仮面の理   作:アルパカ度数38%

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序章 後

 

 

 

「おい、何だと?」

 

 UD-182が冷たく僕に吐き捨てた。

僕は内心震え上がるような思いだったが、表情筋を凍らせながら告げる。

 

「諦めろ、って言ってるんだ。

いい加減にしろっての、君の無茶に付き合わされるこっちの気にもなれよ」

「……本気か? いや、正気か?」

 

 “広場”の中心。

青く塗られた雲ひとつ無い描かれた空の元、僕とUD-182は向かい合っていた。

互いに氷点下の視線を向け合い、憎悪に満ちた言葉を口にする。

 

「君ごときが、何を言うのかな?

僕の助言が無ければ、此処を逃げ出す方法なんて思いつく筈も無い脳筋が」

「……上等だ。ハンデとして、魔力無しでやってやるよ」

 

 腕まくりをしながら、ピクピクと額の肉を痙攣させるUD-182。

僕もまた、腰を落として片手を腰だめに、片手を開いて伸ばす。

これも何となくこうすればいいんだ、と言う僕の肉体の命ずる勘による構えみたいなもので、今までも役に立ってきた喧嘩用の構えだ。

既に遠巻きに見ていた“広場”の子供たちが、更に数歩引き、十分な空間が空いく。

僕としても関係のない子供たちを傷つけるつもりはなかったので、それに内心安堵する。

 

「おりゃあぁっ!」

 

 怒号。

UD-182の拳が、真っ直ぐに僕の顔面へ向かって来る。

僕は更に低い姿勢をとり頭を下げ、それを回避した。

風切り音に肝が冷えるが、全身全霊でそれを無視。

そのまま溜めていた拳を放ち、UD-182の腹へと突き刺す。

 

「げ、ほっ!」

 

 一瞬動きを止めるUD-182。

効いているように見えたが、しかし悪寒が僕の背筋を走る。

ステップで横に跳ね跳ぼうとした僕だったが、既に遅く、UD-182は両手で僕の頭を引っ張るようにして抑えた。

しまったと思う時には、僕の顔面へとUD-182の膝が飛んでくる。

咄嗟に両手を交差させ、受けた。

 

「オラッ! オラッ! オラァッ!」

 

 一度。二度。三度。

最初は痛みの余り動けなかった僕だが、すぐにそれに慣れ、体を自由に動かせるようになる。

すぐさま僕は片手を膝の着地点に合わせ、膝を受ける寸前にもう片手で思いっきり引っ張った。

 

「オ……うおおっ!?」

 

 僕の股の間を突き抜けていく足に体重を取られるUD-182。

加えて僕が体重を預けたのもあって、すぐさま仰向けに倒れる。

僕はすぐさまマウントポジションを取る。

余計な行動を取られる前に、とりあえず仕返しとばかり、拳を作ってUD-182の頬を殴った。

 

「げはっ!」

 

 殴った。殴った。殴った。

二回目からはUD-182の交差した腕の上からだったが、関係なく殴った。

自分のしている事の罪深さに手が震えそうになるが、歯を食いしばって拳を握りしめ、殴り続ける。

すぐにUD-182の顔が腫れ上がり、口内からは血が滲むようになる。

僕は自身の拳から血が滲むのを感じたが、関係無い。殴る。

 

 しかしそうこうしているうちに、UD-182が防御を解いた。

何をしようと無駄であるのに何故、と思ったが、UD-182にはその知識が無いのかもしれない。

なので気にせずUD-182を再度殴ろうとした次の瞬間であった。

 

「ラァッ!」

「う……!」

 

 僕の下腹部を、経験したことのない痛みが走った。

金的だった。

思わず股間を両手で抑えるが、真っ直ぐに背筋を維持できない。

UD-182にもたれかかるようになるのを、彼はすぐさま押しのけ、立ち上がる。

僕は未だ全身を襲う吐き気と気持ち悪さに似た痛みに、動く事もままならない。

せめて地面に伏すようにして丸くなる。

 

「今度はこっちの番、だっ!」

 

 飛んでくる蹴りに、僕は最早耐え忍ぶしかなかった。

ゴス、ゴス、と鈍い音と共に、脇腹へと向かってUD-182の蹴りが飛んでくる。

蹴りが入った瞬間の突き刺すような痛み。

じんわりと広がる鈍い痛み。

金的の吐きそうな痛み。

全てに耐えながら僕が待っていると、“広場”の出入り口が開く、独特の機械音がした。

 

「おい、貴様ら何をやっているっ!」

 

 体の隙間から、実験体の子供たちがモーゼが割った海のように分かれ、その間から研究員が走ってくるのが目に見えた。

UD-182も今回は堪えたのだろう、ふらつきながら僕を蹴るのを止めて、足先から判断するに、研究員の方を向く。

 

「おい、オッサン、邪魔するんならただじゃあおかねぇぞっ!」

「くそ、またお前か、しかも相手がUD-265だとっ!?」

 

 悲鳴をあげる研究員が再び魔方陣から鎖を発射、UD-182を雁字搦めにする。

それから僕の方へ近づいてきて、強引に肩を引っ張り顔を上げさせ、言った。

 

「おい、大丈夫か? くそっ、こいつもUD-182も、医務室行きだな」

 

 僕の事を、こちらは通常の輪っかの方の捕縛魔法で縛る研究員。

そのまま僕とUD-182を魔法で浮かせ、せかせかとした足取りで“広場”を出ていく。

その際、偶々僕とUD-182は目が合う。

くすりと、お互い小さな笑みが重なった。

思わず、僕の内心に先日の作戦会議の内容が思い浮かんでくる。

痛みを紛らわす為にも、僕の思考はゆっくりと先日の光景へと向かっていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いつも通り、お前の知恵を借りたいんだ」

 

