「……とてつもなく久しぶりな気がするな」
オレは誰に言うでもなく、虚空に向かって呟く。
何故そんなことを口にしてしまったのか。
それはわからないが大いなる意思を感じた。
………………。
…………。
……。
いよいよ明日になればCクラスとの話し合いが行われる。
そのための証拠はすでに揃っていた。愛里が目撃者として名乗り上げたことで、確かな証人を手に入れたのだ。これでオレたちの無実は証明されるだろう。
――本当にそうだろうか。
一つだけの証拠。
それだけが唯一の勝ち筋なのか?
もしも、その切り札が不発に終わった時――オレたちの負けは確定してしまうだろう。
そうさせないためには、もう何個かの証拠が必要だ。
手札は多ければ多いほどいい。保険の保険は必要だろう。
――らしくないよな。
そう思わずにはいられない。
これが自分だけの問題だったのなら、オレは何もせずに傍観していただろう。
実際そうするつもりでいた。
そんなオレがクラスの連中のために行動を起こそうとしている。本当にらしくない行いだ。
昔のヤツらが聞いたら何て思うか。皆が一様にらしくないって言うだろうな。
『私は海斗のそういうとこ好きだよ』
脳裏に懐かしい顔が一瞬だけ過る。
これまでに何度かそういったことはあったが、最近は特に酷い。それもハクと再会してからはさらに頻度が増していた。
理由は何となくわかっている。人は手に届かない物をこそ強く求める。届かないからこそ気になってしまうのが人間という生き物だ。
とにかく今はあいつのことに構っていても仕方がない。頭を切り替えるとしよう。
オレに一通のメールが届く。
差出人は愛里だ。
『もし、私が明日学校を休んだらどうなりますか?』
文章こそ整ってはいるが、内容からは不安を感じられた。
自分に自信を持てない愛里らしい内容のメールだ。
オレは『なるようになるんじゃないか?』と打ち込んでいると……
『今、大丈夫ですか』
続けざまにそんなメールが送られてきた。
返事をさせる気がないのか? そう思わずにはいられなかったが素直に返事を返すことにした。
本当は『セックスで忙しい』とでも言おうかと思ったんだが、愛里が相手では冗談を本気として受け取られかねない。そうなってはもう二度とメールをしてこなくなる可能性は高い。これが桔梗のヤツだったらノータイムで送信してたんだがな……っと。
『ちょうど本を読み終わったところだ』
嘘は言っていない。
メールが来たので読むのをやめたってのが正しいけどな。
『もしよければ今からお会い出来ませんか』
『誰にも秘密でお願いできると……助かります』
『部屋は1106号室です』
『夜分にごめんなさい』
さらに連続でメールが送られてくる。
もはやプライベートチャットだ。
しかも送信速度がはえーし……。
オレは『わかった』とだけ返し、愛里のお誘いに乗ることにした。
据え膳食わぬは男の恥だ。
あいつ限ってそんなことありえないだろうけど。
だとしても男をホイホイと部屋に招待するのはどうかと思うが。
……まあ、あまりに地味すぎてクラスの男子にすら見向きもされてないからな。
仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれん。
そんなことを考えながら、ちゃっちゃかと準備をする。
ハクが鼻歌を歌いながら風呂に入っているので、軽いメモ書きのようなものを残しておく。
携帯とカードキーを忘れていないことをきちんと確認してから、オレは部屋を出た。
1106号室ということは、11階の6号室ということだろう。
下と上で男女に分かれており、上の階層はさながら女子寮といった感じになっている。
オレはエレベーターのボタンを押し、開くのを待つ。到着の音が鳴ったことでエレベーターに乗り込むと、すでに先客がいた。
鈴音だ。
「コンビニにでも行ってたのか?」
手から下げたコンビニのビニール袋を見ながら言う。
「ええ」
そんな短い返答を聞きながら、目的の場所である11階のボタンを押す。
こいつほんまに愛想悪いな。兄貴とそっくりだ。
「あなたこそ上の階に何の用かしら」
「ちょっと冒険に行こうと思ってな」
秘密にしてくれって話だったので、仕方なくそう答えた。
「強姦は立派な犯罪よ」
「んなこと知っとるわ!」
しかし、答え方がどうにも悪かったみたいだ。全力で引かれてしまった。
心の距離も肉体的距離も大きく離れている。鈴音とは特に親しいわけじゃないが、こうまで引かれてはさすがにショックだ。
つか堂々と強姦するヤツがあるかよ。
