得をするのは結局どの勢力か?
 「劇場版正史の加賀美陸が既にワームに擬態されていた」説にはひとつ大きな問題がある。「その他大勢」のネイティブワームたちまでが協力している事実説明出来ないのだ。カブト・ガタック両名を阻止しようとしたネイティブワームの大群が先着組・後着組どちらであったにせよ、ZECTの総意として決行されたからには『天空の梯子計画』自体は少なくとも先着ネイティブワームたち(テレビ版改変史でいう根岸ら「評議会」)には承認されているハズなのだ。そうなると今度は、後着ネイティブワームたちを片っ端から虐殺させていた過去の方針と矛盾することになる。


 勿論この矛盾は、劇場版正史でもZECTの意思決定には先着ネイティブたちが関与している……という本考察独自の仮説を織り込んであるので、既に彼らが排除されていたとすれば解決出来るようにも見えるが、いずれにしても隕石の誘引そのものがネイティブワームの協力がなければ不可能な行為なのだから、先着組・後着組のどちらが主導したにせよ本来敵対関係にあるハズのアンチネイティブワームを地球に呼び寄せるのが、ネイティブワームに何らかのメリットをもたらす行為だったと解釈せねばなるまい。そこで今一度当該場面を確認してみたところ、ある単純な事実に気付かされた。


 アンチネイティブワームを積載した隕石(画面左)は、後着ネイティブワームを積載した1999年隕石(画面右)よりずっと小型サイズなのだ。画面上で単純比較してもせいぜい数分の一といった程度で、ワームの積載量が隕石のサイズに比例すると仮定した場合、仮にそのまま地球到達が成功したとしてもアンチネイティブワームの個体数は、既に地球上で大繁殖していた後着ネイティブワームの個体数に比べて圧倒的に少数であった可能性が高いのだ。

 テレビ版改変史でネイティブワームの大半はアンチネイティブワームに虐殺される身の上であったが、それは基本的に人間に保護を求め戦いを避けようと行動した結果の現れでもあり、圧倒的多数で一個体に挑みかかれば全く勝機が無かったとは言い切れないと思うのだ(一個体では戦闘力の低いミツバチが集団では蜂球を形成し、自分たちより凶暴なハズのスズメバチを焼き殺すような現実の事例もあるため)。
 これらの事実が示唆するのは、劇場版正史の地球にアンチネイティブワームが計画通り飛来した場合、地球が乗っ取られるというよりはむしろ、大繁殖していた後着ネイティブワームたちと衝突して互いに相殺し合い、結果的に両種族とも個体数が激減し共倒れしていた可能性が高いだろうということである。

 「天空の梯子計画」の真意が見えてきた。やはりこの計画は先着ネイティブワームがZECTを操り行わせたもので、増えすぎた後着組を確実に殲滅するためのいわば劇薬投入のようなものだったのだ。

 テレビ版改変史では、第15話および第16話に「天才外科医として多くの人命を救う一方でワームとして市民を殺害して回るワーム」という変わった個体が登場している。同じくテレビ版改変史で先着ネイティブ勢力のトップとして登場した根岸も、手段は最悪そのものだが掲げる理想は「争いの無い世界」「真の平和」だった。

 ではもし加賀美陸のみならず、三島正人なども含めたZECT上層部が丸ごと先着ネイティブ勢力によって入れ替わられていたとして、彼らが「ネイティブによる地球支配」「人類の滅亡回避」を両立しようとしたとき、それが全人類の記憶と人格をアンチネイティブワームに移し替えるという歪んだ手段に帰結した考えるのは不自然ではないハズだ。尤もこの場合、待ち受けているのはおそらく滅亡回避というより全人類の記憶と人格を宿したアンチネイティブワームたちが、後着ネイティブワームたちと果てしなく殺し合い続けるという悪夢のような世界なのだろうが。邪魔者があらかた死んだら、後に残った先着ネイティブ勢力だけが地球を独占して万々歳という構図である。

