月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:くらうぇい

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ずいぶんお待たせしました。24000字です。
話の都合上、原作とほとんど展開は変わらないです。

感想評価お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


24:襲撃

 

 夜更けも近い時刻の、オラリオ外周市壁の上。

 

 壁に寄り掛かり、そよ風に流れる金糸の髪を揺らすアイズ・ヴァレンシュタインの機嫌は、見かけの穏やかさとは裏腹にあまりいい物とは言えなかった。

 

 『遠征』への出発を三日後に控え、ベルに対する訓練も佳境に入ったその日。下準備を終えた【ロキ・ファミリア】は遠征の当日までが自由時間となり、その内の丸一日を、アイズはベルとの訓練に費やす予定だった。

 

 だったのだ。

 

 だが、それだけでは済まなくなった。<ルドウイーク>。ベルに対する訓練に付き合うようベルの担当アドバイザーに頼まれた白装束の大柄な男。

 

 彼の事を、アイズは知らない訳では無かった。

 

 以前の遠征の帰りに起きた『ミノタウロス上層進出事件』の時に、彼が自身達ロキ・ファミリアが逃がしたミノタウロスの一体――――の死体と遭遇していた所に出くわしている。あの時は、運よくミノタウロスの激突を逃れた幸運な冒険者と思って、特段気にしては居なかったが…………次に出会った時、【リヴィラ】での遭遇でその認識は大きく覆った。

 

 アイズ自身も息を呑むような凄惨(せいさん)な殺人現場で、歴戦の猛者であるフィンやリヴェリアと同様、表情一つ変えずに遺体を見聞する死体への慣れ。広場を襲撃した食人花に対した際に見せた当時の公示レベルを遥かに逸脱した戦闘能力。そして、単身街へと飛び出して、最終的には大きな負傷も無くオラリオに帰還したという生存能力。

 

 人食い花との戦闘や街へと飛び出した話についてはティオナからの伝聞ではあったが、アイズはその時からルドウイークと言う男が何かを隠しているのだろうと、漠然(ばくぜん)と考えていた。

 

 その思索は正しかったと、先日の【黄昏の館】におけるティオナとの戦いで証明された。

 

 最高の状態では無かったとは言え、本気のティオナを相手に優勢を保って戦いを終え、明らかに並の使い手では操る事の叶わない【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】を手足の延長かの如く振るう。

 そして何より、怒涛と言うに相応しいティオナの連続攻撃にあっという間に順応し、一度倒された後は一切の傷を受けずに戦い抜いた観察力、学習能力、体捌き。最も間近で二人の戦いを見ていたフィンは、彼を指して『レベル6』だと断言した。

 

 なら、私も戦ってみたい。

 

 そう思ったアイズは、その後の壮行会の時にも、一昨日も、昨日も出会う度にルドウイークに戦いを申し込んだ。しかし、その全てに彼は似たような返事を返すばかりだった。

 

『断る』

 

『私は『人』と戦うのが苦手だ』

 

『クラネル少年の訓練の為に我々はここに居る。もし私達が戦うのであれば、また今度の機会にしよう』

 

 それらしい言葉を並べて、彼はアイズと戦うのを兎角嫌がった。主神である女神エリスに止められているのか、あるいは個人的な事情があるのか……流石にそこまでの判断は付かなかったものの、お陰様であまりベルとの――――更に最近朝早くから外出するアイズの行動を不自然に思い問い詰めてきたレフィーヤとの――――訓練に身が入っていないような気がする。

 

 確かにルドウイークの言う通り、諦めて後回しにするのが正解なのだろう。だがアイズとしては、余りもやもやした気持ちを遠征に持ち込みたくないという建前と、ルドウイークの強さを自身でも確かめて、自分が強くなるための糧にしたいと言う本音があった。

 

「今日も早いですな、アイズ殿」

 

 そんな事を考えていれば、市壁の内側に通じる扉から当のルドウイークが姿を現した。以前はまた別の、外側に階段のある区画の壁上で訓練していたのだが、数日前に立ち入りが禁じられてしまっていたために市壁の内側にある薄暗い階段を昇ってくる必要のある区画へと移動している。

 以前の訓練場所では、毎日階段の踊り場でオラリオの情景を描いている少女の絵の進み具合を通りがかりに覗くのが日々の小さな楽しみになりかけていたのだが……訓練に使えなくなってしまったとなれば仕方ない。彼女は小さな感傷を振り払う様にルドウイークに顔だけを向けた。

 

「おはようございます」

 

 素っ気なくルドウイークに対して挨拶を返すアイズ。それは戦いを拒み続ける彼に対する当てつけのような物だったが、彼は特段何とも思わなかったようで、回復薬(ポーション)の詰まった背嚢(バックパック)を壁際に置いて白み始めた空へと目を向ける。

 

「アイズ殿、約束の時間にはまだある。立っているのもなんだし、少し休んでいたらどうだ?」

 

 ルドウイークはそう言って、市壁の壁に寄り掛かるようにして腰を下ろす。しかし、そんな事を言うルドウイークと戦う時間を取るために早くこの場に参じているアイズは彼の言葉を聞いてますます不機嫌になって、少しムッとしながらに口を開いた。

 

「ルドウイークさん」

「何かね」

「今日こそ、戦って貰えませんか?」

 

 半ば捨て鉢に彼女はルドウイークを睨みつける。どうせ、今回もこちらに目を合わせる事も無く、断るの一言で流すつもりなのだろう。そう思ってますますやり場のない感情をわだかまらせるアイズ。しかし、彼女の予想に反してルドウイークはアイズの事を真っ直ぐに見返して、悩むかのように腕を組んだ。

 

「…………それについてなんだが、いろいろ考えて来た」

「えっ?」

 

 ここ数日とは明らかに異なる彼の返答に、アイズは拍子抜けしたかのように目を丸くする。今までは何度聞いてもそれらしい理由を付けて断るだけだったのだが、今日になって突然意見を変えるとはいったいどういう考えなのか。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、難しい顔をしてルドウイークが肩を竦めた。

 

「何、君にそこまで求められている以上、私としてもどうにか落とし所は無いかと思ってね。同盟を結んでいる以上、ただ断るばかりでは角も立つ」

「じゃあ、つまり」

「戦おうか――――今ではないが」

 

 一瞬期待から顔を綻ばせそうになったアイズはルドウイークが付け足した言葉に足元を掬われたかのように態勢を崩しかけたが、どうにか態勢を持ち直して納得行かないように彼を見つめた。

 

「どうして、今じゃダメなんですか?」

「アイズ殿。君が望むのは、ティオナの時同様の本気の模擬戦だろう? であれば、遠征が終わって君が無事に帰ってきた後。正式にエリス神やロキ神の了解を取ってからだ」

「私は、今すぐでもいいですけど……」

「遠征を前にした貴女の身に万が一の事があったらどうする。流石に責任が取れん。だから、皆が遠征から戻ってきてから正式に模擬戦の話を組もう。それなら、貴女の満足いくまで付き合ってあげられると思う」

 

 ルドウイークは座ったまま、アイズを見上げて(さと)すように言う。その言葉には、フィンが下の者達に言い聞かせる時と同じような不思議な圧があった。

 

「そう言う訳で、申し訳ないが今すぐに君と戦う事は無い。そこは、見逃してくれ」

 

 言い終えたルドウイークは目を閉じて、腕を組んだまま壁に深く寄りかかった。そして、何かを思案するかのように(うつむ)いて、それからは何一つ語る事も無く黙りこくっている。

 

 ……本当の事を言えば、ルドウイークとしては今だろうと今後だろうと彼女と戦うのは望むところでは無かった。だが、以前エリスが【剣姫】と友好的な関係を結んでおくように指示していたのを思い出して、どうにか首を捻って落とし所を考えてきたのだ。

 ルドウイークがエリスの意図――――アイズと友好を結んでおくように指示していたのは、対談の時に何か役に立つカードになるかもしれないという打算的な物であり、対談を終えた今、既にその必要性は失われているという事実――――について理解が及んでいなかったのは、アイズにとっては幸運であったと言えるだろう。

