月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:くらうぇい

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神会、25000字くらい。ルドの出番は少なめでフロム要素も少ないです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告いつもありがとうございます。
お陰様で40万UA、4000お気に入り到達しました。
本当にあり難いです。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


28:【神会】

 

 ――――ある朝、女神エリスが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのよこの小棚の上で自分の姿が一匹の、30C(セルチ)はあろうかというとてつもなく大きなナメクジに変わってしまっているのに気が付いた。

 

(………………何で!?)

 

 慌てて頭を持ち上げ自身を見やると、広げられた足でべたりと棚の上に湿っぽく張り付く、青白い、何処か(おぼろ)にさえ見える体色をした己の体が目に入った。本来の自分同様に惰眠(だみん)(むさぼ)っていたらしきナメクジ――――ルドウイークが<精霊>と呼ぶ、<ヤーナム>から持ち込まれた謎の生物――――になった事を受け入れがたくも理解した私は、隣に置かれたままの大事な眼鏡を一度横目に見て、その大きさに驚きながらも必死に首を巡らせ、部屋の中を見渡す。

 

 ルドウイークが来る以前よりは多少清潔になった、私の部屋。

 

 十年近く交換されていなかったカーテンは彼の稼ぎを元手に安いが新しいものと交換されている。以前、エリクサーを用意するのにお金を節約していたために少し傾いた椅子や傷の付いた床はまだそのままだが、ルドウイークの稼ぎがあればその内新しいものと交換できるだろう。

 

(……って、いやいやそんなこと考えてる場合じゃないでしょ!!!)

 

 ナメクジ故に、声を上げられぬまま私は叫んだ。それよりも今は、何故私はナメクジになっているのか、何が私の身に起こっているのか、一体どうやったら元に戻れるのか。その事の方が大切だ。私は半ばパニックに陥ったまま体をうねらせ、棚の際に這って行って、何か手掛かりはないかと自身が本来眠っているべき場所を目にしようとする。

 

 

 

 そこには、自分の良く知る私自身が、穏やかに寝息を立てていた。

 

 

 

(……………………は!?)

 

 私は驚きに目を――――今は触覚だけど――――丸くして、眠る自分をまじまじと見つめた。

 

 流れる金色の長髪。朝日を受け白く輝く肌。女神特有の(きず)の無い美貌。これで髪を結び眼鏡をかければ、いつも通りの私になる。

 

 それは、あってはならない事だ。

 

 私が、エリスだ。じゃあ今目の前で寝ているのは誰だ、と言う話になる。考えられる可能性としては――――

 

(もしかして……入れ替わってるとか!?)

 

 私は考えうる限りの最悪の想像をして、一人恐怖に打ち震えた。私がナメクジになっているのだ。ナメクジが私になっていても、意味は分からな過ぎるが不思議ではない。

 

 だが、それはあってはならない事だ。

 

 もし、このまま目の前の私が目を覚まして、そのままずるずると床を這いずりだしたりしたら。そんな明らかに様子のおかしい私を、ルドウイークに見られでもしたら…………。

 

(私の威厳が消し飛んでしまう!!!!)

 

 そうなれば、ルドウイークは驚愕し、動転し、失望するかもしれない。<ヤーナム>に戻る方法が見つかった時、あっさりと私の元を去ってしまうかもしれない。それは嫌だ。彼には、まだ私の元に居てほしい。手放したくない。ルドウイークと言う男を。今の、お金やら仕事やらに追われながらも、どこか穏やかな生活を。

 

 それに、やりたい事もある。成したい事もある。【エリス・ファミリア】の再興。そして、私の大事な家族を奪ったあいつらへの、仕返し(ふくしゅう)

 

 ファミリアの再興は、ルドウイークの協力があればいずれはきっと成せるだろう。彼には、それだけの力がある。

 その力を私が上手い事使ってエリス・ファミリアの名声を伸ばし、新入団員を受け入れ、最終的には嘗ての時代の様にぐーたらで左団扇(ひだりうちわ)な悠々自適生活を送ってみせる。でも【止り木】での仕事も何だかんだ気に入っているし、今ほどの出勤頻度を保つつもりはないが、去るつもりもない。今と昔のいいとこどりをするのが、現在の私の第一目標だ。

 

 その為にも、ルドウイークをどうにか引き留める方法を考えないと。

 

 <ヤーナム>への帰還という命題を彼が掲げる以上、放っておけば彼は私の元から去ってしまうだろう。それは嫌だ。いろいろ嫌だ。私の描く未来の青写真に、彼は居なければならない存在なのだ。だから、私は彼の弱みを握ろうだとか、彼が好みそうな物を見せてあげたりだとか、いろいろ試してみてはいる…………今の所、どれも手応えはないけれど。

 

 そして、第二目標である仕返しの方なのだが…………正直、こっちはお先真っ暗だ。私が仕返ししたい相手は、いずれも消息を絶っている。

 

 まず十五年前。【黒竜】に挑むために私の子供たちを借りておいて、自分の眷属もろともに全滅させやがった【ゼウス】はもうこのオラリオには居ない。同時期にオラリオを去った【ヘラ】共々【天界(うえ)】に戻っているかもしれないが、今はファミリアの再興を目指している以上追いかけて行くわけにもいかない。正直気が済むまで土下座させてやりたい所だけど、情報も無く彼についてはもう半ば諦めている。

 

 次に十年前。私達の【本拠(ホーム)】を戦闘に巻き込んで半壊させて、この家に移る決定打(きっかけ)をくれやがった【古き王】。あいつも行方は(よう)として知れないが、あれ程の悪名をオラリオ内外に轟かせた男だ。同じように争いを幾度か巻き起こした経験のある不和の女神としての勘が、奴はまだこの街のどこかにいると告げている。絶対に見つけ出して、本気で後悔させてやるつもりだ。

 

 そして五年前。私が一番可愛がった眷族を騒動に巻き込んで死なせたあのエルフも、やはり消息不明。一時は他の冒険者達にも追われていたが、今や懸賞金も取り下げられ、死亡説すら出ている状態だ。あまりにもやりすぎた【古き王】と違って、オラリオに貢献してきた実績を持つファミリアに在籍していた彼女の名が【要注意人物一覧(ブラックリスト)】から消えるのは正直時間の問題だろう。

 

 まぁ、他の奴らと違って彼女についてはいろいろと思う所があるのだが。

 

(………………でもなんか、ムカムカしてきましたね)

 

 嫌な事を思い出したら、どうにも腹の底から熱いものがふつふつと沸き上がるような心持になった。私はぶるぶると顔を振って――――余波で全身もぶるぶると震わせて――――改めてこの状況を打開する策を考えようとする。

 

 だが、天界でも屈指の知性を持つと自認している明晰(めいせき)な私の頭脳が答えを弾き出すよりも大分早く、目の前で眠っていた【エリス】が、眠たげに(まぶた)を開いた。

 

(あっ!?)

 

 驚きに、()()()()は身を震わせた。そして、柔らかな身を硬直させて()()()の出方を目を皿にして伺う。その視線の先でエリスは身を起こして欠伸をすると、ベッドからのそりと降りてナメクジの横にあった眼鏡を無造作に手に取って、クローゼットから普段のケープと服を取り出して椅子の背にかけ、そして寝間着を脱ぎ出した。

 

 それは普段のエリスと何ら変わらぬ動きだった。雑に脱いだ寝間着をベッドに放り捨て、肌着を着て、スカートを履き、上着を着て、ケープを纏い、髪を結んで、眼鏡をかける。

 

 いつも通りの姿になったエリスはふと、視線を壁にかけられた日付表に向けた。今日の日付には、良く目立つ赤いインクで(しるし)が付けられている。彼女の視線を追ったナメクジは、ふと今日が何の日かに思い至って青白い体を青褪めさせた。

 

 反射的に視線を向けた机の上には、封筒に入った二枚の紙きれ。それは今日使うためのもので。

 

(いや待て、待って、ちょっと、やめてよ……お願いだから)

「失礼する」

 

 部屋のドアがノックも無く開けられ、ナメクジは反射的にそちらへと振り向いた。ルドウイーク。ナメクジは、この後彼が取る行動を想像して絶望的な気持ちになった。ルドウイークは優しげな笑顔をエリスに向ける。

 

