VIP室の来訪者
「それで、何を仰りたいのでしょうか・・・?」
高級ブランドとして名高いイタリア カッシーナのダークブラウン系ソファーに深く腰を掛け、腕組みをしたまま、総務課長 野士小茉莉(のしこまり)は、向かい合って腰掛ける相手の目線を巻き返すように睨み据えた。
6月も中旬、会社の定時株主総会が差し迫った時期に舞い込んだアポ無し来客である。受付担当者から「VIP室にお申し出のお客様」ということで伝えられた。
「VIP室にお申し出のお客様」というのは、この会社の受付担当者と総務部員との間で定めた、いわゆる「隠語」である。
この会社では、「VIP室」というのは、来客用応接室が10室あるうちの一室、最も受付カウンターに近い、というより、警察官の派遣を要請した場合に最もフロントから近い部屋のことをさす。部屋の名称は、A室から順にI室まであり、最後に「V室」、つまりVIP室がくる。他の社員もV室の存在を知っており、一般の来客をここに通すことはない。
「お申し出のお客様」というのは、用件を申し出なかったり、「役員に会わせろ」とか、用が済んでも退去しないような、会社として、お引き取り願いたい困ったお客のことを皮肉って、そう呼ぶようにしている。素性が怪しい場合や、反社会的勢力と見紛うような者やクレーマー等も含めている。
1階受付カウンタには、来訪客を間近に捉える監視カメラを設置しており、その映像は24時間館内配線で10階オフィス総務部室に配信され、録画されている。しかし、総務課のある10階オフィスから、1階カウンターのリアルタイムな事情が詳しくわからず、他の来客が多勢いる手前、受付担当者が特定の来客とカウンタで余り押し問答することもできない。このため、このような来客は一律VIP室にお通しし、総務担当者が懇ろに用件をお聞きしたうえで、丁重にお帰り頂くことにしている。
クレーム
自身を「社会運動家の『利然(りねん)』」と呼ぶ、この初老の男性は、数日前にこの会社(仮に「ジェイダクト社」と呼ぶ。)の社長宛てに株主と自称して、「質問状」を送りつけてきた。利然の質問状にはこう記されている。
「貴社は、TV夜月系列の報道番組にスポンサーとしてコマーシャル(CM)を提供しているが、この番組の報道姿勢には、大きな問題があることをご存じか・・・。この番組のMC(メインキャスター)は、これまでも日本の総理や他の政治家を槍玉にあげ、こき下ろすことによって、特定の他国の政府を崇め、忖度するような姿勢を度々繰り返し報道している。
このことは、日本の国益を著しく損なうものであって、決して許されない。
貴社は、CM放映を継続することにより、この番組やTV夜月の偏向報道に加担し、日本の国益を損ねているという事実を真摯に認めなければならない。
差し詰め、貴社は、放送法第4条に定める放送事業者による公平と事実報道義務違反に加担しているとともに、貴社自身が社会的責任を定めるISO26000とJISZ26000の規格に違反していることを認識しなければならない。
繰り返すが、企業はその社会的責任として、メディアの偏向報道にスポンサー提供することは許されないのである。
ついては、貴社の社長は、会社の代表者として、自らの考え方とこれまでの反省について、直ちに社内で検討し、その結果を、記者会見またはプレス公表するとともに、自社のホームページにもこれをアップしなければならない。
本書面に対する返答は、到着後3日以内に当職宛て返送されたい。期間内に返答無き場合は、貴社を訪れ、責任者への面会を申し出るものである。・・・(以下省略)・・・。」
表現の自由
ジェイダクト社では、利然の質問状のような類いの書面が社長に回付されることはない。総務課のほうで処理することにしている。
自社のCMを全国放映するような会社では、視聴者からこのような手紙が届くことは決して希ではない。励ましの手紙もあれば、あの音楽は耳に触るのでやめてほしい、俳優にあわせてほしい、ストーリー展開がおかしい、など等色々な系統のものがある。この番組に提供するのはダメだ、などの、色々な主義主張を展開するものも多数ある。
公開会社の株式を保有し、一株主として、企業側に発言できる機会があることは、それなりに必要な制度である。これにより、個人投資家目線で、企業の傲慢さを糺す役割が期待されていると思う。ただ、現実的には、利害関係者として有益な意見を言うものは少なく、むしろ、株主だから何でも言うことができるのだ、企業はワシのような少数意見にも従って経営の舵取りをしなければならんのだ、配当金が少ないから死にものぐるいで突っ走れ、総会に出席してほしいなら粗品を用意しろ、行使書を持参した家族5名分の粗品を寄越せ、などというような、なかには首を傾げるような無理難題を押し通そうとする株主がいることも、多くの総務担当者は知っている。
