再開に当たって、ハーメルンに投稿する事にも。
とりあえず五章を1話分書けたので、投稿開始いたします。
序章 前
ぷーん、と香る薬品の臭いに、僕は軽く顔を歪めた。
背を預け、踵で床に体重をかけ、足裏を少し上げてみせる。
得体のしれない素材のクリーム色の壁からは、わずかに塗料の匂いがした。
僕は何時ものように憂鬱だった。
毎日のように行われる“実験”は麻酔つきなので痛みこそ無いが、最悪は痛み云々ではない。
電気を流したり魔力を流したりしてその反応を見るぐらいならまだしも、痛みも無いまま腹を捌かれ、臓器のサンプルを取られるのは本当に嫌だ。
確かに痛くは無いのだが、その間に何かをされていると言うのが、なんとも言えずおぞましい感覚なのだ。
痛みなど、どうでもよくなるぐらいに。
後からホルマリン漬けの輪切りの臓器を笑顔で見せてくる科学者どもは、一体何を考えているのだろうと思う。
本当に最悪って奴なのだ、あの感覚は。
そんな風に思いながら、七歳児の背丈に患者衣のまま、軽く頭をかきむしる。
少し伸びた黒い髪の毛が、視界に映って少し鬱陶しい。
そういえば髪の毛と同じく、僕の目は黒いのである。
魔力が高いほど髪なんかの色素が薄くなりやすいと聞いたのだが、それは僕には当てはまらないようだった。
ガクン、と言う音。
僕と監視役の白衣の男が同時に視線をやった先の、赤いランプが消える。
それからそのすぐ下の両開きの扉が開き、中からガラガラとキャスターの音を響かせながら、金属製の担架が出てくる。
嫌な予感とと共に、異臭が漂ってきた。
目を細めながら見やると、出てきたのは昨日まで“広場”で遊んでいた仲間の全裸の死体だった。
名前はUD-193。
銀髪の女の子で、確かオッドアイを持っていたのが印象的。
年下の子の面倒を見るのが好きな、穏やかな性格の子だった。
この“家”の中には大体10歳以下の様々な実験体がいるが、もう駄目となった実験体は、もったいない精神で最後の最後まで利用される。
確か齢9つだったUD-193は、股から白い液体を零しながら、全身の要所の皮膚を剥がれた上に脳を剥き出しにし、瞼を無くし閉じる事の無い目を開けていた。
実験的にも性的にも使い尽くしたと言う事だろう。
末路は恐らく、廃棄所にポイ、だ。
相変わらずな光景に吐き気を感じつつも、入れ替わりにこれから実験室に連れて行かれる僕には、それに憤る暇すら無い。
何時もの事だ、とため息をつきながら、僕は白衣の男に監視されながら実験に連れられていく。
そんな僕の名前は、UD-265。
“家”と子供たちが呼ぶ違法実験施設に生まれた、ただの実験体である。
***
瞼を開く。
青空と雲に太陽が描かれた天井が見え、僕は自分がまだ生きている事を確認した。
腰を上げて胡座をかき、重い頭に額をごりごりと擦る。
一つ欠伸をして、目に浮かべた涙を拭ってから、僕はため息をついた。
此処は、“家”の中でも“広場”と呼ばれる場所である。
どんな場所かは、閉所にある公園をイメージしてもらえばそれでいい。
なんだかアスレチックな遊具や、ブランコに滑り台に砂場があったりする。
正確な広さは分からないが。
百人近くいる子供が集まっても、手狭には感じない広さだ。
僕ら実験体はなんでか個室に閉じ込められるのではなく、多くの時間をこの“広場”で過ごしている。
小さな子供に運動の一つでもさせないと、実験体としての性能に差し支えでもあるのだろうか、よく理由は分からないが。
そんな広い“広場”内だが、それでも子供達は皆自由と言う訳ではなく、しがらみと言う物がある。
いわゆる、グループの形成である。
女子の方がどんなグループを形成しているのかは寡聞にして知らないが、男子の方はわかりやすい。
腕っ節の強さ順、それにつきる。
これは結構変わりやすい基準で、数日前まで弱かった子供がある日魔力を覚醒して下克上したり、ある日ボスが実験室に行ったっきり戻らなくなったり、そんな事はよくある事だ。
なのでこれまでは頻繁に男子のボスが変わっていたのだが、ここ一年は違う。
UD-213と言う番号の子供が、ずっとガキ大将として収まっている。
「おい、生意気な事言ってるんじゃあねぇぞっ!」