「寝ているのかと思ったよ、エリス。準備が出来ているなら、もう出よう」

「……そうですね」

 

 どこかぼうっとした目で答えたエリスが、片手をルドウイークに差し出した。彼はそれを取って、彼女を引いて歩き出す。部屋から出て行く。ナメクジは置いて行かれる。彼女はそれを許せなくて、我慢も出来なかった。

 

(待って。そこにいるべきは違う。私。ルドウイーク、どうして。待ってってば…………)

 

 

 

「――――待ってくださいよぉ!!!!!」

 

 

 

 叫んだエリスはベッドから身を起こして、荒い息を吐きながら自分の手を見つめた。

 

「う゛っ……」

 

 彼女は寝起きの自身を苛む頭痛に顔を(しか)めて片手で額を抑え、ぴちゃぴちゃと脳裏に響く水の音を振り払う様にぎこちなく笑った。

 

「夢、夢……ははっ、ははは………………」

 

 乾いた笑いを(こぼ)し、エリスは安堵と共に『よかった』と溜息を吐く。

 

 酷い夢だった。日付表に視線をやれば、徴がついている日は【神会(デナトゥス)】の後、まだ数日先だ。彼に手を引かれるべきは、自分なのだ。

 

 人知れず、頭痛を(こら)えながら口元を歪めたエリス。しかし、その耳に勢い良く階段を駆け上がってくる音が聞こえてくると、彼女は一呼吸して表情を普段通りのものに戻した。間髪入れず、足音の主が彼女の部屋のドアを突き破らん勢いで押し開き、焦りに満ちた顔で叫ぶ。

 

「どうしたエリス神!? 何があった!?」

 

 部屋のドアを開け放ったまま肩で息をしてこちらを見つめてくるルドウイーク。外套も、装備も身に着けていない最近ようやく見慣れて来た日常の姿。それを見てどうにも安堵したエリスは、頭痛に(さいな)まれている事など微塵(みじん)も感じさせないような素振りで何でもないかのように笑った。

 

「あ、いえ、あはは……寝言です、寝言。たまにあるんですよねぇ、ビックリする夢見たりとか……」

「…………勘弁してくれ。心臓に悪い」

「はは……すいません」

 

 呆れたように安堵して溜息を吐くルドウイークに苦笑いを返して、エリスはまたベッドに背を預ける。それを見た彼は少し疲れたように眉間を揉み(ほぐ)し、それから一つ思い出したように口を開いた。

 

「まったく…………ああそうだ、これから私は【ギルド】に用事があるから、少し外に出るよ」

「えっ? また何かあったんですか?」

「あったと言うか、終わって無かったというべきだな。ミノタウロスの分布再調査が昨日まであったろう? その結果の事情聴取だ」

 

 頭痛に苛まれているかのように、自身の側頭部を抑えながらルドウイークは言った。実際、彼は三日前のミノタウロス騒動からベルとリリを連れて帰還して以来、余り休息を取れてはいない。

 

 あの日、ダンジョンから帰還したルドウイークはまずベルとリリを摩天楼(バベル)に常駐している【治療師(ヒーラー)】達に任せ、すぐにギルドへと向かいミノタウルスの撃破、そして7階層に出現した未知の怪物についての情報を報告した。

 するとギルドは彼によってもたらされた情報に再び修羅場と化し、ルドウイークもまた当事者の一人として夜遅くまで拘束され、あの仮面の女冒険者の名前を聞く余裕も無く這う這うの体で本拠(ホーム)へと戻る事になったのだ。

 

 次の日には、ギルドの主導でミノタウロスの分布再調査が行われた。一月前の騒動はロキ・ファミリアの期間中に起きた事故と言う扱いであり、経緯もはっきりしていたためにほぼ沈静化していたが、またしても上層にミノタウロスが現れた上理由も定かではないとなってはかの雄牛に太刀打ちできぬレベル1の冒険者達にとっては一笑に付すなど到底出来ない事態であり、彼らからの猛抗議がある事を見越したギルドは早目に先手を打ったのだ。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の人員を借り受けて行われた調査であったため、ルドウイークは【月光】について知ると思われる【バンホルト】と対面出来はしないかとの期待もあって初日の調査に同行したが、彼は別件の対処の為に調査隊には組み込まれてはおらず、ルドウイークも割り切って調査の方に集中した。

 

 結果として、ミノタウロスの痕跡は見つからなかった。だが、ギルドは念のためしばらくの間レベル2以上の上級冒険者を含まないパーティの9層以下への立ち入りを制限する発表を行い、定期的に上級冒険者に巡回の【冒険者依頼(クエスト)】を提示する事としている。

 

 そのまた次の日は、ルドウイークらが遭遇した未確認のモンスターについての聴取が主となった。実際、証言から判明した事は外見とその戦闘能力位であったものの、朝から夕方まで聴取に当たったニールセンはひとまずそれで良しとし、今後はギルドからまた新たに注意情報が冒険者達へと開示される運びになるとの事だった。

 

「…………大変ですねぇ」

 

 ルドウイークの説明に、ベッドから身を起こして話を聞いていたエリスは他人事のように言う。実際、神である彼女としては『ギルドは頑張ってるなぁ』くらいの気持ちであるのだが、ルドウイークは彼女の言葉を好意的に受け止めて同意するように肩を(すく)めた。

 

「全くだよ。私はともかく、ニールセンも日に日に顔色が悪くなっていてな……少々心配だよ」

「えっ、あの仕事が恋人のニールセンがですか?」

「ああ。この所は随分と立て込んでいるようだからな…………それで今日は、何か差し入れでも持っていこうと考えてはいる」

 

 彼の言葉に、エリスはしばらく考え込む仕草を見せる。彼女の頭の中で、今までニールセンに手痛い扱いを受けた記憶が凄まじい速度で想起された。

 昔雑な申請をした事で説教された事、【鴉の止り木】にやってきた彼女に嫌がらせかのように注文を繰り返された事、ルドウイークを初めてギルドに連れて行った時、嫌な形で恩を売られた事…………。

 

 彼女はその記憶によって極めて神らしいひねくれた根性を発揮し弱ったニールセンを一目見ておきたいと考えると、自身の返答を待っていたルドウイークに向けて出来るだけ自然に見えるような建前を素早く思案して、提案した。

 

「それじゃあ、私もギルドについていきます! ニールセンにはいつもお世話になってますし!!」

「そうかね? 私は構わないが……」

「差し入れにも心当たりあります! いいお店知ってるんですよ!」

「成程。確かに、それについては付き合いの長い貴女に頼んだ方が良さそうだ」

「ですよね! じゃあ、着替えるんで下で待っててください! すぐ行きますので!」

「了解。では、私も下で準備しているよ」

 

 まるで気遣うようなフリをしたエリスの迫真の演技に、そういう素質の無いルドウイークはあっさり騙されて部屋を後にした。ちょろいな、とエリスはあくどい笑みを浮かべると、部屋の壁にかかっている日程表に目をやった。

 

 記されたメモが示すのは、今日は【神会(デナトゥス)】の当日と言う事実。この(もよお)しによって、ルドウイークの【二つ名】がついに決定される。随分と長かったな、などと彼女は思うが、同時にある程度の安心感があった。

 

 今日の神会ではあるが、司会進行を担当するのは【ロキ】だ。彼女とはもう打ち合わせを済ませており、如何なる名前となるかはいくつかの候補が彼女から挙げられ、そこから一つを選択済みだ。既に、『ルドウイークに地味で無難な二つ名を与える』エリスの作戦は、ほぼ成功していると言っていいだろう。

 

 その開催自体は昼から。遅刻が許されない訳では無いが、遅れればまず間違いなく笑われる。本当に神々は性格が悪いだなどと、エリスは自分を棚に上げて忌々しく思った。

 

 しかし、今からギルドに行けば弱ったニールセンを堪能(たんのう)してからでもギリギリ間に合う。故に、エリスはにたりと口元を歪めてこの後の展開に期待を込めて笑うと、気持ちを切り替えて、早々に準備を終えるべくまずは普段からかけている度の入っていない眼鏡を取ろうとした。

 

 ぐじゅり。

 

 その手は眼鏡の蔓の硬い感触ではなく、ぬるりとした、冷え冷えとした柔らかい感触を感じ取った。

 

