こちらの記事に、おれはこう「はてなブックマーク」した。
字数制限ぎりぎりで書いたけど、書ききれていないような気がするので補記したい。
とはいえ、おおむね言いたいことは上の通りだ。ある記事がある。阿呆のおれは「ふむふむ」とそれを読む。阿呆だから仕方ない。でも、それだけだと不安だ。なぜならおれは完璧に世の物事を把握し、噛み砕き、理解する、知識ないしは知恵の体系を持っていないからだ。
だから、それに対する反論、疑問点、別の視点、欠けた部分、あるいは補強部分が必要と思う。おれが「ふむふむ」と思えることに、逆方向から痛烈な批判があったりする。無知蒙昧な自分にとって新しい考え方が提示される。無論、受け入れがたいと思う意見もある。だが、一晩経ってみれば「そういう考え方もあるのか」と思えることもある。二晩経てば宗旨変えすることもあるかもしれない。あるいは、両方の意見を宙ぶらりんにさせておくこともある。ネガティヴ・ケイパビリティだ。
だからおれは「はてなブックマーク」を愛する。情報にはそれに連なる情報があって、そこで補完されることもある。無論、無益な感情をぶつけるだけのブックマークコメントもあるかもしれない。一応、おれだってブログを書いている身ではある。反応はだいたい数発だろうし、だいたいおれはそれを見ない、という事実はあるけれど。けれど、おれにとって「はてなブックマーク」は情報に連なる連鎖への入り口として、とても有益なのだ。まあ、「怖くてネット見れん」は言い過ぎかもしれないが、低能で未熟の自分にとって思いもつかなかった考え方、あるいはファクトを提示してくれる、ありがたい存在なのだ。
……と、いい子ちゃんぶってみたものの、おれは人間の精神も好きだ。「美談にだって冷水ぶっかける」ような感情の発露も見たい。そして、おれもそうでありたい。「ちょっと待てよ、そんな綺麗事で済まされるような話じゃねえだろ」という悪罵を投げつけることもあっただろうし、これかれもあるだろう。声なきもの、声小さきものの叫びを発すること、それを目にすること、それはそんなに悪いことじゃないはずだ。
まあ、そこで起きる問題、その「悪罵」が多数に、それも大多数になったときに起こる「量から質への転化」はあると思う。一つ一つの忠告や批判が連なり、元の発言者が100発、1000発殴られる問題だ。それを受け止める、あるいは受け止められない側にとってはあまりに過大な攻撃になる。正直、それについておれは解決策のようなものを提示できないのも確かだ。ただ、それはTwitterでもなんでも起こりうる話であって、「はてなブックマーク」のみに限らず、インターネット全体、いやSNSの抱える問題であるようにも思える。責任転嫁みたいな物言いになってしまったが……。
それでもおれは、ある情報発信に対するカウンターのようなものは必要と思う。それが一覧で見られる場は必要であると思う。あるカウンターが明後日の方向に飛んでいってもいい。そこに自分にとっての新しい発見があれば、それはいいことだと思うからだ。限られた字数、書捨てのいい加減さ、便乗による炎上、そんなデメリットを差し置いても、「はてなブックマーク」は良い存在のように思える。度を過ぎた殺人予告のようなコールだの、無制限のはてなスターだの、改良の余地はある。それは認める。しかし、そのものの存在を否定するには、やはりあまりに惜しいサービスだと、おれは思うのだ。