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現実:称号 ー 我輩はローマ帝国元首である。だが皇帝では無い。ー

★『ローマ皇帝こうてい』:歴史学的な名称

『ローマ皇帝』とは、古代ローマにおいて専制的な権限を与えられた初代皇帝オクタウィアヌスと、その後継者とみなされている人々を指して用いられる歴史学的な名称である。


 ただし『ローマ皇帝』という単一の職位があったのではなく、資質と実績を認められた特定の人物が重要な複数の役職を兼任することによって専制的な権限を行使したものであり『ローマ皇帝』という新たな地位や官職が設けられたわけではない。

つまり新たに創設した役職に就任したわけではなく、あくまで既存の公職に就任、あるいは公職の職権を活用したにすぎないのだ。


 一般に最初のローマ皇帝であると認識されているオクタウィアヌスの死の段階においてさえ、今日「ローマ皇帝」と呼ばれているような単一の概念は認識されていなかったのである。


●プロト『ローマ皇帝』の誕生と滅亡:「王」への反感

 なぜなら古代ローマにおける「帝政」は、「僭主政」や「絶対王政」ではなく、あくまでも『ローマ皇帝』は『王』のような『君主』ではなく「共和政」を尊重する市民の一人に過ぎないことが建前であったからだ。


 実はローマ人の王や王政嫌いは有名であり、彼らは自分たちが国政を担っていることに誇りを持っていた。

これは、古代ローマ最初期の政体は王政だったのだが、一般的には伝説上の人物でローマの名前の由来となった偉大なる『建国王・初代ローマ王ロームルス』から第7代の『王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブス』を『ローマで王たるを許すまじ』と追放した事で、ローマは共和政に移った事によるものである。


 だからこそ、終身(死ぬまで)独裁官に就任して、「王」になりたがっていると疑われたカエサルは、一部の過激な元老院議員によって暗殺されてしまった。


 対して、追放した王の甥で追放した当の本人でもある最初の執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスは死後も共和政ローマの理念を象徴する者とされ、ガイウス・ユリウス・カエサルが王位への野心を露にしたときには、ブルトゥスの像に「ブルトゥスは王を追放して最初の執政官となったのに、カエサルは執政官を追放して王位に上り詰めた」と書かれたと伝わっている。


 因みに、この伝説的な執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスの末裔こそ、カエサル暗殺を象徴する人物の1人で小ブルトゥスことマルクス・ユニウス・ブルトゥス(英語読みでブルータス)である。

また彼は、ユニウス氏族に並んで母方のセルウィリウス氏族にも独裁者を討ち果たした祖先を持っており、正に独裁者属性特攻持ちなのである。


 なお、初代王ロムルスはローマ人が嫌う王でもあり、さらに元老院議員たちによって殺害されたという逸話も残っていたが、これはそっくりそのままカエサルと同じ運命をたどっており、ロムルスの名はやはり独裁や王をイメージさせるようだ。


●初代皇帝の誕生:建前の重要性

 故に歴代のローマの皇帝は、オクタウィアヌスが軍司令官(凱旋将軍)の称号『インペラトル』、神格化したカエサル家の家名『カエサル』の他、一度権力を返還し元老院によって再び譲渡された際に贈られた尊称で尊厳者を意味する『アウグストゥス』を合わせて、『インペラトル・カエサル・アウグストゥス (Imperator Caesar Augustus) 』と名乗るようになった事で初代皇帝が誕生したので、彼の後継者達もその称号を名乗り続ける事により、帝政は既成事実化していくのである。

