月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか 作:くらうぇい
感想の投稿、お気に入り評価、誤字報告して下さる皆さま。何時もあり難く思っております。
今話もお楽しみいただければ幸いです。
ロキ・ファミリアの面々の登場に、ルドウイークは大層面食らっていた。
そもそも、彼が18階層まで降りてきたのも彼らの主神であるロキの目を掻い潜るための下準備であり、己の持つ危険な情報がかの女神、ひいてはその眷族達に渡るのを防ぐためである。
自身の持つヤーナムや獣に関する数々の知識がこの世界に流布する危険を予測できぬ程、彼は愚かでは無かった。
ただ、ロキとの遭遇自体は既に約束された出来事であると言ってもいい。周囲から目立たせぬため地味な二つ名を付けようとしたエリスの根回しによって、既にロキと会う事は決定事項となってしまっている。
その期日までにはそれなりに猶予がある――――とは言え、時間とは思いのほか早く過ぎ去るものだ。万一ロキ神の思惑が危険極まりない物だった場合の備えを早くに用意しておくべく、こうしてルドウイークはここまでやって来ていたのだ。
だが実際の状況はどうか。偶然ではあろうが、彼が下準備と捉えていたこの段階で既にロキ・ファミリアの面々と遭遇する羽目になっている。
確かに、よくよく考えて見ればロキ・ファミリアはオラリオ屈指の大ファミリアであり、ルドウイークが滞在しているタイミングでこのリヴィラにも顔を出す者が居るのも不思議ではない。
だがまさか、己と直接の接触がある何人かが揃いも揃って、しかも団長や副団長と言ったオラリオ全体で見ても屈指の大物を
この状況に名案も思い浮かばず、とりあえずルドウイークはロキ・ファミリアの面々の顔と名前を一致させようと視線を巡らせた。
まず部屋に踏み込んできた三人。二人のアマゾネスの少女らについては詳しくないが、短髪の方は確か怪物祭で月光の開帳を目撃したものの一人だ。同じ黒い髪に良く似た顔立ちからして、長髪の方とは血縁関係にあるのと思われる。それに同行者らの顔ぶれから見て彼女らもそれに準ずる実力者なのだろう。
更に【剣姫】。彼女とはミノタウロスの上層進出の際と怪物祭の折、合わせて既に二度遭遇している。その噂や名声はあまり情勢に聡いとは言えぬルドウイークの耳にも届くほどだ。既にレベル5の、このオラリオに置いて最上位一歩手前と言える者達の中でも最強とされ、レベル6へのランクアップを控えているとさえ噂される。出来ればそんな有名人とはかかわり合いになりたくないと彼は考えた。
三人の背後で部屋の惨状に目を覆っているのはあからさまに魔法使いめいたエルフの少女。彼女についてはルドウイークも良く知らない。先日、【豊穣の女主人】で食事をした際にも特に気にしていなかった。恐らく、向こうも私の事など目に入っていなかっただろう。そう願いたい。
そして最大の問題である、彼女らの更に後ろで様子を伺う二人。ロキ・ファミリア団長、オラリオ最高の
この二人は
…………いや、だが彼女らは
一通り彼女らの顔を確認し終えたルドウイークは死体を注視するふりをして顔を伏せた。そして、足元に横たわるそれを調べて回るかのように少しずつ体を回転させて完全に顔を死角にする。だが彼のいじましい努力をぶち壊す、驚いたような声を短髪のアマゾネスの少女が投げかけた。
「あ! そこの人、もしかして怪物祭の時に滅茶苦茶な魔剣ぶっ
「……うん。ミノタウロスの時に名前を聞いた……確か、ルドウ
「いや、こいつはルドウイークだ。てかルドお前、【剣姫】や【
「……………………そう言う訳でも無い」
剣姫の間違いを訂正しつつ訝し気に尋ねるヴィリーに長い沈黙のあと否定を向けるルドウイーク。不満気なその様子に剣姫とアマゾネスは不思議そうに首を傾げる。その時、後ろで様子を見ていたフィン・ディムナが彼女らの間をかき分けるようにして部屋の中へと踏み込んでくる。その顔を目にしたボールスは眉間に皺を寄せて忌々しげな表情を作った。
「あぁ? ロキ・ファミリア? テメェら、ここは今取り込み中だぞ! 見張りは何してやがる!」
「やぁボールス。忙しい所すまない。実は、数日この街に滞在してダンジョンに潜ろうと思ったんだけど、来てみたら随分慌ただしいじゃないか。これじゃおちおち休息も取れないし、事件解決に協力させてもらいたい。どうかな?」
至極真っ当な動機での提案ではあったが、ボールスはそれこそが気に入らないという風に眉間に皺を寄せ、吐き捨てるかのように口を尖らせる。
「チッ、物は言いようじゃあねえか。テメェらといい、【フレイヤ・ファミリア】といい、事件と見れば首突っ込みやがって…………強けりゃ何しても許されるとでも思ってんのか?」
「は?」
喧嘩腰のボールスの言葉に、長髪のアマゾネスが苛立ちを露わにドスの効いた声で反応した。今すぐにでもボールスを殴り飛ばしそうなその剣幕に短髪のアマゾネスとエルフの少女が間に割り込み、長髪のアマゾネスをまぁまぁと静止する。
一方で彼女らへの信頼の表れかそちらに一瞥をくれる事も無く、フィンはボールスに現状について問いただし始めた。
「……それで、一体どういう状況だい? この冒険者の身元やら、事件のあらましやら、分かっていることがあれば聞かせてくれないか?」
「チッ……そうだな、ヴィリー、教えてやれ」
