潮騒に月見里

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​潮騒に月見里

七篠K

​展示「裁縫道具」

【諸注意】

・大正12年を舞台としたシナリオですが、サプリメント「クトゥルフと帝国」がなくても問題なく遊ぶことができます。

・一部のシーンに「自然災害に関連する描写」を含みます。

・神話生物および呪文に関する独自解釈が含まれます。

【シナリオの 6版/7版 コンバートについて】

可能。ただし、シナリオの根幹が変わるような改変は不可。

また、企画期間終了後コンバート版頒布予定。

【シナリオに関するお問合せ先】

​TwitterのDMにてお問合せください。

https://twitter.com/trpgkallase

【概要】

 「潮騒に月見里」

 よみ:しおさいにやまなし

   作  :七篠K

   テーマ:裁縫道具

プレイ人数 :2~4人

プレイ時間 :6~8時間

推奨技能  :【聞き耳】【回避】

シナリオ傾向:大正時代シティ/女学生限定

お洒落と秘密と運命は、いつだって乙女のいちばんの武装なのです。

 

大正×少女×ロマンス

大正時代の銀座の街頭を歩く人々の服装は、男性は和服が33%で洋服は67%、対して女性は和服が99%、洋服は1%だったという。

これは、そんな時代のなか、特別な裁縫道具を使ってこっそり自分のための洋服を仕立てる、少女たちの話です。

以下、KP向け情報となります。

▼はじめに
 この度は当シナリオをご覧いただき、ありがとうございます。
 こちらはクトゥルフ神話TRPG(6版)対応シナリオとなります。
 このシナリオは、大正12年を舞台としたシナリオです。サプリ「クトゥルフと帝国」がなくても問題なく遊ぶことができますが、一部のシーンに「自然災害に関連する描写」を含みます。
 難易度改変はご自由にどうぞ。
 また、このシナリオには神話生物および呪文に関する独自解釈が含まれます。ご了承くださいませ。

▼シナリオ背景
 大正時代の帝都、若い女性の間に「赤い糸の噂」が流れた。噂の内容は、特別な『赤い糸』で繕った服を身に着けると、運命の人と出会えるというものだ。しかしその『赤い糸』の実態は、人知れず発生したアトラック=ナチャの信者たちが生贄の確保を効率的に行なうため作り出されたアーティファクトであった。これは、アトラック=ナチャの糸を紡いで人間の血液と合わせた「生きた糸」であり、この糸を用いて縫製した衣服をたよりに犠牲者を誘拐し、アトラック=ナチャへ捧げるというものである。
 探索者たちは友人であるNPC「文月 朔子」を通じて不幸にも、信者たちが流通させている『赤い糸』を入手してしまう。しかし、帝都に紡がれる噂や、同時期に失踪した朔子の母「京子」の持つ秘密の縁を通じて『赤い糸』の真相に近づいていく。
 関東大震災が日本を襲う直前に生きる少女たちは、その手で何を縫い合わせ、どのような結末を仕立てるのだろうか。

▼関連する神話生物および呪文
・アトラック=ナチャ(基本ルールブックp.204)
・アトラック=ナチャの娘(マレウス・モンストロルムp.15)
・キーザ(マレウス・モンストロルムp.157)
・イスの偉大なる種族(基本ルールブックp166)
・精神的従属(基本ルールブックp.266)
・窓の創造(基本ルールブックp.284)

▼KP向け補足情報

▼登場NPC
○文月 朔子(ふみつき さくこ)
STR:12 CON:9 POW:17 DEX:11 APP:10 SIZ:11 INT:13 EDU:10
HP:10 MP:17 db:0 SAN:85 年齢:18歳
技能:【回避/60%】【応急手当/60%】【聞き耳/50%】【図書館/65%】【芸術(裁縫)/70%】【薙刀/40%】
探索者の共通の友人であり、高等女学校高等科(※1)に通う少女。
家柄もよく探索者のグループの中では年長者。探索者のことを妹のように可愛がり、あるいはよき友人として大切に接している。新しい流行や噂話を積極的にもちかけては探索者たちへ共有する、グループの中心的人物。
表向きは淑やかな立ち振る舞いをこなすものの、はつらつとして大胆な行動をとる一面も。利発で物怖じしない性格からかいまだに婚約者はおらず、本人も将来は職業婦人になりたいと思っている。しかし、家の方針と相反するものであるため、なかなかままならない状態だ。
母「京子」のもとから『赤い糸』を発見し、入手してしまうが、その後母の失踪の謎を追うことで、探索者とともに糸へ隠された意図を垣間見ることになる。
(※1:大正9年から設置された、従来の高等女学校専攻科卒業者が修行できる科のこと)

○文月 京子(ふみつき きょうこ)
朔子の母。偶然『赤い糸』を入手し、最初はせっかくだからと娘の朔子のために『赤い糸』を用いて着物を繕った。しかし、不幸にも『赤い糸』で繕った着物に捕食され、信者に誘拐され行方不明になってしまう。「浜谷 良良」とは幼馴染で想い人であったが、家によって定められた結婚のために、結ばれることはなかった。
朔子に対しては、不自由だった自分のぶんまで、時代の流れに乗じて少しでも自由に生きてほしいと願っており、文月家のなかでは数少ない朔子の理解者である。

○浜谷 良良(はまや らわ)
STR:10 CON:11 POW:4 DEX:15 APP:9 SIZ:12 INT:22 EDU:20
HP:12 MP:20 db:0 SAN:30
(※さまざまなAFや呪文によりステータスの消耗や増強が行なわれている)
呪文:さまざま。KP裁量で任意の呪文を使用できるものとしてよい。
さまざまな魔術道具や神話的事情を抱える物品を取り扱う古道具屋「此其彼堂(こそあどう)」の店主。その正体は「イスの偉大なる種族」による《精神交換》から帰還し、神話的事情の絡む交易世界を渡り歩くようになった人物である。「文月 京子」とは幼馴染で想い人であったが、身分の違いのために、結ばれることはなかった。
本名は「浜谷 良(はまや りょう)」。現在彼の本名を知っているのは、幼馴染の京子のみであり、他のかつての友人や家族とは縁を切っている。
探索者たちの来訪の際には『結晶の針』を縫い針として加工し、アーティファクト化させて授けることで協力をする。


▼アトラック=ナチャの信者たちについて
大正時代、帝都を中心に発生し教団を作った。アトラック=ナチャへの生贄や教団の信者を増やすために『赤い糸』を生み出し、女性を中心に流通させはじめる。
シナリオ内ではアトラック=ナチャの住まう南アメリカの洞窟と帝都のあちこちとを《窓の創造》によってつなぎ、犠牲者の誘拐を繰り返している。しかし、シナリオの結びで迎える関東大震災によってほとんどの経路は崩壊し、信者も分断や被災を受け、余儀なく滅ぶこととなる。


▼探索箇所「アノマリオール博物館」について
具体的な所在地や歴史を有さない特殊な施設。
CoCWebアンソロジー企画「ムーサ異装展覧界」参加作品の一部で共通して登場する博物館であり、当シナリオでは「時間や空間を超えて存在する博物館」として取り扱っている。
施設は表向き大正時代に沿った内装や展示内容であるが、裏側では現代の技術や物品も取り扱っており、探索者に対して神秘的ともいえる手助けを行なう。


▼登場AF
○赤い糸
アトラック=ナチャの糸を紡いで作った縫製用の紡績糸。一見普通の糸だが、アトラック=ナチャの糸と人間の血液を組み合わせて紡いだ特殊な生きた細胞であり、捕食作用をもつ。衣服の一部として縫われたのちに衣服全体の繊維と一体化していき、最終的に犠牲者を突然拘束して捕らえ、身動きできなくさせる。
犠牲者はその後信者によってアトラック=ナチャへ捧げられ、餌食にされる。犠牲者の一部は「アトラック=ナチャの娘」となり、新たな糸を織り紡ぐための存在となる。

○結晶の針
キーザの一部を浜谷が縫い針状に加工したもの。微細な破片を加工して作られているため、持ち主へ甚大な影響を与えることはなく、生きた細胞に対し一度のみ組織の結晶化をもたらす。
また、結晶化させた細胞はキーザの能力を微弱ながらも継承し、キーザの使用する呪文のうちのひとつと同等の効果を扱えるようになる。本シナリオでは《精神的従属》が発現する。

○女王の糸車
アトラック=ナチャの糸を紡ぐための専用の糸車。素材にはアトラック=ナチャの古い外殻が用いられており、この糸車によってのみ『赤い糸』を紡ぐことが可能。素材として必要な部位が非常に希少であるため、量産することはできない。

▼PL向け事前情報

○探索者条件概要
探索者は女学生であり、共通の友人に「文月 朔子(ふみつき さくこ)」が存在する。
「文月 朔子」は高等女学校高等科(※1)に通う18歳の少女であり、家柄もよい。新しい流行や噂話を積極的にもちかけては探索者たちへ共有する、探索者グループの中心的人物だ。
探索者のことを妹のように可愛がり、あるいはよき友人として大切に接しているだろう。
また、物語の舞台は大正12年の8月のおわり頃、帝都(東京/神田)である。
(※1:大正9年から設置された、従来の高等女学校専攻科卒業者が修行できる科のこと)

○探索者作成ルール
年齢は12~16歳、EDUは10固定とする。
職業技能については、以下のいずれかを選択すること。
①本シナリオオリジナル職業:「女学生(華族)」
[応急手当,聞き耳,図書館,芸術(裁縫/歌唱/料理),言いくるめ,信用,英語,+その他個人的な関心の技能ひとつ]
②サプリメント「クトゥルフと帝国」:「女学生」より作成可能

○時代背景について
第一次世界大戦を経て、当時の日本、特に都市の市民生活は大きく変化した。さまざまな娯楽が生活の一部に迎えられるようになり、文化が大きく開けるようになったのもこの時代である。
服装においても、大正末期には洋装化が進みはじめたが、対象は主に男子であった。当時の銀座の街頭を歩く人々の服装は、男性は和服が33%で洋服は67%、女性は和服が99%に対し洋服は1%だったという。当時の女性の洋装といえば、主に女子学生のセーラー服や職業婦人の制服であったが、関東大震災以前の女性の洋装化は遅れており、社会進出をはたす女性も少なかった。

