月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:くらうぇい

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18000字くらいです。

評価6000! 未知のエリアに踏み込んだ感があります。
何はともあれ感想評価お気に入り、誤字報告してくださる皆さまのお力によって作者のモチベは成り立っております。
本当にあり難いです。

やっと原作にまた絡めそうですが、今話も楽しんでいただければうれしいです。


17:【リヴィラ】

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 オラリオの街路を駆ける、影が一つ。

 

 時刻はようやく空も白み始め、夜明けを迎えようとしている時だ。だが、とても朝とは言えるタイミングではない。そんな魔石灯もいまだに煌々と灯り街路を照らす薄闇の元を、彼女は足元も見ず走り抜けていく。

 

 目指す場所は一つ。自らの住まうダイダロス通りから西の大通り(メインストリート)まで一度も足を止める事無く走り続けた彼女は、この時間にも拘らず明かりが灯ったままの一件の店の前に辿り着くとロクに確認もせずにその戸を派手に蹴り開いた。

 

「ルドウイークッ!!」

 

 店内に飛び込んだエリスはあらん限りの声を上げて叫んだ。店内にその声が響き渡る。

 

 ……だが、そこに居たのは一つのテーブルに着きコーヒーを飲もうとしていたマグノリア・カーチスと干し肉を齧っている【黒い鳥】のみ。故に自身の眷属を呼ぶその声に応える者はなく、【鴉の止り木】亭に奇妙な沈黙が訪れた。

 

「……………………」

 

 その場に居る三人の内、元より店内に居たマギーと黒い鳥はエリスの方を見て硬直している。まず、この夜明け前の時間帯にこうして揃って起きているというのも奇妙な話ではあるが、そこに突然女神エリスが乱入してきたのだ。二人の内心の驚きは相当の物だっただろう。

 

 一方エリスは、ルドウイークが居ない事に気づいて、恥ずかしくて死にたくなって、一瞬後それよりも姿の無いルドウイークを探す方が大事だと思って、何事も無かったかのように愛想笑いを浮かべて後ずさり、そのまま店から立ち去ろうとした。マギーがそれを許す筈も無かった。

 

「エリス?」

 

 マギーはエリスに対して、無表情で呼びかける。基本的に、彼女が激怒した時は口汚い言葉で相手に怒鳴り散らすものだ。それはエリスも良く知っていた。そして、それを更に上回るほど怒った時はどう言う顔をするかと言うのを、エリスは今日まで知らなかった。

 

「ご、ごめんなさい……今私、ちょっと気が動転してまして…………」

「説明」

 

 その平坦な表情に途方もない恐怖を感じたエリスは慌てて平謝りしようとする。しかしマギーはそんな彼女の言葉に耳を貸す事も無く、変わる事の無い無表情を向けながら端的な要求を突きつけた。凄まじい圧力に、エリスは短い悲鳴を上げて冷や汗を流す。その後ろで、いつの間にか扉の前に立っていた黒い鳥が後ろ手に戸を閉め、ついでとばかりに鍵をかけた。

 

「こんな時間に何? どうしてウチに来たの? 今ドアぶち開けた時に取っ手が壁に当たって凹んだんだけど弁償は? それより私のコーヒータイムをどうしてくれるわけ?」

 

 エリスが逃げ場を失ったのを見て、マギーは矢継ぎ早に質問を繰り出した。下手な弁明など許さぬという意思を隠さないその眼に見つめられ、しかし余裕のないエリスは必死に身振り手振りを交えて、一刻も早くこの場を切り抜けるために話し始める。

 

「えっと、実はルドウイークが起きたら見当たらなくて、でも彼が私に黙ってどっか行くなんて考えられないし、でも実際いない訳で、それでとりあえずまずこの店に来たんだけど、彼はいないし迷惑かけるしで、本当にごめんなさいなんですけど、とりあえず彼を探しに行きたくて……」

