1章1話
「ティルヴィングッ!」
『了解しました、切刃空閃・マルチファイアを発動します』
廃棄区画の中心で、僕の叫び声が木霊した。
女性の機械音声と共に、僕は十個の直進魔法弾を形成。
魔力ダメージ設定のまま、敵へと放つ。
金髪モヒカンに黒い外套を羽織った相手は、すぐさま杖型デバイスを掲げ、叫んだ。
「こぉのクソガキがぁっ!」
僕と同じく、モヒカンは直射型の魔法を詠唱。
僕の二倍の二十個もの緑色の球弾が発射され、僕の十閃の光弾を迎撃する。
閃光。
刹那遅れて、爆音。
僕らの間にある二十メートルを土煙が満たし、一時的に互いの視界が阻まれる。
ここだっ!
内心での叫びと共に高速移動魔法を発動し、一気に距離を狭めようとした、その瞬間であった。
——違う、そうじゃない。
そんな風に脳裏を、僕の勘と言うべき物が走った。
自身の霊的な勘を完全に信じている僕は、即座に手段を変更。
モヒカンの魔力をロックして、彼の居るであろう場所にティルヴィングを向けて叫ぶ。
「フープバインドッ!」
『イエス、マイマスター』
白光が目的地に収束、四肢を照準して拘束する。
僕の勘はこれで上手く行ったとしていたが、油断は禁物だ。
腰を低くしティルヴィングを構え、何時でも四方に逃げれるように注意しつつ、土煙が晴れるのを待つ。
今戦っているこのモヒカンは、確かAランク相当の陸戦魔導師。
僕よりランクは遥か下とは言え、経験値は相手の方が遥か上だ、油断できる相手では無い。
事実僕は、空戦魔導師だと言うのに相手のステージである陸戦に戦闘の舞台を移されている。
次はどんな手で、経験不足の僕を引っ掛けようとしてくるのか。
致命的な手段が来るのではないか。
そんな不安に胃痛をひた隠しにしながら、僕は適度に緊張した両手で剣を握り締め、ひたすた土煙が晴れるのを待った。
時間にして十秒程。
土煙が晴れた先には、気絶したまま僕のフープバインドに捕まったモヒカンが居た。
先の直射弾は僕の物に対しモヒカンは二倍の数を用意できていたが、威力差が二倍では効かなかったのだろう。
僕の切刃空閃が全弾当たった後があり、バリアジャケットが所々破けていた。
それでも油断なく幻術の可能性を考えて一発直射弾を打ち込み、モヒカンが痙攣するのを見て、ようやく僕は小さくため息をつく。
「はぁ……、これで勝利か」
安堵のあまり、肩が落ちそうになるのを、おっと、と呟き僕は背筋を改める。
それからティルヴィングで管理局の最寄り地上部隊への通信を繋ぎ、僕はこのモヒカン男を捕縛した事を伝えるのであった。
***
ミッドチルダは流石管理局のお膝元だけあって、管理局への就職が容易い場所でもある。
かといって、どんな人間でも魔法が使えれば管理局に就職できるのかと言うと、そうでもない。
例えば、魔導師としてAランク相当の使い手が、無名の田舎から出てきたとしよう。
そんな男がいきなり管理局に就職しようとしても、まず不可能だ。
後ろ盾も実績も無い人間を審査する程、管理局の人事は暇では無い。
まずは士官学校なり陸・空士訓練校に通い、その上での就職を勧められるのがオチである。
だが、基本的にプライドが高い在野の魔導師は、そんな事やってられるか、と思うのが普通だろう。
田舎から出てきた魔導師は大抵伝い手などなく、訓練校を卒業するまでの生活費すら捻出するのは難しい。
奨学金をもらってアルバイトで当座を凌げばいいのだが、大抵力の強い魔導師ほどプライドが高く、そんな事までして管理局に就職しようとはしない。
かといって企業に就職するには当然ある程度の学歴が必要なので、それも不可能だ。
必然、力のある魔導師が街をうろつく事になる。
そんな魔導師達がどんな風に生計を立てていくかといえば、大抵は犯罪や非合法組織への所属によってである。
至極当然の事だが、これによってミッドの治安はどんどん悪くなる。
魔法犯罪が氾濫していく中で、それを止められないか、とある人間が考えついた。
在野の魔導師によって治安が乱れるのならば、在野の魔導師を使って治安を良くする事もできるのではなかろうか、と。