「あいよ」
ボールスの呼びかけに前に出たヴィリーが、フィンを初めとするロキ・ファミリアの面々へと今ある情報を話し始めた。ルドウイークは現状を整理するためにも、その話にともに耳を傾ける。
「死んでるのは昨晩ウチを貸し切った冒険者の男だ。全身鎧で顔まで隠してやがったもんで、素性はさっぱりわからねえ。んで、こいつがローブの女と一緒に宿に入ったもんで俺は昨夜はさっさとここを離れちまったんだが、朝戻ってみたらこの有り様だよ」
「え、何で店離れちゃったんですか?」
「そりゃあなぁ、男と女が宿貸し切りにしてまでヤることっつったら一つだろうが。俺は覗きの趣味はねえ」
「あっ……」
疑問をすぐさま口に出したエルフの少女の質問にヴィリーがそっけなく返すと、少女は答えに思い至ったか顔を真っ赤にして俯いてしまった。エルフや小人は外見から年齢が把握しづらいが、彼女は見た目相応の年齢なのだろうかとルドウイークは一人思案する。それを他所に、遺体の顔に布をかけて黙祷をしばし捧げていたリヴェリアが顔を上げ訝しむように眉を顰めた。
「ローブを着ていたというその女、顔は見ていないのか?」
「全く。フードを目深にかぶっててよ。メチャクチャいい女だってのは、体つきで何と無く分かったんだが……」
「そんなすげえ女だってんなら、俺も一目お目にかかりたかったぜ。チェスターの奴との商談で忙しくてよォ」
こんな時だというのに、少なからず助平心を覗かせるヴィリーとボールスに周囲の冷たい視線が殺到する。だがそんな浮つきかけた雰囲気を戻そうとするかのように小首を傾げながら短髪のアマゾネスが尋ねた。
「それじゃあ、やっぱその女の人が犯人なの?」
「多分、間違いねえぜ。俺はあの二人が入った後は宿閉めちまったし、こっちのルドウイークもそう言ってる」
そうヴィリーはルドウイークを指差し答える。すると周囲の視線が自身に集中し、居心地悪くなったルドウイークは腕を組みかえ質問に備えた。そして彼の想像通りに、フィンが穏やかに口を開く。
「ふむ。根拠はあるのかい?」
「そうだな……」
尋ねられると、ルドウイークは先ほどボールスやヴィリーに対して行った物と同じ説明をロキ・ファミリアの面々にも繰り返した。その際、死体の顔にかけられた布を一度剥ぎ取ったためにエルフの少女が短く悲鳴を上げたが、それ以外のものは彼の説明に真剣に耳を傾けている。
その状況こそが、ルドウイークにとっては好ましくないことこの上なかった。だが事ここに至っては今更逃げ出す事など出来ない。今彼に出来るのは、ただ早くこの事件を収束させる事。それによって、堂々とロキ・ファミリアの幹部陣から離れる事だ。
…………そう言えば、ヴィリーの言っていた物資の輸送隊はどうなったのか。やはり今頃、運悪く街で足止めを食らっているのか……。ルドウイークは出来ればそうであってくれと祈らずには居られない。それを他所に、フィンは提案するかのようにボールスに視線を向ける。
「で、あればまずその女性に話を聞くのが間違いないね。もう聞き込みとかは……?」
「やってるぜ。子分どもを総動員してる。だがまぁ、今んところ
「ふむ……そう広いわけじゃないここで証言が無いというのは、厄介だね…………ヴィリー、代金の取引に使った証文は残ってないのかい?」
「いやぁ、それがどっさり現物の魔石渡されたもんで、それで納得して作んなかったんだ。釣りもいらないなんて言うもんだしさ…………よっぽど楽しみだったか、あるいは時間が惜しかったのかもな」
リヴィラの街において、現物での取引が成される事は意外と少ない。そもそも並以上の実力者でなければ辿りつけぬこの場所では物資の流通に難があり、品々を効率的に搬送するためにヴァリス貨幣さえも切り詰められる物品の範疇に入る。
同じくかさばる物であれば実際に使い道のある道具か、或いは実際に求められている『商品』の方が優先されるのだ。その為、このリヴィラにはそもそもヴァリスでの取引自体が少ない。では何を使って物資のやり取りを行っているのか……その為の証文である。
彼らは取引の際、その対象の物品や金額、自身の所属を記した証文を用意して、それを地上に持ち帰る事で相手のファミリアに改めてヴァリスを要求するという形を取っているのだ。証文が今回も作られていれば、被害者の身元も早々に割れていたに違いない。
だが今回のような、あるいはルドウイークとチェスターの間の取引のような例外もあるにはある。理由はそれぞれ違うものだが……腕を組んで、事情をヴィリーは推理する。しかし彼に、不満気に顔を歪ませて短髪のアマゾネスが叫んだ。
「えーっ! 証文は作らないし店は離れちゃうしで、ヴィリー全然だめじゃん! 少なくとも残ってれば何時出てったかくらいわかるかもしれなかったのに!」
「いや、そうは行かなかったと思うが」
しかしそのアマゾネスの不満を諭すようにルドウイークが首を横に振る。
「……その女が犯人であるなら、彼が宿に残っていれば躊躇なく殺していただろう。顔を隠していたとはいえ、二人で宿に入ったのを把握されているわけだからな。生かしておく理由が無い……そういう意味では、ヴィリーは命拾いしたと言える」
「確かにそうだね。むしろ、死体が二つ無かったのは幸運と言うべきかな……ヴィリーが死んでしまっていたら、現状その女の情報はゼロだったんだからね」
「おいおいやめてくれよ只でさえ気が滅入ってんのに!!」