 

 自分でも何を言っているのかわからないと言った具合のエリス。すると、その肩を軽く叩いて黒い鳥はおどけたように笑って見せた。それを見てエリスは何度か吸って吐いてを繰り返し、そして先より多少落ち着いた口調で再び話し始める。

 

「とにかくですね、ここにルドウイークは来てないですか? 私、心配で心配で……!」

「少し落ち着いて考えてみた方がいいんじゃない? そういう話だったら、まずはギルドに顔出して見るべきだと思うけど」

「あっ……」

 

 失念していたのがはっきり分かる声色で、エリスは呆気に取られた顔を見せた。それに対して、事情を理解したマギーは先程までの圧力を嘘の様に収めて呆れたように溜息を吐く。そして困ったように肩を竦めた黒い鳥に一度目を向けると、頭痛を堪えるかのように額を掌で抑えた。

 

「まぁ、事情は分かったわ……。貴女の過去の事を考えれば、確かに同情の余地がある。さっさと出て行きなさい」

「えっ。いいんですか!?」

「そんな都合のいい話私がすると思う?」

 

 一瞬安堵に目を輝かせたエリスに射殺さんばかりの視線を向けてマギーは言った。そのまま彼女は机に頬杖を突くと、怒りを堪えるかのようにエリスを睨みつける。

 

「……ねぇエリス。アンタがルドウイークを探しに行きたいのは分かるし、早く行かせてもあげたいわ。でもね、それじゃ私の怒りが収まらないの。ぶっちゃけ、あの律儀さの塊みたいな男がアンタを放り出して逃げ出すとも思えないし、多分、昨日呑みすぎて覚えてないとかそう言うオチじゃないの? …………だから、私としては今ここでそれなりのお仕置きをしておきたいの。分かる?」

「わ、私の記憶が飛んでる可能性があるのは正直有り得ないとは言い切れないんですが、でも何でそれがお仕置きに繋がるんですか!? 意味わかんない……っていうかそれ、ルドウイークが帰ってきた後じゃだめなんですかね……?」

「ダメ。お仕置き。それも、私の怒りが収まるような奴」

 

 震える声で後ずさろうとするエリスに辛辣に言い切って如何なる罰をエリスに加えるべきか、マギーは思案する。しかし、そこでエリスの後ろに立つ黒い鳥が『本(にん)も反省してるみたいだし、いいんじゃないか?』とマギーを諭すように声をかけた。

 

「ちょっと黙っててフギン。これは私とエリスの問題よ」

 

 だが、マギーの圧はそれを許さない。そして何か名案を思い付いたか、自身を諫めようとする黒い鳥を制しつつ、震え、怯えるばかりのエリスに対して、彼女は右手を伸ばしてその左の頬を摘んだ。

 

「ふぇ? ふぇっと、なんです、これ……」

「フギン。逆お願い」

 

 マギーの突然の行為に困惑するエリス。彼女はマギーによるお仕置きは、きっと普段黒い鳥が喰らっているような無情極まりない鉄拳制裁だとばかり思っていたため、頭が付いていけず混乱する。だが、マギーはそれに反応を返す事も無く、難しい顔でその様を眺めていた黒い鳥に指示を出した。すると彼はその簡潔な言葉だけで言わんとする事を理解して、マギーに倣ってエリスの頬を摘む。そして。

 

「せー、のっ!」

「にぎゃあああああ!!!!」

 

 二人によって頬を千切れんばかりに引っ張られたエリスの情けない悲鳴が、夜明け前のオラリオ西大通りに響き渡った。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスがマギーと黒い鳥による折檻(せっかん)を受けている丁度その時。

 

 当のルドウイークはダンジョンの17階層にまで到達していた。彼のオラリオでの評価を考えれば脅威的な速度である。少なくともレベル2の冒険者が単独で行う事の出来る所業では無い。