またこれら3つの称号に加えて市民においては市民の中の第一人者としての元首を意味する『プリンケプス』とも呼ばれた。

これらをそのままの意味で訳すと「カエサル家のローマ軍最高司令権限を保持する第一人者にして尊厳なる者」となる。


 また、オクタウィアヌスの死後の最終的な称号は次の通りである。

『最高司令官、カエサル、神の子、尊厳なる者、最高神祇官、護民官職権行使37年、インペラトル歓呼21回、執政官当選13回、国家の父』


 なお、『ローマ皇帝』の役職の意味するところは以下のようなものに過ぎない。

『ローマ軍最高司令権限保持者、第一人者、執政権限保持者、護民職権保持者、皇帝属州の責任者、国家最高司祭』


●皇位継承法の不在:

 オクタウィアヌスが獲得した職権は、既存の職権をそれぞれ別個に獲得したものであり、これらをひとまとめの職務として継承する法律や仕組みは考案されなかった為、あくまで後継者候補が各職位についたのは従来の公職者選定の仕組みを通じてであり、皇位継承法の不在は後世まで引き継がれ、皇位継承時に度々騒乱が起こる原因となった。


 しかし誰でもその候補になれたわけではなく、あくまで後継者候補は皇帝家と縁戚である者に限られ、また縁戚でない者が皇帝候補となる場合には皇帝家と縁組することが求められた……軍事力による「皇帝権」獲得以外では。


・ウェスパシアヌスの時代:皇帝法によりフラウィウス朝を創始

 ウェスパシアヌスは皇帝家と縁戚を持たないまま軍事力によって、その実態はばらばらの職務の集積である「皇帝権」を獲得したため、彼の職権を明確にするための法律を定めた。


 初代元首アウグストゥス以来、ユリウス・クラウディウス王朝の皇帝たちに与えられていたのと同じ権限をウェスパシアヌスに付与する「ウェスパシアヌスの命令権に関する法律」(皇帝法)を元老院に制定させたのだ。


 この法律でウェスパシアヌスは『インペラトル』と自称し、その職務と職権が定義されたと見なされている。

古代ローマにおいては共和政の時代より、国家の最高指導者がすなわち前線に立つ軍司令官であったからだ。

また即位後、名前に『カエサル』『アウグストゥス』を入れたが、これは以降の皇帝の慣例となった。


 しかしそれでも継承候補者は「皇帝権」を構成する執政官やプロコンスル命令権、護民官職権を別々に与えられる状態は続き、元首政時代はこれら職務の未経験者が皇帝に就任した場合でも、即位時に後付け的に「プロコンスル命令権、護民官権、元老院への提案権」の授与がなされる慣行は続いた。


・ディオクレティアヌス帝の時代以降:4人の皇帝による統治

 専制君主制ドミナートゥスを創始し四分割統治制テトラルキアを導入したディオクレティアヌス帝の以降は、現役の皇帝が在位中に後継者を共治帝として分割統治・或いは共同統治する形態がとられるようになり、皇帝家と関係がない者が候補者となる場合は、やはり皇帝家との縁組がなされた。


 ローマ皇帝が職務・職位・職権として単一のものでなかったために、ローマ皇帝としての職務や権限は複数に分割して分担させることが可能であった。

これは実際のところ、広大な版図を持つローマの全てを一人のローマ皇帝が管理することは困難であったからであり、次第に下位の補助者カエサル同僚アウグストゥスに職務を分担させる慣行が普及したからだ。


 こうして3世紀にディオクレティアヌスによって複数のローマ皇帝による分担統治テトラルキアが組織化されると、以後のローマ帝国では複数のローマ皇帝による分担統治が常態化した。


 専制君主制ドミナートゥスを創始し四分割統治制テトラルキアを導入したディオクレティアヌス帝の以降は、現役の皇帝が在位中に後継者を共治帝として分割統治・或いは共同統治する形態がとられるようになり、皇帝家と関係がない者が候補者となる場合は、やはり皇帝家との縁組がなされた。



▼『皇帝』の称号と「皇帝権」:

 ヨーロッパにおける『皇帝』の概念は、その語源が古代ローマの元首の称号『インペラトル(imperator)』および『カエサル(caesar)』であるように、古代ローマ帝国の元首政『プリンキパトゥス』との結びつきによって生まれた。


