犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

平壌妓生学校

2014-08-10 23:02:26 | 慰安婦問題


 朝日新聞は、これまで元慰安婦金学順さんがキーセン学校出身であることを隠していたことについて、8月5日の記事で、次のように弁明しました。

 元慰安婦の金さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

 91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。

 金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。

 植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。


 上の記事の中で、キーセン学校については次のように説明されています。

 キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

 これを読んだ一般読者は、次のような解釈に導かれるのではないでしょうか。

 「キーセン学校は宴席での芸事、すなわち歌舞を学ぶ公的な施設で、学校を卒業すると「資格」が得られ、資格を得たキーセンは、遊廓などで売春を行う遊女などとは違い、通常は売春に従事することはない。例外的に生活に困って売春行為をするキーセンもいたが、キーセンすなわち売春婦というイメージができたのは、戦後に日本人が韓国に買春ツアーに行って批判されるようになってからのことだ」

 つまり、金学順さんは、3年間キーセン学校に通って資格を得たキーセンなので、普通なら売春することはなかったが、日本の軍慰安婦にされたことで売春を強要された、と。

 読者を上のような誤読を誘導する朝日新聞記者の文章力は大したものです。そして、誤りが指摘されたときに備えて、出典を明示せずに「韓国の研究によると」などと書いていて、いざとなったら責任転嫁できるようになっている。

 でも、「韓国の研究」じゃなくて「日本の研究」を参照すれば、けっして上のような記事は書けなかったはずです。

 川村湊は、『妓生――「もの言う花」の文化誌』(作品社、2001年。韓国語版は『もの言う花――妓生』ソダム出版、2002年)の中で、

 「朝鮮の妓生に関する文献は、きわめて少ない。これは朝鮮では儒教文化が支配していて、歌舞芸能、女性、遊蕩などに関することがらは、知識人たるもの口にすることもけがらわしいことで、ましてや文章として記録に残すことなど忌避されたからだろう。そうしたなかで、李能和の『朝鮮解語花史』(1927年、東洋書林)は例外的なものであり、空前絶後のものになっている。(中略)本書以降の「妓生」に関する文章は、本書からの孫引きが圧倒的に多い」

と書いています。つまり、韓国には(2001年時点で)妓生についてのまともな研究はなかったのですね。

 ちなみに、李能和(イ・ヌンファ)は、1868年生、1945年没。法語学校、漢城外国語学校の教員などを経て、総督府中枢院顧問として『朝鮮史』の編修委員を務めた人です。

 川村著『もの言う花』は、キーセン学校について、一章を割いて詳しく説明しています。

 1935年ごろに出たと思われる『箕城(キソン)妓生写真集』の付録に、妓生養成所規定という小冊子があるそうです。発行所は、平壌の「株式会社 箕城券番」。

 券番とは、同書の注釈によれば、以下の通り。

 見番(見番所)、検番とも書き、もともとは吉原遊廓で芸妓の見張り(監督)を行う事務所として創設。後に、芸妓の出入り(鑑札の発行、管理)や就業の配分、置屋・料理屋・待合のいわゆる三業の組合(三業組合)の事務所としての機能ももつようになった。朝鮮での券番は妓生と、その抱え主の組合組織という面が強い。平壌の箕城券番のように株式会社組織となったところもある。

 妓生養成所規定を見れば、妓生学校というのは俗称で、正式には券番付属の「妓生養成所」であることがわかります。以下は、規定からの抜粋。

第一条 本養成所は株式会社箕城券番に付属し、妓生の養成を目的とする
第十一条 本養成所に入所せんとする者は、普通学校4か年修業、もしくはこれと同等以上の学校を修業し、または同程度における学科試験を施行し同等以上と認めたるものにして、身体発育完全なる女子に限る。なお入学年齢は、十三才以上十五才までとする
第十二条 入所の人員は年六十名とする
第十五条 本養成所の卒業年限は満三年とする
第十六条 教授科目は左のごとし
 第一学年 歌曲、修身、唱歌、国語(日本語)、朝鮮語、算術、書画
 第二学年 羽調、時調、歌詞、国語、朝鮮語、算術、音楽、書画、修身、唱歌、舞踊
 第三学年 歌詞、舞踊、雑歌、日本唄、国語、朝鮮語、算術、東西音楽、修身、唱歌
第十八条 授業料および入学金は左の通り定む
 第一学年 一か月につき 金 二円
 第二学年 同 金 二円五十銭
 第三学年 同 金 三円
 入学金 金 三円
第二十四条 本所の経費は、授業料をもってこれを充つ。ただし経費に不足を生ずるときは、株式会社箕城券番の収入を以てこれに補充する


