俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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終局 Ⅱ

『逃げる?とんでもない。待っていたんだ』

 

 聞き覚えのある声がしたかと思うと、ダリルの鎧は勢いよく斜め後方に引っ張られた。

 こちらのコックピット目掛けて剣を突き刺そうとしていた敵機が見る見る離れていく。

 

 二百メートルほどは離れた時、不意に敵機が脱力し、羽交い締めにしていた腕が外れた。そのまま敵機は力なく海に落ちていく。

 

 自由になったダリルの鎧は慣性であらぬ方向へと飛んでいくが、巨大な手がその左手を捕らえた。

 見上げると、そこにはマゼンタ色の炎を噴き出す巨大な翼を持った純白の鎧がいた。

 見間違えようもない。

 アヴァリス──最も頼りになる友軍機がそこにいた。

 

「エステル──様?」

 

 鎖が巻き取られる甲高い金属音と共に、アヴァリスが飛槍を回収して発射砲に戻す。

 どうやらダリルを羽交い締めにしていた敵機に、背後から飛槍を撃ち込んで引っ張ることで救出してくれたらしい。

 

『命拾いしたな』

 

 通信機からエステルの声が響く。

 それに続いて聞き覚えのある仲間たちの声も次々に響いてきた。

 アヴァリスの後ろから次々に味方の鎧が姿を現し、敵鎧部隊目掛けて襲いかかっていく。

 

『ダリル!お前という奴は──』

『一人で殿とか何やってんだ馬鹿野郎!』

『勝手に英雄気取りしやがって!仇はきっちりとってやるからな!』

 

 おい三番目勝手に殺すな、と思わずツッコミかけたダリルだったが、はたと大事なことを思い出した。

 

「皆なぜここに!?敵の本隊は!?」

 

 そう──今敵の増援部隊に襲いかかり、蹴散らしている味方機は第一任務部隊の所属機だ。

 彼らは敵艦隊と戦っているはず。このタイミングでここに来るなどあり得ない。

 その答えはアヴァリスに乗るエステルから返ってきた。

 

『ああ、ぶちのめしてやった。私だけでも飛行船七隻と鎧百機くらいは落としたかな。それで奴ら尻尾巻いて逃げていったよ。正直暴れ足りないと思っていたところに、お前らがピンチだって報告が来たんでな。加勢しに来た』

「そ、それは──かたじけない。助かりました」

 

 まるで現実味がない馬鹿げた戦果を上げながら、まだ暴れ足りないと宣うエステルにダリルは内心呆れ返りつつも感謝する。

 

 そしてエステルはダリルの鎧を放して、代わりに大剣を手にし──思い出したようにダリルの方を向いて言った。

 

『そういえばお前、あの剣はどうしたんだ?まさかまた奪られたんじゃないだろうな?』

「は、いいえ。敵に右腕ごと切り落とされて、海に落ちてしまいました。面目次第もございません」

 

 敵に囲まれてどうしようもなかったとはいえ、思い出すだに口惜しい。

 あの伝説級のロストアイテムである漆黒の大剣を失ったのはこれで二度目だ。

 

 一度目──空賊との戦いの際には、功を焦っての判断ミスで空賊の頭領に奪われ、それで斬り殺されかけた。

 絶体絶命だったダリルを救い、奪われた大剣を取り返したのはエステルだ。

 そしてエステルはそんな大失態を犯したダリルに再度大剣を託してくれた。他に適任者がいなかったというのもあるだろうが、極めて寛大な措置である。

 ダリルはこの措置に大いに感謝し、次は絶対に手元から離すまいと誓った。

 にも関わらず、また失ってしまった。しかも今度は海に落ちて沈んでしまっている。回収は不可能だろう。

 

 別に自分が失態に対する処分を受けることはどうでもいい。

 だが、あのかけがえのない値打ちがある大剣──希少性はもちろんのこと、エステルが自身の命運を懸けた決死の冒険の末に持ち帰り、一度は彼女を鎧で追い立てて撃墜しようとし、あまつさえ名誉と誇りを地に落とされたと逆恨みした自分を二度も信じて預けてくれた大切な武器──を海に沈めてしまい、そしてまたエステルに助けられておめおめと生き残ってしまったのが情けない。