 「皇帝権」の権力の重要な源は、古代ローマ人固有の概念であり共同体の秩序を支える指導的な人物の持つ特性である「権威」にある。


●オクタウィアヌスの権力掌握時期:


前30年

 エジプトのプトレマイオス朝とアントニウスを破り、ローマに凱旋。その前後から『インペラトル(凱旋将軍、最高司令官の意味)』と言われる。


前29年

 元老院から『プリンケプス(市民の中の第一人者)』の称号を贈られる。


前27年

 内乱時の非常大権を元老院に返し、共和政再興への意志表示を行う。それを讃えて元老院は『アウグストゥス(尊厳のある者)』の称号を贈る。

元老院と民会の決議により、イスパニア・ガリア・シリア・エジプトの『軍隊命令権』を10年間付与される。

同時に『属州総督プロコンスル命令権』を元老院と分けて行使することを認められる。

『護民官職権』を付与される。


前19年

『コンスル命令権』を付与される。


前12年

『最高司祭長(大神祇官)』となる。


 前2年

『祖国の父』の名誉称号を贈られる。



●『プリンキパトゥス』:「元首政」『ローマ帝国元首』は『皇帝』に非ず

 およそA.D.120年ごろの成立とされるスエトニウスの『ローマ皇帝伝』では『ローマ皇帝』を指すのに『プリンケプス』『インペラトル』『カエサル』と3通りに呼び、統一していない。


 ローマ帝国前半の政治形態を『元首プリンケプス』による政治という意味で「元首政プリンキパトゥス」と言う、帝政ローマと呼びながら帝政とは呼ばないもよう……建前ではその前半は「元首政」だったのだ。


『インペラトル』は英語の『エンペラー(emperor)』の語源で、日本語では一般に皇帝と訳されるが、『カエサル』の名もまたローマ皇帝の称号のひとつであり、歴代のローマ皇帝を指す語として使われてきたため、ヨーロッパ各国では皇帝を意味する語として『カエサル』に由来する単語が使用されることも多く、代表的なものとしてドイツやロシアなどで用いられた皇帝の称号(ドイツ語のカイザー (Kaiser) やロシア語のツァーリ (Царь, Tsar))の語源である。


 故に当時のローマ市民は、ローマ皇帝をエンペラーとイザーやツァーリなどとも呼ばなかった。


●『インペラトル』:

『インペラトル(ラテン語: imperator、インペラートル)』は、「インペリウム(命令権)」を付与された公職者であることを意味するラテン語であり、また古代ローマにおいて対外戦争で成功を収めた軍司令官(凱旋将軍)の称号としても用いられた。


 また、英語の「エンペラー」(emperor)やフランス語の「アンプルール」(empereur)、トルコ語の「インパラトール」(imparator)の語源であり、皇帝と訳される称号のように認識されているが、そのまま当てはめることはできない。


『インペラトル』の語源である「インペリウム(imperium)」は「命令権」や「支配」を意味し、王政期には王権の一部だったが、共和政期には軍指揮権を意味したので、『インペラトル』はこの語に由来し「命令者」を意味する事となる。


 そのため将軍を指す称号のひとつとなり、凱旋式に際しては兵士たちが将軍に呼びかける際の尊称として用いられた。したがって共和政期には『インペラトル』が同時に複数存在することもあったが、共和政後期になると意味が広がり、ローマの支配権や支配領域を指して『インペリウム』というようにもなった。


 このように、ローマの『インペラトル』と『インペリウム』は必ずしも「君主制」を前提としてはおらず、語源は同じでも「帝国の支配者=皇帝」に対して用いることを予定したものでもなかった。

だが、戦勝将軍への歓呼としての『インペラトル』をガイウス・ユリウス・カエサルが個人名として使用することを許され、この個人名としての『インペラトル』は軍事指揮官と同時にカエサルの後継者という属性を帯びた名前となったからだ。