 ちなみにに後着ネイティブワームがZECT上層部と取引した結果実行された可能性だが、これは思いのほか低いと言わざるを得ない。彼らが自らも標的になるリスクを冒してまで敵対勢力を呼び寄せるとすれば、在り得る可能性としては人類および人類に守られる先着ネイティブ勢力の排除を優先したというのが考えられる(異民族を援軍に呼ぶようなものでいわば「敵の敵は友」の発想)が、これを実行に移すにはやはり当の先着ネイティブ勢力が組織の意思決定に関与しているというハードルが立ち塞がる。あるいは先着ネイティブ勢力がとっくにZECT内から排除されていたとしても、対人間だけなら圧倒的に有利な状況に思われる彼らが自分たちまで狙われるようなリスクを負ってまで、アンチネイティブワームの召喚に協力する理由がない。

 以上のことなどから、アンチネイティブワームを積載した隕石が意図的に召喚されたのだとすれば、唯一そのことでメリットのありそうなのがZECT内に存在する先着ネイティブ勢力と考えられるのだ。というか、あれだけ周到に準備していたのだから、まさか「うっかり別の隕石と間違えちゃった」なんて訳でもないだろう。加賀美陸が三島正人と『天空の梯子計画』について密談していた際に「ネズミが一匹聞いていたようだ」と会話が盗み聞きされていたことに気付く展開があったが、テレビ版改変史第6話などでワームの聴覚が人間より優れている描写があることから考えて、やはり劇場版正史の加賀美陸や三島正人は先着ネイティブワームに擬態されていたと考えた方がよさそうだ。


 と言う訳で、最後の答えも導き出された。疑問3の答えは、加賀美陸は既にネイティブに擬態されておりオリジナルの目的が歪んだ形で表出したから。以上である。



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「ワーム」と「ネイティブ」の本質的差異とは何だったか?
 ここまで延々とネイティブワーム内部のことについて考察してきたが、実はまだ最大の謎が残っている。結局のところ、「ワーム」と「ネイティブ」を対立させた最大の要因は何だったのかということだ。ネイティブに先着組と後着組があり、それぞれがエリート階級と平民階級として対立していたということは分かった。しかしここから分析できるのは劇場版正史で起こったイベントのみだ。肝心のテレビ版改変史で主に活動したのはツノ無し種族=アンチネイティブワームなのだから、彼らとネイティブワームの違いも掘り下げてみなくてはなるまい。

 劇中の描写から把握できる、それぞれの種族に特徴的な要素をまとめてみよう。

「ワーム=アンチネイティブワーム」
●サナギ態にツノが無い。
●比較的凶暴で積極的に人間を殺戮。直接的な実力行使に偏重気味。
●一個体が複数の人間を殺害し擬態をリレーすることも多数あり。
●ネイティブワームを敵視。
●渋谷隕石と同組成の鉱物=緑の石の所持者を狙う傾向あり。

「ネイティブ=先着ネイティブワーム」
●サナギ態に大きなツノがある。
●比較的温厚で人間と共存可能。権謀術数に偏重気味。一部個体は選民思想気味。
●一個体につき擬態対象は一名のみ(劇中描写に限る)。
●渋谷隕石と同組成の鉱物=緑の石を媒介に人間が変異させられた個体が存在。

 このように列記してみると、やはりネイティブは「知性」、アンチネイティブは「獣性」に重きが置かれている。両種族の敵対・闘争関係が母星時代から続いていると考えた場合、やや差別めいた言い方だが、ネイティブ側を「文明人」、アンチネイティブを「蛮人/蛮族」と捉えることも出来る。しかし、果たしてこんな単純な構図だろうか?