そんな考えからだ、賞金稼ぎと言う人種が次元世界に生まれたのは。
一部の犯罪者に賞金がつき、局外の人間でもそれを捕まえて管理局に引き渡す事で、賞金がもらえるシステム。
勿論犯罪者への過剰な暴力が認められなかったりと厳しい規則はあるものの、これを後ろ盾や実績どころか身分の保証の無い僕が利用しない手は無い。
幸い“家”があったのがミッドチルダの僻地で、次元転送魔法無しで首都クラナガンに行けた。
なので“家”を出た僕はクラナガンまでゴミ箱をあさりながら旅をし、首都周辺で賞金稼ぎとして糊口をしのいでいるのであった。
「はぁ……」
自動ドアの開閉に合わせてため息を漏らし、靴裏でカーペットを蹴りながら、外に出る。
高層ビルの立ち並ぶコンクリートジャングルに足を踏み出す僕は、いつもどおり憂鬱な気分だった。
別に、金が無い訳ではない。
あのモヒカン、つまりAランク魔導師の犯罪者の賞金は結構高く、切り詰めれば中々の期間生活できる金額だった。
なんでも正規の訓練無しにAランク魔導師に対抗するのはかなり難しいらしく、その為だと言う。
普通は何人かの魔導師でチームを組んで追い詰めるのだそうだ。
しかし当然単独で彼を打倒した僕が金に困る訳がなく、高級デバイスで金食い虫なティルヴィングの整備を考えたとしても、かなりの余裕がある。
なら何故憂鬱なのか。
それは、ここ数カ月、僕は賞金稼ぎとして活動している間、殆ど弱い者いじめしかできていない、と言う事だった。
今回のモヒカンとの戦いは、直射弾を目眩ましに高速移動魔法で接近、近接魔力付与斬撃の連発で追い詰め……、と言う風に戦闘を進めていくつもりだったのだが、目眩ましの筈の直射弾で勝負がついてしまった。
これまでの戦いも、そんなもんばかりである。
これでは僕は、いかに優れた勘があろうとも、同格の相手との戦いになれば、まず間違いなく負けてしまうだろう。
経験値の少なさ以外に、このままでは油断せずに戦い続けるのが難しい、といった点においてだ。
一応、訓練と言うものはしてはいるのだ。
幸いティルヴィングが訓練プログラムを用意してくれるのでそれを毎日やっているし、魔力養成ギブスとか言うのも戦闘中以外は常につけている。
だが人間の指導者が居ないとどうしても動きが機械的になってしまうし、今はそれを勘で補っているが、それも長くは続くまい。
僕は同格か、せめて一つ格下程度の実力者との戦闘を欲していた。
せめてもの慰めは、敵を攻撃する度に内心が震えてしまう癖が、どうにか治まってきた事か。
“家”を出てから最初の戦闘などは、酷いものだった。
内心の怯えが僕の行動から速さをもぎ取り、Cランクの魔導師にすら敗北しそうになってしまった。
戦闘に必要な能力が心技体の順番であると言う、良い証拠だろう。
と、そんな事を考えていると、赤信号にさしかかり、僕は立ち止まる。
管理局の地上本部が近く人通りの多い此処は、すぐに待ち人が溜まっていき、その中で僕は大変目立っていた。
管理局の平均就職年齢は12歳である。
もっと年下で管理局に入局する人間が居ない訳ではないが、そういうのは大抵エリートらしく、本局勤めになるそうだ。
当然、7歳の僕は大変に目立つ。
人の視線が苦手な僕としては、嫌な気分でいっぱいだった。
あまり多くの視線で見つめられると、もしかして僕は何か見目に分かるほど変な事をしているんじゃあないかと思い、憂鬱になる。
ズボンのチャックが開いていないか、頭に鳥の糞でもついていないか、それとも背中に張り紙でもつけられてはいないだろうか。
さりげない所作でそれらを確認したくて仕方が無いし、もしそうだったらと思うと、このまましゃがんで泣き出してしまいたい。
が、僕はもうウォルター・カウンタックなのだ。
ウォルター・カウンタックの名に、UD-182から受け継いだ名に、無様は許されない。
背筋を伸ばし、集まっている視線にだから何だと言わんばかりにして、辺りの人間をぐるりと見回し、ふん、と鼻を鳴らす。
それだけでお腹が痛くなってしまう僕なのだったが、その影響は絶大で、僕を見ている人皆が目を逸らした。