ルドウイークの推察に賛同を示すフィン。彼らの物言いに、自身の有り得たかもしれない結末を幻視したヴィリーが青ざめた顔で悲鳴を上げる。その時、外で見張りをしていた
「おう、来やがったか! そらどけどけ! 今からこいつのステイタスを開錠するぞ!」
ボールスが手を振って邪魔だと示すのを見て、ルドウイークとロキ・ファミリアの面々は死体から離れてその様子を伺う。ボールスは皆が死体から離れたのを見ると無遠慮に死体をひっくり返し、そこに屈みこんだ小男は背中に付着した血を拭きとり清めると、小瓶の蓋を引き抜いてその中身を背中に垂らし、それを文様を描くように塗り広げ始めた。
「ええと……『
「
素性を知る程度ならば十分だろう、とエルフの少女に対して言うリヴェリアの説明にルドウイークは横合いから耳を傾けた。
……どうやら、余り褒められた物ではないようだな。
ルドウイークは僅かに感じる匂いから、それが【
ルドウイークがそんな考察をしている間にも作業は進み、数分間指を躍らせていた小男は最後に指を手布で拭き取ると、目元の覗き穴から部屋の者達を
「済んだぞ、ボールス」
「ああ、すんません【
「ま、事が事だからなぁ。
「どうも。今度の仕入れ、安くしときやす」
「期待しとるよ」
小男はそれだけ言うと、立ち上がってさっさとその場を去って行ってしまった。それを見送った後、ボールスは死体の背の文字を読み取ろうとそれに近づき、しかし困ったように額に手をやって呻いた。
「ああくそっ、
「いや待て、エルフならここに二人いるだろう」
神聖文字が読めず、苦悶するボールスにルドウイークがその場に居る二人のエルフ――――リヴェリアと少女を指差した。それを聞いてリヴェリアが首を縦に振り、続いて剣姫がそれに続いた。
「任せてくれ。神聖文字なら私は読める」
「私も」
学に精通していることの多いエルフの中でも殊更高貴な血筋にあるというリヴェリアが神聖文字を読めるのはオラリオで学んだ知識からある程度予測していたルドウイークだが、剣姫までがその手を挙げたのには内心驚きを隠せなかった。だが少し考えて、リヴェリアから学んだのだろうかと勝手に納得すると、己も誰かから学ぶべきなのだろうかなどと思案していた。
その間に、リヴェリアとアイズによるステイタスの解読は進んでゆく。二人が小言で内容を照らし合わせるのを、周囲は固唾をのんで見守るばかり。その内、彼女らは困惑するように顔を見合わせると、皆の方に向かって読み取ったその名を口にした。
「……名前はハシャーナ。【ハシャーナ・ドルリア】」
「所属は……【ガネーシャ・ファミリア】」
「【ガネーシャ】だと!?」
その名と所属を聞いて皆が静まり返る中、唯一ボールスが驚愕のあまりに声を荒げる。それも当然の事だ。【ガネーシャ・ファミリア】はオラリオに在する【ファミリア】の内でも【ロキ】や【フレイヤ】に次ぐ勢力を誇る大ファミリアであり、なおかつ都市屈指の穏健派として知られている。その団員がここで殺されているというのは、明らかに【ファミリア】同士の勢力争いでは片付けられない、憂慮すべき問題だ。
故に、ボールスは今までの落ち着きが嘘の様に顔を青褪めさせ、あからさまに慌て出した。
「クソが……よりにもよって【ガネーシャ】!? それもハシャーナっつったらレベル4、【剛拳闘士】じゃねえか!? つまり――――」
「――――下手人の女は少なくともレベル5を超える実力者で…………」
「……相当な訳アリ、って事だね。まだ街に潜んでいる可能性も、大きいだろう」
動揺したボールスの言葉を、ルドウイークとフィンがそれぞれ継ぐ。つまり、このリヴィラに、正体も、動機も知れぬ第一級冒険者に匹敵する人殺しがまだ潜んでいるというのだ。その可能性に、彼らを含めた部屋の者達は一様に顔を強張らせた。
「ほ、本当に間違いないんですか? そんなレベルの高い人が、こんな殺され方をするなんて……毒とか使われたって事は……」
「毒とかじゃ、ないと思う。彼は『耐異常』のアビリティも持ってるから……」
「ハシャーナほどの『耐異常』なら、劇毒を受けてもそう効かないだろうな」
震えてその惨状を観察していたエルフの少女が尋ねるも、剣姫とリヴェリアが首を振ってそれを否定した。
『耐異常』は【発展アビリティ】と呼ばれるレベルアップごとに発現する可能性のある能力の一つで、多岐に渡るそれの中でも『耐異常』は読んで字の如く毒を初めとした状態異常を軽減、無効化するものだ。それもレベルやステイタスの様に等級で効力の強さが示されていると言うが、彼女らの物言いからして彼のそれは相当な等級であったのだろう。
ただ、そうなると下手人は情事という状況下で相手が油断していたとはいえ、自らの実力でレベル4のハシャーナを殺害した事になる。それ程の実力者――――レベル5を超える者はそもそもオラリオにもそういないはずだ。
「……ひとまずは、街の高レベル女性冒険者を集めて話を聞くのが一番だろう。それだけで、かなり数を絞れるはずだ」
だからこそ、それ自体が一つの手がかりとなる。ルドウイークは提案して皆の顔を見た。彼女らも少し思案した後、納得した様に首を縦に振る。
「その辺は任せとけ。おい、聞いてたか? とりあえず街中のレベル2以上の女冒険者を集めて来い!」
「は、はい!」
ボールスにとってもその提案は納得できるものだったようで、彼はすぐさま先ほどの小男を連れて来た男に向かって指示を出し、彼を走らせた。