 UD-182の言葉に、僕は頷く。

“家”で培養された実験体の彼らには、知識が不足している。

どれほどかと言うと、一年前に僕とUD-182が初めて外に脱出しようとした時には、そもそも外の存在すら知らない子ですら居たのだ。

UD-182も知識不足である事は確かで、前二回の脱出方法も僕の出したアイディアから二人で吟味した物である。

 

 と言うと疑問に思う人も居るだろう。

ならお前はなんで知識があるのだ、と。

それについては僕もよく分からない。

僕は物心ついた時から、聞いた覚えの無い事や見た覚えの無い事を知っていたのだ。

多分バグか何かなのだろうと思っているが、言って研究者達に解剖されるのも嫌なので、研究者達に聞いてはおらず、自然詳しい理由も分からない。

ただ便利なので、使ってはいるけれども。

 

「そうだね、ちょっと整理するから待ってくれ……」

「あぁ」

 

 と言うUD-182は、何故だか目を細めて僕の事をじっと見つめてきた。

どうしたのだろう、と内心首を傾げるが、取り急ぎ知識を思い出していると、UD-182が口を開いた。

 

「なんつーか、さ。いつもありがとうな」

「へ? なんだい、いきなり」

 

 思わず目を点にしてしまう僕。

UD-182は、照れくさそうに鼻の頭をかきながら続ける。

 

「俺なんて此処から出る出る言ってるけどよ、具体的なアイディアは何時もお前頼りだからさ。

お前、何でか知らんけど、“家”に居れば知るはずのない事を、色々知っているだろ?

それがさ、俺にとっては、希望みたいなもんなんだ」

「…………なんか恥ずいな」

 

 こちらも思わず軽く赤面しながら、UD-182から視線を外す。

触らなくても顔面の温度が高まっているのがよく分かる。

それを悟られたくなくて、僕は椅子に体育座りするようにして、膝で顔を隠した。

 

「俺が何時脱出を考え始めたか、なんて正直覚えてない。

いつの間にかだった。

でも、俺は“家”の純粋培養だ。

生まれてこの方此処から出た事もねぇし、研究者どもが俺に外の事を教えてくれるだなんて思わねぇ。

だから、さ」

 

 そこまで言って、UD-182はじっと僕のことを正面から見つめる。

その真剣な視線に、僕は顔を隠していた膝を下ろし、少し身を乗り出すようにした。

 

「多分、お前の言葉を、知識を聞かなければ、俺は外に出ようなんて思わなかったんだと思う」

 

 衝撃だった。

胸の奥を、ずん、と重い物に貫かれたかのようだった。

今度は恥辱ではなく興奮で、顔の温度が上がっていくのを感じる。

 

「意思はあった。

何かに抵抗しようと言う意思はあった。

だけど、それに方向を、向ける先をくれたのは、お前の知識だったんだ」

「ぁ……ぅ……」

 

 この感情を、何と呼べば良いのだろうか。

黄金の意思を持つUD-182の心の形成に、僕が大きく関わっていた。

その事実は、僕の心を大きく揺さぶった。

光栄さ、とでも言えばいいのだろうか。

そんなような気持ちが心の中を満たしていく。

 

「だから、ありがとうなっ!」

「……あぁ!」

 

 喉の奥がマグマでも飲み込んだかのように熱かった。

腹の奥の方で灼熱の炎が燃え盛っているみたいに、体中が活気に満ちていく。

今なら僕は、なんでもできそうだった。

UD-182の言葉は、いつも無気力な僕にさえそんな万能感が湧き上がるぐらい、最高の賛辞だったのだ。

 

 同時に、僕の脳内もやる気に満ちて、知識の検索を早くする。

常日頃からピックアップを心がけているだけあって、それはすぐさま整理できた。

僕は、考え中な間下げていた視線を、UD-182へと戻す。

 

「一つ、僕に考えがある」

 

 UD-182の顔が、野獣のような笑みを浮かべる。

僕もまた、攻撃的な笑みを浮かべていただろう。

 

「三つ、三つも偶然が必要な、かなり分の悪い賭けだ。

でも、成功すればきっと、この研究所から逃げ出すぐらい、簡単にできるって賭けさ」

「乗ったっ!」

 

 ぐっ、と握りこぶしを作り、白い歯を見せるUD-182。

こちらも微笑みを深くし、続ける。

 

「だろうな。

中身を続けるよ?

一つ目は、最近僕の魔力が覚醒しかけているって事だ。

後は何だか僕の意思一つで魔力を操れそうな気がするんだ」

「ならやってみりゃあいいんじゃないか?」

「いや、理由は後で言うけど、直前まで僕への警戒は低くしておきたい。

だから僕は土壇場で魔力に覚醒して、操れなくちゃいけない。

これが一つ目の賭け」

「悪くない賭けだな」

 

 何時もならここで反論するのが僕だが、此処だけは僕も自信があったので、強く頷き返す。

 

「あぁ、僕自身、少なくとも此処だけは上手くいくって自信があるんだ、多分行けると思う。

二つ目も、そんなに難しい話じゃあない。

抗麻酔薬を手に入れるって事だ」

「抗麻酔薬?」

 

 オウム返しするUD-182に、僕は頷いた。

というか、そもそも麻酔を知らないかもしれないUD-182に、僕は解説を続ける。

 

「実験の時、僕らは痛みも感じないが体を動かす事もできはしないだろ?

あれは、麻酔と言う薬を使って体を痺れさせているからなんだ。

抗麻酔薬は、それに抵抗する為の薬。

それを予め投与しておけば……」

「そうか、首輪が外れたまま自由に動けて、しかも対魔力障壁だっけ?

それの強いのがある“広場”以外からスタートできるって事か!」

「その通りだよ。

ついでに言えば、実験室は“広場”より上の階にあるから、ショートカットにもなるね」

 

 思わず、といった風に手を打つUD-182に、僕はまたもや頷く。

UD-182は知識が無いが、理解力が無い訳でも無いので、話が簡単に進んで心地良い物だった。

そして僕の予想通りに、ふとUD-182が首を傾げる。

 

「でも、それってどう隠すんだ?