これでいい。
僕はUD-182がそうしていたように、大胆不敵で、自信満々な姿でいなければならない。
信号が青に変わったのを確認し、僕はややゆっくりとした足取りで前に進む。
話を戻すと、僕は自分に近い実力者との戦闘経験を欲していた。
UD-182は、何事にも一生懸命で気力に満ちた奴だったのだ。
故に僕には、UD-182の志を受け継ぐ者には、油断して負けるような無様な行動は許されない。
正直に理想を言うならば、こうやって賞金稼ぎをしている現状でさえ、あまり良い経過とは言えない。
僕が考えるUD-182の姿は、全次元世界を旅しながらひねた奴らをぶん殴り続ける旅人だ。
管理局との距離が近い此処に束縛されている現状は、ちょっと違う気がする。
勿論霞を食って生きる訳にもいかないので、矢張り彼も僕と同じように、賞金稼ぎをしていただろうが。
かといって、僕がそれをやろうとするには、その自信も経験もどちらも足りなかった。
勿論その真似をやってみる事なら簡単にできるが、犯罪者相手に失敗は死を意味する。
誰にも理想を見せること無く死んでしまえば、折角UD-182から志を継いだ意味が無くなってしまう。
とはいえ、困難や強敵を前に臆するのもまた、僕がやってはならない事な訳で。
はぁ、と内心でため息をつき、頭を振った。
まぁ、同格以上の相手に確実に会う方法なんてどうせ無いのだ、暫くはこうやってくすぶっている事ぐらいしかできないだろう。
せめてもの慰めとして、ティルヴィングの用意するトレーニングを順調にこなしていく他あるまい。
新暦62年の秋。
僕にとって“家”からの脱出に次ぐ最初の大きな事件と関わるその季節を、僕はそんな風にして過ごしていたのであった。
***
「願いが叶うロストロギアぁ?」
思わず語尾を上げて、僕は驚いた。
スキンヘッドにサングラスの筋肉隆々とした店主が、おうよ、と答える。
至る所がボロくなった、車輪付きの屋台。
暖簾は赤く、ミッド語でラーメンの文字。
一見すれば、と言うか何度見てもラーメンの屋台にしか過ぎない其処は、いつもどおり座っている客は僕一人だった。
なんでも第九十七管理外世界の食文化らしいラーメンと言う食べ物は、ミッドでも割りと人気な食べ物だ。
しかし此処のラーメンは正直微妙な味で、よっぽど変な客でもないと、一度食べたら二度と近づかなくなる。
夜になると此処に来る変な味覚の連中も結構居るらしいが、昼、しかも昼休みの時間を過ぎた頃に来れば、当然人口密度はこんなもんだった。
そんなところに何故僕が居るのかと言うと、勿論ラーメンを食いに来ただけではない。
高ランク犯罪者を、スペックの差でとはいえ容易く捕らえる僕は、此処数ヶ月でかなり有名になった。
当然、そんな僕を利用すれば、かなり儲ける事ができるのではないかと考える輩もたくさん出てくる。
店主はそんな輩の一人で、情報屋を自称する男だった。
こんだけ目立つ男が情報屋かよ、とか、ラーメン屋で情報屋ってどうよ、と思う。
が、店主曰く此処の客はさながら多種のスープが混ざったラーメンのスープの如く、様々な人種が集まってくるらしい。
その連中の話を聞いて、ばらしてもいい情報は情報屋として扱うようにしているんだとか。
正直眉唾な話だったが、他の情報屋は僕の例の直感が駄目だと囁いていたので、僕はこの店主と繋がりを持っている。
何度も情報をもらい犯罪者を捕まえるうちに、もしかして情報屋とは皆ラーメン屋をやっているものなのかとすら思った。
が、今度こそはやっぱり失敗だったんじゃないかなぁ、と思い、僕はジト目で店主を見つめた。
何を勘違いしたのか、ハハハ、と体を反り返らせながら笑い、続ける店主。
「あぁ、ここ一週間ぐらいに広まった噂なんだけどな、なんでも死人だって生き返らせる事ができるらしいぞ?」
「アホらし、そんなロストロギア、あってもリスクが半端無いだろ」
「冷めてるねぇー、ウォルター君」
ハハハ、と笑いながらもまたもや体を反り返らせる店主。