 このまま戻ってもエステルに合わす顔がない。

 

 だが、ダリルの弁明を聞いたエステルは特に怒ったりはせず、淡々とした物言いを崩さなかった。

 

『そうか──まあいい。さっさと母艦に戻って整備と補給を受けてこい。一人で飛べるな?』

「は?は、はい!飛べます」

『よし』

 

 そう言ってエステルは鎧の翼から炎を噴射して戦闘空域に飛び込んでいった。

 

『おいお前ら!私の分も残しておけよ!』

 

 エステルの楽しげな声が通信機から響く。

 

 ダリルは拍子抜けしたまま母艦への帰途に就いた。

 エステルはあのロストアイテムの大剣を失ったことに何らの痛痒も感じていないようだった。

 何故だか、それがどこか──恐ろしかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 案内人は馬車を追ってくる番兵たちとアーヴリルの存在に気付いていた。

 

「くそっ!もう気付かれたのか。さっきといい、一体どうなっているんだ」

 

 さっき、というのはオフリー家の潜入部隊が、屋敷でティナと鉢合わせして彼女を殺害しようとした際、アーヴリルの介入で失敗したことだ。

 まるで自分の企みが筒抜けになっているかのような──以前であれば考えられない失敗の連続に案内人は苛立っていた。

 

「この役立たず共が──」

 

 忌々しげに馬車を駆る潜入部隊を睨みつける。

 彼らが思い通りに動かないせいでティナもアーヴリルも殺すどころか傷つけることさえできていない。

 

 いっそここに捕らえられているティナだけでも自分の手で殺そうかとも思ったが、できなかった。

 彼女の身体は見えない障壁に守られているかのごとく、案内人の接触を拒むのだ。

 以前なら簡単に捻り潰せたであろうに、今では指一本触れられない。無理に触れようとすれば激痛が走る。

 やはり潜入部隊に殺させるしかない。

 

「ええいくそっ!今だけは手を貸してやる。だが、全てが片付いたらお前たちには地獄を味わって貰うからな!」

 

 案内人は腹を括り、潜入部隊が追手から逃れるのに力を貸すことを決めた。

 潜入部隊には何としても追ってくる番兵たちとアーヴリルを返り討ちにさせ、その上でティナを殺害してエステルの心に消えない傷を残して貰わなければならない。

 絶対に、ここで負けて人質を奪還されるわけにはいかない。

 

 そして案内人は潜入部隊に警告を発する。

 

「後ろを見ろ!追われているぞ!」

 

 潜入部隊の隊長が反応し、窓から後ろを覗く。

 

「追手だ!」

 

 隊長が叫ぶと、潜入部隊は即座に武器を手に取り、臨戦態勢を取る。

 

 

 

「ッ!気付かれました!」

 

 ティレットの部下が叫んだ直後、銃声が響いた。

 馬車の窓から白煙が上がっているのが見える。

 

「奴ら撃ってきます!」

「私の真後ろにつけ!ランス様、シールドを!」

「はい!」

 

 アーヴリルが馬の前方にシールドを張り、他の番兵たちが馬ごとその後ろに隠れる。

 

 敵の銃撃はなおも続き、弾丸が何発もシールドに当たっては甲高い音を立てて跳弾する。

 更には銃弾に混じって風の刃と氷の矢弾も飛んでくる。

 

 風の刃はともかく、氷の矢弾は厄介だった。

 銃弾よりも威力が大きく、着弾するたびにシールドがひび割れを起こす。

 魔力を注ぎ込んで壊れた側から修復することでどうにか凌いでいるが、このままでは追いつく前に魔力が底を突きかねない。

 

 それを見たティレットが呪文を詠唱し、火球を放った。

 火球は過たず、飛んでくる氷の矢弾を捉え、炎に包んで蒸発させた。

 他の番兵たちも次々に炎魔法の火球を投射し、飛んでくる氷の矢弾を迎撃する。

 

