月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか 作:くらうぇい
27000字、交渉パートです。
30万UAに到達してました、ありがとうございます。
その他、感想評価お気に入りや誤字報告などして下さり毎度助かっております。
楽しんでいただければ幸いです。
その日、一年を通して晴れの日ばかりのオラリオには珍しく曇天の帳がかかり、空を見上げてもいつもそこに有る太陽は顔を見せずただ聳え立つ【
そんな薄暗い鼠色の雲に覆われた空を見上げたルドウイークは、まるでそれが自身等の今後、今日の対談の先行きを表すようだといやに迷信深い感傷に囚われて小さく溜息を吐いた。
「……何溜息なんか吐いちゃってるんですかルドウイーク。縁起でも無い」
「まだ朝だと言うに、こうも空が暗いと憂鬱になる。貴方にはそういうのは無いのかね?」
「んー……別に。私、晴れも曇りも雨もそれなりに好きなので。大雨は出勤きついんで大っ嫌いですけど」
言ってエリスも空を見上げるが、すぐに興味を失ったかぶつぶつと呟きながら足早に歩みを進めて行く。ルドウイークは一瞬その背中に声をかけるべきか迷ったが、すぐに彼女を追いかけて歩き始めた。
二人は今、普段足を踏み入れる事の多い西
飲食料店や市民の住居が集まる西大通りと比べて、北大通りは服飾雑貨を初めとした日用品を主だって扱う店が多い。多種族都市であるオラリオにおいて、自身の種族に合った衣服や家具、日用品の調達は文字通りの死活問題であるためか、この通りも西大通りと比べて遜色のない程には栄えているようであった。
しばらく二人が歩いていれば、彼らの目前に幾つもの塔が密集して形作られた威厳ある輪郭がゆっくりと近づいてくる。あれが【黄昏の館】。オラリオ最大のファミリアの一つであるロキ・ファミリアの団員たちとその主たるロキ神が住まう知らぬものの無い大建造物だ。
その威容を前にして一旦足を止めたエリスは、自身のすぐ後ろを歩いていたルドウイークの襟首を引っ掴むと最後の確認を行うべく彼の顔を自身と同じ高さになる様に屈ませて、こそこそと小声で話し始めた。
「ではルドウイーク。実際に乗り込む前に少しおさらいしておきましょう」
「それはいいが、襟首を掴むのはやめてくれ。息苦しい」
「いや……何だか掴みやすいんですよね。ごめんなさい」
エリスがルドウイークを開放すると、彼は調子を確かめるように首を捩じって音を鳴らし、今度は自ら屈んでエリスの言葉に耳を傾けんとした。
「では、
「……内容は覚えているが、意図は良く分からない」
「…………分かりました、もう一度言いますよ? ……これは命令です。『私が不利になるような事は言わないでください』」
「……未だに良く分からないのだが、それにはどう言う意味があるのかね?」
腕を組んで首を傾げるルドウイークに対して、エリスはこれ見よがしに溜息を吐いて見せた。
「昨日説明したじゃないですか……貴方がこの命令に従ってくれるなら、『エリス神に不利になる事は言えない』ってロキに宣言してもそれは嘘じゃなくなるんですよ」
「ああ、神の真贋を見抜く力を騙そうと言うわけか。しかし、そううまく行くのか?」
ルドウイークの疑問は最もであった。
しかし彼の予想を裏切る様に、エリスは質問に首を縦に振る事で応じた。
「ええ、すでに実績はあります。私がそう命じて、貴方がそれに従ったという『事実』があれば十分行けるはずです…………多分」
「多分か? それではダメだろう。今回ばかりは、大真面目な話をしているんだが」
最後の最後で自信を失い尻すぼみとなるエリスの言葉にルドウイークは思わず呆れたような顔になって溜息を吐いた。それを見たエリスは慌てて取り繕うかのように捲し立てる。
「あ、いえいえ! 多分大丈夫です! それにですね、私達の眼は皆が思っているほど万能ではありませんから…………無能でもありませんけど。とりあえず貴方はまず、話し始めに私に不利になる事は言わないように命じられている、とハッキリ断言しちゃってください」
「…………了解だ。だが、それでロキ神の追求が止まるのかね?」
「多分止まらないと思いますけど……むしろそっちはオマケの要素で、本命は一種の演出です」
「演出?」
ルドウイークは思わず聞き返した。今回肝要なのは、ロキ神からの追及をいかにして
「それは……どう言った意味かね? 教えてくれないだろうか」
「はい。私から口止めがあったという事実は、イコールで貴方が私の信頼を得ていない、と推測させる材料になります」
「そうなのか」
「ええ。『後で何を話したか聞かれる』とでも言っておけばいいでしょう。それで、彼女は私とあなたの関係を誤解してくれるはずです。ろくでなしの女神に引っかかった憐れな子供だとね」
「いや待てエリス神、貴女はろくでなしではあるまい」
「演技ですよっ! そう思わせとくんです! 彼女の私への認識なんて、十年前か五年前で止まってるでしょうからね!!」
心底から演技と言う物を理解していないルドウイークに、エリスは思わず彼の外套の襟首をまたしても引っ掴み耳に口を寄せて叫んだ。彼にはそれが大層堪えた様で、彼女が手を離すと耳を抑えて数歩ふらつきながら後ずさり、頭を押さえ首を振る。そんな彼の姿にやりすぎたかと少々反省したエリスは大仰に咳払い一つして、次の説明へと移り始めた。
「……ごほん。次に二つ目。ロキは幾つか質問をしてくると思いますが、その意図をしっかり読んでください」
「あ、ああ……。これは覚えている。確か、ありうるのは『確認』と『詮索』だったか」
「はい。質問と言う奴の意図って言うのは基本『確認』か『詮索』かです。例えば、確かリヴィラでの戦闘でレベル2どころじゃない動きしてるのを見られたって言ってましたよね?」
「そうだな…………【
「でしたら、ロキはもう貴方の実際の能力がレベル2に相当しない事を彼女から聞いているでしょう。その上でレベルを訪ねてくるのであれば――――」
「それは『確認』の意図を持った質問、と言う訳だな」
「そうなります。この質問に限ってはもう相手も分かり切っていることでしょうし、正直に話してもらって構いません。他の質問で確認を取られた場合は、ブラフである可能性も否定しきれませんがね……それと詮索についてですが。こちらに関しては貴方で取り捨て選択してください。流石に、何を聞かれるかまではわかりませんから」
エリスの説明を咀嚼していたルドウイークであったが、ロキ神の質問による『詮索』について自己判断で対応しろとの彼女の言に、思わず不安に駆られて声を上げようとする。
しかしそれに先んじてエリスが説明の続きを初めたために、彼はタイミングを逃してしまい黙って耳を傾けるばかりとなった。
「後、三つ目ですが……相手の立場になって考えてください。現在、ロキはオラリオでも頂点に等しいファミリアを率いています。そして『遠征』と言う大事業を目前に控えた今、成果より安定を取る心理が生まれるはずです」
「…………で、あれば余程尻尾を出さなければ」
「今すぐに突っ込んでくることはないでしょうね、ええ」
安全はある程度担保されていると頷くエリスに、ルドウイークは少し安心した。だが、ほんの少しだ。やはり心配が心の大部分を占めてしまっている彼は、念を押すようにエリスに尋ねる。
「もしも。それ以上に迫られたら、どうする?」
「『言えぬ』『存ぜぬ』『明かせぬ』で押し通して絶対に教えないでください。そうすれば、アイツは私に聞きに来るでしょう」
「そこからは貴女に任せる、と言う訳か…………何だか申し訳ないな」
「お気になさらず、適材適所ですから。アイツと
「【ジャック】? ギルド職員のか?」
確か、ニールセンと話している所を見たことがあったか。ルドウイークは自身の記憶からジャックと言う男の姿をどうにか探し出して脳裏に思い浮かべる。