喧騒の中心にいるのは、どうやらUD-213であるようだった。
特徴的な小太りの体型に、短く刈り込んだ金髪、濁った青い瞳。
事ある毎に格下の男子に暴力を振るう、確か齢9つぐらいの男だ。
魔力ランクはAA。
当然、魔力が覚醒していない事になっている僕よりも、ずっと腕っ節が強い。
なので僕は、それに関わらないように、僕は静かに実験後の気怠い体を立ち上げ、遊具の影を通ってその場を離れようとする。
「はっ、何処の誰が生意気だってっ!?」
が、その言葉が僕を引っ掴んで止めてしまった。
思わず振り返ると、そこには黒曜石のツンツン髪に黒く深い瞳をした、僕の親友UD-182が立っていた。
何やってんだよ、親友。
僕はため息をつき、広場の中心に注目している子供らをかき分け、砂場まで歩いていく。
「おっ、265っ! 起きたか、丁度いい、手ぇ貸してくれっ!」
「げっ、265、てめぇまで来やがったのかっ!」
砂場にたどり着くと同時、僕を迎えたのは二通りの大声だった。
残る心地良い眠気がはじけ飛んでいくのを感じつつ、僕はため息混じりにUD-182に聞く。
「で、何があって213と喧嘩になっているんだい?
僕らは理性ある人間なんだし、対話で解決しようぜ?」
「いつも通りさ。ただの因縁だ」
「あぁ!? てめぇが生意気なのがいけないんだろうがっ!」
対話は十秒と持たなかった。魔力を開放してUD-182に殴りかかるUD-213。
対してUD-182もまた魔力を開放し、拳に収斂して殴りかかる。
その速度は圧倒的。
颶風と化した二人が数メートルの距離を一瞬でゼロにし、互いの拳を巧みな技で避けきる。
そのまま魔力で強化された身体能力で殴りあう二人。
「ぉおおぉおおぉっ!」
絶叫が輪唱し、その場は二人にしかついていけない戦闘の場となる。
勿論、魔力が未覚醒な僕も、手を出せば邪魔になるだけ。
なので僕は振り返り、それを呆然と見ていたUD-213の取り巻きを見やる。
はっ、と彼らは僕の存在に気づき、拳を腰だめに構えながらジリジリと近づいてきた。
敵意が、僕の全身を舐めるようにするのを感じる。
唾液が気化熱を奪い、全身が凍ったかのように寒くなった。
怖い。
予測される痛みも現在の敵意も、どちらも怖くてたまらない。
足が今にも震えそうになる。
生まれてからずっと変わらず、僕は暴力沙汰が苦手だ。
やっぱり、UD-182の手助けになんか、来なければよかったかもしれない。
反射的にそう思ってしまう自分が情けなくて、涙腺が刺激されるのを僕は感じた。
それでも意地を通して、どうにか涙を引っ込める事に成功する。
何でもないかのように、僕は虚勢を張って口を開いた。
「あぁ、面倒くさっ」
小さくため息をつくと、それが勘に障ったのだろう、一番近くに居たUD-198が拳を振り上げ突進してくる。
反射的に目を瞑ってしまいそうになるのを、全身全霊で阻止。
僕は拳を伸ばした左手でさくっ、と弾き、そのまま左手の掌底を彼の顎に当てる。
今更になって上がる女子の甲高い悲鳴と共に、UD-198はくわん、と目を揺らすと、そのまま倒れた。
「で、誰からぶっ飛ばされたいのかな?」
その倒れたUD-198に念のため蹴りを入れつつ、僕は細めた目で周りの男子を見やる。
僕のこの体は中々ハイスペックらしく、こうやって一対一の喧嘩をする分には、魔力持ち相手じゃなければ負けた事はない。
何というか、非常に勘が冴えていて、こうすれば相手を倒せるんだ、と言うのが何となく分かるのだ。
それでも僕は、暴力沙汰が怖かった。
自分が勝てるとわかりきっていても尚、だ。
敵意を向けられるのは勿論怖いが、向けるのだって怖かった。
今だって僕は、UD-198に余計に蹴りを入れてしまった。
大丈夫だと勘は告げる。
でも、UD-198が何か大きな怪我をしていないか、不安で仕方がなかった。
殴った時の肉の感触が、気持ち悪くて仕方がなかった。
僕の流し目に男子達は半歩下がり、それから自らの臆病さに顔を真っ赤にして、先頭の数人が殴りかかってくる。
恐怖に身が固まりそうになる反面、体は不思議と流暢に動いた。
拳やら蹴りやらを軽くあしらい、その場に叩きのめす。
「く……くそっ!