 

 アイズは未だにうまくルドウイークの言葉が呑み込めていなかったものの、遠征明けになれば模擬戦に付き合ってくれると彼から言質(げんち)を取る事が出来たというのはしばらくしてハッキリと理解した。それによって、ずっと良くなかった彼女の機嫌も多少上向く。

 

「おはようございます!!」

 

 二人が話している内に約束の時間になり、市壁の上にベルが姿を現した。市壁内の階段を走って昇って来たのか、まだ多少肌寒い空気の中でじわりと汗を滲ませ、ぜーぜーと肩で息をしている。

 

「おはよう」

「おはよう、ベル」

 

 彼に対して二人は片や表情を変えず、片やにこやかに挨拶を返した。それを聞いたベルは小走りに駆け寄ってきて二人の前で頭を下げる。

 

「今日もよろしくお願いします!」

「うん。よろしくね」

  

 挨拶を終えるとすぐにアイズはベルに構えさせ、自らも愛剣を抜き――――それを脇に置いて、鞘だけを握りしめ構える。

 

 訓練が始まった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ――――今日の鍛錬は随分と激しいな。

 

 ルドウイークは下ろした背嚢の中にある回復薬の瓶をまさぐりながらに二人の戦闘に目を向けていた。

 

 どうにも今日はアイズの調子が普段より良いようで、愛剣の鞘を普段より更に素早い速度で間断なく振るっている。

 そもそも、彼女の動きが普段より良いのはルドウイークが模擬戦の相手を今後と言う形で了承した事によって、彼女の胸のつかえが取れた事が原因であるのだが……それを知らぬルドウイークは叩き伏せられるベルを心配そうに眺めるばかりだ。

 

「ぶはぁ!!」

 

 短刀を構え突っ込んだ所に足払いを掛けられ更には後頭部に鞘を打ち付けられたベルは地面に顔から叩きつけられ、そのまま動かなくなる。既に十回。今やアイズはこれまでを大幅に超えるペースでベルの気絶回数を伸ばしていた。

 

 アイズは倒れ伏したベルをひっくり返すと、それを市壁の(きわ)まで引きずっていき仰向けに寝かしてやる。そして、一度その頭を持ち上げると地面との間に小さく正座した自身の腿が来るようにして乗せてやった。膝枕だ。

 

 それを見て、まるで姉弟のようだなとルドウイークは優し気な視線で二人を眺めていたが、すぐに回復薬を手に二人の元へと歩み寄り背嚢(バックパック)から取り出した瓶を差し出す。

 

「アイズ殿」

「うん」

 

 瓶を手渡されたアイズは、たどたどしい手つきで先ほど派手に地面にぶつけられ擦りむいたベルの額に回復薬を塗り込んで行く。彼女の細い指が傷を撫でるたびにベルが僅かに呻くのでその度にアイズは不安そうにルドウイークに目をやるが、ルドウイークは大丈夫だと小さく肩を竦めた。

 

 しばらくしてベルの呼吸が落ち着いたころ。ルドウイークは背嚢の中の回復薬の数量を見て、ベルの髪を優しく撫でているアイズに声をかけた。

 

「アイズ殿、少しいいかね」

「……何ですか?」

回復薬(ポーション)の数が心許ない。補充して来ても構わないか?」

「わかりました。お金は……」

「大丈夫だ。君から預かっている分で十分足りるだろう。行ってくる」

 

 ルドウイークは背嚢を背負うと、足早に市壁の上を後にした。

 

 ……実の所、背嚢の中の回復薬の量にはまだ余裕がある。だが、今までに無い速いペースで気絶していくベルを見て、一旦小休止を入れるべきだとルドウイークは判断したのだ。流石に、回復薬をこうして持ち去ってしまえば今までのように派手な訓練は行えまい。

 

 ルドウイークから見て、アイズはあまり他者に物を教えるという事に慣れているようには思えなかった。手加減が足りないというか、ベルが良い動きをするとそれに呼応して自身の速度も上げてしまう。特に今日は訓練している時間よりも気絶している時間の方が長いのではと言う状態だ。

 

 なので、彼はこうして訓練を中断するタイミングを作って時間の調整を行っていた。我武者羅に戦い続けるのもいいが、少し腰を落ち着けて自身の動きを思い返す事なども立派な鍛錬である。

 それは回避を重点とし、常に人として思考し続けるヤーナムの狩人特有の考え方であったが、敏捷に優れ、かつ体格には恵まれないベルの訓練には応用できる所があるとルドウイークは考えていた。

 

 薄暗い市壁内の階段を降りきって外に出たルドウイークはしばらく今居る位置から最も近くにある医療系ファミリアが【ミアハ】か【ディアンケヒト】のどちらかであるか考えていたが、諦めて懐から取り出した地図に目を走らせると、【ディアンケヒト・ファミリア】を目指して歩き出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「あれ? どうしたんですかルドウイーク、こんな所で」

 

 西の大通り(メインストリート)、自身の職場である【鴉の止り木】亭前の道路に水を撒いていたエリスは想定外の来客に首を傾げた。

 

「まだ用事中のはずですよね? 何かあったんですか?」

「いや、少々時間調整が必要だと思ってね……あまり早く訓練を再開させるとクラネル少年の体が持たん。今日のアイズ殿は力が入っているものでな」

 

 問われたルドウイークは肩を竦め、力なく笑う。想像以上に場所が近く、店員の手際も良かった【ディアンケヒト・ファミリア】の店舗では殆ど時間を潰す事の出来なかったルドウイークは、帰りがけに少々遠回りをして【鴉の止り木】の様子を見に来たのだ。

 

「ふぅん。真剣に訓練やってるなら別にいいと思いますけど……」

 

 ルドウイークの言に対しあからさまに興味無さげに相槌を打つエリス。しかしそれも仕方のない事。彼女からすれば大目的であったロキとの同盟も成り、既にこの訓練の利用価値は殆ど無くなっている。未だにルドウイークを訓練の場に送っているのも、ロキ・ファミリアの重要人物である【剣姫】と彼の関係を険悪にしたくないなどと言った程度の動機だ。

 それはルドウイークも承知しており、しかし生来の生真面目さから真剣に彼らの訓練に付き合っている。エリスとしてはその姿勢こそ好ましいものの、余りヘスティアに対して塩を送り過ぎたくは無いとも思っていた。

 

 ルドウイークの顔を眺めながらそんな事を考えているエリスをよそに、ルドウイークが店の軒先に一度目を向けると、そこに在ったあからさまな異常を認識して訝し気にエリスに顔を寄せて尋ねた。

 

「……ところでエリス神」

「はい?」

「あれは……何だね?」

 

 そう言って彼が指差す先にあるのは、軒先から吊り下げられた大きなズタ袋。きつく縛り上げられ、明らかに人が詰められていると分かる輪郭を持った上に『降ろしたら殺す』とまで記されているそれを見て、エリスはあっけらかんとした態度で答えた。

 

「【黒い鳥】ですよ」

「何?」

「だから、【黒い鳥】ですよ。出勤して来たらああなってました」

「どう言う事だ? 彼は何故あんな事になっている?」

「そりゃ、先日サボった件でマギーを怒らせたからでしょうね。今回ばかりはマジでブチ切れてたので、むしろアレで済んでるのが不思議なくらいです」

 

 溜息を吐いて呆れたように言い捨てたエリス。ルドウイークは彼女の説明に腕を組んだ。先日、ロキ・ファミリアとの同盟を行った日の昼間に店の手伝いをさせられた件は彼も良く覚えている。

 

「ああ、あの日か。あの時は散々な目に遭った……客商売と言うのは、まさしく戦場に違いあるまいて」

 

 先日の常軌を逸した忙しさを想起し、うんざりとしながら話すルドウイーク。あの日は当時のマギーの想像を裏切り、普段の倍近い数の客が【鴉の止り木】にやってきたのだ。話を聞く限り完全に偶然の産物だったらしいのだが…………そんな日に行方を絶った【黒い鳥】については、流石のルドウイークも思う所がある。

 

