桔梗とのデート当日。いや、桔梗と愛里とのダブル(で)デートの当日。
オレはお昼前のショッピングモール前にあるコーヒーショップ付近で待ち合わせをしていた。日曜日の午前中ということもあって、人の数は星のように存在している。何もこんな人混みのある場所で待ち合わせしなくとも学生寮の前で合流した方がいいんじゃないかと思わなくもないが、それは言わぬが花だろう。
コーヒーショップのテラス席に腰掛けていると、店員さんがサービスでコーヒーを入れてくれたので本を読みながら桔梗のことを待つことにした。
「おはよー」
何がそんなに面白いのか、満面の笑みで桔梗がこっちに向かって歩いてきていた。
「おう」
本をパタりと閉じ、小さな紙コップに入ったコーヒーを飲み干す。
そして店員に渡す。
「ごめんね、待ったよね」
「10分34秒くらいは待ったかもな」
「めっちゃ細かっ……」
一瞬、通りで待ち合わせしていた奴らが口にしていた定番のお約束的な言葉を言おうとも考えたが、こいつ相手なら問題ないだろう。
「出来る男は1分1秒を大事にするものだ」
腕に巻かれてもいない時計を確認するような仕草をしてから、桔梗にオレはそう言った。
「本当にごめんね」
「これに懲りたら待ち合わせるするたびに男を試すような感じで待たせるのはやめろよな?」
「私、そんなことしないよっ! もうっ、海斗くんは失礼だなぁ……」
そうか? こいつなら平気でやりかねない気がするけどな。
待ち合わせに遅れてやったきた時に相手の男が『めっちゃ待ったんだけど~』的なことを言うと、内心で『こいつデートのイロハもわかってないクソ童貞野郎だわ』とか思ってそうだ。
「めっちゃありえるな」
「何が?」
「いや、こっちの話だ」
女ってのは怖い生き物だよな。
「昨日は聞きそびれたが、どうしてオレなんだ? 他に候補がなかったってわけでもないだろ」
「実は、さ。朝霧くんを指名したのって私じゃなくて佐倉さんなんだよね」
「……よくわからねえな。オレとの接点は皆無だぞ」
「私もわからないけど……もしかしたら、事件の当事者に話したいことでもあるのかも」
……ただ、それだけの理由とは思えないがどうなんだろうな。
まあ、機会があれば本人から話が聞けるだろう。
「ところで休日に会うのは初めてだよね。海斗くんの私服とか何か新鮮な感じ」
オレの服装を見て、桔梗がそんなことを言う。
「オシャレだろ?」
「う、うーん……オシャレ、なのかなあ……」
「オレくらいのイケメンになれば何を着ててもカッコいいんだよ」
今着ているのは、某アパレルショップで売っていた黒のTシャツと同じく某アパレルショップで買った白っぽいジーンズだ。並の男ならダサく見えるかもしれないが、オレにはよく馴染んでいた。まるで来世で愛用していたかのような感じがする。
そのことがわかっているからこそ桔梗も強く似合っていないとは言えないのだ。
「あはは……そうだね。カッコいいよ、うん。カッコいい」
「もっと感情を込めろ感情を」
「さて、行こっか!」
スルーしやがったな、こいつ。
「行くってどこにだよ」
「まだ佐倉さんが来てないみたいだから、もっとわかりやすいとこに移動しようよ」
「何言ってんだ? 愛里ならそこのベンチにさっきから座ってるぞ」
「え?」
そう言って、オレは影に潜むようにして座っている愛里を指差す。
「ごめんね……私、影薄くて……おはよう……」
「おはようさん」
「うっ、こっちこそごめんね? 気が付かなくて……」
「もっと反省しろ」
「ごめんなさい……」
「もっと!!」
「ごめんなさいっ!!」
桔梗は頭をめっちゃを下げ、全力で謝罪した。
「だ、だだ、大丈夫……大丈夫だから……。それによくあること、だから……」
「余計に困らせてんじゃねーか」
「うっ……って海斗くんがやらせたんだけど……」
「お前はオレがやれって言ったら何でも言うことを聞くんか? あぁん?」
もしそうなら今すぐこの場で全裸にひん剥いてるところだ。
そうなったらオレは停学をすっ飛ばして退学になること間違いなしだろうが。