こんな所か。
ルドウイークは他に出来る事が無いか思案する。……ただ、上手く考えがまとまらない。表面的には違和感がないが、流石に疲れが溜まっているのだろうか……。この事件の捜査が一段落したタイミングで、多少なりとも休息を取るべきかもしれないと彼は一人ごちた。
「すまないけど、少しいいかな。ハシャーナの荷物を調べたい」
その思考を遮る様にフィンが提案する。確かに、遺体は検めたが、遺留品まではまだ調べていない。彼が許可を求める様にボールスに一度視線を向けると、ボールスも少し納得いかなそうではあったが首を縦に振った。
「確かに、遺留品はまだだ。構わねえぜ」
「ありがとう、それじゃ失礼して――――」
「待ってください!」
礼を告げ、リヴェリアを伴って遺体の周囲を整理しようとするフィンを、長髪のアマゾネスが突如制止した。
「団長がわざわざお手を汚す事はありません! そのような雑務、どうか私にお任せください!」
彼女は心の底からフィンが遺留品に触れるのが我慢ならぬとばかりに、素早く彼の手を取って力強く主張する。対して、フィンはその対応にしばし困ったような表情を浮かべた後、彼女を諭すように優しく笑いかけた。
「ありがとうティオネ。でもこれは僕が直接見ておきたいんだ。今は、ちょっと任せてくれるかな?」
「あ、はい……申し訳ありません、出過ぎた真似を……」
フィンの言葉を受けたティオネなるアマゾネスは、その笑顔に一度顔を赤らめた後、眼を伏せて身を引いた。
その後、フィンとリヴェリアが破壊された調度品や破損した携帯品などを手早く整理し死体の周りを片付けた。そこには元々ハシャーナが装備していたと思しき装備と
「……これは少し、おかしいね」
「何かあったか、フィン」
「見てくれ。彼の装備だが、何処にも【ガネーシャ・ファミリア】を示す
「そういやハシャーナの奴、普段は
「ハシャーナ自身も正体を隠していたと言う事か」
「だろうね。リヴィラに何人か滞在しているだろう【ガネーシャ】の者が、この騒ぎに首を突っ込んでこないから不思議には思ってたんだ」
彼の発言にルドウイークはなるほどと唸った。流石に大ファミリアの団長を務めるだけはある。ルドウイークには遺留品から被害者の事情から知ろうという発想は思いつかなかった。ヤーナムでの<検証>では殺害者が如何なる獣であったかを知る事が肝要であり、獣に相手を区別するほどの理性も無い以上、被害者について必要以上に知る理由が無かったからだ。
「ティオネ、背嚢を。彼がダンジョンに居た動機について、何か手掛かりがあるかもしれない」
「はい!」
フィンが指示を出すと、ティオネと呼ばれた長髪のアマゾネスは喜び勇んで血の汚れも気にせず背嚢を漁り始める。その手付きは控えめに言っても雑で、無造作に中身をベッドの上に放り出して行くのを見てリヴェリアが少々苦い顔をした。
「あっ!」
割れた回復薬の瓶やら血の滲みた携帯食料など、荒らされた形跡を感じさせるものを次々と掘り当てていたティオネが突如声を上げた。その手が摘んでいるのは酷く血に汚れた羊皮紙。彼女が素早く差し出したそれをフィンは受け取り書面に目を走らせた。
「なんですか、それ?」
「
「み、見えない……」
その後ろからリヴェリアと剣姫、短髪のアマゾネスが書面を覗き込み、更に彼らに視線を遮られたエルフの少女が背伸びをしている。ルドウイークも彼女らの背後へと回って、その頭越しに文面を垣間見ようとした。
「『30階層』……『単独』、『回収』、『秘密裏』…………」
「やはり、何らかの単独
「らしいね。それも、彼ほどの冒険者を使うあたり相当な品のようだ。それを狙われて襲われた、と見るのが筋じゃないかな」
フィンのつぶやきに考え込むように問うたリヴェリアに、彼は首を縦に振って、懸念を示すようにハシャーナの死体へと目を向けた。確かにその通りであれば、ハシャーナを狙った犯人の動機にも筋道が通る。で、あれば次の問題となるのは当の犯人の行方であるが……。
「部屋の様子を見るに、犯人がまだこの街に潜んでいる可能性は高いだろうな」
ルドウイークのつぶやきに、死体を前にしていたロキ・ファミリアの面々は驚いたように振り返った。リヴェリアが射抜くような視線でルドウイークの目を見ながらに尋ねる。
「良ければ、その推察の理由を聞かせてもらいたい」
「……あくまで状況証拠だが、もし目的の品が見つかったならこれほど部屋を荒らす必要はあるまい。わざわざ証拠を残す危険も冒さず、早々にこの場を後にしている筈だ。それに、犯人にとってはハシャーナ殿ほどの相手を殺してまで探している物だ。手に入れないまま街を去るのは考えにくい」
彼の説明に、リヴェリアは考え込むように顎に手をやってしばし唸る。そしてしばらくすると、否定する材料が無かったようでフィンに向けて一度視線をやった。フィンはそれを見ると立ち上がって深く頷く。
「うん、僕もその意見に同意だね。多分相手は、まだこの街でその品を探しているか、こちらの様子を伺っているか……どちらにせよどこかに潜んでいる筈だ」
重苦しく言った彼は周囲の者達に目を向ける。その緊張した表情に、ロキ・ファミリアの面々の顔が一様に険しくなった。一方、それを見たルドウイークは彼がオラリオの最大派閥と呼ばれるファミリアの頂点に位置するのに相応しい者なのだと警戒を新たにする。