「え?」

 

 エリスは反射的にそちらへと目をやり、そして硬直する。

 

 そこにいたのは、ナメクジだった。眼鏡の隣で丸まって眠っていた<精霊(ナメクジ)>の脇腹に眼鏡を摘み取ろうとした自身の指が突き刺さっている。ナメクジはうっとおしそうに頭を持ち上げて、エリスを睨みつけた。

 

 エリスは、しばらくショックで硬直していた。脳内では先ほどの嫌な音と指から伝わる感触を只管に反復している。そして彼女は、硬直したまま指を戻して己の掌をまじまじと見つめた。広げられた指の間に糸を引く、ナメクジの粘液。それを認識した瞬間、彼女の表情は目まぐるしく変化して――――

 

「いゃああああああああ――――っ!!!!!」

 

 ――――エリスは盛大に情けない悲鳴を上げ、そのせいでルドウイークは階段を降りきった所でとんぼ返りする羽目になるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「うげーっ……なんか、なんか指先がまだべとつくんですけど……」

「それはあるまい。何せ、私をあれだけ井戸まで走らせたのだからな」

「いやだって! 落ちないあのベトベトが悪いんですよ!! あーまだヌルヌルするし……ニールセンの顔拝みに行く時間もないし……最悪だ…………」

「彼女への土産を買ったら、すぐにでも摩天楼(バベル)に向かうべきだ。それでも間に合うかは怪しいが」

「分かってますよ……」

 

 沈んだ表情でぶつぶつと呟くエリスと共に、ルドウイークは一路ギルドへの道を歩んでいた。かのミノタウロス騒動から三日が経過しているが、街の様子は妙に行き交う馬車を除いて特に変わったようには見えない。

 

 それも当然だ。オラリオには数多の冒険者が住んではいるが、それ以外の俗に市民と一括りにされる非戦闘員たちも居住している。このオラリオの名産品である魔石製品を加工する職人達や、冒険者達を相手にする商いを行う者達。当然、その他の職についている者達や【ダイダロス通り】のような貧民街に住む者たちも居る。

 

 ダンジョンに潜る事の無い彼らにとっては、当事者である冒険者らほど深刻に考える事では無いのだろう。むしろ、この騒動で最も浮足立っているのはやはりレベル1の下級冒険者達だ。

 

 ルドウイークはヤーナムで生きている間、自立した以降金に困窮(こんきゅう)する事は無かったが、このオラリオに来て金と言う物の重みをそれなりに味わった自覚がある。だが、彼自身に十分過ぎるほどの力があったから良かったものの、もしも無力な冒険者であればどうなっていたか。

 

 それこそ、身を()()()ていたに違いない。

 

 嘗て、市井に紛れ<獣の病>の兆候を探った友の姿を思い出しながら、ルドウイークは少し悲しげに笑みを浮かべた。必要に迫られて得た狩人としての力、あの頃から培ってきた物で、今こうして何とか身を繋いでいる。

 

 巡り合わせとは分からぬものだと、彼は何となしに空を見上げた。今日も雲が早い。こうしている間にも、世界は回っているのだろう。ルドウイークはこの平穏が崩れ去る事が無いように小さく願い、隣を歩く恩神に一度目をやって、未だに自身の指先を気にする彼女の姿に小さく笑いを零した後、すぐに別の思案に戻っていく。

 

 彼が今気になっている事は、いくつかあった、特に案じているのは、先日ミノタウロスと戦い満身創痍となりながらもそれを打ち破って見せたベル・クラネル。何故彼はレベル1でありながらミノタウロスを打ち破れたのか。ルドウイークは少し思案した。

 

 ……クラネル少年の努力が、ミノタウロスを上回ったのだろうな。

 

 それがどれだけの偉業かも知らず、オラリオにおけるレベル差によって生まれる絶対的な差にも疎いルドウイークはすぐに結論付けて思考を打ち切った。彼にとって、それよりもずっと気になる事が脳裏に浮かんだからである。ルドウイークは隣を歩くエリスの顔色をちらと伺うと、今なら問題ないと判断して一つの質問を投げた。

 

「そう言えば、エリス神」

「何ですか?」

「今日は……まぁ、向こうも分かっているだろうが、ちゃんと【止り木】には連絡を入れてあるのかね?」

 

 ルドウイークはそう、訝し気な表情を浮かべながらに尋ねた。以前も別の用事(ロキとの対談)にかまけて連絡を(おこた)り、結果として(【黒い鳥】がサボったせいではあるが)自身まで働かされる事になった経験が彼を危惧させたのだ。しかし、エリスはそれをルドウイークに侮られたのだと解釈し、少々苛立ちながら腕を組んで彼の前に立ち塞がった。

 

「何ですかその私がそう言う事忘れるうっかりさんみたいな言い方は……昨日貴方が家に居ない時にマギーが来て、その時にちゃんと話してありますよっ!!」

「……ならいいんだが」

「全く不敬な……あ、そうだ。あの店なんですけど、一ついいですか?」

「何かね?」

「実はですね、あの店またしばらく休業するらしいんですよ」

「……またか? 大丈夫なのかね?」

 

 ルドウイークは本気で心配そうな表情を浮かべ、エリスの眼をじっと見つめる。前回の休業の際にはルドウイーク自身の18層への挑戦、そしてリヴィラで起きた一連の騒動が絡んだとはいえ、彼女は収入を失った事により目も当てられない精神状態に陥った過去がある以上、その心配は(もっと)もな物だ。

 

 しかし、心配無用とエリスは胸を張って笑う。その胸は標準的であった。

 

「今回はだいじょぶです。補填のお金もちゃんと貰いましたし」

「問題が無いなら良いのだが。休業の間どうするかは決めてあるのかね?」

「やっぱここは一つ、ぐうたらします! いやだって、仕事忙しかったですし? 疲れてますしぃ? お金貰えて休みなら、する事は他にありませんもんねえ!」

「……………………」

「何ですかその目は」

 

 ぽかんとした、呆れ果てた顔で自身を見るルドウイークにエリスが眉間に皺を寄せて睨みを利かせると、彼はごまかすように視線を逸らしてそのまま彼女の脇を通り過ぎた。エリスは慌てて、その後を追う。

 

「ちょっと! 何とか言ったらどうですか!?」

「いや。無駄遣いだけは気を付けてくれよ。それ程の金銭的余裕は我々には無い」

「言われなくても解って……あっ、馬車来ますよルドウイーク! どきましょう!」

「ああ」

 

 道を行く人々に混じってエリスとルドウイークも脇に退いてからすぐ、ドワーフの御者が駆る四頭立ての、大層豪華な馬車が通りを厳かに通過して行った。その後姿を見送った人々が再び歩き出す中で、ルドウイークは馬車の向かった方向――――オラリオの中央に聳えたつ摩天楼(バベル)の威容を眺めながらに不思議そうに呟いた。

 

「今日は随分と馬車が多いな。普段運航しているものとも、また違うようだが」

「そりゃ、今日は神会(デナトゥス)ですからね」

 

 エリスはどこか得意そうに、疑問を呈したルドウイークに笑いかける。そして、聞かれても居ないのに自慢げな顔で先ほどの馬車についての説明を始めた。

 

「アレはまぁ、オラリオのどこかに本拠(ホーム)を構える神の自家用でしょうね。フツーの神様ってそんな歩きたがるのっていませんし、いちいち歩いて神会に向かうのはよほど摩天楼(バベル)の傍に住んでる神か……」

「我々の様に金銭的余裕の無いファミリアの主神ぐらいと言う事か」

「…………まあそうなんですけど、言葉にされるとグサッと! こうグサッと来ますね」

「すまん」

 

 自身の無遠慮な返答がエリスの精神にダメージを与えたと彼女の言葉から理解して、ルドウイークは大真面目に頭を下げる。それを見て、エリスは自身の嗜虐心(しぎゃくしん)が満たされ背筋にぞくりとしたものが走るのを感じたが、そんな事などおくびにも出さず、苦笑いしながら彼を励まそうとした。

 

「そうお気になさらず! ルドウイークは実際良くやってくれてますよ。これから節約したり仕事したり頑張って……あっ! ちょっとおはぎ買ってきます!」

 