確か種族は
ジャックと言う男について明るくないルドウイークはしばしの間彼がエリスに例外とまで呼ばれる理由をうんうん唸りつつも探していたが、殆ど接触の無かったルドウイークに答えが見いだせるはずも無く、結局腕を組んだまま思考の迷路に嵌って行った。それを見かねて、エリスが一度咳払いをする。
「気にしないで下さい。後、あの男には関わらないでくださいね。ニールセンなんか比べようも無い位の厄ネタなので」
「ふむ……?」
あからさまにはぐらかしたエリスに、得心が行かぬとルドウイークは首を傾げた。しかし彼女は彼の態度に取り合わず、自身も腕を組んで話を再開する。
「まぁそんな事より、何より大事なのは自然体です。動揺すれば、アイツはそこをこじ開けて来ますから」
「…………しかし、いくら貴女に
「言葉は何にも勝る【魔法】ですよルドウイーク。使いようによってはどうにでもなります。下手をしてしまえば取り返しのつかないことになりかねませんが…………私も、それ以上に貴方も、そうなるのは望んでいないはずです」
「……そうだな。それは全くうまくない。私が上手くやるしかないか」
「そゆことです…………じゃ、そろそろ行きますか」
言い終えるとエリスはルドウイークを背にして歩き出し、ルドウイークも彼女の横に並んで無言で足を進める。
しばらくして、見張りと思しき二人の人間と、一人の猫人の女が待ち構えるように並んだ【黄昏の館】の正門がエリスとルドウイークの前に迫ってくる。それを目の前にした所でルドウイークがふと立ち止まり、エリスに声をかけた。
「そうだエリス神。結局<月光>と【
「<月光>は私が責任もって預かります。意外と軽くて助かりましたよ……【仕掛け大剣】は……まぁ、誰か私にも付くでしょうし、持ってもらいますか」
「む? 両方とも貴女が管理してくれるのではないのか?」
「そんな無茶言わないでくださいよ。二振りも大剣担いでらんないです……重いし。<月光>は常に抱えておくつもりではありますが、【仕掛け大剣】の方まで手が回るとは思わないでくださいね」
「そうか。頼むぞエリス神」
「任せといてください。ささ、今度こそ行きますよ!」
「ああ」
<◎>
その頃。黄昏の館の一角にあるロキ・ファミリア団長【フィン・ディムナ】の居室では、部屋の主である彼と主神たるロキが机を挟んで向かい合っていた。
部屋には他に人影は無く、普段であればこの場に居るのがふさわしい二人の内、ガレスは【椿・コルブランド】の元へ作業の進捗を確認しに
で、あるならば本来フィンもこの場に座しているのは相応しいとは言い難い所であったのだが……どうしても気になっていた不安要素を放置できない彼はこうして黄昏の館をぶらついていたロキを呼び留めて、自身の居室に連れ込んだのだった。
「……一ついいかい、ロキ?」
「んー? 何や神妙な顔して。ほれ、ウチに言うてみぃ」
大真面目な顔をして机の上で指を組み、ロキの瞳に真っ直ぐな視線を向けるフィン。一方、机の逆側のソファの上で胡坐をかくロキはリラックスした様子で普段通りの調子を崩す事はない。
その姿を見たフィンは一度溜息を吐いてから、改めて自身の抱える疑念をロキに開示した。
「昨日も言ったけど、やはり僕にはエリスへの君の警戒は過剰に思える。……何かあるのかい?」
腕を組んで尋ねるフィン。今まで楽しげに笑っていたロキは一瞬視線を斜め上に逸らしたが、すぐに諦めたように視線を戻して、小さく溜息を吐いた。
「…………やっぱ敵わんなぁ~フィンには。理由なら二つあるで」
「へぇ。それは何だい?」
「まず一つ目――――何となく、や」
それを聞いたフィンは泰然とした普段の態度からは程遠い呆れた表情をして、どこか徒労感を滲ませるように少し俯き問いを投げた。
「…………それ、真面目な話だよね?」
「当たり前やん…………自分でもようわからんのやけど、今のアイツ見てるとなんか背筋がゾワゾワするんや。フィンの親指と似たようなもんかなぁ」
寒がるように震えながら自身の体をかき抱くロキ。彼女の動きはどこかコミカルで緊張感の無い物であったが、フィンはこの状況で彼女が無用な冗談を言う事はないと長年の付き合いから良く分かっていた。故に彼は顎に手をやってしばし熟考し、そしてロキが先程挙げていた二つ目の理由について尋ねる。
「ふむ……じゃあ、二つ目は?」
「もっとツッコんでくれたってえ―んとちゃうん? …………ままええわ。二つ目は、そもそも今この状況が成立してるっちゅー事やな」
「どういうことだい、それは」
「ここで問題や」
ロキはソファから身を乗り出し、自身の顔の前で人差し指を立てにっこりと笑いかけた。
「今日うちらはそんのルドウィークとやらと会う事になっとる……それは何故でしょーか! はいフィン!」
「女神エリスが、眷族であるルドウイークに付けられる二つ名を出来るだけ地味な物にしてほしいとキミに頼んできた対価だろう?」
「ピンポンピンポーン! 正解や! ご褒美にアメちゃん食べる?」
「折角だけど遠慮しよう。で、それがどうしたって言うんだい?」
「うん。おかしいやろ?」
ロキはけろりとした顔で、フィンに答えになっていない答えを返した。フィンは思わず、
「……はぐらかさないでくれ。割と僕も多忙だよ」
「すまんすまん。ウチが言いたいのはな、『何で今ンとこウチらくらいしかヤバイってのを知らへんルドウィークをそうまでして周囲から目立たせたくないんや?』っちゅーとこやねん」
「…………それは」
ロキの齎した疑問に言葉を詰まらせるフィン。確かに、そう言われてみればそうだ。ルドウイークと言う男は現状、それほど目立っているとは言い難い。ロキ・ファミリアが彼の不自然さに気づけたのも【リヴィラ】で実際にその実力に触れる機会があったからだ。
であれば、他の神々や冒険者達は彼の実力を知らぬはずで、にも関わらずわざわざ二つ名を地味な物にまでして正体を隠す必要も無いはず。
ついでに言えば、遠征の準備の片手間とは言えロキ達もルドウイークの情報を集めていなかった訳では無い。同行経験のある冒険者やギルド職員への聞き込みを幾度か行っており、ある程度の調べはついている。
以前は【ラキア王国】――――女神エリスとも縁の深い【アレス】が主神を務め、闘争を至上とし周辺地域へと侵攻を仕掛ける【アレス・ファミリア】に所属していたが、紆余曲折あってエリスの元へと転がり込んだと言うのが聞き込みによって得られていた情報だ。
オラリオでの活動を始めてから極めて短期間でレベル2へとランクアップしたと言うのも、ラキアで長らく経験を積んでいたというのなら頷ける。瑕疵の無い、ありきたりな経歴だと言えるだろう。
だからこそ、そうまで逸脱した所の無いルドウイークの存在感をロキの要求を呑んでまで小さい物にしようとする目的が分からない。更に言えば、そもそも実力を偽装している地点で怪しいし、ラキアにあれ程の実力者が居たという話は無く、そうなると伝えられた経歴すらも怪しくなってくる。
フィンはますます難しい顔をして自らの思考回路を激しく回転させ、エリスの真意を今までに得られた情報を材料に推理し始めた。
…………だが、しばらくしてもこれと言った答えは思いつかず。降参と言わんばかりに肩を竦めてソファの背もたれに深く寄りかかったフィン。そんな彼の姿を見たロキは、どこか懐かしむような顔をしつつ自身の知るエリスについての記憶を掘り返し始めた。
「そもそもな……さっきからそもそもばっかゆーとるけど、エリスん奴は今まで二つ名なんてそこまで気にした事あらへん。昔、アイツが一番可愛がっとった眷族の子の最初の二つ名は【卍
「……ああ、【
「そうそう。アイツらには10歳そこらのアイズをなに賭けのダシにしとんねん、ってめっちゃ言ってやったん覚えとるわ」
