休日の午前中。
僕はクラナガンの繁華街の中心、歩き疲れた人が足を休めるベンチスポットに腰を下ろしていた。
午前中というだけあって目の前を通り過ぎていく男女はまだ元気いっぱいで、足を休めようという人はあまり居ない。
そんなところに僕は何をしにきているのかと言うと、噂を確かめる事だ。
ラーメン屋の店主は言っていた。
「ここ一週間ぐらいに広まった噂で、願いを叶えるロストロギアの噂がある」
「一週間ぐらい前から魔導師連続殺人事件は起こっていた」
どちらも時期が同じで、ティグラの持っている武器のムラマサは、ロストロギアとの自白がある。
その機能のうち判明しているのは、自動送還機能だけ。
当然それだけでも立派なロストロギアではあるのだが、それではあの慌て様は妙だった。
そこで、願いを叶えるロストロギアの噂である。
勿論それだけでは眉唾な話だし、この程度の情報でムラマサと噂のロストロギアを結ぶのは短絡的に過ぎよう。
しかし例の僕の直感というべき部分がささやいているのだ。
この二つには何か関係がある、と。
そこで思い出すのは、ティグラのあの口の軽さであった。
加えて言えば、僕とクイントさんがティグラを見つけた時、ティグラは一人でブツブツと独り言を呟いていた。
それで僕は思ったのだ。
もしやティグラが口を滑らせて、ムラマサの効力を話してしまったのではないかと。
そしてそれを誤魔化すために、曖昧な噂と言う事にしたのではないかと。
勿論、そこまで都合よく事態が進むとは思っていないが、情報屋から情報を聞く以外決まった用事の無い僕である。
願いを叶えるロストロギアの噂を探す事に、残る時間を使おうと思ったのである。
勿論、それには噂を知るラーメン屋の店主に聞くのが手っ取り早い。
が、あのラーメン屋、開店時間は正午からである。
屋台なので、当然午前中に行ってもまず見つからないだろう。
なので折角時間があるのだ、たまには自分でも情報収集をするか、などと思ってしまった。
そう、思ってしまったのである。
「…………」
無言で僕はベンチにもたれかかり、半目で街を行き交う人々を見つめる。
クラナガンの繁華街は早速街に遊びに行く気の早い男女ばかりだ。
ウインドウショッピングなどはまだ店が開いていないのでやっておらず、映画館やら遊園地など、急いだ方がいい場所へ人は群がっていく。
当然人は足早になり、他人の話を聞いている時間などない。
特に相手が子供であり、夏休みの自由研究という伝家の宝刀も使えない、秋という時期である。
僕は全く相手にされず、「ごめんね僕~」だの、「悪いね君~」だの、そんな台詞ばかり聞かされていた。
30分ぐらいは頑張ったのだが、一時間経つ頃には僕も目が死んできて、体からやる気というやる気が消えていった。
後は英気を養う為、という自分を騙す言い訳に釣られて、ベンチに足を広げて座り、二度と立ち上がらなくなってしまったのであった。
「一体、俺の何が悪かったんだろう……」
『全てかと』
僕は首元のゆるいTシャツからティルヴィングを取り出し、片手で保持、もう片手ででこピンを放った。
空中を踊るティルヴィング。
じゃらじゃらという金属音と共にティルヴィングが胸元に戻り、代わりに指に鈍い痛みだけが残る。
虚しさしか残らなかった。
ついでに言えば、ラーメン屋は繁華街の外れにある。
此処から自宅に戻っても訓練時間など残っておらず、またすぐに家を出なければいけない、そんな時間だ。
そんな事実もやっぱりやる気を削ぎ、なんとも言えない隙間時間ができてしまう。
読書でもすればいいのだが、繁華街に戦闘関連の指南書など殆ど売っておらず、ここでも売っているような代表的な本は既に目を通した。
八方塞がりであった。
ふぅう、と深い溜息。
全身の気だるさを吐き出すつもりで、深い吐気をする。
のんべんだらりと背もたれに預けていた体を起こし、パン、と顔を叩いた。
半目になっていた目を見開き、全身に活力を戻す。
こんな所でだらけていても意味がない。
それどころか、ウォルター・カウンタックの名を背負いながら気怠い姿を見せるなどマイナスである。
成果が期待できなかろうと、諦めずに頑張るのが“俺”のあるべき姿だ。
そう考え、立ち上がろうとしたその時であった。
僕の目前に、人影が差し込んだ。
思わず視線をあげると、其処には茶色いショートカットの髪の毛に、藍色の瞳の女性が立っていた。
黒いインナーに胸元の空いた白い上着を着ており、白く大きな帽子が特徴的だった。
はて、どうしたものか、と首を傾げると、にっこりと女性が微笑んだ。
思わずドキッとしてしまいそうになる、魅力的な微笑み。