 しかし、彼女は最初ルドウイークの事を励まそうとはしたものの、路地から出て来た『おはぎ』『おいしい』と共用語(コイネー)で書かれた旗を背負った男と(かご)を背負った少年を見つけるとそちらに向け身を(ひるがえ)し走りだそうとした。一方、ルドウイークは先ほどの節約発言の舌の根も乾かぬうちに真逆の行動を取ろうとした彼女に驚き、引き留めようと声を上げる。

 

「いやいや待てエリス神、今言った事とやっている事が違うぞ!?」

「違いませんって! これはニールセンへのお土産ですよ、そういう話だったじゃないですか! まったく、ルドウイークもうっかりさんですねぇ」

「………………なら、いいのだが」

「あっそうだ、良ければルドウイークも食べます? 多く買うとその分お得ですし」

「折角だが遠慮しよう」

「えーっ、おいしいのに……まぁ行ってきますから、そこで待っててくださいね!」

 

 そう言い残し、彼女は軽い足取りでおはぎ売りの元へと駆けて行ってしまった。ルドウイークは溜息を吐き、道の脇に寄りながら談笑するエリスとおはぎ売りの姿を眺めている。

 楽しげに笑い、かと思えばおはぎの値段と自身の財布の中身を天秤(てんびん)にかけて神妙な顔で唸りを上げるエリス。対して表情を変えぬ、若さと老いが同居したような左義手の男と、まるで神めいて(しつら)えられたかような、一見少女とも見まごうような美しさを持つ小柄な少年の二人組。

 

 彼らにも、ここに来た経緯やら、目的やらがあるのだろうな。

 

 どこか、今まで切り抜けてきた困難の重みを感じさせる二人組に何か得も言われぬものを感じてルドウイークは目を細めていた。そうしている内にエリスは買い物を終えた様で、小さい物と大きい物、二つの袋を持ってルドウイークの元へと戻ってくる。そして大きい袋を彼に手渡し、自分は小さい袋の中に手を突っ込んで、そこから一つの包みを取り出してルドウイークに差し出した。

 

「はいルドウイーク! これ、貴方の分です。どうぞ!」

「……遠慮したはずだが?」

「一度食べてみればわかりますって! では私はこのまま摩天楼(バベル)に行きますのでニールセンによろしく言っといてください! それじゃ!」

「……ああ。二つ名とやらの件、よろしく頼む」

「お任せあれ! ではでは!」

 

 エリスはルドウイークがおはぎを受け取ったのを確認すると、そのまま中央広場(セントラルパーク)方面、摩天楼(バベル)に向けて駆け出し、一度そこで足を止めて彼に手を振ると、再び駆け出してすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。

 

 残されたルドウイークは手にしたおはぎを困り顔で見つめると、まだその場を離れていないおはぎ屋の二人に視線を戻した。彼らは既に別の客――――髪の長い少女と画材道具を背負った赤装束の老人に対応しているようだった。

 少年と少女が楽しげに、しかしどこか照れくさそうに言葉を交わし、和やかな雰囲気を滲ませているのに対して、左義手の男と赤装束の老人は何か互いに思う所があったのか、厳めしい顔で視線をぶつけ合っている。

 

 それを見てルドウイークはなんとなく微笑ましいような気持ちになった後、エリスから渡された包みを開き中のおはぎに(かじ)りつき、複雑な表情を浮かべて飲み込んでから、手に持ったそれに目をやった。

 

「…………やはり、良く分からんな」

 

 小さく、誰にともなく呟いておはぎを平らげたルドウイークは、包み紙を外套の雑嚢の一つに突っ込むと、ギルドを目指し人混みの間をすり抜けて歩き始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【摩天楼(バベル)】、地上三十階。壁を取り払われ、一部屋一フロアとされたこの階層。ガラス張りになった壁から差し込む陽光に照らされる室内には、今三十を超す数の神々が集い、三月(みつき)に一度の【神会(デナトゥス)】が始まるまでの時間を自由に過ごしていた。

 

 初めは、安定した生活を手に入れ暇を持て余した神々の寄り合い所帯、同郷の者の集まりであったこの催しは、時代を経るにつれて神々が一所(ひとところ)に集まると言う性質から情報の共有や幾つかの取引、今となってはギルドと連携した冒険者の『二つ名』の決定などを行うようになり、下界(した)(まつりごと)を子供たちに丸投げしている神々には珍しく実際にオラリオの都市運営に対して一定の発言力を持つ場となったのだ。

 

 この場にいるのは、いずれもオラリオにおいて有力な神々――――【神の恩恵(ファルナ)】を受けた中でも、偉業を成して自らの器を昇華させ、【ランクアップ】するに至った実力者を要するファミリアの主神である。だがその中でも、それぞれの神々の立ち振る舞いには差異がある。有力な冒険者を多く抱える大ファミリアの主神などは我が家にでも居るかのようにリラックスしているが、この会への参加経験が少ない、あるいは初めての神などは他の神に侮られぬように必死であり、既に席について肩肘を張り、緊張の色を隠せぬ者もいる。

 

 それも仕方のない事だ。まだ確固たる勢力を持たぬ神々にとっては、この場は既に大きな力を振るうに足る先達の神達との邂逅(かいこう)の場でもあり、下手をすれば大ファミリアを率いる実力者に睨まれ、勝ち目のないファミリア間抗争――――【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】を仕掛けられる事にもなりかねない。

 

 実際にそれ程の事態に至った事は滅多に無い。だが、無かった訳では無い。故に、緊張する者が居るのも当然の事なのだ。

 

 

 

 …………しかし、まだ開会の時間には至っていない今は、一部の緊張した神を除き、嘗て神会(デナトゥス)が始まった頃の様にそれぞれの神が近しい者同士で寄り集まり、奔放に雑談を行うばかりであった。

 

「今回は去年のどの神会(デナトゥス)よりも【ランクアップ】した子が多いんだって?」

「豊作じゃん。なんかあったか?」

「うるせ~、しらね~。でも最近ロクな事ねえからな。ミノタウロス騒動とか」

「マジでなー、俺んとこもレベル1の眷族(子供)たちがビビっちゃってまいったぜ。でも【ギルド】が七転八倒してんのは超ウケるけど! ザマを見ろって感じ!」

「完全に同意。あそこはいつもあーだこーだうっせんだよ」

「なー」

 

「……そういえば【ガネーシャ】、あの【ローディー】が復帰したって本当なの? 団長を【シャクティ】に引き継いでから割と経ってたでしょ」

「初耳っすなあ。ガネーシャ、マジなん?」

「俺がガネーシャだが、事実だ! 今後は相談役としてウチの運営に関わってもらうつもりだが、本人は現場復帰を希望している! 俺もその意志を汲みたいと思っている所だ!」

「また凄いのが戻ってきたわね。ウチの幹部連中にも気合入れ直すよう言っとかなきゃ!」

「程々にしとけな、【アテナ】よぉ」

 

「【フレイヤ】、自分今回はランクアップした子おらんかったやろ。なんで来とるん?」

「それを言ったら、【ヘファイストス】なんかもそうでしょ【ロキ】。まぁ、半分は暇つぶしね。あんまり自室にこもっていても健康にも美容にも悪いから」

「ふーん。ま、別に構へんけど……何やおかしな事考えてへんやろな?」

「おかしな事? そうねえ………………レベルを上げた中に、可愛い子でも居ればいいのだけれど」

「自分、そういうんはホンマに程々にしとき。ギルドにも随分睨まれてるやろ」

「あらロキ、心配してくれてるの?」

「そう言うんやないんやけどな……」

 

「…………で。【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】が前【箱舟】で密会してたってマジなの?」

「見ちゃったのです。こそこそ店に入って、しばらくしてウキウキ気分で店から出て来る【黒い鳥】と時間を置いて店から出る【猛者(おうじゃ)】を目撃したのです。めちゃ怪しいのです」

「あー、つまり、こう言う事かな。【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】がデキてるって?」

「いや【黒い鳥】の本命はどう考えても【青木蓮(ブルー・マグノリア)】だろ。何で【猛者(おうじゃ)】とそうなるんだよ」

「いーじゃん別に。それよりさ、【黒い鳥】と【猛者(おうじゃ)】、どっちが右でどっちが左?」

「前後の左右の話は抗争になるからやめようよ」

「でも気になるですね」

「いやいや、ウチの情報によれば【黒い鳥】は【ゴブニュ】に所属してる【エド】って奴のとこに通い詰めてるらしいよ」

「じゃあ何? 恋の三角関係? やば、やば、わかんないね……」

「いやだから【黒い鳥】の本命は――――」

 