 金学順さんは14歳(数え)で平壌のキーセン学校に入ったそうです。出生年齢は資料によって1922年、23年、24年の三通りがあり、正確にはわかりませんが、1935年頃に入ったと思われ、上記冊子が出たのとほぼ同じ時期にあたります。

 その少し後、1939年に出た『モダン日本・朝鮮版』という雑誌には、韓載徳という人が平壌のキーセン学校を取材した記事が載っています。

 題して、「妓生学校では何を教えるか」。

 それによれば、第三学年の科目は「国語、書画、歌曲、内地唄、雑歌、音楽、声楽、作法、作文、会話、詞解」。これ以外に第一学年には「唱歌、舞踊」が、第二学年には「時調、楽典」があるとされており、先の資料と微妙に違います。

 「彼女ら妓生達にとっていちばん肝心なサービスの仕方、お客――男の取扱いは、どこで習うのか」

 その問いに答える形で書かれた記事によれば、それは「作法」と「会話」の時間だということです。以下、『もの言う花』からの引用です。

 「歩き方から坐り方、挨拶から酒のつぎ方、表情のつくり方から見送りの仕方など、座敷での一挙手一投足を教わるのである。しかも、それは相手客が日本人と朝鮮人とでは別々であり、そのもてなし方を使い分けることまで、詳しく講義するのが「作法」と「会話」の授業なのだ」

 「しかし、もちろん、これ位の技だけで、妓生がつとまる筈はない。では、それ以上のことはどうして体得するのか?」と筆者は話を進める。もちろん、言わんとすることは明らかだ。性の作法、性技の「体得」ということだろう」

 「まさか、彼女達は「性は善なり」でなく、「性は妖なり」で生れつき艶なる素質があるから大丈夫だという訳にも行くまい。しかし、たしかに、彼女達は、男の心を引きつける技に関する限り「一を聞けば十を知る」天性を持っていることはたしかだ。それに、彼女の周囲では、優れた先輩の妓生選手達が、常に模範を示している学校は、券番の事務所と一つの屋根の下で、彼女達の控室ではいつも姉さん達の悩ましいエロ話が咲き、家に帰れば、それが妓生街であるだけに、彼女自身の姉さんが妓生でなくても、隣り周囲の部屋からもれてくる囁きを聞かされ、楽屋裏を見学させられるのだ」


 キーセン学校は妓生を養成する私的機関であり、妓生は当時、売春と不可分の職業でした。けっして「中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり」などという存在ではなかった。「韓国の研究」でそう説明しているとすれば、自らの不名誉な歴史を美化した歪曲であり、それを根拠にした朝日新聞の記事も歪曲記事です。

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4 コメント

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川村氏は (アホか)
2014-08-24 10:53:29
朝鮮、すなわち、日帝強占時代の文献が少ないと云っているのに、どうして韓国にまともな研究が無いことに為って仕舞うのかなあ(笑)
すいません (犬鍋)
2014-08-26 00:20:59
私が(中略)した部分はこうでした。

現在まで朝鮮・韓国で出された妓生についての歴史は、この書物のみであり、空前絶後のものとなっている。ただ、基本的には漢文で書かれて、テニヲハの部分にハングルが使われているだけであり、現在ではこれを読みこなすにはかなりの漢文の読解能力が要求される。初版は稀覯本であり、ほとんど入手は不可能で、韓国学研究所から「李能和全集2」として出された影印本がある。李能和には他に「朝鮮女俗史」「朝鮮巫俗史」「朝鮮道教史」などの著作があり、それらについては現代語訳(ハングル訳)も出されているが、「朝鮮解語花史」については、「妓生」を主題としたものということで、翻訳や研究はほとんどなされていないようである。

ここまでが(中略)部分。そのあとに、「本書以降の「妓生」に関する文章は、本書からの孫引きが圧倒的に多い」が続きます。

「「妓生」という存在が,けっしてわが国の誇らしい文化ではないという,そのような認識のために,いまだ誰も,学問的であれ,社会現象としてであれ,まともな研究がなかった」(訳者 柳在順)

「わが国の文化と歴史をわれわれ自身が研究し究明できなかったことは,面目ないし残念なことだ。」(李文烈)
キーセン (サトぽん)
2014-08-26 00:46:26
果たして、「ゲイシャ」が、日本の誇るべき文化の担い手だと考えてる人間が、どこにいるか、教えて頂きたいもんですね。

「フジヤマ・ゲイシャ」は、「金剛山・キーセン」とそっくり置き換え可能です。

川村氏も (犬鍋)
2014-08-27 06:39:38
そう考えてないと思いますよ。

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