エリス・ファミリア最後の団長として活躍した冒険者の在りし日の姿を思い出して、懐かしむようにフィンが答えるとロキも当時の神々に肩をすくめつつ、すぐに真面目な顔になって僅かに目を見開き、僅かに口元を歪めて楽しげにつぶやいた。
「ま、話逸れてもうたけど……今回はそん時とは違う。アイツはルドウイークの為に『地味な名前』を要求しとる……『目立たない名前』やなくてや」
「……確かに、それは妙だね。ルドウイークの存在を埋もれさせたいのなら、むしろ痛々しい名前の方がありふれていて目立たないはず。例え一時神々の嘲笑の的になっても早々に忘れられるだろうに」
「流石やな、フィン。ウチの説明必要ないんとちゃう?」
「最後まで続けてくれ。内容によってはルドウイークではなく、女神エリスを警戒しなければならない」
促すフィンの言葉を受けたロキは、しかし首を左右に振ってソファに思いっきり背中を預けて笑う。
「いんや、今のでうちの結論と同じやで。だから元々ルドウィークと
「彼女まで問い詰める気か? 大丈夫かい? もし彼女にとってクリティカルな部分を踏んでしまえば、それこそ敵に回るんじゃないか?」
「安心しぃ。昨日はああゆーたけど、そんな根掘り葉掘り聞いて別に敵に回すようなつもりはあらへん。そんなに
天井を向きながら手をひらひらとさせるロキ。その言葉に先程までロキに視線を向けていたフィンは深刻な顔をして指を組み机の表面を難しい顔で睨みつける。彼の明晰な思考の多くは、今年に入って急激にロキ・ファミリアの前にわだかまり始めたいくつもの問題に向けられていた。
「…………そう、今の僕らには問題が山積だ。目前に迫った【遠征】だけじゃない。アイズを狙った【怪人】、極彩色の魔石を持つ異様な【怪物】ども。更にはその裏で暗躍する何者か…………出来る事なら無駄な争いの火種を生む事は避けたいんだ。穏便に済ませてくれよ?」
「せやから敵に回すつもりはないゆーとるやろ! 全部うちに任しとき!」
胸を張ってロキは笑った。傍から見れば無謀なだけに見える様な態度ではあったが、しかしこう言った交渉事で出す結果に関してフィンはロキの心配をしてはいない。
今までも、彼女はこうして飄々とした顔を見せながらも数多の対立神をその類稀なる知性と謀略の手管によって退けてきた。そんな彼女がエリス・ファミリアを敵に回す事はないというのであれば、実際にそうなりはするのだろう。
だが、それだけでは済まないような不安が、フィンにはあった。今回の交渉は穏便に終わらせる事にはなるのだろう。だが、そもそも本当にそれが最適解なのか? 目前に迫った遠征について考えた時よりも、これから相見えるであろう一柱と一人の事を考えた時の方が指先が
何かを見落としている気がする。そもそもの条件を見誤っているような、前提からして間違えているような――――
深刻な表情で考え込むフィン。それを他所に、いつの間にか窓際に立って外を眺めていたロキは何かに気づいて声を上げた。
「っと……どうやら、お出ましみたいやな。来たでフィン、エリスとルドウイークや」
「……ふむ。じゃあ僕は配置に戻ろうか。ロキ、君も例の部屋で――――」
「うちも出迎え行ってくるわ」
「…………わかった。皆にも伝えておくよ」
「頼むわ。んじゃ、行ってくるで~」
「気を付けるんだよ」
普段通りの軽薄な態度で、ロキは部屋を去って行た。フィンはそれを見送って不安げに眼を細める。
これからの交渉は、思ったより忍耐の要る物になるかもしれないね。
彼はそれから今すべき最善の行動に対して思索を巡らせていたが、しばらくすると、本来であれば既に遠征向けの最終確認の為に手元を離れているはずの己の得物、【フォルティア・スピア】を手にとって、その金色に輝く穂先を丁寧に磨き始めた。
<◎>
【黄昏の館】の正門に辿り着いたエリスとルドウイークは、そこで待っていた
「【黄昏の館】へようこそいらっしゃいました、エリス様、ルドウイーク殿。ロキ・ファミリアの【アナキティ・オータム】です。以後お見知りおきを」
「レベル4、【
深々と頭を下げるアナキティを見て、エリスはルドウイークに説明するかのように彼女の素性を語ってから自らも元気良く頭を下げる。ルドウイークもそれに倣って、アナキティへと<簡易礼拝>の礼を向けた。
「<ルドウイーク>です。よろしく頼みます、オータム殿」
「こちらこそ。では、ロキ神の元へと案内させて頂きたいのですが……まず、武器を預からせて戴いても?」
「ええ」
アナキティの申し出に、ルドウイークは背にした<ルドウイークの聖剣>を下ろして彼女へと差し出した。
今この大剣からは<血晶石>が抜かれている。以前エリスが血晶石を見て禍々しさを感じたと言う話を告白していたからだ。その眼は間違いなく正しい。ルドウイークが武器にねじ込んでいた血晶石の殆どは、真実呪われている。
通常の血晶石と違い、毒々しい泡の浮いたその血晶石は装備や自身へのプラスの恩恵だけではなく、体力や特定相手への攻撃力の低下、武器の脆弱化などの様々な負の恩恵をもたらす。その分プラスの恩恵は通常の血晶石とは比べ物にならぬ程効力を増しており、出来るだけ自身に影響のない負の効果を持ちつつ、強力な効果を得た石を使うのが狩人達のセオリーである。
更にこの血晶石と言うのは元となった獣の血質などの個体差によって質の高低が変化するため、とにかく数を集めて選別する必要があった。故に当時の狩人の中で<聖杯>に潜る程の領域に立った狩人達は只管に地の底に潜って良質な血晶石を求めるようになり、その中でも獣を狩るためではなくもはや『良い』石を手にするために狩りを続ける、本末転倒な者も現れた。
<地底人>などと呼ばれた彼らも、ある意味では狩りに酔っていると言えたのだろう。他に被害を与える訳でも無く、むしろ余った血晶を他の狩人に融通していたことから狩人狩り達もわざわざ相手にしては居なかったが。
ともかくとして、ルドウイークはエリスが血晶石に忌避感を感じたのであれば当然ロキも同様の物を感じ取るのだろうと考えており、石はしっかりと抜き取って
大剣を受け取ったアナキティはしばらくそれを検分した後、見張りの冒険者に手渡して、再びルドウイークの顔を見つめて待つような表情を見せる。<月光>も差し出すように催促しているのだとルドウイークはすぐに気づいた。
「エリス神。これを」
「どーも!」
しかしルドウイークは無言の要求に応じる事は無く、下ろした月光をそのままエリスへと手早く預けてしまった。多少苦労しながらも、エリスは急遽取りつけられた紐をたすき掛けにして月光を背負う。元来より月光はその重厚さに比して、割と重量は軽い。
…………本当のことを言えば、ルドウイークは自身以外の存在が月光を手にしても何か問題があったりしないかの方がずっと心配だったのだが……月光とエリス、双方の様子を見るに特段何か反応を示したりと言う事も無かったので、彼は内心心配しながら月光をエリスに預けている。
「すいません、こちらは私が責任をもって預かります! なのでご安心を」
「あ、いえ、しかしですね……」
<月光>を背負ったエリスが言外にこれは触らせないと、圧力のある笑顔をアナキティに向けた。だが、彼女はそれにあまり乗り気ではないようだ。当然、ファミリアの冒険者として来客から武器を預かるように指示されているのなら正しい反応だったろう。
「流石に
「かまへんでー【アキ】。好きにさせたってや」
だが、本音とも方便ともつかぬ言葉を並べながらアナキティがエリスから<月光>を預かろうとしていると、陽気な声がその言葉を遮った。
場に満ちる神威に、ルドウイークは眼を細める。建物の中から現れたのはこれでもかと丈の短いシャツとパンツを身に付けた、快活そうに笑う赤毛の女神。
「…………お久しぶりですね、【ロキ】。いつも思うんですけど、その服寒くないんですか?」
「自分こそなんや、相変わらず野暮ったい服着とんなぁ。女神なら女神らしく、もーちょいぼでーらいん強調したらええんとちゃうん?」