 その時、【鴉の止り木】の戸を開いて【黒い鳥】を宙吊りにしたと思しき張本人――――マグノリア・カーチスが顔を出した。

 

「エリス、外の掃除――――ん、ルドウイーク」

「ああ、マギー。どうも」

「いや、こちらこそ。先日は急に手伝いに入ってもらって悪かった。お陰様で助かったわ」

「礼には及ばん。いつも、エリス神が世話になっているからな」

「否定できない自分が悔しい……」

 

 互いに頭を下げる横で、エリスが悔しそうに歯噛みした。その様子を気づかぬふりをして、ルドウイークは先程エリスから伝えられたことの裏付けを取る様に恐る恐るマギーに尋ねた。

 

「……ところでマギー、これは何だね?」

「割引キャンペーンよ」

「割引キャンペーン」

「そう。これをこうして……」

 

 想定の斜め上を行った答えを聞き思わずそれを鸚鵡(おうむ)返しにしたルドウイークの声に(うなづ)いて、マギーは戸の横に立てかけてあった棍棒を手に取り【黒い鳥】の元へと歩み寄る。そして何の躊躇(ちゅうちょ)も無くそれを振り被って思いっきり振り抜いた。

 

「――――こう!」

「グワーッ!」

「もう一度!」

「グワーッ!!」

「おまけ!!」

「アバーッ!!!」

「……こんな感じで本日の入店時にこいつを殴ると、ドリンク一杯無料となっております」

 

 悲鳴を上げ身を(よじ)るズタ袋を前に、冷酷極まりない目をしたマギーは棍棒を放り捨ててルドウイークに振り向き肩を竦めた。それを見たエリスが、目の前で繰り広げられた恐るべき残虐行為に思わず身震いしながら驚愕を露わにする。

 

「えっなにそれは…………その為に吊るしてたんですか!?」

「そうだけど。これくらいでどうにかなるタマじゃ無いし、サボりの罰にはちょうどいいでしょ」

「え、いや、確かにサボりやがったのは許せませんが、えぇ……?」

 

 その動機には理解を示しつつも、あまりにあんまりなマギーの【黒い鳥】の扱いに恐るべきものを感じながらマギーから少しずつ距離をとるエリス。一方で、二人を眺めていたルドウイークが何かに気づいたように複雑な顔をし、既に動かなくなったズタ袋を横目に見つめるマギーに自らの懸念(けねん)を伝えた。

 

「……なあマギー」

「ん、何?」

「彼に仕置きをする事を(とが)めはしないが…………それに報酬を付けるとなるとだ、その無料の一杯を目当てに客が押し寄せて、またひどく忙しくなったりはしないのか? 私は今日は手伝えんぞ?」

「………………あっ」

「今『あっ』て言いましたよこの人」

 

 今後の可能性を提示され、マギーは驚愕に(うめ)きを上げた。この案は【黒い鳥】を痛めつけるという点においてはとても優れた考えであるかもしれないが、生まれる副産物――――客足の増加や【黒い鳥(店員一名)】の不在による作業負担の増加、それに対応できるだけの人員の調整などを怒りに任せていたが故に考慮していなかったマギーは眉間に皺を寄せ腕を組み、俯いて真剣に悩み始めた。

 

「そこまでは考えてなかった……! どうしようか……何か他にいい拷問のアイデアは無い?」

「突然聞かれてもな」

 

 唐突に顔を上げたマギーに問われ、困惑と共に答えるルドウイーク。その横で箒を握ったまま立ち尽くしていたエリスが片手をぐっと握りしめ、会話に割り込んできた。

 

「そうだ! だったらぁ、彼に酷く恥ずかしい格好をさせてぇ、営業中の間ずっと店の隅に縛り上げとくって言うのはどうですかぁ!?」

「ナイスアイデア」

「いや待て正気か?」

 

 エリスの提案に乗り気な様子を見せ口角を上げるマギー。それを見てにっこりと楽しそうに、或いは邪悪に笑みを見せる。そんな彼女らを見て、思わずルドウイークが彼女達の正気を疑うとエリスがそれを耳ざとく聞き取って食いついてきた。

 

「何言ってるんですかルドウイーク。我々は正気ですとも! 彼に痛い目見させてやりたいっていう目的は同じですからね!!」

「……本気かね?」

「本気ですよ!!」

「じゃあエリス、このバカに一体どういう格好させる? すぐ用意出来る奴だといいんだけど」

 

 親指でズタ袋を指差すマギーの質問を受け、エリスは顎に手をやって首を傾げながらしばらく唸っていたが、すぐに何事かを思いついたようでポンと右拳を左掌に乗せた。

 

「やっぱり私はベターに……女装とかどうでしょう」

「面白いわ」

「基本的に仏頂面で愛想の悪い彼がおめかしされて縛り上げられて居たらそれこそいい笑い話になると思います!」

「うん」

「服もマギーのを着せれば、わざわざ買ってくる必要も無いですし」

「そうね……ってちょっと待ってどうして私のなの?」

 

 初めはエリスの提案である【黒い鳥】に女装をさせようという話に乗り気であったマギーだが、自身の服をそれに使おうと言う提案を受けると途端に機嫌を悪くし始めた。しかしエリスは普段と違い、難しい顔をしたマギーにも物怖じせずに話を続ける。

 

「え、だって他に女物の服、ここには無いじゃないですか」

「いやいや、あなたはどうなの?」

「サイズが合わないと思います。逆にマギーと彼って背格好は割と似通ってるじゃないですか。丁度いいんじゃ?」

「いや……流石に私が着たことある服を着せるのは……なんて言うかね……」

「何です?」

「恥ずかしい…………じゃなくて! なんか嫌。やっぱ止めましょ、この話」

「…………あっ、なるほど~」

「何よ」

 

 言いよどむマギーの様子を見たエリスは、何やら悪い顔をしてにたりと目元を歪めた。それに不穏な物を感じ取って彼女を睨みつけるマギーであったが、エリスはそれに動じる事も無く、口元を隠して心の底から楽しそうに笑った。

 

「ふふふ! いえいえ、何でもありませんよ!」

「……ホントに?」

「無いです無いです、何も無いです! 変なこと考えたりなんて、何も――――」

「エリス神」

「あ、ルドウイーク。どうしました?」

「少しいいかね」

 

 マギーに睨まれていながら何故か余裕を崩さないエリスをルドウイークは有無を言わせず振り向かせ、マギーを背にしたままの状態でこそこそと話し出す。

 

「そのくらいにしたまえエリス神。ロクな事になるまい」

「いや、何がですか? 折角面白そうな所だったのに……」

「それだ」

「はい?」

 

 不満気な態度を見せた所を指摘され、目を丸くして首を(かし)げるエリス。ルドウイークはほんの一瞬自身の考えを彼女に伝えるべきか迷ったが、しかし自身が居なくなった後の彼女の事を考えて真剣な顔で話を切り出した。

 

「これはだな、いつか言うべきだと以前から思っていたのだが…………貴女は優位に立ってから調子に乗るのが早すぎる。以前私に料理させた時も、それが原因でひどい目に遭っただろう」

「アレは貴方の料理が原因じゃないですか!」

「否定はしないが……」

「それになんですか調子って! それじゃ、私が毎回調子に乗って足元(すく)われてるみたいな……」

「事実そうだろう」

「ふ、不敬っ! 本当に不敬ですね貴方は!!」

 

 ルドウイークの指摘を受けたエリスは彼から素早く飛び離れて顔を真っ赤にしながら彼を指差す。そして、赤い顔のままに腕を組みそっぽを向くと、店の入り口に向けてずんずんと大股で歩き始めた。

 

「もう知りません! 今日はどこかで夕食は食べてきてください私作りませんので!! 行きますよマギー、あと今夜飲みたいのでちょっと付き合ってもらっていいですか!!!」

「嫌だけど……」

「よろしくお願いします!!!!」

「はいはい」

 

 ルドウイークに背を向けたエリスは吐き捨てるように今夜の食事を作らないと叫ぶと、そのままマギーに仕事後の呑みに付き合うよう強要して振り返りもせずに店の中に消えて行ってしまった。マギーも彼女の放り出した箒を手に取って一度ルドウイークを振り返り、小さく頭を下げて店の中へと消えてゆく。