「というか格好が悪いんじゃないか?」
愛里は目元深くまでキャップを被り、メガネにマスクをしている。元から暗い感じなのにそんな格好をしてたら個人を認識出来なくなるのも当然だろう。
「不審者、っぽい……ですよね。ごめんなさい」
「別に不審者とは言ってないが……お忍びで遊びに来ている芸能人みたいなもんだろ」
オレが適当にフォローするが、本人はすでに不審者同然の格好だと思ってしまったらしくマスクを外してしまう。
見た目も悪くないし、暗そうな雰囲気さえなくなったらアイドルみたいに見えるんじゃないだろうか。
これで桔梗のように明るい性格だったら、桔梗より人気者だったかもしれない。それだけに惜しい。
「デジカメの修理ってショッピングモールの電気屋さんでいいんだよね?」
「そこで大丈夫、です……すいません、こんなことに付き合わせてしまって」
「まあ、気にするなよ。こいつが全面的に悪かったって言ってたからな。精々コキ使ってやってくれ」
「私、全面的に悪いだなんて言ってないんだけど……部分的に悪かったと思うって言ったんだけど……」
愛里は何度も頭を下げ、申し訳なさそうに謝っている。桔梗は桔梗でブツブツと小さく文句を口にしているが、あまり大きな声で言えば愛里が余計に申し訳なく思うだろうと考えて強く言えないでいた。
何というか、すでに先行きが不安なデートだぜ、まったく。
§ § §
学校敷地内にあるショッピングモール内部には様々な店舗があり、非常に充実している。中にはオレでも知っているような場所もあるくらいだった。その利用客のほとんどが学生だって言うんだから何とも贅沢な話だ。中には一回も利用されることもない店舗だって存在しているだろう。他にも冷房設備や電気代などを考えたら、馬鹿にならないほどのお金がかかっているに違いない。それでも問題なく何年間も運営を続けられるというのだから驚きだ。
いったい、この学校のどこにそこまで価値があるというのか。もっと削るべき点があるのではないかと素人ながら思わずにはいられなかった。
「えっと、確か……修理はあっちでやってたよね」
「知ってるのか、桔梗」
「前に電気屋さんには何度か友達と来たことがあってね」
オレはここに来たのは二度目だったが、桔梗は何度かここに訪れているらしい。
そんな桔梗の後ろをオレたちはついていく。
「ちゃんと直ってくれるのかな……」
不安そうな顔で、愛里はデジカメをぎゅっと握りしめる。
確かに結構がっつり床に落ちたからな。
「だからって新品を買う予算はないしな」
「うん……」
「カメラはいつ頃からやってるんだ?」
「えっと、中学生になる前くらいかな……」
「ってことは結構やってるんだな」
「うん」
「オレも最近カメラに興味を持ったんだが、オススメとかってあるのか?」
何気なく、そんなことを聞いてみた。
本では色々と調べてはいたが、やはり人から聞いた方が参考になるだろう。
さすがに今はポイントが少ないから買うことは難しいだろうが、いつか買ってみようとは思っていたのだ。
「ごめんなさい。私、その……カメラを撮るのは好きなだけで、あまりカメラのことは詳しくなくて……」
「オレも似たようなもんだから気にするな」
後半は尻すぼみになっていたが、どうやら愛里は撮る専門でカメラの質にはこだわっていないらしい。
だがオレも似たようなもんだ。
「……これは秘密にしておこうと思ったんだが、お前たちにはオレが取った写真を特別に見せてやろう」
「え、何々? 海斗くん本当に写真撮ってたの?」
「だからそう言ってただろ」
オレはポケットからスッと携帯を取り出し、今まで取った写真をこいつらに見せてやることにした。
「まずはこれが一枚目だな」
桔梗がオレの画面を覗くためにかなり至近距離まで寄ってきた。顔を少し横に向ければキスでも出来そうなほどに近い。対して愛里は少しだけ距離を取りつつも見える位置にまで身体を寄せてくる。
「すっごいブレブレなんだけど……」