「氷は私たちにお任せを。貴女は銃弾と風の防御に集中してください!」

「ッ!かたじけない!」

 

 氷の矢弾を迎撃して貰えることで、アーヴリルに余裕ができる。

 そしてアーヴリルはもう一つ、魔法を使う。

 

「風よ──我が背を支えよ!」

 

 対象を浮き上がらせ、歩幅を増やすことで足を速める風魔法は馬にも有効だ。

 尤も、馬に使う場合は乗り手の技量を必要とするが、ティレットと番兵たちであれば十分御せるだろうという確信があった。

 

 狙い通り、ティレットたちは馬を巧みに御し、むしろ風魔法の恩恵を最大限活かせるように走り方を変えた。

 馬車との距離が一気に縮まり、敵の顔が肉眼で分かるほどになる。

 

「今だ!散開!」

 

 ティレットの合図で番兵たちが二騎ずつ左右に分かれた。 

 

 ティレット以外の三人の番兵たちが素早くライフルを構え、馬車の窓に向けて発砲する。

 悲鳴が上がり、銃と魔法でこちらを狙っていた敵が三人、撃たれて転げ落ちた。

 銃撃を逃れた敵が一人、氷の矢弾を放とうとしてきたが、アーヴリルが風の刃を投げつけると、顔面を大きく切られて内側に倒れ込んだ。

 

「よし!よくやった!」

 

 叫んで、ティレットは呪文を詠唱する。

 ティレットの腕に魔法陣が浮かび、頭上に巨大な火球が出現したかと思うと、前後に伸びて槍の形になる。

 

「貫け!」

 

 炎の槍が馬車目掛けて飛んでいき、御者台を直撃する──直前で霧散してしまった。

 

「は?」

 

 ティレットが思わず間抜けな声を出した。

 敵はシールドなど張っていなかったのに、なぜか攻撃が無力化されてしまったのだから無理もない。

 

 次の瞬間、馬車から黒い煙が湧き出し、アーヴリルたちに襲いかかる。

 アーヴリルが素早く風魔法で吹き散らしたが、反対側にいた二人の番兵は間に合わずに煙を吸い込んでしまったらしく、馬共々地面に倒れてしまった。

 これでこちらは二騎──アーヴリル、ティレット、ティレットの部下の三人だけだ。

 

「毒煙玉!?あいつらどれだけ──」

 

 ティレットが毒づくが、アーヴリルは違和感を感じていた。

 先程の黒い煙は馬車の中から湧き出てきたように見えたのだ。

 毒煙玉なら車外で炸裂させるはずであり、車内から煙を出すなどあり得ない。中にいる者も毒煙にやられてしまう。

 だが、生憎と煙の謎について考えている暇はなかった。

 

 ティレットがもう一度呪文を詠唱し、炎の槍を形成する。

 再び炎の槍が御者席に襲いかかるが、またしても霧散してしまう。

 

「くそッ!どうなっているんだ!」

 

 ティレットは怒声を上げる。

 防がれる要因などどこにもないのに、なぜか攻撃が届かない。

 あまりにも不気味な現象だった。

 

 そして馬車の窓にまた敵が現れ、ライフルを撃ってきた。

 御者席からも御者が発砲してきて、アーヴリルはシールドで弾丸を防ぐのに手一杯になる。

 並走するティレットの部下がライフルで撃ち返すが、弾丸は見えない壁に当たったかのように弾き返されてしまう。

 

 不意にティレットの部下がアーヴリルに呼びかけてきた。

 

「ランス様!風魔法でハーネスを狙えませんか?」

 

 その要請にアーヴリルは素直に従いかねた。

 なぜなら、それはここにいる全員を危険に晒すことを意味したからだった。

 

「できますが──それではシールドを消す必要が──」

 

 だが、ティレットと部下はとっくに覚悟を決めていた。

 

「構いません!我々の攻撃は通りません!可能性があるのは貴女だけです!」

「我々のことはお構いなく。やってください」

 

