ストーリー/相撲
大相撲 現役引退の鶴竜 元横綱の相撲人生は日本への手紙から始まった
2021-05-07 午後 03:10
春場所11日目の3月24日、横綱・鶴竜が引退しました。
入門の際から深くかかわり、鶴竜の現役20年間を見続けた、元NHKアナウンサーで相撲専門雑誌「NHK G‐Media 大相撲中継」前編集長の緒方喜治さんが電話インタビューで鶴竜の胸の内に迫りました。
元NHKアナの緒方喜治さんが鶴竜に電話でインタビュー
引退を決めてすべてから解放された
引退記者会見(令和3年3月25日 東京・両国国技館)
ーー引退して、今はどんな心境ですか。
引退を決心した直後は、もう相撲は取れないんだ、と一抹の寂しさはありましたが、今はなくなりました。やりきりましたので思い残すことはありません。
ーー「横綱鶴竜」から「鶴竜親方」に変わりました。「親方」と呼ばれるのに慣れましたか。
まだ若干ピンとこないですが、もう気になりませんよ(笑)。
ーー力士生活20年間、横綱が7年でした。
休場ばっかりでしたが(苦笑)。やはり、ひとつ、けがをしてからけがをしやすくなりましたね。一度けがをするといろいろな所のバランスが崩れてしまうんです。長年取ってきた疲労の蓄積もあります。例えば、車だって定期的なメンテナンスが必要でしょう。力士はロボットではないですから。
ーー3月25日の記者会見のとき、ほっとしたような、穏やかな表情に見えましたよ。
すべてから解放された感じです。肩の荷が降りたというか、でもこれから新しい荷物を両肩に乗せて担ぐのかと思うと、改めて気持ちが引き締まります。
令和3年2月 合同稽古に参加した鶴竜
ーーけがが長引いて、次第に気持ちが切れてしまったという感じがあったのですか。
以前は、けがをしても、復活するときは強い気持ちで取り組んだのですが、今回の場合は、せっかくいい感じに回復してきたときに、また違うけがをしたのが、つらかったです。けがが重なりましたからね。体が「もうそろそろだよ」という赤信号を出してくれているような気がしました。これからの人生もあるし、これからの人生の方が長いですから。
ーーもう一度、土俵に上がって相撲を取りたいという気持ちがあったのではないですか。
それはありますよ。けがさえ治れば十分に取れると思っていますから。今でも土俵に上がれと言われれば、すぐにでも上がれますよ。
ーー引退に際して、新型コロナの影響も少なからずありましたか。
言い訳はしたくありませんが、ないとは言い切れないですね。ふだんやっている十分なトレーニングや体のケア、稽古などは、新型コロナの影響でかなり制約されました。それが次のけがにつながったと思うのです。
ーー奥様のムンフザヤさんに引退について話したときはどんな反応でしたか。
たぶん、妻は「もう一度土俵に上がってほしい」という気持ちはあったと思います。でも、いつも近くで見ていて、自分のことをいちばんよく分かっていますからね。発表したあとは、自分も妻もすっきりとした気持ちでした。
5回目の優勝を決め、まな娘のアニルランちゃん(当時3歳)に祝福される(平成30年夏場所千秋楽)
ーー長女のアニルランちゃん(6歳)には辞めることについて話したのですか。
「パパ、お相撲さんじゃなくなるんだよ」と話すと「えーっ、だったら何をするの」と言うものですから「これからはお相撲を教える先生になるんだよ」と言ったら「あー、いいじゃん」と言って笑っていました。
ーー16歳で来日するとき、母親のユントゥグスさんが旅立つ息子に言葉を贈りましたね。
「郷に入れば、郷に従うという言葉がある。先輩の教えを守りなさい」と言われました。今も自分の心の中に生きていますよ。
ーー息子の引退について、ご両親は何と話しておられましたか。
両親は分かっていますから。たぶんもっと頑張ってほしいという気持ちはあったと思いますが「そう決めたのなら私たちは何も言うことはないよ」と言っていました。
日本への手紙から始まった相撲人生
ーーモンゴルから日本に届いた入門志願の手紙で鶴竜関の運命が変わりましたね。
手紙に書いたことがすべてです。受け取った人の目に止まって「拾ってもらいたい」という一心でした。同じ手紙を日本に2通出しました。
入門志願の熱い思いがつづられていた手紙
ーー先代の井筒親方(元関脇逆鉾)がたまたま手紙を見て「うちでもらっておこうか」ということになったと、後に井筒親方本人から聞きました。人生って分かりませんね。すべてはこの手紙から始まりました。
どうしたら入門できるのかその方法が分からなくて、日本からスカウトにやってきた親方に会いに行ったこともありました。それならば、一か八か、最後の手段として手紙を書いてみるかということになったのです。
ーーお父さんの勤めていたモンゴル国立工科大で、日本語の達者な同僚の教授に書いてもらったそうですね。
まず自分で文章を考えて、それを日本語に訳してもらいました。モンゴルでは大相撲が大人気で、自分は寺尾関のファンでしたから、いつもテレビにかじりついて見ました。入門が決まって、まさか憧れの寺尾関と同じ井筒部屋に入れるとは、信じられない幸運でしたね。
ーーたしか手紙には体重が78キロと書いてありますが少し多めに書いたのですか?初めて鶴竜関と会ったとき、井筒親方は「床山の新弟子さんが来たのかと思った」と話していましたが。
実際には68キロくらいだったかな。サバを読みましたよ(笑)。少しでも大きく書いて、もし入門がかなったら、その間にたくさん食べて太ればいいと思いました。新弟子検査のときは92キロになっていました。
師匠の井筒親方の死去 たくさんのことを学んだ
師弟は固い絆で結ばれていた(大関昇進記者会見、平成24年3月26日)
ーー師匠の井筒親方が1年半前(令和元年9月16日)に、58歳の若さで亡くなりました。ショックだったでしょう。
つらかったですね。心の中にあった大切な宝物が無くなったような、心にぽっかり空洞ができたような感じでした。師匠の死後、陸奥部屋に移って陸奥親方(元大関霧島)や後援会の方々のお世話になっていますが、すぐには頑張るぞという気持ちにはなれなかったです。
ーー先代から学んだことも多かったでしょう。
いつも「稽古は自分でやるもんだ。人が見ていても見てなくとも、強くなりたいのだったら、自分で工夫して、考えてやりなさい」と言われました。たくさんのことを学びました。
ーー先代は逆鉾時代、もろ差し名人と言われました。技術面でのアドバイスは?