見つけてすぐ使っちまったら、実験の時まで持たないんじゃあ?」

 

 当然の疑問であった。

確かに抗麻酔薬は注射してから実験に呼ばれるまで、都合よく効いてくれるとは限らない。

だから。

 

「胃の中に隠すのさ」

「胃の中っ!?」

 

 流石に驚くUD-182に、僕はクスリと微笑む。

 

「僕の知識の中でも、特に深い所にあって最近見つけた奴なんだけどさ、収容所から逃げ出す方法の一つに、前例としてそういうのがあったんだ。

胃の中に隠した後は、“広場”で実験に呼ばれると同時に、物陰で注射をしてから行けば大丈夫さ」

 

 勿論二人がほぼ同時に呼ばれる日でなければいけないが、実験の順番はほぼローテーションで行われているので、それは容易く分かる。

そう付け加えると、成る程なぁ、とUD-182は頷いた。

 

「で、賭けの要素ってのは、医務室で抗麻酔薬が見つかるかどうかってのと、使う日に僕達二人にちょっかいをかけてくる奴らが居ないかどうかって事だ」

「成る程……、でもまぁ、それぐらいなら何とかなりそうだな」

「あぁ、ここまではね」

 

 と言うと、少し戸惑ったようで、UD-182が腕を組んで首を傾げる。

 

「って言うけど、ここまででも十分脱出はできそうじゃあないか?

お前の魔力ってたしかSランクだろ?

それがどんくらい凄いのかは分からないけど、俺より上なのは確かだよな。

それなら、俺と二人なら何とか脱出できるんじゃあ?」

「そうかもしれない。

けど、僕らは二度目の脱出で警備がどれだけ強化されたのかまだ分かっていないだろ?

それを考えると、まだもう一つ賭けが必要だと僕は思う」

「……そうか」

 

 納得した様子で頷くUD-182に、続けて僕は言った。

 

「もう一つの賭けは、デバイスだ」

「デバイス?」

 

 オウム返しに聞くUD-182に、またも僕は頷く。

僕は二つの知識によって、デバイスと呼ばれる魔法補助具の事を知っていた。

一つは僕のよく分からない知識から。

もう一つは、実際に魔法を“視た”感想から来る経験からである。

前者はそのままだが、後者は幾度か視た研究者達の魔法を使う時、毎回触れていた胸ポケットのカードが反応していた事からだ。

 

 なので僕は、僕が知るデバイスに関する情報について懇切丁寧に喋った。

あの科学者が使う鎖を放つあれのような魔法は、プログラムによって作られている事。

デバイスは明らかにそれを補助する目的で作られており、それによって魔力の使い方の能率も上がり、手に入れば脱出の可能性も高くなる事。

警備員が使っていたカードから変化した杖を見るに、カード型の時は待機状態である事。

待機状態はカードだけではなく、宝石型の物など幾種類もあるような事。

 

 どれも初耳のUD-182には理解しづらい事柄だったにも関わらず、UD-182は思った以上の理解力を示した。

僕の拙い説明に一々頷き、的確な質問を見せ、きちんと内容を自分なりに咀嚼している事を示してみせたのだ。

 

 UD-182の意外な能力に感心しつつ、ひと通り話し終えると、僕はそのデバイスがどうしたのかについてに話を変えていった。

 

「で、だ。僕が見るに、それらしい物を、何度か実験室内に待機状態でいくつも置いてあるのを見かけた事があるんだ」

「って事は、運次第で実験室でデバイスとか言うのを手に入れられる、って事か?」

「もう一つ運良く、使用者認証がついていなければね」

「使用者認証?

あぁ、成る程、奪われた時の為って事か。

でもそれじゃあ、運次第なんて事ありえないんじゃあ……。

いや、実験室に置いてあるんだから、意識をなくしている時の俺達が使わされている可能性がある、つまり俺達にも使用者権限がある可能性があるって事か。

265、お前が魔力覚醒を隠すのも、覚醒前と後のどっちがデバイスを使わされているのかよく分からんから、リスク分散って事か」

「鋭いね、その通りさ」

 

 と、あまりの理解の速さに若干目を見開きつつ答える。

なんだか不自然さを覚えないでもないが、よく考えるまでもなく、UD-182は何時もこんなもんだ。

僕の予想の斜め上を行く奴である。

変な納得の仕方をする僕を知り目に、UD-182はうんうんと頷きながら、続けた。

 

「よし、つまりこうだな。

準備を終えたら俺と265が同時に実験室に呼ばれる時を待って、抗麻酔薬を注射。

実験室で首輪を外されたら魔力を使って研究者の奴らをぶっ飛ばして、あったらデバイスを確保。

その後合流は、魔力がぶつかり合ってる所に互いに集まる事、でいいか。

で、準備はえーと、まず抗麻酔薬の入手からだから……」

「医務室に行く必要があるから、喧嘩でそこそこやられる事からかな。

どうせなら、僕らが仲間割れして喧嘩したフリでもして、互いに怪我するぐらいやり合おう。

少しでも研究員の油断を誘いたい」

 

 そう言う僕に、一瞬キョトンとしてから、ニヤリ、と男臭い笑みを浮かべるUD-182。

 

「なるほどな、確かに。

そういや、お前と本気で喧嘩した事は無かったっけ」

「へ? 本気?」

 

 と、言われてから僕は自分が何を口走ったのか悟り、思わず顔を青くした。

僕が、UD-182と喧嘩する?

しかも互いにある程度怪我をする程度に?

