感じた三塚さんは病院へ。医師から、知的障がいはないが、脳性まひによる肢体不自由と診断された。あまりのショックに目の前が真っ暗になった。
 健康な体で産んであげられなかった自分を責め続けた。日に日に痩せていく姿を心配した夫は、泣きじゃくる三塚さんの手を握り、「僕らが力を合わせて育てよう」と言ってくれた。
 英之さんが中学生の頃、自閉症の子どもを育てている近所の婦人と親しくなった。底抜けに明るく、前向きな人だった。“どうしてこんなに明るいんだろう……”。思い切って尋ねると、創価学会の信仰を教えてくれた。
 「障がいが悪いんじゃないの。ありのまま祈っていけば開けていくんですよ」。その確信あふれる言葉が、劣等感に苦しめられていた心に深く染みた。78年に入会。
 それからは、家族の幸せを懸命に祈った。ふと気付くと、自分を責め、嘆いていた気持ちが、“障がいはなくならない。だったら、負けないくらい強くなろう”という決意に変わっていた。そんな三塚さんの変化に、家族も続いて入会する。
 “強くなってほしい”と、英之さんには、あえて何でも挑戦させた。「一人で通学できた」「自転車に乗れるようになった」と、一つ一つを夫婦で喜び合った。
 小中高と普通学級に通い、大学へ進学。卒業後は、大手のソフトウエア開発企業に就職した。「仕事をして、仲間と飲みに行って、酔っぱらって帰ってくる。そんな息子の日常が、うれしくて、信心のすごさを教えられるんです。
 困難に果敢に挑戦する息子を、心から尊敬しています」
 最初は、息子に付き添い通っていた学校で、職員に勧められて飛び込んだ福祉の世界だった。それが、英之さんの成長を目の当たりにして、自らの使命の道になった。
 施設では、利用者のわずかな変化も見逃さないよう努めている。“いつもと違うお弁当だな”“朝はいつもコーヒーなのに、どうしたのかな”。その、目配り気配りによって、微妙な心の動きや揺れに気付くことがある。「一番うれしい時、一番困っている時、その時にこそ深い関わりが持てるんです」と。
 施設利用者の家族からは、「三塚さんがいると、みんなホッとする」と厚い信頼が寄せられている。
 「自分の子どもはもちろん、もっと多くの人のために生きたい。私だから寄り添えることがあると思うんです」と三塚さんは、まなざしを送る。
 利用者の家族から相談を受けると、〈何があっても、負けない。その人は勝っているのだ〉との池田先生の励ましなどを通して、力強く語り掛ける。
 「必ず幸せになれますよ!」

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