井筒親方からは、もろ差し、巻き替えの極意を学びましたし、突っ張りについては弟の錣山親方(元関脇寺尾)から学びました。錣山親方も尊敬する先輩ですね。
寺尾関の最後の場所(平成14年秋場所)だけ、付け人のような仕事をさせてもらいました。師匠は「寺尾関の最後の姿をしっかり見ておきなさい」という意味だったと思います。
相撲を通じて成長させてもらった「鶴竜は鶴竜」ありのままの自分を貫く
横綱昇進伝達式(平成26年3月26日)
ーー7年間横綱として頑張ってきましたが、いろいろな事があったでしょう。「綱の重み」「綱の重圧」をどう感じていましたか。
横綱は負けてはいけないのです。昇進してすぐのときは、勝てなくなったら辞めるしかないのだから、1年でも2年でももてばいいなと思っていました。
先輩の白鵬関からは「横綱は最低でも10番勝って勝ち越しだよ」と言われました。先輩横綱の白鵬関と日馬富士関の背中を追いかけて、いいところは盗んで、まねをするところは、まねをしてという感じでした。でもあるときに気づいたのです。変に自分を繕うのは違うかなと。
鶴竜を横綱と皆さんが認めてくれているのです。今のままの自分でいいと思ったのです。「鶴竜は鶴竜」、ありのままの姿を貫こうと決めました。そうすると、すごく気持ちが楽になりました。
横綱昇進を祝福する鶴竜の両親(左から母のユントゥグスさん、鶴竜、父のマンガラジャラブさん、平成26年3月26日)
ーー大切にしている言葉はありますか。
「絶対にあきらめない」ですね。錣山親方に教えてもらいました。これは自分の生き方と相撲の取組の両方に通じると思います。幼い子どもが何も分からないまま日本に来て20年。力士になり、父親になり、横綱になり。相撲を通じて成長させてもらいました。
東北の被災地では気持ちを込めてしっかりと四股を踏んだ
ーー6回の優勝がありますが、最も思い出深い優勝は?。
横綱7年間で6回ですから少ないと思いますが、それぞれの優勝に思い出があります。その中でも初優勝(平成26年春場所)はうれしかったです。
平成26年春場所で初優勝 賜杯を手にする鶴竜(当時大関) 前列右は両親
それで横綱になれたのですから。周りの人から「よく一発で昇進できたね」と言われますが、その前の大関昇進を決めたとき(平成24年春場所)は、決定戦で、白鵬関に負けて優勝を逃しているし、失敗も多いのです。新三役、大関昇進、横綱昇進、すべて大阪で決まりました。大阪には何か不思議な縁を感じます。
初優勝を果たし優勝パレード(旗手は豊真将、大阪府立体育会館前、平成26年春場所千秋楽)
ーー初優勝の優勝パレードの旗手は豊真将関(現立田川親方)でした。2人とも、まさに満面の笑みでしたよ。
それはそうですよ。兄弟部屋で、下のころから一緒に関取を目指して猛稽古をしてきましたから。何とも言えない喜びでした。
ーー親方1年生ですが、後輩の力士に教えたいこと、伝えたいことはありますか。
人に教えるのはつくづく難しいです。力士はみんな同じではなくて、性格も違うし、体重や身長も違います。それぞれの個性に合った指導が必要です。自分のやってきたことを押し付ける稽古では力士は伸びないと思います。
ーー20年の中には本場所の土俵を離れてもいろいろなことがありました。東北の被災地にも足を運び復興祈願の土俵入りをしましたね。
被災地で横綱土俵入り(左から太刀持ち正代、鶴竜、露払い錦木、平成30年8月13日、仙台市若葉区の復興公営住宅前)
初めてのときは三役時代で白鵬関の露払いをしました。横綱になってからおじゃましたときは、鎮魂の気持ちを込めてしっかりと四股を踏みました。あれからまだ大変な生活を送っている人がたくさんおられるわけです。自分はできる限りの応援をしたいと思います。
ーー鶴竜関は、性格は温和で、謙虚で、誠実な横綱でした。これからは立派な指導者として、第2の横綱鶴竜を育ててください。
相撲専門雑誌「NHK G-Media 大相撲中継」から