 

 その場には、袋に詰められ吊られたままの【黒い鳥】と困ったように後頭部をかくルドウイークだけが残された。びゅうと一際強い風が吹き、彼は無性に空虚な気分になる。

 そしてしばらくして、今後の予定を頭の中で想起し眉間に皺を寄せるとルドウイークは絞り出すように呟いた。

 

「…………困ったな」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 昼近くになってルドウイークが市壁の上に戻ると、そこでは少年少女が市壁の隅に寝そべっていた。それを見た彼はなるほどと、顎に手をやってその『訓練』の目的を見出す。

 

 ダンジョンである程度以下の階層を目指すとなれば、それは一日で済むような事業ではなくなる。どうしてもダンジョン内での休息が必要となってくるのだ。

 何処で、どう休息を取るのか。それこそダンジョンでの単独行の難易度を上昇させている最も大きな要因の一つであり、同時に冒険者達の永遠の命題でもある。

 

 その中で、最も大きな休息となるのが眠る時間だろう。しかし、常に命がけの状況にあるダンジョンで、満足な休息となるほどの質の眠りを得る事は容易い事ではない。モンスターや他の悪意ある冒険者らに気を配りながら素早く眠り、素早く回復する事が必要だ。それ自体は単独でもパーティを組んでいても変わらない。

 

 …………だからこその『眠る訓練』か。ルドウイークも納得して、回復薬(ポーション)の詰まった背嚢(バックパック)を静かに降ろして自身も壁際に腰を下ろす。

 

 嘗て、<血の医療>を受けた狩人であるルドウイークは常人に比べ眠りの必要性が薄い。今では3、4日おきに数時間ほど眠っている状態だが、ヤーナムに居た頃は眠気を覚える事も無く<夜>を戦い抜いていた。そう言う意味では、ルドウイークはダンジョンでの単独行動に適性があると言える。

 

 だからこそ、二人を見てルドウイークはどこか羨ましいような気分になって、しばらく彼らの事を穏やかに眺め、ふと空に目をやった。

 

 太陽はそろそろ最も高い位置に差し掛かろうとしている。今までの訓練は陽が昇った頃には切り上げていたために、ルドウイークが今回の一連の訓練で昼まで市壁の上に留まったのは初めてだ。

 

 そろそろ小腹が空いてきたな。

 

 以前、ベルと昼を跨いで鍛錬を行った事があったが、その時は両者ともに予め食料を持ち込んでいた。だが、今回はそうでは無い。ひとまず二人が起きたら昼食について切り出してみるかとルドウイークは思案する。

 

 その時、突然ベルが赤い顔で飛び起き、ルドウイークにも気づかずにそっとアイズに近づいて至近距離でその顔を見つめ始めた。

 

 何をしているのかと、ルドウイークは興味深そうにその姿を横目で見る。ベルの顔には絶え間なく葛藤が浮かんではいたが、それとは裏腹にアイズとの距離を徐々に詰めて行っており既に息が掛かりそうな距離だ。

 

 ルドウイークは彼の行動を止めるべきか迷った。ルドウイーク個人としては他人の関係に口を出すのは主義では無かった物の、かつてヤーナムに居た頃<加速>が『寝込みを襲うのだけはない』と酔いに任せて熱く語っていたのを思い出したからだ。

 

 しかしここはヤーナムでは無くオラリオ。そもそもの価値観が違う以上、そう言った事も許されているのかもしれない。そんな的外れな事を大真面目に考えているが故にルドウイークは動かず、ベルの行動を注視している。

 すると、もはや触れそうな距離までベルが近づいた瞬間アイズが小さく唇を動かした。それに驚いたかベルが慌ててアイズから距離を取る。

 

 どうやら、オラリオでも女性の寝込みにつけ込むのはいい事ではないようだ。自らの内の獣性に打ち勝ったのであろうベルに複雑な心境を抱いたルドウイークは、彼に気づかれぬように立ち上がり、今し方帰って来たような顔をしてベルに声をかけた。

 

「ベル」

「ほあああああああっっ!?!?」

 

 ベルが口から心臓が飛び出すのではないかとさえ思える過剰な反応を見せて飛び上がり、慌ててアイズから距離を取ってルドウイークの方へと振り向く。ルドウイークは小さく笑顔を向けて背負っていた背嚢を下ろし、自らも再び腰を下ろした。

 

「睡眠の訓練か、なるほど。ダンジョンでの休息の効率を上げるのはさらなる階層に向かうには必須だからな。しかしこんな昼間から眠るのは中々に難儀だろうに、こうもあっさり眠るとはアイズ殿の慣れが垣間見える。そう思わないか、ベル」

「そう思います! 僕なんか全然、全然眠れなくて!!」

「折角だし私も眠ろうか。君も寝直したらどうだ?」

「そうですね!」

 

 見られていた事にも気づかずに必死に取り(つくろ)うベルを見て、ルドウイークは正直笑ってしまいそうになった。だが、彼のどうにか誤魔化そうとする反応を見るに、ああ言った行為はオラリオでも褒められたものではないのだろう。

 

 ひとまず、釘の一つは刺しておくか。ルドウイークはアイズを起こさぬ様に、小声でベルに声をかけようとする。しかし先ほどのベルの悲鳴が原因か、眠たげな眼をこすりながらアイズがむくりと起き上がって不思議そうな顔で二人に目をやった。

 

「……おはようございます」

 

 小さく挨拶をしたアイズにベルが真っ赤になって硬直する。それ程動揺するのであれば下手な事などしなければいいのに、などと思いながらルドウイークはアイズへと視線を戻した。

 

「おはようアイズ殿。一応、薬は補充してきたが……すぐに訓練を始めるかね?」

「ん…………うーん……」

「それとも、そろそろ昼時だし食事にするかね? 時間としては、キリがいいと思うが」

「んー……そうですね。そろそろ、何か食べますか」

 

 アイズは一度眩しそうに空にちらと目をやって、ルドウイークの提案に首を縦に振った。

 

「ベルもそれで構わないか?」

「あ……はい、そうですね。丁度お昼ならそれでいいと思います」

 

 ルドウイークが確認すると、ベルも首を縦に振って承諾した事で今後の方針が決定した。アイズは立ち上がって剣などを装備し直し、ルドウイークは降ろしていた背嚢を背負い直す。ベルもボロボロになっていた自身の身だしなみを慌てて整えると、アイズやルドウイークに続いて市壁内部の階段へと足を進めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「――――で。これはどう言う事なんだいベルくぅぅぅぅん!!!!」

「ごめんなさぁぁぁぁい!!!!」

 

 昼時の北大通り(メインストリート)に、女神の叱咤と眷族の謝罪の悲鳴が響き渡った。アイズの案内で昼食として選んだ【ジャガ丸くん】の屋台へとやって来た三人は、そこでバイトをしていた【ヘスティア】と遭遇し逃げる間もなくベルが捕獲されてしまったのだ。

 

「ボクは何も聞いてないよ!? 何故君が最近朝早くから出かけてたのか、誰とどこで何をしていたのか…………ボロボロになってるから頑張ってダンジョン潜ったり訓練してるんだろうなぁと思って見逃してたけど、これは一体どういう事なんだいっ!?」

「じ、実はかくかくしかじかで…………」

「かくかくもしかじかもなぁぁぁい!!!」

「ごめんなさ――い!!!」

 

 まさか、クラネル少年はヘスティア神に何も伝えていなかったのか? 片手で手にしたジャガ丸くんを齧りながら、近くのベンチに腰掛けたルドウイークはベルたちの様子に目をやった。その隣ではアイズがジャガ丸くんを手にしたまま心配そうに彼らの事を見つめている。すると、顔を真っ赤にしたヘスティアがベルの首根っこを掴みながらこちらに顔を向けて大声で叫んだ。

 

「ルドウイーク君も何をしてるんだい!? 君が居ながらベル君と彼女を一緒にするなんて……!!」

「ベル。ヘスティア神には了解を取ってある物とばかり私は思っていたのだが」

 