 もし同様の事を成した冒険者がこのまま地上に帰還することが出来れば、ステイタスによってはその者はランクアップを目前とする、あるいはレベル3に手をかける事が出来るだろう。

 

 だが残念ながらルドウイークはレベルの概念に囚われぬ存在であり、同時にそのような偉業を成しても、何ら糧と出来るわけでもない存在でもある。故に彼はそのような事に思考を浪費する事も無く、今はただ目の前の煌めく壁に手を触れながら自身の担当アドバイザーに教えられた情報を頭の中で反復していた。

 

 他の歪な部屋(ルーム)とは異なる、広い広い大広間。ヤーナムの大聖堂下広場よりも広いそこに聳える継ぎ目のない一枚板の如き真っ平らな巨大な壁。それこそが、安全階層(セーフゾーン)である18層への道を遮る正真正銘最後にして最大の壁。

 

 ――――【嘆きの大壁(たいへき)】。

 

 数階層ごとに君臨する【階層主】、正式には【迷宮の孤王(モンスターレックス)】と呼称される別格の怪物の一体を……その一体のみを生み出す壁だ。しかし、本来生み出されたその【階層主】はこの部屋の奥にある18層への入り口の前に陣取っているとのことだが、今はその姿は無い。

 

 ニールセンの言によれば、17層の階層主である巨人のモンスター【ゴライアス】の再出現にかかる時間は、約二週間ごと。つまり、今は前回ゴライアスが倒されてから再出現までの時間を満たしていないのだと考えられた。

 

 何でも、ゴライアスはこの部屋に居座る事で地上と18層にある【リヴィラ】の間の物流を停止させてしまうため、定期的に有志の冒険者達によって討伐されているらしい。確かにそれは憂慮すべき事態であり、定期的に討伐されるのも止む無しだとルドウイークは一人納得した。

 

 ただ、聞けばこのゴライアスのように次階層への昇降路前に立ちふさがる様に待ち受ける者も居れば、自ら階層を縦横無尽に移動し暴威を振るうタイプの階層主も居るらしい。下層最初の関門である27階層に現れるという【アンフィス・バエナ】なる双頭竜は、流れ落ちる滝を昇る事で幾つかの階層を股にかける事もあるという話だ。

 

 だが、強大な階層主になればなるほど、再出現までの次産時期は長くなる。それを見極めて行動すれば、無用な危険を避ける事が出来るだろう。ルドウイークはニールセンから与えられた知識をしっかりと記憶に刻み込むと、かつてモンスターであった灰の跡をそこら中に残したまま大広間奥の洞窟から18階層へと降りて行った。

 

 

 

 

 

 18層に降り立ったルドウイークの頭上をうすぼんやりとした明かりが照らす。彼が上を見上げれば、まばらに生えた木々の隙間から見える天井には少しずつ光量を増し始めた水晶の群れ。天井を隙間なく覆ったそれは時間の経過によって光量を変化させ、朝昼夜と地上のそれに似たサイクルをこの18層にもたらしている。

 

 もっとも、その時間配分は地上と同一では無く、時に小さく、時に大きくずれたりはするのだが……今日のリヴィラの時間進行は、地上とそれほど変わりが無いようであった。

 

 上を見上げていたルドウイークは、天井の白み具合を見てから森の中を歩き始めた。連絡路の木々の中を行く彼は、ダンジョンの中とは思えないその穏やかさに驚いたように周囲を見渡しながら進んでゆく。これほど安全な森と言うのは、彼にとっては初体験の環境だった。

 

 ヤーナムに僅かにあった森というのはいずれも暗く陰鬱(いんうつ)で、狂った住人達、彼らの仕掛けた罠、そして獣となり果てた者達までもがうろつく一瞬の油断すら許さない危険地帯だ。そんな場所で気が休まる事など無い。