 

 それぞれのファミリアの近況やらゴシップやらで各々好き勝手に盛り上がる神々達。そこにまた一柱、新たなる神が入場して来た。幾柱かの神はちらとそちらを確認したが、すぐに興味を失ったように話へと戻ってゆく。しかし神会に参加して長い幾つかの神は、久方ぶりにこの場に現れたその女神に驚いたような視線を向け、そんな彼女に視線を向けていた神の内、一柱の男神が悠々と彼女に近づいて挨拶をした。

 

「やあ、エリス。久しいな。君が【神会】に顔を出すのはいつぶりだ? 同郷の神として、元気そうで安心したよ」

 

 若々しい美貌を(たた)え、世の女性たちが放っておかないであろう爽やかな笑みを浮かべたその男神は、友人に対するようにどこか不機嫌そうな女神に話を振る。対して、それを目を細めて聞いていたエリスは、しばらく何と答えるべきかを思案し……その内、まるで喜ばしいかのようなフリをして彼の言葉に応じる事にした。

 

「おっと、これはこれは懐かしい顔! どーも、お久しぶりですねえ【バッカス】! 元気してましたか【バッカス】!? 最近どうですか【バッカス】!!!」

「ああ、最近はファミリア内の空気があまり良くなくて……じゃない! 俺は【ディオニュソス】だ!! ワザとやってるだろうエリス!?」

 

 満面の笑みで他神(たにん)の名を連呼するエリスに対して、男神――――【ディオニュソス】は、一瞬素直に答えながらもすぐにエリスの失礼に憤慨(ふんがい)したように声を荒げた。しかし、対するエリスは笑顔の仮面を放り捨て、彼以上に苛立ちを露わにして詰め寄り、下から見上げて睨みつける。

 

「はぁ~? 知りませんし?? ロキといい、天界(うえ)で私なんか目じゃない問題神物(じんぶつ)だったのが下界に降りてきて性格変わって真っ当に善神(ぜんにん)やってると思うとなんか納得いかないだけですしぃ???」

「そういう君は相変わらず性格が悪いな! そんなんだから5年近く団員ゼロなんじゃ……」

「それ以上言ったらマジで怒りますよ」

 

 自身の逆鱗に触れる言葉に、エリスは射殺さんばかりの視線で以ってディオニュソスを睨みつけた。それは本当に彼女にとって触れられたくない事だったからだ。かつて団員を失った後、必死に勧誘を行うも全く手応えが無く、孤独に過ごし続けた日々。そんな日々の鬱屈を上乗せしたかのような殺気にディオニュソスは気圧されるように一歩退いて、しどろもどろになりながらも話題を変えようと、努めて明るく笑って見せた。

 

「いや、ハハハ……ああそうだ! 君がここに居るという事は、誰か有望な新入団員が入ったのか? そうでなきゃわざわざ来ないだろ?」

「ん…………ええまぁ、凄い子がファミリアに入ってくれましたので。直ぐ貴方のファミリアなんか追い抜いちゃいますよ」

「そうは言っても、15年前までは君の方が大きいファミリアを率いていたけどな」

「うっさいですね……すぐにまた貴方の所より大きなファミリアに戻しますから!」

「ああ、応援してるよ」

「貴方にだけはされたくないですね! 失礼します!」

 

 理不尽に機嫌を悪くして、エリスは苦笑いを浮かべるディオニュソスを押しのけてフロアの中心に置かれた円卓へと向かう。

 

 が、すぐにエリスは立ち止まった。またしても彼女の前に一柱の神が立ち塞がったからだ。

 

 先程のディオニュソスと違うのは、今度彼女と相対したのは女神であり、大層苛立ちに満ちていて、エリスは完全にその威圧感に委縮していることだろう。その女神は切れ足鋭い隻眼でエリスの顔を凝視すると、熱を持った感情を包み隠す事も無く口を開いた。

 

「久しぶり。よくもまぁのうのうと顔を出せたわね、エリス」

「へ、ヘ、【ヘファイストス】……!!」

 

 燃える炉の如き赤い髪と、右目を覆う眼帯、そして麗神(れいじん)と呼ぶに相応しい、薄手のシャツとスラックスを身に付けた男装の美貌。オラリオ最大の鍛冶ファミリア【ヘファイストス・ファミリア】の主神において、かつてエリスが騒動を起こすのに使った【黄金の果実】の制作者にして代金未払いの相手でもある【ヘファイストス】が、絶対に逃がさぬと言わんばかりの眼光で以って彼女を睨みつけていた。

 

 対するエリスは完全に気圧され、心当たりのありすぎる怒りに満ちた視線を向けてきたヘファイストスに、マギーの怒りを買った時同様思いっきり下手に出て頭を下げた。

 

「あ、えと、あの、おっ、お久しぶりです! ご機嫌いかがですか!?」

「最悪。仕事の代金踏み倒した奴が、こうしてひょっこり顔出してるんだから」

「ひぃっ!?」

 

 しかし彼女の姑息な努力も虚しく、ヘファイストスからの敵意ある視線が途絶える事は無い。エリスも聡明な頭脳で以ってその理由をはっきりと理解している。本神(ほんにん)が口にするとおり、数百万ヴァリスは下らない工芸品、黄金の果実の代金の未払い…………だけでは無い。

 

 エリスは彼女のファミリアの金銭面が数百万ヴァリスの金など程度大したものではないと言えるほどに潤沢である事を知っていたが、彼女は意外と金銭にこだわるタイプの神だ。職人の神として、制作物に対する正当なる対価には非常に重きを置くというのも知っていた。

 

 だがそれと同じくらい、彼女は神と神の間で交わした約束が破られ、それについて今まで一つの謝罪も無かったことにこそ怒っているのだ。確かにエリスは十年以上苦難の道を歩んできたが、彼女に頭を下げに行く時間が無かったかと問われれば答えは否であり、故に臆病なるエリスは彼女を避けて来た。

 

 しかし、事ここに至っては逃げも隠れも出来ぬ。追いつめられたエリスは、マギーを相手にそうなった時同様に一つの強硬策に打って出た。

 

「え、えっと……すみませんでした!!!!」

 

 平謝りである。それを見てヘファイストスはその端正な顔を歪めて訝しむ。その胸は豊満であったが、エリスは彼女の様子を確認する余裕も無く、ただただ弁明と謝罪を繰り返した。

 

「本当にごめんなさい! 当時は、ホントに突然お金が無くなって、ホントにどうしようもなかったんです!!! でもですね、今ようやく生活も安定し始めて、少しずつだけど余裕ができ始めてるんです! こうして神会(デナトゥス)に顔出したのだって、ヘファイストスにようやく顔見せられるくらいには戻ったかなと思ったからなんですよ!!!」

「本当なの、それ?」

「本当です!!!」

 

 嘘である。今回エリスがこの場に現れたのは、あくまでルドウイークの二つ名に対する干渉が目的だ。しかし、彼女は十年ほどの苦難の日々を経て、他人の機嫌を伺う洞察力やそれっぽく聞こえる言葉のチョイス、何よりも効果的な謝り方と言った処世術を身に付けて来た。

 

 神は人の嘘を見抜けても、神の嘘は見抜けない。実際に必死なのは間違いなく、謝罪自体には演技も無いと言うのが、オラリオ最高峰の鍛冶ファミリアを率い数多の交渉を経験してきたヘファイストスの眼を誤魔化そうとする。それに、エリスには知る由も無いことであったが、先日彼女の神友(しんゆう)とも言える竈の女神(ヘスティア)が、自身の眷属の為に彼女に頭を下げ続けた姿と良く似ていたのも功を奏した。

 

 しばらくエリスが捲し立てていれば、ヘファイストスは呆れ果てたように溜息を吐き、しかし今までエリスに向けていた剣呑な視線を引っ込めて頭を下げたままの彼女の肩を叩いた。

 

「……もういいわ。大体わかったから。あんたの苦労が他神(ひと)の要請に応じて戦力を貸し出した所から始まってるって知ってるし、それで問い詰めるほど私も趣味悪くないわ」