 しかし、普段からヘスティアより声の大きな女神(エリス)の怒号に晒されているルドウイークはそれを気にした風も無くベルに話しかける。すると、一旦はこちらに向いていたヘスティアの怒りの矛先があっという間にベルへと戻った。

 

「説明っ!!」

「じ、実はですね、ルドウイークさんと訓練をしていたら偶然アイズさんが顔を出してくれましてですね……」

「嘘だねぇ! 神であるボクには嘘は通じないよっ!!」

 

 咄嗟に嘘を吐き誤魔化そうとするベルにルドウイークは思わず顔を覆った。当然、嘘を見抜く事の出来るヘスティアは騙される事など無くさらにベルの首を掴む力を強める。それを見かねたルドウイークが立ち上がり助け舟を出すべく口を開こうとしたが、アイズが先に立ち上がって申し訳なさそうに話かける方が早かった。

 

「あの……今、彼には私達が戦い方を教えていて……」

 

 おずおずと、ベルを庇う様に口を開いた彼女の言葉に嘘はない。しかしその事実こそがヘスティアにとっては何やら重要だったらしく、今度はベルの顔を掴んでぶんぶんと前後に揺り動かし始めた。

 

「ベル君、まさかとは思うけどこの子に【ステイタス】なんか見せてないだろうね!?」

「み、見せてませんよ! 見せちゃいけない物だって神様にもエイナさんにも言われてますからぁっ!!」

 

 ベルの必死の弁明を受けて、ヘスティアは何やら物思いにふけるように口元に手をやって何やらとぶつぶつ呟いた。そして、彼を守る様に――――或いは誰にも渡さぬとでも言う様に、ひしとベルへと抱きつく。

 

「ボクのベル君に手を出そうったってそうは行かないからな!? ベル君は僕の家族(眷族)なんだからぁっ!!」

「かかかか神様何してるんですか!? 胸が! 胸が!」

「えっ……うわあああああ!!! ベル君なんて大胆な距離の詰め方をぉ!?!?」

 

 自分から抱きついておきながら、顔を真っ赤にして叫ぶヘスティア。しかし、彼女の手はベルを離そうとはしておらずむしろ抱きつく力を強めたようにさえ見える。そんな一柱と一人にどう対応するか思いつかず、困惑したように視線を泳がせるアイズ。ルドウイークも彼女と同様額に手をやり困惑を隠せずにいた。

 

 すると、屋台の裏から顔を出した恰幅の良い女性がうんざりとした顔でヘスティアに声をかける。

 

「ヘスティアちゃんさぁ。痴話喧嘩を店先でやられるのは困るよ! 悪いけど少し離れててもらっていいかい!?」

「ご、ごめんなさいおばちゃん! ほら行くよベル君! ここじゃ迷惑だからね!!!」

「あっちょ、引っ張らないで神様……!」

 

 店主と思しき獣人の女性に叱られ、慌ててベルを引きずりその場を離れようとするヘスティア。ずんずんと路地裏へ踏み込んでゆく彼女の後をルドウイークとアイズも大人しく追いかける。

 

 そして人目に付かない所まで来るとヘスティアはベルを開放し、後からついてきた二人――――の内、アイズの事をキッと睨みつけてから、これ見よがしに咳払いをした。

 

「ごほん……それじゃあ、話を聞かせてもらおうか……詳しく、ね」

 

 一見冷静さを取り戻したように言うヘスティアだが、その眉は先ほどからピクピクと引き()り、握りしめた手はふるふると震えていて、とても真っ当な精神状態とは思えない。しかしそんな中でも彼女は神らしい――――むしろらしからぬ――――強い自制心を以ってベルの話にしっかりと耳を傾けた。

 

 しばらくの間、ベルによる弁明が続く。自分の信用が既に地に墜ちているのを察しているのか、細かくアイズやルドウイークに確認を行いながらこれまでの経緯、訓練の内容を説明していった。

 

 腕を組み、目を閉じて話に聞き入っていたヘスティア。ベルの説明が終わり、伺う様に彼女の顔に視線を向ける彼に、眼を開いた彼女は納得したかのように頷いた。

 

「話は大体わかった。じゃあルドウイーク君。君はこれまで同様、ベル君に訓練を付けてあげてくれ」

「ふむ」

 

 ルドウイークは訝しむように反応して小さく声を上げた。彼女の反応が予想していたよりも小さい物だったからだ。しかし、彼女の次の発言で自身の懸念が正しい物だったとすぐに知る事になる。

 

「そしてヴァレン何某(なにがし)君。君はすぐにファミリアに戻って、ベル君の事はきれいサッパリ忘れてくれ」

「神様!?」

 

 ヘスティアの決断的な答えに、ベルは顔を青褪めさせて眼を見開いた。悲しい目をしたアイズも、恐る恐ると言った様子でヘスティアに向かって懇願するように口を開く。

 

「あの、どうしても、ダメですか……?」

「ダメだ。ボクのベル君に君はもう関わらないでくれ。君にだって立場があるだろう。お互いのファミリアの為にも、これが一番のはずだ……」

 

 強い意志を秘めた瞳でヘスティアはアイズの事を睨みつけた。その言葉には一理あるとルドウイークは考える。

 確かに、【ヘスティア・ファミリア】の駆け出し冒険者に都市最強の一角である【ロキ・ファミリア】の幹部である【剣姫】が訓練を付けていると周囲に知れれば、アイズにとってもベルにとってもロクな事は無いだろう。このオラリオで行われているファミリア同士の鬩ぎ合いを多少なりとも知るならばそう考えるのは自然な事だ。

 

 しかし、ヘスティアが口にしたのは完全に建前でありその本音が個人的な理由で占められているのはルドウイークにでさえ分かってしまったし、ファミリア同士の関係と言った社会的な要素を多分に含む理由で納得するほどベルはこの街のルールに慣れてもおらず、賢しくもなかった。

 

「お、お願いです神様っ!! どうかもう少し、もう少しだけアイズさんとの訓練を許してください!!」

「少しだけだって……? そんな事言って、君は今までボクにこの事を黙ってたんだぞ!! 流石に虫が良すぎやしないかいっ!?」

「あと二日、後二日だけでいいんです!! それで、約束の期日を迎えますから!!」

 

 痛い所を突かれながら、それでもベルは頭を下げてヘスティアに向けて懇願した。彼はヘスティアに三日後にはロキ・ファミリアが『遠征』のためダンジョンに潜るという話を伝え、そしてさらに何度も何度も頭を下げる。

 

「絶対、この時間で強くなって、神様にもっと楽をさせられるように頑張りますから!! だからどうかお願いします!! 最後まで、最後までアイズさんと訓練をさせてくださいっ!!!」

「む、むぅ……!」

 

 その、余りにも必死な様子にさしものヘスティアも気まずそうに喉を唸らせる。ルドウイークはそんな彼女の様子を見て、しばし思案した。

 

 彼としては確かにヘスティア神が言ったようにベルがファミリア同士の抗争の槍玉に上がってしまうような事はあまり好ましくはない。

 …………だが、熱意ある若者の望みを絶つというのはあまり気分のいい物でもないし、この訓練は間違いなくベルの強化、ひいてはヘスティアの助けにもなるはずだ。

 

 仕方ないか。エリスにヘスティアに対してあまり塩を送らぬ様に言いつけられているルドウイークは、これもロキ・ファミリアとの友好の為だと心の内で大声を上げて怒る彼女に謝ってから、ベルに助け舟を出す事にした。

 

「…………ご安心を、ヘスティア神。私は訓練にほぼ付きっきりでしたが、二人とも健全に訓練をしていました。貴方が心配するような事はちっとも起きていませんでしたよ」

「…………そうなのかい? ……はぁ。ルドウイーク君がそう言うなら、そりゃちょっとは信用しない事も無いけどさ……しょうがないなぁ」

「か、神様?」

 

 ルドウイークに教えられ、少しムッとしながら横目にベルとアイズを見たヘスティアはこれ見よがしに溜息を吐いた。ベルはその様子に驚いたように彼女に声をかける。

 