 そのような過去の経験との齟齬(そご)(もたら)した違和感からか、安全地帯とされる18階層の森の中でありながらルドウイークはどうにも落ち着かず、早々に森を抜けようと足を速める。

 

 所々に薄く光を放つ結晶が生える森の中を彼は進んでいった。その足が止まる事は無く、道に迷う事も無い。それは多くの人の出入りの痕跡を地面の様子から読み取る、狩人としての追跡技能の応用だ。その業によって彼は森の中で一度も足を止める事無く歩を進める。そしてその森が小規模な物であったが故にルドウイークの視界はすぐに開け、この階層の全貌が彼の前に露わとなった。

 

「……絶景だな」

 

 その景色を見たルドウイークは、見て感じたそのままを思わず呟いていた。

 

 小高い丘となった森の出口からは、眼下に広がる大草原が目に入った。階層の中心を覆い尽くすそこには、天井などから生えている物と同質の水晶が所々に点在し、淡い光を放っている。その中心には読んで字の如くである【中央樹】と呼ばれる巨木が生えており、その根元が19層への入り口となっているとの事だ。

 

 北側には手つかずの湿地帯が広がり、そこは南から東に広がる森の南端に位置するここからでもその大きさがはっきりと分かるほど雄大だ。そして西に見えるは湖と呼んで差支えの無い広大な水辺と、その中央に浮かぶ島。そこには人造の建造物が幾つか立ち並び、人の息遣いを感じさせる。

 

 あれが【リヴィラ】か。ルドウイークはそこと今居る場所の位置関係を記憶すると、再び周囲に目を向ける。彼の目に映ったのは、オラリオの半分近い面積を誇る広大なこの階層の至る所に生える水晶。それらも今の夜明け時に合わせて柔らかい光を放ち、同様の水晶に埋め尽くされた天井からの光も合わせて、この階層の絶景を素晴らしく演出している。

 

 正に【迷宮の楽園(アンダーリゾート)】の名に相応しい、壮大極まる光景であった。

 

 皆がこの光景を見たならば、何と言っただろうか。この景色を前にしたルドウイークはそんな想像をせずには居られなかった。

 シモンであれば、私同様に感嘆の意を示していただろうか。<加速>やマリアならば、何か気の効いた比喩でも口にしていただろう。<(からす)>はダメだな。ただでさえ自由人なあの男のことだ。こんなものを目にすれば、この階層を隅々まで探索せずには居られないだろう。

 

 まぁ、奴ならば最後には中央樹の上で眠っていそうなものだがな。ルドウイークは嘗てヤーナムの時計塔に無断で入り込み寝床としていた男の有り様を思い出して、呆れたように口元を歪めた。

 

 そんな、懐かしさに浸るような思索をしながらも、彼の足は着実にリヴィラへと向かっていた。モンスターのまず出現しない階層であると言う情報通り、道中のような戦闘の起こる気配も無い。一応、ルドウイークは警戒を常に怠る事は無かった物の、結局それは杞憂に終わり、無事リヴィラの街の膝元、湖畔に架けられた大木の橋の元へとたどり着いた。

 

 湖畔から架けられた橋を渡って島へと上陸すると、ルドウイークの前に木柱と旗で作られた簡素なアーチ門が姿を現した。そこに記された名は【リヴィラの街】。嘗てダンジョン内に中継拠点を築こうとしたギルドの計画を冒険者らが勝手に引き継ぎ今日に至るまで維持発展させて来た。

 

 そのアーチ門には街の名とは別に、三百三十四と数が記載されている。ニールセンによればこれは現在のリヴィラの街が何代目の街であるかを示す数字であるとの事だ。つまり、この街は過去三百回以上壊滅しながらもそれを上回る回数の復興を遂げている。同時にそれは、安全地帯と呼ばれるこの階層でも街が壊滅するような事態は起こりうるという事を暗に示していた。

 