想像しただけで、胃が痛くなる事柄だった。

まず僕がUD-182に喧嘩で怪我をさせる事なんてできるだろうか。

ノータイムで僕の脳内は無理と返した。

だって僕はただでさえビビリで、それを克服できる時があってもUD-182の言葉を受けてでしかないのだ。

なのに当のUD-182に殴りかかるなんて、できる筈も無い。

 

「勿論魔力は抜きでだけど、結構楽しみだぜ。

お前、なんだかんだいって何人に囲まれても、魔力持ちが相手でもなけりゃあ絶対勝つしなぁ。

う~、なんか燃えてきたぜ!」

 

 しかし、この眼の前で嬉しそうにシャドーボクシングをするUD-182を見て、僕はついに前言撤回を言い出せなかった。

何せこれは物理的に実現不可能な事ではなく、しかも実現すればここを脱出する可能性が高くなる事なのだ。

なのに僕一人の我儘をここで通そうとするのも、いただけない。

 

 とか思っていたけれど、僕がUD-182に殴りかかり、怪我をさせるなんて、物理的に実現不可能な事ではあるまいか、なんて考えが浮かんでくる。

それを言えば、UD-182は、仕方なしに許してくれるだろう。

でもそれが甘えのような気がして、普段からこいつに頼りっぱなしで、今日彼が僕のアイディアを頼りにしている事を聞いてようやく対等になれた気がする今、どうしても言い出せなかった。

 

 いや、でも、しかし、いや、それでも、しかし。

そんな風に頭の中をグルグルとループする考えを言い出せないまま、僕とUD-182の作戦会議は終わってしまう。

 

 警備員の見回りが来る前にと再び通気口を通って戻りながら、一体どうやってUD-182と殴り合おうか、胃を痛くしながら考え続ける僕なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい広場で、実験体達は様々な遊びに興じている。

子供らしい明るく甲高い声が響く中心を眺めながら、僕は端の方で遊具の影に隠れながら、一人ため息をついていた。

 

 と言う訳で、僕とUD-182の喧嘩は、敗北に終わったものの、ある程度は対抗できた。

正直やるまでは胃が口から出てきそうなぐらい緊張していたのだが、一度拳を繰り出してからは、不思議な程僕の体はよく動いてくれた。

僕は自分の勘が指し示す道に、身をゆだねるようにして動いた。

まるで肉体があらゆる戦闘を知っているかのような、全能感がそこにはあった。

 

 悔しいのは、しかしそれに追従するには僕自身の精神の速度が足らず、それ故に僕は負けたと言う事だ。

そう、勘で次にどの行動をすればいいか分かっても、体の繰り主である僕が躊躇をすれば、間に合わない。

それさえなければ僕は、UD-182に勝てていたかもしれなかった。

その事実は、密かに僕の自信に繋がっている。

 

 あれから数日が経過した。

抗麻酔薬は無事手に入り、今日は恐らく僕とUD-182が同時に実験をされる日取りで、後は呼ばれるのを待つばかり。

僕とUD-182は表向き喧嘩した仲なので、言葉を重ねる事なく、お互い一人と一人で過ごしている。

ついでに言えば、胃の中にある抗麻酔薬の注射を壊さないよう、争いごとは避ける方針で。

 この数日、僕は二人の死体を見る事になった。

男女一人づつの死体は、どちらも先日のUD-193の死体に負けず劣らず酷い有様であった。

 

「僕は、こいつらを見捨てていくんだな」

 

 誰にも聞こえないよう小さく呟くと、それが実感となって僕の内部に襲いかかってきた。

まるで冷水でも浴びせられたかのように全身から体温が消え去り、震えが走るようになる。

グッ、と両手を握り、体育座りをしていた膝の間に顔を埋め、震えを掻き消そうと僕は努力した。

 

 そう、毎回僕とUD-182の脱出は二人きりの脱出だったが、何も他の実験体が逃げ出す助けをしなかった訳ではないのだ。

どちらの時も、僕らは大声を張り上げて、ここから逃げられるぞ、と叫びながら“広場”を脱出し、後から大勢の実験体が続いてくる事を想像しながら逃げた。

だけど実際は、誰一人僕らについてくる事はなく、ポカーンと僕らを眺めていただけだった。

理由は、よく分からない。

外の存在をぼんやりとしか知らない故なのか、それともここで残る一生を過ごす選択をしたのか。

 

 しかし何にせよ、今回は“広場”の皆が逃げだせる余地のあるような作戦では無かった。

彼らが望んでいないにしろ、僕らは皆を見捨てて二人だけで逃げ出すのだ。

UD-182はもうアイツらなんて知らん、とか言っていたけれど、僕にはそう簡単に割り切る事ができそうになかった。

皆は此処から脱出する事なく、此処であんなふうに女は股を、男は尻を陵辱された上に、グチャグチャの死体にされ、廃棄処分されるのだ。

そう思うと、やりきれなかった。

 

 甘い、のだろうか。

何にせよ、僕は今更皆を見捨てる事に罪悪感を感じ始めているようだった。

まるで今の今まで、現状に現実感を感じていなかったかのようで、僕はそんな自分に嫌気が刺す。

 

 そんな風に自己嫌悪に浸っていると、ふと、現実感が無いといえば、逃げ出そうとしない“広場”の実験体の皆も現実感が無いのかな、と思った。

お揃いだな、なんて思いながらぼんやり過ごしていると、キーン、と甲高い音と共に放送が“広場”に鳴り響いた。

 

「UD-182、UD-265、“広場”出口まで来なさい」

 

 はっ、とぼんやりしていた意識を覚醒させ、予め胃液と共に“広場”の隅で戻しておいた注射器を手に取り、僕は自身の腕に抗麻酔薬を投与する。

針の痛みに眉をひそめながらそれを終えると、僕は注射器を目立たない所に隠し、小走りで“広場”の出口へと向かう。

その途中、UD-182と目があった。

僕らはその瞬間だけニコリと微笑み、計画が順調に行っている事を互いに確認。

心配していた注射も、UD-182は成功させたようだった。

安堵を内心で抱きつつ、僕らは出口へと向かう。

不仲を装い、無言のままで。

 

