春です。ハルウララかな季節到来です。
山や日陰に白は残っているものの、緑が芽吹いて日差し心地よい今日この頃。
訓練で本格的に色んなコースを走るようになった。そんなわけで蹄鉄がつけられました。痛くないとは人の頃の知識で知ってはいても、こればかりは流石にちょっと尻込みしたよ。あと自分は勘違いしていたのだが、蹄鉄を赤くなるまで熱して蹄に押し付けるってのは競走馬じゃなくて乗馬とか競技馬で行われるのね。無くて良かった。それでも釘打ちで固定されるときはビクッ! ってなったけど。そんなわけで、これは義妹は暴れるだろうなと思い、先に手を打っといた。
『コイツを見てくれ、どう思う?』
『なんですの、ソレ!?』
『蹄鉄って言うんだオサレだろ? 紳士淑女の嗜みだ。つまりリアもこれをすれば大人の女性として見られるようになる』
『やりますわ! わたくしもオサレして大人の女性になりますわ!』
やっべーわ! 孔明の上をいく自分の策士ぶりに戦慄をおぼえてしまうわー。これで義妹は問題ないだろう。
他の馬? 敵に塩を送るような真似を何故せねばならんのだ? 僅かな可能性でも一頭でも多くデビューが遅れた方が自分の新馬戦のライバルは減るという姑そ……先見性ハンパないわぁー。マジやっべーわー、仲達を越える策士だわ自分。馬相手に大人げない? 自分は今、馬ですから!
「カイザー、リアちゃんお迎えだよー」
おん? お迎えとな? 主にリアの面倒見ている女性厩務員の方からの声掛けである。
「おーう。カイ、リア、ちょっとだけ家に帰るぞー」
牧場主じゃあないですか、あと山田。はて何か問題でもあったのだろうか?
よく分からないうちに馬運車で運ばれること二時間ちょい。
車から下ろされると拓けた景色と雄大な岩手山。そして一本の満開に咲き誇る桜。
上坊牧野の一本桜だ。
牧場主は何人かのカメラ持った人たちと会話している。おい山田、どう言うことだ? 大変不本意ながら綱を持つ山田に視線を向ける。
「前から思ってたんだけどさ、お前の流星ってナ○キのロゴみたいだよな」
山田、マジでクソどうでもいいからそういうの。何で自分等がここに連れて来られたか教えてほしいんだよ!そういうところが四十近いのに結婚出来ねぇ理由の一つだぞ。
「牧場長も心配性だよなぁ~。うちの牧場に今年はお宅の馬は花見に来ないのかって問い合わせが結構あってな。それで牧場長慌て出してさ。流石にお前でも遠野からここまでは脱走して来れるわけ……来ないよな?」
『山田、ピクニックですのよ! 何で手ぶらですの! ブンブンを持って参りなさい!』
義妹の山田に対する当たりの強さはいつもの事なのでほっとくとして、流石に自分でも遠野から八幡平まではいこうと思わんわ。ここまで車で二時間ちょいの下道で来ているのだから80kmはあるだろ? その日のうちに帰れんわ。下手したら育成牧場のスタッフのクビが飛ぶわ。
「おいリア、ど突いてくるな。結構痛いんだぞ!」
痛いって軽口で済んでるんだからめっちゃ手加減している義妹の優しさに感謝しろ。
ほら、行くぞ山田。せっかくここまで来たんだから桜と景色を楽しまないでどうするんだ。
自分の方が山田を引きながら桜の木に近づく。
馬となってもやはり日本人の感性なのだろうな。この花に魅せられて何かに想いを馳せるというのは。
花は桜木、人は武士とは言うけれど、ならば馬はなんだろうな?
風が吹いて揺れる桜。北国の春の風は冷たさを残す。
『越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く』
『お兄様、なんですの?』
『いんや、ここが故郷なんだと思っただけさ』
『わたくし、お兄様が時々何を言ってるか分かりませんの』
『あ~う~ん…あっ! 山田をからかうと楽しいって事だな』
『それならわかりますの!』
この馬生で出来た天真爛漫な義妹に、願わくば桜の女王が微笑んでくれますように。
「山田さーん! ちょっと退いてもらっていいですか? 序でに引き綱も取っ払ってもらえると嬉しいんですけどーっ!」
カメラ持ったおっちゃん達があっちの方から声をあげる。去年より人が増えてるのは気のせいじゃないな。
「良い訳ないでしょ! 逃げたら責任取ってくれるんですか!?」
全くわかってないな山田。俺が逃げるのはお前からだけだ! ……たぶん。
季節は巡って夏である。
育成牧場卒業DA!