 その門を潜ると、遠目にはわからなかった街の細部がはっきりと見て取れるようになった。街は隣接階層からやってくるモンスターの襲撃に備えてかこの階層に点在する水晶や岩を利用した半天然の外壁によって取り囲まれている。

 既に湖に浮かぶ島であると言う要素に加え東部を除き200(メドル)近い断崖に囲まれた防衛という観点からはこの上なく強固な立地のこの街だが、それでも更にこうした守りを固めているのはルドウイークにとっては驚くべき事であった。それほどの事態も起こりうるのかと、彼はダンジョンへの警戒を新たにする。

 

 そして、その内側に足を踏み入れたルドウイークの前にまず姿を現したのは簡素な天幕や木製のあばら家、露天じみた数多の商店だ。ここは冒険者達の休息地であると同時に、余剰の素材や魔石を売却したり不足した消耗品を補充するための補給地点でもある。

 当然、商品の仕入れも困難であることからその価格は地上の比ではないが、それでもこのように店が立ち並ぶほどの活気が冒険者の出入りによってはあるのだろう。ただ今は地上も、ここも夜が明けた程度の時間だ。街に人の気配はあまりなく、開いている商店も見当たらない。

 

 だが、全ての店が戸を閉じているという事は無いだろう。他の商店が店を閉めた時間に顔を出す客を相手にする店があるのは、地上もここもそう変わらないはずだ。出来れば、どの店がこの時間帯にも開いているかと言うのは知っておきたい。潜伏するともなれば、その程度の情報は持っていなければ。

 

 ある程度この世界に馴染んで来たルドウイークはそう考える。それは夜であれば狩人のみが出歩くヤーナムでの経験だけではありえなかった思考だ。彼もまた、この世界へ順応し始めているのだろう。

 

 だがしかし、このリヴィラに初めての来訪となったルドウイークに土地勘など一切ない。どこから見て回るか。彼は思案し始める。

 

 すると、ルドウイークの元へ一人、何者かが歩み寄って来た。彼を観察でもしていたのか。気配を隠さぬその歩みをルドウイークはすぐに察知して、ちらと視線を向ける。

 

 その男は、他の冒険者とは一線を画した装いを――――どちらかと言えばヤーナムにでも居そうな類の格好をしていた。背の高いハットに丈の長いロングコート。黒く染め抜かれたその胸元には赤い一輪の薔薇。背には巨大な石弓(クロスボウ)を背負い、足にはそれに装填されるボルトを幾つも身に付けている。そしてその顔は仮面に隠され判然としないものの紳士めいた口髭が描かれており、何処か諧謔(かいぎゃく)的な人格を予感させた。

 

「おや、貴様は……もしや、私と同じか?」

 

 その背の高い男は視線を向けたルドウイークに目をやると、謎めいた言葉をまず彼に投げかける。それにルドウイークは訝し気に眉を顰めるが、すぐに気を取り直し問い返した。

 

「ふむ。同じとは?」

「いや何、こんな時間に街の入り口で思案しているなど随分な変わり者が居たと思ってな。それに、私の記憶には無い顔だ」

「ああ。今し方、初めてここに辿り着いたばかりでね……どちらから見て回ろうか、迷っていた所さ」

 

 はぐらかすように答えた男の言葉に、ルドウイークは探るような視線を向けながら会話を繋ぐ。その表情は仮面に覆われ定かではないが、向こうもこちらを何やら探っているらしい。彼はそんな相手に警戒を行いながらも自身の事情を包み隠さず答える。すると、男はくっくっと喉を鳴らしてから、ルドウイークを歓迎するかのように大仰な礼を示した。

 

「それはそれは、道中さぞかし苦難もあったろう。ようこそ【リヴィラ】へ。一人かね? ぜひ名を聞いておきたいものだ」

 

 礼を終えて顔を上げた男は、ルドウイークに名を問うた。それに対してルドウイークは可能な限り警戒を隠しながら慎重に名を名乗る。

 