頼む、245、186、179っ!」
すると今度は、UD-213以外の魔力持ちの男子が前へ出てきた。
今度ばかりは簡単に勝てる相手ではない。
とは言え、勝てない相手ではない。
と言うのも、この“家”では魔法について一切の知識を教えていないのだ。
科学者らを見るに、防護服のような魔法とか捕縛用の魔法とかがあるのだが、僕らはそれを知らないのでできない。
できるのはただ、原始的な魔力による強化のみである。
当然効率は悪く、パワーとしても大人と子供程度の差しかでない。
勿論それも十分な差ではあるが、僕の肉体はそれを覆すだけの勘を持っている。
精神がそれに全くついていけていないのが、なんとも言えない事実だが。
「うりゃあっ!」
掛け声と共にびゅおんと大きな風音を立てて顔面を狙ってくる拳を、左拳で弾く。
その際、何となく腕を回転させ、コロリと転がすように威力を流すのがコツだ。
ビリビリと表皮を持って行かれそうなぐらいの痛みが走るが、無視。
続いて腹を狙ってきた縦蹴りを、半身になって躱す。
当たれば反吐をぶち撒ける蹴りが、僕のすぐ横を素通りしていった。
「何っ!?」
拳を弾いた左手をそのまま下ろし、蹴ってきた足を確りと掴んで引っ張った。
小さい悲鳴を上げながら、真ん中のUD-186がずっこけて床に頭を打ち付ける。
まぁ、砂場だし大した怪我にはならないだろう。と思う。
大丈夫だよな、大丈夫だよな、と内心ビビリながらの行動だった。
などと心配している暇も無く、僕の背面に回ったUD-179が回し蹴りを。
前面からはUD-245が反対方向からの回し蹴りを。
受ければ骨が折れてしまうので、咄嗟に僕はUD-245の方に走りだす。
蹴りは僕の背側を空振り。
そのまま顔面に拳をくれてやると、小さな悲鳴を上げてUD-245が倒れた。
踵を返すと、UD-179が怯えた笑みで僕を見ている。
地味に、辛い光景だった。
やれやれ、何とかなったっぽいな、と思ったその瞬間、嫌な予感。
全力で避けようとするよりも前に、ガツン、と言う音と共に視界が揺れた。
思わず膝をつく。
何とか背後を見ると、先程転ばせたUD-186だった。
蹴りの一発ぐらい入れておけば良かった、と思いつつも、まぁどうでもいいかと思う。
何せ、僕と相対している三人は、確かBランクの魔力しか持っていない筈であり、AAランク同士の喧嘩なんかに割り込む力はない。
つまり僕が勝とうが負けようが、UD-182とUD-213の喧嘩でどっちが勝つかが、この喧嘩の勝ち負けとなるのだ。
要するに僕が頑張っても頑張らなくても結果は同じって事だ。
なら僕が相手を傷つけずに済んだ分、この方が良いのではないか。
誰かを傷つけるのは、本当に怖い。
傷つけられるよりかは。
頑張ればもうひと暴れぐらいできそうだった体から、活力が無くなっていく。
「くそっ、くそっ、魔力無しの癖にっ!」
後はうずくまった僕に適当に男子たちが蹴りを入れるばかりの展開である。
UD-182が僕に気づいてくれれば加勢に来てくれる事もあるのだが、どうやら必死らしくそうもいかないらしい。
まぁ、魔力覚醒済みの男子達も流石にフクロにしてまで魔力を込めて蹴ってきたりしない。
というか、そんな事されたら冗談抜きで死んでしまうのだが。
まぁ、なのでこのままでいいかと意識を薄くする。
意識を薄くする。
しかし僕のその行為はなんだか自分の精神が頭の後ろの方にびゅんと飛び出て、遠くから自分を見下ろしているような気分になるのだ。
なんだかこれは僕がこの人生を未だ現実だと認識していない証拠のような気がする。
諦めが早いのも、その為だろうか。
今の喧嘩も、僕が本気で殺す気でやってれば勝てただろうし、そこまで本気じゃなくてももっとやる気があれば勝てたかもしれない。
なのに結果は、これである。
「こらっ!