まるで母が子に向けるような、無償の微笑みにそれは似ていた。
そんな微笑みを見たことが無かったからだろうか、僕は思わず心臓が跳ねるのを自覚する。
それを悟られまいと、全力で表情筋を統制している僕に、彼女が話しかけてきた。
「私はリニス、リニス・テスタロッサです。
少しお時間をよろしいでしょうか?」
「はぁ、まあいいけどさ」
ベンチのど真ん中に座っていた僕は、ずりずりと尻をずらし、ジャケットを引っ張ってリニスさんの座る場所を作る。
すると彼女は膝下まである上着を抑えながら、僕の隣に座る。
ふと、昨日のクイントさんもそうだが、大人の女性というのは良い匂いがするもんなんだな、なんて思った。
思ってから、僕は何を色気づいた事を考えているんだろう、と思い、小さく頭を振ってそんな考えを追い出して、言う。
「俺は、ウォルター・カウンタックだ。
それで、何の用だい? 俺に」
「はい、ウォルター。
少し前から、貴方を見ていたんですが……」
一気に、奈落の底に落とされたような気分だった。
誰も僕の事に注目していないと思って油断し、僕はだらけた所をリニスさんに個として認識されてしまったのだ。
それはつまり、僕がウォルター・カウンタックの名を、UD-182の名を貶めてしまった事にほかならない。
自分で自分の首を絞めたくなるのは、生まれて初めての事だった。
たかが数ヶ月とは言え、積み上げてきた物が無くなってしまうかのような幻覚。
許されるのならば、僕はなにもかも終わってしまったと、自暴自棄に暴れだしたいぐらいの気分だった。
だが、当然ながら僕にはそれが許されない。
血反吐を吐いてでも、僕は今の失態を挽回せねばならない。
どれだけ辛くても、僕はUD-182の遺志を継ぐ事を、諦めてはならない。
諦めなんて、あの男には少しも似合わない言葉だったのだから。
どうやら、僕が表情を凍らせたのは、ほんの一瞬だったようだった。
すぐさま僕は、嫌そうな顔を作り、だらけた所を見せたのが嫌だった、という程度の感情に表情筋を調整する。
するとそれは功を奏したのだろう、リニスさんはくすりと微笑み、弾むような声で続けた。
「くす、ちょっとだらけていましたよね。
でも私が言いたいのは、それよりも少し前の事です」
「って言うと、俺が大人に色々聞きまわっていた時から、か?」
リニスさんは首を縦に振った。
僕の怠けが見られた事とは別の部分で、頭が冷えていくのを感じる。
「願いを叶えるロストロギアの噂について……でしたか、貴方が聞いていたのは」
「……そうだな」
「そして、ムラマサという名に心当たりが無いか、と」
思わず僕は、目を細くする。
勿論僕も馬鹿では無いつもりだ、ムラマサについては局外のデータベースでは無関係の刀が出てきただけで、あのロストロギアについて何も出て来なかったのは確認済みである。
一般人はその無関係の妖刀の噂と、願いを叶えるロストロギアとしての噂以外、ムラマサについては知らない筈だ。
「そうだな、その通りだ。
自由研究の課題がまだできてなくてね、先生にどやされながら必死でやっている所なのさ。
噂について調べていてな」
「それで、ムラマサというのは?」
「聞きまわっている最中に、そんな名前を聞いたのさ。
それで何か関係あるかと思って、駄目元で聞いてみているんだよ。
見てたんなら分かるだろ?
この時間、みんな急いでいてなーんも聞いてくれねぇの」
「……そうですか」
苦しい言い訳だ、本心から納得した訳ではないのだろう。
が、静かに言うと、リニスさんは再びあの暖かな笑顔を作る。
こちらも思わず釣られて頬を緩めそうになるが、必死で冷たい顔を維持した。
そんな僕の顔が見えているだろうに、一つも嫌な顔をせず、むしろ笑顔のまま両手をあわせ、リニスさんは言う。
「私もちょうど、その噂について調べている所でしてね。
所がその噂、ちょっと黒い部分があるみたいなんですよね。
子供じゃそういう噂、聞きづらいと思いません?」
「……」
しまった。
なんでか周りがすぐに僕と大人扱いするようになってばかりなので、僕は自分が子供だということを失念していた。
ティグラの言い分をそのまま聞くなら、ムラマサは13人もの魔導師を殺害する発端となるようなロストロギアだ。
黒いどころか血なまぐさい内容になるに決まっている。
当然、そんな事子供に喜んで話す人などまず居ないのであった。
内心冷や汗をかきつつも、そんな考えをおくびにも出さず、僕は続きを促した。
「かと言って私だと、ここってカップルが多いじゃないですか。
男の人には変な目で見られて、女の人には逆ナンと間違えられちゃうんですよね。
ですから、ここはちょっと、二人で協力しませんか?