「二つ名は無い。<ルドウイーク>だ。貴公は?」

「私か。私は【チェスター】。【素晴らしい(マーヴェラス)】チェスターだ。主神は……おっと、それは語るべきではないか。お互いの友好の為に」

「同感だ」

 

 相手の名を聞き出す事に成功したルドウイークは、改めてその佇まいを見つめ直す。チェスターは彼の前に立ちながらもその立ち姿は斜に構えていて、一見気障(キザ)な紳士、あるいは伊達男と言った具合だ。それだけであれば別に構わないのだが、背に負った石弓や醸し出す雰囲気からして恐らく生半(なまなか)な腕前では無い。その不気味さを、顔に貼り付けた仮面がさらに助長している。

 

 話を早々に切り上げて去るべきか。ルドウイークはチェスターを信頼してはおらず、その場を去るべきか思案する。だが当のチェスターは、そんな彼に対して何でもないように話を振って来た。

 

「しかし二つ名が無いとは、まさかレベル1かね? だとすれば驚くべき事だが」

「いや、私は一応レベル2だ。ただ、まだ二つ名が決まっていなくてね」

「ほう! それはそれは、ますます驚きだとも! 二つ名が無いのであれば、ランクアップしてからまだそう長くないのだろう? それでこのリヴィラまで降りてくるとは、いやはや大したルーキーが現れたものだ」

「ルーキーと言う歳でもないが。それにここに辿り着いたのも、どちらかと言えば不幸が重なっての事でね。降りて来たと言うよりは落ちて来た、と言う方が正しいだろう」

 

 自身に対する視線が、レベルを聞いて品定めするようなそれに代わったのを感じ取って、ルドウイークは内心焦りながら話を逸らそうとする。そんな彼に、チェスターは表情を見せずに腕を組んで頷く仕草を見せた。

 

「なるほど、例の落とし穴か。良くある話だ。しかしその割には身綺麗(みぎれい)だが、そういう事もある物かね?」

「かもしれん。だが私も初めての体験だ、正確には答えられんよ」

「それもそうだ」

 

 一瞬訝しむような視線を向けたチェスターだが、ルドウイークの返答にまるで納得したかのように肩を竦めた。その仕草にルドウイークは演技めいた雰囲気を、うっすらと感じ取る。だが、それを偽りだと断じる事は、そう言った方面の能力に乏しい彼には出来なかった。

 

 そんな彼の考えを表情の読めぬ仮面の奥で見透かしたようにくっくっと喉を鳴らしたチェスターは、その油断ならぬ雰囲気とは裏腹に実に友好的にルドウイークの間合いに踏み入って、今後の展開を予想するかのように腕を組み一つの提案をする。

 

「さて、ルドウ()ーク。ここで顔を合わせたのも何かの縁だ。貴様が望むのなら、私がこの街を案内してやろう。無論タダとは言わんが」

「……いくらだ?」

「そうだな、ここまでに入手した魔石……その七割でどうだね? 破格だと思うが」

 

 無論、高い方にである。だがそれを聞いたルドウイークは懐から雑嚢を二つ取り出すと、無造作にそれをチェスターに投げ渡した。

 

「正確には確認していないが、恐らくそれでここまでに入手したものの三分の二、約七割だ。構わないか?」

「………………」

 

 チェスターは仮面の下で驚きに目を見開いていた。こう言った時の金額交渉は、基本的にお互い吹っ掛け合う所から始まる。それをこうもあっさり了承するとは……彼は訝しんだ。

 単にまだ経験が浅く、交渉慣れしていないのか。それとも何らかの思惑があるのか。実際には前者なのだが、それは雑嚢の内の魔石の重みと合わせて彼にひとまずルドウイークに対して友好的な振舞いをさせておくのに十分な不安要素であった。

 