やめなさいっ!!」
と、研究員の怒声が響いた。
すぐさま僕を蹴る奴らの動きが止まり、UD-213の動きも止まるが、UD-182だけはその動きを止めなかったようだ。
おずおずと視線をあげると、バキッ、という小気味良い音と共に人間が吹っ飛んでいく光景が目に入る。
「へへっ、よそ見してっからだよっ!」
「UD-182っ、何をやっている!」
勝どきをあげるUD-182に、研究員が怒声をあげる。
研究員の足元に緑色の円形魔方陣が出現、そこから飛び出た緑色の鎖が僕の親友を絡めとり、拘束した。
多分バインドとか言う魔法だろう。
その魔法をよく見て記憶していると、僕に気づいたUD-182が目を丸くし、自由になる手を縦に立て、ごめんなさいのポーズをする。
それから親指を立てて自身へと向けた。
何時もの合図である。
「またやらかしたのか、お前ら……!
さっさと個室へ戻れっ!」
親友からの合図に頷き、僕はゆっくりと立ち上がる。
鉛のように重い体は節々がズキズキと痛むが、それを表に出さないよう僕は立ち上がった。
先程までフクロにされていた僕が何でもないように立ち上がったので、研究員が目を見開く。
「お、おい、UD-265、大丈夫なのか……?」
「えぇ、はい。何の支障もありませんよ」
本当は痛くて仕方がなかった。
泣きたかった。
周りの目など気にせず、むせび泣いてしゃがみ込みたかった。
しかしなけなしのプライドでそれを無視して、軽く皆へと視線を流す。
男子はなんでか半歩引いてしまい、代わりに関係のない女子からは嫌悪の視線で見られる。
喧嘩をして“広場”に居られる時間を減らす僕らは、彼女たちに取っては嫌悪の対象なのだろう。
軽く肩をすくめ、僕は“広場”を真っ先に出ていく。
“広場”から出る際には、まるで僕らの立場を示すように首輪を嵌められる。
逃走防止用の、魔力の使用を抑止する首輪である。
冷たい感触に眉を潜めつつ廊下に出ると、裸足が冷たい床に張り付くようだった。
***
ズキズキと痛みが全身を駆け巡る。
子供の裸足とはいえ、同じぐらいの体重の相手に蹴られまくった痛みは暫く引かなかった。
憂鬱な気分になりつつ、自室に戻った僕は扉を閉めてすぐ、扉に耳をくっつけ、外の音を聞く事にする。
どうやら大して防音性が高く無いらしい実験体の個室からは、扉を閉める音が聞こえるのだ。
いくつも重なるそれを聞き、それが途絶えて暫くしたのを確認してから、僕は立ち上がった。
ベッドの上に椅子を乗っけて、その上に立って手を伸ばすと、通風口に手が届く。
簡単な引っ掛ける仕組みになっているそれを外し、僕はタイミングよく全身に力を入れ、通風口の中に入っていった。
蜘蛛の巣が張っている通風口を通りぬけ、UD-182の部屋の上までたどり着いた僕は、先程と同じ様に通風口の蓋を外し、口を開く。
「182、来たよ」
「おっ、いつもすまねぇな、俺だと通風口に引っかかっちまうからさ」
と言いつつベッドの上からUD-182がどき、続いて僕がベッドの上に飛び降りる。
と同時、膝を曲げてクッションを作り、音を可能な限り消した。
謎の身体能力の面目躍如である。
「ヒュー、相変わらずスゲェな、お前のそれ。
俺も真似できそうにねぇや」
「こんな時ぐらいしか役に立たないけどね」
肩をすくめつつ、僕は勧められた椅子に座り、UD-182はベッドの上に座った。
僕より3つ年上らしい彼は、矢張り僕よりも数段大きく、力強く見える。
その精神までもがそうな事を知っているからかもしれないけれども。
「で、一体今日の喧嘩は何が理由だったんだい?」
「あぁうん、巻き込んじまったんだし、それぐらいは言わねぇとな」
「自主的に、だったけどね」
と言うと、クスリと微笑んでからUD-182は言う。
「丁度此処を出る為の訓練をしてた所に、いきなり213がいちゃもんつけてきてよ。
癇に障るからやめろ、だったっけな。
いきなりそんなんだからこっちも喧嘩腰で行かせてもらって、そんで結局喧嘩かな」
あんにゃろめ、とシャドーボクシングをする親友に、しかし僕はため息混じりに答えた。
「でも、それも分かる気がするな」
拳を止めるUD-182。