「えっ……そ、それじゃあ!」

「でも代金は払ってもらうし、今まで謝罪を先延ばしにしてきた事への誠意。それは見せてもらうから」

「えっ」

 

 諦めたようなヘファイストスの言葉に一瞬希望を見出しかけたエリスであったが、後に続いた彼女の決断的判断にサッと顔を青褪めさせる。ヘファイストスはそれをあえて無視して、端的に自身の要求を口にした。

 

「じゃあそうね…………あんたも働いてもらいましょうか、ウチで」

「え。働くって……貴女の所で?」

「そうよ。同郷のよしみもあるし、ちゃんと目の届く所に置いてあげるべきかと思って」

「いや、私他にも仕事があって、そっちでめちゃ忙しいんですけど…………」

「【ゴブニュ】から聞いたわよ。あのお店(【鴉の止り木】)、しばらく休みで再開する日も決まって無いそうじゃない」

「ぐはぁっ!?」

 

 【止り木】が休業中の間、悠々自適な時間を過ごそうと目論むエリスにとってヘファイストスの提案の皮を被った宣告は受け入れがたい物だったが、腕を組み、苛立ちを抑え込むかのように言うその言葉には彼女の反論を許す事の無い『圧』があった。

 

「丁度いいでしょ? 貴方は暇な時間で借金の返済が出来るし、私も誠意を見る機会が出来るし」

「あっはい、丁度いいです」

 

 ヘファイストスに言われるままの言葉を繰り返して、エリスは首を縦に振った。

 

 元々、彼女に選択権など無い。万が一ここでヘファイストスの機嫌を損ねでもすれば今後のファミリアの発展に関わる。彼女の眷族(子供)たちが生み出す強力な武器、堅牢なる防具。これからファミリアを発展させて行くにあたって、それらから得られるものは余りにも魅力的なのだ。

 

「決まりね。じゃ、そろそろ始まるから細かい話はまた今度しましょ。家行くから」

「あっはい」

 

 呆然とした顔で頷くばかりのエリスを放り置いてヘファイストスは円卓へと向かい、優雅な所作で席に付いた。エリスは魂を抜かれたような顔のまま、フラフラと歩いて空いている席に向かい、崩れ落ちるように席に付いた。その姿は幾人かの神の失笑を買ったが、それに噛み付くような余裕はエリスには無く、開会時間ギリギリになって会場へと滑り込んできたヘスティアの存在にも気付く事は無かった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 今回の神会(デナトゥス)は、司会進行役を務めたロキの手腕もあって、いつもと変わりなく順調に進行した。

 

 まず始まった恒例の情報(ネタの)交換では、酒神【ソーマ】が全霊をかけて製作している【神酒(ソーマ)】の作成にギルドからストップがかけられた件や、【アレス】が主神を務める【アレス・ファミリア】――――【ラキア王国】の不穏な兆候等が話題に挙げられた。

 それを神々は笑いながら、あるいは神妙な顔で無秩序に処理してゆく。まさに数多の神々が集う渾沌(カオス)の具現であるオラリオの中でも力を持つ神々の姿に相応しい物だっただろう。

 

 そして、それが終われば神々のお楽しみの時間――――【ランクアップ】した冒険者たちに『二つ名』を付ける、あるいは付け直す【命名式】の時間である。

 

 神会(デナトゥス)の常連である力ある神々が楽し気ににたりと笑い、緊張していた力なき神々がたらりと冷や汗を流す。この【命名式】は偉業を成した子供たちに相応しい異名を神が授けるという名目であるのだが、そこには問題点が存在する。

 

 超越存在(デウスデア)たる神達の感覚(センス)は子供たちのそれと同じではない。故に神々にとっては思わず笑ってしまうような酷い名前でも、子供たちにとっては誉れ高い物に感じる場合が多々存在するのだ。そして、意地の悪い神らしい神達は、自分たちによって付けられた『笑える二つ名』を自慢げに名乗る子供たちを見て、大笑いする。

 

 そしてその『名付け』は多くの場合、神会(デナトゥス)に参加して長い力ある神から、まだ経歴の浅い力なき神に対して行われる。言うなれば、新神(しんじん)虐めである。

 

 やめてくれと懇願する相手に対して、手酷い名前を以って返答とし、悶絶し崩れ落ちる姿を見て大笑いする力ある神達。一応、その(むご)さに目を背ける良識的な神達も存在するが、それで止まるような節度ある神など、このオラリオにおいては常に少数派(マイノリティ)だ。

 

 正にこの地上で現在進行形で形作られる、一つの【神話(笑えない話)】の形であった。エリスが今回ロキと交渉してまで手を回したのも、この様な神会(デナトゥス)の実情を知っての事である。最も、エリス本神(ほんにん)は開会の時から背もたれに寄り掛かり呆然自失としていたのだが。

 

「……んじゃ、後三人やな」

 

 ロキがそう呟く頃には、既に殆どの爆笑と喝采と悶絶と苦悶の嵐は過ぎ去り、笑いすぎて喉を枯らした神や、逆に机に突っ伏し動かなくなった神も存在している。しかし、後三人。最後の最後にウケを狙うためのとっておきの酷い名をつけてやろうと画策する神は毎回居る。

 

 しかし、ロキが残り三名分の冒険者に着いて記された羊皮紙の一枚をめくり、そして笑顔で口にしたその名は彼らの思惑を最初から頓挫(とんざ)させるビッグネームであった。

 

「おっと、大トリかと思ったんやけどなー。ほれほれよーく聞いたってや! 今度の冒険者は何を隠そう大本命、うちのアイズたんや!」

 

 【アイズ・ヴァレンシュタイン】。オラリオにその名を知らぬ神の居ない名が告げられると、神々の間からどよめきと、感嘆の声が漏れた。

 

「うお、【剣姫】……マジかよ……!」

「ロキの眷属が美しすぎる件について」

「せやろ!? わかるわ~!」

「おい、ってことは、アイズちゃんもうレベル6か!? まだ二十歳にもなってねえだろ!?」

「当然レベル6の最年少到達記録やな! ホンマにかわいいなウチのアイズたんは……」

「つっても5から6の間で言えば最速じゃあねえだろ?」

「流石の剣姫でも1年近くだっけか?」

「まぁ【黒い鳥】のは永久記録(エターナルレコード)っしょ」

「アイツ絶対頭おかしいよな」

「そこうっさい! ……とりあえず、うちとしては現状維持でええと思うんやけど……なんか意見ある奴おる?」

「ってもなぁ…………」

 

 今まで爆笑しながら二つ名を与えていた側の神々が、ロキの催促に押し黙った。今までのような新参の神々に対するのと同じ態度で現在のオラリオで最強の一角を占めるロキの溺愛する眷族に()()()二つ名を出せばどうなるか、分からぬ彼らでは無い。故に彼らは茶を濁すように、無難な現状維持か賛美するような名前を思案して口にする。

 

「ロキの言う通り、現状維持で良くね?」

「いやそれじゃ面白くねえし……【剣聖】なんてどうよ」

「流石にそれは【烏殺し(レイヴンキラー)】と白黒つけるまでは早くねえか?」

「確かにどっちが剣士として上かってのは興味あるな」

「それは追々として……彼女はやっぱ【神々(俺達)の嫁】だと思うんですけど」

「いっぺん死んどけや自分」

「ゆるして」

 

 その中のどさくさに紛れて不埒な名を付けようとした神は、ロキの殺意に晒されて一瞬で手のひらを返した。それを見たロキは苛立たし気にその神を睨むと、呆れたように溜息を吐きながら残り二枚となった羊皮紙に手を伸ばした。

 

「ったく、相手は見て喧嘩売れっちゅーに。んじゃ次やなっと……ん、懐かしいとこやん。エリスんとこの……【ルドウイーク】」

 

 その名を聞いた古参の神々は、久々に神会(デナトゥス)に顔を出した争いと不和の女神の席に目を向けた。しかし、そこにいるのは肩書きとは裏腹に威厳も何も無い、呆然とした顔の女神。幾つかの席から隠し切れぬ笑い声がこぼれるが、それを遮るように、苛立たし気にロキが声を荒げた。

 

「おい、エリス! 自分の番やで! 寝とんのか!? 起きぃや!」

「えっ!? あっ!? はい!!」

 