「あの、神様……」

「…………はぁ。ほんっとうに、後二日間だけだぜ?」

「神様……!」

 

 ベルにか、あるいは自分に呆れたかのように肩を落とし、仕方なくと言った様子でベルに向けて二本指を立てるヘスティア。彼女に対して感極まった声を上げて、ベルが真摯に頭を下げ、アイズもそれに(なら)って腰を折った。

 

「とりあえず、ロキ達にこの事は絶対にばれないようにする事。そ・れ・と! もしもベル君に変な事をしたら訓練はその時点で終わり! いいね?」

「はい…………ありがとうございます」

「礼を言われる必要は無いよ。それと、ルドウイーク君もしっかりと見張っててもらうからね!」

「承知しました、ヘスティア神」

 

 アイズとルドウイークの返事を聞いて、ようやく納得したのか厳しかった表情をいくらか緩めたヘスティアは、一先ず今日の仕事を上がる旨を店主に伝える為にベルを連れ一旦その場を離れた。その背を眺めながらルドウイークはふと、一つヘスティアに言い忘れていた事に思い至った。

 

 ……【エリス・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が同盟を結んでいる以上、自身もどちらかと言えばあちら側の人間なのだが、ロキに対してしばしば強い警戒を見せている彼女に、これは伝えなくてよいのだろうか? そんな事を今更ながら彼は考えたが、更に少し思案して、口にすれば余計に話がこじれそうだったので今回は黙っておくことにした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ヘスティア神を伴って市壁へと戻ったルドウイーク達は早速訓練を再開し、午前中以上に熱の入ったベルとアイズによって更に苛烈な模擬戦が行われる事となった。

 自らの主神が見守っているというのがベルの気を引き締めたか、彼の動きは訓練再開から見る見る良くなっていき、結局手酷く痛めつけられはしたものの、午後は一度も気絶させられる事も無く戦い抜いた。

 

 その最中で、ルドウイークとアイズが手分けしてベルの手当てをしていた事を聞くなりヘスティアが『彼の手当てはボクが担当する!』と宣言し、以降の回復薬(ポーション)による治療を一手に引き受けてベルが顔を赤くしてアイズが名残惜しそうな顔をすると言った事もあったが、特段それ以外は何事も無く訓練はつつがなく進行する。

 

 そうしている内に太陽に照らされていたオラリオも、剣戟の音が響く中で黄昏に染まり、しばらくすればいつの間にか夜となっていた。

 月と星が輝く空の下でもしばらく訓練は続けられたが、アイズがロキ・ファミリアに戻らなければならない時間を迎えた事もあり今日の訓練は終了する事になった。

 

 

 カツン、カツンと階段を踏む音を鳴らしながら三人と一柱は市壁内の暗い階段を降りて行く。先頭には小型の魔石灯で道を照らしながらアイズが行き、その後ろにはベルが続いて、彼に手を引かれて上機嫌なヘスティアがその後を追う。そして、随分と軽くなった背嚢を背負ったルドウイークが殿(しんがり)を務めて静かに歩いていた。

 

「なぁ、ベル君。あんなにもボコボコにされてるなら最初っからボクに教えてくれればよかったのに。そしたらあんな痛い目には遭わせなかったし、ヴァレン何某(なにがし)君よりちゃんと治療もしてあげられたぜ?」

「か、神様……」

 

 言葉とは裏腹に何処か楽しそうにしながら言うヘスティアに、ベルが先を行くアイズの背にちらちらと目を向けながら気まずそうに応じる。一方、後方からそれを眺めていたルドウイークはヘスティアの言葉に混じる棘の不自然さに首を傾げていた。

 

 彼女の言動は、アイズの事を眷族(子供)であるベルに近づく相手と見ての嫌悪にしてはあからさま過ぎる面がある、それに、【ロキ】と口にする際の眉間の皺の寄り。そんな言動をして居た女神に良く心当たりのあった彼は、もしやと一つの閃きを得た。

 

 ……もしかしたら、彼女もロキ神とはあまり関係が良くないのかも知れぬ。そう仮定すればアイズ殿とクラネル少年が親密となる事に目くじらを立てるのも納得できる。だが……一体なぜ、ロキ神はこうも女神たちに嫌われているのやら。

 

 実際の所、圧倒的な勢力を誇るロキに大っぴらに嫌悪を示していた神などエリスとヘスティアくらいのものなのだが、そうとは露知らぬルドウイークは的外れにもロキは他の女神とおしなべて険悪な関係にあるのではと思い始めていた。

 

 後でニールセンにでも聞いてみるか。そんな事を彼が考えている内に下り階段は終点となり、そのまま普段は鍵のかかっているであろう戸を開けて彼らは市壁の下、市街の外れへと歩み出した。

 

「あの、神様。月も出てますし、もう手を離してもいいんじゃ……」

「おいおい、確かにさっきの階段に比べれば明るいけど、まだまだ全然薄暗いじゃないか! 転ぶの怖いし、ちゃんと手を握ってておくれよ」

「は、はい……」

 

 自身の提案を切り捨てられて、顔を真っ赤にしたベルが俯きながらに歩き始めた。そうすればすぐに彼の顔色は陰に紛れてよく見えなくなる。それ程に、今日のオラリオは暗い。

 

 ――――不自然な程に。

 

 ルドウイークは、感じ取った違和感の源を探すべく、素早く周囲に目を走らせた。人影のない薄暗く小さな通り。いや、既におかしい。日は落ちたとはいえ、冒険者達が昼夜問わず活動するオラリオでこの時間にこれほど静かなのは滅多にある事ではない。そして、薄暗さの原因。道に並ぶ魔石灯が砕かれその機能を失っていることに気付くと、ルドウイークは先頭を歩くアイズへと緊張感を持って声をかけた。

 

「…………アイズ殿」

「……うん」

 

 どうやら、彼女も既に違和感に辿り着いていたようで、感情の起伏の少ない顔に更なる怜悧さを漂わせ、足を止めて周囲を警戒する。

 

「うわ! あ、アイズさん? どうしたんです?」

「おいおい、急に立ち止まると危ないぜ? ただでさえ暗いんだから…………」

 

 突然立ち止まったアイズに困惑するベルと思わず気遣うような言葉を口にして、途中で彼女の異様な様子に気づいて口を噤むヘスティア。ルドウイークはそんな彼らに歩み寄ると、自身も気を張り巡らせながらに小さい声で話しかける。

 

「ベル。ヘスティア神から離れるな。何かがおかしい」

「え……は、はい!」

「ちょ、ちょっとルドウイーク君? どうしたんだい?」

 

 真剣極まりないルドウイークの言にベルは慌ててナイフを抜き、一方ヘスティアは困惑するばかりだ。そんな中でも自身の五感を総動員して周囲を警戒したルドウイークは、アイズが視線を向ける先に何者かが蠢いたのを感じ取ってそちらに顔を向ける。

 

 家と家の細い隙間、薄暗い道の更に暗く影となった場所から現れたのは、闇に溶けるような黒い軽防具と外套、そして顔の上半分を隠すこれまた黒のバイザーを身に付けた猫人(キャットピープル)の男。その手には、これまた闇に隠すように黒く塗られ艶の消された槍が握られている。ルドウイークは彼を見て、更なる警戒に力を込めた。

 

 ――――強い。今までオラリオで見て来た者達の中でも、最も強い者達(レベル6)と同等の実力者!

 

 ルドウイークはロキ・ファミリアの幹部たちや【鴉の止り木】で見た第一級冒険者たちの風格と彼の雰囲気を比較して、自身も最大限に警戒しなければいけない存在だと視線の先の男を認定した。男は敵対的な視線を気にも止める事無く、闇の中から歩み出して此方との距離を詰めて来る。

 

 そして彼我の距離が20M(メドル)程になった瞬間、唐突に軽く石畳を蹴って男が跳躍した。

 

 凄まじい速度。今まで見て来た者達の中でも、明らかに一線を画す敏捷能力。ルドウイークは即座に前に出ようとするが、男の跳躍を知覚出来ていないベルとヘスティアが前にいるせいで動きを阻害される。それでは間に合わない。男の速さは、ヤーナムの一部の古狩人達が操った『加速』にさえ匹敵する――――!!