ゆっくりと僕へと体ごと視線をやり、じっと見つめてくる。
意識が僕に向かうのを感じながら、僕は口を開いた。
「此処はさ、地獄以外に行き先のない場所だ。
何せ僕達は消耗品なんだ、いずれ使い捨てられる事は目に見えている。
覚えてるだろ、今日だって一人死んだ。
僕らみたいに潜在魔力が高ければ扱いも丁重になって死にづらいけれど、それだっていずれ死ぬ事には変りない」
UD-182はAAランク、僕はSランクの潜在魔力が確認されている。
潜在魔力と言うのは、リンカーコアが未熟な幼少時に上手く魔力が運用できない際の、推定魔力量の事を言う。
なのでUD-182に対しては適切な言い方では無い。
僕にしても、ここ最近なんだか魔力が使えそうな感覚があるのに使っていないだけなので、そろそろ魔力に覚醒しそうなのかもしれない。
した所で、何の役にも立たず、此処で死ぬまで実験を続けられる事は変りないのだろうけれど。
「そして、だからといって此処を逃げ出す事はできない。
それは此処を二度も逃げ出そうとして失敗している僕らが一番実感している筈だろう?」
UD-182が僅かに目を細める。
先を促しているだけの視線もなんだか僕を責めているように思えて、僕は足元に視線をやった。
自意識過剰だと分かっていても、僕がこんな臆病な態度を取ってしまうのはいつもの事だった。
しかしそれにしても、事実だった。
僕ら、というかUD-182は此処を逃げ出そうとし、僕も無気力な身ながらその気力に引きずられるようにして此処を逃げ出そうとした。
第一回は、“広場”に入ってくる研究員と入れ替わりにダッシュだったが、迷ってとりあえず下に降りる階段を探しているうちに行き詰まり、捕まった。
一応、成果がなかった訳ではない。
その際迂闊な研究員から此処が地下施設であると言う事を聞いたのだ。
代償として、“広場”への出入りの際、研究員が入り口近くの監視カメラを確認してから入るようになってしまったが。
第二回は、魔力に覚醒したUD-182による強行突破だった。
ドアを次々にブチ抜いていく僕らの強行突破は途中まではトントン拍子に進んだが、デバイスも無しに魔力を放出して殴るだけのUD-182のスタミナに限界が来て、途中で捕まった。
今度は正真正銘成果無しである。
それどころか“家”の内部のドアに軽い対魔力障壁まで作られてしまった。
「182はそれでも逃げ出す事を諦めてないみたいだけどさ。
そうやっている僕らを見ていると、余計に此処から逃げ出せない事を実感するのは仕方ない事なんじゃあないかな。それに……」
僕は一旦言葉を切り、思い悩む。
脳裏に思い描かれるのは、二度とも僕が捕まった時の光景。
正直、捕まった時は殺されるかと思った。
空虚な人生を歩んでいると言っても、矢張り殺されるかもと本気で思った時は、怖くてたまらなかったのだ。
「それに僕達も、そろそろ逃げ出そうとするのはやめておいた方がいいかもしれない。
これまでも偶々僕らが魔力資質に恵まれているから殺されずに澄んだだけで、きっともう何度か面倒を起こしたら、きっと殺されちゃうよ。
僕は、それが……怖い」
言い終え、僕は強まる視線の圧力に、思わず体を縮こまらせる。
言ってから、少しだけ僕は素直に思った事を言った事に後悔した。
ついに僕は嫌われてしまったかな、と思ったのだ。
しかも言ってしまってから後悔する自分の浅慮さや小心さに、ガクンと心が沈む。僕ってなんて小さい奴なのだろう。
「でも、さ」
UD-182の言葉に、苛立ちなど攻撃的な物は含まれていなかった。
ゆっくりと僕が視線をあげると、彼のそれとかち合う。
真摯な瞳だった。
その瞳には、僕の賢しげで癇に障りそうな口調の言葉にも波立たない、巨大な心の海が見えるようだった。
「でもさ、いずれ死ぬのなら、何処に居たって一緒だろ?」
「……うん」
言われて、思わずそういえば確かに、と思う。
別に此処を抜けても永遠に幸せで居られる訳でも無いのだ。
などとネガティブに向かってしまう僕に、野獣のような笑顔でUD-182は続ける。
「だったら俺は、好きなように生きたい。
此処にいたってただ実験体になって、アイツらの研究の成果になるだけだろ?