 テレビ版改変史の最終話に次のような印象的なセリフがある。

 根岸「確かにワームは侵略者だ。しかし人間には彼らと共存する気が全くなかった。人間は必ず争い合う。国家や民族の壁さえ越えられず争い続ける人間に我々ネイティブとの共存など不可能です。だから我々は人類を全てネイティブにすることにしました。それが真の平和です。愚かな人間などもう必要ありません」

 根岸の発言は、平たく言ってしまえば民族浄化の論理である。彼自身、明らかに選民思想の政治家的な描かれ方であった。また次の様なセリフもある。

三島「お前ら、ネイティブの心を失ったか!」

 これは「ネイティブも人間もあるものか」という主人公たちの言動でゼクトルーパーが戦意喪失し、ネイティブ態から人間の姿に戻ったのを見て言い放ったものだ。彼らが人間に擬態していただけのネイティブなのか、それともネイティブに変異させられた人間なのか、劇中では明言されていない(意図的にぼかされた?)が、三島の居丈高な言動からして後者の可能性が高そうだ。
 興味深いのはこの三島自身が、純正個体ではなく自ら根岸に直談判して変異処置を受けた後天性のネイティブワームだということである、

 この場合「ネイティブの心」とは「ネイティブの精神」と言い換えられるだろう。上層部が定めた、ある民族や人種としての「相応しい行動」をとらなければ「精神を失った」と判断される。言っている当人も純正個体ではないにも拘わらずだ。

 テレビ版改変史終盤の展開を見ている限り、どうも「ネイティブ」という括り自体が根岸一派の都合ひとつで極めて恣意的に運用されるものだったと言わざるを得ない。現実世界で言えば、ナチスドイツの都合で拡大解釈されまくった「アーリア人」みたいなものだ。三島は言うなれば「名誉ネイティブ」である。

 こうやって考えると、結局また「本来のネイティブとは何なのか?」という問題が再浮上する。それを紐解くカギとなるのが、テレビ版改変史中盤から終盤にかけてのキーアイテム「緑の石」の存在である。



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キーアイテム「緑の石」の正体
 テレビ版改変史の第23話第24話では緑の石=1999年渋谷隕石の欠片を所持しているものが次々とワーム(この場合ツノ無し=アンチネイティブワーム)に襲撃される事件が発生する。同じエピソード内で、ひよりも緑の石をペンダントとして所持しており、しかもそれは1999年渋谷隕石で亡くなった両親の所持品の指輪を作り変えたものだった、つまり渋谷隕石特有の鉱物が、それ以前から地球に存在していたことが示唆される。

 同じくテレビ版改変史の第35話第36話ではネイティブの立川大吾が緑の石を所持していた描写があり、続く第41話では主人公によって「今から35年前=1971年にも隕石が落下しておりネイティブはその隕石から出現した」という推理が語られる。
 つまり劇中明言こそされないが、緑の石とはワームやネイティブが乗ってきた隕石に特有の物質であり、より正確には彼らの故郷(=母星)から持ち込まれた物質であることが示唆されるのだ。

 そして第47話第48話最終話ではZECTとネイティブによるネックレス配布計画が始まる。このネックレスは公にはワーム(アンチネイティブワーム)に反応する感知器ということだったが、その実態は特殊な電波を受信させることで装着者を後天的なネイティブワームに変異させる代物だった。

 その中核パーツにはやはり「緑の石(宝石)」がはめ込まれており、電波を発信する施設では特大サイズの緑の石が設置され、機器へと接続されていた。


 まずこれらの情報から分かるのは、初登場時には既に緑の石を所持=ネイティブの証という構図存在したことだ。アンチネイティブワームに襲撃された人々は、おそらく彼らによってネイティブの一員と誤認されたか、もしくは明言されないだけで実際にネイティブの帰化市民だったのかもしれない。

 興味深いのは、ネイティブ側もアンチネイティブ側も同様に緑の石を地球に持ち込んでおきながら、「緑の石を所持していたらネイティブ」という情報を双方ともが認識している点である。
 つまり緑の石そのものは、ワームたちの故郷ではどの種族も利用する一定程度ありふれた物質だったが、有難そうに肌身離さず持ち歩くのはネイティブ側のみ、というぐらいの共通認識があったのだろう(「天空の城ラピュタ」に登場する飛行石のように、特殊なエネルギー鉱石という解釈が無難だろうか?)。