僕はそれを無視して、これも第九十七管理外世界の文化らしい、箸とかいう使いにくい食器を使って麺をすする。
麺はきちんと湯切りされているし、染み込んだスープもそれほど不味くはないのだが、矢張りなんでか美味いとは到底言えない味だった。
夜に此処に集まる連中は余程舌がおかしいんだな、と一瞬思ってから、次にもしかして彼らじゃなく僕の舌がおかしいんじゃないかと思い、それからどちらにせよ外から見れば僕も舌のおかしい連中の仲間なのを思い出し、程良く憂鬱になった。
前かがみになり、肘をついてニヤニヤと僕を眺める店主。
「そんな冷めてるウォルター君に、朗報だ。
ここ一週間ぐらいで起きてる魔導師連続殺人事件、知ってるかい?」
「知ってるよ、新聞でもニュースでもやってた」
クラナガンにおいても、一般人は兎も角魔導師相手の連続殺人事件と言うのは、中々珍しい。
殺人そのものが目的なら一般人が相手でいいし、怨恨なら数の少ない魔導師ばかりが相手と言う事はあまりなく、腕試しなら犯罪者相手に賞金稼ぎとしてやればいいからだ。
なので各マスメディアはこぞってニュースに取り上げるものの、具体的な殺害状況は管理局が差し止めているらしく、出ていない。
いや、うん、出ていなかった、よな?
内心少し不安になりつつも、僕は不敵な顔を崩さずに、店主に言う。
「で、死者は十一人だっけ。
一週間遅れのニュースだけが伝えたい事か?」
「くす、勿論それだけじゃあない。
死者は十三人になったし、その死者が共通して強化した膂力による刀傷で殺されていた、と言うのは知ってるかな?」
僕は思わず、ラーメンをすするのを一旦停止した。
麺を噛み切り、スープの中に落とす。
「管理局はベルカ式を疑っているらしい。
しかも、殺された魔導師の中にはAAランクの陸戦ベルカ式が居たとか。
その上、殆どの魔導師の体には、致命傷の他にいくつもバリアジャケットの上からの傷があったと聞く」
「つまり、不意打ちでの一撃必殺では無く、正面からの戦闘で殺されたって事か。
殺された魔導師のデバイスに、犯人の血とかはついていなかったのか?」
ハハハ、と背筋を反り返らせる店主。
サングラスとスキンヘッドが陽光を反射し、まばゆい輝きを放つ。
「いい質問だね。
答えは、少しも無かったそうだ。
殺傷設定になっているデバイスにも、血の一滴すら見つからなかったらしい」
「AAランクのベルカ式相手に一撃もバリアジャケットを抜かれずに、正面から殺害、か……」
ミッド式対ベルカ式で遠距離から近寄らせなかったのなら兎も角、近接戦闘のベルカ式同士でとなると、かなりの凄技である。
僕とて魔力はSランクだが、実戦技能は高く見積もってもAAランクが精々だろう。
明らかな格上の存在に、体がぶるりと震える。
もしそいつに出会って負ければ、僕は間違いなく殺される。
怖かった。
“家”の中で脱走に失敗した時の記憶が蘇る。
研究者も警備員も、僕に一言も話しかけなかった。
代わりに養豚場の豚を見るような、冷たい目で僕を睨むばかりであった。
UD-182と別れて個室に入れられてからは、何時僕が実験室に送られ使い捨てられるのか、怖くて怖くて眠れなかった。
脱走に失敗してから初めて実験室へ連れられた時なんかは、あまりの恐怖に失禁すらした。
とにかく僕は、死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったのだ。
そんな記憶が蘇ってしまった自分に、しかし僕は怒りをすら感じた。
違う、そうじゃない、と。
僕が恐れる事を許されるのは、UD-182の志を継げずに死んでしまう事だけだ。
UD-182は死の間際ですら死にたくないなんて言わず、唯一の後悔を除けば、やりたい放題やって生きて良かった、なんて言う奴だった。
その志を継ぐ僕が、死への純粋な恐怖になんて、怯えてはいけない筈なのだ。
そんな怒りでどうにか死への恐怖を吹き飛ばし、僕は顔を怯えた小動物の顔にする事無く、野獣のような獰猛な笑みに作り変える。
どうにか間に合ったようで、店主は眉を軽く上げて、ため息をつき言った。
「武者震いかい?