「人なのかな……?」
「正解だ」
オレが見せたのは、記念すべき第一作目。図書室でひよりのことを撮影した時の1枚だ。
ブレすぎててもはや被写体が光の集まりか何かに見える。
「最初はこんなもんじゃないか?」
「うーん、初めての人でももっと上手く撮れるんじゃないかな」
こいつ本当に遠慮なく物を言うヤツだな。
しまいには泣くぞ。
「だ、大丈夫だよっ……! 私も、最初は手が震えて上手く取れなかったから……!」
「お前だけだよ、そう言ってくれるのは……」
おかしいな、涙が出てきそうだ。
愛里の優しさが目に染みるぜ……。
「じゃあこれならどうだ」
「これってもしかして椎名さん?」
「そうだが……知ってるのか、桔梗」
「特別親しいってほどじゃないけど、軽く話したことはあるかな。ちょっと雰囲気が独特な感じはあるけど可愛い子だよね。仲いいの?」
「会ったら軽く話す程度にはな」
「へー、海斗くんって仲良い人いたんだね」
「…………」
何だかさっきから当たりが強い気がするな、ほんと。
……次に見せたのは、夕日をバックにしたひよりの写真だ。
オレが今まで撮ってきた中でも上位に入るほどのお気に入りの1枚である。
まさに読書少女の1日って感じがいい。
「って椎名さんばっかりじゃん!」
「そうだね……その、椎名さんが好き、なの?」
「ただ単に近くにいたからだが……まあ待て。ほら、これは人じゃないぞ」
「……バナナ? 何でバナナ?」
「すごく大きいだろ?」
「そうだね」
「…………」
これはカメラの機能を使い始めた時の写真だ。
携帯のカメラは思っていたよりも高性能だったみたいで、F値ってのを調整すると被写体だけをくっきりと写すことが出来るのだ。それの練習としてまず撮ったのがバナナだった。
本にも書いてあったが、最初のうちは失敗を恐れずに撮りまくることが大事らしい。なのでオレは単体を撮ることで撮影を楽しむことにしたのだ。
そうしてオレは撮った写真を次々とスライドさせた。
バナナ、リンゴ、コーヒー牛乳のビン、本棚、部屋全体が写った写真、学校の屋上、部屋のカードキー、山菜定食、特別棟の廊下、夜の空(星は写っていない)、学生寮の入り口、バスケットゴール……などなど。
単純な写真ばかりだが、撮る角度を変えるだけで結構様変わりするもんだから写真は奥が深い。
とにかく身近にあるものを撮りまくった写真を二人に見せていく。
「とまあ、こんな感じだ」
「へえ、意外とハマってる感じなんだね。てっきり海斗くんのことだから佐倉さんに合わせてるだけだとばかり思ってたよ」
「いい加減怒るぞ……」
「ごめんごめん」
桔梗は軽い感じでウィンクしながら謝ってくるが、然程も謝意を感じないのに許してやろうという気になるのは顔が良いからか。
「でも素敵だと思います……」
「そうか」
自分の趣味を素直に褒められると何だか気分がいいな。
「で、あそこが修理する場所か?」
「そう、あそこが佐倉さんのカメラを直してくれるとこだよ」
どうやらすでに目的地についていたようだった。
1番端の奥の方に修理屋はあるようで、暖簾のようなものが垂れていてアダルトコーナーみたいだ。
そして、そこにいる店員も実に怪しそうだ。
「あ、う…………」
そのことに愛里も気が付いたのか、さっきまで淀みのなかった歩調に乱れが生じ始め、横顔から嫌悪感が滲み出ていた。
「あっ、もしかして……」
「アレが例の店員か」
確かに愛里みたいなヤツが行くにはちと難易度が高いかもな。
「とりあえず行かないことには修理できないだろ?」
「そうだね……う、うん……大丈夫」
何とかといった感じで、愛里と桔梗は二人で修理屋に向かっていく。そんな二人をオレは後ろから少し離れた場所で二人を見守ることにした。
さすがは桔梗だ。初対面でなおかつ明らかに怪しい店員が相手でも笑顔で話をしている。やや顔が引きつった状態の愛里の代わりに受け答えをしていて、重要なところだけ愛里が答えるといった感じだ。