「……ぼでーらいん?」
「ぼでーらいん。くふふっ……!」
何が面白かったのか、一人で堪えるように肩を震わせ笑いを漏らすロキ。それを見たエリスが普段の彼女から想像もつかぬ程に残酷な目つきをしているのを見てルドウイークはそちらの方にこそ笑いそうになったが、彼女がそれに気づけばまた耳元で大声を出されそうなのでやめておいた。
それに、ルドウイークにとって興味深かったのはエリスだけではなくアナキティまでもが楽しげなロキに対して冷ややかな視線を浴びせていた事だ。
意外と、神と眷族の距離が近いファミリアなのだな。もっと上下関係がはっきりしている物とばかり思っていたが。
ルドウイークは自身の持っていたロキへの心証を僅かばかり修正する。そうしているとロキはエリスから視線を外して、ルドウイークの元へと敵意を感じさせぬ足取りで歩み寄って、気軽な動作で片掌を差し出した。
「自分がルドウィークやな? うちが【ロキ】。仲良くしようや」
「こちらこそお会いできて光栄です。今日はよろしくお願いします」
ルドウイークは意識して笑顔を作りながら、その手を軽く握り返した。ロキも楽しげに笑って何度か手を振った後にどちらともなく握手を終える。それを横から見ていたエリスは、少々不機嫌そうに口を開いた。
「…………ルドウイーク、他の女神と私に対してなんか態度違くないですか? なんというか、丁寧と言うか……」
「何か良くないのか、エリス神?」
ルドウイークが尋ねるとエリスは少しむくれたような顔をして、ルドウイークを見上げるようにして食って掛かった。
「それですよそれ! ルドウイーク、私に対してもう殆ど丁寧な言葉遣いして無いじゃないですか!」
「それはまぁ、初対面の相手に慣れた相手と同じ言葉遣いをする事はないだろう?」
「ぐっ……確かにそうですけど、私が言いたいのはもう少しこう、崇め奉ってほしいというか何と言うか……」
「なんやなんやお熱いな~。でもなぁ、イチャつくんなら自分のファミリアでやったってや~~」
「ロキ!!!!」
茶々を入れたロキに大声で怒鳴りつけるエリス。しかしロキはそれを軽くあしらう様に手をひらひらさせて笑うと、複雑な表情で傍らに侍っていたアナキティに笑いながら声をかける。
「そんじゃあアキ。エリスの奴を待合室に案内したってや」
「はい、わかりました」
「エリスも迷子にならんようにな~。何かあったらアキに頼むわ」
「はいはい!」
苛立ちを露わに、エリスは建物に向かって大股で歩き始めた。アナキティがすぐにその後を追い、エリスの前に着いて門を潜り足早に去ってゆく。その時、一瞬エリスが自分にちらと視線を向けたのに気づいて、ルドウイークは小さく首を縦に振って応じた。
「そんじゃルドウィーク、自分はうちが案内したるわ。ちと階段上るけど、ちゃんとついて来てもらうで」
「はい。よろしくお願いします、ロキ神」
それだけ言うと、ロキもまたさっさと建物の入り口に向け歩き出した。それを追わない選択肢はなく、周囲をそれとなく警戒しながらルドウイークも彼女に従って黄昏の館へと足を踏み入れるのだった。
<◎>
「スマンなぁゴチャゴチャしとって。今遠征前であーだーこーだ忙しくてな、堪忍してや」
「いえ。こちらこそこの忙しい時期にこうして時間を作っていただいた事、感謝せずにはいられません」
「ほほー、随分と殊勝な心掛けやん。感心感心……っと、着いたで」
【黄昏の館】内を歩き回る事数分。ルドウイークの想像よりずっと複雑な道程を経て辿り付いた部屋の戸をロキが開くと、現れたのは特段何の変わり映えもしない普通の応接室だった。
長方形のテーブルが部屋の中心に置かれ、その向こう側と手前側に全く同じデザインの椅子が置かれていた。机の左右には小型の魔石灯があり、雲によって薄暗い今日は既に小さく灯され部屋の明るさを保っている。
そして机の向こう側にある椅子……恐らくロキが腰掛けるのであろう物の隣に、一人のエルフの女性が立っていた。
「……久しいな、【リヴィラ】以来か。私は君とあまり言葉を交わしていなかったが……ロキ・ファミリアへようこそルドウイーク。歓迎しよう」
神々にも比肩する美貌、充溢する魔力、そして高貴なる佇まい。【ロキ・ファミリア】副団長、【リヴェリア・リヨス・アールヴ】。このオラリオにおける最強の魔導士の登場に、ルドウイークは身に走った緊張を隠しながら
「どうも。名を覚えていただけたとは光栄です、リヴェリア殿」
「そう畏まる必要は無いさ。それよりも、今日はよろしく頼む」
礼を失する事の無かったルドウイークに、上機嫌な様子でリヴェリアは応じた。しかし逆にルドウイークは彼女の言葉に訝しむ様子を見せ、机の横を回って向かい側の椅子に腰を落ち着けたロキに問い質すように視線を向けた。
「…………私は、ロキ神と一対一で会談するものとばかり思っていましたが。リヴェリア殿は何故?」
「書記だ。他のファミリアの人間との会談ともなれば、内容を記録しておくのは必要な作業だからな。まぁ、私は居ないものと思って話を進めてくれ」
楽し気な笑みを浮かべるロキに代わってリヴェリアが穏やかに答え、幾枚かの紙の挟まった冊子を手に、気にも留めていなかった部屋の片隅の机に着く。
―――言うほど歓迎されている訳ではないようだな。
交渉能力や政治的手法の知識に縁のないルドウイークであったが、彼女らの見せた
だが実際にはロキ・ファミリアでも三本の指に入る実力者がその役目を買って出ている。それが何を意味するのか……そこまでは、ルドウイークには良く分からなかった。少なくとも警戒されているのは間違いない。彼は全身の感覚を研ぎ澄ませて周囲の状況を探る。
しかしルドウイークが部屋を把握し終える前に、ロキが満面の笑みで手を鳴らした。
「さ、ぼちぼち始めよか。よろしく頼むで、ルドウイーク」
「…………私はエリス神の不利益になる事は言わぬよう、彼女に命じられています。それ以外であれば、お答えできますので」
「まぁまぁ、そんな緊張せんでええよ! 別にエリスん奴に迷惑かけるつもりも無いし、取って食うつもりだってあらへんし……せや、茶でも入れたるわ。ちょい待っとってな」
それだけ言って、ロキは楽しそうに一旦部屋を後にした。その背中を目で追っていたルドウイークは思わず顔を不安に歪める。
明らかに好意を持たれているとは思えない状況だ。にも拘らずロキ神の行動は友好的と言って差支えが無い。自分の演技力や交渉力に自信は無かったが、まさかここまで読めないとはな…………。
ルドウイークは自身の知るなけなしの知識を総動員させこの場を切り抜ける方策を考えようともしたが、今までにエリスに示された対策以上のものは全く思いつかなかった。ここまで来て、ようやく彼はあの少女めいた女神に対して明確な危機感を抱く。
そして彼女が戻って来るまでに少しでも精神を落ち着けようと、目を閉じて周囲の環境に意識を向けるのだった。
<◎>
ルドウイークとロキ、そしてリヴェリアが応接室で笑顔の仮面を被り視線を交わしているその時、隣の部屋では幾人かの人影が息を殺していた。
団長であるフィンを始めとして、出先での仕事をほかの団員に任せ戻ってきた【
腕を組んで目を閉じ、耳を澄ませているガレスの隣に窮屈そうに座ったレフィーヤが机の上に置かれた紙に素早くペンを走らせる。
『来たみたいですね』
『そうね』
それにティオネが、同様に紙の上に短い言葉を記して返す。他の者達は物音ひとつ立てる事無く、漏れ聞こえる会話の内容を耳に焼きつけようと努力していた。
元より、ロキらが居る部屋と今皆が居る部屋の間の壁は建築の時から意図的に薄く作ってある。音を聞こえやすくして、隣の部屋で行われた会話の内容を記録、調査するために使われている館の中でも特殊な用途が与えられた一室だ。