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▼プロローグ

 夏は生きものであると教えてくれたのは、誰でしょう。
 春は訪れ、夏は終わり、秋は過ぎ、冬は越える。
 わたしたちより、はるかに悠然と大人になっていく四季折々のなかで、夏だけはいつも新しい顔をして、毎年海の向こうから、やってきます。そうして、きちんとすまし顔のまま、火照ったからだをだんだんと横たえて、ぽつんと、死ぬようにお別れを告げてから、つめたい夜の海の底へさらわれていきます。
 夏だけが、いつも、わたしたちに、さようならを知らせてくるのです。
 それを、昔のひとたちも、わかっていたのでしょうか。だから、夏は終わるというのでしょうか。それで、誰かがたとえで、夏は生きものであると、言ったのでしょうか。

【潮騒(しおさい)】
 潮が満ちてくるときの、波の騒ぎ立つ音。
【月見里(やまなし)】
 日本の苗字、地名の一種。
 読みの由来は「月が見える里には山が無い」という見晴らしのよい情景を表す言葉から。

 

 ムーサ異装展覧界参加作品
   「潮騒に月見里」

 


 これは、そんな、終わりかけの夏に生きたわたしたちと、特別な裁縫道具のおはなしです。

 

▼導入

 時は大正十二年の八月の終わり頃、あなたたちは熟れきった果実のしなびるような空気がはためく帝都で、いつもと変わりない日々を過ごしていた。頭の芯までぼおっと茹だりそうな……と表現するのにはやや過ぎた頃合い、それでもつい先日まではアブラゼミが情熱的だった、しぼみかけの夏の季節。あなたたちは、友人「文月 朔子(ふみつき さくこ)」に誘われて、この日、彼女の邸宅へと向かう予定があった。
 文月朔子はあなたたちに共通の友人で、あなたたちの通う高等女学校を卒業してからも、つい最近につくられた「高等科」へと進んだ少女だ。新しい流行や噂話を積極的にもちかけたり、雑誌の恋愛小説を一緒にどきどきしながら読んだり、ちょっとした相談事やお菓子や布の端切れやらを分け合ったりしてきた。
 そんな瑞々しい彼女のもとへ向かうあなたたちの心は、水浴びのようにきらめいているかもしれない。

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(KPからPLへのアナウンス)
 文月朔子の家へ向かう前に、好きな手土産をひとつ用意することができます。
 探索者全員で相談して背伸びしたものを用意してもいいですし、それぞれ秘密に用意してわくわくしても構いません。
 ちなみに、大正時代の都市部では生活文化の洋風化が急速に進んでいました。たとえばお菓子で言えば、ゼリーやクッキー、ババロアといったものがハイカラなものとして受け入れられ、水菓子(フルーツ)も華族をはじめとする裕福な人々によって、より身近なものとして楽しまれていました。とはいえ、それはあくまでも当時の最先端のお話。多くの人に馴染みがあったのは、お団子やおまんじゅうといった和菓子です。

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<手土産が決まった>
 門前の呼び鈴を鳴らせば、しばらくして小間使いがあなたたちを迎え入れる。文月家の邸宅は小綺麗に整えられており、百日紅や桔梗の花が品よく植わっていた。庭の植物は、どれも夏のじんわりとほどける風を受けて照りかえっている。
 玄関をくぐれば、陽射しが遮られるぶん、すぅと肌や髪がぬるくなることだろう。
 邸内では、あなたたちが来るのを心待ちにしていたのであろう、顔をぱっとほころばせた文月朔子がいた。
「ようこそ、いらっしゃい! 暑かったでしょう。どうぞ、こちらへいらっしゃいな」

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<文月朔子の案内を受ける/手土産を渡す>
・探索者が手土産を渡すととても喜び、お菓子であれば早速お茶請けにと小間使いに準備させる。洋菓子であれば紅茶、和菓子であれば冷たい緑茶などを用意していることにする。
・朔子はお茶会を楽しみながら、本を読んだりお喋りをしたり、ちょっとした庭遊びへ出たりして探索者たちとの時間を楽しもうとする。
「まあ、こんなに素敵なものをありがとう! ちょうど合いそうなお茶をこの前いただいたのよ。せっかくだからそちらと一緒にいただきましょう」
「今日はお父様もお母様もお出かけをしているの。だから、好きなだけおしゃべりができるわ」
「夏休みももうすぐ終わるけれど、学校が始まる前に一度集まっておしゃべりがしたかったの」

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<午後を楽しく遊ぶ>
 空には夏独特の深くくすんだ濃い青色に、ぷっくりとした綿菓子を千切ったような雲がちらちらと浮かんでいる。抜けるような空気を存分に浴びる午後を楽しむなかで、朔子は楽しそうに頬杖をついた。
「ああ、やっぱりみんなと遊ぶのが、一番たのしい。家の中では息抜きもできなくって、とっても窮屈だったのよ。本を読んでも、刺繍をしても、誰ともおしゃべりできないし……」
「みんなは夏休みの間、何か面白いことはあった?」

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【聞き耳】【図書館】【知識】のいずれか>
 それぞれの夏休みを過ごしていた思い出のなかで、あなたは噂話であったり、発売されたばかりの雑誌であったり、何かしらの見聞で、最近帝都でまことしやかにささやかれているおまじないについて思い出す。
 それは「赤い糸」というものだ。
 最近、帝都では「女性の間だけで秘密にやり取りされている特別な赤い糸があり、その糸で繕った服を着ていると、運命の人に出会うことができる」というおまじないが流行っているらしい。
 このおまじないの「赤い糸」は目に見える本物の糸らしいのだが、肝心の入手方法についてはとたんに噂があやふやになり、「縁結びの神様が人間に化けて女性へ配っている」とか「糸を分けてもらってから空の糸巻と一緒に置いて眠りにつくと、翌朝には赤い糸が糸巻たっぷりに巻かれている」とか、はっきりしないものばかりなのだ。

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(※探索者全員が判定に失敗した場合は朔子から教える)
(※アトラック=ナチャの信者が直接配ったり、『蜘蛛の糸』が夜の間に縫製に必要なぶんだけ伸びたりして、女性の間で広まっている)

<「赤い糸」の話題になる>
「とってもロマンチックなおまじないね。素敵!」
「運命の人と会えて、結ばれることができたら……それって、とっても羨ましいわ。お姫様だってそう簡単に手に入らない、とっておきのおまじないみたい」
 朔子は少しうっとりしながら、あなたたちと夢のような青く甘い恋愛話に花を咲かせることだろう。

「そういえば、……お母様が、最近熱心に繕いものをしていたわ。もしかして……?」
 朔子はふと思い立ったように席を立ち、少ししてから興奮した様子であなたたちのもとに戻ってくる。
「ねえ、見て、見て! お母様の裁縫箱のなかに、ひとつだけ他と違う糸巻でね、これがあったの! もしかして、これが噂の『赤い糸』じゃないかしら」
 そう言ってあなたたちだけに見えるように、握っていた両の手のひらを広げる。
 そこには、艶々となめらかで、宝石のように上等な、真っ赤な糸が、糸巻をたっぷりと飲み込んでいた。


▼赤い糸と乙女 へ

▼赤い糸と乙女

「ねえ、もしも、もしもよ……本当に、この糸が運命の人に出会える『赤い糸』だったら、どんなに素敵かしら」
 朔子は期待と好奇心にふくらんだ表情をして、それから少し悪戯っぽく笑ってあなたたちへ提案する。
「ちょっとだけ、いただきましょう。本当に噂の通りだったら、ここにいるみんなにほんの短くいただくだけで済むし、それくらいだったらバレないわよ」

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○賛成する
「ふふ、それじゃあ、私たちだけの秘密よ!」
 ぱちん、ぱちん、と糸切狭をあてがわれ、真っ赤な糸は抵抗することもなくいくらか短く身を落とす。それから朔子はさっと端切れで糸を一本ずつ大切そうに包んでひとつずつ分け与えると、頬を桃のように甘くほころばせた。
○反対する
「そう……残念だけれど、しかたないわ。確かに、隠しごとはよくないものね」
 朔子は残念そうな顔をしたが、それでもすぐに表情を結びなおしてから、糸巻をもとの場所へと戻しにいった。
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<お茶会を楽しみ、お開きになる>
 楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去るもので、気づけばもう帰る時間になっていた。朔子はあなたたちを門の前まで見送ることだろう。
「久々にたくさんおしゃべりができて、楽しかったわ。また学校でね!」
 そう言って手を振る彼女の姿は、あかく汗ばむ夕暮れの熱を惜しみなく浴びてなお、しゃんと上品に見える。

 それから、あなたたちは帰路につく。次に全員が会うのは、きっと夏休みが終わったあとかもしれない、と思いながら。
 しかしその晩、草木の露も隠れる夜半に、あなたたちは不思議な出来事を体験する。
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○『赤い糸』を入手している場合
 眠る前に裁縫箱の中からなんとか探して取り出した、まだ木目のしっかり見える糸巻を、あなたは朔子と一緒に手に入れた真っ赤な糸と一緒に端切れの上に載せてから寝支度を整えた。けれどもふと、まぶたが持ち上がり、ぱちりと暗闇の中で上半身をもたげる。
 自然と眼差しがすべる。
 その先には、艶々となめらかで、宝石のように上等な、真っ赤な糸が、はじめて彼女の姿を見たときとまったく変わらぬようにして、糸巻をたっぷりと飲み込んでいた。【SANC 0/1】
○『赤い糸』を入手していない場合
 あなたはいつも通り眠りについたが、ふと、まぶたが持ち上がり、ぱちりと暗闇の中で上半身をもたげる。自分以外には何も見えない、夜の底のような場所にいた。背後で衣擦れの音がした。はっ、と、ついそちらへ振り返ろうとして、それから、今度こそぱちりと目を開く。
 なんとも不思議な夢だった。
 ぼんやりと頭の芯がつめたくて、それでいてあつい。少し痺れるような感覚があなたの意識に絡みつき、そうして、自然とあなたの眼差しの両肩を抱いて指をさした。
 その先には、艶々となめらかで、宝石のように上等な、真っ赤な糸が、はじめて彼女の姿を見たときとまったく変わらぬようにして、糸巻をたっぷりと飲み込んでいた。【SANC 1/1d3】
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 水分を含んでいるわけでもないはずなのに、あなたの枕元に転がる真っ赤な糸は、割ったばかりの果実のようにかぐわしくきらきらとあなたを見つめている。
 とくとくと、心臓に早鐘がなる。
 噂の真偽がどうであれ、どうやらあなたの元に、とびきり不可思議な来訪者がいることだけは、確かなようだった。