凄まじい物だ。これ程の面々にここまで慕われ、信頼されている。更に、彼自身の風格……もし敵に回せば、勝てるかどうかわからんな。
万が一、ロキ・ファミリアと対立する事になった時の絶望的な結末をルドウイークは明確に脳裏に描いた。このフィン・ディムナ一人で、おそらく自分と同等かそれ以上の戦力になる。更には周囲の第一級と思しき実力者たち。彼女らまで率いられれば、まず間違いなくルドウイークに――――エリスに勝利の目はないだろう。
だが、未来に目を向ける考えはこの場にそぐわぬ物だ。今想定するべき相手は、正体不明の女殺人者なのだから。ルドウイークは首を振って未来への不安を脳裏から追い出すと、皆に指示を伝えるフィンの言葉に耳を傾ける。
「よし。ボールス、改めてになるが今回の件に関しては僕らも全面的に協力しよう。是非使ってくれ」
「ちっ……分かったよ。とりあえず、そろそろ冒険者を集めるのが終わるはずだ。そいつらの尋問やらに人数を貸してもらうぜ」
「分かった、それについては僕も行こう。オラリオの第一級冒険者の顔はおおむね記憶してるつもりだ。リヴェリア、君もいいかな? 無理に集めた街の皆を抑えるには、僕らの『顔』が要る」
「ああ。異論はない」
「ありがとう。次にティオナ、アイズとレフィーヤ。君たちは街の皆への布告が終わり次第、捜索を頼む。万一敵がレベル6相当の実力者であっても、君たちなら僕らと合流するまで逃げおおせることは出来るだろう。ただし、レフィーヤはアイズから離れないように」
「りょーかーい!」
「分かった」
「了解です!」
「あ、あの、団長。私は……?」
皆にきびきびと指示が行き渡る中で、一人名を呼ばれなかったティオネがおずおずと手を挙げた。彼らと出会ってそう長くなく、なおかつ他者の感情の機微に疎いルドウイークにすら彼女がフィンに対して特別強い思慕を抱いているのは明らかで、自身だけ名を呼ばれなかったと言うのは恐らく相当堪える物なのだったのだろう。
だがその心の動きもフィンにとっては折り込み済みだったようで、彼はティオネの前に歩み寄るとにっこりと笑ってその肩に軽く手を乗せた。
「ティオネ、君には僕らの補佐を。僕らは皆の前に出るせいで動けないタイミングが出来るだろうから、その時の対応を任せたい。頼めるかな?」
「は、は、はい! お任せください、団長!! この【ティオネ・ヒリュテ】、必ずやその期待に答えて見せます!!!」
その気合の入り方に、フィンはいい事だと笑いながらに頷く。一方、リヴェリアやもう一人のアマゾネスはどこか冷ややかな視線を彼女に向けていた。恐らく、ティオネの想いは他の団員たちにとっては周知の事実なのだろう。自身にも分かる事なのだからとルドウイークは溜息を吐く。その間に彼女らはヴィリーやボールスを伴いさっさと宿の外へと歩み去ってしまった。
残されたルドウイークは一度部屋を見渡す。これから、自身はいかに立ち回るか。恐らくはロキ・ファミリアの幹部陣が居る以上、今よりも面倒な事にはならないだろう。だが、警戒を怠る訳にも行かぬ。それに彼らに信頼されたとも言い難い。
だが、街が封鎖されている以上出来る事は少ない。ならば、一先ず私も街を捜索するか。
彼は考えをまとめると、自身のいくつかの荷物を改めて確認し小さくハシャーナの死体に礼をする。そして宿を出て、足早に現場を離れ――――ようとしたが、ヴィリーが宿に常備されていた食料を融通してくれたので一先ずそれを口にしつつ、広場の隅のベンチに腰掛けて集まった冒険者達にフィンやリヴェリアが呼びかける様子を眺めていた。
<◎>
広場では、第二の騒ぎが起き始めていた。
「団長の傍に近寄るなァァァ――――――ッッ!!!!!!」
その怒号と共に、集まっていた女性冒険者達がティオネの手によって放り投げられフィンから遠ざけられてゆく。
事の始まりはこうだ。まず、最初に集められた女冒険者達に対してボールスが『俺達が身体検査を行う!!』と大声で宣言し、それを遥かに上回る声量での
その後、ボールスの宣言を見かねたリヴェリアが『身体検査は我々が行う』と宣言したのだが、今度はそれが良くなかった。街の女性冒険者達は前に立ったリヴェリアとティオネの横をすり抜け、自分の出番ではないと一歩引いていたフィンの元に殺到したのだ。
結果がこの有様である。激怒したティオネはフィンに群がる女性たちの輪の中に飛び込み、彼女らを千切っては投げ、千切っては投げ…………見る見るうちにフィンの周囲の女性冒険者は放り出されて行き、最後にはフィンと彼を守護するように腰を落とし、荒い息を吐きながら周囲を威嚇するティオネ、その様を見て顔を抑えるリヴェリアのみが残った。ルドウイークもリヴェリア同様少しうんざりとした気持ちになって二度目の溜息を吐き、下を向いたまま首を横に振った。
「…………幾ら異性に餓えているとはいえ、この街の者達には今が非常時だという実感はないのか?」
「同感。どっちもどっちって感じー」
同意する声に、ルドウイークは横に目をやる。そこに居たのは、ロキ・ファミリアの短髪のアマゾネス。彼女は両側に刃を取りつけられた、嘗て<マリア>が使っていた二つの刀剣を持ち手部分で接合した武器、<
「ああ、ロキ・ファミリアの……ふむ……?」
「そーいえば言ってなかったっけ。あたしはティオナ! ロキ・ファミリアの【ティオナ・ヒリュテ】! よろしくね……えーっと……」