しかし、その桔梗でも相手は手に余るほどのしつこさを相手は持っているらしく、客を相手にナンパをし始めていた。何やらよくわからないアイドルのライブコンサートに行かないかと誘っているようで、話が進まないため愛里の顔色がよりいっそう悪くなっている。
というか初対面で最初のデート先がアイドルのライブコンサートってどうなんだ? せめて映画館とかだろ。その映画館ですら最初にデートするにはハードルがやや高いらしく、人気の多い場所がオススメだとひよりが読んでいた本に書いてあったぞ。
つか桔梗が嫌な顔の一つもしないのが悪いんじゃないか? そういうのを相手にする時は全力で否定しないと押せばいけると思われかねない。実際に店員はそう思っているかもしれない。
5分ほどかかってから、ようやく具体的な話へと移った。どうやらカメラは落下の衝撃でパーツが粉砕し、喪失してしまったみたいだった。その程度の故障であれば無料保証範囲内のようで、修理費は一切掛からないとのこと。
あとは必要な手続きを済ませ、カメラを渡して終わり……なのだが、愛里の様子が少しおかしい。ペンを持った手が僅かに震えている。どうやら何か問題でも発生したのかもしれない。
「……ったく」
仕方なく、オレも行くことにした。
「どうかしたのか?」
「その、佐倉さんが……」
「――――」
顔を出した瞬間、店員がオレに敵意の視線を向けてくる。
どうやらオレはお呼びじゃないみたいだが、引くわけにはいかない。
「ちょっと貸してくれ」
「あ……」
愛里の手からペンを奪い取り、オレが代わりに書類にサインをする。
後ろにも並んでいるし、ここは手っ取り早く済ませた方がいいだろう。
「ちょ、ちょっとキミ! このカメラの所有者は彼女だよね? そういうのはちょっとさあ」
「悪いな、実はこのカメラはオレのなんだよ」
「う、嘘はいけないんじゃないのかな? そういうことされるとこっちも困るんだよね」
何が何でも愛里にサインさせたいのか、断固として譲らない店員。
いったい、何が彼にそこまでさせるのか。オレにはわからないが……。
「じゃあ逆に所有者がオレじゃないって証明出来るのか? このお店で買ったっていうメーカー保証はあるが購入者の名前はどこにも書いてないだろ」
「か、彼女が持ってきたじゃないか……」
「オレが頼んだんだ」
「……それでも、彼女が書くのが筋ってもんじゃない? それとも書けない理由でも……」
「あ?」
「ひ、ひっ……だ、大丈夫、です……」
何だか急に大人しくなったな。
オレは必要な場所に記入し、修理の手続きを済ませた。
修理期間は約2週間らしく、その間は写真を撮ることが出来ないため愛里は軽く落ち込んだ様子だった。
「あ、ありがとう……朝霧くん。すごく、助かったよ……」
「別に気にするな。大したことじゃない。それにわかってると思うがさっきのは冗談だからな?」
言っておかないとオレにカメラを取られたと勘違いされてもアレなので、一応だが言っておく。
「う、うん……あの店員さん、ちょっと気持ち悪かったよね……?」
「ああ、あいつは痴漢常習犯だろうな」
「海斗くんはさすがに言い過ぎ……でも、ちょっと怪しかったかもね?」
いや、あれは間違いなく痴漢をやったヤツの目だったぜ。
このオレが言うんだから間違いない。
「ま、前に来た時もあんな感じで……」
「さすが佐倉さんを視姦してただけはあるね」
「おいっ、変なことを言うな」
「……??」
どうやら愛里は視姦の意味がよくわからなかったみたいだ。
オレは内心でほっとした。
「今日は櫛田さんも本当にありがとう……おかげであんまり話し掛けられずに済んで」
「いいよいいよ、これくらいならいつでも言って?」
「うん、その時はまた頼むね」
最初に桔梗と愛里が教室で会った時はどうなることかと思ったが、今日という1日で2人は仲良くなったみたいだな。
どうにも女子というのはそういう傾向にあるらしい。それと同じく疎遠になるのも一瞬だとも聞いたことがある。本当に怖い生き物だよな、女子ってのは。
「オレちょっと小便に行ってくるわ」