▼帝都と乙女 へ
 

▼帝都と乙女

 翌朝、あなたたちが改めて目を覚ましても、変わらずに『赤い糸』はあった。うっとりと美しい仕草で横たわり、まるで「早く私で服を繕ってほしい」と訴えているかのようだ。
 あなたたちはこの奇妙な出会いに対して、どんなことを思うだろう。いずれにせよ、袖振り合うも多生の縁とばかりに、今まで見聞きしてきた噂について調べてみれば、何かわかることがあるかもしれない。
[探索可能箇所:文月邸,カフェー「カナリヤ」,明治大学図書館,三越百貨店]


○文月邸
 再び文月邸を訪れると、朔子は待ってましたと言わんばかりの勢いであなたたちを招き入れる。彼女の懐にも、あなたたちと同様に『赤い糸』があった。

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<文月朔子との会話>
・『赤い糸』の状況を共有し、探索者と一緒に帝都で調べものをしようと提案する。
・基本的には、探索者と同じ視線でしか情報を知らないが、文月邸へ向かうまでに探索者たちが取りこぼした情報があれば朔子を通じて伝えてもよい。
「あなたたちのところにも、やっぱり『赤い糸』が……?」
「本当に、噂の通りだったのね。それなら、せっかくだから、もう少し噂を調べてみない?」
○お母様には何か聞いた?
「それが、昨晩からお部屋にとどまっておいでなの。お父様も使用人も何も話してくれないし……お身体の具合が悪いのかしら……」
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(※母「京子」は『赤い糸』で朔子のために服を仕立てたのだが、不幸にも糸の犠牲者となってしまっており、誘拐されている。京子の失踪を知る一部の家人は朔子を心配させないため、また事を荒立てないために口をつぐんでいる)


○カフェー「カナリヤ」
 カフェーは社交の場として少し気持ちが背伸びするものかもしれないが、神保町近辺のそれはまだ学生のあなたたちにでも、よりぐっと馴染みやすい様相をしている。「カナリヤ」もそのうちのひとつで、あなたたちのような学生が多くたむろするカフェーだ。
 表の日光を洒落た模様に切り取る扉を開ければ、からころと鈴生りの呼び鈴がささめいて、蓄音機から踊り出す音楽に抱きついてはほどけて、あなたたちが一息つくのを待っている。
(※注:関東大震災以前のカフェーは、開放的な社交場としての性質が強く、文化人や知識人の出入りするレストラン・喫茶店・クラブの要素を併せ持つ施設であった)

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【聞き耳】または【交渉技能】
・客や店員から、『赤い糸』「此其彼堂」についての噂話を聞くことができる。
○『赤い糸』についての噂話
「最近、よく聞く噂よね。運命の人に出会える特別な糸でしょう? この前、あたしたちのお友達もおんなじことを言っていたの。それで、その子は『不思議な夢を見たら赤い糸を手に入れた、あれはきっと縁結びの神様に違いない』ってすごく喜んでいて、繕いものをして糸が余ったらくれるって話していたのだけれど……」
「最近、ちっとも会えないわよねぇ。お電話差し上げてもお出かけ中だと言われるし。まさか、もう運命の人と出会って駆け落ちしちゃっているとか?」
「そんなわけないわよ。もしそうなら絶対あたしたちにこっそり自慢するはずよ、あの子なら」
○「此其彼堂」についての噂話
「そういえば、浅草のほうで不思議な物品ばかり取り扱う古道具屋があるって話を聞いたことがあります。あのあたりは胡散臭い珍品を売るお店なんて別に珍しくもないけれど、そのお店はとびきり変わっているって噂ですよ」
「何でも、特別な縁がある人にだけ見つけられるお店なのですって。こそあ堂、と言うらしいのですけれど……もしお店を見つけることができたら、最近噂の『赤い糸』も、そこで買えるかもしれないですね」
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(※この時点で「此其彼堂」を探しても、探索者たちには十分な縁が結ばれていないため到着することはできない。探索者たちが浅草へ向かおうとする場合は、「神田から浅草までは距離があるため、今から向かうと他の場所を回る余裕がなくなってしまう」と伝えるとよいだろう)


○明治大学図書館
 図書館はまだまだ男の場所だ、という印象が強い。一歩足を踏み入れれば、どんなに胸がはやろうとも、空気に人差し指をあてられ息を潜めさせてしまうような雰囲気に飲まれてしまう。婦人閲覧室を使うことができるとはいえ、つめたく荘厳な紙のかおりの支配する図書館という場所は、普段あまり立ち寄らないものだ。
(※注:戦前の公共図書館の多くは、男女が一緒に何かをするということに対し厳しい目を向けられる時代であったことから、男女別に閲覧スペースを設ける施設が多かった)

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【図書館】または【知識】
 新聞や雑誌、書籍をめくっていっても『赤い糸』に関する新しい情報はなかったが、ふと「連続行方不明事件」の記事が目に留まった。
『婦女連続行方不明事件 依然として手掛かりなし』
 ここ数ヶ月に於いて、若い婦女を中心とした行方不明事件が頻発している。被害者の多くは未成年の女性であるが、はっきりとした共通点は見当たらず、目撃情報も無いため、捜査は難航している。
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(※『赤い糸』で繕った服による捕食・誘拐事件である)


○三越百貨店
 真新しく魅力的なもので溢れ、いつでも髪や肌やまなじりへ恋わずらいに似た熱をうつされる百貨店という場所は、あなたたちが足を運ぶ場所の中でも随一の胸のはりつめる感覚を覚えるかもしれない。きらびやかな照明のもと、華美な客や商品は、ざやざやと思わせぶりなかおりを漂わせている。

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【目星】または【アイデア】
 服飾売り場では、やたらと赤い布や小物が多く取り揃えられているように感じる。
【聞き耳】または【交渉技能】
・赤色の映える布や、赤い服に合わせる小物類が最近とても売れている話を聞ける。
「お客様、こちらの反物はいかがでしょう? 明るい赤の地に孔雀の模様の入った、いっとうモダンな仕上がりのものです」
「ふうん、素敵ね。他にも赤のものはないの?」
「たくさんございますよ。最近、お客様のように赤いものをお求めの方が多くいらっしゃいまして……お客様も最新の流行をしっかり掴んでいらっしゃるのですね、素敵です」
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(※赤い布を購入する客や店員に話を聞いても『赤い糸』について特に新しい話を聞くことはできない)

 


<探索を終える>
 一通りあちこち散策しているうちに、陽射しはすっかりひざまずいて、深く帝都を抱きしめはじめる。これ以上自由に遊びまわることはできないと、空があなたたちをたしなめるようだった。
 あなたたちの手元にはまだ、こっくりと『赤い糸』が糸巻いっぱいに満ちている。いまだこの噂の正体については掴めないままだが、ひとまず今日は、帰路につくしかなさそうだ。


▼凶報と乙女 へ

▼凶報と乙女

 それから数日の間は、特に何も目新しいことには出会わなかった。『赤い糸』についての噂話は相変わらずまことしやかな眉唾物で、これといって知らないものはない。そもそも、学校そのものは夏休みであっても、何日も遊び続けるなんてことは、さすがにできなかったのだ。
 そんな、一見、あまりにもあっけなく日常へ戻ってしまった、と感じるかもしれない日々は、一通の電報によって破られる。
 電報はどうやら、朔子からのもののようだ。

『急ギ私ノ家マデ来テクダサイ』

 今まで、彼女からこんなにそっけない電報を受けたことはなかった。そのために、電報からは朔子の焦りや戸惑いが、まるで滲み出ているかのように感じられた。

 


<文月邸へ向かう>
 急いで家の支度をごまかして文月邸へ向かえば、ひどく思いつめた表情の朔子があなたたちを出迎える。
「来てくれてありがとう。あのね、あなたたちに相談したいことがあって……」
「とりあえず、あがってくださいな」

 そして朔子は、お茶のもてなしもそこそこに、あなたたちへ話を切り出した。
「あのね、この前お話していた『赤い糸』のことなのだけれど……」
「あなたたちとお茶会をした日、お父様とお母様がお出かけしていたのはお話したかしら。そのあと、お帰りになったお母様がずっとお部屋にとどまっていたのだけれど、さすがに心配になって、昨晩こっそりお母様のお部屋に入ったの」
「だけど、どこにもお母様はいらっしゃらなくて……。お父様たちに訊ねても、誰も事情がわからないみたいで、それだというのに、文月家の体裁のために、隠していたのですって」
「それで、せめて私だけでも、と、何か手掛かりがないかってお部屋を調べることにしたのだけれど、……お母様の裁縫箱から、あの『赤い糸』がなくなっていて……!」
「偶然なのか分からないけれど、私、どうしても怖くなってしまって、あなたたちを呼んだの。もしかして、もしかしたら『赤い糸』が関係しているかもって思うと、いたたまれなくなってしまって……それに、こんなことお話できるの、あなたたちしかいないから……」
 普段の彼女からは想像つかないような、泣きそうに弱々しい表情で、朔子はあなたたちへ告げる。
「お願い。私と一緒に、いなくなったお母様の手掛かりを探してほしいの」
(※協力しようとしない場合、探索者が生還しシナリオをクリアすることは可能であるが、この時点でシナリオは終了する)

<朔子に協力する>
 あなたたちの返事に、朔子は心底ほっと安堵したように胸元で手を重ねた。
「ありがとう、嬉しい……!」
「それじゃあ、まずはお母様のお部屋を調べなおすところからはじめましょう。手掛かりを探すといっても、私たちにできることって、とても少ないから」

 


<京子(朔子母)の部屋の探索>
 朔子に案内され、彼女の母が使っていた部屋へと入る。板張りの洋間には鏡台やクロゼットといった洒落た家具がいくつか置かれていた。几帳面な性格なのかどこも整えられており、一見しただけでは、何も不審な点はなさそうに見える。

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【聞き耳】または【幸運】
 部屋を調べる途中で、コト、と何か軽く動く音がした。どうやら、誰かの着物の裾が鏡台のふちにひっかかって、引き出しを開けてしまったようだ。
 引き出しの中を見ると、使い込まれた化粧道具にまじって、非常にちいさく控えめな文箱が仕舞いこまれているのに気づく。
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(※注:「文箱(ふばこ)」とは、手紙などを入れておく箱のこと)

 

<文箱の中身を見る>
 中には、何通かの手紙や葉書が、控えめな文箱の大きさに合わせて、これまた控えめに仕舞われている。文章はどれも他愛ない時候のあいさつや近況のやり取りだけだったが、差出人が全て同じものだった。
『東京都浅草区……町七丁目××番地 此其彼堂』
 何も意識せずに読めば、ただ店の宣伝で送られてきたもののように見える。けれど、丁寧にまとめられたそれらには、なんだかもっと、別の秘密の意図が張り巡らされているようにも思えた。