「じゃあ何の用か言ってみなさい。事の次第によっては訴えることも辞さないわ」
……割とピンチだった。
普段はスムーズなエレベーターも心なしかスローに感じる。
「黙秘権を行使するっ」
「…………」
「じ、冗談だから通報はやめろ!?」
ポケットから携帯を取り出し、無言で緊急電話のボタンを押し始めたので全力で止めた。
こ、こいつ……何てことしやがる。暴力事件の話し合いを前にして人生を終わらされるところだったぞ。
マジで冷や汗。こんなことなら非常用階段の方を利用するんだったな。
「ちょっと桔梗に呼ばれてな」
「……そう」
「聞いてきたクセに興味なさそうだな……」
「当たり前でしょ? 自意識過剰は怖いわね」
オレはこいつが怖いよ。
喋る一言一言がナイフのように尖すぎて。
清隆はよくこいつと付き合えてるよな。色々な意味で尊敬するぜ。
「夜食はほどほどにしろよ、太っ痛ェッ! まだ最後まで言ってねぇよ!」
「それは言ったのと同じことよ」
袋の中身を見ながら言ったオレに対して、ノータイムで蹴ってきた鈴音から逃げるようにして、オレは到着したエレベーターから飛び出した。
決して逃げたのではない。そう、逃げたのではない(大事なことなので2回言った)
何だかエレベーターの中にいただけなので妙に疲れてしまった……恐るべし堀北鈴音。
長い旅路の果てに、オレはようやく愛里の部屋――1106号室にまでたどり着いた。
チャイムを押し、出てくるのを待つこと数秒。私服姿の愛里が出迎える。
「邪魔するぞ」
「ど、どうぞ……」
オレは我が物顔で部屋に入り、適当にベッドの上へと腰掛けた。
「で、話って?」
「その……私、やっぱり自信がなくて……」
「それって明日の話し合いのことだよな」
「はい……。昔からこういったことが苦手で……特に人前で何かを話すのがとても苦手なんです……。それで、その……自分から言い出したことなのに、明日の話し合いできちんと話せる気がしなくて……それで、その……」
最初に来たメールの内容を思い出す。
「だから学校を休みたいってことか?」
こくりと頷き、愛里はテーブルに顔を伏せてしまった。
よっぽど明日の話し合いはハードルが高いみたいだ。
「あ―――――もうイヤだぁ! どうして私はこんなにダメダメなのぉ!」
ジタバタと手を動かし、駄々っ子のように暴れる。
過度なストレスによって、遂に壊れてしまったか。
やはりこういったことには向いていなかったのだろう。
「はっ!?」
衝動的に暴れてしまい、その姿をオレに見られていたことを自覚し顔を真っ赤させながら首や手を振り始める。
「ちがっ、これは違うんですっ……! 違いますぅぅ!」
もしかして、これが愛里の素なのだろうか。
意外にもしっくりとくる。
「違うって何がだ?」
「い、いつもこんなんじゃないんですっ!」
「まあ、確かにいつもはジメーっとしてるな」
「そ、そうですっ」
「自分で言うな自分で」
「はうぅ……」
変なところを見せたと言わんばかりに顔を隠す愛里。
「でもいいんじゃねーか?」
「な、何がですか?」
「そうやって素の自分を見せるのは悪いことじゃない」
「で、でも素の自分を見せるのって恥ずかしくて……それにお前みたいなブスが調子に乗るなとか言われたりでもしたら……っ」
「お前みたいなブスが調子に乗るな」
「ひぃぃっ、やっぱりごめんなさいぃぃ!」
「冗談だ。つか自己評価低すぎな」
愛里の頭を軽く小突きながら言う。
愛里がブサイクだとしたら世の中の大半がブサイクってことになっちまう。
それはさすがに酷すぎるだろう。主に他の女子連中が。
「お前は自分に自信を持つところから始めた方がいいかもな」
「ううっ……ごめんなさい」
「そのすぐに謝るクセもどうにかした方がいいだろうな」
「…………」
「だからって黙るのはナシだろ」
「理不尽っ!」
今の一瞬で愛里がダメダメすぎるってことがよくわかったな。
ってオレが偉そうなことを言える立場でもないんだが。
「まずは少しずつ始めればいいだろ。何事も積み重ねが大事だからな」
「はい……でもどうしたらいいんでしょうか。本当に難しくって」
「さっきも言ったが素の自分を見せればいいんじゃないか?」
「でも――」
「それ以上は会話がループするからストップだ」
「は、はい……」
同じ会話を繰り返すのは、塞ぎ込んだ人間と同じで非効率だ。
「少なくともオレの前ではできてるじゃねーか」
「それは朝霧くんが、他の人と違って怖くないから……」
「怖くない? オレが?」
オレが?