トイレに向かうオレに桔梗がデリカシーがどうのと文句を言っていたが、気にせずにその場を後にする。
向かうのは男子便所――ではなくさっきの店員がいた場所。ちょうど客がいなくなったタイミングでスタッフオンリーと描かれた暖簾を潜り入っていく。
「なあ、ちょっといいか?」
裏で預かったカメラを見ていた男の肩に手を乗せ、話しかける。
「ちょ、き、キミはっ……ここは部外者立入禁止の場所なのがわからないのかっ」
最初こそ酷く動揺していた様子だったが、この場所が立入禁止であること認識した途端に強気な口調へと変わっていった。そのことに対してオレが何か思うようなことはない。
オレは店員で無言で睨み付けながら壁の方へと押し付ける。
「そんなことよりもあんたに頼みたいことがある」
「た、頼みたいことだって……?」
「ああ、別にそう難しいことじゃない。この携帯に対応したメモリーカードを貸してほしいだけだ」
オレは携帯を掲げ、男に見せつける。
これに使用されているメモリーカードは市販のものよりも少し高価な専用のものが使用されている。それを購入するにはオレの手持ちでは少し難しいのだ。
「そ、そんなこと言われても無理に決まってるだろ?ほ、欲しいなら買ったらどうなんだ」
「これは関係ないんだが……あんた愛里……佐倉とは前々から知り合いらしいな」
「……っ」
完全に口から出まかせだったんだが、どうもビンゴらしいな
男の顔色が完全に変わる。瞳孔が開き、顔から冷や汗が出ていた。明らかに動揺していることがわかる。
何を隠しているかまでは知らないが、少なくとも明らかにされては困るようなことらしい。
「オレとしてはあんたがやってることをとやかく言うつもりはない。ただ、オレはメモリーカードを貸してくれるだけでいいんだ」
「お、脅すのか……っ!」
「おいおい……別にオレは脅しちゃいないぜ。まっ、あんたがいいって言うなら今の話はなかったことにしよう」
そう言って、オレは男から離れ……そのまま帰ろうとする。
「ま、まてっ……! わ、わかった……貸す、貸せばいいんだな!?」
「悪いな」
「くそっ……!」
男は悪態を吐きながら、オレにメモリーカードを渡してくれる。
「ぜ、絶対に貸せよ! 後、例の件も黙ってろよ!?」
「もちろんだ」
例の件とやらは知らないが、こうしてオレは無事に予備のメモリーカードを手に入れることが出来た。
さて、あいつらの元に戻ろう。
「ふぅ、待たせたな」
「おかえり……」
「手、ちゃんと洗った?」
「何で手を洗うんだ?」
「海斗くん汚なっ!」
……ああ、そういうことか。
そういえばトイレに行くって言ってきたんだったな。
「冗談だ」
「うへぇ……海斗くん冗談は笑えないからなぁ……」
そんなことないだろ。
オレは常にウィットに富んだ会話しかしていないはずだ。
トイレだけにウェット(湿った)な手ってな。
「そういえば、さっきから見てて思ったんだけど……佐倉さん、前にも私と会ったことない?」
「そりゃ同じクラスなんだから何回もあったことあるだろ」
「そうじゃなくって……こう、何か教室とかじゃないような場所で会ったことがあるような気がするんだよね」
「……今どきのナンパにしては古いんじゃないか?」
さすがにそれはどうかと思うぞ。
今どきの女の子として。
「ナンパとかじゃないからっ」
「い、いえ……ないと思います、けど……?」
「ごめんね。急に変なこと言って。何となくそう思っちゃって……あっ、そうだメガネ外してみて貰えないかな?」
「ええっ!? め、メガネを!? そ、そそ、それはちょっと……私、目がすごい悪いので……」
何かメガネを外すことにトラウマでもあるのか、愛里は全力でそれを拒否する。
さすがに桔梗もその反応で踏み込みすぎたと思ったのか、引くことにしたようだ。
……視力がそんなに悪いようには見えないが、まあ……メガネをしている女子は外した姿をブサイクだとか思っているヤツもいるらしいからな。スッピン姿を晒すようなものなのだろう。