「ええっと、このお店は……こそあ堂、という読みで合っているのかしら」
「お母様から、こんな変わった名前を聞いたことはないのだけれど……他には何も手掛かりがないし、せっかくだから行ってみない?」
 朔子は眉間にしわを寄せて考え込みながらも、あなたたちへ提案する。


<此其彼堂へ向かう>
▼古道具屋と乙女 へ

▼古道具屋と乙女

 浅草は、くらくらと煙のようなゆるやかさで息まいている町だ。こまごまと入り組んだ家々や積み木のように寄せ集められた工場などの隙間にはいつもたくさんの人がいて、少しすりきれた風を頭の上に浮かべている。
 目的の場所は、そんな浅草をかいくぐった先の、特にごちゃごちゃとした路地を進んだところにあった。
 色あせていささかふるく感じる利休色の暖簾はお世辞にも客の心を呼び込む姿勢など見られず、建物も全体的にひっそりとくたびれた印象を受ける。玄関近くの「此其彼堂」と書かれたちいさな提灯が見えなければ、とても何かを売っているようには見えなかった。


<此其彼堂に入る>
 中に入ると、時間というものを柔らかく荷解きして敷き詰めたかおりが鼻をくすぐる。陽射しの届かない店内は細長く、板張りの床いっぱいに家具や飾り棚が並べられていた。そして飾り棚にはこれまたぎっしりと、さまざまな調度品やら、何かの道具やら、内側の知られない箱やら、もはや何なのかもわからないようなものやらが、身を寄せ合うようにして呼吸をしている。
 そう、店の中には、「呼吸」が満ちていた。
 ひとつひとつの商品が、確かに誰かの手を渡ってきた歴史をもつものなのだという顔をして、あなたたちを迎えている。ここは古道具屋なのだ、とわかるのに、時間はちっともいらなかった。

「おや、お客様か。僕と縁があるようには見えないお嬢さんがただ……けれども、見つけて入ってきたのなら、ようこそいらっしゃい、此其彼堂へ」

 店内の一段高くしつらえられた場所から、男の声が届く。そちらを見やれば、きゅうと細い猫のような目であなたたちの姿を捉えている、脚の細い椅子に猫背で座るひとりの人物がいた。

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<浜谷良良との会話>
・「此其彼堂(こそあどう)」は魔術道具や神話的事情を抱える物品を取り扱うという特殊な古道具屋であるため、店主である浜谷と何らかの縁をもつ者しか存在に気づけないよう仕掛けがされている。朔子が「文月京子の娘」であると知れば、探索者が来訪できた理由について納得する。
・『赤い糸』の実物を見て調べれば、正体を見破ることができる。その上で探索者たちにささやかな協力をするが、浜谷自身『赤い糸』の流布元は知らないため、この時点では詳しい手伝いはできない。
○あなたは誰?
「ここの店主、浜谷良良(はまやらわ)という。お嬢さんがたとは初めて会うはずだが、……どこで縁を結んだのだろうね?」
○縁とは?
「この店は僕と縁のある人にしか見つけられないまじないがかけられているのさ。だから、お嬢さんがたがやってくるのも、僕にこういッた質問をするのも、どちらも奇妙に思ッているのだ」
○京子の部屋にあった文箱の話をする
「成程! 君は、京子さんの娘さんか。そしてその学友さんがた。成程ね……、そンなら、此処へ来られたのも納得だ。京子さんは、僕の幼馴染なのさ。彼女から君たちに、縁が繋がッているのが、何かをきッかけにして結ばれたと見た」
○京子について訊ねる
「さァ、季節の挨拶で葉書や手紙をやり取りはしていたが、それ以上のことは特に、何にも。最後に会ッたのも、もう何年前のことやら……」
○『赤い糸』について訊ねる
「はて、僕の店に持ち込まれたことはない名前だ。しかし、噂は聞いたことがある。もし実物があれば、鑑定がてら見てみようか」
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(※『赤い糸』については、宣言がなくても携帯していたことにしてよい)


<『赤い糸』を浜谷へ見せる>
 ふっくらと美しい糸を男へ差し出すと、男はちいさく縁の細い眼鏡をかけて手袋をつけ、丁寧に受け取った。それから少し糸巻から糸をほどいて指先でよってみたり、光にあてたりして、しばらく真剣な面持ちになる。
 それから、はっと何かに気がついたような表情をすると、少し難しそうな顔をしてからこう告げてきた。
「もう少し詳しく調べるために、五センチほどこの糸をいただけないだろうか」
 了承するのであれば、「有難う。少し待ッていてくれ」と言って、切り分けた糸を持って店の奥へ引っ込んでしまう。


<店内を調べる>
 改めて店内を見渡せば、出自も年齢もさまざまなものたちが佇んでいる。よく見かける日用品に似たものもあれば、何とも形容しにくい奇妙なかたちの置物まで。美しく繊細な意匠の額縁に収められているのは、まっさらな絵画だ。ただ白いだけでどうやら何も描かれていないようだが、これで完成品らしい。
(※肖像画については、しらぬま彼方様制作シナリオ『Utopiumに死す』関連作品です。当シナリオでは描写以上の情報や効果はありません)

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【聞き耳】
○成功
 店の奥のほうから、何かが破壊されるような大きな音が聞こえた。
○失敗
 店の奥のほうから、何か音が聞こえた。
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<店の奥へ向かう>
 男の引っ込んだ店の奥へ向かうと、思わず目を疑うようなものがあった。
 人の腕ほどもある大きさの、ギチギチと鋭い毛むくじゃらの鉤爪のようなものが一本、畳を食い破るように引っかいている。鉤爪はいくらか節くれだっており、何かもがくような動きをしていた。だらだらと涎のように糸を全身へ這わせているが、その赤色は、艶々となめらかで、宝石のように上等な、あなたたちの持つ『赤い糸』と、同じものだ。【SANC 1/1d4】

 

<鉤爪との戦闘>
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【エネミーデータ】
「毛むくじゃらの鉤爪(レンのクモの脚)」
STR:4 CON:18 SIZ:8 DEX:12 装甲:6 HP:4
攻撃:「引っかき/40%(ダメージ:1d3+POT18の毒)」
<戦闘終了条件>
以下のいずれかを達成すれば戦闘終了。
・2ラウンド経過する(浜谷が「萎縮/基本ルールブックp.252」の呪文を行使し終える)
・HPを0にする
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(※「レンのクモ/基本ルールブックp.194」の一部である素材だったものが『赤い糸』との接触で活性化し、暴走している)
(※浜谷が自分の手番で呪文を唱え鎮静化をはかるため、耐久戦となることが想定される)

 

<戦闘終了>
 目の前の毛むくじゃらの鉤爪状の怪物はがくりとうなだれ、黒く変色して炭のようにボロボロと崩れた。
(※探索者が毒を受けてしまった場合、浜谷が解毒剤を用意する。または、回復に適切な呪文を行使してもよい)


<浜谷に事情を尋ねる>
「危険な目に遭わせてしまッて済まない。正体を見破るために少し試したものがあッたのだが、予想以上の反応が起きてしまッてね」
 男は申し訳なさそうに膝をはらいつつ、焦げ崩れた残骸を片付けはじめる。
「君たちからいただいた糸の正体を確かめるために他のものと組み合わせてみたのだが、想像以上に効き目があらわれてしまッてね。少々暴れてしまッた」
「けれど、おかげで正体を突き止めることが出来たよ。随分と厄介なものだが、こんなものが出回ッているなんて物騒な世の中になッたもんだ」

「……この糸は、恐ろしい怪物さ。生きて人を喰らうために紡がれた、地獄へ至る糸だよ」


▼蜘蛛の糸と乙女 へ

▼蜘蛛の糸と乙女

 男は一息つくと、あなたたちと改めて話をするために座布団をすすめた。
「さて、色々話したほうが良い事や、聞かなければならない事が増えてしまッたようだ。生憎全てに答えられるとは限らないけれど、僕の知ッている事を教えようじゃないか」

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<浜谷良良との会話>
・『赤い糸』の正体について話し、対抗策を講じる。以下の会話については尋ねられた順に答えてもよいし、浜谷から一括して話してもよい。
○『赤い糸』の正体は?
「君たちが手に入れた糸は、とある蜘蛛の神の紡いだ糸を細工して作られているものだ。一種の細胞……つまり、生きている糸だ。必要とあらば勝手に伸びて、或いは他の繊維に侵食して、そうして人を捕らえるように出来ている」
○さっきの化け物(毛むくじゃらの鉤爪)は何?
「蜘蛛の神の子供にあたる怪物の脚を乾燥させたのを一本、試しに糸と合わせてみたんだ。まさかこれほどまで結びつきの強いものだとは思わなかッたが……」
○最近の行方不明事件との関連性は?
「この糸が婦女の間に流行ッていると云うのなら、最近の婦女ばかりを狙ッた行方不明事件との関連性も高いだろう。京子さんが帰ッてこないのも、もしや……」
「しかし、妙なのは、あくまでもこの糸は『糸』に過ぎない事だ。いくらこの糸が生きて人を喰らおうとも、人の行方をくらますまでは出来ないはずだ。もし本当に糸に喰らわれた人がいたのだとしたら、どうやッて姿を消しているのだろう……?」
○これからどうすればいいの?
<乙女の選択> へ
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<乙女の選択>
「さて、お嬢さんがたがお持ちの『赤い糸』について、大体のあらましは分かッたかな?」
 浜谷は一息つくと、眼鏡をかけ直してあなたたちに訊ねる。
「恐らく問題は、これから先どうやッてこいつと向き合うかだ。この糸はどうにも帝都で多く出回ッているみたいだし、帰ッてこない京子さんも気掛かりだ」
「それに対して、僕からひとつ、譲れるものがあるが……お嬢さんがたに、多少の危険を背負わせてしまうものになる。退くか退かないかは自由だが、どうする?」
(※探索者が返答を渋る場合は、朔子が「私はここまで来て引き下がれないわ!」と意思を表明する。提案を断り日常に帰る場合、生還しシナリオをクリアすることは可能であるが、この時点でシナリオは終了する)

