月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:くらうぇい

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幕間、22000字くらいです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。



28.5:ロキと老神(ろうじん)

 

 

 【神会(デナトゥス)】を終えた後、【ロキ】は早々に馬車に乗り込んで自らの本拠(ホーム)、【黄昏の館】がある北大通り(メインストリート)へと向かっていた。

 今回の神会(デナトゥス)で進行役を務めた彼女は此度(こたび)の会を(とどこお)りなく進行させ、情報交換からエリスとの約定の履行(りこう)まで幾つもの議題を処理して見せた。しかし、全てが上手く行ったのが嘘の様にロキは馬車に揺られながら(うつむ)き、様々な思案を並行して重ねている。

 

 今現在、ダンジョン【深層】、59層へと向かっている眷族(子供)達の事。自身の眷属である【アイズ・ヴァレンシュタイン】に対して59層へと向かうよう告げた、謎の【怪人(クリーチャー)】の事。明らかに異常な速度で【ランクアップ】した、【ヘスティア・ファミリア】の【ベル・クラネル】の事。彼の名付けの際助け舟を出した【フレイヤ】の思惑の事などだ。

 

 …………ったくあんのドチビ(ヘスティア)、こんのクソ忙しい時に余計な懸念(けねん)持たせよって……!

 

 彼女が苛立ち混じりに犬猿の仲である(かまど)の女神の姿を想起して歯ぎしりしていると馬車がゆっくりと速度を落として止まり、御者(ぎょしゃ)が箱馬車の扉をノックしてロキに声をかける。

 

「ロキ様、到着しました」

「ん、ご苦労さん」

 

 彼女は御者を労うと【黄昏の館】へと降り立った。遠征中で主力のメンバーが居ない今は人も少なく、普段のにぎやかさが嘘のように閑散(かんさん)としている。それに一抹(いちまつ)の寂しさを感じながらに、彼女は自室へと向かう。

 

 今、ダンジョンの中で大切な眷族達が何をしているのか、彼女に知る手段はない。心配であった。だが、ロキはそんな感情をおくびにも出さず、残った団員たちとすれ違う度に明るく声をかけ、女性団員にセクハラしようとしてひっぱたかれ、笑いながら赤く腫れた頬をさする。それはどこか寂しさを紛らわせようとしているかのようであり、天界(うえ)での彼女を知っている者であれば目を疑う様な姿であった。

 

 そのまましばらく通りすがる者達と言葉を交わしながら歩き続けたロキは、周囲に人の気配が無くなると閉じられているように細められていた目を薄く開き、再び思考の海へと漕ぎ出して行く。

 

 超越存在(デウスデア)の中でも屈指の頭脳を持ち、数多の謀略で以って猛威を振るったトリックスター。それが、天界(うえ)に居た頃の彼女の評価だ。そして、それは良く的を得ている。幾度となく周囲の対立を煽り、戦争一歩手前までもつれ込ませた事もあった。

 下界(した)に降りて長い時を過ごした今では当時のような過激さこそ無くなったものの、高い知性はそのままだ。そして今、その知性を以って思索を重ねるのは現在進行形で迷宮(ダンジョン)深層、59層を目指す団員達の事。

 

 かつて千年間もの間オラリオにおける最強の座に君臨した【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】。その内【ゼウス】らによって残された資料などによって待ち受ける困難の内の幾つかを知る事が出来てはいた。しかし、それまでの道程も決して平坦ではない。

 

 25層から27層に連なる大瀑布(だいばくふ)、【巨蒼の滝(グレートフォール)】。冒険者の如く『技』に秀でたモンスターが多数出現し多層構造を内包する37層、【白宮殿(ホワイトパレス)】。以前の遠征で新種のモンスターと遭遇し、撤退を余儀なくされた50、51階層。そして、竜種のモンスターが(ひし)めき、階層を(また)いだ攻撃を行う【ヴァルガング・ドラゴン】が出現する【竜の壺】と渾名された52から58階層。

 

 どれも、精鋭ぞろいのロキ・ファミリアの面々でも油断は絶対に出来ない場所だ。途方も無く困難な旅路となるのは明白である。

 

 だが、運に恵まれた部分もある。

 

 17層の【ゴライアス】、27層の【アンフィス・バエナ】、37層の【ウダイオス】……大部隊を潜らせるにあたって最大の障害となりうる特別強力なモンスター、【迷宮の孤王(モンスターレックス)】。彼らが揃ってごく最近に討伐され、丁度再出現までのタイムリミットまで余裕のあるタイミングで通過できる見込みだと言う事だ。

 

 撃破されてから再出現するまで【ゴライアス】は約二週間の時間が必要になるが、更に下層の【アンフィス・バエナ】は約二か月、深層に居る【ウダイオス】に至っては三か月近い。この次産時期に至るまでであれば彼らとの戦闘について考える必要も無く、力の温存に繋がる。【アイズ・ヴァレンシュタイン】と遭遇した【レヴィス】なる女の言を基に、深層59層と言う事実上の未踏査領域への冒険に挑む皆を心配するロキにとっては、実際喜ばしい話。だが、それでも安心できるものではない。ロキは現在の立場に至るまでの幾度もの苦難を想起して、より一層顔を強張らせる。

 

 顔を俯かせて溜息を吐き、ロキは辿りついた自室のドアを開いた。今、自分に出来る事は何も無い。せめて、彼らが帰還した時の催しを開催する酒場をどこにするか考えるくらいだ。幸いにも自身の眷属が死んだことを伝える感覚は現在一人として無い。フィン達はうまくやっているのだろう。そう自身に言い聞かせて、彼女は顔を上げた。そして、目を見開いて驚愕した。

 

「よう、久しぶりじゃねえか。元気してたかよ、ロキ」

 

 客人用の椅子に座り笑うのは、誰よりもロキが知る、老いたる隻眼の神。持ち込んだ酒を部屋にあったグラスに注ぎそれを口にし、僅かに酒臭さを漂わせている姿はまるで場末の酒場で(たむろ)する労働者の様であったが、彼の素性を知るロキは全身に緊張を走らせた。対して、老神(ろうじん)はそこが自身の家か何かの様にリラックスし、自身のグラスとは別のもう一つのグラスに彼女を歓迎するためにか酒を(そそ)ぐ。その腹は少々だらしなく、豊満であった。

 

「な、なんでこんなトコ居んねや自分……! どっから入った!?」

「オイオイ、久しぶりに会うってのに随分な言い草するじゃねえか……ああ、これ土産な」

 

 彼の姿に驚愕し(いぶか)しむロキに対し、老神は足元に置いていた未開封の透明な瓶を彼女に見せつける。ロキは一瞬、その中で揺れる琥珀色の液体に目を奪われたが、すぐに気を取り直して老神の向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「……いつ戻ってきてたんや、自分。せめて一言くらい話通せや」

「そう目くじら立てるなよ……ほれ、とりあえず駆け付け一杯」

 

 老神が差し出したグラスを眉間に皺を寄せながら受け取り、口をつけるロキ。そして流し込まれた琥珀色の液体が舌に触れた瞬間、彼女は突き抜けるような衝撃を受け、手にしたグラスの中で揺れる液体を目線の高さまで持っていって眼を見開いた。

 

「こん蜂蜜酒(ミード)……【神酒(ソーマ)】か!? 何処で手に入れたん!?」

「作った」

「作ったァ!?」

「最近、酒造りに(ハマ)ってンだよ。まぁ、流石に本家本元(ソーマ神)程の味は出せやしねえが」

 