そんなの、俺はゴメンだね」
一旦口を切るUD-182の瞳は、いつの間にかその意思を宿すような凄まじい威圧を発していた。
UD-182を中心に、まるで小さな台風でも巻き起こったかのような圧力が発せられる。
「俺は決して、此処から出る事を諦めない」
「……っ」
燃え盛るかのような熱量。
物理的には何もなく、魔法的にもあの首輪をつけられている以上、UD-182には何一つ超常現象を起こす力は無い筈だ。
だが僕は、確かにUD-182から、心の底が燃え上がるような圧倒的熱量を感じた。
心の一番深い所に火がつき、その明かりが仄暗い僕の全身を照らしてみせるのを感じる。
お腹の奥が燃え上がるように熱く、全身から汗がじんわりと吹き出すようだった。
「確かによ、無理かもしれねぇ。
どうしたってここから逃げるのは無理で、俺がしている事は無意味なのかもしれない。
魔力のお陰で今まで命までは取られちゃあいないが、次こそ駄目かもしれない。
無意味な行為で、無意味に死ぬかもしれない。
だけどよ」
ニヤリ、と男臭い笑みを浮かべ、UD-182はボスンと胸の前で掌に拳を打ち付ける。
「何度そう思ったって、心の中で、燃え続ける何かがあるんだ。
諦めるなって、そう叫び続ける何かがあるんだ」
普段なら聞き流すような言葉だけれども、今まさにUD-182の言葉を聞き、心の中に燃え盛る何かを感じる僕にとっては、頷ける話だった。
首肯する僕を見て、笑みを深くしながらUD-182は続ける。
「目の前に、壁がある。
どでかくて、分厚くて、周りを囲ってあって、決して抜けられないような壁がある。
そしたらどうする?」
「どうするって……、どうしようもないんだろ?」
ふっ、と小さくUD-182は微笑んだ。
次の瞬間、拳を打ち出す。
僕とは距離がある筈なのに、確かにその風圧が胸に届き、押されたような気さえした。
「その壁が、ぶっ壊れるまで殴るのさ」
凄まじい笑みだった。
心をガシッと鷲掴みにされるような笑み。
「それが例え、その壁を殴り続けるだけの一生で終わっても、いい。
俺は決して壁の中で座り込むような真似だけはできねぇ」
伸ばした拳をほどいて翻らせ、掌を天に向けるUD-182。
そのまま手を真っ直ぐに天に向け、ぎゅ、と握り締める。
「掴むんだ、求める物を。
俺はそれを、絶対に諦めない」
これだ。
これが、UD-182だ。
誰もの心を燃え上がらせ、希望の灯火を作る男が、僕の親友なのだ。
無意識に僕は興奮し、生唾を飲み込みながら彼に見入っていた。
その崇高で輝かしい魂に、魅入られていた。
まるで英雄譚の主人公のような、圧倒的心力。
いつの間にか、僕の中からもう逃げ出すのをやめようなんて考えは、消え去っていた。
体の中で暴れまわる感情に任せて、僕もまた口を開く。
「ありがとう、182。
僕、ちょっと弱気になってたみたいだ」
「へへっ、いいってことよっ!
じゃあ、いつも通り、作戦会議としゃれ込もうぜ!」
にっこりと微笑むUD-182に、こちらも思わず笑みを凝らしながら、ガッツポーズを取る。
そんな風にして、僕らは此処から逃げ出す為の作戦会議を始めるのであった。