阿部ガットギター(ギターの話2)
NHKのギター教室を見ながら、必死に練習したのは小学6年のころである。壊れたギターをくれた従兄は国立大学の哲学科に入り、新しくギターを買った。河野賢氏の5万円の手工ギターで、大きくて美しい音が出る。
河野ギターは日本人で初めて、パリ国際ギター製作コンクールで第1位を受賞した名品であり、また河野賢氏は我が国初の本格的なクラシックギター専門誌を発行する現代ギター(ずーっと愛読しておりました)社を設立した、業界の大立者でもある。
私が親からやっとの思いで買ってもらったのは、全音という音楽出版社が出していた「阿部保夫ガットギター」(15000円)で、最初はこれでも大満足だったが、河野ギターとは比較にならないくらい音は小さく、しかも弾きにくかった。
そのころ熱中していた曲は、F・タルレガの「アラビア風奇想曲」である。まったくの偶然だが、従兄の家でギター談義をしながらNHKラジオの第1放送を聞いていると、曲名を知らせたあと、いきなりかかったのが、この曲だった。演奏していたのはN・イエペスである。
クラシックギターの曲は今も昔も放送は少なかった。従兄は、NHKラジオの深夜放送「夜のハーモニー」(だったと思う)を聴きながら、オープンリールのテープデッキにマイクをつけっぱなしにしておいて、ギターの音色ならば何でも録音していた。
「アラビア風奇想曲」のときは、たまたま従兄の家に居合わせたのだが、あまりの名演奏に、1ヶ月ほどうなされた。
---ここまでの演奏ができるには、いったい何年かかるのだろうか?
私は呆然とした。しかし、思い直して楽器店に行き、この曲のピースを購入した。40年後のいまも大事に持っている。値段は120円くらいだ。
この曲と、F・ソルの「モーツアルトの魔笛の主題による変奏曲」、通称「魔笛」の2曲をマスターすることが、ギター修行の当面の課題だった。この曲は、断然、セゴビアの演奏に止めを刺す。
いま聴くとヴイルティオーソ(名人芸)的な、クセのある演奏だが、「Coda」と呼ばれるフィナーレの最後の2小節のパッセージは、思わず息を呑む。この弾き方をまねて、それこそ何百回も練習したものだが、当然ながら、近づくことはできない。
どんな楽器でもそうだが、プレーヤーによって向き不向きの曲がある。アルハンブラはセゴビアのほうが美しいトレモロを聴かせるし、同じタルレガの作品でも「アラビア風奇想曲」はイエペス(ただし10弦ギターでなく、一番古い時代の録音の演奏が最も素晴らしい)に軍配が上がる。
この2つの曲を、鑑賞に堪えるほどの腕前になったと思えるようになったのは、弾き始めてから15年後くらいだっただろうか?
大学に入った私は、東京・笹塚の4畳半の下宿に2年間暮らした。大家さんの息子さん(私より3つくらい年上で、漫画家志望だった)が、「近所中で上手いと評判だよ」と言ってくれた。とても嬉しかった。
現金なもので、褒められると一層研鑽を積むようになり、受験中に忘れかけていた曲をもう一度おさらいした。このころ使っていたギターは、実は兄嫁のもので、とても良い音を出した。
「これは、俺くらいのテクニックがなければもったいない楽器である」などと兄嫁を騙して、東京に持っていった。たしか一柳さんという名匠の作だったと思う。
左の作品は、ご子息の手になるものではないかと思う。楽器の製作家は世襲が多く、ギターもその例に漏れない。長年愛用していたが、10年で壊れた。そもそも使い始めたころに、兄が先端部分をぶつけて自分で修理したのだが、そのひびが大きくなり、弦を張ることができなくなったのである。(続く)
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