 言って、老神は自身のグラスに何杯目かも分からぬ琥珀色の神酒(ソーマ)を注ぎ、満足そうな顔で一息に飲み干す。それを訝しげな顔で見届けたロキは、小さく溜息を吐くと自身も残りの神酒(ソーマ)(あお)って、グラスを机に叩きつけた。

 

「……で、何しに来たんや。世間話しに来たんとちゃうやろ?」

「おう。今日の【神会(デナトゥス)】、何か変わった話は無かったかと思ってな」

「何や? 自分で顔出さんかった癖して、よりにもよってうちに内容聞こうっちゅー魂胆(こんたん)なんか? 笑えへんで」

「いいじゃねえか、俺とお前の仲だろ」

「よくもまぁ抜け抜けと………………」

 

 老神の言葉に苛立ちを露わに吐き捨てるロキ。だが、目の前の神がこちらの都合で手を引いてくれるような相手でない事を彼女は良く知っていた。それだけでは無い。彼女としても聞きたい事があった。故に、椅子の背もたれに深く(もた)れ、何処か投げやりな調子で神会(デナトゥス)での出来事について語り始める。

 

「まぁ、変な事は…………あったわ。レベル2への最短到達記録(レコード)が更新されたんや……あー! 思い出したらムカっ腹立ってきてもうたわ! あんのドチビィ……」

「マジか!? 今までの記録はお前んとこの【剣姫】のだったろう? どんくらい更新されたんだ? 10か月? 8か月? まさか半年かよ?」

「…………1か月や」

「ロキ。お前ついに酒の飲みすぎで幻覚が…………」

「ちゃうわ!!!! そん気持ちはよー分かるけど!!!!」

 

 驚愕してロキの顔をまじまじと見つめながらに呟いた老神に、彼女は両手を机に叩きつけながら叫び返す。それを、(たしな)めるように両掌を前に向けた老神は自身のグラスを一度傾けて喉を潤すと、彼女の言う記録を大幅に更新した冒険者について楽し気に尋ねた。

 

「で。何処のどいつだ、そんなバカげた記録打ち立てやがったのは?」

「【ヘスティア・ファミリア】の【ベル・クラネル】や」

「…………知らねえなぁ。二つ名は?」

「【未完の少年(リトル・ルーキー)】。大層な名前やと思わへん?」

「まるで将来『完成』するみてえな名前だな……。ちと調べてみるかねえ」

 

 うっすらと無精髭(ぶしょうひげ)の生えた顎を撫ぜながら老神は笑った。嫌味の無いそれに、むしろロキは昔を思い出して苛立ちを覚える。しかし目の前の相手はその感情も温和な表情の中でぎらぎらと光る隻眼(せきがん)で以って見抜いている(はず)であるのに、まるで気付いていないようなふりをして彼女にまた(たず)ねた。

 

「なぁ、それだけか? 他に、何か面白い話は無かったのか?」

「……せなやぁ、あとは【酒神(ソーマ)】の奴が酒造り禁止されたんと、【ラキア】が怪しい動きしとるなーくらいか」

「成程、成程…………ウラノスの奴は、握り潰しやがったって事か」

「あぁ?」

 

 老神の呟きに、ロキは眉をひそめて声を上げた。その顔には、老神への疑念がありありと渦巻いている。

 

「何や自分、不穏な事言いおってからに……何知っとるんや?」

「【黒竜】の現在位置が掴めたらしいぜ」

「なっ……!?」

 

 だがその疑念も、老神の口にした情報によって驚愕と共に吹き飛ばされた。

 

「それ、マジのマジなんか!?」

「ああ。大陸の東海岸にある港町……【オリヴァー】から更に東に行った所にある【メラナット】っつー島に居着いてるらしいぜ。海流の関係で、どうにも辿り着くのも一苦労の島なんだってよ。島の実情は掴めてねえようだが、まだ大した被害は無いみたいだな」

「うせやろ、それ、一体誰が……」

「【ジョシュア・オブライエン】。ギルドの【特別重要任務(エクストラ・ミッション)】を受けてオラリオから出てたのは知ってんだろ?」

「あんのイケオヤジ……! マジのマジで探し当てよったんか……!!」

 

 ロキは約10年前のオラリオで『最速』の名を(ほしいまま)にした壮年の男冒険者の姿を思い出し、非常に複雑な思いを抱いた。

 

 【ゼウス】と【ヘラ】が去って約五年。【古き王】と名乗る危険人物の手によってオラリオ全域に緊張が走った、後々の【闇派閥(イヴィルス)】による暗黒期の先触れとなった時代。【ギルド】と【神会(デナトゥス)】によって、世界における最大の脅威である【黒竜】の現在地を調査する事が決められたのは、当時の【ガネーシャ】団長であった【ローディー】や既に引退した【ウィン・D】を初めとした数名の第一級冒険者によって【古き王】が()退()され、一時の平穏を取り戻した直後の事だ。

 

 その際に選定された冒険者達は特に速度と生存能力に優れた者が選ばれ、結果として当時オラリオでも大きく数を減らしたレベル6の中でも最速とされた【ジョシュア】に依頼を出す事が決まり彼はオラリオ外へと旅立った。その成果が今になって出たという事か。

 

「まぁ、行方を知れたからなんだって話ではあるけどな。あのゼウスやヘラの連合を退(しりぞ)けた奴に、今のオラリオが対抗出来る訳も無え」

 

 老神はロキの思考を読んだかのように首を横に振った。実際、それは事実である。当時【黒竜】に挑んだ【ゼウス】・【ヘラ】連合の最高レベルは9。現在のオラリオ最強である【オッタル】よりも更に二つ位階の高い冒険者を初めとした実力者たちをして全滅という最悪の結果を残す事になったのだ。老神の言う通り、今のオラリオに【黒竜】が飛来すれば、それは文字通りの破滅を意味する。

 

 そして、その情報が事実だとすれば、その情報を隠蔽(いんぺい)したと言う【ウラノス】の意図は一体何か? やはり、今現在ある程度の安定を見せているこのオラリオに余計な混乱をもたらさないため、と言うのが一番しっくりくるが……。そこでロキははっとなって顔を上げ、目の前で楽しげにグラスを傾ける老神を睨みつけた。

 

「…………自分、何企んどるんや。ウチの前でそないな事言うて、まんまと乗せられてウラノスに突っかかるとでも思ってんか?」

「んん、むしろ突っかかってくれると助かる……なんつってな」

 

 グラスの中身を飲み干して机に置き、老神はロキに笑いかける。彼女はそれを見ると、天界(うえ)でこの老神を初めとした神々との()()()()を思い出してどうしようもなく苛立たしくなり、同時にそれと同じくらい懐かしい感情が沸き上がるのを感じた。

 

「まぁ、俺からお前にああしろこうしろっていう事は無いさ。好きに生きて、好きなように死ぬ。誰のためでも無く…………お前は、眷族どもにそうさせてやりたいんだろ? だったらそうすればいいさ」

「……うちかて、最初(ハナ)ッからそうさせてもらうつもりや」

「…………良き。お主がそうであるのなら、(わし)も安心できる」

 

 目の前の老神は、これまでの気安さとはまた違う、穏やかな目でロキを見つめながらに昔は長く伸ばされていた髭を懐かしむように顎を撫ぜると、しかしすぐに先程までのどこにでも居るような親父めいた気安さを取り戻して少し寂しげに笑った。

 

