— みんな電力を知ったきっかけ —
- 小澤
- 新郷君がみんな電力を知ったきっかけを教えてください。
- 新郷
- 一番はじめにみんな電力の名前を知ったのは、他のインターン先のご縁でした。Sustainable Japan(ESG分野での最新事例を紹介するウェブメディア)を運営している株式会社ニューラルの代表取締役で、みんな電力の顧問でもある夫馬賢治さんの元でインターンをしているのですが、彼から「面白い人がたくさんいる会社がある」と、みんな電力の存在を教えていただきました。その後大学院に進学し、再生可能エネルギー大量導入時代の新たな電力取引形態に関する研究に従事することになりました。そして、自分の研究分野の先端事例として、みんな電力の名前を聞く機会が増え、「一体どんな会社なのだろう?」と気になり始めました。
- 小澤
- なぜみんな電力でインターンをしてみようと思ったのですか?
- 新郷
- 一つは、電力取引の研究を進めていくうちに、研究だけではわからないことがあると感じたからです。例えば、電気というのは特殊な商品で、基本的に備蓄することができません。発電したら、基本的にはその場で需要家まで送電して、その場で使わなければいけないです。電気の特殊性を考えたときに、自然の気まぐれを相手にする太陽光発電や風力発電などの発電側と、人間の気まぐれを相手にする需要側を、常時帳尻を合わせるようなシステムを考える上で、ひとつひとつの発電所や一人一人の需要家がどのような電気の作り方/使い方をしているかを把握することが重要だと自分は思います。しかし、研究室にはそのような具体的なデータはほとんど存在しません。
- 小澤
- なるほど、研究だけはわからない実際のデータを把握したかったのですね。
- 新郷
- また、”Sustainable Japan”でのインターン経験を通じて、先端的な取り組みを行っているプレイヤー(企業や団体)の内情を知りたいと強く思いました。例えば、RE100に取り組む企業一つをとってみても、その宣言を達成するために具体的にどんな人や組織と協力してどのような方策で進めていこうと考えているのか、その際に何がハードルとなり得るかなどは、なかなかプレスリリースやニュース記事だけからだと見えにくいと思います。
- 小澤
- そもそも環境問題に関心を持ったきっかけは何だったのですか?
- 新郷
- 今までの話からもわかると思いますが、環境問題には昔から興味を持っています。その問題に、きちんと関わろうと決心したのは、大学学部時代に参加した「日米学生会議」という学生団体での経験がきっかけです。これまで海外志向も強く外へ外へと出て行こうとする大学生活だったのですが、日米両国の学生を日本においてホストするプログラムの運営をするにあたって、日本を見つめ直す機会が得られました。
- 小澤
- 日米学生会議ではどんなことをしていたのですか?
- 新郷
- この会議では東京、京都の他に愛媛と三重にも訪れたのですが、特に三重県の伊勢志摩地方で現在も活動なさっている海女さんたちの文化やライフスタイルに衝撃を受けました。牡蠣やアワビ・海藻類などを素潜りで収穫するのですが、あんまり小さい貝は取ってはいけないとか、取っていい時期が決まっているとか、海女さんのコミュニティ内で自主的に設定されたルールがあります。そのルールが現代風な言葉で言えば「サステナブル」であるのですが、彼女たちの中ではもっと自然に生活に根ざしている価値観で、取りすぎたら後々自分たちが困るとか、「自分たちの営みも大きな自然の中の一部なのだ」ということを当たり前のように理解している様子で、その姿がとても印象的でした。
- 小澤
- それが環境問題に興味をもったきっかけだったのですね。
- 新郷
- その時、自分も社会も、こうした考え方を忘れないで生きていきたい!その方法を考えたい!と思いました。電力に関わっているというのもその時の経験から繋がっています。電力は二次エネルギーですが、一次エネルギーのうちのかなりの部分が電力に変換されて社会の中で利用されています。その電力の製造過程を上流に辿っていくと、結局は自然界のどこから資源をいただいてきているか、ということになります。そういうところにおのずと思いをいたせる社会にしたいです。