 ロキに怒鳴られ跳ね起きて、エリスはようやくルドウイークの名付けの番が来たことに気づいた。そして、今自分がするべき事も。

 

「ど、どーも、お久しぶりで……お手柔らかにお願いします……アハハ……」

 

 彼女は苦笑いしながら、周囲の神々に視線を巡らせ、次いで手元の羊皮紙に対して目をやる。参加者全員に配られていた、命名対象の冒険者に関する情報の記された物だ。そこにルドウイークの情報はギルドの画家による似顔絵と、断片的な事しか記されていない。

 

 身長、装備、服装。この辺りは大丈夫。だったら、目を付けられそうなのはこの【ラキア】出身ってとこですかね……。

 

 エリスが羊皮紙に視線を走らせながらにそう思案していると、一人の神が何かを思いついたように素早く手を挙げた。

 

「ほいそこ! 何や!?」

「デカい剣背負ってるし、【超絶聖剣士(ウルトラホーリーブレードナイト)】ってのはどう?」

「は???」

 

 反射的に顔を上げたエリスは激怒した。必ず、邪知暴虐たるこの名を付けようとした神に()()()()()やらねばならぬと決意した。しかしその殺気を察してか、十五年前以前のエリスの経歴を知っていたその神は意見を素早く撤回し、他の神に意見を求めた。

 

「あ、やっぱ俺はいいや。なんか他にある?」

「じゃあさ! 【†聖剣王†(ホーリーブレードマスター)】なんてどう?」

「はいはいです。剣二本背負ってますし、【双聖剣士(ツインホーリーブレーダー)】なんてぴったりだと思うのです」

「あの、何で『聖剣』って皆付けたがるんですか?」

「いや何となく……」

「そんな感じがするのです」

「えぇ……?」

 

 次々挙げられた名前に何故か『聖剣』というフレーズが共通している事に驚きを隠せずエリスは問うが、帰ってきたのは要領の得ない曖昧な答えばかりだった。

 エリスは一瞬、これもあの得体の知れぬ<月光の聖剣>の影響なのかと訝しんだが……一先(ひとま)ずこの場を切り抜ける事を優先して、ちらとロキに視線で合図を送る。ロキはそれに素早く応じて、かねてより予定していた『無難な二つ名』を自然な流れで口にした。

 

「あー、そろそろ時間も押しとるし、うちか付けたってええか? 【白装束(ホワイトコート)】でええやろ。なんか白い服着とるし。どや?」

「んー……まぁ……」

「アンタ程の神がそう言うのなら……」

 

 普段の神会(デナトゥス)よりも命名を受けるべき人数が多かったことが今回時間のかかっている理由なのだが、先ほどの【剣姫】の時同様に、ロキの意見を覆そうとする神は一柱として出てくる事は無かった。それを確認し、エリスにちらと視線を向けて彼女が頷くのを目にして、ロキは我が意を得たりと笑顔で皆に宣言した。

 

「そんじゃ決まりやな! 今日からこいつは【白装束(ホワイトコート)】のルドウイークや!」

 

 おー、とか残念、とか、折角の()()を逃してしまった神々から小さな怨嗟(えんさ)の声が上がった。エリスもかつてはそれなり以上の勢力を率いていたとはいえ、十年以上もの間表舞台から退いていたことで彼女を恐れる神はほとんどいなくなっていたのだ。

 

 本来の彼女であればそれに目くじらを立てる所だが、今は、無事に真っ当な名前を勝ち取った事への安心感の方が強く、エリスは肩の力を抜いて溜息を吐く。そうしていると、ロキが手元に残った最後の羊皮紙をめくって、目を丸くした。

 

「最後の一人はだーれや、っと……んん?」

 

 彼女は一度、見間違いを疑うかのように眼をこすり、覗き込むようにして羊皮紙を自分の顔に近づけてまじまじと見つめた。周囲の神々の内の幾柱かも同様である。何度かそうして、見間違いが無いことを確認してしまったロキは、信じられぬと言った顔で、羊皮紙に記された名前を口にした。

 

「【ヘスティア・ファミリア】の……【ベル・クラネル】」

「えっ!?」

 

 エリスはその名を聞いて、机に両手を突き思わず立ち上がってロキの顔を見て、そして、驚いたようにこちらを見るヘスティアの存在に今更になって気づき…………そして、驚愕に満ちた声を上げた。

 

「えええええええええ――――――ッ!?!?」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 今回の神会(デナトゥス)は、ベル・クラネルの巻き起こした熱狂と混乱の中で幕を閉じ、それによってルドウイークの事など多くの神々の頭蓋の中からはじき出され、結果としてエリスにとっては大きな収穫を得る事となった。

 しかし、彼女は納得が行かぬ。真実では無いとは言え眷族のレベルで差をつけ、ファミリアとしての格も上回ってやったと思っていたヘスティアが、エリス自身が入団を拒否した子供を一月でレベル2にして追いついてきたのだ。

 

 一体如何なる『チート』を使ったのか。それは、あの場に居た神々――――ロキさえも含め――――の疑念であったが、エリスやヘファイストスと言った昔からの知己である神々は最初からその可能性を排除している。

 

 あのヘスティアが、そんなあからさまなルール違反をするはずがない。うっかりからのやらかしならともかく。

 

 ならば。ルドウイークが言っていた、ミノタウロスの単独撃破。これが鍵になったのは間違いないだろう。本来であればレベル1の冒険者に達成出来る事では無い。だが、だからこそ『偉業』なのだ。そして、それに足るだけの力をベルが身に付けた大きな要因はアイズとルドウイークの修行による事は明白であり、それをルドウイークに許したのは…………。

 

「私ですよね…………」

 

 他ならぬ自分である。エリスは酷く大きな溜息を吐いて、既に殆どの神々が退出した摩天楼(バベル)の三十階を後にしようとした。その肩を、誰かが叩いて引き留めた。

 

「何ですか……むぅっ」

 

 首を巡らせて振り返ろうとしたエリスの頬に白魚のように美しい指が突き刺さって、柔らかい彼女の頬をぷにぷにと押し返す。そこにいたのは、光輝く銀色の長髪を持ち、絶妙な露出度のドレスを着た余りにも美しい女神。エリスはその絶対的な美貌と、彼女の持つオラリオでの勢力の二つに気圧されて、思わず後ずさりながらその名を口にした。

 

「な、フ、【フレイヤ】……!」

「久しぶり、エリス。元気だった?」

「い、一体何の用ですか!?」

「久々に会った友神(ゆうじん)に挨拶しようと思っただけだけど。良くなかったかしら?」

「いや、うーん、別に悪くは、ないですけど……」

「良かった」

 

 安堵したようにフレイヤは胸を撫で降ろす。その胸は豊満であり、同じ女神であるエリスさえも見とれてしまいそうな黄金比の曲線を描いていた。

 

「ふふ、何処見てるの?」

「見てませんよ!! 興味全然ありませんし!!!」

 

 その視線を指摘されて喚き散らすエリス。それを、まるで子供の癇癪に付き合う大人のような包容力のある笑みで受け止めたフレイヤ。彼女はしばし、エリスが落ち付くのを待ってから本題を切り出そうと、彼女の様子を見定める為に目を細めた。

 

「ったく……で、オラリオ最強の一角たる美の女神フレイヤ様が、私みたいな日陰者に何の用ですか?」

「そう卑下(ひげ)するものじゃあないわ。貴女も十分に綺麗だもの……それで今日はちょっと、聞きたい事があるのだけれど」

「なんですか?」

「彼――――ルドウイークとは、どこまで行ったの?」

「…………は? 今なんと?」

 

 脈絡(みゃくらく)に欠けたフレイヤの質問にエリスは一瞬唖然として、混乱して、思わずフレイヤの言葉を聞き返した。フレイヤはそれに、何を言っているんだと言わんばかりの堂々とした口調で再び問いをかける。

 

「とぼけないでよ。女神が子供(おとこ)と一つ屋根の下に居るなんて……何も起きないはず無いじゃない? どうなの?」

「何言ってんだこの色ボケ女神……」

「あら。口調がおかしいわよエリス。大丈夫?」

 

 自身の胸中を思わず吐露した事をフレイヤに指摘されると、エリスは一度彼女に背を向け思いっきり信じ呼吸して心を落ち着けた。

 