「ただ、時代がそれを許さねえかもしれねえがな」

「あン?」

 

 (いぶか)し気に眉を(ひそ)めるロキに、老神は再び自らのグラスへと神酒を注ぎながらに答えた。

 

「ゼウスもヘラも居ねえ上、フレイヤの奴はそう言う事考える頭してねえし、下界(した)には『脳筋』も『ラッパ吹き』も居ないんだぜ? 何かあったら、俺達がどうにかせにゃならん。未来が俺みたいなデブのジジイとお前みたいなちんちくりんの肩にかかってちゃあ、世界様も浮かばれねえだろうからな」

「誰がちんちくりんや!!!!」

 

 机を両手で叩いて身を乗り出したロキには目もくれず、美味しそうに自身のグラスを傾ける。それを見て苛立ちを増したロキは、その細腕で老神の胸倉を掴んで怒りに声を荒げた。

 

「つーかなんやねん、言うとったやん! 自分、好き勝手やるんとちゃうん!? それが何を急に世界がどうだの…………一貫性があらへんわ!!」

「いや? だって世界が滅ぶと、俺が困るからなぁ。やりたい事まだゴマンとあるしよ」

「っ……ああ、そうかい! うちの知ったこっちゃあらへんわ」

 

 ロキは突き飛ばすように老神を開放すると、そのまま力を抜いてソファへと座り込み苛立たし気に頭をガシガシと引っ掻いた。対して突き飛ばされた老人は、零れて中身が空になってしまったグラスを残念そうに見やると、それを机に置いて立ち上がる。

 

「そうかぁ、悪かったな。お前の言う通りだ。互いにうまくやって行こうや」

「ハン、勝手にしぃ。うちかて好きにやらせてもらうで」

「ほいほい。じゃあ、俺は帰るぜ。何かあったら声をかけてくれ」

 

 あばよ、と手をひらひらと振りながら老神は部屋を後にした。それを無言で見送ったロキは、彼の気配が無くなると同時に残された飲みかけの瓶を手に取ってそれから直接神酒(ソーマ)を口にし、あっという間に飲み干してしまう。そして、先程机を叩いた時よりも強く、瓶を机に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 (そび)え立つ【黄昏の館】。現在のオラリオにおける、『最強』の片割れであるロキ・ファミリアに相応しい巨大なる建造物。そこから誰にも気に留められる事も無く外へと歩み出た老神は、その威容を振り返りながら何処か寂しげに見上げていた。

 

「ああ、我が義妹(いもうと)。あるいは我が義娘(むすめ)よ。お前にも見えてねえのか」

 

 未だに館の中で自らの眷属達の無事を願っているであろうロキに向けて呟いた後、老神は空を見上げ、眩しそうに眼を細めた。その眼にあったのは憂い。まるで未来が見えているかのように、老神は青々とした澄んだ空に向けて忌々しげに口元を歪めて呟いた。

 

「…………空が、こんなにも燃えてるってのに」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ダンジョン深層、59層。途方もない鳴動と共に、風が吹き灰が舞う。もはや、氷河の領域であった面影も残さない部屋(ルーム)一面に咲き誇る極彩色(ごくさいしき)の花々が激しく揺れる中で、【ロキ・ファミリア】の面々は剣を掲げて勝鬨(かちどき)の咆哮を上げた。

 

 この階層に辿り着いた彼らを待っていたのは、本来の情報とは異なる温暖な気候と緑色の密林。ルームの四方である壁面を覆う、アイズやレフィーヤが24層の食糧庫(パントリー)で目にした異形の肉壁。そして、怪物を異形の女体型と化す【宝玉】に寄生されたと思しき死体の王花、仲間のモンスターさえ捕食する【タイタン・アルム】の女体型と、それに捧げるように自らの魔石を差し出すリヴィラ動乱でも暴れ回った【人食い花】の群れであった。

 

 タイタン・アルムの女体型に魔石を明け渡した人食い花達の亡骸(なきがら)たる灰を踏みしめた彼らは、その一部始終を緊張に身を強張らせながら観察していた。すると、数多の魔石を捕食したタイタン・アルムはその形態を変化させ――――今までの異形であったそれとは異なる、天女の如き美しい女性の上半身を生やし――――神の降臨以前の地上にて、神々の意を汲み英雄たちと共に戦った【精霊】の力を以って、ロキ・ヘファイストス連合へと襲い掛かったのだ。

 

 そこからは、正に地獄の如き激闘であった。

 

 精霊の絶大なる魔法と怪物の圧倒的な膂力(りょりょく)、体躯を高い知性を以って駆使する【穢れた精霊(デミ・スピリット)】に、彼らは凄まじい苦戦を強いられた。その魔法の威力はオラリオ最高の魔導士たるリヴェリアを遥かに上回るものであり、更には極彩色の魔石を持つ他のモンスターを従える力や皆の攻撃を受けても身じろぎ一つしない耐久力は、皆を絶望の淵へと叩き込んだ。

 

 だが、しかし。決して諦めぬ皆の力が突破口を開いた。

 

 リヴェリアとレフィーヤの魔法が精霊による超弩級(ちょうどきゅう)の魔法を凌ぎきり、ラウルらサポーターの面々や同行していた椿が用意された数多の魔剣や武具を用いて怪物の群れを薙ぎ倒し、フィンの指揮を投げ捨てた一撃が隙を生み、ガレス、ティオネ、ティオナ、ベートが木の根による防御を打ち破った。そして、風を振るったアイズと彼女を後押ししたレフィーヤの力によって、絶対的にすら思えた穢れた精霊は灰へと帰したのだ。

 

 

 

 崩れ落ちるように膝を着いたアイズの元へと、これまた歩くのもやっとと言った様子のレフィーヤが辿り着き、涙を流しながらその体をかき抱いた。

 

 周囲の他の面々も、最早満身創痍(まんしんそうい)と言うにも程遠い凄惨(せいさん)なる有り様だ。だが、死人は居ない。ここに居る全員が負った傷は、誰一人の隔てなく全力を振り絞り戦った、その証のような物であった。

 

「……終わった、ようじゃのう」

 

 息も絶え絶えと言った様子でガレスが呟いた。この階層の戦い、更にはそれ以前の58層での戦いでも危機にその身を晒した彼は全身を血に濡らし、何故意識があるのか不思議なほどの有り様であった。それでもまだ口を開く事の出来るのは種族故の耐久性……否。ガレス・ランドロックと言う男が今まで(つちか)って来たタフネスの賜物(たまもの)であった。それを誰よりも理解するリヴェリアが、呆れたように口を開く。

 

「ッ……ハァッ……全く……よくもまぁ、そこまで……平然としていられる……!」

 

 ハイエルフの王女とは思えぬ疲弊しきった姿で灰に覆われた地面に腰を下ろし、リヴェリアは息も絶え絶えに天を見上げた。それの横で(やり)を杖代わりにしながら、俯いたフィンが未だに緊張を切らさずに呟く。

 

「早急に、撤退する必要がありそうだね……! あの【精霊】によって駆逐(くちく)されていた通常のモンスターが戻ってくる前に……!!」

 

 そうフィンは言って、すぐさま皆に指示を飛ばし始めた。傷の少ない者に周囲の応急処置を行わせると、自身も駆け寄って来たティオネに支えられながら隊列を素早く組み直さんと声を上げ、一刻も早く50層へと残してきた部隊と合流する事を決定した。

 