そしてやってきました美浦(茨城)トレセン……ではなく新潟競馬場! いや、何で? って思ったけど新馬戦だからだよな。岩手から茨城経由するよりは直接乗り込んだ方が馬の負担少ないし効率的だわな。あ、今さらですが自分は関東所属(美浦トレセン)です。
「というわけで二週間後の8月14日の予定です」
藤堂調教師チッスチッス! これから義妹共々世話になるんで宜しくたのんます。ちなみに彼女はまだ育成牧場である。そっと馬運車に乗せられてここまで来たから向こうがどうなってるかは知らない。たぶん大丈夫だろう。今は彼女の事より自分の事である。
「わかりました。藤堂さん宜しくお願いします」
「全力を尽くします。それでですがこっちがカイザー号を担当します厩務員の戸中井です」
「トナカイ……さん…た…いえ、何でも」
牧場主……気持ちはわかるけどね?
「戸締りの戸に中山競馬場の中に井戸の井で戸中井です宜しくお願いします」
「えぇ、やんちゃな奴で大変かとは思いますが、私にとっては本当に可愛い息子みたいなもので、あと私の晩酌もかかってますからよく見てやって下さいトナカイさん」
これは名前で大分弄られているな。一回で覚えて貰えるインパクトある名前じゃないか。山田とは違うな。まぁ自分はアカハナと呼ぶ事に決めましたけどね。
「そしてこっちが主戦騎手となる藤堂卓人です」
まだだいぶ若そうな兄ちゃん騎手だ。兄ちゃんと書いてあんちゃんとも見習い騎手は呼ぶのだが、5年で100勝してないとそう呼ばれるそうな。ただ騎手って小柄な人も多いから実年齢より若くみえる方も多いのでこの兄ちゃんがホントに若いかはわからん。
「確か甥っ子さんでしたね」
だから同姓だったんだな。
「はい! この度はようやく100勝したばかりの若造にこのような機会を与えて頂いてありがとうございます! 叔父が大分無理言ってやらせて頂く事になったのは聞いています。ヘボやらかして乗り役交代されないよう精一杯努力させていただきます」
そう固くなるな若人よ。牧場主は自分のことGⅠで勝てる馬だとは思ってない。GⅢ重賞掲示板入りでも泣いて喜ぶはずだ。
「いや、こちらも預託料まけてもらったからね。お互い様というか、あまり気負いすぎて怪我しないようにね?」
「はいっ! 頑張ります!」
「えっ、あ、うん。」
若人よ……。牧場主が珍しく引いてるじゃん
「それじゃあ一旦私は戻りますので。カイ、新馬戦は見に行くから良いところ見せてくれよ?」
「ブルルッフゥ(おう、晩酌代くらいは稼いできますよ)」
新潟競馬場についたその日は引き運動とかの軽めメニュー、というか散歩みたいなもんだった。
その次の日から本格的な調教が始まった。
ジョッキー君と親睦を深めつつ坂コース走ったり、併せ馬してみたりとかする日々。
今はレースの4日前ということで追い切りという最終調整にはいるところである。
数日前の併せ馬のお相手が我が牧場の大先輩であるマツカワブルース先輩だった。というか父親違いの兄なんだけど今年で六歳、既に50戦しているいぶし銀。優勝こそ3回だが二着14回のシルバーコレクター。マジパネェっすブルースパイセン。演歌みてぇな名前とかナマ言ってすんませんでした。
併せ馬ってのは本来、他の馬と並走させて闘争心を煽ってやって良いタイムをだすってなもんだが、自分は元人間なんでそんなパイセンには若干遠慮するってもんだろ。微妙に接待プレイしてしまった。次からは違う馬を用意してほしいわ。
「おじ…テキ(調教師)、どれくらいでやれば良いですか?」
「そうだな、カイザーの本気の走りを見たいな。しかし若いから一杯で追うと馬体が心配だな。やや強めくらいで頼む」
まだ成長すると思うが自分、牡馬としてはちょっとだけだが小さい方かな? 今の体重440kgだ。500kg越える事はないだろう。
「わかりました。よし行くぞカイザー」
おけおけっ! そう走り出したのはいいけれど、前の馬ちょっと前過ぎないか?
手綱をしごかれたので素直に従い、体を沈ませる。
グッと足に力をいれて込めた力を開放すれば周りの景色はぼやけ、正面のみが鮮明に映る。
グングン近づいてくる前の馬のお尻。胴、頭
──パシンッ
「ヒィーーンッ!?(アァーーーーッ!?)」
ムチったねっ!? 親父にもムチられたことないのにっ! 直接、顔すら見たことないし、親父もムチられる側だけどっ!
ちょっと待とうかジョッキー君。
自分は足を緩めてやがて停まる。
「もしかして足やっちまったか!?」
慌てて降りて自分の足を見るジョッキー君。
足はやってない! お尻はじんじんするけどね!