「…………ふむ、交渉成立だな。今この時を以ってこのチェスターが、リヴィラにおける貴様の道先案内人となろう」

「助かるよ。実際、何処から回るか悩んでいた所だったからな」

「何、礼には及ばん。このダンジョンにおいて、ヒトはすべからく異邦人だ。お互い、助け合って行こうじゃあないか。まず何を知りたい?」

 

 その問いに、ルドウイークはまずリヴィラにおける商店や換金所の位置を知りたいと答えた。ここに長期滞在するのであれば、生活物資の補給は必要不可欠と判断したからだ。それを聞いたチェスターはならば人通りの少ない内だと、今居る通りのいくつかの店を指差す。

 

 そしてルドウイークは、チェスターを先導としてリヴィラの街を回り始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 陽も十分に昇り、少しずつ人通りも賑やかになり始めた地上の、西大通り。その一本裏の道に店を構える【鴉の止り木】亭では、苛立ちを隠せず歩き回るエリスとそれを呆れたような目で眺めるマギーが朝を過ごしていた。

 

「ああ……大丈夫かなルドウイーク……何で突然……ああもう……」

「ねえエリス、少し落ち着きなさいよ。あんまりウロウロされるとこっちがイライラする」

 

 ぶつぶつと何やら呟きながら落ち着かぬエリスに、珍しく厨房に立ったマギーが苦言を呈しながら、フライパンに卵を落とし目玉焼きを作り始めた。

 

 店内には今や二人だけ。そこに【黒い鳥】の姿は無い。彼はギルドにルドウイーク捜索の【冒険者依頼(クエスト)】を掲示しに行こうとしたエリスから書類を奪い取って、早々にダンジョンへと向かったからだ。

 

 【黒い鳥】ほどの冒険者が依頼を請けたとなれば、普通は安心して成果が出るのを待つ事が出来るだろう。だがそうならぬ事情が彼女にはあった。

 

「ねえエリス。貴方もファミリアの主神なんだから、眷族の生死くらいわかるでしょ?」

「えっ。あ、そりゃそうですけど……」

 

 …………分かるはずもない。本来、【恩恵(ファルナ)】を与えた眷族(子供)の生死を神は感じ取る事が出来る。だが、恩恵を与えていない相手の事を感知できる神などいない。故にエリスにルドウイークの生死を判断する術はないのだ。

 

 普通の神であれば眷族の生死を判断した上でそう言った捜索の依頼を出す。だがエリスとルドウイークは特別だ。彼と彼女の間に恩恵による繋がりは無い。普通の神であれば生存か死亡か、どちらにせよそれを感知できるが彼女には出来ない。それが【黒い鳥】が動いているにも拘らず彼女が一切安心できない理由であった。

 

 そんな事は露知らず、落ち着かぬエリスにマギーはパンと目玉焼きの乗った皿を運びながら声をかける。その表情は、どこか予想外の物を見たとでも言いたげな顔であった。

 

「しかし、貴方がそこまで彼に入れ込んでるなんてね。ちょっと意外」

「入れ込んでる……ってそれは違いますよ。彼は唯一の眷属なんですから、死んでもらっちゃ困るに決まってるじゃないですか」

 

 それだけではない。彼はオラリオでただ一人の異世界人だ。そんな珍しいものが自身の元に来るなんて、もう二度とない事だと彼女は考えている。同様に、ルドウイーク個人の有り様も彼女にとっては好ましい物だった。更にあの実力と、冒険者としては真っ当な人間性。時折価値観の違いを露呈するのとナメクジが家の中を這い回るようになったのを除けば、彼は実に理想に近い眷族だとエリスは考えている。

 

 だが、そんな真実どうして他人に明かせようか。言った所でメリットは何一つ無い。まず正気を疑われるだろうし、よしんば信じられたとしても争いの火種にしかならぬ。故にエリスは苛立ちながらも、真実に繋がる言葉を漏らさぬように配慮していた。

 