「あの……今日は本当にありがとうございました。すごく助かりました」
「さっきも言ったけど、これくらいなら全然平気だよ。それとよかったら普通に話してくれないかな? せっかく同級生なんだしさ」
確かにオレたちに向けた口調は後輩が先輩に対する言葉遣いに似ているかもしれない。
「オレは喋りやすい方でいいと思うけどな」
「う、ううん……その、意識してるわけじゃなかったから……」
「私はもっとタメ口みたいな感じの方が好きかな」
「わ、わかり……わかった、頑張ってみるね……」
「無理はしないでね? 海斗くんが言ったように楽な方でいいと思うからっ」
「だ、大丈夫……私も……から…………」
俯きがちな愛里の言葉はぼそぼそとしたものだったが、オレたちと仲良くすることに不満はないようだ。むしろ自分からも仲良くしたいと思っているみたいだな。
今日1日という短い期間で考えれば、かなりの進歩と言っていい。最初なんて会話すら生まれなかったくらいだ。さすがはクラスの人気者だな、距離を詰めるのが巧い。
「それじゃあ、今日は楽しかったよ。また学校でね」
目的を終え、桔梗が解散を切り出す。
そのことにオレも異存はなかったが、愛里は何故かその場で立ち止まったままだった。
「あの……っ」
立ち去ろうとするオレたちに向かって、愛里にしては大きめの声で呼び止めた。目を真っ直ぐとこちらに向けているのも珍しい。
「えっと、朝霧くんのこと……今日のお礼って言うと変だけど、よかったら……私――」
愛里なりに頭の中で言葉を整理しながら、ゆっくりとだが意思を告げた。
「……朝霧くんのこと、私にも協力させて……っ!」
桔梗が考えていたであろうもう一つの目論見を、愛里は口にした。
ここまでの道筋を考えた上で、今日の予定を立てていたのだとしたらさすがとしか言いようがないな。
桔梗は僅かに困惑したような表情を見せ、意図を確かめようとする。
「それって、佐倉さんが喧嘩の場面を見てたってことだよね?」
「うん……。私、全部見てたよ。本当に偶然なんだけど……そう、だよね? 朝霧くん……」
唐突にオレの方を見て、愛里がそんなことをオレに聞いてきた。
「オレ?」
「う、うん……あの時、身を隠そうとした私を朝霧くんが見てたから……」
「そうなの?」
隣の桔梗が『なんで黙ってたの』と言わんばかりの目をこっちに向けてくる。
まさか見てたのがバレてたとはな。ほんの一瞬のことだから気付かれてないもんだとばかり思ってたぜ。
さて、どう答えたもんか。
「あー、言われてみればそうかもしれねぇな」
「て、てっきり、私が何も言わないから……黙っててくれたのかと思って……」
「うーん、さすがに海斗くんも当事者なんだし気づいてたら言うんじゃない?」
「そう、だよね……」
…………どうやら上手く誤魔化せたみたいだ。
「それよりも本当にいいの? 無理、してない?」
「大丈夫……今日、2人に付き合ってもらって……黙ってたら後悔すると思ったから。私もね、クラスメイトを困らせたいわけじゃないの……ただ、その……目撃者として名乗ったら注目されちゃうと思って……それがイヤで……ごめんなさい」
謝りながらも自分の思ったことを口にする愛里。
そんな愛里の手を桔梗が取り、自分のことのように喜んでいる。
「ありがとう佐倉さんっ、これで事件も解決出来るよっ!」
ようやく事件解決に一つ近づいた形となったのだった。
§ § §
その日の夜、オレは愛里から電話を受けていた。
ショッピングモールから帰り道で、オレと愛里は連絡先を交換していたのだ。
「あの、佐倉です……」
「おう」
「えと、朝霧くん……だよね」
「オレ以外の誰かがオレの携帯から出たらビックリだな」
「そ、そうだよね……」
さっきハクが勝手に電話を出ようとしてて心臓が止まるかと思ったことを愛里は知るはずもない。
「で、何かあったのか?」
「き、今日は付き合ってくれてありがとう」
「気にするな。特に用事もなく暇だったからな」
まさかとは思うが、それだけのために電話してきたんじゃないよな?