相変わらず、小さいのに男らしいガキだなぁ」
「まぁ、ここんところ弱い者いじめしかできていないんでね。
燃えてくるなぁ、こいつはさぁ……!」
「そういや、今日もAランク相手に圧勝だったっけ」
吹けば飛ぶような虚勢だったが、どうやら店主はそれに騙されてくれたらしい。
本当はこんなんじゃあ駄目な筈だ。
もっと根本的な所から変わっていかないと、本当にUD-182の志を継いだ事にはならないだろう。
だけれど僕は本当に弱虫で、だからこんなふうに紛い物の仮面を顔に貼りつけていく事しかできない。
そんな自分の愚かさに内心惨めになる僕だった。
それをおくびにも出さず、肩をすくめる。
「で、情報はそれだけかい? 目撃情報とかはなし?」
「まさか、犯行現場を記した地図付きさ、残留魔力パターンの波形もあるよ。
目撃情報は、残念ながら今のところナシ。
入り次第、別料金で通信するよ」
と言って、店主はクラナガンの地図を差し出し、デバイスを取り出した。
僕は地図をポケットに入れつつ、ティルヴィングで情報を受信し、もう一つ尋ねる事にする。
「管理局の対応は? 賞金を賭けられたりはしていないのか?」
「いや、相手のレベルがレベルだ、局内で対応するつもりみたいだね。
とっ捕まえてから民間協力者って事にされて、報奨金を狙うのがいいと思うよ」
「あぁ、うん。
にしても、随分ふわっふわした情報だな」
思わず毒づくと、はて、と言った風に店主が首を傾げた。
少女のような仕草を彼のような筋肉隆々とした男がすると、違和感が激しい。
思わず微妙な顔になってしまいつつ、続けて言う。
「なにせこれじゃあ犯人に繋がる情報なんて、殆ど無いに等しい。
犯行現場から次の犯行がたどれるとは限らないし、魔力パターンは魔法を使わない限り隠せる物だ。
偶然出会いでもしなけりゃあ、犯人を捕まえる事なんてできないんじゃあないか?」
「そりゃあ、普通の奴ならね」
含みのある物言いだった。
視線で先を促すと、溜息混じりに店主。
「君さぁ、最近は兎も角、最初の一月ぐらいはずっとこれくらいの情報で賞金首を見つけていただろう?
それに、道を歩けばひったくりに遭いそうになり、銀行に行けば銀行強盗に遭い、だ。
君は勘がいいのに運が悪い。
そんな君だ、これぐらいの情報でもあれば、偶然殺人現場にでも遭うだろうよ」
「嫌な予言するなよ……、いや、強い相手を探してる所だし、いい予言、なのか?」
なんとも言えない気分になる。
その通りだった。
僕は最初の一月、情報に金を渋ってはいけない、と思い知るまでの間、殆ど勘で賞金首を探していた。
それで食っていけたのだから、僕の勘は異常と言ってもいいだろう。
かといって運が良いかと言われると、犯罪者と異様に遭遇するのを運がいいと言うのも、なんだか間違っているような気がする。
なので僕の運勢を総評するなら、勘がいいのに運が悪い、となるのだろう。
ため息をつきつつ、僕はラーメンを食べ終わった。
「じゃあごちそうさま、代金は?」
「五でいいよ、お前ぐらいにしか売れない話だったし」
立ち上がって椅子にかけておいた黒いジャケットを羽織り、僕はラーメンの代金と共に情報料をカウンターに置き、店主に背を向ける。
これでようやく、ボロを出さずに店主との会話を終えられた。
内心安堵の溜息をもらしつつ立ち去ろうとした僕に、店主が声をかける。
「気を付けろよ、君も規格外だが、相手もこれまでとは格が違う相手だ」
一瞬、既に気を抜いていた僕は、頭の中が真っ白になってしまう。
パニックを起こしかけ、自分がどうしたらいいのか判らなくなる一方、僕の中には一部冷静なままの部分があった。
その部分がUD-182ならこうした、と言う動作を予想し、実行する。
僕は肩越しに振り返りながら、不適な笑みを作り、言った。
「俺を、誰だと思ってやがる」
“俺”。