時には隣室でロキが他の神の相手をしている間に会話内容や情報をまとめたり、逆にロキが隣の部屋で耳を
この部屋に幹部陣の皆が揃っているのも、当然部屋の用途に則った理由…………つまり、ルドウイークと言う男とロキの対談の内容を皆で評論するためだ。その為に、部屋に居る皆が物音を立てたりなどして逆に気取られぬよう、細心の注意を払って耳を澄ませている。
――――ティオナ・ヒリュテ一人を除いて。
「は、はっ、むぐっ!!」
突然、鼻のむず痒さを感じたティオナが派手なくしゃみをしようとしたので、隣に居たティオネが慌てて口を塞いで堰き止めた。見事にくしゃみをせき止められてティオナは何とも言えぬ不快感に眉を顰めるが、くしゃみを止めた側であるティオネは必死に怒りを堪えながら力強く紙にペンを走らせてティオナに突きつける。
『何考えてんのよアンタは!! バレちゃうでしょーが!!』
普段であれば叫び出しているであろう所を現在の目的とフィンが同室に居るという状況を考慮に入れて何とか抑え込んだが、ティオネの表情は今にもティオナに掴みかかりそうな勢いだ。しかしティオナはどこか気だるげに口を開こうとして、遮る様にレフィーヤの差し出した紙を受け取りあまり綺麗とは言えない字で文章を書いてティオネに差し出した。
『ルドウイークいいひとだし、こんなことするいみなくない?』
『良い人だからって調べない訳にはいかないでしょ』
自分の疑問に対する答えをティオネにすぐさま突き返されてしばらくティオナは紙を前にして悩んでいたものの、文を記すと立ち上がって両手を上げて伸びをして、部屋の出口へと歩いてゆく。
『あたし、おとたてちゃいそうだから、やっぱそとにいるね』
そう記された紙を残して、ティオナは足早に部屋を後にしてしまった。目を閉じ、微動だにしないガレスと考え込んでいるフィンを除いた少女たちは困惑からかお互いに顔を見合わせて、それぞれ紙にペンを走らせる。
『行っちゃいましたね、追いかけます?』
『必要ないわ。自分で言ってた通り、こういう場には向いてないもの』
『静かにするのって難しいよね』
ティオナを心配するレフィーヤにティオネが反対意見を提示し、アイズが落ち付かぬ様子で天井に目をやった。三人とも隣室の様子に耳を澄ませながらも、音を立てぬようにするのに苦慮しているようであった。その一方で、今まで目を閉じて無言に徹していたガレスが突如として口を開いた。
「……ダメみたいじゃの」
「だね」
フィンもそれに応じて、諦めたように小さく笑う。ロキ・ファミリアの大幹部であるはずの二人が、作戦と全く違う、むしろ台無しにするような行動を取ったのにこれ以上無くティオネが驚いて、慌てて紙にペンを走らせた。
『二人とも何喋ってるんですか!? ちゃんと筆談でやらないとバレちゃいますよ!?』
「……向こうはもう気づいとるわい。ルドウイークめ、ただもんじゃあ無いと思っとったが」
「流石にこうもあっさりばれるとは予想外だね。こりゃあ、ロキに頑張って貰うしかないかな」
驚愕から顔を見合わせる三人の少女を他所に、老練のドワーフと小人は現在進行形で想定以上の相手と
<◎>
…………一人出て行ったか。
精神が落ち着きを取り戻すうちに、隣室に幾人もの団員が待機していることを察知していたルドウイークは隣室の状況の変化を正確に把握していた。
元より、入り組んだヤーナムの市街に息を潜める獣を狩る者であった彼の五感は皮肉にも獣じみて鋭い。特に聴覚は家屋の中に潜む獣に先手を取ったり、遠くで獣に襲われる悲鳴を捉えるのに必要なためにヤーナムの狩人達の間では重要視されていた。当然、彼らを率い長期間ヤーナムで戦ってきたルドウイークに薄い壁一枚の遮蔽はそう意味を成さない。
そのせいで、突然エリスに耳元で叫ばれると大分効くのだが…………それについては彼も仕方のない事なのだろうと割り切っていた。
思索に耽っていたルドウイークの前で、かたんと何かが置かれる音がする。目を開けば湯気を立てるカップが目の前に置いてあり、リヴェリアの所にも同様にカップを置いたロキが自身も手に持ったカップをゆっくりと傾け、中身が熱かったのかすぐさまカップを話して口元を抑えて飛びあがった。
「あひ、あひ……!
「まったく……少し待っていろ」
赤い顔で懇願するロキを見たリヴェリアは呆れたような顔をして、一旦部屋を離れて行く。それをルドウイークが何の気なしに見送っていると、先程まで口元を抑えていたロキがさっと手を戻して特段火傷を負った風も無く流暢に話し出した。
「さてま、リヴェリアが戻ってくる前に話しよか。記録取られたくないもんもあるやろ?」
ニヤリと笑って、気の置けぬ友人にするような声色で提案するロキ。一見、こちらの事を
「そうですね。では、まず何からにしますか」
「んー……自分、ラキア生まれって聞いとったんやけど、あれホンマなん?」
「…………いや、それは正しくない。生まれは別の場所です」
「ふんふん。どこなん、それ」
興味深そうに尋ねるロキ。気軽そうな彼女の態度とは裏腹に、ルドウイークは既に追いつめられていた。
ここで適当な街を答えるのは簡単だが、流石にすぐ嘘だと発覚するだろう。だからと言って答えなければ、エリス神が口止めしているのだと判断される。ロキ神が『私の故郷の情報はエリス神の害になる物』だと判断してしまうだろう。それはマズイ。だがしかし、正直にヤーナムと答えるのは…………。
ルドウイークは狩りに臨んだ時と同様の素早い思索を持ってどうにかこの状況を切り抜ける術を模索する。数多の狩り、鍛錬、邂逅。残念ながら、それらの経験は彼の交渉能力や権謀術数への適性の低さを表すように殆どが役に立つ事は無かったが――――ふと、このオラリオに来たばかりの時の出来事を彼は思い出して、簡単な気づきを得た。
「――――――――<ヤーナム>」
「ム?」
「ヤーナムと言う街です。ご存知ですか?」
真実ゆえにさらりと口にされたその名前にロキは首を傾げた。どうやら、やはり彼女もヤーナムと言う街は知らぬらしい。
そう、知らぬのだ。ロキ神はヤーナムと言う街がこの世界にそもそもないという事を知らない。エリス神でさえ、詳しく説明するまではその可能性に至る事など出来なかった。
そもそも前提として、目の前に居る相手の故郷が別世界にあるなどと想像する者がどこに居ようか。世界を渡る実例が知れ渡っていたのならば話は違うだろうが、そんな事があるはずもない。
実際、ロキは自身の記憶からヤーナムという名の街を探し出そうとするが……手応えは無く、ルドウイークからその街の情報を引き出すべく質問を投げかけて来た。
「聞いたことない街やなぁ。どの辺にあるん?」
「山間部の谷あいにある、それなりの規模の街です」
「いや、どう言う場所かやなくて、どの位置にあるかや。自分その街から来たんやろ?」
「それが、あの街が一体どこにあるのか、そこからオラリオにどうやって辿りついたか、私にも良く分からないんです」
「はぁ?」
ロキの驚愕した顔を見て、ルドウイークは会心の手応えに内心でほっと一息ついた。今語った事は全て真実であり、ロキもそれは神の眼で以って見抜いている。だからこそ、大前提となる『ヤーナムが別世界にある』という情報が抜けているせいで、ロキから見ればルドウイークは『どことも知れぬ故郷から如何にしてかオラリオにやってきてしまった男』と言う真実を
「そんな事あるん!? せめてオラリオまでどんくらいかかったとか、いつ頃までその……ヤーナムとやらにおったとか……」
「それも分かりません。むしろ、私こそそれは知りたい」
困惑するロキに、大真面目な顔でルドウイークは畳みかけた。
「探り合っても仕方ないですし、率直に言ってしまいましょう。私の目的は我が故郷、ヤーナムへの帰還。その為にエリス神は私に協力してくれていて、私もその恩に報いるべくファミリアの再興を目指す彼女の元で戦っている……と言う訳です」