子連れの私なら、変な勘ぐりを受けずに話を聞けると思うのですが」
「……そうだな」
リニスさんの物言いは、少し強引だった。
外見で区別される僕はどうしようもないが、リニスさんは新聞なりテレビなりの企画と偽ればいくらでも話を聞ける筈である。
とすれば、何か裏に目的があるのは推定できる。
ならば泳がせておくより、目の届く範囲で居てくれた方が良い。
なにより、リニスさんがもしティグラまでたどり着いてしまったら、まず間違いなく殺されてしまうだろう。
リニスさんの実力は不明だが、Sランク相手にどうこうできる魔導師がゴロゴロしているとは考え難い。
とすれば、答えは一つ。
「それじゃあ、協力してくれるか? リニスさん」
「えぇ、ではよろしくおねがいします、ウォルター」
「こちらこそな」
と言って、二人同時に立ち上がる。
尻の埃を払い、僕とリニスさんは街の雑踏へと歩みを進めるのであった。
***
「……よし、こんなもんか」
屋台を定位置に動かしてからスープの様子を再確認していた店主は、そう言うとスープを入れた鍋から離れ、額の汗を拭った。
店主がラーメン屋を初めてからこれで2年になる。
それ以前は管理局に務めていたのだが、ある事を切欠にどうしても戦い続ける事ができなくなり、店主は管理局を辞した。
特にラーメン屋として修行もせずいきなり開業したからか、ラーメンの味は微妙だったが、昔の伝で様々な人がラーメン屋に集ってくれた。
酔いに酔って管理局の内情をちらほらと漏らしてしまう仲間も居たが、店主はその内容を誰にも言わなかったし、その為管理局の仲間は此処なら安心して飲める、とよくこの屋台を利用した。
そんな店主だったが、一つ悩みがあった。
息子との仲が良くない事である。
息子は店主が局員を続けている姿が好きだったらしく、それを辞めた店主を弱虫、とよく罵った。
事実、店主は管理局を辞めた自分を強い人間だとは思えなかったからか、そんな息子を叱る声にも力は入らなかった。
そんな折である、ウォルターと出会ったのは。
ウォルターの事は、管理局員から噂を聞いて知った。
それからたまたまラーメンを食べに来たウォルターが賞金稼ぎだと知り、噂を思い返した店主は、ウォルターに対しこう持ちかけたのだ。
私は情報屋をやっている、うちの客にならないか、と。
店主は勿論情報屋などやっていなかった。
ただ、それでも息子と同年代のウォルターを放って置く事ができず、それで思いついたのが情報屋という形での支援だったのである。
元管理局員の伝を使って集めた情報と客が漏らす情報を、ウォルターにだけ与える事にしたのだ。
当初はウォルターに魔法を教えてやろうと考えた事もあったが、店主の魔導師ランクは空戦Aである。
あっという間にウォルターに実力は抜かれてしまい、やめておいて正解だったと知る事になる。
足音が、一つ、二つ。
管理局時代に培った気配の察知方法に触れた二人に、店主は過去の回想を止め、笑顔を作る。
念のため鏡で確認、いつもの陰りの欠片も無い笑顔だ。
暖簾をくぐってやってきたのは、ウォルターと、見知らぬ美女であった。
「やぁウォルター君、隣の連れはコレかい?」
小指を掲げてみせると、ウォルターはどっと疲労感を増しながら、ちげーよ、と力ない声で返した。
その隣で困った笑みを作っていた女性が、店主に向かい頭を下げる。
「初めまして、リニスです。
よろしくおねがいします、店主さん」
「ハハハ、こちらこそよろしく」
体を反り返しながら言ってから、リニスが席に着くのを待ち、店主はグラスに水を注いで二人に出した。
「ウォルター君、しかしそれじゃあ彼女とはどういう関係?」
「同じ噂話を追う仲だよ」
と言ってから、追加でウォルターから秘匿念話が届いた。
どうやらウォルターは昨日魔導師連続殺人犯と出会ったらしい。
ティグラという名に関して何か情報はあるか、と問うてきたので、店主は密かにデバイスを起動し探すが、無い。
そう返すと、そうか、と小さく返し、これから聞く事はリニスにも聞かせて構わない、と言ってからウォルターは念話を切った。
「俺海苔ラーメンね」
「私はラーメンを食べるのが初めてなんですけど、ウォルターは何かオススメあります?」
ウォルターの言からすると然程二人は深い関わりではないようだ。