「はい」
……ユニークな冗談だ。そう思ったがどうも愛里は本気で言ってるらしい。
オレを見て怖くないっていうのは牙を剥いたライオンを見て怖くないって言うようなもんだぞ。
自分のことながら目が腐ってるとしか言いようがない。
「それは勘違いだな」
「勘違いですか……?」
「お前は友達が少ないだろ?」
「うっ……」
オレが事実を口にすると、愛里がダメージでも受けたかのように胸を手で押さえていた。
「だから会話をする機会も少ない」
「…………ううっ」
その一言がトドメになったのか、遂には崩折れてしまう。
心なしか目元には涙が溜まっているように見えた。
さすがに言い過ぎたか。
「でもそういうことだ」
「……? どういうことですか?」
「要は誰でもよかったってことだろ」
そう、これはオレじゃなくても同じことが成立していたに違いないからだ。
誘拐された被害者が犯人に対して同情的あるいは特別な感情を抱いてしまうように、普段周りから浮いていることで人に優しくされると他人がとてつもなく好意的な人に見えてしまうようなもの。
だからこれがオレではなく清隆や鈴音だったとしても同じことを言っていたに違いない。
「違いますっ」
しかし、愛里は珍しいほどに大きな声でそれを否定した。
「朝霧くんは、他の人と比べて目が怖くなかったから」
「目が?」
オレがぐぐっと愛里に顔を近づけると、ささっと後ろに引かれてしまう
「逃げてんじゃねえか」
「こ、これは違うんですっ!」
「どう違うんだよ」
「その、説明は難しいんですけど……瞳の奥っていうか、相手の目を見れば何となくわかるんです。その人の内面というか、本質的な何かがわかるんです……」
「ほんとかよ」
にわかには信じがたいが、本人は本気も本気のようだ。誤魔化している気配や嘘を言っているような感じが一切ない。
それはそれでどうなんだろうな。
「すいません。わざわざ来てもらってまで変な話をしてしまって」
「また謝ってるぞ」
「ご、ごめ――ありがとうございます。話を聞いてもらって」
「気にするな」
たまにはこういうのもいいだろう。たまにはな。
「話を元に戻すが、明日は大丈夫そうか?」
「今からとても不安です……」
最初に部屋に来た時同様に顔を下げ、不安そうにする愛里。
「だったら辞退するか?」
「……みんなに迷惑をかけるわけには……」
「確かに辞退したらクラスに迷惑がかかるかもしれない」
「そう、ですよね……」
「だけどな……別に辞退したって誰も文句なんて言わねぇよ」
「え?」
オレの一言に愛里が首を傾げる。
「元はと言えば問題を起こしたオレたちが悪いんだからな。お前は実際何もしてない、だろ?」
「そうですけど……」
「だから気にするな……って言っても難しいだろうな。まあ、オレに任せておけ」
「……わかりました。明日までゆっくり考えてみます」
オレの一言で多少は不安が柔らいだのか、少しほっとした顔を見せる。
「だからって徹夜はするなよ?」
「善処しますっ」
これはダメなヤツかもしれんね。
「今日は本当にありがとう。私なんかのために……」
「回り回って自分のためだ。気にすることじゃない」
何から何まで人のために行動していたわけじゃない。
すべてのことは自分に通ずる。人間というのはそういう生き物だ。
明日、愛里が本当に来るかどうかはわからない。
だが何もしないよりは来る確率は増したことだろう。何もしなければ、来る可能性すらなかったに違いない。
そう考えればオレの行動は無意味ではなかった。
「じゃあ帰るぞ。本がオレを待ってるからな」
「あっ、おやすみなさい」
手をひらひらと振り、オレは部屋から出ていく。
「さて、どうしたもんかねぇ……」
そう呟きながらもオレの中では既にやることは決まっていた。
久しぶりの執筆すぎて、何が何だかといった感じですが無事に投稿出来ました
なので1話から執筆し直し、色々と加筆修正などを加えさせていただきましたので内容を忘れてしまったという方は最初から読んでみてください。
次回の更新は早くても一週間、遅くても一ヶ月以内には更新するつもりです
お楽しみに。
ところで海斗らしさって何ですっけ……?
私の中での海斗像はこうじゃないって言ってる気がします……。