「………………あー……」
ロキは頭を抱えた。彼女としてはルドウイークから少しずつ情報を引き出して、それでもってエリスの思惑に当たりを付けるつもりであったのだが…………逆に、相手に先に答えを提示されてしまったためだ。
それにルドウイークの語るエリスの思惑自体はロキの想像の範疇を出るものでは無く、納得も行く内容である。彼女はもう少し何か込み入った事情があるのかと身構えていた故に、空振りに終わったような徒労感を感じ取っていた。そしてルドウイークはその隙を見逃さず、焦りを内に秘めながらも彼女に余裕を与えぬよう、落ち着いた声で問いかけをぶつけた。
「……他に何かありますか? リヴェリア殿が戻ってくる前に、聞かれたくないような事は話してしまいたいのですが」
「あー、せやなぁ…………」
悩む仕草を見せ、カップの中の液面に映る自身の姿をしばらくロキは見つめていたが、その内切り替えた様に顔を上げ、少し眉間に皺を寄せてルドウイークに問いを投げる。
「……自分がどっから来たかっちゅーのは、なんとなくわかった。でも、その強さはダンジョンも抜きにどうやって鍛えたん?」
ルドウイークは彼女の視線を真正面から受け止める。これはエリスも予想していた質問の一つだ。だが、ヤーナムと言う街の存在を明かしてしまった事で本来エリスが用意していた答えである『放浪の内でモンスターと戦っていた』と言う嘘を吐く前提の答えを使う事はない。
「ヤーナムには、ダンジョンの【怪物】に勝るとも劣らぬ<獣>が現れる事がありました。私は、人々を襲うそれを狩る<狩人>だったんです」
「……実戦で鍛えたっちゅー訳か」
「そうなります」
小さく笑って肩を竦めたルドウイークに、ロキは全く納得いかないような顔をした。
現在の世界においてある程度以上の
オラリオ外にも一応モンスターは存在しているものの、その力は大元であるダンジョンに出現する物よりも数段劣る。何でも、外のモンスターは嘗てダンジョンに蓋がされる前に外に飛び出したモンスター達の
独自の方法でオラリオの冒険者らに迫るレベルを獲得しているファミリアもあるにはあるとされているが、それでも、『外』においてはレベル3もあれば飛び抜けた実力者とされていると言うあたり、差が伺い知れると言う物だ。
それ故に【ギルド】は都市戦力たる冒険者の流出に非常に気を遣っており、稀に見るような特別な事例を除き、冒険者が自由に街の外へと出たりする事はまず許されない。
特に第一級冒険者ともなればギルドは常にその動向に気を配っており、外出には
その中で、外の街での実戦のみで明らかに第一級冒険者に匹敵する実力を身に付けたと言うルドウイークの言を本来ロキは信用するはずもない。だが、嘘を吐いていない事をはっきりと感じ取ってしまう神の瞳の存在ゆえに、ロキはそれ以上の詮索を如何に行うべきかの糸口を見失ってしまっていた。
……ロキはちらと、部屋にかけられた時計を見た。リヴェリアが部屋を出てから既にそれなりの時間が経過している。ロキとリヴェリアが事前に打ち合わせた予定では彼女が戻るまでの間に詮索を終えているつもりであったが…………ロキはルドウイークが目前に居るにも拘らず、小さく溜息を吐いた。
とんだ食わせ者やな、コイツ。準備不足や。
ロキはティオナから聞いていた「良い人」と言うルドウイークの評価に心の中で思いっきりバツを付けた。嘘を吐いていないが、故に付け入る隙がない。確かに善人ではあるのだろうが、全くの白と言う訳でもないのだろう。この男の隙を見つけるにはもっと念を入れた段取りが必要になる。
遠征を前にして元よりそこまで本腰を入れていなかったとはいえ、ロキにとって今回の会合はあまり成果の無い物となろうとしていた。そろそろリヴェリアも戻ってくる。彼女の思考は既に、この後エリスとどう言った会話をするかに向けられていた。
「……んじゃ、最後に一つええか?」
「はい」
最後と聞いて、ルドウイークは身構える。一方ロキとしてはもはや時間切れ前の悪あがきのような物であり、あまり気をやってはいない。だが質問の内容自体は、エリスとルドウイークが想定していたものの内、最も恐れて止まないものであった。
「――――あのどえらい光を放つ<魔剣>。あれはなんや?」
その質問を受けて、ルドウイークはロキの前で初めて目を見開いた。想定はしていたのだろうが、動揺を抑えきれなかったような仕草だ。それを見たロキは殆ど閉じられていたような目を薄く開いて彼の動向を鋭く見守る。
しばらくして、ルドウイークは絞り出すような声で申し訳なさそうに答えを返した。
「……………………それは、答えられません。申し訳ない」
「…………ふぅん」
疑念に満ちた目だった。ルドウイークは少々顔を強張らせながら神の視線を受け止める。彼は<月光>について語るつもりはほんの一かけら程もなかった。例え、どれほど怪しまれようとも…………既にエリスも巻き込みかけているというのに、これ以上被害を広げてしまう事は彼にとって耐え難い事だった。
しかし、ルドウイークのそんな心中を知る由も無いロキの視線はますます鋭い物へと変わっていた。目の前の少女じみた存在から発せられる凄まじい神威に、ルドウイークは背を汗が伝うのを感じる。
その時前触れ無く部屋の扉が開き、リヴェリアが水の入ったコップを乗せたトレイを持って戻って来た。彼女が部屋に踏み込んだ瞬間室内に発散されていた神威はなりを潜め、ロキは普段通りの気さくな表情に戻ってリヴェリアに水を要求する。
「りべりあ、おそいで~! 水、水!」
「ほれ、二つもあれば十分だろう?」
「四つくれ」
「二つだ」
「ケチ!」
ロキは素早くトレイの上からコップを引っ手繰ると、両手にそれぞれ持ったそれをがぶがぶと交互に飲み干した。その様をどこか呆れたような、母親が娘を見るような目で見ていたリヴェリアは喉を鳴らし終え満足そうに机にコップを置いたロキに問いかける。
「で、話は進んでしまったか? まだ記録する事は――――」
「いんや、もう話は終わったで。リヴェリア、ルドウイークを別室に案内したってや。ウチはエリスの奴とちっとばかし話あるから、そこで暫く待っててもらうで」
先程までの鋭い視線は何だったのかとルドウイークが思わずにいられないような態度で笑うロキに、リヴェリアは困ったように溜息を吐いてコップを回収するとルドウイークに視線を向ける。
「そう言う話だが……構わないか、ルドウイーク」
「はい。私から話せることは、元々多くありませんでしたから」
見定めるように問うリヴェリアにルドウイークはすぐさま首を縦に振った。これ以上ロキ神に問い詰められていればどこでボロを出すかもわからない。寧ろボロを出さなかったのが不思議なくらいの心境であった。
もう、後はエリス神に任せよう。<獣狩りの一夜>が明けるまで駆けまわるのとは別種の疲労感に苛まれながらも、それをおくびにも出さずルドウイークはロキに向け深々と頭を下げ、リヴェリアの後について部屋を後にした。
<◎>
呼び出され、ロキが待つという応接室を訪れたエリスは、ソファの上で憮然とした表情を受かべるロキを見て彼女とは対照的な満面の笑みを浮かべた。
「どうもロキ。ルドウイークとのお話はどうでしたか?」
「どうもこうもあらへん。自分、よくもまぁあんな奴見つけてきたもんや」
「まぁ、ひっどい言い草ですねぇ……そんなに楽しかったんです?」
「ぬかせドアホ。ちっとも楽しくあらへんわ」
言ってソファに思いっきり背中を預けてぼふりと音を立てるロキ。エリスはそんな彼女の向かい側、先刻までルドウイークが座っていたソファに行儀よく腰を下ろした。
「大方、あんまり情報抜けなかったんじゃないですか? 彼、そんな口巧くないですもん」
「<ヤーナム>っちゅー街で生まれたって事と、そこの<獣>仰山狩って鍛えたってことぐらいや。それ以外なんも――――」