とすると、まず店主の頭の中に描かれるリニスの本性の候補は、ウォルターを利用しようとする人間である。
強いが子供なウォルターはそういった連中によく付け狙われていて、辟易としていると言う愚痴を零したことがあった。
しかし、よくよく考えてみると、ウォルターが此処に誰かを連れてきた事は今まで無かったのだ。
それに勘の良いウォルターはそういった悪意を直感で感じ取り、そういった人間と距離を取る事ができていた。
とすると、このリニスと言う女性はウォルターとどういった関係なのか。
自然、店主は好奇心の目で二人を観察する事にする。
「ありきたりで悪いが、ここなら最初は普通のラーメンがいいと思うぜ。
っつーか、どれも正直味は……」
「こらっ、例え思っていても、店主さんの前でそんな事は言っちゃ駄目ですよっ!」
ビッ、と指差すリニス。
対するウォルターは、肩をすくめながら返事。
「はいはい、分かったよ」
「はいは一回です!」
「はいはい、人を指さしてもいけないけどな」
「あっ、うっ、ごめんなさい。
って、また二回はいを言っているじゃあないですかっ」
「はいはい」
なんとも、微笑ましい関係であった。
まるで口うるさい母と息子と言うような関係に、思わず店主も顔をほころばせてしまう。
同時、自身の冷たくなった家庭に思いがいきそうになるが、それを強引に無視。
結局海苔ラーメンとラーメンに決まったメニューを作る為、厨房に立ち向かう事にする。
ラーメンを茹で始めてから、店主はウォルターに言った。
「で、今日はどんな情報が欲しいんだい?」
「昨日言っていた、願いを叶えるロストロギアの噂について、詳しく。
あと、ムラマサというカタナについて」
「ふぅん、ちょっと意外な内容だねぇ」
言いつつ店主は早速デバイスを起動、二つの質問に対する答えを検索する。
こんなふうにウォルターに情報を与えるのは、代償行為なのだろう、と店主は理解していた。
不仲な息子に構ってやれない分、ウォルターに世話を焼く事で店主は己の心を慰めているのだろう。
だからか、ウォルターの真っ直ぐな姿が時たま眩しく、瞼を焼くように痛い時がある。
だが、それだけではない、と思う部分もまたあった。
そんな風に店主が検索している間に二人は、恐らく自分たちで聞き込みをしたのだろう結果について話しあう。
「私達で聞き込んだ結果は、あまり芳しくありませんでしたね」
「まぁな、人の生き血を吸う剣だの、魂を対価に願いを叶えるロストロギアだのな」
「絶対他の物と混じっていますよね……」
と、二人が話しあっているうちに、店主は検索を終える。
デバイスに記録した管理局との伝ではあまり分かる事は無い。
しかし、店主がかつて管理局員だった頃の先輩が言っていた武勇伝の中に、ムラマサと言う名はあった。
それが今回の件と関係あるかは分からないが、と思いつつ、口を開く。
「いや、多少は合っているんじゃあないかな」
その言葉に目を見開き、それから店主に視線をやるウォルター。
店主は一つ頷くと、続く話を口にする。
「願いを叶えるロストロギアについては、噂の火元が女らしい、と言う事以上は分からなかった。
ただ、ムラマサ、と言う名については少しばかり情報がある」
ウォルターとリニスが、僅かに身を乗り出す。
「ムラマサは、かつて何度か犯罪者によって使われた事のある、自動送還機能付きのロストロギアらしい。
能力の一つは戦闘経験の付与。
これを与えられた人間は、例え小さな子供であっても歴戦の経験を持った戦士と化したそうだ。
コレのせいか、ムラマサの持ち主は一度も管理局に捕まった事は無く、ムラマサも犯罪者の元を渡り歩いているようだな。
もう一つの能力は、完全には分からない。
しかしムラマサを持った人間は、明らかに普通じゃないタフネスを得る事ができるらしい」
「タフネス?」
オウム返しに聞くウォルターに、店主は頭をポリポリと掻く。
「いや、正確に言うとちょっと違うか。
あくまで相対した事のある一人間の感想だが……、一人魔導師を斬り殺すごとに、ムラマサの持ち主は体力を回復させていたようだったそうだ。
何分持ち主が捕まったことの無いロストロギアだ、それ以上の事は分からないが」
「いや、十分過ぎる程の情報だったさ」
獰猛な笑みを浮かべつつ、ウォルターはそう返した。
店主は時計を見て、麺が茹で上がった事を確認し、麺を湯切りする。