僕はあの日UD-182の死を看取って以来、一人でいる時以外はずっとその一人称を用いている。
***
古いドアを開けて、僕は自宅のアパートに帰宅した。
後ろ手に扉を閉めて鍵も締め、ワンルームの自室に進んでから窓を閉めてカーテンも締める。
それから念のために盗聴器や盗撮器を魔法で探索、部屋にそれが存在しない事を確かめた。
その上で僕は部屋の中に防音結界を発動、外に中の音が漏れないようにしてから、ようやくため息をつき、古いソファに座り込んだ。
「はぁ~、今日も一日疲れたぁ~」
『お疲れ様です、マスター』
ティルヴィングが明滅しながら言うのを聞きつつ、ジャケットをハンガーにかけて吊るす。
外に出ている間の緊張の余り喉が乾いてヒリヒリしていたので、背筋を曲げながら冷蔵庫にたどり着き、ミネラルウォーターを取り出し、口付けた。
喉を数回鳴らして水を飲み込むと、ガクッと全身に疲労感が来た。
残る体力でソファの上に向かい、倒れこむようにソファに横になる。
再び、ため息をつく。
「ねぇ、ティルヴィング」
『なんでしょうか、マスター』
「僕、店主さんに嫌われちゃったかなぁ」
だって、僕が演じる“俺”は、一歩間違えればただの傲慢で感じの悪い男でしか無い。
UD-182は鮮烈で熱い男だったが、僕が果たしてその通りにできているか、とてつもなく不安だった。
かなり本気での質問だったのだが、何故かティルヴィングからはため息の音声が流れた。
『そんな事はありませんよ』
「でも、僕の言葉、嫌な感じじゃあなかった?
変な事、してなかった?
“俺”の演技に漏れとかなかった?」
言っていると、次々とネガティブな考えが思い浮かんでくる。
「ひょっとして、“俺”の演技に気づかれていたら、どうしよう。
もしそうだとしたら、店主さん、内心で笑いながら僕の事見てたんじゃないかな。
ううん、それどころか、管理局から歩いている間に街中の皆から笑われていたのかも」
と言ってから思い出し、僕は急ぎ立ち上がって鏡を見る。
大丈夫だ、ズボンのチャックも閉まっているし、頭に鳥の糞もついていない。
部屋に戻ってジャケットの背側を確認すると、張り紙も無かった。
ラーメン屋で一度確認してはいたものの、それから家に帰るまでにつけられていたのでは、と言う疑念が消えなかったのだ。
そんな僕が無様なのだろう、ティルヴィングは冷たい声を出す。
『毎日のようにその確認を行なっていますが、一度もそんな事ありませんでしたよね』
「そ、そりゃあそうだけどさ、でも気になるじゃん」
『そんなのは貴方だけです』
「つ、冷たいなぁ、ティルヴィング……」
冷や汗をかきながら言うと、ティルヴィングは更にもう一段低い声で言った。
『常々思っていますが、マスター、貴方は被害妄想癖がありすぎます』
「いや、まぁ、薄々分かってはいるけど、止められないんだよ……」
外に居る時の僕の態度は、“俺”と言う仮面を被った演技である。
当たり前だが、演技で他人と接するのは正道の行いとは言いがたく、罪悪感のある物だ。
その罪悪感が、僕の元々ある被害妄想癖を助長しているのだろう。
UD-182は、無論被害妄想癖なんて、欠片も持っていなかった。
目指している所にせめて形だけでも自分を置きたくて、僕は“俺”の演技を続けている。
でもその事で僕は余計にUD-182から離れていっているのかもしれない。
そう思うと、自分が情けなくて情けなくて、涙が滲みそうになる。
「うっ、ぐうっ……。
な、泣くな、泣いちゃ駄目だ、僕」
こんな事で、UD-182の遺体の前で誓った二度と泣かないという誓いが破れそうになるのが、余計に情けなくて。
目がじんわりと滲んでいくのを、何度も瞬きをしながら歯をかみしめて、どうにかやり過ごす。
そうこうしていると、ティルヴィングが疑念を声を出した。
『その泣かないと言う誓いも、守る必要があるのですか?』