 本来安全階層(セーフポイント)であった50層を抜けた51層で武器破壊能力を持つ新種のモンスター達に襲われてからこの59層に至るまで、彼らは半ば強引な形で突き進んできた。未だに彼らが打ち倒してきたモンスターはまだ再出現を完了してはいないであろうが、ダンジョンの壁面から再び生み出されるのは時間の問題であり、出来るだけそれが少ないであろう今の内に撤退する必要があると判断したのだ。

 

 フィンは鑓を背に負うと、ティオネから手渡された【万能薬(エリクサー)】の封を解いて一気に口にした。以前、エリスがロキと同盟を組む際に提供した一本である。それによって、全快とは言えぬがある程度調子を取り戻した彼は、パーティの先頭に立つべく一歩踏み出す。

 

 

 ――――次の瞬間、霞んで見えるほどの高さを持つ部屋(ルーム)の天井が、轟音を立てて崩壊した。

 

 

「なっ!?」

「皆下がれ! 巻き込まれるぞ!!!」

 

 フィンの号令を受けた面々が退避する中、天井から瓦礫(がれき)と共に異形の影が落下してくる。

 

 腐り果て、朽ち果てかけた皮膚。竜のそれに似た二対の翼と、皮を剥がれた猿の様な貧相な体格。そして頭から生やした小さな角。一つ上の階層である58層には存在しないはずのモンスターが力なく重力に引かれていき――――その背後から追いかけるようにして、五人の人影が飛び降りてきているのが見えた。その内の一人、真っ先に落ちて来る幾つもの武器を身に付けた男が後続のローブの男に向けて叫ぶ。

 

「フレェェ――――キ!!! どうにかしろォオ――――ッ!!!」

「『ヴィンハイムの業、影なる技! 我らを一時解放せよ』! 【フォール・コントロール(落下制御)】!!」

 

 ローブの男が魔法を発動すると、落下して居た者達が青い光に包まれて速度が目に見えて緩やかになり、それぞれ体勢を立て直す。

 

「ナァイスフレーキ!! これで…………ん?」

 

 先頭を落ちゆく男はローブの男による的確な魔法選択に快哉(かいさい)の声を上げたが、すぐに気づいた。自身と後続の四人の間の距離が見る見るうちに開いて行く。まるで時間が引き伸ばされたかのような感覚に陥った男は彼らが突然上昇したのかと一瞬思ったが、後ろの四人は【フォール・コントロール】の効果対象である事を示すように体が青い光に包まれているのに自身はそうでは無い事に気づき、現実を受け入れられないような顔をして絶望的な顔をローブの男に向けると、ローブの男は心底申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「すまん【フギン】。この魔法、対象は四人までなんだ」

「この野郎ふざ」

 

 フギンと呼ばれた男――――【黒い鳥】の恨み言が言い切られる事は無く、彼は灰に満ちた地面に墜落した。

 

 【穢れた精霊(デミ・スピリット)】の(にえ)となった怪物たちの灰が派手に舞い上がる中、先に墜落した【黒い鳥】を除く四名がふわりと緩慢な勢いで着陸する。彼らは全員、オラリオの冒険者達の間に名を轟かす実力者ばかりであり、満身創痍のロキ・ヘスファイトス連合の面々は緊張に身を強張らせた。

 

「……ここで鉢合わせるとはな。フギンめ、また余計な事をしてくれる」

 

 目深に被ったフードの奥で苛立たしげに呟くのは、【九魔姫(ナイン・ヘル)】たるリヴェリアに次ぐ魔導士、【啓くもの】フレーキ。身に宿したスキルにより数多の魔法を習得し、それを十全に操る技はリヴェリアに匹敵すると言われ、実際に幾度となく煮え湯を飲ませ合った間柄だ。

 

「そう言うなって。ここで遭遇しちまうなら、結局、いずれはそうなってたって事じゃあねえかな」

 

 どこか楽観的に呟く真鍮色の全身鎧は【不屈(アンブレイカブル)】のラップ。ガレスと肩を並べるオラリオ屈指の重装前衛であり、あらゆる強敵との戦いでその身を盾とし仲間を守り抜いてきた二つ名通りの実力者。手にした大盾は魔法以上に【呪詛(カース)】への強い耐性を持ち、故に彼は【呪詛師(ヘクサー)】に対しては絶対的な優位を持つと言う。

 

「笑えませんね。まぁでも、随分と手負いの様ですし、全滅させるのはそう難しくないでしょう」

 

 物騒な発言と共に黒い長髪を揺らしながら降り立ったエルフは【戦乙女(ヴァルキュリア)】のロスヴァイセ。現在のかの【ファミリア】における最古参の眷属であり、遠近を問わぬ戦術と機動力、かつて【黒い鳥】さえも殺害しかけた戦績と容赦の無い戦いぶりからオラリオ最強の弓使いの一人としても知られている。

 

「フン。殺すかどうかなんざ、好きにすりゃあいい…………それよりも相棒、まだ生きてるか?」

「ハ、ハ、ハ。死んでる、俺死んじゃッたよ」

「生きてるよ」

 

 そして、最後に降り立った正体不明のサポーターに灰の内から引きずり出されたのはオラリオにおける現在の二番手であり、【猛者(おうじゃ)】たるオッタルと唯一単独で渡り合う事が出来るとされる冒険者、【黒い鳥】。【九頭竜(ナインヘッド)】討伐を初めとした数多の逸脱した偉業を成し遂げ、その身に数多の武具を身に付ける男。

 

 今も彼はその評判に(たが)わず、二本の大剣を背負い、腰には左右に二本の長剣と後ろに小振りな手斧、右の腿にはナイフの鞘が備えられており、体には軽装の防具を身に着けて、右手の肩から肘にかけては精緻(せいち)な装飾のなされた帯が巻き付けられている。

 

 彼の実力は誰もが知る所であるが、実際にその全力を目にした事のある者はロキ・ヘファイストス連合の者達には居ない。だが、一見軽薄な仕草の内から覗く眼光の鋭さが、彼がその評判に違わぬ怪物であると言う事を明確に知らしめていた。

 

「…………で。どうすんだ? 鉢合わせちまったが」

「殺してしまえばよいのでは? そうすれば無かった事に出来ますが」

「それでいいか」

 

 問う【黒い鳥】にロスヴァイセが殺意に満ち溢れた言葉を返すと、彼はあっさりとそれに乗った。弓を取り、あるいは剣に手をかける二人。対するフィン達に戦慄が走る。【穢れた精霊(デミ・スピリット)】との戦いで皆、全ての力を絞り尽くす勢いで戦った。そうしなければ勝利は得られなかった。しかし、あれ程の化物を相手にした直後に更にこれほどの相手と相対する事になる事を想定していた者はいないだろう。だが、予想外の事象は冒険者として迷宮に潜るのであればどれ程傷ついていたとしても逃れ得ぬ事象だ。それを良く知る彼らは、満身創痍の体に鞭打ち武器を取る。

 

「【トゥランキル・ピースウォーカー(穏やかなる平和の歩み)】!!」

 

 その時。突如として狼人(ウェアウルフ)の老魔導士が叫ぶと、彼の足元から自分達五名のみを範囲内に収めた魔法円(マジックサークル)が出現した。その効力によってか、駆け出そうとしたロスヴァイセと【黒い鳥】がつんのめるように体勢を崩し、動きを止める。ロキの面々はそこから通常の魔法と異なる感覚を感じ取り、彼らの中でも特別術師として優れた実力を持つリヴェリアが眼前の老魔導士の見せたそれの性質を唯一看破して驚愕を口にした。