<浜谷の提案を受ける>
「云、なかなかにたくましいお客さんだ。それなら、これを譲ッてあげよう」
「お代は先程頂戴した糸の分で結構だよ」
 そうして、棚のひとつの引き出しを開けてから、とある小箱を開く。中には、淡い朝露を固めたような色の棘のような針が幾本か、一本ずつ柔らかな布に仕切られて鎮座していた。
「これは『結晶の針』、と言ッても、只の結晶では無い。こいつもまた生き物でね、己へ直接触れた生き物を凍らせるという怪物の破片なのさ」
「こいつを縫い針に加工して、お嬢さんがたに譲ろう。『赤い糸』で繕ッた服を着た人を狙ッて誰かが何かをしている事は明白だ。それなら、手袋をつけて針にも糸にも直接触れないように気をつけながら、針に『生きている』糸を喰わせて服を繕ッて、反撃してしまえば好い」
「とはいえ、糸が凍ッて硬くなッていくとなると、普通の繕いものでは動きづらくなッてしまうから……和装ではなく、より身体の輪郭に沿ッた、洋服を仕立てるのが良かろう」

<洋服の仕立て方を訊ねる/仕立てようとする>
「それなら、一箇所良い心当たりがある。少し電車で遠くまでかかる場所だが、今日中に往復する事くらいなら出来るだろう。最寄り駅からの地図も書いておくから、しばらく待ッていなさい」
 浜谷はそう言うと、針の入った小箱を抱えて再び奥の部屋へと引っ込んだ。しばらくして戻ってくる頃には、小箱と一緒に二枚の紙を手の中へ結わえていた。そうして、縫い針に加工されたのであろうものが入っている小箱と一緒に、あなたたちへ渡してくる。

<紙を確認する>
 一枚はこの店の名刺のようで、「古道具屋此其彼堂 浜谷良良」という名前が住所と一緒に記されている。
 もう一枚は地図だ。目的地の最寄り駅は、ここから何本か電車を乗り継いで一時間ほどかかる場所のようだ。何本か走っている線を交差させてかたちづくられている道を辿っていく先に、ひとつの施設名が書かれている。
 名前は「アノマリオール博物館」というらしい。
「この博物館はお得意様でね。特に、色んな珍しい資料のある場所だから、受付嬢に服飾本の閲覧をお願いすれば、手伝ッてくれるはずさ。挨拶の時に僕の紹介だと言ッておくと良いよ」
「僕のほうでも、もう少しこの奇妙な糸について調べておくことにするよ。まとまッたらひとつ書簡を送ることにしよう」


<アノマリオール博物館へ向かう>
▼博物館と乙女 へ

▼博物館と乙女

 電車の窓から流れる景色を無事に降りて吸い込めば、少し甘い空気がくちに含まれていく。帝都からやや外れた寂れた駅は、ちりちりと熱を帯びる金網で簡単に囲われているだけだ。浜谷に教わった道を辿っていけば、やがてひとつの建物が見えてきた。
 博物館、という名前の割にはしとやかで静かな木漏れ日の似合う入口。そこには、確かに「アノマリオール博物館」と掲げられている。


<アノマリオール博物館に入館する>
 博物館の中に入れば、あらゆる季節を混ぜてとんとんと均したミルクのような涼しさが漂っていた。入ってすぐの場所は西洋の装飾があしらわれた広場のようになっており、奥には大きなリボンで青みがかった髪をたっぷりと結った洋装の女性がひとり立っていたが、あなたたちを見つけるとニッコリと微笑み、話しかけてくる。
「ようこそ、アノマリオール博物館へ。本日は常設展の展示を行なっています」

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<受付女性との会話>
・「服飾本の閲覧をしたい」と希望すれば、資料室に案内し型紙の手動複写をさせてくれる。また、浜谷の名刺を渡した場合は未来(現代)に出版されているより緻密な服飾本の閲覧を許可し、型紙もコピー機で複写をしてきてくれる。
・アノマリオール博物館は、具体的な所在地や歴史を有さない特殊な施設であり、受付女性についても同様に固有名を持たない。パンフレットや経歴等の詳細情報を求められた場合は「ごく一般的な博物館の内容である」と回答すること。
○服飾本の閲覧をしたい
「それでしたら、資料室へご案内致します。こちらは無料でご利用いただけますよ」
○浜谷から紹介を受けたと伝える/浜谷の名刺を渡す
「あら、浜谷様のお知り合いの方でしたのね。それでしたら、ぜひお力添えできれば幸いです」
「閉架図書の閲覧もご案内できますので、資料室にていくらかご希望の資料をお出しします」
○浜谷との関係性は?
「浜谷様からは何度か美術品の寄贈をいただいておりまして……他にも、優れた古美術修復の技術をお持ちでいらっしゃったり、さまざまな方のご紹介をいただいたり、当館へのご協力をいただいている方でございます」
○ここはどんな博物館なの?
「アノマリオール博物館は、ご来館いただいた皆様の瞳に潤いをもたらし、鮮やかに彩るお力添えを願う場所として存在しています」
○あなたの名前は?
「そうですね……、それでは、ムーサとでもお呼びください。私自身は特に名乗る程の者ではございませんが、ここでの愛称のようなものです」
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(※浜谷の名刺を渡したほうが後ほどの処理で探索者に有利となるため、誰も発言しないようであれば朔子から紹介を受けた旨の発言をさせてもよい)

(※受付女性「ムーサ」は、当シナリオ参加企画「ムーサ異装展覧界」キービジュアルに描画されている女性と同一のデザインである)

 


<資料室へ案内を受ける>
 女性は丁寧に一礼すると、あなたたちを「資料室」と札のさげられた部屋へと案内する。中は洗練された印象を抱く立派な書架が並んでおり、図書館で見るよりも文化や芸術の方面の本がぎっしりと詰まっていた。
「服飾に関する棚はこちらになります。型紙や資料の複写をご希望でしたら、お手伝いするので何なりとお申し付けくださいね」

<服飾の資料を探す>
 確かにこの充実した資料棚であれば、洋服づくりの参考になる本がありそうだ。
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○浜谷からの紹介であると告げている場合
「こちらは、一般の方には解放されていない閉架図書の書籍になります。閲覧の際は他のお客様の目にあまり触れぬようご注意をお願い致します」
 受付の女性はそう言って、何冊か分厚い本を用意してくれた。そちらを開いてみると、……何と表現すればよいのだろうか。どれも、恐ろしいくらい綺麗な本だ。インキの汚れも文字の凹凸もまったくなく、おまけに本文もいやに違和感のある書かれ方で、まるでどこか全然別の世界のもののように思えた。【SANC 0/1】
 とはいえ、女性の洋装についてとても詳しく書かれており、開架の本棚とは比べものにならないくらい参考になるのは間違いない。読み込んでいくうちに、大まかな洋服づくりの流れを掴むことができた。まずは「型紙」というものを本から写し取らなければならないらしい。
○浜谷からの紹介を告げていない場合
 資料棚を探して回れば、数は少ないものの女性用の洋服づくりについて書かれている本を見つけることができた。読み込んでいくうちに、大まかな洋服づくりの流れを掴むことができた。まずは「型紙」というものを本から写し取らなければならないらしい。
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(※閉架図書は時空をまたいだ書籍の保管庫となっており、より洋服の服飾に詳しい未来である現代日本の書籍を探索者は閲覧することになる)

<型紙をとる>
 どんな型紙を使うかによって、洋服のかたちは全く別のものになるようだ。自分の好みや技量にあった型紙を選び、正確に写し取ることは、今回の洋服づくりでは最も肝心だろう。
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○浜谷からの紹介であると告げている場合
 型紙をどう写し取ろうか相談していると、受付の女性が「もしよろしければ、ご希望の型紙のページを複写してきましょうか?」と告げてくれる。そのまま女性はあなたたちの写し取りたい型紙を聞くと、本と一緒に別室へ引っ込み、しばらくしてから戻ってきた。
 女性から紙を受け取れば、そこには恐ろしいほどぴっしりと寸分違わぬ型紙の図が上等な紙に写し取られており、とても人の手で行なわれたものでないように感じる。【SANC 0/1】
→<『精巧な型紙』を入手
○浜谷からの紹介を告げていない場合
 型紙をどう写し取ろうか相談していると、受付の女性が「もしよろしければ、美術品を保管したり移動させたりする際に使う薄い包装紙がございますので、お分けしましょうか?」と告げてくれる。一度別の場所へ引っ込んだ女性はしばらくすると、薄く粗い紙と鉛筆とを持ってきてくれた。それらを使えば、なんとか本の製図通りに、型紙を写し取ることができるだろう。
→<『手書きの型紙』を入手
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(※受付の女性が複写を行なう場合は、コピー機による複写であるため精度が非常に高い)
(※どのような洋服を作るかは、自由に設定してよい)

 


<資料集めを終える>
 型紙を複写し終え、その他にも洋服を仕立てるのに必要な手順を勉強していく。まずは布地を水に通して整えてから型紙に合わせて裁断し、部分ごとに縫い合わせ、最後に細かな装飾を行なうそうだ。必要な手順を要点を追って写していくうちに、自分たちはまったく新しいことを始めるのだと、はやる気持ちが波のように寄せかえってさざめきだす。
 そうして、無事に洋服づくりに必要な知識をまとめ終わると、たっぷりと時間を使ってしまったようだ。時計を見れば、もう帰らないと家の者に叱られそうな頃合いになっていた。

「もしよろしければ、またお時間のある時にお越しくださいね」
 受付の女性はそう言って、あなたたちを見送ってくれることだろう。

 


<帰路につく>
 帰りの電車はなんとなしに、疲れからか非日常への未練からか、少し気怠い陽射しのまつげが膝のあたりまで射しこんでくるように思える、そんななかで、あなたたちはそれぞれの型紙を携えて、これからどう洋服を作っていこうかとつま先を揃えていた。
 朔子はあなたたちを安心させるようににっこりと微笑んで、優しくひとつの提案をする。

「ねえ、これからの洋服づくりについてなのだけれど……」
「時々私の家で集まって、一緒に助け合って服を繕うのはどうかしら? 毎日集まるのは難しいけれど、お互いに困ったところを打ち明けたり、上手にできたところを褒め合ったりすれば、きっと無事に完成すると思うの」

 自分だけの洋服を仕立てるのだ。そんな、ささやかでとっておきの秘密と期待が、あなたたちの間にたちこめていた。


▼乙女のささやかな聖戦 へ

▼乙女のささやかな聖戦

 それから、あなたたちの日々は一挙に目まぐるしくなる。否、実際には時間の流れる速度も毎日を送る季節の反応も、まるでいつもと変わりないのだろうが、そう感じずにはいられなかった。
 あなたたちの過ごす日々には、変わらず『赤い糸』にまつわる曖昧でまことしやかな噂が漂っているし、朔子の母はいまだに戻っていないし、学校はもうすぐ再開される。
 それでも、あなたたちは新しいことを始める。秘密と謎のもとに、自分だけの洋服を仕立てる、そのことが、なんだか、本当だったら決してできないような、一世一代の乙女のささやかな戦いのようで、潮騒のようにはやり、すみずみまで明るく磨かれていく心地がした。
 あなたたちは家事の合間に、洋服づくりを進めることになる。