 金属製の床を裸足でペタペタと歩き、階段を二度上ってからUD-182と別れ、ついたのはいつも通りの実験室だった。

脳内の記憶を検索してみるに、何度かデバイスを見かけた事のある場所である。

待機状態でプレートの上に乗ったそれらは、ガラス玉だったりカードだったりのような物だった覚えがあった。

知識によると、杖やら槍やらがデバイスの基本的な装備だった筈だ。

扱いやすいそれらが残る事を願いながら、僕は白衣の男に連れられ実験室へと入った。

 

 室内の強い光が、目を焼くように届く。

数秒して目を開き、研究者達が僕ではなく実験器具の確認や話し合いに集中している事を確認してから、僕は実験室全体を眺めた。

 

 あった。

ただし、一つだけだった。

研究者達の中の一人が銀色の小さなケースを持っており、開かれたそれの中にはやわらかなクッションが敷き詰められ、中心には小さな金色の剣のペンダントが収まっている。

それ以外のデバイスは、さりげない所作の中で実験室内を見やる分には、見つからなかった。

 

 選ぶ余地は、無いと言う事か。

勿論選ぶ時間が減ってUD-182と合流するのが早くなる、と言う利点もあるのだが、メリットよりデメリットに思考が傾いてしまうのが僕であった。

 

 欝な気分になりつつ、僕は科学者に誘われるまま、金属製の可変椅子へと座る。

するとすぐに科学者がやってきて、僕の腕に注射器を刺し、麻酔を打った。

 

「10時22分、UD-265に麻酔投与」

 

 書記らしい研究者が、麻酔を打った研究者の声を空中の透明キーボードに入力する。

それから、僕はなるべく自然に思えるよう、目をトロンとさせ、瞼が重いかのように見せかけた。

 

 UD-182は果たして、この演技に成功しているだろうか。

直情型の気がある彼だったが、先の喧嘩は本気で怒っていたんじゃあ、と思う程に自然な演技で、見事な物だった。

僕のような芋演技よりは余程上手くやるに違いない。

とか思っていると、今度は逆に僕が上手く演技できているのか不安になってくる。

 

 胃が痛い時間が過ぎると、再び研究者の声。

 

「10時27分、UD-265の首輪解除」

 

 言ってから、ピ、と言う小さな電子音と共に、首元で駆動音が響く。

少し頭が持ち上げられ、百八十度回転した首輪が僕の首から取られた。

その瞬間に目を見開きたくなる自分を抑え、首輪が収納され、少なくとも一瞬で僕の魔力を閉じ込める事が無い距離になるまで、待つ。

 

 目算で十秒。

数え終えた瞬間、僕は目を見開いた。

 

「なっ……」

 

 一気に全身にスイッチを入れる。

同時、僕は僕の全身を循環している『それ』に気づいた。

薄々感じていた『それ』は、これまでに無い程濃く感じられ、同時に『それ』が僕にとって体の延長であるかのように自由に扱える事を直感した。

 

 魔力を、全開放する。

 

「うぉおぉぉっ!」

 

 絶叫と共に、ごぉ! と、風が吹き荒れた。

完全に油断していた白衣の研究者達は吹っ飛ばされ、頭なり全身なりを打って、気絶していく。

軽く研究室を一瞥し、研究者達がすぐに動けそうにも無い事を確認。

僕は急いで椅子から飛び降り、先程のケースを開き中の金色のペンダントを取り出す。

 

「頼む、動いてくれっ! セットアップッ!」

『イエス、マイマスター』

 

 果たして、奇跡は起きた。

金色の小剣から流れこんでくる情報が、言葉も無しに理解できる。

バリアジャケット、非殺傷設定、魔法プログラム……、様々な知識が僕の脳に渦巻いた。

湧き上がる万能感に、思わず口の両端が上がる。

 

 そして僕は、即座にバリアジャケットを選択。

光が僕を包み、次の瞬間僕は、バリアジャケットを展開する事に成功していた。

黒いインナーに黒いつや消しのアーマーと手甲、編み上げのブーツに黒いコート。

服といえばとりあえず黒、と言う地味根暗発想の発露である。

 

 対し手に持つデバイスは、巨大な黄金の剣だった。

刀身は太く僕の体の幅近くあり、鍔にはデバイスコアたる緑色の宝玉が収まっている。

僕の性根とは逆で、派手にも程があるデバイスだった。

 

「ば、馬鹿なっ、バリアジャケットだと!? 知る筈も無いのに発動させたのかっ!?」

 

 動けない研究員の一人が、大声を上げ驚く。

愚かな研究員に、僕はとりあえずデバイスの刀身を向けた。

“家”の実験体なら兎も角、研究員相手に手加減するつもりは、僕には毛頭ない。

 

「君の名前は?」

『私の名前は、ティルヴィングです』

 

 何処か機械じみた、女性の声が答えた。

僕は一つ頷くと、こちらも名乗り返す。

 

「よろしく、ティルヴィング。

早速だけど、単純な魔力弾作れる?」

『できますが……』

「時間がないけれど、試し打ちしたいんだ、頼むよ」

 

 ティルヴィングの口調は芳しくなかったが、時間が押している。

頼み込んでみると、短い沈黙の後、肯定の返事。

 

『では、掌を発射したい方向に向けてください。

非殺傷設定で構いませんね?』

「あぁ」

 

 答えると、僕は先程驚いていた研究者に掌を向けた。

ひっ、と短い悲鳴。直後僕の体を循環する魔力が掌に集められ、解き放たれた。

白い球形の光弾が研究者に激突、研究者は再び短い悲鳴を上げると、今度こそ気絶した。

幸いな事に、無抵抗な科学者を一撃で昏倒させる程度の威力はあるようだ。

これで本格的な魔法が必要だとか言われたら、どうしようかと思った所だった。

 