 二人の返事を聞いてアーヴリルはハーネスへの攻撃を決断する。

 

 敵の発砲が途切れた一瞬の隙にシールドを解除し、呪文を詠唱する。

 

 敵はその隙を逃さずに撃ってこようとしたが、ティレットと部下がそれぞれ拳銃とライフルを手に、ありったけの弾丸を放ち、敵を怯ませて発砲を許さなかった。

 

 二人が稼いだ二、三秒の僅かな時間でアーヴリルは巨大な風魔法の刃を生成する。

 残存魔力の殆どを使った、渾身の一撃。

 この一撃に、人質に取られたティナとマドラインとクライドの命、ひいてはファイアブランド家の勝利が懸かっている。

 絶対に失敗は許されない。

 

「切り裂けッ!」

 

 アーヴリルが腕を振るうと、風の刃は過たず、馬車と馬を繋ぐハーネスを直撃し、綺麗に切断した。

 

「やった!」

 

 馬車が一気にスピードを落とし、道から外れて草地に突っ込んで止まった。

 ティレットと部下が素早く馬を降り、御者席に登って御者を射殺すると、馬車の中へ突入する。

 

 アーヴリルも遅れて彼らの後を追うが、彼女が加勢する前にけりはついた。

 銃声が数発響いた後、馬車の扉が開き、ティナとマドラインとクライドがティレットたちに担がれて運び出されてきた。

 

 ティレットたちはそっと三人を地面に降ろすと、アーヴリルに手当てを頼み、馬車を牽いていた馬を連れ戻しに行った。

 

 三人とも死んだように動かず、肩を軽く叩いてみても反応がなかったが、呼吸も心拍も正常だった。

 どうやら何らかの魔法か薬物で眠らされているようだが、今のところ命に別状はなさそうだ。すぐに屋敷に連れ帰って医者に診て貰えば大丈夫だろう。

 

「よかった──本当に、よかった」

 

 アーヴリルはほっと安堵の息を吐く。

 

 エステルの家族と、彼女が大事にしていたティナを無事に取り戻せた。

 初めて、自分の力がエステルのために役に立った。

 そして──クライドとの約束を守れた。

 

 今度は嘘吐きにならずに済んだ。

 

 そのことが無性に嬉しかった。

 

 

 

「く、くそぉぉぉ!アーヴリル・フォウ・ランス──!」

 

 馬車の中で案内人は歯軋りしていた。

 

 潜入部隊が番兵たちを返り討ちにできるように色々と手助けしてやったのに、結局潜入部隊は負けてしまった。

 彼らが負けたのは番兵たちと一緒にいたアーヴリルのせいだ。

 

 馬車を少し浮き上がらせて揺れを抑え、攻撃しやすくしてやったのに、銃撃と風魔法はアーヴリルのシールドに阻まれ、氷魔法はシールドに守られた番兵たちによって迎撃された。

 

 そして追いついてきた番兵たちの銃撃と、アーヴリルの風魔法で潜入部隊のメンバーは一気に四人もやられ、また風魔法と氷魔法の使い手も失った。

 

 慌てて結界を張って番兵たちの銃撃や魔法攻撃から馬車を守り、更に呪いの黒い煙を発して番兵たちを攻撃したが、どちらもアーヴリルによって打ち破られてしまった。

 エステルへの感謝と好意の乗ったアーヴリルの風魔法は黒い煙を霧散させ、結界もあっさりと貫いて馬車と馬を切り離した。

 

 そして馬車を牽く馬を失った潜入部隊の残りは、逃走もロクな抵抗もできないまま番兵たちにやられてしまった。

 三人の人質は奪還され、番兵たちは人質を屋敷に連れ戻す準備にかかっている。

 

 このままでは潜入部隊を逃すために使った力は全て無駄になってしまう。

 残された僅かな力を振り絞り、身体が霞んで消えかかるほどに追い詰められて、その結果が失敗であるなど、受け入れ難い。

 