「気を付けろよ、ウォルター君、リニスさん。
ムラマサとやらは相当物騒なロストロギアだぞ」
「おいおい、昨日も言ったが……、俺を誰だと思っていやがる」
肩越しに振り返った店主と、ウォルターとの目が合う。
ごう、と店主は心の中で炎が吹き荒れるのを感じた。
この目だ、と店主は思った。
この見た者の心を燃やすこの目こそが、店主がウォルターに惹きつけられる理由だった。
現状は余り褒められた物ではない。
息子を放っておいて他所の子にうつつを抜かし、仲間が信頼して預けてくれた情報を渡す。
綱渡りの人生でしかなく、一歩先には暗闇に落ちるかもしれない。
それでも尚、この炎に焼かれるような感覚は、店主を惹きつけてやまなかった。
全身に活力が満ち、灰色の視界は色鮮やかに。
一瞬前と何も変わっていない筈なのに、自分には何かができると言う無根拠な確信が湧いてくる。
所詮挫折した局員でしかない自分にさえ、勇気が湧いてくるのだ。
この感覚こそが、店主がウォルターに肩入れする理由だった。
依存だと言う事は分かっている。
それでも、管理局を止めて腐ってしまった心が花咲くようなこの瞬間が恋しくて、店主はウォルターに力を貸す事を止められなかった。
一瞬動きを止めていた店主は、改めて麺をスープに入れてほぐし、具を入れて二人に出す。
「そうだったな。
さて、それじゃあ海苔ラーメンにラーメンお待ちっ!」
急激に微妙な顔になるウォルターを尻目に、リニスが顔を輝かせる。
初めてのラーメンに興奮したのだろう、尻尾がついていればぶんぶんと振り回していそうな表情だった。
「いただきます」
二人が輪唱し、同時に麺を啜る。
二人はなんとも言えない表情になり、思わず、と言った風に顔を見合わせた。
こらえきれず、ぷっ、と二人が吹き出し、小さく笑った。
そんな光景に、店主は胸を刺されるような気持ちになる。
二人の微笑ましい光景は、店主の中にできていたウォルターへの憧憬を脅かしていた。
何時も独りで心が燃え盛るような瞳をした、英雄じみたウォルター。
対し目前でリニスと笑いあうウォルターは、まるで普通の子供のようだった。
それに、ふと、店主はウォルターはまだ7歳の子供だったんだな、と言う当たり前の事を思い出す。
ハハハ、と背筋を反り返しながら笑いつつ、店主は思った。
確かに店主は、ウォルターに依存していた。
しかしだからといってやめればいいかと言えば、違うような気がするのだ。
ウォルターとの時間は矢張りかけがえのない物で、それを捨てればいいと言うのとはまた違う。
これを足掛けにして、この体に溢れる活力を使い、自分の人生を真っ直ぐに見つめ直すべきなのではないか。
今日にでも、まずは息子と向きあおう。
自分の思っている事を話して、息子の思っている事を話して、分かり合おう。
そう思いながら、店主は愉快な二人を眺め、ハハハ、と背筋を反り返しながら笑っていた。
***
リニスは、プレシア・テスタロッサの使い魔である。
故に主の幸せを思い、その為に行動するのがリニスの存在意義だ。
そんなリニスに、プレシアは言った。
クラナガンで今起きている魔導師連続殺人犯の持つロストロギア、ムラマサとその持ち主を連れてこい、と。
持ち主もなのは、自動送還機能と自動転生機能を持つムラマサを単品で手に入れるのは至難の業だからなのだそうだ。
どうして、と問うリニスに、プレシアは見つかるとは思っていなかった保険が見つかった、急ぎの任務なのだと告げた。
とある理由から、プレシアが求めるロストロギアを見つけてしまってもいいのかと思わないでも無かった。
しかし断ればまだ未熟なプレシアの子、フェイトが任務に行かされる事を懸念し、リニスはそれを承諾する。
それに、もし奇跡が起きてプレシアが目的を達する事があれば、それを切欠にプレシアがフェイトに目を向けてくれるかもしれない、と言う希望もあっての事だった。
クラナガンを訪れたリニスが出会ったのは、ムラマサについて調べる少年ウォルターであった。
その動きは日常の中でも洗練されており、体幹のブレなさなどを見るに、近接戦闘者としての訓練を積んでいる事は容易に見て取れる。
かといって、管理局員ならばこんな聞き込みなどせずとも情報を得られるだろうし、一人で動いているという事もあるまい。