 

「味方への……【呪詛(カース)】だと……?」

 

 その呟きを他所に、フレーキは足を止めた二人に向け、咎めるように声をかける。彼の顔はうんざりとしたような、呆れの滲む表情だった。

 

「何をしている、二人とも。例え遭遇してしまっても、【ロキ】達との交戦は可能な限り避けると決めてただろう」

「これほどの好機は今後無いでしょう。ここで殺しておくのが最善です」

「…………いや待てロスヴァイセ。ついうっかりやっちまいそうになったがボロッボロじゃねえかアイツら。勿体ねえし、今はやめとこうぜ」

「ッ……フギン。貴方は少し考えて行動してください。あなたも彼らを殺そうとしましたよね? あなたには一貫性と言う物が……」

「やっぱやめようぜ、な! せめて万全の時にやりたい」

「ロスヴァイセ。フギンもこう言っている。それに、我らが神は今回私に指揮権をお与えになった。従ってくれ」

「………………失礼しました」

 

 フレーキに咎められた二人は対照的な反応を返した。反発し自身の最善を通そうとするロスヴァイセと、あっさりと手の平を返した【黒い鳥】。ロスヴァイセは先刻までの【黒い鳥】の同調を根拠に食い下がろうとしたが、フレーキの言葉にはあっさりと弓を持つ手を下ろした。それを見てフレーキは溜息を吐くと視線をロキの面々へと戻した。

 

「驚かせてしまってすまない。我々も、君達との遭遇は想定外だ。交戦の意思も無い。まずは、話をさせてくれ」

 

 フレーキは呪詛(カース)を発動させたまま、申し訳なさそうに頭を下げる。そして彼が頭を上げるよりも早くフィンが前に出た。二人の間には緊張感こそあったものの、どちらも武器を下ろし殺気を感じさせぬ佇まいであり、この場での争いを避けようとしているのは明白。後は、どのような落としどころが示されるかである。

 

「……久しいね、フレーキ。まさか君がこんな所に顔を出すとは。何をしに来たんだい?」

()()()()だよ。少なくとも、君たちの遠征の邪魔をするつもりは無い。驚かせてしまってすまなかった。今後ろの二人が剣を向けようとした件についても、後日謝罪に赴かせてもらおう」

「…………それは分かったけど、君達はどうやってここまで来た? まさか僕らの後をついてきたと言うんじゃないよね? 【ギルド】の主導で行われる『遠征』の成果を横取りしようとするのはご法度だって言うのは知ってるだろう? ……やっぱり、目的を示してもらいたいな」

「…………言えん。こちらも訳アリだ」

「……………………」

 

 『落とし所』の食い違いによって、彼らの間に走る緊張が圧を増した。自身やリヴェリアと言ったベテラン勢はともかく、後方で今にも飛び出しそうな血走った眼を見せるベートや突然の乱入に眉間に皺を寄せるティオネらを納得させるためにも譲歩できないフィン。今回の行動を立案して責任を負い、故においそれと己らの実情を明かせぬフレーキ。彼らは自身の経験を総動員して、自らの要求を如何に通すかを模索してゆく。

 一方で、その二人の緊張をまるで素知らぬかのように、【黒い鳥】は歩み出て【剣姫】に向けて声をかけた。

 

「よぉ【剣姫】。また会ったな…………どうだ、友達は出来たかよ?」

「…………うん」

「そうか! そりゃよかった。あんた、その、なんて言うかな……どっか地面に足ついて無い感じがするからさ。強くなるってなら、せめて交友の一つや二つ…………」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ん?」

 

 まるで心配するかのようにアイズに声をかける【黒い鳥】の言葉を少女の声が遮った。杖を握りながらアイズを庇う様にレフィーヤがその前に立つ。そして僅かに体を震わせながらも、苛立ちと怒りを炸裂させるかのようにして眼前の男に人差し指を突きつけた。

 

「あっ、貴方がアイズさんを(たぶら)かしたんですね!? どういう了見(りょうけん)ですか!? 正直、アイズさんがあんな事するなんて信じられませんでしたけど、貴方が余計な事言ったから、そういう事だったんですね!?」

「レフィーヤ……!」

 

 アイズとの『ベルとの訓練について口を(つぐ)む』と言う約束も半ば忘れてヒートアップし問い質すレフィーヤ。それをアイズは周囲を伺いながらに心配そうに止めようとする。一方で、【黒い鳥】はむしろ面食らったようにまじまじとレフィーヤの顔を見た。

 

「いや、何の話だよ……つか誰だお前…………」

「なっ……!」

 

 仮にも【ロキ・ファミリア】の幹部候補であり、【九魔姫】と称されるリヴェリアの後釜としてそれなりに名を知られている筈の自分に心当たりがないと首を傾げる【黒い鳥】に言葉を失い、レフィーヤは更なる怒りに身を震わせる。一方【黒い鳥】は彼女を見ている内に何か思い出したようで、得心が行ったように上に向けた左掌を右拳で打った。

 

「あ、いやすまん、思い出した。確か、二つ名は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】で…………そうそう! 多分名前はあれだろ? 【レフィーナ・フィルヴィス】!」

「【レフィーヤ・ウィリディス】です!!!」

「あぁ? 違ったか。エルフといい、アマゾネスといい、似てる名前多くて覚え辛いんだよ……」

 

 【黒い鳥】は腕を組み、全く後ろめたさを感じさせない声色で唸る。エルフやアマゾネスに名前の響きが似た者が多いのは種族的な慣例から見ても事実ではある。しかし、その態度こそレフィーヤのプライドに火を付けるには十分だった。

 

「言い訳しないで下さい!! そもっそもとして、最初っから覚える気が無いんじゃあないですか!?」

「図星じゃねえか相棒。笑える」

「おいそこ余計な事言うな! …………いや俺、名前覚えてる女エルフってあんまり居ないんだよ。ロスヴァイセだろ、【九魔姫(ナイン・ヘル)】だろ、【白巫女(マイナデス)】だろ……? 三人!? いや絶対誰か忘れてんな…………」

 

 レフィーヤの言葉を肯定して肩を揺らして笑うサポーターの男に噛み付きながらも、実際に他人の名前を殆ど覚えていないか忘れている事を零す【黒い鳥】。それは歳若いレフィーヤの怒りに油を注ぎ込むには十分過ぎるものであったが、ふと彼女は今【黒い鳥】が零した名前の一つに対して、怪訝そうな顔になって声を漏らした。

 

「ちょっと待ってください。貴方、さっきの間違いといい、【フィルヴィス】さんの事は覚えてるってどう言う…………」

「フギン! 来てくれ!」

「おう! 行くから『平和』解除しろよ! 走れなくて死ぬ!」

「もうしてある!」

 

 彼女の疑問は、横合いから発せられたフレーキの声とそれに応じた【黒い鳥】が身を翻した事で打ち切られた。【黒い鳥】はレフィーヤに一瞥をくれる事も無く向かい合うフレーキとフィンの元に向かい、二人の前で足を止めてフィンに向けて挨拶した。

 

「どーも【勇者(ブレイバー)】殿。【黒い鳥】だ」

「やぁ、【黒い鳥】。話で聞くより随分礼儀正しいね」

「挨拶は大事だろ。昔、なんかの本で読んだんだ」

「それよりも本題に入るぞ。我々は彼らの帰還を援護しつつ、ここで退き返す。そういう話になった」

「あぁ? どういうこっちゃい! 説明くれ」

 