「よし、まずはエリアサーチをしたい」

『イエス、マイマスター』

 

 言って僕は、目をつむった。

魔力的な感覚の網を僕自身から伸ばし、UD-182の存在を探す。

不意に、もし見つからなかったらどうしよう、と悪寒が走った。

彼相手にできるとは言ったし、僕自身の感覚もできるとは告げている。

それでも尚、一度不安が過ぎってしまうと怖くて怖くて、僕は早く見つかりますようにと何度も念じながら、UD-182の居場所を探った。

 

 見つかった。

崩れ落ちそうな安堵感と共に目を開き、僕は溜息をついた。

一体何分かかったのだろうと実験室の時計を垣間見ると、三十秒とかかっていなかった。

どれだけ僕は小心なのだろう、と自己嫌悪に陥りつつ、僕はそちらに向かう直線上にある壁に、掌を向ける。

 

「ティルヴィング」

『イエス、マイマスター』

 

 白い魔力弾が、壁を破壊。

瓦礫をまき散らしながら、UD-182への道を作る。

一発では足りないので、二発、三発と連発しながら、僕は先へと進んでいった。

 

 早く、早く、早く、早く。

内心は焦りで一杯だった。

僕一人が脱出できた所で、何の意味もない、UD-182も一緒でなければ。

そう思って急ぐのだけれど、短い筈のUD-182との距離が永遠に感じる程、僕の動きは遅々として進まない。

何より、UD-182の魔力反応がほとんど動いていないのが、僕の焦りを加速させた。

警備員に捕まったのか、それとも何か予測のできないトラブルでもあったのか。

そんな事を思っているうちに、同じ階な上然程遠くなかった事もあったからだろう、すぐにUD-182の居る場所へと辿り着く。

 

「182っ!」

 

 壁を爆砕、叫びながら僕は廊下へと飛び出した。

土煙の上がる中、僕の体感時間が伸びていく。

廊下には、UD-182の他には、黒スーツの警備員が二人。

片方の男がUD-182の両脇に腕を通して持ち上げており、もう片方が通信端末を片手に報告をしようとしている所だった。

咄嗟に、UD-182を抑えている相手に目をつける。

 

「ティルヴィングっ!」

『了解しました、マスター』

 

 叫びつつ魔力弾のチャージを開始。

同時にティルヴィングを振るい、UD-182を捕らえている男の顔面にフルスイングする。

 

「ぐはぁっ!?」

「くっ、UD-182とUD-265が脱走っ! 場所は……」

 

 顔面を強打され、吹っ飛んでいく黒スーツ。

そのまま僕は、振り回したティルヴィングの重量に逆らわず、くるりと空中で回転。

掌を残る黒スーツへと向け、叫んだ。

 

「行けっ!」

『魔力弾発射』

 

 機械的な女性の声と共に、僕の掌から白い魔力弾が発射される。

悲鳴と共に、再び上がる土煙。

その結果を見るよりも早く、僕はUD-182に叫ぶように言う。

 

「大丈夫かっ! デバイスは確保できたっ!?」

「あぁ、まだ一発も殴られてないっ! デバイスはスマン、無かったっ!」

「こっちは体も大丈夫でデバイスも確保できた、急ぐぞっ!」

 

 叫び終えるが早いか、僕らは走りだした。

幸い、ここの階までは逃げてきた事がある、階段の位置は分かっている。

迷いない足取りで、僕らは“家”からの脱走を始めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うおぉおぉぉっ!」

『魔力弾発射』

 

 白い光弾が掌から発生、軽く尾を描きながら扉へと着弾。

一瞬の静謐の後、爆発が起きる。

土煙が晴れるのを待つ事なく、僕らはその中を突き進んでいく。

 

「くそ、また階段かよ! 一体どんだけ地下深くに作ってあるんだっての」

「これでもう地下七階あったのは確実だね」

『魔力弾発射』

 

 互いに呆れつつ、僕は魔力弾を再び生成、前方へと発射し、階段の下り口の扉を破壊する。

ちらりと後ろを見ると、黒スーツどもは僕らに追いついていないようだった。

 

 ここまで都合三回、僕らは黒スーツどもに行く手を塞がれた。

しかしSランクの魔力と魔法の基礎知識を得た僕は相当な強者だったらしく、そのいずれもを打破している。

“広場”で研究者にすらよく捕まるUD-182の事を心配していたのだけれども、相手が僕に集中しているからか、UD-182がこれまで研究者相手には手を抜いていたのか、黒スーツと一対一ぐらいなら何とか硬直状態を維持する事ができるようだったのも大きかっただろう。

 

 しかし、僕の魔力はまだ余裕があるものの、UD-182の魔力が底をつきはじめている。

当然そうなれば、UD-182を守らねばならない道中は格段に難易度を増す事となるだろう。

それまでに出口にたどり着いて欲しい、と思っている、正にその時であった。

 

「これは……」

 

 階段を登りきり、扉のあった場所を乗り越えると、そこにあったのは自然の岩で囲まれた洞窟であった。

電球がずっと先までぶら下げてある以外は、噂に聞く大自然とやらのままである。

思わず、唾を飲み込んだ。

 

「もしかして、出口っ!」

「あぁ、行ってみようっ!」

 

 互いに声をかけあい、僕らは走るペースを上げて外へと突き進む。

ゴツゴツとした洞窟の悪路もなんのその、そのままいくらか走っていくと、外の光が見える。

 

 外。

僕のよく分からない知識の中にしか無い場所で、そしてUD-182が憧れ手に入れたかった、自由に満ち溢れた世界。

胸の高鳴りを抑えきれないまま、僕らは光へと飛び込むようにして外へと飛び出す。

 

「うわぁっ……!」

 