 

 ルドウイークさえ驚愕を禁じ得ぬ突撃速度。当然、それに対処できる様な能力も、術も体得していないベルにとっては十分過ぎる致命の一撃。だが、ベルへと一直線に突っ込んだ男の槍はその前に立ち塞がった少女の抜いた銀閃によって弾かれた。

 

「……チッ」

「貴方は……!」

 

 互いに視線を交わすと激突の残響も鳴りやまぬうちに再び槍と細剣が激突し、そのまま二人の時間だけが早くなったかのような凄まじい剣戟戦が開始される。ベルの前にここは通さぬとばかりに立ち塞がり猫人の突き、薙ぎと言った槍による連携を弾いてゆくアイズ。ルドウイークは即座にアイズとベルの間に割り行って更なる安全を確保するべく彼らを退がらせようと声を張る。

 

「ベル、ヘスティア神、退がってくれ! 相手は相当の手練れだ!」

「お、おいおいおいおい!? どうなってるんだいこれぇ!?」

「速過ぎる!」

 

 慌てふためくヘスティアを背に、猫人とアイズの攻防を目にしたベルはその自身とのレベルの違いに驚愕する事しか出来ない。既にどれだけの回数剣と槍が振るわれたのかも分からぬ程の速度。

 

 それ程の差を感じながらも、圧倒的な格上の戦いに目を見開くベル。その時、屋根の上に現れたそれぞれ異なる得物を持つ四人の小柄な人影に気づいて彼は必死に声を上げた。

 

「アイズさん!!」

 

 声を受けたアイズは、瞬間凄まじい反応を見せる。猫人の男に対し踏み込み槍を弾いて後退させると、飛び降りてくる途中で飛来した二発の光弾に狙われて空中で弾かれてしまった二人を除く二人の落下攻撃を二度空中へと無慈悲なる曲線を描く事で弾き飛ばして見せた。

 

 ベルは今し方頭上を通り過ぎて四人のうち二人を撃ち落とした光弾が【魔法】だと直感的に判断した。詠唱も聞こえなかったがあの状況だ。恐らく、自身が気付く間もなく後ろのルドウイークが咄嗟に放ったのだろう。そう理論立ててルドウイークに目を向けようと首を巡らせる。

 

 その眼前で、振るわれた湾曲した剣による攻撃をルドウイークは長剣を振るって弾いていた。

 

 いつの間に現れたのか、弧を描くような特殊な曲剣の二刀流を構えた黒衣の襲撃者とルドウイークは既に激突を始めていた。踏み込み、真っ当な物からは程遠い剣閃を描いて彼を襲う斬撃の攻勢に、ベルたちを巻き込まぬ様にかルドウイークは立ち位置を調整してベルとヘスティアから離れて行く。

 

「クラネル少年! ヘスティア神を頼む!!」

「は、はい!」

 

 斬撃に対応しながら叫ぶルドウイークに思わずナイフを握りしめて答えたベルにアイズも剣戟戦の中で視線を向けるが、恐るべき槍捌きを見せる猫人に加え先ほど弾き飛ばした二人の小人、更にルドウイークの魔法によって落とされたと思しきもう二人の小人までが参戦してきた事で彼女からは余裕が即座に奪われていた。

 

「…………!」

 

 それでも彼女は怜悧な表情を崩さず、五人の襲撃者による攻撃に的確な対応を返しながら隙を突いて自身からも攻勢に転じるべく幾度も攻めを試みる。

 

「チッ……化物め」

 

 その攻めを弾き、再び攻勢に転じながら猫人の男が毒づいた。それにアイズがピクリと眉を動かし訝しむと、後方から小人たちによる連携攻撃が襲い掛かる。

 剣、槌、槍、斧。異なる得物による時間差攻撃をしかしアイズは瞬時に見切り、閃光の如き速さと針の穴を通すような正確さを兼ね備えた剣技を以って全ての攻撃を迎撃して見せた。

 

 思わずその光景に目を見開き、ますます自身と前方で戦う彼女らの差にナイフを握りしめるベル。その周囲でいくつかの影が蠢き、彼にひしとしがみついていたヘスティアが悲鳴に近い声を上げた。

 

「ベ、ベル君っ!」

 

 その声に応じて周囲に視線を巡らせれば、家と家の間から四つの人影がベルとヘスティアを取り囲むように姿を現していた。男性二人、女性が二人。彼らはアイズやルドウイークを襲撃した者と同じ、黒い外套とバイザーで正体を隠している。

 

 一瞬、彼らの出現にどう対応するべきか視線を巡らせ逡巡するベル。その僅かな時間の間に、彼らはそれぞれの得物を抜きベルに向けて踏み込んでいた。

 

「くっ!」

 

 ベルは咄嗟にナイフに加えて短刀も抜き、彼らを迎え撃つべく姿勢を落とす。アイズも、ルドウイークも眼前の敵に手一杯でこちらに援護をよこす余裕はない。僕がやらねば。そう強く決意したベルはヘスティアを庇うように前に出て叫ぶ。

 

「神様、僕の後ろにっ!」

 

 両手にそれぞれ握りしめて構え、いち早く挑んできた短剣の女冒険者を迎え撃つ。瞬間、ベルは僅かな驚きを得た。

 

 動きが、見える。アイズさんの閃光のような攻撃に比べれば、まるでこう振ると示されてさえいるように斬撃の軌道が予測できる。

 

 過酷だった訓練の確かな手ごたえを得て、ベルは相手の攻撃に先んじてその間合いに踏み込み驚愕する彼女を他所にその胸防具(ブレストプレート)を力強く斬りつける。強烈な一撃を貰って、短い悲鳴と共に吹き飛ばされ、女冒険者は石畳の上を転がった。

 

 その時すでにベルはヘスティアを優しく押しのけて、迫っていたもう一人の迎撃に動いていた。突き出された長剣の突き、鋭く、しかし以前の訓練で見たルドウイークのそれには遠く及ばぬ攻撃を短刀で逸らして下手人である男冒険者の懐へと飛び込み防具に守られていない太腿に蹴りを加え、体勢が崩れた彼の外套をむんずと掴み迫っていたもう一人の女冒険者へと向けて全力で放り投げる。

 

「うおっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 突如飛来した男冒険者と激突して悲鳴を上げて倒れ込む二人の襲撃者。ベルは二人に対しての残心もそこそこに、遅れてやってくる重装の男冒険者へと射抜くような視線を向けた。

 

 彼らは、僕と同じレベル1だ。少なくともアイズさんが相手をしているようなでたらめな相手じゃあない!

 

 確信し、奮起するベル。能力にそれほど大きな差が無いのであれば、後は自身の持つ技量、経験、そして駆け引きの勝負。経験の量だけで言えば、未だに駆け出しのベルより相手の方が上だろう。だがその質。アイズとルドウイークの相手をした濃密な時間は、間違いなく彼に確かな物を与えていた。

 

 

 

 

 

 一方で、ベルが最後の重装冒険者を迎撃するために踏み込んだ時、ルドウイークは変幻自在の攻めを見せる湾曲剣の二刀流を相手に剣を交えていた。

 

「……その曲剣、良い武器だな。扱いに難があり、それでいて致命的。更にその防ぎ難い形状、常道の剣技を修めているほど対しにくい。相手をしたのを正直後悔している」

「『後悔は常に死の一歩先を行く』。かの(ことわざ)からすれば、貴公は既に手遅れだろう」

「そうでもない。諦めは怒りより悲しみより、後悔よりも致命的だ」

「一理ある」

 

 だが、その語り口は互いに穏やかだ。雲に月が隠れより暗さを増した道に陣取りながら、命のやり取りをしているとは思えぬほどの雰囲気で二人は言葉と剣を交わして行く。

 

 剣士は大ぶりとも思える横薙ぎでルドウイークの首を的確に狙いに行く。その湾曲した切先を向けられたルドウイークは一歩後退する事によってそれを回避した。

 