こんな大きな事件に対し執務官が一人で、と言うのもまず無いだろう。
それらの事からリニスはウォルターを賞金稼ぎと想定したが、今度は何故賞金稼ぎ風情がムラマサの名を知るのか疑問が残る。
色々と考えた結果、リニスはこう予想した。
恐らくウォルターは既に連続殺人犯と出会っているのだ、と。
そうとくれば、リニスは犯人を特定する情報を持つウォルターに張り付いていく事を選んだ。
一度犯人と出会ったウォルターなら、次も見つける方法を知っているかもしれないし、そうでなくとも犯人と相対するだけで犯人を特定できる。
特に捜査についてのノウハウを持たなかったリニスに思いついたのは、精々そんな手段でしかなかった。
が、今のところそれは上手くいっていた。
情報屋と称してラーメンの屋台に行ったウォルターには大丈夫なのかと不安に思ったものの、店主からの情報で、プレシアがムラマサを求める理由も何となく分かった。
さて、これからもウォルターについていけば、プレシアの定めた期間以内に犯人と出会えるかもしれない。
そう思った、矢先の事である。
「俺、家に帰るわ」
「……へ?」
時は昼過ぎ。
一日で最も暑くなる時間帯のクラナガンは、まだ秋口と言う事もあって薄着の人々が目立った。
まるで太陽がまだ夏だと勘違いしているみたいだ、などというどうでもいい事を考えてから、リニスは我に返った。
「で、でも、あ、あれ?
これからウォルターは犯人を追い詰めるんじゃあ……」
「…………」
と、なんともいえない目で見返されて、あっ、とリニスは自分の言った言葉を反芻した。
私、思いっきり犯人って言ってた……。
一気に帽子の中に隠れた猫耳まで真っ赤になるのが自覚できる。
思わず俯いてしまい、両手をあわせて足をもじもじとさせてしまう。
恥ずかしさのあまり憤死しそうになるリニスに、ウォルターが呆れた声で口を開いた。
「いや、明日知人と待ち合わせがあるんでな、アイツらをどうにかするにしても、それからだ」
「……はい」
見なかった事にしてくれるウォルターの温情が、余計に痛い。
このまま座り込んでしまいたい気持ちをどうにか押さえ込み、なんとかウォルターを真っ直ぐ見据える。
なにはともあれ、ウォルターにどうにかして同行する方策が必要だ。
監視と言う手もあるが、果たしてウォルターにサーチャーが通じるかどうか分からない。
が、他に手も無いのが事実である、このまま別れてからサーチャーで監視するしか、と思った、その時である。
なんとも言いづらそうに、ウォルターが口を開いた。
「所で、もしホテルに空き部屋が無かったりしたら、俺の部屋を貸してやってもいいぞ」
「……はい?」
思わず首をかしげてしまったが、すぐにリニスはウォルターの言いたい事を理解した。
そう、恐らくだが、ウォルターもリニスの事を監視したいのだろう。
ムラマサの事についてのリニスの情報源も知りたいし、あちらから見れば実力の不明なリニスが犯人に対抗できるかも分からない。
とすればウォルターもサーチャーを使ってリニスを監視したいが、ウォルターにとってもリニスにサーチャーが通じるかどうかは分からないのだ。
できれば肉眼でリニスの事を監視したいのはリニスと同じ。
それをリニスに伝える為の一言であった。
となれば、リニスの答えは一つである。
「そうですね、確かにホテルに空き部屋が無くて、困っていた所なんです。
お部屋を貸してもらってよろしいでしょうか? ウォルター」
「あぁ、構わねぇよ」
「ありがとうございます」
笑顔を作りながら、二重の意味での礼をリニスは言った。
ウォルターが言い出してくれなければ、お互いに非効率的な事態に陥る所だったのだ、当然と言えよう。
そんなリニスに、手をパタパタとふりつつ、ウォルター。
「こういうのは男の役割だからな、別にいいって」
「……あっ」
と言われて、リニスは初めて、自分が一人暮らしの男の家に泊まりこむ形になった事に気づいた。
ウォルターの実年齢は分からないが、童顔で背が低めだとすれば、上限で14歳ぐらいに見えなくもない。
14歳といえば性的な欲望を持て余している時期であり、そんな時期の男相手に18歳の女性から泊まりこもうと言うのは、少しはしたない。
その点ウォルターから誘ってくれたのであれば、性欲を持て余した男の子の冗談にできる。