「ちょっと待って下さいその話どのくらい話したんですか聞いて無いんですけど私!?!?」
「お、おう」
今し方、余裕綽々でソファに座ったのとは同一神物とは到底思えない剣幕で身を乗り出し顔を青褪めさせるエリスに、ロキは思わず圧倒されて不明瞭な返事を返してしまう。そんな彼女を他所にエリスは頭を抱えて早口で何やら当てもなく捲し立て始めた。
「ルドウイーク……! 自分である程度判断してとは言いましたが流石にそれはマズいですよ……! っていうか私も知らない事話してませんよね……ロキ!!」
「なんや」
「ルドウイークはヤーナムについてなんて言ってました!? 詳しく!!!」
「いやどっちの味方やねん自分」
呆れたようにエリスに憐憫交じりの視線を向けるロキ。彼女としてはルドウイークからロクな情報が取れなかった以上、何とかエリスから情報を引き出そうと考えていたのだが……半ば錯乱したように叫ぶエリスの様子に毒気を抜かれてしまって、気の抜けたように話し出した。
「まぁ、ラキアから来たのは嘘でホントはヤーナムってとこから来たかってのと、ヤーナムがどこにあるのかわからんくて、帰りたいんやけど困っとるってとこやね」
「あー……うん、まぁ、それくらいなら……」
「いや自分そこでそう言う事言ってどうすんねん。ルドウイークが頑張って隠しとった事を自分が口走ってもうたらあかんやろ。ホンマにどっちの味方なん?」
「……私は彼の味方ですよ。それに、貴女の味方にもなりたいと思ってます」
「どう言う意味や?」
ロキはエリスの行動を訝しんで、彼女の顔を両の眼で確と睨みつけた。ルドウイークには口止めをしておきながら、こうして対面した途端その事をあっさりと明かしてしまうなど、自身の知るエリスらしくない。もう少し、うまい隠し方をするはずだ。
なら、考えられるのは何か。そもそも、エリスにはルドウイークについてなんら隠すつもりなど無く、こうして二人きりで話をする事自体が目的なら……。ロキは恐るべき速度でその結論を見出したものの、それよりもエリスが立ち上がって、にこやかに提案する方が少し早かった。
「じゃあはっきり申し上げちゃいますけど…………ロキ。私達【エリス・ファミリア】と協力関係……いえ、同盟でも組みませんか?」
「同盟ィ?」
自身の想像したのと似通った言葉を発したエリスに、ロキは思いっきり怪訝そうな視線を向ける。
「どう言う風の吹き回しや。自分、うちの事正直好きやあらへんやろ?」
「そうでもないですよ。ぶっちゃけ、今地上にいる神々の中で一番信頼置ける神が誰か聞かれたら、私は貴方の名前を挙げるでしょう…………ムカつくのは、確かですけど」
不満気なエリスの確かな褒め言葉を聞いたロキは一瞬更に怪しむような顔をして、その言葉の裏を探ろうと、揺さぶりをかけるべく疑問を投げかけた。
「………………いやいや、エリスなぁ、自分のとこがどんだけ零細か分かっとん? うちらにメリットこれっぽっちもあらへんやろ」
「でも、言うほどのデメリットもありませんよね?」
「そらぁ…………うん、まぁそうやけど」
あっけらかんと答えるエリスに言葉を詰まらせるロキ。その隙を見逃さないとばかりに、しかし穏やかな口調でエリスはロキが無いと断じたメリットについて語り始めた。
「メリットはありますよ、ロキ。ルドウイークが十分な戦力になるというのは、貴女はともかく、貴女の
「だったらなんや? うちにルドウイーク貸し出してくれたりするんかい?」
「条件次第、では」
「……それこそアホ抜かせ。わざわざ何処の馬の骨とも知れん奴の協力仰ごうなんて、誰が思うねん」
「それだけの価値があると言ってるんですよ、ルドウイークにはね」
「はぁ? 言うのは簡単やけど、それをどう証明するっていうんや」
「そう思いますよね、そこで提案があります」
エリスは立ち上がって、自身の顔に人差し指を立ててロキに笑いかけた。
「ルドウイークと、貴女のファミリアのどなたかを戦わせてもらえないですか? そうすれば、彼の実力をあなたにも分かってもらえるはずです」
「…………うちが遠征を目前にしとるの、分かってて言っとるん? 誰か怪我でもしたらタダじゃスマンで?」
「大丈夫です。【ディアンケヒト】の【
ロキの反論を受けたエリスはその内容を予想していたように、懐から一本の厳重に保護された小瓶を取り出した。未開封である事を示す封が成された蓋には大手医療系ファミリアである【ディアンケヒト・ファミリア】の刻印がされ、中身がエリクサーである事を証明する文章と製作者の名前が書かれたラベルが瓶の横には張りつけられている。それを受け取り目を皿のようにして眺めまわすロキに、エリスはやはりにこやかな表情を崩す事無く口を開いた。
「これがあれば、万一大怪我したって死にはしませんし、遠征本番までに復帰するのも容易いでしょう。ま、それ以前に貴女の子供にも回復魔法くらい使える人いそうですけど」
「……自分、最近メチャ貧乏だったんとちゃうんか? どうやってエリクサーなんぞ調達したんや。これ一本で50万ヴァリスは堅いやろ」
「逆ですよ、エリクサーを用意するために貧乏だったんです…………まぁそれでも用意できたのは、消費期限が一月ちょっとの物だったんですけどね」
苦笑いを見せてソファにエリスは腰を下ろした。一方のロキはと言うと、手にしたエリクサーの瓶を眺めながら、頭の中で電撃的に思考を巡らせていたが……しばらくして一つの結論を出して顔を上げた。
「わーった。そこまで言うなら相手させたる。丁度、アイツと戦いたがっとったのが
「【
「……何で知っとるん?」
「【マギー】から聞きました。あのアマゾネスの子、ルドウイークと戦いたがってたそうじゃないですか。これって丁度いい機会だと思いませんか?」
「…………自分、今日の為にどんだけ準備しとったんや」
「大事な眷族の為ですもん。やれることは全部やったつもりですよ」
堂々としたエリスの言葉を前にしてロキは若干の敗北感を感じながらも、先程思いついた、ここから最善の方向にもっていく為の方案を成功させるべく更なる速度で思考を走らせた。
確かに、ファミリアの幹部陣も認める実力の持ち主を味方に付けられるのであれば文句はない。ファミリアの規模の違いからして、切り捨てようと思えばいつでも切り捨てられる相手でもある。
それに、あの正体不明の冒険者に対して同盟と言う形で堂々と監視を置くこともでき、彼とエリスがひた隠しにする謎――――ヤーナムと言う都市の詳細やら、彼の持つ魔剣の正体やらを調べる時間も出来るだろう。
そう言った面を鑑みると、先刻エリスが語った通りデメリットに対してメリットが勝るようにも思えた。だがそのメリットと言うのは決してプラスになる物では無く、むしろ保険となる物の類である。
…………この申し出を断れば、エリスとルドウイークは己の目の届かぬところで何かやらかすかも知れない。そんな予感が、彼女の内にはあった。ならば、同盟という名の首輪を彼女達に付けておくのはそう悪い判断でも無いはず。万一何かあれば、それをお題目にしてエリス・ファミリアとは手を切ればいいだけの話だ。
ロキはこれ見よがしに溜息を吐いて、それから気だるげに天井を仰いだ。
「……そか。こりゃもう、一本取られたなぁ」
「そりゃまぁ貴女は遠征の準備に忙しかったでしょうし、それに引き換えこっちはこの会合に全賭けしてましたからね。気に病むことじゃありませんよ」
「わかっとるけどさぁ、それと悔しいんは話別やん」
「ふふ、そうですね」
慰めるようなことを言いながら楽しげに笑うエリスを見て、やっぱそういう女神なんやなとロキは自身を棚に上げながらに思った。そして姿勢を戻すと、この後行う流れになったルドウイーク相手のテストの事を考えて、エリスに疑問に思った事を問い始める。
「話戻すんやけど、ウチの子供とやりあうって話、ルドウイークには伝えてへんのやろ?