 思わず、僕らは歓声を輪唱させた。

“外”。

初体験の世界は、思い描いたよりも遥かに美しかった。

洞窟の出口付近は四方を木々に囲まれている。

陽光を反射しきらめく緑、太いワイヤーをねじりあわせたような力強い幹に、鬱蒼と茂る木々の奥の不思議と優しい暗黒。

“家”の中で培養されてきた僕らにとっては、まるでファンタジーの世界に迷いこんだかのような気分だった。

 

「これで……俺達は、自由、なんだよな……!」

 

 思わず、といった風に声を滲ませながら、UD-182が言う。

言われてようやくの事僕にも達成感が湧いてきて、じんわりと涙が溢れ出した。

涙を拭う指先は、不思議と熱い涙の温度を感じる。

 

 UD-182が、急に走りだした。

かと思うと、ばっ、と僕に向かって振り返り、満面の笑みで言う。

 

「そうだっ、外の人間には、“名前”って物があるんだよなっ!」

「あぁ、そっか、名前も考えなくちゃならないのか……」

 

 と言っても、自分で自分の名前を考えるのも、難しい。

はて、どうしたものか、と僕が首を傾けるのを尻目に、UD-182はぐっ、と作った握りこぶしを眼前に、キラキラとした目で僕を真っ直ぐに見ながら、言った。

 

「俺の名前は、ウォルター・カウンタック。これから誰よりも早く、誰よりも強く、そして誰よりも輝く男の名前だっ!」

 

 叫ぶのと同時、UD-182、いやウォルターは、掴んだ拳をパシン、と掌に向けて放ち、受け止めた。

圧倒的な威圧感が、ウォルターから噴出される。

体中の皮膚が総毛立ち、全身を雷が走るようだった。

僕はまるで生ける神話を見たかのような感動に襲われていた。

ウォルター・カウンタック。

間違いなくこれから全次元世界に名を轟かせるであろうその名前の誕生の瞬間に、僕は居合わせる事ができたのだ。

これを光栄と言わずして、何を光栄と言うのだろうか。

 

 暫く感動に震えていた僕だが、すぐに今度は自分の名前を考えねばならない事に気づく。

ウォルター・カウンタック。

それが彼の名前なのだすれば、僕の名前はどうしたものか。

そう考えながら、僕がウォルターに近づいていった、その時だった。

 

 パララララ。

乾いた音と共に、ウォルターの体が踊った。

まるで何処かから糸でもつけられていて、それを滅茶苦茶に引っ張りまくったような、そんな踊りだった。

すぐに踊りは終わり、ウォルターはその場に倒れ伏す。

背の低い緑色の草を、目も覚めるような鮮やかな赤が犯していった。

 

「……え?」

 

 僕は、白痴のようにとぼけた台詞を吐いた。

一体、何が起こっているのか分からない。

分からないけれど、全身が鳴らす警笛に従い、僕は肩越しに振り返った。

肩で息をする黒スーツが、両手で黒光りする銃を構えている。

 

「くそっ、なんてこった、あっちはバリアジャケットを展開していなかったのかっ!」

 

 叫びながら、黒スーツの男は僕へと銃を向ける。

“知識”と、ティルヴィングを得た時に得た魔法知識が囁いた。

口径の大きなあの銃は、低ランクのバリアジャケット相手なら拳で殴りつけるぐらいのダメージを徹す弾丸を吐き出す為の物だ。

 

 当然のように、僕にも向けて、弾丸は吐き出された。

パララララ。

僕のバリアジャケットは初展開だけあって構成がまだ雑なので、弾丸は僕に痛みを訴えた後落っこちる。

といっても、Sランクの魔力で作られたバリアジャケットである、何時だかウォルターに蹴られた時の方が、一発一発の痛みは上なぐらいだった。

 

 じゃなくて。

そんな事はどうでもよくて。

現実逃避している場合じゃなくて。

とりあえず、この黒スーツは邪魔だ。

 

「あ……ああぁあぁぁっ!」

 

 ティルヴィングを構え、突進、稚拙ながらも魔力で加速した斬撃を、黒スーツに見舞う。

奇妙な悲鳴を上げ、黒スーツはそのまま吹っ飛び倒れ伏した。

 

 後続が来ても厄介なので、僕はそのまま掌を洞窟の天井へ向け、魔力弾を数発打ち込む。

すると洞窟の入り口は崩れ、半ば埋まった。

これなら後続が魔法を用いて吹っ飛ばすにしろ時間が稼げるし、不意打ちを無くす事ができる。

そういえば先の黒スーツは下敷きになったのかな、なんてどうでもいい事が頭の中をよぎり、先の攻撃で大分吹っ飛んだから大丈夫だろうと思って僕は振り向いた。

 

 変わらず、ウォルターは血の泉の中心に伏していた。

 

「ウォルター……」

「265……!」

 

 搾り出すような声。

まだ生きているっ!

その事実に全身を突き動かされ、僕は弾けるようにウォルターの元にたどり着いた。

血でバリアジャケットが汚れるのを厭わずに、膝をつきウォルターの肩を掴む。

 

「おい、おい、大丈夫かウォルターっ!」

「へ……へへっ、早速その名前で呼んでくれるんだなぁ」

「当たり前だろうっ!」

 

 気づけば、僕は両目から涙をこぼしていた。

先程まで、外の世界を見て感涙したのと同じ涙なはずなのに、どうしてか、胸が異様に苦しい。

だって大丈夫なはずだ、こいつはウォルター、ウォルター・カウンタックなのだ。

何事も諦めず、絶対に生き延びる男の筈なのだ。

 

「俺は……、多分もうすぐ死ぬ」

 

 けれどウォルターは、そう言った。

死ぬ。

死ぬ?

ウォルターが、UD-182が死ぬ?