 更に言えば、緑の石を所持していれば襲われるという情報が早くから分かっていたのに、第36話で殺されてしまった立川大吾の様に、それでも尚持ち歩いている者がいた点も奇妙である。

 第41話でアンチミミック弾作戦が実行される際、事前にZECTがネイティブワームの帰化市民を市街地から避難させようとしていること、ガタック=ZECT総帥の息子だとネイティブ帰化市民が把握していたことなどからも、ネイティブワームたちにはそれなりの情報伝達ネットワークが存在したと考えられ、ならば当然、緑の石の所持が危険だという情報も広まっていたハズである。なのに立川大吾のような事例があったのは何故か?

 答えはひとつ。ネイティブワームにとって「緑の石」とは、たとえ危険に晒されようが手放せない品物……つまり彼らの文化や信仰の拠り所としての性質を持っていたからである。実際、ネイティブの擬態した日下部夫妻は緑の石を指輪という形にして所持している。むしろ文化や信仰が絡んでもない只の石ころならば、これ程大切にする理由があるだろうかクリスチャンが十字架を身につけるようなもの、と考えれば理解し易い?)。


 逆にアンチネイティブから見れば、緑の石とは駆逐すべき文化や信仰のシンボルであったと考えられる。そう考えると第23・24話で起こった事件の真相は、緑の石を所持していた時点でネイティブも人間も関係なく、所持者はそれだけで憎悪の対象だった、ということなのかもしれないのだ。

 ちなみにこの「ネイティブの文化や信仰」だが、劇中事象からある程度内容を推測することも出来る。本考察の前半部分で、劇場版におけるZECT対後着ネイティブワームの構図は、先行避難していたエリート階級たちが遅れて来た平民階級の避難民たちを切り捨てた光景、と書いた。ひよりが同じネイティブワームたちから襲撃されたのは、高貴な血筋の姫が暴徒に襲撃された光景、とも。

 しかしこれにはやはり問題があって、ワーム種族全体の昆虫的特質に関する考察が不足しているのだ。先着ネイティブワームの一群を、コロニーの上位種、女王個体の直系、最優先血統などと考えた場合、普通に考えたらその他大勢にあたる後着ネイティブワームたちはいわば「兵隊アリ」に該当するともいえる。人間社会を基準にして考えた場合、下級階層が上級階層に対して反逆を起こすのは珍しいことではない。では昆虫社会では? ひと口に「社会」といっても人間と昆虫で意味合いは異なっている。

 少なくとも昆虫社会の活動目的は個体ごとではなくコロニーそのものを維持することにあり、下級階層の個体は事実上の消耗品に過ぎない。兵士個体が反逆して、女王系個体を殺すことも考えにくいだろう。だが仮にそこまで彼らが昆虫的特質に支配された生き物だとしたら、今度は劇中で描かれてきた地球人類に勝るとも劣らない精神活動は何だったのかということになる。

 ネイティブにせよアンチネイティブにせよ、攻撃性の発露さえなければ人間社会に溶け込むことも可能な個体が存在しているのだから、昆虫的特質や本能は精神活動である程度制御可能と見做すべきである。

 つまり彼らは、昆虫的生命体から進化した知的生物ということなのだろうか? この考察における結論は違う。ワームとは本来全く別の形態を持つ知的生物だったのではないだろうか。それが「緑の石」によって後天的に変異した結果、現在のワームの姿と能力を手に入れた。ネイティブにとって「緑の石」とは、彼らを進化させた物質であり、故に信仰と崇拝の対象だったのだ。