 話の流れを理解できず聞き返す【黒い鳥】。それに対して、諭すようにフレーキが首を横に振った。

 

「我々の目的は深層の調査だったろう? この状況を見ろ。本来氷河の領域であるこの階層で、気温がこれほどまでに上昇し豊富な植物が繁栄しているというのは、既にありうべからざる異常事態だ。異常が起きている事がはっきりと分かる。初期の調査としては十分過ぎる成果だ」

「でも何でこいつら守って帰らなきゃいけないんだ? 依頼なら、まぁそうするけどさ」

「いや、交換条件だ。向こうはここに来た理由を、我々はここで何があったかをそれぞれ聞かない…………互いに来た目的は果たしているようだからな。それが、最も波風が立たんと判断した」

「……………………まぁ、そもそもとして今回の作戦判断はフレーキ次第だ。俺は、従うよ」

 

 何処か納得できぬようにしながらも【黒い鳥】は肩を竦め、フレーキにつまらなそうに口を尖らせる。しかしフレーキはそれに目もくれずに、懐から三本の薬瓶を取り出しフィンに手渡した。

 

「【万能薬(エリクサー)】だ。今の君達には、間違いなく必要だろう」

「助かるよ。でも、早急にここを発ちたい。上で倒したモンスターの次産時期が、もうじき来てしまうからね」

「了解した。皆に伝えて来る」

「ああ」

 

 二人は話を終わらせるとそれぞれ分かれ、フィンはガレス、リヴェリア……そしてアイズらLv.6の面々に万能薬(エリクサー)を手渡し、皆を回復させた。

 

 その一方。万能薬(エリクサー)の行き渡らなかった面々はそれぞれが応急処置を済ませ、すぐにでも出発できるよう準備を整えている。その中で、苛立たしげに自身の体の状態を確認しているベート・ローガの後ろに、いつの間にか楽しそうな顔の【黒い鳥】が立っていた。

 

「ようベート! 随分ボロボロじゃあねえか! 大丈夫かよ?」

「………………」

「無視すんなよ」

「………………」

「なぁ」

「………………」

「おーい」

「………………」

「……なんか大規模な戦闘あったみてえだけど、納得行く戦い出来なかった感じだな」

「うるせえッ!!」

「おっと……うわ、キレてる割にキレ無さすぎ。やっぱ戦わなくてよかった」

「黙ってろ……!」

 

 吐き捨てながら振るわれたベートの裏拳を、【黒い鳥】は楽しげな顔のまま身を引いて回避する。その際に彼が安堵したような言葉を放つと、普段の様に罵るでもなくベートは歯を噛みしめる。それを見た【黒い鳥】は、しかし特段気を悪くした様子も無く首を傾げた。

 

「おいおい、前の【ウダイオス】の時みたいにまぁた【剣姫】に手柄取られたのか……ってあの時はお前居なかったか。次は頑張れよ!」

「黙ってろっつってんだろうが!! 殺すぞ!!!」

「おお、いつも通りいつも通り」

 

 自身の罵倒を受けてなお楽し気に笑う【黒い鳥】に、ベートはもはや関わるつもりもないとそっぽを向いて集まるロキの面々の元へと歩き出した。しかし、【黒い鳥】は彼の拒絶も気にした風も無く、まるで腰巾着(こしぎんちゃく)めいて彼の後ろに付いて未だに声をかけ続けた。

 

「まぁそう怖い顔すんなって! 元気出せよ! あ、そうだ。最近まぁたアマゾネスに付きまとわれててさぁ。上手いこと諦めさせる方法知らねえか?」

「知るかよ。手前でどうにかしやがれ」

「つれねえなぁ。お前も気を付けろよ? 下手にアマゾネスぶっ飛ばすと俺みたいにストーキングされちまうからな!」

「一緒にするなクソが。ザマを見ろ」

「ひっでぇ…………」

 

 その二人――――否。ベートに対して絡みに行く【黒い鳥】の背を、サポーターの男は感情の読み取れぬ目で見つめている。すると、その背後からラップが機嫌良さげな足取りで近づき、横に並び立って声をかけた。

 

「どうした? 『相棒』が構ってくれなくて拗ねてるのか?」

「…………どういう意味だ?」

「いやぁ別に……ウヒャヒャヒャヒャッ! あんた、どんだけあの馬鹿に賭けてるんだ? アイツは暗いぞぉ、真っ黒だ。肩入れしすぎると、あっけなく死んじまうぜぇ?」

「………………お前がそれを言うか? 少なくとも、俺に対して言うべきじゃあねえな」

「まぁ、同族嫌悪って奴かな。ウフフフ……っと? なんか、暑くねえか?」

「あン…………?」

 

 全身鎧故にか、あるいは元々の気温故にか、暑苦しそうに身じろぎしたラップの様子をサポーターの男は怪訝(けげん)そうに見つめる。だがしかし、すぐに自身も蒸し暑さを感じてふと振り返ると、墜落し死に絶えたと思しきモンスターの骸が赤熱し、周囲の灰に僅かに炎が滲んでいる事に気づいて大声を上げた。

 

「おい……フギン……! じゃれ合ってる場合じゃあねえぞ!!」

 

 彼の怒号にも似た叫びに、周囲の者達が一斉に振り返った。その視線の先で全身から凄まじい熱を放ち始めた怪物は身をもたげ、そして咆哮と共に翼を広げて火の粉を撒き散らす。余波によって周囲に広がった熱波によって生い茂っていた森林は見る見るうちに燃え始め、今度こそ本当に、灰に包まれた不毛の大地へと変貌しようとしていた。

 

「フレーキッ! 【デモンズ・プライド(デーモンの誇り)】です! 戦闘態勢を!!」

「馬鹿な!? あれで殺し切れてなかったのか!?」

「復活か、そりゃあ驚き!」

「あんたが言っても皮肉にしか聞こえんが」

「言ってないで前に出なさいパッ、ラップ!!」

「了解。ま、仕事分は働くさ!」

 

 ロスヴァイセの叱咤に応え、飛びかかったラップが咆哮を続ける怪物の頭蓋を大盾で以って殴り抜いた。レベル6の重量級冒険者による頭部への一撃は、怪物の細身の肉体も相まってその体を大きく揺るがさせる。その隙を付いてフィンとフレーキは顔を見合わせ鋭く声を交わした。

 

「フレーキ! どうする!? 皆で迎え撃つかい!?」

「いや、こいつを相手に大人数ではむしろ不利になる!! フギン! 足止めしろ! ロスヴァイセ! 君はフィン達を護衛して共に地上へ!」

「は!? 私がですか!?」

「了解! 『天に満ち、(そら)を閉じよ』――――【スターダスト(Stardust)】!!」

 

 【黒い鳥】が詠唱を終え名を叫ぶと、空に巨大な魔法円(マジックサークル)が現れ、そこから指先程の小さな光弾が雨霰(あめあられ)と降り注いだ。それは格闘を続けるモンスターとラップを激しく打ち据え、その小さな威力に反比例するような大きな衝撃で動きを妨害する。しかし、全身を強靭な鎧に包まれた上、盾を傘のように使って光弾の雨を防ぎつつ攻めを続けるラップにモンスターは防戦を強いられた。その様子を目にしながら、【黒い鳥】はフレーキに向けて大声で叫ぶ。

 

「よしフレーキ、ロキの奴らと分断してくれ! ()()を使っても構わねえから!!」

「断る……!!」

「じゃあどうすんだよ!?」

「分断自体はやるが、アレはリスクが大きすぎる! 別のを使うから少し時間をくれ!!」

「分かったから早くしろ!!」

「ああ――――『火よ、来たれ』」

 