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(KPからPLへのアナウンス)
 洋服を完成させるために、複数の技能判定を行なっていきます。判定の成功数が多いほど出来栄えがよく、探索者の満足する洋服が作れるでしょう。
 また、各判定の前に【幸運】に成功すれば、家事を事前に片付けたり用事の隙間を工面したりして「文月邸」に向かってから作業ができ、「文月邸」に集まった人物は互いの各判定を追加で一度まで行ない、補助することが可能です。
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(※探索者が「文月邸」へ集まることができた場合、探索者同士または朔子による追加判定を行なうことができる)
(※洋服の出来栄えはゲームシステムに影響しないため、ここではできるだけ自由で積極的な洋服づくりを行ない、探索者同士の交流を楽しんでほしい)

○布を用意する
 一人分の服をつくるだけの布となると、さすがに手持ちの端切れでまかなうわけにはいかない。新しく買うか、家にあるものを譲ってもらう必要があるだろう。
【交渉技能】【経理】【APP*5】等に成功することで、十分な量の布を確保することができる。コネを使って値引きをしてもらう、親に買ってもらう、古い着物の布を解体する、等。
 技能に失敗した場合は、理想の洋服づくりにぴったり合うものではないものの、布の確保そのものはできる。

○布を裁断する
 用意した布はまず「地直し」といって、布が縮むのを防いだり、歪みを直したりするために、一度水に通して乾かすのが必要らしい。その後、いよいよ用意した型紙を配置して、紙と布を留め、はさみで布を切っていくのだ。
【DEX*5】【芸術(裁縫)】等に成功することで、上手に布を裁断することができる。また、『精巧な型紙』を用いる場合は+20%の補正値を得る。
 技能に失敗した場合は、少しだけ生地が余ったり、足りなかったりしてしまうかもしれない。次の工程の<○裁縫する>に-10%の補正が入る。

○裁縫する
 着物と違って、洋服というものは随分と複雑な縫い合わせ方をしなければならない。そのため、集中力も技術もひとしおに必要だ。それに、今回使う裁縫道具はどちらも怪物由来なのだから、一層緊張感が走る。手袋をしっかりとしてから、針をひとさじずつ、ひらりと布に差し込んでいく。
【DEX*5】【芸術(裁縫)】等に成功することで、細部まできめ細かく布地を処理し、理想のかたちそのままの、素晴らしい洋服に仕立てることができる。
 技能に失敗した場合は、少しばかり不格好な箇所ができてしまうかもしれないが、それでもはじめての洋服づくりにしては上出来な、立派な服を仕立てることができる。

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【目星】または【聞き耳】
 針に糸を通してから布地へ糸を渡した際、ほんの少しだけ、キシ、とかじかむような音が聞こえた。はっと手元を注意深く見やると、針と糸の触れている箇所からしなりしなりと、透明な霜がきしむのと同じ感覚が走り、糸を少しばかり硬くしているようだった。
 この針と糸は、間違いなく、生きている。【SANC 1/1d3】
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(※キーザによる細胞への結晶化が、『赤い糸』の組織に作用している。『結晶の針』の影響力は弱いため、結晶化を受けた『赤い糸』や洋服に、探索者が直接触れても障害は起こらない)
(※洋服づくりの最後の過程で探索者が全員「文月邸」に集まっていた場合は、仕上げのみそれぞれの自宅で行なったという時系列にすると直後の進行がスムーズになる)


<洋服づくりを終える>
 無事に洋服づくりを終えたあなたの前には、世界で一着しかないあなただけの服がある。最後の糸の始末を終えて、両腕でそっと持ち上げてみれば、確かな質量を伴ってあなたの肌を撫ぜた。そんなあなたたちの元に、朔子から「浜谷さんからお手紙をいただいたの。せっかくだから完成した服もお披露目して、みんなで読みましょう」と連絡が入る。

 


<文月邸へ向かう>
 再び文月邸へ向かえば、そわそわとした様子の朔子があなたたちを出迎える。
「ありがとう、来てくれて! ここで立ち話も暑いものだから、どうぞおあがりくださいな。浜谷さんからのお手紙も、私の部屋にしまってあるの」

<浜谷からの手紙を読む>
 手紙の宛名はおそらく浜谷が「男性からの手紙を無闇に受け取っては訝しがられるだろう」という気遣いをしたのだろうか、朔子の母、京子のものとなっていた。しかし、差出人の部分には「此其彼堂」の判子の隣に針と糸を連想させる印が描かれており、あなたたちに向けて送ったものなのだろうとわかる。
 手紙の中身を確認すると、次のように書かれていた。

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拝啓
 向日葵の眩しさが目立つ今日この頃、云、時候の挨拶はもうこれで終いにして早速先日の「赤い糸」について判ったことを報せよう。
 件の糸について、帝都に実物を流している連中の正体を掴んだ。奴等は蜘蛛の神を信仰する教団の一味で、自分たちの宗教のために特殊な糸を紡いで人さらいに利用しているらしい。赤い糸にまつわる噂も、糸がより受け入れられるよう流した罠のようだ。
 どうやら、奴等は蜘蛛の神から糸を採取してから特別な加工を施し、繕いものの布を糸に喰わせ、服を「人間を喰う繭」にして、相手の身動きを取れなくさせてから、糸の気配をたよりにさらいに来るそうだ。京子さんも恐らくこの手口でさらわれたのだろう。
 そこで、君たちに提案だ。
 僕の売った針と合わせた糸であれば、硬く凍って変質しているから布を喰う恐れもなく、安全に君たちを導くはずだ。洋服を仕立て終わったら、それを着て京子さんの部屋を調べてみなさい。奴等が京子さんをさらう時に作った秘密の経路があるはずだ。そこから奴等の拠点へ侵入し、さらわれた人を取り戻す方法を掴むのはどうだろうか。
 僕はもう少し調べものをしてから、別の遣り口で動こうと思う。
敬具
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<仕立てた洋服を身に着ける>
 あなたが自分で仕立てた洋服に袖を通すと、シンと静謐な感覚が身体に張り巡らされて、気分がしゃきりとくすぐられる。おぞましい怪物の一部を用いているとわかってはいるものの、縫い目は強くしなやかな柳のごとき美しさで、服全体に伝わっているみたいだった。
「みんな、とっても素敵なお洋服ね! こんな時でなければ、もっとたくさん褒め合いたかったけれど、それは、次にゆっくりお茶会ができる時までとっておきましょう」
「それにしても、なんだか、とっても不思議な感覚がするわ。……このお洋服が特別なのかしら?」
(※着替えの他、髪型を整えたり小物を揃えたりして目一杯のおしゃれを楽しんでもよいだろう。少女が身だしなみを整える猶予は十分にある)

 


<京子(朔子母)の部屋を再度調べる>
 再び京子の部屋を訪れると、最初に訪れたときと部屋の中身は何も変わっていないのに、ぞわりと何かに絡めとられるかのような気配を覚えた。気配の先をたどれば、クロゼットの扉がわずかに開いているのが見える。


<クロゼットの扉を開ける>
 かたり、と音を立ててクロゼットの扉を開ける。瞬間、あなたたちに大きくうねるような目眩が襲いかかり、くらりと視界が呑まれ、思わず目を閉じてしまった。
(※クロゼットの扉の先は《窓の創造》によってアトラック=ナチャの棲み処へとつながっている)


▼魔窟と乙女 へ

▼魔窟と乙女

 数度まばたきをして、輪郭がまつげから空間へと移った頃。あなたたちは、文月邸とはまったくかけ離れた見知らぬ場所にいた。
 周囲は薄暗く、じくじくとした気味の悪い岩壁があなたたちを威圧する。食い破られた繭のように視界は悪く、幾重にも横穴がのさばり、崩れた石がからげ、ここがどこなのかを知らせるものをさっぱり隠してしまっていた。【SANC 1/1d4】

<周囲を確認する>
 咄嗟に近くを見渡しても、あなたたちがどこから来たのかまるでわからず、意地悪い誘いのようにぽっかりといくつもの穴が空き、ひゅうひゅうと隙間風が漂っていた。
 それだけでなく、周囲からは時折、かさり、ごすごす、と、何か大きな虫のようなものの這いずる音が聞こえてくる。

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(KPからPLへのアナウンス)
 現在、探索者の周囲には見知らぬ何ものかがうごめき、探索者を探しています。探索者は何ものかに見つからないよう逃げながら、この場所について探らなければなりません。
 これから5箇所の分かれ道を進むなか、探索者は一度ずつ全員【聞き耳】判定を行なってください。ひとり以上が判定に成功した場合、うごめく音を聞き分けて何ものもいない道を選択し、周囲を注意深く調べることができます。全員が判定に失敗した場合、間違った道を選択し、何ものかと遭遇してしまいます。
 できるだけ多くの正しい道を選択し、手掛かりを探しましょう。
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○全員が【聞き耳】に失敗する
 どちらの道が正しいのかわからず不安を抱いたまま進んだ先から、不意に赤い光のつぶが瞬いた。いや、ただの光ではない。つぶは明確にあなたたちを捉え、突進してくる目玉だ。
 ぎょろりと剥かれた目玉はぬらぬらと真っ黒な外皮のくぼみにはまり、ぶるぶると大きな腹を揺さぶってあなたたちを追い詰めようとしてくる。鋭い顎、膨れた腹、八本の脚。あなたたちを探していたのは、人間と変わりないほどに大きな蜘蛛だった。【SANC 1/1d8】

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【回避】
○成功
 迫りくる蜘蛛から身をかわし、なんとか奥へ逃げて身を潜めてやりすごすことに成功する。
○失敗
 あなたは逃げきれず蜘蛛の脅威に晒される。しかし、蜘蛛があなたの頭をむさぼり食おうと顎を開いた直後、びきりと大きくのけぞった。そのまま、蜘蛛はなぜだか後ずさると、あなたへ再び襲いかかることはせずに、逃げていってしまった。
 それと同時に、あなたはどっと倦怠感と悍ましい吐き気に襲われる。【MP-8,SAN-1d8】
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(※洋服を縫った糸に発現した《精神的従属》の性質が「アトラック=ナチャの娘」に作用し、探索者を襲わずに去っていく。探索者が捕捉され、襲われる直前までの時間を3ラウンドとする。この正気度喪失による発狂はなし)