「ルドウイークだ。よろしく頼む」
「うん! よろしく!」
差し出された手に応じ、ルドウイークはティオナと握手を交わす。そして騒ぎの方へと目を向けると、表面上は気負った様子も無く世間話を始めた。
「ティオナ、と言ったか。やはり、あちらのティオネ嬢とは姉妹なのかね?」
「うんうん、ティオネが姉で、あたしが妹だね。髪型で見分けつくでしょ?」
「ああ。しかし、余り双子と言うのは故郷では目にした事が無くてな。本当にそっくりだ」
「まぁねー。性格は割と違うと思うけど」
言って、ティオナは未だにフィンの前に仁王立ち周囲の女性冒険者達を威嚇するティオネに目を向け、少し笑った。それを見たルドウイークはティオナとは対照的に訝し気に目を細める。
「私はこの街に来るのは初めてなんだが……いつもこうなのか? 確かに【勇者】とまで呼ばれるロキ・ファミリアの団長とあれば人気もあるだろうが……」
リヴィラの人々の逞しさに、思わずまた溜息を吐くルドウイーク。彼としてはとにかく早く事件が収束して欲しいのだが、ダンジョンと言う環境によって麻痺しているのか街の人々の協力は十分とは言えなさそうだ。確かに人死になどダンジョンでは日常茶飯事なのかもしれないが……。
「んー、正直良く分かんない! あたしもあんまりこの街で過ごした事がある訳じゃないから。普段の『遠征』でも、この街には来ないで下行っちゃうしね」
「物価が高いからか?」
「そのとーり!」
にこやかに答えるティオナを相手に、ルドウイークは少し考え込んだ。あのロキ・ファミリアが素通りする事を選択するほどだ。そもそもとしてこのリヴィラと言う街は、潜伏には不向きなのではないか? それ以前にエリス・ファミリアの財政状況は日常生活に支障が出ない程度にまではなってきたがあくまでその程度で、ダンジョン探索に対してそれ程の予算を捻出する事など到底出来はしない。
例えば、現在ルドウイークが背にしている【
……では、このリヴィラに潜伏するというのは悪手かもしれん。また別の手段を考える必要があるか。或いは、諦めてロキ神との会合をどう切り抜けるかに集中した方がいいかもしれんな……。
しかし、また未来の事を考えている自身に彼は気づいて、その考えを振り払い再び騒がしい広場に目を向ける。そこでは改めてフィンが街の冒険者達に協力を呼びかけ、リヴェリアが被害者の身元などの致命的な部分は伏せつつ事件の中身についての説明を行い始めた。
これで、多少は皆纏まるだろうが…………夕食には間に合いそうにもないな。
ルドウイークは自身を快く送り出したエリスの顔を思い浮かべて溜息を吐く。
そんな彼の居る場所とは逆側の野次馬の中で、怯えるように逃げ出した
「よぉ、ルドウイーク。飯は食えたか?」
少し沈んだ顔をしたルドウイークの元に、彼以上に疲れた顔をしたヴィリーがそれでも笑顔を浮かべながら歩いてきた。当然か。朝になって自身の店に顔を出してみればそこで殺しが行われていて、それがリヴィラ全体を巻き込む大騒動に発展しているのだ。心中穏やかではあるまい。そこでルドウイークは、彼にも休むよう提案するべく口を開く。
「ああ、とても助かったよ……しかしヴィリー、君の潔白はもう証明されているし、これ以上出せる情報も、わざわざ関わる理由もあるまい? 自宅があるなら戻ってもいいんじゃないか?」
「ああ、いやよぉ。もしかしたら俺もあの女に狙われてるかもしれないってんだろ? そう思ったら、一人でいるのが怖くなってさ……」
「成程。であれば、この場に居るのも道理だな」
「どゆこと?」
二人の会話に小首を傾げるティオナ。それに対して、ヴィリーはその通りだと言いたげにルドウイークに対し首を二度縦に振る。
「そうそう。いざとなったらロキ・ファミリアに守ってもらおうと思ってさ」
「あ、そゆこと? でもそれなら私のとこより、他の皆のとこの方が良くない? あたし守るのって、そんな得意じゃないよ?」
「いやぁ、【勇者】や【九魔姫】のそばは何つーか居心地悪くてな……【剣姫】と【
「あれ程の戦士に護衛など必要なのか?」
「要らねえだろ」
肩を竦めて薄く笑うヴィリーに、同じく笑いをルドウイークは返す。そこでふと、ルドウイークは今の会話の中で目の前の少女の二つ名が話題に上がらなかった事が気になって、本人に尋ねてみた。
「そう言えば、ヒリュテ。君の二つ名はなんだったか。良ければ教えてくれないか?」
「あたし? あたしの二つ名はねー……んー……」
考え込むように人差し指を己の唇にあてると、何かを思いついたように手を叩いたティオナはベンチから飛び降り、手に自身の大双刃を持ってそれを凄まじい速度で振り回す演武を始めた。その速度と圧に、ルドウイークは目を見張りヴィリーは驚愕を見せる。二人のそんな様子を確認した彼女は、振り回される大双刃をびたりと押し留めて構えると同時に、腹の底から轟くような声で自身の二つ名を高らかに叫んだ。
「――――ん【
突如彼女が発した体格にそぐわぬ大声量に、ヴィリーは飛びあがりルドウイークでさえも喰いかけの食料を取り落とした。一方ティオナは構えを解くと、二人の様子に大層満足したように笑って胸を張る。その胸は平坦であった。
「ビ、ビビった……」
「耳が……」