そういった気遣いだったのか、と気づいてすぐに、あれ、とリニスは思った。
よく考えれば、ウォルターの実力は不明瞭で、リニスの上を行く可能性もあるのである。
とすれば、強引に迫られればリニスは抵抗しきれないかもしれない訳で。
リニスの脳裏に、裸体となった自分にむしゃぶりつくウォルターの姿が浮かんだ。
妄想の中で自分が蹂躙されるのに、思わずリニスは顔面を真っ赤にして、今度こそ座り込んでしまった。
ウォルターの事を見ると性的な事を連想してしまいそうで、どうしても視線を向けられなかったのである。
「って、どうしたんだ、リニスさん?」
「う~……」
小さく呻き声をあげながら、リニスはぐるぐると目を回しながら考える。
いやいや、14歳と言うのはウォルターを見ての上限である、そこまで行っていない可能性もあるのでは。
いやいや、賞金稼ぎとして働いていると予測されるのである、低くても12歳ぐらいではあるまいか、それぐらいなら性的な興味が出てきている所な訳で。
いやいや、だからといってウォルターがリニスの実力を超えている可能性は低いし、そもそも性的衝動にウォルターが負けると決まった訳ではない。
先程までの自分の妄想が湧いて出てこようとするのを全力で抑え、立ち上がる。
キッ、とウォルターを睨みつけた。
リニスは片手で腰に手をあて、もう片手は指を天に向けてウォルターに向け突き出す。
「ウォルター、念のため言っておきますけれど、エッチな事は駄目ですからねっ!」
「……あぁ、うん、はい……」
死んだ目で頷くウォルター。
それに満足し、リニスはうんうんと頷く。
この時リニスは、まさか自分が、小児趣味でもあるのか? と思われているとは夢にも思わなかったのであった。
閑話休題。
訪れたウォルターのアパートは、やや古いものの可もなく不可もなく。
寝台代わりになるのはベッドとソファの二つがあり、ソファを希望したウォルターにリニスは無理やりベッドを押し付けた。
それからどうするのかと言うと、ウォルターは近場の公共魔法練習場で体を動かしてくるのだと言う。
これをリニスは、互いの実力を見せ合おうという提案だと判断した。
ウォルターにしろリニスにしろ、相手の実力を知らねばこれからの行動が決定しづらい所があるのも確かである。
加えて言えば、想定されるのは遭遇戦である、そこで互いの実力が把握できていないのは少々辛い。
ということで、リニスはウォルターについていって公共魔法練習場にたどり着いたのだが。
『ロード・カートリッジ』
「斬空一閃ッ!」
視認すら不可能な、神速の魔力付与斬撃の一撃。
まるで空気分子が焼け焦げる匂いのするような、凄絶な一撃であった。
そこに込められた魔力も超一級、Sランクを超えそうな勢いである。
プレシアにはやや及ばぬものの、明らかにリニスよりも格上の魔導師であった。
「……凄いですね、ウォルター。
強いかもとは思っていましたが、まさかここまでとは……」
思わず本音が漏れてしまうリニスに、ウォルターは軽く微笑みつつ連撃を空中に打ち込む。
兜割りからの逆袈裟、∞の字を描くように再び逆袈裟。
黄金の剣を翻らせ、そこから怒涛の三連突き。
左、左、右と逃げ道を塞ぐように放たれた連撃は、空気に悲鳴をあげさせながら打ち込まれ、そこでウォルターの動きが停止した。
「ま、こんなもんだな、俺の方は。
リニスさんはどうだ、折角此処に来たんだ、体動かしていかないか?」
「……そうです、ね」
ウォルターの発言を遡れば、犯人は複数であるように思える。
とすれば、足手まといにならない程度の実力はある事を見せて、同行を消極的にでもさせてもらえるようにせねばなるまい。
リニスは元々戦闘用に作られた使い魔ではないが、それでも主のスペックの高さから、AAランク相当の戦闘能力を誇る。
普段は魔法を使う機会などフェイトに魔法を教えるだけである、本気を出すのは久しぶりだな、と思いながらリニスは手を掲げた。
瞬き程の一瞬で、25のスフィアを形成。
淡い黄色の魔力光を発するそれに、トリガー・ワードを下す。
「フォトンランサー・マルチショット!」
雷を纏った直射弾が、一斉に飛び立った。
轟音と共に、公共魔法練習場の仮想的が砕け散る。
リニスの最強魔法は更に上があるのだが、リニスは最大攻撃力よりも魔法の即時同時発動に重きを置いているスタイルだ。