この特徴はローマ滅亡後の後代にも引き継がれ、皇帝のいない国を「帝国」と呼ぶ用法などが生まれる所以となった。


 また、ギリシア語が公用語であったビザンツ帝国では「アウトクラトール(αυτοκράτωρ)」を『インペラトル』の訳語として使用し『インペラトル』の称号は1721年にロシア皇帝にも採用された。


 この他、現代まで在位が続くイスラーム系君主号「スルタン Sultan」は、権威・専制的意味があり、『皇帝 Emperor』とも訳される。


●『プリンケプス』:第一人者

『プリンケプス』とはローマ帝国の所謂ローマ皇帝の称号の一つで「市民の中の第一人者」と言う意味で、具体的には元老院の議員リストの初めに名前が記されること。

日本では「元首」と訳すが、実質的には『皇帝』または『君主』である。

英語のプリンス(Prince)やドイツ語のプリンツ(Prinz)の語源とされる。


 これは、帝政ローマ初代のオクタウィアヌスが「共和政」の伝統を軽んじた義父のカエサルの失敗を繰り返さないために、「共和政」の伝統を尊重する姿勢をとってこの称号を用いたからだ。

所以に『プリンケプス(元首)』による政治という意味で、(ローマ帝国前半の政治形態を後の「皇帝権」を西方を治める正帝(西方正帝)と東方を治める正帝(東方正帝)による帝国の分担統治制度を確立したディオクレティアヌスに始まる「ドミナートゥス (専制君主制)」と区別して「プリンキパトゥス(元首政)」という。


 彼は志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して「帝政(元首政)」を創始、帝政ローマとして最高支配者となり、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)を実現した。


 こうしてガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)は、後世において最初の「ローマ皇帝」などと呼ばれる事になるが、しかし彼は建前としての共和政を遵守する立場であり、大きな権威と権力を手中にしながら共和政下のローマでは伝統的にネガティブなイメージを帯びていた禁忌タブーである「王」の称号を採用せず、代わりに共和政時代から存在する官職や権限を一身に兼ねるという形をとり、表面上はともかく実質的には終始唯一のローマの統治者であり続けた。


 そして彼の後継者達もまた同様な手法を受け継ぎ、「帝政(元首政)」は既成事実化して行き、そのため『ローマ皇帝権』とはその後も多数の称号を身に帯びることになったが、中でも特に重要な称号『インペラトル』『カエサル』『アウグストゥス』の3つがローマ皇帝を示す称号になっていった。



●『カエサル』:

『カエサル(ラテン語: Caesar)』は、ローマ帝国およびその継承国家で用いられた君主号である。

だが、ガイウス・ユリウス・カエサル自体は実はローマ皇帝ではなく、彼を第0代皇帝とする論もあるが一般的ではない。


 本来『カエサル』とは、ユリウス氏族に属するカエサル家の家族名であり、ここの出身である「来た、見た、勝った」で有名な古代ローマで最大の野心家ガイウス・ユリウス・カエサルが共和政ローマ末期にマルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦での勝利を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ「終身独裁官ディクタトル」に就任し事実上の単独支配を確立し「帝政」の礎を築いたが、暗殺時「ブルータス、お前もか」の名言を残し死亡。


 だがガイウス・ユリウス・カエサルに後継者として選ばれていたため、養子となってカエサル家を継承したオクタウィアヌス(アウグストゥス)によって実際に「帝政プリンキパトゥス」が開かれ『カエサル』の名はオクタウィアヌスの名でもあったことから『皇帝』を表す名のひとつであった。


 なお「帝政」を確立したアウグストゥスは、自身の後継者も養子とし『カエサル』の名を継がせており、ユリウス・クラウディウス朝の皇帝たちは皆『カエサル』の家族名を持つ事によって、それが皇帝としての正統な血統を受け継いでいることを意味していた。