「どこだ? どこが痛むんだ!?」
お尻です。足を覗き込むのはいいから、ちょっと落ち着きたまえ。
屈んでいるジョッキー君に自分は頭を突き出して尻餅を着かせる。
「うおっ!?」
そして自分もその前に座る。犬のお座りのように。
「えっ!?」
ジョッキー君、ちょっと腹を割って話し合おうじゃないか。
「ブルルフゥ」
自分もね、なんの因果かしらんけどさ、こうして競走馬やってるわけだからね、ドMじゃないんだけどムチられるのは……とっても、大変、ひっじょーに遺憾ながら受け入れよう。しかし、鞍上人なく、鞍下馬なしとも言いましょう? 人馬一体となるにはお互いの信頼関係と意志疎通がとても大事な事だと自分は思うのです。自分、元人間なんでその辺のそんじょそこらのお馬さん達とは難易度が違うんですよ? 言わばベリーイージーモードなわけですよ。何が言いたいかと言いますとね?
あ、その前にちょっと失礼。そのムチ貸して頂きますね。えぇ、口で咥えますけどそこは申し訳ない。自分。蹄なんで。
それでですね、先ほどの言いたいことって言うのはですね?
一言声かけてからムチれやクソがっ!
他人の痛みをしって己の糧にしろっ!
僕は! 君がっ! 謝るまでっ! ムチるのをやめないっ!
「痛っ!? 痛っ! ちょっまっ痛っ!?」
「サーカスで食っていけるな」
それが先を走っていた馬に跨がった調教助手がその光景を見て呟いた言葉だった。
「参ったな」
調教師の藤堂(下の名前は高宣)は椅子に座り頭を抱えていた。
「戸中井、カイザーの様子は?」
頭を抱えている藤堂の代わりに助手が戸中井にカイの様子を訊ねる。
「馬房の中で不貞腐れている感じです。こっちみようともしないです。尻尾振って追い払われました」
「……オーナーからは賢いがクセ馬だと聞いていたが、ここまで順調に来ていた、乗り手の指示も素直に従っていた。問題などないと思っていた」
藤堂調教師が呟く。
「アレ、クセ馬って言葉で片付けていいんですかねっ!? 見てくださいよコレ。途中から尻ばかりの狙い撃ちしてきたんですよ!?」
騎手の卓人はムチでしばかれた箇所に氷嚢を当てていた。途中、ムチから逃げるため背中を向けたのが運の尽き、執拗に尻を狙われたのだった。
「いや、見せなくていいですから。……カイザー号は勝ち上がれれば人気は出そうですね。……動画投稿サイトとかで」
戸中井は後半の言葉をボソリと呟いた。
「テキはどうしてあの馬に拘るんです? 自分は昨日こっち着いたばかりですから、あの馬のこと良くわからないのですが、言ってはなんですが血統的にはパッとしないですよ?」
もちろん、ルドルフやシービーは名馬である。しかしその仔が走るかは別問題。産駒の馬達のこれまでの成績を見ればそう言っても仕方がない。
助手は8月は比較的競走馬達にとってはオフシーズンであるが、藤堂がその新馬に入れ込む理由がわからなかった。
「……見えたんだ。彼と初めて逢った時、ダービーで最後の直線、先頭で坂を駆け登ってきたカイザーフェルゼンの姿が」
そう噛み締めるように語る藤堂の言葉に他のもの達はしばし思案した。馬と競馬関係者、見えたと言うのは眉唾物であるが、出会った時、何かしらの運命めいたものを感じることが稀にあるという。これがなかなか馬鹿に出来ない話である。古くはアメリカのシービスケットであったり、日本で競馬ブームがあった頃のスーパークリークとその調教師であったり、カイザーフェルゼンの母父ミスターシービーとその騎手であったりと。
「テキの話は解りました。ヘソ曲げたカイザーの事に戻しましょう」
「ああ、そうだな。しかしムチが駄目なんだよな」
「最初は驚いて騎手を振り落とす馬もいますから仕方ない部分もありますが、その点で言えばカイザーは理知的でしたね。不謹慎ですがおもわず笑ってしまいましたよ」
「私もアレには驚いたが……そういえば卓人」
「何ですか?」
「お前、カイザーに謝ったのか?」
「えっ、謝る?」
騎手の卓人はキョトンとした顔で聞き返した。
「ムチで打って悪かったって」
「何を馬鹿なことを」
そう口に出した卓人だが、戸中井の言葉に遮られた。
「いや、カイザーは本当に賢いから謝ったら簡単に許してくれたりするかも」
戸中井の言葉に懐疑的ながらも頷き、若い騎手が馬に頭を下げるという姿があった。
謝ったら許された。
後年、藤堂卓人ジョッキーは語る。
「カイザーフェルゼンは僕が乗ってきた馬達の中で一番多く謝って、一番多く感謝した馬でした」