利然の質問状に記載された内容自体には、理の適っている部分もある。確かにスポンサーは、その社会的責任として、放映番組の採用、選択により、放映番組の編集理念や編制方針のあり方について、企業の考え方を間接的に伝えることはあり得ると思われる。
ただ、一方では、報道に関わる放送局には、報道番組の編集の自由がある。
これは憲法上保障されている国民の表現の自由、思想、信条の自由を保障するための反射的な効果の側面として、一定の制約の下に、その放送局に認められているものである。
このことは、放送法第4条とパラレルな位置にある同法第3条に明確な定めがある。同条は、「放送番組編集の自由」として、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」という規定を置いていることからも明らかである。
したがって、放送番組、特に報道番組にCM提供している立場に過ぎない一企業が、法律に定める権限に基づくことなく、これらの番組に関与することは差し控えなければならない。
この理屈は、野士以外の総務部員に定着した考え方である。
利然の主義主張の適否はともかく、これに対する会社の考え方を記者会見で表明せよ、とかプレス公表やWEB掲載せよという要求は、主義主張の内容と照らしても、一民間事業者がこれに応じるべき義務の範囲にあると言えないし、その要求は相当と言える程度を越え、やや強要的なニュアンスが感じ取れる。
野士は、この書面を見せられるや否や即刻、不受理・非対応の決定を部下に伝えた。
そんな状況の中、事前に連絡することもなく、利然が訪問したといういきさつである。
対決
受付からの連絡を受けた野士は、女性部下である田吉千代(たよしちよ)を引き連れ、颯爽と1階のVIP室に乗り込んだ。
野士は、ぺこり、と頭を軽く下げ、利然の前のテーブルの上に自身の名刺を差し出す。「総務課の野士と田吉です」と名乗るや否や、どっかりとソファーに身を埋めた。
こういう来客の場合、丁重な名刺交換はしない、というのが野士のルールである。田吉も同様に名刺を置き、静かに腰を下ろす。
名刺を受け取り、利然はあから様に怪訝な表情を示した。
「社長はいないのか?」
「どういったご用件でしょうか。」
社長に関する言及はあえてしない。野士は、丁重だが厳しい表情を変えず、毅然とした口調で用件を尋ねた。
田吉は一見無表情にその様子を見守るが、瞳の奥に戦闘姿勢がチラリ覗える。
「社長はお会いできません。この件は、私のほうで承ります。」
「社長以外とは話したくない。以前質問状でお尋ねしている件だ。君らは知らんだろう・・・」
「利然様の質問状は拝見しております。」
野士は、静かに手帳から取り出した利然の手紙をテーブルの上に置き、利然のほうに右手の3本指で押し出す。
「社長はこの件では対応しません。
社内の規則として、本件は総務課で承ります。私のほうでの対応がお気に召さないのでしたら、お話しできる者が他にいませんので、お帰り頂いて結構です。」
このような案件では、相手に言う隙を与えず、イニシアティブを完全にこちらで掌握することが基本的なセオリーである。野士は、長年の経験からこういう対処法を熟知していた。
野士と田吉が腰を上げかける様子を見て、思わず利然がこれを差し止める。
「では君たちで結構だ。」野士は再びドッカリとソファーに腰を落とした。
「ご用件を伺いましょう。」
「私は去年株主になった者だ。安定配当で株を買ったが、いきなり無配となり、株価も下がり、怒り心頭の思いである。それだけでも腹立たしいが、貴社がCMで偏向報道の著しい報道番組に資金を投げ打っていることを知った。そこで、質問状を送った。今のところ、貴社のホームページで何も謝罪が無いし、あいかわらずスポンサー提供している。
その理由を聞かせてほしいと思い、今日伺ったということだ。」
利然は、自分の考えを一気にまくし立てた。野士は、腕組みをしたまま、一言一句を逃しまいと、慎重な面持ちで利然の目元を見据える。田吉は、背筋を伸ばし利然の言葉を聞き入る。
「なるほど。」利然が言い終えるか否かのタイミングを見計らって、野士は相槌を入れる。
「利然様は、当社の株主様でいらっしゃる、その株主様が当社のCM番組に放送法違反や国際規格等への抵触があるのではないか、というご主張で、質問状を送付された・・・ということですね。」
野士は、利然から聞いた話しの要点だけを掻い摘まんで、淡々としっかりした口調で復唱した。