ふらつく二人を尻目に、ベンチに再び腰を下ろして別の食料をぱくつくティオナ。一方でベンチに座ったままのルドウイークはともかくとして、ヴィリーが何とか体勢を立て直して自身もベンチに腰掛ける。隣同士に座った二人は互いの鼓膜の無事を確認すると、乾いた笑いを浮かべた。
その横で二人を気にする事も無く、ティオナは更にじゃが丸くんを取り出してまた頬張り始める。すると、何か引っかかったのか思案するように腕を組んだヴィリーはベンチ横に置かれた大双刃に一度目を向けた後、ティオナに一つ質問をぶつけた。
「そういや、アンタの二つ名……由来は分からねえでもねぇけど、他の幹部陣の二つ名とは何か毛色が違う気がするな……実際どうなんだよ?」
「んー? ああそれ、それね。ウチって基本、幹部とかはロキの付けてくれた二つ名を名乗るんだけど、あたしだけ違うんだよね。ロキも一応考えててくれたらしいんだけど、
「へー、それでか」
「確かに、あの武器を扱うに相応しい二つ名だ」
「でしょー? あっそうだ。折角だし持ってみる? 気分いいから特別だよ」
指差すティオナに促され、ベンチ横に置かれた大双刃を持ち上げようとするヴィリー。しかしその重さは尋常では無く、彼の腕力ではびくともしない。
「おっも!!!! これ何で出来てんだよこれェ!」
「んー、最高品質の
「通りで!! ルドお前も持ってみろよ!!」
「ああ」
言われるままにルドウイークも大双刃を持ち上げようとする。だが、自らの持つ【仕掛け大剣】以上の重量に、何とか持ち上げる事は叶うものの彼女のように軽々しく振り回すのは少々無理をする必要がありそうで、その事実に彼は眉間に皺を寄せ力みながらに驚愕した。
「これは、凄いな……!」
「でしょー? でも、レベル2でそれ持ち上げられるなんて凄いよ! 筋力特化なの?」
「まぁ、似たような物だ。私の得物も一応大剣に類するものではあるし……」
ルドウイークは大双刃を地に横たえ、額に浮いた汗を腕で拭った。そして、自身の背にした仕掛け大剣に手をかける。
その時、広場に集った冒険者達の中から一人の
「なんだ、ありゃ?」
「どこかで見覚えがあるが……」
それを見て目を丸くするヴィリーとルドウイーク。同じく、自身の記憶から今の二人組の事を思い出そうと
「思い出した! 今の、確か【
「ああ、アイツか! 【ロザリィ】の専属サポーター!」
それを聞いて、ヴィリーもまた思い出したように声を上げる。それとは対照的に、ルドウイークは不思議そうな顔で首をひねった。
「……ふむ? 以前聞いた話では、彼はレベル1だった気がするが。何故二つ名が?」
「ああ、アイツは非公式の二つ名持ちさ。神様には認められちゃいねえけど、あまりに有名すぎてあだ名付けられてんだよ」
「そう言う場合もあるのか」
自身の疑問に答えたヴィリーに対して、納得できる説明を受け頷くルドウイーク。だがそこで、彼は今見た光景に対する一つの違和感を感じ取った。
「…………そんな小心者で臆病な男がロキ・ファミリアの幹部陣が居る広場から離れたのはどう言う事だ? ここ以上に安全な所はそうはないだろうに……何か気づいたのか?」
「確かに、怪しいね。追っかけてみよっか」
「おいおい、アイツ確かにビビリだが、ビビリが行き過ぎて悪巧みなんかするようなタイプじゃねぇぞ」
「だとしたら……」
ルドウイークの脳裏に、一つ嫌な想像が浮かび上がった。確か、彼は前に出会った時も、ルドウイークに対して凄まじい恐怖を覚えていた。それも、初対面でレベルを偽装していたにも拘らず、同時期に同じ階層に居たミノタウロス以上の恐怖を感じていたようであった。
もしや、彼は脅威を恐怖と言う形で感じ取るスキルか何かの持ち主なのでは?
ルドウイークはそんな可能性を組み立てるが、流石に馬鹿馬鹿しいと首を振る。であれば、彼は別世界の住人であった私の隠している物を――――狩人やヤーナムの血の脅威を何のヒントも無く見抜いたという事になる。幾らなんでも、それはあるまい。
そう、ルドウイークが自身の仮説を否定したその時、街のどこかから何かの破壊音と誰かの悲鳴が聞こえて来た。広場の面々を含めた皆が、そちらの方角へと振り返る。すると、その視線の先、あばら家の屋根が連なる区画に立てられた見張り用の高台に一人の冒険者が飛び乗って、そこに備え付けられた鐘を思いっきり叩きながら必死極まりない顔で叫んだ。
「敵襲――――――!!!!」
ある程度の距離がありながらもあまりに明確に届いた声にその場に居たすべての人間に戦慄が走る。と同時に、見張り台の上で叫んでいた男は後ろを振り返って顔を強張らせると慌てて見張り台から飛び降りて見えなくなった。
その直後。突如、見張り台の後方に見覚えのある人食い花のモンスターが首をもたげ、体を振り回して見張り台の屋根を一撃の元に吹き飛ばす。
「なっ……!」
現れたそのモンスターを見てティオナが驚愕に言葉を失った。ヴィリーも似たような物だ。驚きのあまり目を見開いて尻餅を付いたまま硬直している。さしものルドウイークも、この状況には驚愕を覚えずには居られなかった。
「な、何でモンスターが街に入ってきやがってんだ!? 見張りは何してやがる!?」
突然のモンスターの出現に、ヴィリーが動揺して喚き散らす。その間にも街中で家を破壊する轟音と共に人食い花が出現し始め、一度首をもたげると、それぞれの出現地点の周囲を無差別に破壊し始めた。更には街の外壁のうち人工的に作られていた一部が破壊され同様の人食い花が街へと殺到してくる。