こちらを見せた方が良いだろうと思っての抜き打ちの魔法だったが、どうやら効果は良い方に上がったようだ。
振り返ってみると、リニスにはぽかんと口を開けたウォルターが目に入った。
「どうですか、ウォルター。
貴方に比べると劣るでしょうが、これでも私は結構強い自信があるのですけれども」
と言われて硬直が解けたのだろう、慌ててリニスの方に寄ってくるウォルター。
「いや、凄いなマジで。
俺なんてデバイス有りでも直射弾スフィアの即時同時展開なんて、10個が限界なんだけど」
「くす、それでも十分凄いですよ。
うちのフェイトでも、デバイスがあったとしても5つか6つぐらいが限度じゃあないでしょうか」
「へ~、ってフェイトって誰だ?」
と言われて、リニスはフェイトの事を紹介していなかった事に気づいた。
フェイトはリニスにとって自慢の娘のような子である、思わず顔をほころばせながら口を開く。
「今年6歳になる、そうですね、私が魔法を教えている子ですよ。
天性の才能の持ち主でしてね、貴方と同じように遠近両方の魔法を扱える子です」
「へぇ、って事は俺の1個年下かぁ」
そうそう、と頷きそうになってから、リニスは硬直。
バッ、と身を乗り出し、ウォルターに詰問する。
「って、ウォルター、貴方まさか……」
「7歳だよ。何時も年上に間違えられるんだが、俺ってそんなに老けてるのか……?」
嫌そうな顔をしながら言うウォルターだが、その顔に嘘は見受けられない。
どころか、そもそもこの場で年齢を低く偽る理由がウォルターには無いのだ。
ウォルターが7歳であると言う事実を静かに飲み込み、リニスは痛む胸を静かに抑えた。
7歳と言う年齢は、フェイトのたった一つ上なだけの年齢である。
だのにウォルターは独りで、しかも賞金稼ぎなどと言うヤクザな商売で生計を立てているのだ。
それだけでも心が痛く、リニスは思わず涙が零れそうになるのを感じる。
だがリニスは、それを自身に許さなかった。
何故ならリニスは、それを聞いて尚、ウォルターをムラマサの所持者との戦いから遠ざけようとは思えなかったのだ。
「……っ」
心が軋む音が、聞こえるようだった。
リニスは娘を嫌うプレシアと母を求めるフェイトの間で、板挟みになっていた。
かと言って何かできるほどの時間は残っておらず、彼女の命はフェイトが魔導師として一人前になるまでだけ。
恐らく自分は何もできないまま、せめてとフェイトの心が強くなるよう育て上げる事しかできない。
ムラマサ奪取の任務は、そんな時に差した一つの光明だった。
勿論、リニスは死者の蘇生というプレシアの悲願を現実的と見ている訳ではない。
ムラマサを奪取しても恐らくはプレシアの悲願は叶わず、フェイトとの関係は変わらないままだろう。
それでも、奇跡が起きれば。
奇跡が起きてプレシアの悲願が叶えば、二人が同時に幸せになる可能性ができるのではないか。
そしてそれを、何もできないと思っていた自分の手で行えるのではあるまいか。
そう思う事を、リニスは止められなかった。
その為に、フェイトよりたった一つ年上なだけの少年を、危険に晒してでも、である。
許されるのならば、リニスは己の罪深さに、この場で泣き崩れたかった。
しかし、今誰よりも年齢に不相応に辛く危険な場所に居るのは、ウォルターなのだ。
そのウォルターが、今日一日一度も陰りのある表情を見せていないと言うのに、リニスが泣いていい訳がない。
だからリニスは、精一杯の笑顔を作る。
せめて少しでもウォルターの心が安らぐように、フェイト専用だった、出来る限りの笑顔を作る。
作って、ウォルターを抱きしめた。
「わぷ……っ」
子供っぽい声を漏らすウォルターを、強く抱きしめる。
最初は恥ずかしそうに抵抗しようとしているウォルターだったが、リニスが抱きしめるのを止めないのを理解すると、抵抗を諦めた。
代わりに、顔をほんのり赤くしながらリニスに抱かれるままにする。
ウォルターはあんなにも強いけれど、その体は小さくて暖かくて、愛おしさが溢れてくる。
そして自分はその愛おしい子供を危険に晒すのだと思うと、リニスはウォルターに何一つ言えなかった。
そんな資格が無い事は分かっている。
ただできる事なら、この体温の伝わりが、ウォルターの心を癒す事を祈って。
リニスはただ、ウォルターを抱きしめていた。
抱きしめ続けていた。