「ルドウイークは、本当に必要な事であれば必ず協力してくれます。いいやつなんですよ、彼は」
「そんな奴を良いように使っとるなんて、正に神の鑑やな」
「貴女ほどじゃないです」
信頼の見え隠れする態度でルドウイークについて語るエリスを揶揄するように言って、ロキはそれに応じて皮肉るエリスと笑い合う。だが次の瞬間、何かを思い出したように不安げな顔になると、ロキは深刻ぶって、エリスに一つの心配を提示した。
「……今更な話になってまうけど、自分はええんか? ティオナの奴強いで? ……あんまルドウイークに大怪我されても、うちが気まずいんやけど」
「はは、そもそもの話、そんな心配する必要なんてないと思いますけどね」
「どーゆうこっちゃねん、それ」
エリスは不思議そうに問うたロキの顔をまっすぐ見て、勝ち誇るように笑った。
「――――ルドウイークは、負けませんが?」
「……へぇ?」
<◎>
【黄昏の館】中庭。普段団員たちが武器の素振りなどに使っているそこは目前に迫った遠征に備えて資材の一時置き場となっていたが、久方ぶりに整理され本来の機能を取り戻していた。その理由は、鍛錬場の中心で対峙する二人の冒険者にある。
本日ロキ・ファミリアを訪れたルドウイークの実力を計るため――――或いは示すため――――ロキ、エリス両女神の同意の元、ルドウイークとロキ・ファミリア団員による模擬戦が行われる事となったのだ。
中庭の周囲に集まり、ざわざわと騒がしくロキ・ファミリアの団員たちが言葉を交わしている。中には酒やつまみを持ち出し、観客気分で場を眺める者も居た。本来であれば遠征の準備に追われるはずの彼らが仕事を放り出してこの場に赴いている理由は、これから剣を交える二名の存在にあった。
エリス・ファミリア側の冒険者は当然、白装束を纏う【二つ名無し】のルドウイーク。2
対するは、【
彼女はロキ・ファミリアの団員の中でもフィンら首脳陣やアイズに次ぐ実力の持ち主であり、その人間性と実績から周囲の信頼も厚く、故に彼女の勝利を疑う者はこの場には居ない。だがルドウイークと言う男はティオナが18階層での動乱以降、ずっと闘いたがっていたと言う相手である。
そんな相手とぶつかり合う彼女の戦いが一体どのような物になるのか。探索系ファミリアの【ロキ・ファミリア】に所属し、皆がそれぞれ相当な修羅場を
一方で、二人を見下ろす特等席。当の二階部分から突き出したテラスに座しているはずの二柱の女神は用意された椅子から離れ、手すりから身を乗り出してこれでもかと言わんばかりの大声を張り上げていた。
「やったれティオナーッ!!! キャン言わしたれーッ!!!!」
「ルドウイーク!!! もう強いのばれてんですから遠慮せずにやっちゃってください!!! こちらはお気になさらず!!!!」
「そんのデカいのに一発いてこましたれやー!!! おニューの剣の錆にしたれーッ!!!」
「ルドウイーク!! このちんちくりん女神に『大は小に勝る』って事を証明しちゃってやってください!!!」
「ハァー!? それ言うんなら『大は小を兼ねる』やろ~ッッ!? 裏舞台に居た間に頭すっからかんになったんかエリス~ッ!?」
「何か喚いてますねぇセクシャルハラスメント女神が!! 貴方は少しファミリアの看板に泥塗らない振舞いを考えた方がいいんじゃないですかね!?!?」
「なんやとぉ……」
特等席で喚き立てる二柱の女神。彼女らの声を受けたルドウイークとティオナは、その神と呼ぶには些か威厳や神性に欠けた声援を受けて、どちらともなく笑い合った。
「…………随分仲がいいのだな、ロキ神とエリス神は」
「あたしもビックリ! ロキが他所の神様の前であんな風になるのって殆ど無いし、ホントに仲良しなんだろうね」
どこか安心したように呟くルドウイークに答えると、ティオナは背にした大剣を抜き、相当な重量であるはずのそれを片手で振り回した後切っ先をルドウイークに向けて獰猛に歯を見せる。
「それよりさ、早く始めようよ! あたしずっと楽しみにしてたんだから!」
「ああ。しかしティオナ、【
「んー、次の遠征でワケあって大剣使う事になってさ。その練習!」
「そうか。君の能力からすれば十分に大剣の適性もあるだろう。励んでくれ」
「言われなくても!」
猛獣のように笑って、ティオナは大剣を両手で持ち直し構えた。ルドウイークはそこに、確かな不慣れを見て取る。
しかし、大剣を長剣の様に扱うあの腕力は間違いなく危険だ。一撃でも受ければ、敗北は免れないだろう。正直、敗北する事は構わない。だが負け方は重要だ。あまりにも容易く地に伏してしまえばロキ神との今後の交渉に瑕疵が出るのは間違いないだろう。
――――まるで、獣と相対しているようではないか。
人間の体を容易く引き裂く獣の爪牙と、剛力から放たれるであろう大剣による斬撃は一度でも受ければ終わりという点では大きな違いはない。ならば、一度も喰らわぬように立ち回るのみだ。
「では両者、もう好きに始めてもらって構わないよ。万が一の事態になりそうな時は僕が割って入るから、安心して戦ってくれ」
二人の間に立っていた輝く穂先の
……何処から攻めてくるか。彼女の性格的に言えば、真正面からの振り下ろしか突き。それがもっとも『らしい』だろう。ならば横に避けるべきだが、そこから体術に発展されれば捉えられかねない。回避では無く防御か? だがそれこそ真正面から割られかねない。あの
「ルドウイーク?」
思索の海に沈んでいたルドウイークは、構えを解き不思議そうな顔でこちらを見つめるティオナに声を掛けられて、思わずそちらを見返した。
「ねぇルドウイーク、来ないならこっちから行きたい所なんだけど…………」
アマゾネスには似合わぬもったいぶった言い回しをして、ティオナはごまかすように笑った。
「ロキに先手は譲れって言われてるんだよね。ルドウイークの攻めを見たいんだってさ」
「……そうか、そうだったな。すまない」
彼女の言葉に、ルドウイークは納得した様に小さく笑った。そもこの戦いの趣旨はルドウイークの実力を見る事が目的であり、ティオナが相手になっているのは副次的な物に過ぎない。そもそも冒険者と言うのは自ら迷宮に挑む事を生業としている以上、攻めの技術は特別重要視されている。
――――ただ守るだけでは、偉業は成し得ない。それが獣狩りと冒険の、最も大きな違いであると言えるだろう。
ならば、己のやるべき事は一つ。
ルドウイークは少女に見えるティオナに剣を向けるという罪悪感を、エリスへの恩義とそれに応える為の覚悟で抑え込んで<ルドウイークの聖剣>を構える。
そして、目前のティオナが獰猛な笑顔を向け応じるように大剣を構えるのを見届けると、跳躍によって彼我の距離を瞬時に詰めて大上段から大刃を振り下ろした。
次回、ルドウイーク対ティオナ。狩り開始です(AMZNZ)
ひっさびさに交渉パートかいたけどバトルパートより正直キツイ(吐露)
更に言えばロキの口調エミュレイションがキッツイのなんのでした。
狂いそう……!(獣性の発露)
今話も読んで下さって、ありがとうございました。