 三日月を更に歪めたように湾曲させたその曲剣は防御で相手にした場合、切っ先が障害を掻い潜って相手に突き刺さるようになっており、真っ当に受ければそれが致命の一撃に繋がってしまう。更に一見真っ直ぐな突きには向かない形状ではあるものの、剣自体は両刃であり受ければ無傷とはいかず常に意識を張っておく必要がある。

 

 生半可な修練では自身さえも傷つけかねないこの剣は、使いこなすのに凄まじい修練が必要になるだろう。それこそ、<仕掛け武器>の様に。

 

 ルドウイークは興味深げに目を細めながら、一瞬の隙を突いて剣士の胴に向けて突きを放つ。しかし、それを曲剣の切っ先で絡め取るような動きを剣士が見せた瞬間ルドウイークは即座に剣を引いていた。恐らく、あのまま剣を突き込んでいれば切先を綺麗に逸らされ大きな隙を晒していただろう。

 

「やるな」

「貴公も」

 

 称賛し合い一旦距離を取るルドウイークと剣士。ルドウイークは今までの動きから敵の力量を推測する。

 

 …………【ステイタス】自体は恐らくアイズ殿と渡り合っているあの黒衣の青年の方が上。恐らくはティオナと同格のレベル5か。だが、技量に関してはティオナを大きく上回る。

 それは優劣の問題では無く戦い方の違いではあるが、ルドウイークにとってはよりやりづらい事は間違いない。

 

 本来獣を狩るのが本業であるルドウイークにとって対人戦は本職では無い。故に、こうして技量を磨き上げた相手を彼は苦手としていた。嘗てはヤーナムを去る<烏>に挑み、その対人に秀で過ぎた技量を前に完敗した経験もある。

 

 ならば。ルドウイークは長剣を背の鞘に一旦仕舞い、仕掛けを起動させて大剣へと武器を変じさせる。それを見た剣士は訝しむようにバイザーの奥の眼を細めた。

 

「【ゴブニュ】の【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】か」

 

 ルドウイークの抜き放った大剣に警戒を見せ、姿勢を落とす剣士。ルドウイークはそれに意識をやりつつちらとアイズやベルに視線を向ける。未だに槍使いの猫人や小人の四人組の攻勢を凌ぎ続けるアイズ。重装の冒険者に挑み、大剣を弾いて回し蹴りで彼を吹っ飛ばして武器を奪い取り、再び挑んできた三人を迎撃するベル。

 

 あちらは大丈夫そうだ。

 

 安心して眼前の剣士に意識を集中するルドウイーク。大剣を構え、軽やかに迫る剣士を大剣で迎え撃つ。

 横薙ぎの弧を描く薙ぎ払いを鉤状となった刃に引っ掛けられぬように外側から剣を当てて打ち落とす。逆側の剣による縦の振り下ろしは半身になって紙一重で回避、拳を振り回して相手に距離を取らせると、即座に大剣を握り直して凄まじい速度で横に薙ぎ払う。

 

 空気を引き千切り迫る横薙ぎを剣士は二本の曲剣を重ね、全力で弾き逸らす。結果として軌道を変えられ地面に切先を叩き込んだ大剣を見て剣士は口元を歪めたが、その時既にルドウイークは石畳に突き立った大剣を手放して超近距離戦へと移行していた。

 

 引き戻す前の曲剣を握った手を拳で弾き、ガラ空きとなった胴に向け槍じみた勢いの蹴りを叩き込むと、真鍮色をした胴防具に強い衝撃が走り数歩剣士がよろめく。ルドウイークは自身の足に返ってきた感触からその防具が相当な頑強さを備えている事を確かめると、突き立ったままの大剣を手にして先程よりも力を込めた横一閃を剣士の胴に向けて振り抜いた。

 

 迫る横一閃を剣士は不安定な姿勢から片手の曲剣でそれを弾き逸らそうとするが、ルドウイークの横薙ぎに込められた威力は彼の想像を遥かに上回る物だった。受け止めた曲剣の刃にヒビが入り、そこから真っ二つにへし折れる。

 驚愕しバイザーの下で目を見開いた剣士だったが、それに続くルドウイークの蹴りを飛び退いて回避。折れた曲剣を腰に吊るすと、新たに弾きに特化していると思しき特殊な形状の短剣を取り出して左手に構えた。

 

「……やはりあの方が仰っていた通り、レベル2と言うのは虚偽だったか」

 

 先程までとは違い、ルドウイークを睨みつけるその眼には確かな怒りと敵意が渦巻いている。一方のルドウイークも、彼の言葉にやはりかと眉間に皺を寄せた。

 

 戦場の状態を見るに、相手――――この襲撃を意図した首謀者は、それぞれの相手に相応しいだけの実力を持つ者をぶつけているようであった。つまりそれは、エリスの指示によって普段は隠しているはずのルドウイーク自身の実力の程を既に見抜かれているという事でもある。彼の言葉からその懸念が現実のものであるという事を確信したルドウイークは今までとは質の違う警戒を以って、眼前の剣士の事を睨み返した。

 

 

 

 

 

 その頃、奪い取った大剣で以って襲い来る三人の冒険者を一挙に吹き飛ばしてヘスティアを守り抜いたベルは、握りしめた大剣の重厚な感触を手に感じながらアイズとルドウイークに交互に視線を送っていた。多数の敵に囲まれながら、一歩も引かぬ戦いぶりを見せるアイズ。一対一の戦いの中で敵の武器の一つを破壊し、睨みあいに移行したルドウイーク。

 

 どちらの相手も明らかに自分より格上だ。それでも援護をするべきだと心では決断を終えてはいたが、どちらを援護するべきかの判断は経験浅い彼にはすぐには決める事が出来ない。

 

「クソッ、舐めやがって……!」

 

 すると先程大剣を奪い取った重装の男冒険者が立ち上がって、敵意に満ちた目でベルを睨みつけた。そして腰から小ぶりなショートソードを抜いてベルへと再度挑むべく一歩踏み出し、ベルもそれに対するべく腰を落として大剣を構える。

 

 

 

 その時、通りに面した民家の戸が開いて、一人の人影が姿を現した。

 

 

 

 男冒険者とベルは同時に驚愕する。一方は既に人払いが済んでいたはずのこの周辺に未だに人が残っていたことに。一方は一般の市民がこの戦いに巻き込まれてしまう可能性に。

 

 ベルがその人物に警告の声を上げようと口を開く。だが、雲から顔を出した月の照らした目前の人物は、黒の外套とバイザーで所属を隠した襲撃犯達とはまた一線を画す異様な装いを纏っていた。

 

 生半可な筋力では扱えぬであろう、大型の重鎧。それに反して下半身は薄手のズボンを纏っただけで、些かちぐはぐな印象を覚える。

 背には大剣が二本。鞘に収まった一振りと、ルドウイークが操るそれと同じ【仕掛け大剣】の最高等級品。

 

 何よりも特徴的なのは頭部を守るその防具だ。それに比べれば、装い自体はまだ常識的な範疇に収まってしまうだろう。頭髪や素肌を隠すために被られた黒い布、それを外れぬ様に乱雑に撒かれた古びた紐。

 

 

 

 

 

 そして、布の上から身に付けられた得体の知れない造形の『仮面』。困惑と戦慄の注目を受けたそいつ――――【仮面巨人】は、ぐるりとこの場に居る冒険者達に視線を巡らせ、今ここで起きている出来事自体が楽しくて仕方がないという風に肩を震わせた。

 

 

 

 




次回、【仮面巨人】。



年明けから宇宙ニンジャゲームに熱中していたり(ATLAS PRIMEイケメンすぎでしょ)令ジェネ見に行って滂沱の涙を流したり異様に仕事が忙しくなったり春節セールでゲーム(civ5)買ったりしてたせいでしばらくぶりの投稿となりました。

次話には既に手をつけてますがまたお待たせする事になるかも……申し訳ないです。

活動報告でまたキャラクター募集を再開しております。興味あればご協力していただけるとあり難いです。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。


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