「そのとおりだ。貴社もホームページで、企業の社会的責任を訴えている業界大手の会社だから、この問題に目を瞑ることはできない筈だ。君は名刺で見ると、総務課の課長という役職に就いているのだから、他の人にも増して、この問題に向き合って、対応する必要があるだろう・・・」
「なるほど。それで、利然様は私たちに、何を仰りたいのでしょう。」
退散
利然が話しを続ける合間、野士は、腕組みを外さなかった。
表情すら変えずに、何を言いたいのか、と野士に詰め寄られようとして、一瞬、利然はたじろいでしまう。会社の総務課長からは、自分が期待している謝罪やリアクションが得られなかったからである。それどころか、野士が物怖じせず、早く結論を言え、といわんばかりの、切り返しに、焦りの表情が覗える。
「当社は法令違反等があるからけしからん、謝罪せよ、公表せよ、というご主張を伝えに来られた、ということでよろしいですか?」
野士は、続けざまに言い放つ。利然の気付かないところで、野士は脚組までする始末である。
「法令違反については、司法判断もありますが、検討いたします。」
野士の肯定的な言葉にかすかな期待を持つ利然だが、野士の次の言葉にその期待がはからずも形なく消えてしまっていくことに苛立ちを覚えた。
「法令違反があるという判断になれば、一定の措置も検討します。ただし、現時点で、私共に法令違反があるという事実があるという明確な証拠はありません。」
少し間を空けて野士が続ける。
「したがいまして、利然様のご指摘はご指摘としてありがたく頂戴しますが、ご指摘に対する会社の考え方は、今申し上げた通りですのでご了承下さい。」
「ちょっと待ってくれ。会社に法令違反が無いというのか。」利然は思わず両手の拳に力を入れて握りしめている自分に気付く。
野士は漸く、脚組と腕組みを外し、利然のほうに顔を近づける。野士の口調はこれまでと打って変わって、トゲトゲしさが薄れる。
「もし利然様の仰るように私どもが法令違反ということになれば、報道番組やこれに提供するCM制作会社、提供会社のすべてが法令違反ということになり、私共は全員が起訴されて刑事裁判なり民事裁判が提訴されることになります。」
野士には、少し微笑みすら浮かんでいるように見える。
「でもそうなっていませんよね。利然様。これってどういうことでしょうね。
つまり、法令違反である、という考え方には疑問があるということです。」
利然の口からは、反論できる言葉すら見つからない。
「利然様の仰るとおり、最近の報道番組には、番組によって、独自の色が出てきているのは事実です。ワイドショー化してきている、とか、ポピュリズムが色濃く出ている番組があるという指摘もされている位です。これを視聴する人の価値観や考え方に相容れない場合は、気分が良くないですし、自分の考え方を代弁する内容のものがあれば、気分が良くなるということはあります。
ただし、視聴者は色々な報道の内容を見て、自分自身の考え方を振り返ってみることもできるのだし、憲法上保障される思想や信条の自由も色んな報道の傾向があって、その実効性が担保されるものであるという考え方もできます。」
野士のいつもの理論展開が始まった。田吉は、理屈っぽい野士に一歩距離を置いている。部下だけでなく、株主であろうが顧客であろうが、野士の理屈っぽさは相手を選ばないところに、田吉は少し閉口しているのである。
「報道の内容が公正でないか、偏向しているかは、政府の判断によるものであって、私共がこれをどうこう言う立場にないことは明らかです。私共民間企業も報道への関与は制限されていますし、スポンサー提供という資金提供を通じて、表現や思想、信条の自由を実質的に確保するための社会的責任を果たしているといえます。
利然様のご指摘は、提供者において、報道内容の公正性を監視監督する機能を期待されてのものだと推察しますが、私共とすれば、現在の憲法理念や法令等で許容される範囲として、報道に関与しえるのは、国民または行政だけだと考えており、営利企業としての本分を超えるものとして考えています。この点ご理解下さい。」
「・・・」利然は一言も返せない。ただ、最後に一言。
「では、そのような考えであるということを、メディアなり、自社ウェブサイトで公表すべきなのではいのか・・・」
「その点、利然様のご意見としてはお聞きしますが、当社としては、法令等で定めるもの以外の情報発信は、かえってお客様に不要な混乱を招く可能性もありますので、差し控えさせて頂いております。何卒ご容赦下さい。」