……ありえないことはない。女ってのは甘い物と買い物と長電話に目がない生き物って聞いたことがある。
事実、桔梗もさっき特に用もないのに電話してきたくらいだ。
「どうしても気になるってなら今度オレに撮影のコツとかを教えてくれよ」
「う、うん……わかった。でもそんなに上手く、ないよ?」
「上手い下手はこの際置いておくとして、こっちは完全に初心者だからな。始めてから一ヶ月も経ってない」
「……そうだね」
初心者として、色々と教えられることも多いだろう。
それくらいにオレは詳しくない。
精々が知っていたとして被写体とのピントバランスくらいだろうか。
「えっと……その、今日のことなんだけど、ね?」
「何だ?」
「何か、私に対して感じたこと……なかった?」
「オレが?」
「……うん」
そう言われてすぐに思いつくようなことはなかったが、少しだけ考えてみる。今日、こいつに感じたことと言えば……メガネを外すことに強い抵抗を感じていたことだろうか。愛里が本当は視力が悪くなく、度の入っていないメガネを着用していたとしてもオレは特に何も感じることはない。むしろファッションとして伊達メガネを着用する人は少なくないだろうからな。それが愛里にとってのアイデンティティとなっていれば、外すことに抵抗を覚えたとしても何ら不思議じゃない。
はたして、そのことを言っているのか。そして、そのことをオレが指摘してもいいのか。もしかしたら、もっと別の何かを指しているのではないのだろうか? たとえば――修理屋にいた店員の話とか、な。
人というのは何かしらの秘密を抱えて生きているものだ。それを暴くというのは、過度なストレスを与える行為に他ならないだろう。たった今、こうして聞いているのはその秘密がオレや他の人間に知られたくないからこそ、一応の確認をしているだけなのかもしれない。そう考えれば、オレから敢えて口に出す必要はないはずだ。
「いや、特にないな。何かあったのか?」
「ごめんね、何でもないの……おやすみなさい」
早口でそれだけ言って、愛里は電話を切ってしまった。
何があったのか、オレとしても気になるが答えたくないものを無理に聞く必要はない。
愛里が目撃者として名乗りを上げただけでも大きな一歩なのだ。これ以上望むことはないだろう。
……今日1日で事件解決への糸口が見つかった。が、それだけで簡単に解決するとは思えなかった。愛里がどれだけ強く主張をしようとも十分な証拠にはならないのではないだろうか。もちろん可能性の話だ。愛里の主張によって見事に事件がすぱっと解決することだってある。だがそうはならない可能性の方が高いだろう。
何故なら、これは誰かによって仕組まれた事件だからだ。
――しかし、その事件もオレが動けば、一瞬で解決できる。
それをやるのか、否か――そのためのピースはすでに揃っている。
……本編とは関係のない話になりますが、原作11巻を読ませていただきました。今回も面白かったですね。でもまだ読んでいない方もいらっしゃると思うので、感想欄ではネタバレなどは今月が終わるくらいまでは控えて頂けると幸いです。
また、本作でも今後の展開で11巻で判明した設定も入れていくつもりなので、ネタバレを気にする方は出来るだけ原作に目を通してから本作を読むことをオススメします。
でも原作に追いつくのは相当後の話だと思う……。