 自分とルドウイークが……。幾ら女神が噂好きとは言え、流石に邪推しすぎだ。あくまで、あくまで自身とルドウイークは主神と眷族であり、やましい物は何も無い。そう自身に強く言い聞かせながら、エリスはフレイヤの質問に答えるべく彼女の方へと振り向いた。

 

「…………本当に何もありませんよ!! 彼は私にとってファミリアを再興するための駒でしかありません。そんな男と女の関係になんか…………んんッ! ……なる訳無いじゃないですか」

「そう言っておきながら結局ズブズブ肩入れしちゃうのよね、貴女は。ホントそう言う所直した方がいいわよ?」

「うっさい! もう私帰りますよ!?」

「実はもうズブズブになってたりして」

「さよなら!!」

「あ、ちょっと待って。もう一つ聞きたいのだけど、貴女とベルってどう言う関係――――」

「失礼します!!!」

 

 フレイヤの言葉によってついに堪忍袋が爆発し、エリスは呼び留める彼女の声も聞かずに大股で会場を後にしてしまった。フレイヤはそれを見送って、困ったかのように詩人の頬に手を添えて聞き訳の無い子供に困る母親のような顔で小さく笑う。

 

「ちょっと……揶揄(からか)いすぎたわね」

 

 そう独りごちると、フレイヤは自身も上着を着てフードを目深に被り、普段あまり訪れぬ本拠(ホーム)、【戦いの野(フォールクヴァング)】にたまには顔を出そうと思い立って摩天楼(バベル)の出口に向け歩き始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 怒り心頭で摩天楼(バベル)を出たエリスは、そのまま【ダイダロス通り】にある本拠(ホーム)に向け足早に帰路を進んでいた。

 

 今日やるべき事はすべてやった。一度は、ルドウイークの居るであろうギルドに向かうべきかとも考えたが、フレイヤにあのような事を言われた長後では、どうにも意識してしまいそうで顔を出す気分にはなれない。

 

 全く、あのフレイヤは何を考えているのか。あんな頭が切れるくせして何考えてんだかわからない女神がああも勢力を伸ばせたのか。やはり、それもこれも【黒竜】の討伐に失敗しやがった【ゼウス】のせいである。

 

 そんな八つ当たりじみた事を考えながらずんずんと歩いていたエリスであったが、途中でふと懐から一つの封筒を取り出して、中に入った二枚の紙きれをのぞかせてそれを見る。

 

 思い出されるのは昨日、家にやってきたマギーとの会話だ。彼女は【止り木】の休業とそれに関する保証の話を終えると、切り出しづらそうにしながらも持ってきたバッグからこの封筒を取り出したのだ。

 

 

 

『何です、これ?』

 

 尋ねながらエリスがそれを受け取り中身を確認すると、中に収められていたのは二枚の紙きれ。そこには一週間ほど先の日付と、オラリオにある中でも屈指の巨大建造物である闘技場(コロッセオ)、そこに在る席の一つの番号が記されていた。

 

『これ……来週の闘技場の?』

 

 エリスは記された文言(もんごん)を一つ一つ確かめながらに尋ねた。対して、マギーは隠し立てする事も無く、素直に首を縦に振る。

 

『そ、イベントのペアチケット。要らないからあげるわ』

『えっ。マギーこういうの好きそうじゃないですか、どうして?』

『んー、まぁ、前も突然仕事なくなっちゃったしね。個人的な詫びよ。一緒に見に行く相手も居ないし』

『【黒い鳥】とか誘ってみればいいんじゃないですか?』

 

 そうエリスが尋ねると、マギーは一瞬ムッとしたような顔になり、それからくたびれたように溜息を吐いた。

 

『アイツはしばらく不在なのよ…………私が使って一人分の枠無駄にするより、どうせならあなたがルドウイークの(ねぎら)いにでも使ってあげて。その方がよっぽど建設的じゃない?』

 

 それを聞いて、最初は何とも思っていなかったようなエリスであったが、その内突然顔を赤くして立ち上がり、マギーに詰め寄るように身を乗り出して叫んだ。

 

『そ、それってまるで、デッ、デデデ、デートみたいじゃあないですかぁっ!?』

『……あなた達、そう言う関係だったの?』

『いえ全く!!! 違うんです!!! 物の例えなのでして!!!』

『あ、ええ、そう……でも、うん、まぁ、貢献してくれる眷族に何らかの褒美を出すのは、主神としてやるべき事じゃないの? ウチのジジイもやってるし、エリスも昔はそれなりのファミリア持ってたんだから…………そう言う話にも心当たりあるんじゃない?』

『んー、そうですね、えーっと…………』

 

 エリスはそう問われて、思い出すように腕を組んで思案した。かつて自分の元に居た、優秀な眷族達。十五年前に居た優秀な眷族たちにはよく飲み切れない酒なんかをくれてやっていたし、五年前まで居た最後の眷属には、少ないながらも手作りの料理やアクセサリをあげていた。確かに、自分はそう言う事を昔はしていたなと、エリスは懐かしさに目を細めて頷く。

 

『確かに、そんな事してた気がする…………』

『でしょ? ほんと頑張んなさいよ…………あなたのファミリア復興、私応援してるんだから。じゃあね』

『はい…………えっ!?』

 

 どこか気恥ずかしそうに言ったマギーの言葉を一呼吸遅れて飲み込んだエリスは、嬉しさと驚愕のないまぜになったような混乱と共に家を出て行く彼女の背を追いかける。

 

『えっちょっとマギー!? 応援してくれてるんですか!? ちょっと待って!? ここ最近で一番嬉しいんですけど!? 待って! 待ってーっ!!』

 

 

 

 ――――その時に手に入れた、このチケット。ルドウイークにはまだ話を切り出す事も出来ていない。

 

 昨日帰って来た彼が早々に寝室に引っ込んでしまったのもある。だが、あんなろくでもない夢を見てしまったのもあって、エリスは彼が帰ってきたら早々に話を通しておこうと決意した。

 

 彼も暇ではない。むしろ、ファミリアの為と何か【冒険者依頼(クエスト)】を取ってきたりして時間が無くなる可能性もある。早目にしなければ、マギーに顔向けできなくなるだろう。

 エリスは自身の頭脳を駆使して、あらゆる局面と状況、ルドウイークの反応と対応をシミュレーションしながら家に向かって行く。その顔は普段のいざという時に尻込みする臆病者の顔では無く、戦場を前にした戦士のような覚悟に満ちた顔つきである。

 

 そして、数多の思案の末に、彼女は緊張を戦意で抑えつけ、戻ってきたルドウイークにこのチケットを突きつけようと画策するのだった。

 

 

 

 ――――しかし、本人を前に緊張と気恥ずかしさに押しつぶされたエリスがチケットの事をルドウイークに切り出せたのは次の日の朝。リビングでチケットを前に唸っている所を当のルドウイークに見咎められてからであった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

【名前:ルドウイーク】

【Lv:2】

【二つ名:白装束(ホワイトコート)

【所属:エリス・ファミリア】

【種族:人間】

【職業:冒険者】

【到達階層:18階層】

 

【装備】

・大剣

・【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)

・短刀

 

・【ギルド】担当職員より

 

 今年の初めに冒険者として登録された人間(ヒューマン)の剣士だ。オラリオに来る前にはラキアで十年近く兵役に就いていたらしく、それもあってかオラリオに来て早々にレベル2への【ランクアップ】を成し遂げた。一見凄まじい偉業に見えるが、経歴から考えればむしろ遅咲きのスタートと言えるだろう。

 装備は大剣。前衛の近接担当としては珍しく防御では無く回避に偏った戦闘スタイルを取るが、経験の長さからか上層で大きな傷を負う事は無かった。素質もあるようだし、今後有望な冒険者の一人と言える。(ラナ・ニールセン)

 

 

 




全編エリス重点でお送りしました。フロム要素少ないの許して……。
エリスが勝手に動くので難産でした。他の神々との関係とかで割と雁字搦めになる……。

原作にはギリシャの神々が結構いらっしゃるので、その辺で話を広げられると美味しそうですね。

ゲストモンスターの募集はまだやっております。良ければご意見いただければ幸いです。
次はまた幕間かな……。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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