ありえない事実に、僕の全身は痺れたまま動こうとしない。

そんな僕に、野獣のような笑みでウォルターは言う。

 

「事実だ。俺はもう、助からねぇ」

「そんな事言うなよっ! お前は、望んだものを掴むまで、絶対に諦めないんじゃなかったのかよっ!」

「……すまん」

「そんな言葉が聞きたいんじゃないっ!」

 

 叫び、僕はウォルターの肩を思いっきり握った。

魔力で強化された僕の膂力は明らかに激痛を走らせる物であったのに、ウォルターは眉ひとつ動かさない。

もう痛みを感じていないのだ、と悟った瞬間、僕は凄まじい脱力感と共に理解した。

ウォルターは、死ぬ。

もう助からない。

ならば、せめて。

 

「僕に……、僕に何かできる事は、ないか?」

 

 ウォルターは、暫く視線を彷徨わせた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「俺は、やりたくない事は死んでもやらねぇ男だ。

やりたい通りにやって死んでいくんなら、後悔は……」

 

 ぴたり、とウォルターは言葉を止めた。

少しの間目を細めると、言う。

 

「いや、一つだけあるかな……」

「何だ?」

 

 矢継ぎ早に僕が聞くと、ウォルターは歯を噛み締め、忌々しげに口を開いた。

 

「悔しいのさ」

 

 と、ウォルターは言った。

続けて、彼の真っ青になった唇が動き、言葉を吐き出す。

 

「このまま俺が死んでいったら、どうなる?

俺の、決して諦めないと言う生き方は、消えて行ってしまう。

この心の中の燃えあがる何かを絶やそうとしない生き方が、俺の命と一緒に消えていってしまう」

 

 震える手で、ウォルターは自らの胸に手をやった。

現実に、そこには弾丸に蹂躙された胸板があるだけだ。

しかし僕の目には、その奥にある燃え盛る炎が、今にも消えてしまいそうなぐらいに弱まっているのが目に見えるようだった。

 

「それが、悔しいんだ」

 

 気づけば、ウォルターの目には光るものがあった。

涙が目尻に集まり、ついに決壊、ウォルターの横顔を重力に従い流れていく。

実を言えば、僕は初めてウォルターが泣く所を見た。

それぐらいにウォルターは悔しくて悔しくて仕方がないのだろう。

 

 だから。僕は言う。

 

「なら——、僕がそれを継いで見せる!」

 

 ウォルターが、目を見開いた。

 

「僕は、本当に心の底から、君の生き方を尊く思っていたんだ。

そんな風に生きたいと、心の底から思えたんだ。

だからお前の生き方は——、僕が継いでみせるっ!」

 

 僕は、何時かウォルターがやったのと同じように、天に向け掌を掲げた。

震えるほどに力を込めて、それを眼前にまで下ろし——、握り締める。

爪が皮膚に食い込み、血が滲む程に力を込めて。

 

「良かった、それじゃあ俺には、もう悔いは……」

 

 続く言葉は、永遠に無かった。

ウォルターは目を閉じ、首から力を無くした。

ウォルター・カウンタックは、UD-182は、死んだ。

死んだのだ。

その事実が僕の胸の中にぐるぐると渦巻いて、ぎゅっと心を締め付ける。

気づけば、僕は号泣していた。

 

「うっ、えぐっ、ううっ……!」

 

 僕はこれから、UD-182の心を受け継ぐ。

あの涙を一度も見せなかった男の心を受け継ぐのだ、僕もまた涙を見せない事が要求されるだろう。

 

 だからこれは、僕の人生最後の涙だ。

 

 そう胸に誓いながら、僕はひたすらに涙をこぼし、嗚咽を漏らした。

長い時間、僕はずっとそうしていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 UD-182の遺体は、少し離れた所に見つけた小さな広場に葬った。

墓は小さな枝で作った十字架で、恐らく此処にまた訪れる事があっても、その時には無くなっているぐらいの質素さだった。

まぁ、UD-182も死後に豪華な葬式を望むタイプではあるまいし、構わないだろう。

 

 僕はようやくUD-182の埋葬を終えると、立ち上がり、空を見上げる。

“家”の“広場”の描かれた物ではなく、本物の空。

目も覚めるような青に、白い雲。

旅立ちにはいい天気だった。

 

 そういえば、と、僕は急に自分の名前を考えていなかった事に気づく。

歩き出そうと思った足を止め、暫く考えるも、一切合切思いつかない。

 

「なぁ、ティルヴィング。僕の名前、何か思いつかないかい?」

『思いつきません』

 

 中々セメントな答えだった。

僕はこれからこいつと本当に上手くやっていけるのかと不安になりつつ、改めて自分で考えてみるも、やはり思いつかない。

 

 ふと、思いついた。

 

「UD-182……。君の名前を、借りていいかな」

 

 ウォルター・カウンタック。

UD-182が如何なる思いでこの名前をつけたのか分からないが、これから僕がUD-182から受け継いた信念を貫き通すのに、この名前はいかにもピッタリな物であるかのように思えた。

 

 だから、僕は一人頷く。

 

「UD-182。何時か僕が土に帰るその日まで、この名前を貸してくれるかな」

 

 だって僕は、あまりにも心が弱い。

それを嘘偽りで固めた仮面で隠す事はできても、その中では呆れるほどに泣いているのだ。

だから僕は、信念を受け継いだ仮面を被る事でしか、彼の信念を継ぐ事ができないだろう。

 

 内心で怯えていても、仮面は勇ましく。

内心で泣いていても、仮面は笑顔で。

内心は無気力でも、仮面は活力に溢れて。

そんな仮面に名前をつけるのだとすれば、“俺”と名乗るこの仮面に名付けるのだとすれば、この名前が一番しっくりきた。

 

「“俺”の名前は、ウォルター・カウンタックだ」

 

 全ては決まった。後は突き進むのみだ。

 

 僕は立ち上がるとウォルター、もといUD-182の墓に背を向け、歩き出す。

永い旅路が、そこには待っていた。

 

 

 

 

 


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