『キァァァ―――――――ッッ!!』
次の瞬間、ルドウイーク達の横にあった水晶塊を破壊して、一体の人食い花が広場に到達した。その個体はそのまま眼前に居るルドウイーク達へと花開くように口を開いて襲い掛かる。対してルドウイークは咄嗟に背に負った大剣を抜きその剣背を用いて盾でそうするように人食い花の顎をかち上げるが、しかしその衝撃に耐えきれず地面を転がった。
「ルドウイーク!!」
尻餅をついたままのヴィリーが目を見開き叫ぶ。その間にティオナが大双刃を手に取って先ほどの演武とさえ比べ物にならぬ勢いでそれを振りまわし、かち上げられた衝撃を味わっていた人食い花の頭部をバラバラに切り裂いていた。
「に、逃げろ――――ッ!!」
その光景を見ていた冒険者の一人が青ざめた顔で叫ぶと、広場に集まっていた冒険者達の半数近くが蜘蛛の子を散らすようにその場から走り去ってゆく。先程までどこか浮ついていた者達とは思えぬ速度だ。それを見たティオナが驚きのあまり声を荒げる。
「あっコラ、何逃げてるの!? あんたたちの街でしょーが!!」
「…………この街は、今まで三百度以上壊滅してきたんだ」
それを、復帰したルドウイークが諫めるように声をかける。
「ならば、生きていればまた再建の機会があると考えるのは、むしろ自然とさえ言えるだろう……なっ!」
破壊された大水晶によってできた進入路を通って再び現れた人食い花の突撃を先程同様、しかし今度は吹き飛ばされずにかち上げるルドウイーク。そして彼が隙を作った人食い花にティオナが襲い掛かって瞬時に大双刃を振るい、魔石ごと頭部を両断して絶命させる。
「あーもう、意気地なし! そういうのあたし大っ嫌い!!」
着地して大双刃を振り回し血を払い、後ろ手にそれを構えながら毒づくティオナ。彼らの目の前に広がる侵入路からは、未だ迫り来る人食い花の咆哮と、遠方で悲鳴を上げる冒険者の声が聞こえてくる。
一方で後方に居たフィンやリヴェリアは驚愕を顔に浮かべてはいたものの、急ぎ周囲の面々に的確な指示を与えて行く。
「ボールス! ひとまずこの場に居る者達をまとめて広場を死守!! 五人一組で時間を稼がせてくれ!」
「わ、わかった!」
「リヴェリア! 敵が以前【
「了解だ!」
「ティオネ! 君もティオナとまず広場の防衛を! 敵が途切れたら今逃げた冒険者達や逃げ遅れた者達をここに避難させてくれ! 行けるか!?」
「お任せを!!」
指示が終わると同時にリヴェリアが
「くそっ!」
一方で
「やるぅ!」
ルドウイークの動きを横目に見たティオナが、自身も別の場所から現れた人食い花を真っ二つにしながら称賛した。
しかし、彼女の称賛を受けてもルドウイークの顔に喜びはない。先ほど彼が行った動きは明らかにレベル2の
だが、最早どうこう言っている場合ではない。何せ迫り来る人食い花の軍勢の総数――――自らから方々に伸びる導きの糸の本数から考えれば、手を抜けばここに居る者も全滅する可能性が十分にあり得ると彼は判断したのだ。
ルドウイークは自身の行動を改めて俯瞰する。ロキ神対策の為にこうしてリヴィラまで来たはいいが、殺人事件に巻き込まれ、ロキ・ファミリアと遭遇し、その団員達から離れる事も出来ず、予断を許さぬ状況とは言えあまつさえ共闘してしまっている。この一部始終を知れば、恐らくエリス神は激怒するだろう。だが――――
「人の命には代えられん……!」
他に良案の思いつかぬ不甲斐なさに歯を食いしばりながら、ルドウイークは再び飛びかかって来た人食い花を態勢を低くして回避しつつ、即座に下から大剣をその喉に当たる部分へと突き込む。そして剣を担ぐ様に肩に沿えると己の膂力の限りを尽くして剣を無理矢理に振り抜いた。その一撃は抉る様に人食い花の体を斬り開いて、頭部の魔石までをも破壊して灰へと帰す。
さらさらと降り注ぐ灰を被りながら、ルドウイークは苦々し気に目を細めた。脳裏に描くは、在りし日のヤーナムでの<獣狩りの夜>。罪なき民草が理不尽に食い殺されてゆく悲鳴を聞きながらも、眼前の獣の対処に手一杯で駆け付ける事の出来なかったいつかの悔恨。あのような悲劇を、そう何度も起こさせてなるものか。
顔を上げたルドウイークは一度振り返り、広場の様子を確認した。そこではボールスによって組織された冒険者達の即席パーティが人食い花の対処に当たっており、フィンとヒリュテ姉妹が縦横無尽に駆け巡り彼らが足止めしている人食い花を次々と撃破してゆく。一方でリヴェリアは広場の中心で強大な魔力を発散して敵をおびき寄せつつ、来たるべき機会に向けて詠唱を着々と進めていた。それを見て、ルドウイークはこの広場は充分彼らに任せられると判断し、広場では無く街全体の状況に意識を向ける。
「一人でも多く、護らねば」
そして決意を新たにすると、ルドウイークは咆哮と悲鳴と怒号の飛び交う中から導きの光の糸による引力を特に強く感じる方向を見出して、そちらで暴虐の限りを尽くしているであろう人食い花を葬送し、かつ広場の外で戦う冒険者達の命を一人でも多く救うべく広場を飛び出していった。
難産でした。仕事都合で時間が無く次話も多少かかるかもしれません。
お忙しい中、校正等して下さった某氏に多大なる感謝を。
読者モデル特有のシャウトすき(獣の咆哮)
次話で戦闘シーンいろいろ書ければと思います……。
今話も読んで下さって、ありがとうございました。