 


○【聞き耳】成功-1回目
 岩壁をよく確かめると、大きな鉤爪で引っかいたような跡や、すりきれてかすれた糸がはりついている。此其彼堂で見た「毛むくじゃらの鉤爪」と似たようなものを持つものが徘徊しているのではないかと推測できる。

○【聞き耳】成功-2回目
 崩れた瓦礫に埋もれるようにして、ぼろぼろの布切れが挟まっていた。さらに、空の糸巻がそばに転がっている。『赤い糸』に喰われた女性がここへ連れてこられてきたのは間違いないようだ。

○【聞き耳】成功-3回目
 隙間風のこぼれる場所を調べると、どうやら意図的に道をふさがれている場所がいくつもあるようだと気づく。人さらいはこの洞窟のあちこちから、帝都へつながる秘密の通路を作っているのだろうか。
(※信者たちが《窓の創造》によって現実世界と繋いできた《門》の跡地である)

○【聞き耳】成功-4回目
 ぽっかりと、人工的に作られたのであろう小部屋のような洞窟を発見する。いくつも並んだ棚には真っ赤な液体の入った瓶や大量の糸巻がしまわれており、引き出しのいくつかには、あなたたちが見つけたのと同じ『赤い糸』が糸巻をたっぷりと飲み込んで鎮座していた。
 ただし、ひとつだけ鍵のかかった戸棚がある。

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【目星】
 棚の裏に貼りつけられた鍵を発見する。鍵を用いて戸棚を開ければ、中には奇妙な素材で作られた糸車がしまわれていた。つめたい光沢を放つその糸車は、普通の糸車とは異なる部品がいくつかついており不気味さを醸し出しているものの、底知れぬ威圧感と禍々しい存在感を放っており、何より、この部屋にあるものの状況から『赤い糸』に深く関わっているものだろうとわかる。
『女王の糸車』を獲得
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(※『赤い糸』を製作・保管するための部屋である。『女王の糸車』は今後の処理や分岐にかかわるアイテムであるため、「持っていきますか?」とPLへ確認すること)
(※真っ赤な液体に【医学】を用いれば、人間の血液であることが判明し【SANC 1/1d3】)

 

○【聞き耳】成功-5回目
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<『女王の糸車』を既に発見している場合>
 周囲を調べても、これ以上目新しいものは見つからないようだ。
<『女王の糸車』をまだ発見していない場合>
→【聞き耳】成功-4回目 の【目星】をもう一度挑戦可能
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<5箇所の分かれ道を全て通った>
 曲がり道をいくつも通った先は、次第に一本道になっていく。やがて、道はぼんやりと明かりの灯る通路へとなり、あなたたちを導くことだろう。

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【聞き耳】
 道の向こうから、より一層何ものかのうごめく音が聞こえる。
 その中に、女性の悲鳴のような声がかすかに混じった。
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▼女王と乙女 へ

▼女王と乙女

 奥は、いっとうひらけた場所になっていた。そこはあなたたちの知る由もないほどに、神秘的で、恐ろしく、悍ましく、いっそ美しさすら感じる、背筋の粟立ち怖気の這う場所だった。
 糸が、てらてらと獣の涎の光沢を放ちながら、世界そのものを織りなすように張り巡らされている。
 高さのはかり知れぬ天井いっぱい、とても向かう気になれぬ奥行き全部に、強靭で狂気的な蜘蛛の巣が張り巡らされており、気の遠くなるような深い割れ目のふちに刺繍をかけていた。糸は絶えず新しく紡がれ続けるように、大勢の人間大の蜘蛛たちが粛々と巣のふちに従事している。そして中央には、赤い目を宿した一際巨大な蜘蛛が、ギチギチと全身をしならせながら、一心不乱に糸を吐き出し、この空間に君臨していた。
 世界の終焉に至る糸を紡ぐ女王、アトラック=ナチャを目撃した探索者は【SANC 1/1d10】

 また、蜘蛛たちのふもとには無数の骨や赤い糸が散らばっており、ここにさらわれたという行方不明の女性たちが連れてこられ、犠牲になってきたのだということがわかる。さらに、燭台のかかげられる祭壇のような場所には人のかたちをした赤い繭があり、深くフードをかぶり外国の神官のような姿をした人物たちによって、繭が引き裂かれるところだった。
 引き裂かれた、その中から現れたのは……。
「お母様!!」
 朔子の悲鳴と、巨大な蜘蛛の女王が彼女の母へと牙を向けたのは、ほぼ同時だった。

<京子の救出(戦闘)>
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【エネミーデータ】
蜘蛛の女王(アトラック=ナチャ)
 STR:30 CON:75 SIZ:25 INT:15 POW:30 DEX:25 装甲:12 HP:50 db:+2d6
 攻撃:「噛みつき/100%(ダメージ:POT35の毒)」
 行動:6ラウンドかけて移動後、抵抗できない状態の京子へ【噛みつき】を行なう。
蜘蛛の娘(アトラック=ナチャの娘)×[探索者数+1]体
 STR:23 CON:19 SIZ:20 INT:12 POW:6 DEX:12 装甲:5 HP:20 MP:6
 攻撃:「噛みつき/75%(ダメージ:1d10+POT20の毒)」
 行動:探索者と朔子へひとり一体ずつ噛みつき攻撃で救出妨害を行なう。
異国の神官(信者の人間)×2人
 STR:11 CON:10 SIZ:12 INT:13 POW:8 DEX:10 HP:11 MP:8
 攻撃:なし
 行動:京子をアトラック=ナチャの生贄に捧げようとする。
<京子の救出条件>
(PL向け情報)
・京子のいる場所まで到達するのに、3ラウンドの行動を移動に用いる必要がある。
・目的地に到達後、神官たちから京子を奪取し、救出する必要がある。
→(救出に最低4ラウンドが必要)
・移動を宣言する際、【回避】を同ラウンド内で行なうことができる。

・アトラック=ナチャは6ラウンドかけて移動後、抵抗できない状態の京子を捕食する。
(KP向け情報)
・神官に対し、[STR22(神官×2)との対抗ロール][《精神的従属》の発動]のいずれかによって京子を救出可能。
・探索者または朔子が攻撃を受けた場合、1ラウンド以内に【応急手当】または【医学】によって毒を吸い出し、簡易的な解毒ができることにしてもよい。
<戦闘終了条件>
以下のいずれかを満たせば戦闘終了。
・京子の救出に成功する。
・探索者全員が戦闘不能になる。
・6ラウンドが経過する。
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○『女王の糸車』を携帯している場合
 あなたたちの持つ奇妙な糸車を前に、蜘蛛の群れはたじろいで後ずさった。どうやら、糸車に畏怖の念を抱いているのか、傷つけるのを恐れているのか、あなたたちへ襲い掛かるのに二の足を踏んでいるようだ。
(※「蜘蛛の娘」の【噛みつき】に-30%の補正がかかり、【噛みつき/45%】となる)

 


<京子のもとに到着した場合>
 蜘蛛の群れをかいくぐって朔子の母のもとへたどり着くと、神官の恰好をした人間がふたり、あなたたちの前に立ちふさがる。
 その時、あなたたちの身にまとう洋服から、さざなみが全身を奮わせるかのような感覚が走った。まるで、洋服から、布を縫い合わせた糸から、怪物であったはずの何ものかから、あなたたちへ激励と遺志が流れ込むかのように。あなたたちの仕立てた洋服は、ささやかなお洒落は、今この場であなたを守る、最大の武装になっているのだ。

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(KPからPLへのアナウンス)
 怪物を用いて仕立てた服には、神話的な事象の重なりによって以下の呪文が宿っています。
《精神的従属》(基本ルールブックp.266)
コスト:MP8,SAN1d8。どんな対象にもかけることができる。
呪文をかけられた対象は1ラウンドの間呪文の使い手にコントロールされ、どんな命令でも実行してしまう。成功率は[呪文の使い手と対象とのMP対抗]%。
本来、この呪文をかけるには3ラウンドの時間が必要だが、探索者が京子のもとへ向かいはじめる時間から呪文が準備されているため、この場で即時に効果が現れる。
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(※主に、神官へ呪文を行使し妨害を排除する行動を想定している)
(※この正気度喪失による発狂はなし)

<京子の救出に成功する>
 あなたたちはなんとか朔子の母を巨大な蜘蛛の毒牙にかかる前に救い出すことに成功した。彼女はぐったりとしているものの、なんとか走って逃げることはできそうだ。
「あ、ありがとうございます……あちらに、逃げましょう!」
 そう言って、あなたたちをこの場から誘導する。

▼運命の赤い糸 へ


<探索者または朔子がひとり以上戦闘不能になった場合>
 動けなくなってしまった仲間を抱えるも、周囲からにじり寄ってくる蜘蛛の群れはいまだ毒牙をカチカチと鳴らし、あなたたちに立ちはだかる。このままでは、殺されてしまう……。
 視界の端に、洞窟の裂け目のような暗がりが見えた。細長いあの場所に逃げ込めば、人間よりも横幅のある蜘蛛たちは追ってくることができないだろう。
(※ここで、京子の救出を諦めて戦闘から離脱する選択肢が発生する。戦闘離脱を選択する際は、探索者全員が同じ選択をすること)

<戦闘離脱を行ない逃走する>
▼潮騒と乙女 へ

 


<6ラウンド経過した場合>
 蜘蛛の女王がゆさゆさと巨躯を揺らし、ついに神官たちによって差し出されている朔子の母へと毒牙をかける。瞬間、絹を裂くような痛みと苦しみの滲む絶叫が、洞窟全体にこだました。
 何重にも絶叫のたわむ痛ましい景色に、何やら低い歌声のような、ものを唱えるような声が混ざりだす。女王の毒牙に身体を貫かれた朔子の母はそれに合わせてぶるぶると身体を揺らし、やがて大きく身をよじり、メリメリと変貌をはじめる。
 背中の皮膚が破れ、赤黒い体液が噴き出す。内側からてらてらと黒く濡れる何かが突き出し、それは人間の皮膚を着物のように脱ぎ捨てると、いくつもの脚を伸ばし、人間大の蜘蛛のすがたをあらわにした。
 帝都の噂の真実、『赤い糸』によって連れ去られた女性の冒涜的な末路、アトラック=ナチャの娘への変貌を目撃した探索者は【SANC 1/1d8】