「あ、当たり前だろ、僕が182に誓った事なんだ」
『UD-182とやらとの誓いを守る必要があるのですか?』
瞬間、僕の脳内が沸騰した。
思わず立ち上がり、待機状態のティルヴィングを握りしめ、怒鳴りつける。
「あるに決まってるだろ!」
『そうなのですか』
黄金の小剣が掌に食い込み、痛みを僕に訴えた。
明らかに納得していない様子のティルヴィングに、言葉を重ねようかと思ったものの、思いつく言葉は無い。
僕は大きなため息をつくと、どすん、とソファに座り込んだ。
ティルヴィングから手を離す。
所詮機械のティルヴィングに、人間の感情は理解できないのだろう。
仕方ない事と思いつつも、寂しさが拭えなかった。
何せ僕が弱音を吐ける相手は、この世で唯一ティルヴィングだけなのだから。
「まあ、いいさ。
魔導師連続殺人事件の犯行現場、見てみるか」
何か法則性が分かるかもしれないし。
と言う事で、ポケットに突っ込んだままだった地図を、机の上に広げる。
手に持ったミネラルウォーターで喉を鳴らしてから、ジロリと地図を睨みつけた。
地図上には赤ペンで十三個、点と数字、日付が書きこまれている。
それによると、死体は管理局の地上本部を中心とし、ほぼ一定距離でバラバラに見つかっているそうだ。
最初の死体が十二時の辺り、それから大分離れて七時の辺り、三時半の辺りで二人……。
「地上本部から一定の距離って以外に、法則性は見つからない、かな」
指で辿っても図が作れる訳じゃなく、被害者の名前や住所からも法則性は見られず、本当にただの辻斬りとしか思えない。
人通りの少ない所で、夕方から夜にかけて犯行が行われれているのが共通点といえば共通点だが、その程度の情報では次の犯行現場は特定できない。
唯一の幸運は、魔力パターンの波形をもらっているので、犯人を間違える事が無い事ぐらいか。
「こりゃ、何時もの通り、勘で探していくしか無いかな……」
『でしょうね』
思わずため息をつく。
賞金首相手でも、恋人の家なり行きつけの酒場なりと居場所を絞っていっても、最後にモノを言うのは勘でしかない。
僕の勘は相当に冴えているらしく、不思議なぐらい同業者から抜きん出て賞金首を捕まえている。
なので今回の連続殺人犯相手でもある程度信を置いているのだが、それにしたっていい加減、勘頼りの捜査は御免被りたい物だ。
なんというか、不安定過ぎて心臓に悪い。
そんな事を考えつつ、僕はゆっくりと立ち上がると、夕方までティルヴィングの作った鍛錬メニューをこなす事にするのであった。
***
クラナガンを斜陽が赤く染める。
商店街から遠くに見える鏡張りの高層ビルが、陽光を受けてキラキラと輝いていた。
商店街の中心には、噴水があり、こちらもまた陽光を受けて夕焼け色に輝いている。
家族連れの買い物客や、買い物袋を下げた主婦が買い物を続ける中、僕は一人寂しく買い食いをしていた。
屋台の香辛料が効いた肉串に柔らかなパンと、何の変哲もない夕食である。
量の少なさから、夜まで動くならまた夜食を買わねばならないだろう。
ティルヴィングが栄養指示まで結構細かい事をしているので、次は野菜などを多く取らねばなるまい。
僕は子供の多くがそうであるように、野菜が苦手だった。
と思ってから、UD-182ならどうしただろう、と思ってしまう。
最早不随意反射にまで達した思考は、嫌いな物は食べない、とか言いそうでもあるし、そんな事で自分の言葉の価値を安くしたくない、と食べそうでもある、と言う物だった。
まぁ、ティルヴィングが五月蝿いし、UD-182を自分の怠けの言い訳にしたくないので、どっちにせよ食べるのだろうが。
そんな事を考えて、どっかでサラダでも買って食べておくか、と思い、立ち上がった所であった。
「きゃあっ!」
と甲高い悲鳴と共に、主婦らしき女性が倒れるのが見える。