 その詠唱を耳にしたロキ・ヘファイストス連合の全員が耳を疑った。それは正しく、先の戦いにおいて【精霊】が見せた【超長文詠唱】による超弩級魔法と全く同じであったからだ。しかし、その先にフレーキが口にした詠唱はそれと酷似していながら、精霊程の高速では無く、また全く別の文脈を持つ物であった。

 

「『唸れ唸れ炎の渦よ、劫火(ごうか)の海よ、混沌の種火よ。愛娘(むすめ)らの力借り世界を(ひら)け。空を焼け星を焼け雲を焼け闇を焼け。全ての暗黒を(はら)(てらし)て見せよ』」

 

 【スターダスト】が打ち止めとなると同時に、跳び下がるラップと交代するかのように【黒い鳥】が怪物へと襲い掛かった。懐から取り出した幾つもの壺を彼がこれでもかと投げつけると、着弾し割れた壺の内から青白い魔力の(ほとばし)りが炸裂しその眼を眩ませる。そうしている間にも、狼人(ウェアウルフ)の老魔導士は一語一句(たが)える事無く超長文の詠唱を進めて行った。

 

「『開闢(かいびゃく)の灼熱にて火の時代を、王の(ソウル)の輝きを、代言者の名の元に(こいねが)う。刻まれしその名は混沌の魔女(イザリス)。炎術の祖、混沌の母、廃都(はいと)女王(おう)』!!」

 

 精霊の見せたそれには及ばぬが、リヴェリアの攻撃魔法に匹敵する魔力を渦巻かせてフレーキは足元に深紅の魔法円(マジックサークル)を輝かせる。そして、詠唱を終える最後のその瞬間――――フレーキは腰を落とし、そして狼人(ウェアウルフ)としての脚力を以って勢い良く跳び出した。

 

「【ファイアーストーム(炎の嵐)】!!!」

 

 フレーキがレベル6に相応しい敏捷で怪物とロキ・ヘファイストス連合の間に線を引くように駆け抜けながら詠唱を終えると、彼の後を追う様に無数の火柱が吹き上がって怪物と皆の間を分断した。そして煌々(こうこう)と揺れる炎に巻かれながら、フレーキはフィンに向け口を開く。

 

「予定変更だ【ロキ・ファミリア】。この階層から早急に撤退しろ」

「一体何なんだいあのモンスターは……!? 未発見種か?」

「あれは【デーモン・プリンス(デーモンの王子)】。君たちの知らぬ領域に生きる怪物であり……まぁ、こちら側で言う所の【迷宮の孤王(モンスターレックス)】に類する一体だ。君達を守りながらでは、我々でも難儀する」

 

 フィンの問いに丁寧に答えると、フレーキは炎の向こう側へと残ったフィン達とロスヴァイセに向け、少し申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「万全の状態ならばこうは言わんが、今の君達は傷つき、疲弊している。万能薬(エリクサー)も体力まで回復出来る訳では無いからな…………ロスヴァイセ、そちらは任せた」

「まぁ、私はアレと相性が悪いですし。精々こちらで頑張らせていただきますよ」

「ああ。頼んだ」

 

 フレーキの言葉が終わると、二人は互いに目を合わせる事も無く背を向けて、それぞれ炎の向こう側で【黒い鳥】らが戦いを繰り広げる中へ、そしてロキ・ヘファイストス連合が固唾を飲んで見守る中へと足を進めて行った。

 

「君と協働するのは初めてだな、ロスヴァイセ。頼むぞ」

 

 フレーキと別れ、その足で大規模パーティである連合の先頭に向けて歩みを進めるロスヴァイセに、同じエルフであるリヴェリアが声をかける。しかし激励とも取れるそれを耳にした彼女は、苛立ちを露わにしてリヴェリアを睨みつけた。

 

「話しかけないでもらえますか? 腹立たしい。やるべき事はしますので、放っておいてください」

「ちょっ……ちょっと!? リヴェリア様に対してどういう物言いしてるんですか!? 良くないですよ!!」

 

 その暴言を聞いて周囲のエルフたちが眉を顰め、その中でも一際リヴェリアに近い存在であるレフィーヤが慌てて跳び出し、怒りと気遣いがないまぜになったような狼狽した口調でロスヴァイセに苦言を呈した。しかしロスヴァイセはそれをこそ軽蔑するように睨みつけて、まるで吐き捨てるかのような残酷な声色で口を開いた。

 

「『様』、ですか……所詮エルフはエルフでしょう? 私、エルフのそういう階級分けと言う奴が…………いえ、違いますね。私は傲慢(ごうまん)ちきで恥知らずで腹黒いエルフと言う種族がそもそもとして大っ嫌いなんです。話しかけないでください」

 

 呆気にとられるレフィーヤを背にして、ロスヴァイセは足早に歩き出した。長い黒髪を揺らすその後姿を見ていたレフィーヤは周囲の制止を振り切り、傷ついた体に鞭打ち彼女に食って掛かろうとしたが、黒髪から覗いたエルフ特有の尖った耳の先端が乱雑に切り落とされている事に気づいて足を止め、俯き口を(つぐ)む。

 

 彼女はしばらくそうして拳を握っていたが、その背をリヴェリアが優しく叩くと複雑そうな表情で顔を上げ、彼女と共に58層を目指す隊列へと加わって行った。

 

 

 

 

 

「さぁてと」

 

 全身から炎を噴き出しながら【王子】が咆哮する。対する【黒い鳥】は強敵の出現に心から喜びながら、右手で以って背にしている大剣の内厳重に封じられてはいない大剣に手をかけた。

 

「まずは小手調べだ……任せてもらっていいな!?」

「ああ」

「ハハッ、言質取ったァ!」

 

 フレーキの短い返答に楽し気に叫び、【黒い鳥】は剣を抜いた。【バスタードソード】。元は市販品でありながら、【アンドレイ】の手によって幾度となく鍛え直され、特別な力は持たずとも圧倒的なまでの強靭さと攻撃能力を備えた一振り。【黒い鳥】と共に、数多の戦場を駆け抜けた名剣。

 

 【黒い鳥】はバスタードソードを構えて、咆哮する【王子】に相対した。愉悦と緊張に細められた目は鋭く、口は裂けそうなほどに醜く歪められている。その彼に向け、巨大な火球が飛来する。全てを焼き尽くすような熱と輝きを放つ、灼熱の一撃。しかし【黒い鳥】は臆する事も無く踏み出して、火球とのすれ違いざまに剣を振るった。

 

 炸裂。【黒い鳥】の背後で轟音と共に灼熱をぶちまける大火球。しかし、その余波を利用して加速、飛翔した彼は即座に【王子】へと肉薄しその首筋を狙って左手の大剣を横に薙ぎ払う。

 

「ッ!? 硬ってぇ! ハハッ!」

 

 だが、彼の致命的な一閃はその細い首筋の表皮によって硬質な音を立てて弾かれた。しかし黒い鳥はそれに動揺するでも驚愕するでもなく、ただ歓喜する。自らの手にするべき首級を前にした戦士の様に。あるいは、おもちゃを与えられた子供の様に。

 

 しかし、【王子】は自らの熱によって焼けた皮膚が凝固した溶岩の如き強度を手に入れた事を理解し、防御や回避を一旦度外視して即座に【黒い鳥】への攻撃行動へと移った。

 