 蜘蛛へとすがたを変えた朔子の母だったものは、八本の脚でよろめきつつも、その場で立ち上がる。直後、あなたたちのいる方向へと身体の向きを変えると、まるであなたたちを追い立てるかのようにして走り出す。そのまま、あなたたちは何か別の行動を起こす暇も与えられずに、いくつかあった洞窟の裂け目のひとつに押し込まれるようにして、逃がされることだろう。
 朔子の母だった蜘蛛の動くその様子は、せめてあなたたちだけでも逃がそうとする、人間としての最後の意識を振り絞るようなものだった。

▼潮騒と乙女 へ

▼運命の赤い糸

 朔子の母に案内されて洞窟から抜けた道は、ひゅうひゅうとつめたい風が抜けていた。どこへ続くのかはわからないものの、追っ手を撒いて逃げのびることができたようだ。
 赤い繭であった残骸の薄物いちまいだけを羽織って、朔子の母もようやく息を整える。
「本当に、ありがとうございます……おかげさまで、助かりました」

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<京子との会話>
・探索者たちと一緒に逃げながら、自身の経緯について教えてくれる。
○いつ捕まってしまったの?
「何日前になるでしょうか……。部屋で『赤い糸』を使って着物を繕い終えた時、急に着物全体が真っ赤に染まって、私に飛びかかってきたのです。まるで、飢えたけだものが獲物を喰らうかのような。そのまま、全身を布と糸で覆われ、動けなくなってしまい……」
「それからしばらくして、どこからか見知らぬ方々が現れ、私を担いであの洞窟へ連れていってしまったのです」
○『赤い糸』はどこで手に入れたの?
「まちで『赤い糸』の噂を聞いた日の翌朝、私の枕元にあったのです。……少し不気味にも思いましたが、せっかくの願掛けなのだ、これで着物を繕って朔子にあげよう、この子はきっと新しい時代に馴染む子だから、と……それが、こんなことになるなんて……」
○浜谷との関係性は?
「浜谷さん? 古道具屋の浜谷さんのことよね。それは、私の幼馴染の名前だけれど……。もう何年も直接お会いしてはいないのに、どうしてあなたたち、彼の名前をご存知なのでしょう?」
○この道はどこに続くの?
「それは、……すみません、咄嗟のことで、私にもわからず……。しかし、なぜでしょうか。この道できっと合っていると、そんな気がするのです」
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(※京子は、浜谷が一定期間別人のような振舞いをしていたこと、その後古道具屋を営み「浜谷良良」と名乗っていることを知っているが、「結婚した女性が男性と直接会うことははしたない」「過去のふたりを秘密にするのであれば応じよう」という気持ちであるため、特に言及はしない)

<一通りの会話を終える>
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【聞き耳】
 ふと、そばでぴんと糸の手繰り寄せられるような感覚が、風にまじって聞こえたような気がした。気がしただけだ。
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 しばらくして、向こう側からカラカラと石の転げる音と、下駄の足音が聞こえてくる。奥から顔を出したのは、あの古道具屋の店主、浜谷だった。
「やあ、無事に見つけられた、良かッた、良かッた。遅くはなッたが、何とか僕も君たちを手助けするのに間に合ッたみたいだね」
「ここから帝都へつながる道をこさえることに成功したんだ。ここからそう離れていないから、案内しよう」

 


<浜谷の案内を受ける>
 浜谷についてしばらく進めば、やがてとある岩壁の裂け目まで辿り着いた。最初さまよい歩いた場所で見た横穴と似ているようだが、まだ崩れてはいなかった。
「この裂け目をくぐるように進めば、一瞬の目眩のあとにはもう帝都だ」


<裂け目をくぐる>
▼潮騒と乙女 へ

▼潮騒と乙女

 裂け目を抜けると、一瞬、あなたたちがクロゼットの扉を開けたときと同じ、くらりと大きくうねるような目眩が広がり、視界が呑まれ、思わず目を閉じてしまった。それから目を開けると、あなたたちのいる場所は、帝都を一望できる丘の上だった。
 ……いや、違う。ただ、帝都を一望できるというものだけでは、なかった!
 ぐつぐつと、足元全体が泡の尾を引きながら、少しずつ振動を弱めていく。大地を揺さぶった荒波の余韻が昼どきの空へたちのぼり、あおい熱をはらんでまちじゅうに吹き抜けていく。
 帝都の景色が、両腕いっぱいに、遠く果てへと、ダイヴィングしていた。

 とてつもなく大きな地震が、帝都を襲ったのだ。

 じんじんと思考の輪郭が取り戻され、真っ白に止まった肺が息苦しさにふくらむ。あまりにも新しい光景を前にして、まず最初にあなたたちにできたのは、呼吸をすることだった。
 息を吸って、吐く。
 ただ、それだけの生命活動が、たまらなく瑞々しい。
 間もなく夏の終わりを迎える季節、帝都は、どこまでも見渡せるほどに、あなたたちの前へなだらかな曲線を横たえていた。

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○『女王の糸車』を携帯していた場合
 気づけば、あの洞窟から持ち出した糸車もすっかり原型をとどめておらず、破片がいくつか足元に散らばっているばかりになっていた。どうやらこちらへ戻ってくる際に壊れてしまったらしい。破片は抜け殻のように黙り込み、もう二度と、何ものをも紡ぐことは、できなくなっていた。
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(※《窓の創造》による門を利用して遠距離の往復を行なう際に、体感時間に歪みが発生している。[▼魔窟と乙女]の冒頭部分から[▼潮騒と乙女]に至るまでの間では、約一日が経過している)

 


 後の世に「関東大震災」と呼ばれることとなるこの地震を経て、帝都のすがたはみるみるうちに新しい装いになっていった。建物のかたち、人の流れ、経済の巡り、生活、文化、思想、そういった何もかもが、満ち満ちる潮騒のような目まぐるしさと雄大さをもって、寄せては返っていく。
 ほとんどが和服を着用していた女性の服装についても、技術の発展や洋装の動きやすさへの注目に後押しされ、次第に洋装が一般的なものへと変わっていく。そんな時代の奔流のなか、あなたたちという少女もまた、やがて女性となり、時の流れを泳ぎ、生きていくことになる。
 あなたの仕立てた、世界に一着しかない洋服も、いつか着られなくなる日が来るだろう。それでも、洋服を仕立て、乙女たちの間に流れた噂を手繰ったあなたたちの思い出はきっと、いつまでもあなたたちの心を気高く飾る、秘密の装いとなるに違いない。


▼エピローグ へ

▼エピローグ

 夏は生きものであると教えてくれたのは、誰だろう。
 春は訪れ、夏は終わり、秋は過ぎ、冬は越える。
 そんな四季のうちの、夏が大きなうねりとともにやってくる気配のかおる初夏の頃。とある博物館では、特別展示の企画展が催され、さまざまな芸術作品が集まっていた。
 集められた品は、大きさも特徴もさまざまだ。たとえば、手のひらに収まる程度の青く輝くガラス玉のような球体であったり、受ける光の角度によって印象の異なる赤一色の絵画であったり、心臓の部分にぽっかりと空洞を宿したオートマタであったり、顔の部分が古めかしいカメラで隠された男性の写る、黒い額縁に入れられた写真であったり、……他にも、一見してすぐに目を惹かれるというような装飾や造形の特徴をもたないものたちも、皆一様に鎮座している。
 そのなかには、古びた裁縫道具もあった。箱そのものはただの木箱であり、大正時代の一般的なものと大差ない。その横には、淡い朝露を固めたような色の棘のような縫い針が幾本かと、宝石のように上等な、真っ赤な糸の巻かれた糸巻が並べられている。どうやら箱の中に複数人ぶんの裁縫道具が収められていたようで、主役はこちらの中身のほうらしい。
 だから、裁縫箱の底に細工され、隠されたふるい手紙は、誰にも見つからずにしまわれ続けていた。

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拝啓
 強まる陽射しに夏への移ろいを感じる今日この頃の季節
 この度はご結婚おめでとうございます
 しばらく連絡を留守にしておりましたが喜ばしい報せを耳にして 急ぎ筆を執った次第です
 ささやかですがお祝いの品をお贈りしますのでお納めいただけますと幸いです
 略儀ながら書面にてお祝い申し上げます
 どうか お幸せに
謹啓
浜谷良
文月京子様

(隠すように折りたたまれた別紙)
 京ちゃん、どうか僕との昔の約束なんて忘れて、きみの旦那と幸せになってください。
 僕はきみの運命の相手などにはなれませんし、きっときみを満足に幸せにすることもできません。僕は弱く、ずるい男です。だから、京ちゃんの幸せを、応援するほうが似合います。
 けれど、もし許されるのならば、運命を信じたかったふるいあの日の僕の心を、きみとの思い出のなかに居させてください。
 どうかお幸せに
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 夏の息遣いがしたたる季節のなか、さまざまな意図の絡み合う芸術作品たちの織りなす世界が、今日もざわめく。
「切符を拝見致しました。どうぞご入場くださいませ」

▼クリア報酬
SAN報酬
・探索者生還……1d6
・京子の救出に成功……1d3
・『女王の糸車』を破壊……1d3
AF報酬
「乙女の洋服」
 神話的事象の重なりによって、《精神的従属》の効果を含んだ洋服。
 着用者は実際に呪文を取得していなくても、《精神的従属》を扱うことができる。


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▼奥付・注意書き

本シナリオの無断転載および複製、二次配布、インターネット上へのアップロードを禁止します。
シナリオを元にした派生物(リプレイ、小説、イラスト等)はシナリオのネタバレに配慮し、皆様の快いTRPGプレイングにご協力をお願い致します。
本シナリオを使用したことで発生した問題について、作者は一切の責任を負いません。ご了承ください。

本シナリオの内容はフィクションであり、実在する人物、団体、事件等は一切関係ありません。

制作者:七篠K
twitter:https://twitter.com/trpgkallase

Special Thanks!!
ムーサ異装展覧界参加作品より
『Utopiumに死す』
 制作:しらぬま彼方(Twitter:https://twitter.com/kyokyork)
『爛爛』
 制作:つきのわむく(Twitter:https://twitter.com/tukimeguri)
『StigmAノ狂騒』
 制作:ヘディック(Twitter:https://twitter.com/hedhiku11)
『然らば永劫、見よ美し』
 制作:かあこ(Twitter:https://twitter.com/nisekaako)
『STROBE』
 制作:茶々丸(Twitter:https://twitter.com/matumaru1232)

「ムーサ(博物館受付女性)」
 キャラクターデザイン:畠野おにく(Twitter:https://twitter.com/Ma_trpg_me)

以下の画像は企画「ムーサ異装展覧界」開催期間内において、セッション目的でのみ利用可能。

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浜谷良良(アイコン)
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ムーサ異装展覧界