 このため『カエサル』の名は、『皇帝』の家族名ファミリーネームであると同時に徐々に『皇帝』そのものを指す一般名詞としても機能するようになっていき、イエス・キリストが語ったとされる言葉「皇帝カエサルのものは皇帝カエサルに、神のものは神に返しなさい」はこうした用法の例といえ、ここでの「カエサル」は具体的には当時のティベリウス帝を指しているものの、もっと広い意味でローマ皇帝=ローマ帝国一般を指しているとも取ることができる。


 こうした皇帝を指す一般名詞としての『カエサル』の用法は、カエサル家であるユリウス・クラウディウス朝が断絶した後の皇帝たちもまた称号『カエサル』を名乗ったことから確立されていった。


 つまり皇帝たちは自らの後継者に『カエサル』の名を与えたため『カエサル』は「次期元首」を意味するようになっていったのだが、この「次期元首」としての『カエサル』の用法は後のローマ帝国後期ディオクレティアヌス帝の時代(専制君主制、ドミナートゥス)に入ると『副帝』をあらわす称号として使われるようになり、さらに正帝アウグストゥスを補佐する者として正規の『君主』号として使われるようになったのだ。


●『アウグストゥス』:

 帝政時代に皇帝を指した『アウグストゥス』の語は、『インペラトル』並びに『カエサル』が共に西欧語の『皇帝』を意味する言葉の語源となるのと比べるとは対照的に、その影響がほとんど残っていない。


 故に単にアウグストゥスといえば初代ローマ皇帝オクタウィアヌス(アウグストゥス)を指すのだが、称号としての『アウグストゥス(augustus)』は「尊厳者」を意味し、元はあくまでもオクタウィアヌス個人に贈られた添え名にすぎず、権威的には重要な称号だが、命令権や血統とは直接関係ないものだった。


 しかしながらオクタウィアヌスがこの名を贈られた紀元前27年1月16日が歴史的に帝政開始の日とされること、以後すべての後継者が帯びる称号となったこと、『インペラートル』や『カエサル』と異なりローマ皇帝以外に保持者のいない称号であること、ディオクレティアヌス帝の時代には正規の皇帝号になったことなどから、『カエサル』ではなく『アウグストゥス』の称号こそが当時ではローマ皇帝を指す最も重要な称号として認識されている。


●護民官職権:

 本来は、あらゆる行政行為や国家全体の民会における立法・選挙、さらには元老院の議決などに対して拒否権を持った、平民だけで構成する平民会から選出され平民の代表として拒否権を持つ平民の権利の日常的な保護に当たった官職だったが、次第に形骸化し帝政期には皇帝が兼任する名誉職的な名称に変質した。


 ローマ皇帝は、護民官職権を付与されることにより、護民官に就任することなく護民官と同等の権限を行使することができた。

すなわち神聖不可侵権を持ち、ローマ内のあらゆる行政的な決定や提案に対する拒否権を持ち、立法権があるプレブス民会を召集できた。


最高司祭長ポンティフェクス・マクシム(大神祇官):

 本来古代ローマの国家の神官職のひとつで、コンスル(執政官)の宗教的任務を助けたポンティフェクスの長。

宗教的手続の不備を理由に民会決議(立法,選挙)の無効を宣する事ができ政治的影響力を有した為、その神聖な権威を元首政の確立に利用したのだが、3世紀以降の皇帝はポンティフェクス・マクシムスへの就任を拒むことが多くなり、その地位をローマ教皇に譲った為、ポンティフェクス・マクシムスは現在もローマ教皇の称号の一つである。


●祖国の父(pater patriae):

 歴代ローマ皇帝達は長年皇帝として活躍した場合など、元老院からこの称号を贈られていた。皇帝の肖像の入った硬貨にしばしば「PP」と書かれているのはこの「pater patriae」の略である。

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