『ガアアアッ!!』

 

 叫びと共に【王子】が腕を打ち振るえば、そこから炎を纏った岩塊が生まれ【黒い鳥】に向け放たれる。しかしそれは間に割り込んだラップの構えた【抗呪の大盾】によって防がれたが、着弾の瞬間激しく炸裂した岩塊の威力によってラップは吹き飛ばされる。【黒い鳥】はそれに一瞥もくれず、サポーターの男へと向け叫んだ。

 

「【ミルド・ハンマー】!!」

 

 叫びを受けたサポーターの男が背の背嚢から取り出したのは、明らかに背嚢に入り切らぬ長大な長柄戦鎚。神々が降り立つ前の嘗ての神職たちの間で『最初の神殿』の名を冠するとされたこの武器は、その形状と遠心力によって強力な打撃を放つ事の出来る武具だ。【黒い鳥】は最初の斬撃が通じなかった事を鑑みて、素早く別の攻撃属性を備えた武具を要求したのだ。サポーターの男は【黒い鳥】に向け無遠慮にミルド・ハンマーを放り投げ、それを【王子】に向け再び挑みながら無造作に手にした【黒い鳥】はそれを最適距離で振るい、今度は【王子】の冷え固まった溶岩めいた強固な表皮に大きな亀裂を生じさせた。

 

「まるで瘡蓋(かさぶた)みたいだな……」

 

 【黒い鳥】が呟く。対して傷つけられた【王子】は痛みと怒りに打ち震え咆哮する。それに呼応し、周囲に燃え広がった炎が更に火力を増し、ルームの気温が徐々にヒトの耐えられぬ温度へと迫っていく。だが、そこでフレーキが動き、状況を改善すべく魔法を詠唱した。

 

「『凍てつけ』! 【スナップ・フリーズ(瞬間凍結)】!!」

 

 フレーキが腰から抜いた刃の無い小剣を【王子】に向けて詠唱を終えた瞬間冷気が迸り、地面を舐めるように燃えていた炎を鎮火しながら【王子】に迫り、その表皮さえも一瞬で凍り付かせた。先程まで赤々と煮え滾る様に脈動していた王子の皮膚が、冷え固められた溶岩の如く熱を失い動きを鈍らせる。そこにミルド・ハンマーによる連撃を加えて表皮を砕き剥がした【黒い鳥】はサポーターの男に向け再び叫んだ。

 

「【黄金の残光】!!」

 

 彼の声に応えて男が放り投げたのは抜き身の曲剣。その刃は黄金に輝き残像を残して宙を舞う。【黒い鳥】は誤れば自身を切り刻んだやも知れぬそれに一切臆する事も無く手を伸ばして掴み取ると、砕かれ露出した【王子】の皮膚に向けて輝く軌跡を残しながら飛び掛かって曲剣を振るい皮膚に深々とした裂傷を残した。

 

「どうだぁ!!」

 

 快哉の叫びを上げる【黒い鳥】。しかし、【王子】の傷口から溢れ出した赤く燃える血液は体外に出るとすぐさま冷え固まり、傷を塞ぐだけで無くその表皮さえも復元してしまう。

 

「マジかよ!? 悪辣(あくらぁつ)!!」

 

 叫ぶ【黒い鳥】に向けて【王子】が口から吐き出した炎から火球を即座に精製、恐るべき勢いで彼に向けて撃ち放つ。【黒い鳥】は即座に状況判断し回避を諦め、手にしたミルド・ハンマーを火球に向けて投げつけた。

 

 火球に長柄戦鎚が命中した瞬間、大爆発がルーム全域を襲った。

 

 燃え盛っていた木々や草花が衝撃で破壊され、【黒い鳥】も吹き飛ばされるがサポーターの男がそれを受け止めて灰の大地に滑りながら着地する。その周囲にラップ、フレーキが駆け寄って、咆哮して空に向けて炎を吐き、今までのそれとさえ比べ物にならない程に巨大な太陽じみた大火球を生み出し始めた【王子】に相対した。

 

「どうするフレーキ。生半可な武器じゃあ通じねえし、【残光】じゃあ塞がっちまって致命にならん…………使わせてくれねえかなあ」

 

 【黒い鳥】はちらと、口元を歪めながら自身の背――――未だに抜かれぬ、厳重に封じられた黒い大剣に目を向けた。

 

「…………致し方ないか」

 

 フレーキの短い返答に楽し気に笑い、【黒い鳥】は右腕に巻かれた帯を引き絞った。帯に込められた【神威(しんい)】によって彼の右腕に途方もない力が漲り、そしてそのまま、右手で黒い大剣を抜き放つ。

 

 それは、黒水晶の如き透き通る刀身を持つ細身の大剣。抜かれた瞬間、放つ圧によって周囲の灰を舞わせ、炎を撥ね退ける。さるドラゴンが僅かに残した稀少な素材の一つから、鍛冶師【エド】が偶然作り出してしまった一振り。

 

 ――――【黒竜】の大剣。銘を【闇屠り(ダークスレイヤー)】。【黒い鳥】が最も信を置く、迷宮都市で最も強大なる神域に至った武具。

 

「相棒、こっちも使え」

 

 サポーターの男が言って、背の背嚢から一振りの大剣を抜いて彼へと放り投げた。

 

 それもまた、黒い大剣。まるで何かから分かたれたかのごとき歪な形状を持ち、一種の魔力が充溢(じゅういつ)するその刀身は光を飲み込むかのように艶無く照らされている。【黒い鳥】がその持ち手を手にすると、剣はまるで彼自身に反応するかのように、満ち満ちた魔力を更に増して見せた。

 

「大盤振る舞いだな」

 

【黒い鳥】は二つの大剣を構えて、咆哮する【王子】に相対した。仲間達と共に、強大なる怪物に挑む。それは一見英雄譚の一節の如き光景であった。だが、その実、これから行われるのがただの蹂躙である事を知るのは、【黒い鳥】と共に在る仲間達だけであった。

 

 

 

 

 

 その頃。ルームに残された極彩色の魔石のモンスターの灰によって構成された小高いと形容できるほどに積み重なった灰の山の一つが、人知れず燃え始めた。そこから発せられる焔は周囲のそれ同様の紅蓮では無い。漆黒。物理的な重みを持つ黒い炎が轟々と燃え盛り、そして特に強く炎が生まれ出でた山の頂上で燃え盛る黒炎の中から、まるで引きずり出されるかのように人影が現れた。

 

 襤褸(ぼろ)の様なみすぼらしいローブを身に着けフードを目深に被ったその姿は、一見頼りなき影のよう。僅かに除く口元は老いさらばえた老人か、あるいは遥かな時間を経た大樹の肌の様にしわがれている。しかし、その周囲には黒い炎がまるで従者の如く渦巻き、異常としか言いようの無いほどの破格の魔力を覆い隠している。

 

 追随するように黒炎の内より現れた木の根にゆっくりと腰掛け、影は【黒い鳥】らと【王子】による眼下の激闘を見据える。そのフードの奥に隠された瞳は、身に宿す絶大な力や妄執を暗に示すかのように、赤く赤く輝いていた。

 

 

 

 





前話分で不足したフロム性の補填回です。
多分今後も幕間はフロムマシマシになりそう。

いろいろと物騒な現在ですが、家で大人しくエルデンリングの新情報とアーマードコアの情報が来ることを常に願っております。

次回からは地上でのルドたちの動向がしばらく続くかと思います。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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