「・・・」この流れで、利然がどう反応するか、田吉には興味深いところがあった。このまま帰る可能性は8割、何か反論材料を見つけて、野士に立ち向かって行く可能性が2割ある。利然はどうするか・・・・
「わかりました。もう結構。」
利然は、返す刀を切ることもなく、VIP室を退去した。嫌みの一言も残さず、である。
業務再開
野士らは、丁重に利然を見届ける。田吉は時計に目をやり、「13時50分、V室リリースです。」と受付担当者に来客ご帰宅の旨を告げる。田吉は、部屋の片付けを済ませる、と言っても、お茶の供応も何も無いので、規則どおり、消毒のためアルコール液を含ませたタオルで二、三回拭き取るとともに、次亜塩素酸水入りのスプレーを部屋全体に噴霧して部屋を出た。
「12分でした!」 田吉は、利然の面接に要した時間を野士に告げる。
タイミング良く来たエレベータの1台に二人は乗り合わせ、10階のオフィスに戻った。
「さぁ、業務再開だ」野士は頭を切り換え、デスクに戻る。
デスクでは、定時株主総会に向けた業務が立て込んでいる。
株主総会の準備
総務関係者なら良く知るところであるが、3月期決算の会社の総会担当者は、株主総会に向けた準備で、5月中旬の決算発表の前後あたりから、総会の当日まで、気の抜けない大量の業務で繁忙を極めることになる。
決算業務は、経理や財務部門で担当するが、経理部が作成する事業報告や計算書類、及びその附属明細書等の決算書類をベースに総会担当者は、株主総会の招集通知を作成する作業に取りかかる。
総会の招集通知は、会社法や会社法施行規則の定める法定記載事項を踏まえて作成しなければならず、遺漏や記載ミスがあると、総会の決議取消事由になることもある。だから、総会担当者は、この時期は、かなり神経質にならなければならない。総会担当者にとって、毎年の業務のなかで、この業務が最も大変であり、煩雑である。
また、招集通知の作成は、基本的には事務作業であり、人海戦術で足りる部分も
あるが、これに加えて、たくさんの事務作業がある。
決算発表や取締役会の事務局がが総務担当である会社は、決算に関わるスケジュールとして、基準日確定作業に伴う株主名簿の編制、総会決議事項及び総会参考書類の検討・作成、計算書類作成にかかる取締役会(承認取締役会)、監査役会運営、監査報告書の作成、株主総会招集事項の決定にかかる取締役会(招集取締役会)、総会運営方法の協議、担当スタッフの役割分担の検討、株主提案権の行使事務、株主Q&Aの作成、議長シナリオの概要作成、招集通知の発送、議決権行使の集計、リハーサル、総会当日の議事運営、総会後の登記事項の変更、株主優待制度がある場合はその事務など、実に多くの業務をこなさなければならない。
会社の規模が大きいほど、作業量は増えるし、株主数が多いほど、対応も細かくなる。
したがって、5月連休明け以降の総務部門は、これらの業務に手を取られる担当者が朝晩遅くまで残業が嵩み、オフィスの雰囲気も殺気だっている。
こんな時期に、イレギュラーに特定株主や顧客への対応が入ると、野士の機嫌が非常に悪くなるのである。
事件屋 野士小茉莉
人は、彼女のことを「総会屋」あるいは「事件屋」と呼ぶ。人によって、「何でも屋」と呼ぶこともあるが、彼女は、会社のためなら何でもするが、犯罪と浮気はしない、という新年がある。
野士は、ジェイダクト株式会社総務部総務課の花形課長である。5年前に入籍したイケメンの警察官の夫を持ち、一男一女をもうける40歳のキャリアウーマンである。
法学部出身で、学卒後、商社の法務畑で5年勤務した。酒の席でセクハラ被害を受けた同僚女性の直属上司の顔面に真空飛び膝蹴りを食らわせ、退職が決まった。正義感が半端ではないほど強く、しかも学生時代、空手の全国大会女子組手の
部で優勝している。とてつもなく恐ろしい女性である。
しかし、茶目っ気のあるところもあり、少なくとも、直属上司である小林部長には、とても愛嬌を振りまいて行動する。
「コバヤシ部長・・・今日は、そのネクタイが素敵ですぅぅぅ!」という、似つかわしない愛嬌の振る舞いを見て、周囲は完全に腰を引けている。部下の田吉もその一人である。
小林部長に対する和やかな笑顔は、その反対にいるこちら側に向いたときは、容赦の無い閻魔顔に早変わりしている。この切り替えの早さに周囲の人間は付いて行けないのだ。
そんな多忙を極める総務課のオフィス。脚組をして資料を睨み付けている野士の内線電話がけたたましく鳴り響いた。
おもむろに受話器を取る野士の口元から、フフッという呟きとともに、狡猾な歯が浮き出る。
「やってやろうじゃネーか!」 この言葉に、田吉は新たな事件の到来を予感する。他の部下も立て続けの厄介事に、ただならぬ恐怖を感じていた。
つづく