「ええい!かくなる上は──」

 

 案内人の掌から弱々しい黒い煙が発生し、辛うじてまだ微かに息があった潜入部隊の隊長に纏わりついた。

 

「貴様に特別にもう一度チャンスをくれてやる。あの女と獣人の小娘を殺すのだ!」

 

 隊長の身体がビクッと跳ね上がり、銃で撃たれた傷が塞がっていく。

 そして隊長はカッと目を見開き、剣を手に馬車の外へと目を向ける。

 その瞳に、屋敷で出会して仕留め損ねた金髪の若い女を捉えたその瞬間、隊長は醜悪な笑みを浮かべて、音もなく馬車の窓から飛び出した。

 

 

 

「ッ!危ない!」

 

 不意にティレットの部下が叫び、馬の背にティナを括りつけようとしていたアーヴリルを突き飛ばした。

 

 次の瞬間、部下の脇腹に剣が突き刺さる。剣はそのまま彼の身体をぶち抜いて馬にまで刺し傷を与えた。

 馬が悲鳴を上げて走り出し、ティナが振り落とされてしまう。

 

 部下を刺した犯人はそれを見て乱暴に剣を引き抜き、ティナ目掛けて剣を振り上げた。

 

「やめろッ!」

 

 アーヴリルは咄嗟に風魔法を使ったが、相手はよろめいて尻餅をついただけで何らダメージを受けなかった。

 魔力が払底していることに歯噛みしながら、アーヴリルは倒れた部下の腰から剣を拝借して、ティナを守る位置に立ち塞がった。

 

 ほぼ同時に立ち上がった相手の顔を見てアーヴリルは驚愕する。

 

「お前は──!」

 

 明らかに致命傷と分かるほどの出血で衣服が赤黒く染まっているにも関わらず、無傷であるかのように動き、目が爛々と輝き、獰猛な笑みを浮かべている男──屋敷で見た時、他の敵に指示を出していた奴だ。

 

 敵はさっき全員倒したはずなのに、目の前の男は確かに生きて動き、こちらを殺しにきている。まるで御伽噺に出てくる「動く死体(アンデッド)」のようだ。

 一体何がどうなっているのだと叫びたくなるが、口を開くことはおろか、身動ぎの一つもままならない。

 相手の僅かな動きも見逃さないよう、目線は決して逸らさず、瞬きさえもできない。

 

 そのまま一瞬目に見えない攻防を繰り広げた直後──

 

「ふんっ!」

 

 不意に横からティレットが男目掛けて斬りかかった。

 男は素早く反応し、剣で斬撃を受け止める。

 

「確かに胸に三発撃ち込んだのだがな。何とも面妖な」

 

 そう呟いて、ティレットは素早く間合いを取り、得物の長剣を構え直した。

 

 男はティレットの方に向き直り、胸を押さえて怨嗟の声を上げる。

 

「貴様ァさっきはよくも──痛い!痛い痛い痛い痛い痛い!この痛み貴様にもおおお!!」

 

 そして男は人間離れした素早さでティレットに斬りかかる。

 胸に三発銃弾を撃ち込まれてなお死なずに蘇ったばかりか、身体のリミッターが外れ、気まで狂ったらしい男にアーヴリルは恐怖する。

 

 一方、ティレットは次々に繰り出される斬撃の全てを最小限の動きでいなしながら、アーヴリルに向かって口を開いた。

 

「此奴の相手は私が。ランス様は【ピット】の手当てを!」

「──は、はい!」

 

 固まったまま立ち尽くしていたアーヴリルはようやく硬直から解き放たれ、脇腹を貫かれたティレットの部下のもとへ駆け寄る。

 

 着ていた服を脱いで傷口を押さえて止血したが、彼の受けた傷は深く、出血量があまりにも多過ぎた。

 直感で助からないとアーヴリルは悟る。

 

 私のせいだ。

 

 ティナの方に気を取られて、近づいてくる男に気付かなかった私を庇って、彼は刺された。

 

 自分の目で確かめたわけでもないのに、敵はいなくなったと思い込んで、警戒が緩んでいた。

 

