努力工夫だけではなく、環境を変える選択肢を忘れないようにするための俺的心得です。
芽が出なければ別の場所を探す
その場所に置かれて(その場所に居ることを選んで)、
しばらく思ったような成果が出なければ
あまり我慢せず、別の場所を探した方がメンタル的に気楽です。
また、ココロが我慢を感じてしまうような場所で努力しても
結局自分の芽など出ず、他人の芽が出るための養分にされ続けるのがオチです。
次の場所を探すのは一時的な強い負荷がかかり、
また、現在の場所でうまくいかぬときほど
「次の場所など存在しないと思ってしまう」という錯覚に囚われがちですが
できるだけ早期に次の旅へ出ることをお勧めします。
置かれた場所で咲く努力や工夫も、ほどほどに
全く努力も工夫も試行錯誤も歩み寄りもせずに
多少気に入らないからといって場所を変えるのはアホのすることですが
いつまでもそうしてその場所にしがみつこうとするのも同じぐらいの愚行です。
株の塩漬けと同じです。
永遠に耐えられそうであればどうぞ。
もしそうでないなら「強い我慢を感じていることに気づいた離脱する」など、
何かしらのルール付けをして冷静に判断することをお勧めします。
他人に花咲かせてもらおうと喚く奴はどっか行け
この世には、
全く努力も工夫も試行錯誤も歩み寄りもせずに
成果や評価に不平不満を述べ、自称「我慢している」という態度を取りながら
なぜかその場所からはいつまでも動こうとしない
という輩が存在します。
このような輩が、職場やコミュニティ内に存在すると
他の健全なメンバーの活動の妨げになります。
この輩は必要悪(いわゆる「働かないアリも必要」など)でもなんでもなく、純粋な悪人です。
コミュニティ内の輩の存在の、安全基準値は0人であり、安全許容値も0人です。
1人でも輩がいるとコミュニティは基準値を超えた危険水域となり、
健康被害を受けた健全なメンバーがコミュニティから抜け始めます。
自分がこの輩に該当しているかもしれないと感じたら、
さっさと違う環境に移って心機一転した方が世のため人のため自分のためです。
──
以上です。
併せて、個人的感想となりますが
「置かれた場所で咲きなさい」の名言の意味の解釈をここに述べます。
■名言の本質
・「場所」とは、単に特定のコミュニティや職場や家庭のことでなく、
わたしたちがこの世に生を受けた地球丸ごとあるいは自分の人生そのものを指す
※この名言の表現が「選んだ場所」でなく「置かれた場所」となっているのはそのため
(神様がわたしたち人間の一人一人をこの地球にポンと置いたから、人としては「置かれた」という受動態になる)
・つまり、生きているうちにどこかで成果を上げればよい
■世にある悪用例
・「場所」をわざと狭義に解釈してこの名言を説くことで
コミュニティのメンバーや従業員をそのコミュニティや職場に縛り付ける
・上記がうまくいくと、各メンバーを養分として確保維持できやすくなり
コミュニティの上位層や経営者がよりラクにメンバーからの恩恵を受けられる
■世にある勘違い
試しに検索してみたら、
「置かれた場所で咲きなさい、という言葉が嫌い!」
という人が一定数いるみたいですね。
でもそれはウソで、
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が嫌いなのではなく
「置かれた場所で咲きなさい」と発言した誰か特定の人間のことが嫌いなだけですね。
「置かれた場所で咲きなさい、という言葉が好き」という記事も同様、
言葉のスキキライじゃなく、そう言っている自分自身が可愛いかそう言った他の誰かさんのことが好きなだけです。
いずれも内省が明らかに足りていないと思われる記事が多く見受けられました。
(※これも個人的感想ですよ)
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