その先には、ニット帽子を深く被った男が、女物の鞄を持って走っていた。
「ひ、ひったくりです!」
女性が言い終えるが早いか、僕はその場から飛び出していた。
待機状態のままティルヴィングを使用、身体能力を強化して距離を縮めると同時、犯人が魔導師であった場合を考え、拘束力の高いそれを叫ぶ。
「チェーンバインドッ!」
しかし声は、すぐ隣から輪唱した。
思わずそちらを見ると、青い髪を水色のリボンでポニーテールにした、緑瞳の女性が居た。
私服の割に買い物袋を抱えているでもないのは妙に感じるが、そこは問題ではない。
問題は、その手から青いチェーンバインドが飛び出ている事である。
「って、しまったっ!」
再び犯人に視線をやると同時、ガシャン、と言う金属音と共に、僕と女性のチェーンバインドが絡まってしまう。
咄嗟に目測のロックで、脳裏に電撃が走るほどの高速詠唱。
白光と共にフープバインドが発動するも、速度を優先してロックが甘かったからか、奪われた女性の荷物をバインドしてしまう。
「ってくそ、犯人がっ!」
「まかせてっ!」
と叫び、女性が足元に三角形の魔方陣を発動。
そこから青い帯が犯人の上空へ向けて発射、同時に女性の靴が煌めいたかと思うとローラーブーツに変わる。
思わず、冷や汗をかいてしまう僕。
初めて見る魔法だが、見るだけで何となく効果はわかった。
「ちょっと待て、バインドを消してから……」
「それじゃあ間に合わないでしょっ! 男の子なんだから我慢っ!」
「ば、ばかっ!」
と、女性は僕の言を捨て去り、バインドで僕と繋がったまま、かなりの加速で青い帯の上を走ろうとする。
すぐに金属音と共に緩かったチェーンバインドがピン、と引きつった。
見目には次の瞬間体重の軽い僕が引きずられる事になるのだろうが、実際は違う。
体重の軽い僕は、チェーンバインドを発動する時に引っ張られないよう、自己を空間固定しているのだ。
空間固定の強さは術式の練度によって決まるが、体重の軽い僕はかなりの時間を空間固定に割いている訳で。
ピンと張ったチェーンバインドに、ぐい、と引きずられる女性。
当然、青い帯の道から外れ、空中に引っ張り出される形になる。
「へ? あれ?」
と、その場で落下を始める女性。
先の青い帯の魔法を使い慣れている様子から落下にも慣れているだろうが、不意の落下となると万が一がある。
とは言え、あまり女性に対する言葉では無いが、流石に五メートル近い高さから落ちる大人は、子供の体には正直重い。
せめて落下地点まで人がおらず直線であり、高速移動魔法を多重発動する必要がない事が慰めか。
内心ため息をつきつつも、僕はティルヴィングに呼びかける。
「はぁ……縮地、発動な」
『了解しました、マスター』
視界が流線となる程の急加速。
高速移動魔法で女性の落ちる地点に到達した僕は、覚悟を決めて両手を広げ、女性を抱きとめた。
「わぷっ!」
と、子供っぽい悲鳴を上げて、僕の両手に収まる女性。
髪が柔らかに広がってから、重力に従い降りてゆく。
年はどれほどだろうか。
先程の犯人を追おうとする顔は凛々しく大人っぽかったが、今の悲鳴やら顔立ちそのものは、なんだか背丈に比して幼く感じる。
それでも年齢は大人の女性の範疇なのだろう、お姫様抱っこのようになる形から鼻の近くに女性の首筋が来て、香水の華やかな良い香りがした。
かと思うと、女性はバツが悪そうな顔をして僕を見つめ、てへっと子供っぽい笑顔を作る。
「格好わるい所見せちゃったね、ボク」
「そいつはお互い様だな」
僕もバインドを目視ロックとは言え外してしまったのだ、偉そうに言える立場ではあるまい。
なのでそう答えると、女性は僕をキョトンとした目で眺め、それから何がおかしいのか、クスリと微笑む。
僕と長年に渡り縁のある女性、クイント・ナカジマとの出会いは、そんなお互い様の失敗から始まったのであった。