ワームという種族が抱えた真の歴史
 「緑の石」は最終的に地球人類をネイティブワームへと変異させる企みに使用される。だがよく考えて貰いたい。考えたらこれって相当大変なことではないだろうか。ある惑星で誕生した生物を、全く別の惑星で誕生した生物に作り替えるというのは並大抵のことでは出来ない。何せ発生と進化の過程がまるで違う。根本から異なる体組織・新陳代謝・DNA構造などのシステムを丸ごと別のシステムへと作り替えるのだ。しかも知的生命体としての意識や人格を保ったまま。
 発想自体はワームの擬態能力を逆転させたようなものだろうが、単なる擬態と、生体構造そのものの不可逆的改造とでは、困難はケタ違いのハズである。

 ただしこれは、ワーム種族が自然発生した生命体であるという前提だからだ。もし当のワームたち自身も、後天的に変異しあの能力を手に入れた種族だったとしたら? そして、そのキッカケがあの「緑の石」だったら? 地球人にも応用可能と考えても不思議ではないのではなかろうか? そしてその変異が、ツノ無し種族にとって不本意なものだったとしたら? 劇中で起きていた全ての出来事に説明がつくのではないだろうか。

 以下は筆者が情報を総合し「仮面ライダーカブト」の背景に隠れたワームの歴史について推察したものだ。



 キッカケを作ったのは、おそらく後にネイティブワームとなる知的生命体の一群だろう。彼らは母星で資源として採掘・利用していた緑色のエネルギー鉱石に、ある時偶然にも自分たちの生体機構を変異させ、昆虫に似た特質を持つ生命体に作り替える機能があることを発見した。「ワーム」の誕生である。彼らは同族全てを鉱石で変異させ、体質の違いによってツノ有りとツノ無しがそれぞれ誕生した。ツノ有りはキッカケを作った「緑の石」を崇拝し、お守りとして身に着けるようになった。同時に彼らは、ツノ無しを下等とか劣等などと見做して蔑み、公然と迫害するようになった。それが遠因となってやがてツノ有り、ツノ無し両種族間で戦争が勃発。惑星全土が荒廃し彼らは他星系への脱出を余儀なくされた。

 結果、自然の豊かな地球が目的地として選ばれた。「ワーム」誕生のキッカケを作ったツノ有り種族のエリート組(あるいは指導者層)にあたる少数は、小型隕石に乗って一足先に地球へと脱出。彼らは1971年に地球に飛来し「先着ネイティブワーム」となる。先着ネイティブは地球人と接触してその能力や文明レベルを理解し、自分たちの知識を提供する代わり地球人に保護を要求しZECTを結成。
 この時点で、元来の選民思想などが影響して後続組を切り捨てる結論が下ったものと推測される(あるいはツノ無しに備えるという名目で、穏健派が押さえ込まれたか)。

 正史1999年にはツノ有りの後続組を乗せた隕石が地球へと飛来し地球環境が荒廃。ツノ有りが「後着ネイティブワーム」としてZECTと戦闘を開始する。
 正史2006年にはツノ無しを乗せた隕石が空間を飛び越えて召喚されるも、ハイパークロックアップで正史1999年に運ばれ、後着ネイティブの隕石と相殺。この時点で正史1999-2006の時空は消滅する。

 改変史1999年ではツノ無しの一部だけが隕石の破片に混じって渋谷へと落下後増殖、改変史2006年までに「アンチネイティブワーム」としてZECTと戦闘を繰り返す。



 改めて振り返ってみると、ワームもネイティブも本質的には左程変わらなかったのではないだろうか。テレビ版改変史準拠で劇場版正史を観ると、ネイティブと同型の種族が「ワーム」として退治されている光景に違和感を覚えるが、テレビ版改変史における「ネイティブ」たちに比較的温厚な個体が多かったのは、彼らの多くが基本的な生存権をある程度保証されていたからではないだろうか。

 逆に人間をやたらめったら襲っていた「ワーム」とは、要するに生存権を保証されなかった個体たちなのだ。テレビ版改変史と劇場版正史を観比べて、ツノ有りもツノ無しも同じ行動を取っている事実は、その証明である。そういう意味で、「ワーム」と「ネイティブ」に本質的差異は殆どないと言えるのだ。