 最後の最後で、しくじった。

 

「ん──」

 

 不意にティレットの部下が薄目を開けた。

 

「意識がある?ピットさん!聞こえますか?」

 

 アーヴリルは縋るような気持ちで呼びかけた。

 

 ピットと呼ばれたティレットの部下は微かに笑みを浮かべて応えた。

 

「あ、ああ──聞こえる──怪我は──ないか?」

「私は無事です。喋らないでください。血を止めていますから。あ、ここを押さえていてください。すぐに医者を呼んできます」

 

 アーヴリルはピットの手を傷口に押し当てた衣服の上に置き、馬に乗ろうと立ち上がるが、ピットがそれを止めた。

 

「いや、行かんでいい。屋敷を出る時、応援を頼んだ。そいつらがじきに追いついて来る」

「ですが──」

「分かってる。俺はもう、駄目だ。もう、目の前が殆ど真っ暗なんだ。だから──置いてかないでくれ。一人に──しないでくれ」

 

 焦点の合わない目で自分を探すピットを放っておけず、アーヴリルは彼のもとへ戻った。

 ピットの手に手を添えると、彼は安心したように表情を幾ばくか緩めた。

 

 そしてアーヴリルの方を向いて弱々しく問うてくる。

 

「な、なあ──ランスさん、あんた、この戦が終わったら──故郷に帰るのか?」

「いいえ!いいえ!私はここに留まります!ここで、エステル様に仕官します!ここでエステル様を守る任に就きます!だから──意識を保ってください!生きて、こんな怪我治して、共にエステル様をお守りしましょう!」

 

 アーヴリルは必死でピットを励ますが、彼は刻一刻と弱っていく。

 

「そう──か。よかった。頼む──あんたの、ような、腕の立つ──魔法の、使い手がいれば──エステル様は──あ、あの方を──守って──頼む──」

 

 最後の方はろくに聞こえず、口元に耳を近づけて辛うじて聞き取った。

 

 そしてピットの息が止まる。

 顔を上げると、彼の瞳は完全に光を失っていた。

 

 その瞼をそっと閉じて、アーヴリルは力の抜けたピットの手を握る。

 そして、流れ出る涙を拭くこともなく、何度も頷いた。

 

「はい──はい!必ず──」

 

 

 

「オラオラどうしたよ老ぼれえええ!」

 

 出鱈目な足捌きと出鱈目な振りで斬撃を繰り出してくる潜入部隊の隊長が楽しげな声を上げる。

 いつもの自分とはまるで違った、高揚感に支配された不思議な感覚がするが、それが心地良い。

 無限に力が湧いてくるようだ。

 

「よォ爺!何とか言ったらどうなんだあああ?」

 

 饒舌な隊長とは対照的にティレットは一言も声を発さない。

 先程からティレットは隊長の斬撃をいなすばかりで、ロクな反撃もできていなかった。

 隊長はそれを自分が圧倒しているが故と確信して、悦に浸る。

 

「いなしてばっかりじゃ勝てないぜえ?反撃しないとなあ!」

 

 挑発してみるが、ティレットは動じた様子がない。

 それが隊長の神経を逆撫でした。

 

「チッ、つまんねえ爺だな、オラァ!」

 

 ティレットが何度目かも分からない斬撃をいなした時、隊長が蹴りを繰り出した。

 肉体強化によって威力を増した重い一撃がティレットを吹っ飛ばし、ティレットは地面を転がる。

 

 剣を杖にして何とか立ち上がるが、その姿は青息吐息である。

 それを見て隊長は下品な笑い声を上げた。

 

「アハハハ!体力切れか爺!?ならさっさと死ね!」

 

 隊長は剣を両手で構えて突っ込んでいく。

 

 そして隊長の剣がティレットの長剣を払い除けて斬撃をお見舞いしようとした瞬間──

 

「──は?」

 

 隊長は間の抜けた声を発した。

 そしてゆっくりと視線を下に落とす。

 

 ティレットの長剣が深々と隊長の胸部に突き刺さっていた。

 

 いつ刺突を繰り出されたのか、全く分からなかった。

 さっきまで青息吐息でロクな構えも取れていなかったはずの老騎士が、今自分の心臓を貫いていることが理解できない。

 先程までの高揚感は消え失せ、頭の中が疑問符で満たされる。

 

 ──何をされた?

 

 ──何が起こった?

 

 その問いは言葉にならず、ティレットも言葉に出ない問いに答えることはなかった。

 ただ、脱力して剣を取り落とした隊長から長剣を引き抜いた際、ティレットは淡々と隊長の戦いを批評した。

 

「速いことは速いが、重さが乗っていない。視野が広いようでその実ロクに見えておらん。どこを狙っているのかも丸分かり。出鱈目なようでパターンがあり、それが隙を生んでいる──」

 

 そして長剣を構え直すと、冷たい目で吐き捨てた。

 

「貴様の剣など、エステル様のものに比べれば児戯に等しい」

 

 その言葉の直後、自分の首と胴が離れたことを隊長は感じ取る。

 

(はは──強えな。この爺さん──というか、エステル?まさかそいつ、この爺さんより──)

 

 その思いを最後に、隊長の意識は途切れた。

 

 

 

 隊長にトドメを刺したティレットは返り血を払って長剣を鞘に収めると、大きく息を吐いた。

 疲弊していたのは演技ではなかった。

 

(エステル様には感謝せねばな。この技を編み出せたのも偏にあの方との稽古あってのこと──)

 

 そしてティレットはピットとアーヴリルの所へと向かう。

 

 アーヴリルは涙を流しながら横たわるピットを見つめていた。

 

「申し訳ありません。助けられませんでした」

 

 アーヴリルが涙声で言った。

 

 ティレットはアーヴリルの隣に屈み、祈りの印を切った。

 

「いいえ。自分をお責めにならないでください。貴女はよくやってくださいました。貴女がいなければ奥様もクライド殿も、エステル様の専属使用人も助けられなかった。それに──彼としても貴女のような方を助けるために死ぬなら本望でしょう。主君のため、女性のため、仲間のために命を擲つ──それが騎士の男の役割です」

 

 ティレットの物言いは淡々としていたが、その表情には深い悲しみが宿っていた。

 

 

 

 馬の足音が聞こえてくる。

 見ると赤い軍服を着た地上軍の兵士の一隊が向かってくるところだった。

 

 彼らに拾われて、アーヴリルたちは屋敷へと戻った。

 

 馬の背に揺られながら、アーヴリルはピットが言い残した言葉を反芻していた。

 

「エステル様を守って欲しい」

 

 ピットのその言葉で、アーヴリルの決意はより一層固くなった。

 

 この先何があっても、エステル様のことは彼のようにはさせない。

 いざとなったら、彼が自分にしてくれたように、身を挺してエステル様の盾となろう。

 彼に貰ったこの命、彼の望み通り、エステル様のために使おう。

 

 それがピットの犠牲で生き延びた自分の責務だと、アーヴリルは信じる。

 

 

◇◇◇

 

 

「おのれ──おのれえええ!」

 

 今にも倒れそうにフラフラとファイアブランド領本島の外縁部を歩く案内人は、今にも消えそうな半透明の姿で怨嗟の言葉を吐いていた。

 

 最後に取っておいた力を振り絞って潜入部隊の隊長を蘇生させ、ティナとアーヴリルを殺させようとしたが、結局どちらも殺せないまま、隊長はティレットによって殺されてしまった。

 案内人の数々の苦労の全ては徒労に終わった。

 

 殺された潜入部隊のメンバーから僅かに負の感情を回収できたものの、力は戻らない。

 

「くそッ!このまま終わらせてなるものか。ここを出て──他の場所で負の感情を回収する。そして力を蓄えて、今度こそエステルを破滅させてやる」

 

 改めてエステルへの復讐を誓う案内人の後ろを、犬の形をした淡い光がついていく。

 


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