 目の前のマギーと言う女性は本来思慮深いタイプではない。だがその直感は侮りがたい。それに救われたことも幾度かある。

 そんな友人であり、同僚であるはずの彼女に対して欺くような配慮をしなければならない事で更に苛立つエリスを他所に、マギーはコーヒーを作りつつテーブルの上に置かれた料理を指差した。

 

「とりあえずさ、朝飯でも食べたらどう? その様子じゃ、起きてから何も食べてないんでしょ?」

「えっ」

 

 呆れかえったような様子で提案するマギーに、エリスは目を丸くした。そして彼女が指差すパンと目玉焼きの姿を見て、あからさまに動揺を隠せずに問い返す。

 

「い、いいんですか? 突然押しかけていろいろ迷惑かけたのに……」

「別に。情けない顔してるのが居るとこっちの気まで滅入るから」

「店の準備そっちのけで作ってくれたんですか? 私の為に?」

「アンタがその様子でアイツ(黒い鳥)もフレーキも不在、店主代理の野郎だっていつ来るかわからないし、私一人で店回せるわけないじゃない。今日は臨時休業よ」

 

 エプロンの紐をほどきながら溜息を吐くマギー。そんな彼女に対して、エリスは眼に涙を溜めながら勢い良く飛びついた。

 

「マギー! この際言っちゃいますけど割と本気で大好きです! ありがとうございます!!」

「はぁ!? 突然何……いや抱きつくなうっとおしい! 冷める前に食べちゃいなさいよ折角作ったんだから!!」

「はい……! うう、優しい味がする……!」

 

 突然大胆な告白をかましたエリスを当惑しながらも無理やり引き剥がして離れるマギー。引き剥がされたエリスは彼女に従って大人しく席につき、涙を滲ませながらにパンと目玉焼きをもぐもぐと貪り始めた。それを見たマギーは自身もテーブルの向かいに着くと頬杖を突き、そして夢中で朝食を咀嚼するエリスを眺めながらほんの少しだけ笑みを浮かべる。

 

 そして自身も今し方入れたばかりのコーヒーを入れたカップを手に取ると、外に視線を向けながらそれを傾けるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……さて。大体は案内し終えたか。他に何かあるかね、ルドウィーク?」

「そうだな……」

 

 チェスターの問いに、ルドウイークは顎に手をやって考え込むような仕草を見せた。

 

 現在のリヴィラはルドウイークが訪れた当時とは違い、天井の水晶の光に明るく照らされ、戸を開く店も増え始めている。既に朝と呼べる時刻は過ぎたのだろう。それと共に街には少しずつ活気が感じられ始め、訪れる冒険者、あるいは探索に向かう者の姿もちらほらと見受けられる。

 

 そんな街で黒と白の二人の冒険者は、明らかに人目を集めていた。最初から目立つ格好のチェスターはともかく、白装束に身を包み防具を殆ど身に着けていないルドウイークも十二分に目立つ存在だ。それ故の好奇の視線に晒されながらも、彼は思索を進めて行く。

 

 商店や換金所の場所はあらかた記憶した。どの店がどのような品を好むか、そしてこのリヴィラにおける物品の相場もある程度は。この街の金銭事情は地上に比べて遥かにシビアだ。ダンジョン内で補給が出来るとなれば当然の事ではあるが、長期滞在にはそもそも向かないのかもしれん。

 その情報も、このチェスターと言う男の言が正しければであればだが、そこまで嘘をついているようには思えない。素直に要求を呑んだのが功を奏したか。

 

 ルドウイークはそこで一度チェスターの方をちらと見た。目深にハットを被り、仮面で顔を隠した彼からは感情を読み取る事が出来ない。ルドウイークは心中でお手上げと言わんばかりに溜息を吐くと、すぐに彼の感情を伺うのを止めて思索に戻る。

 

 恐らく、この階層で自身が潜伏するならば野宿がメインになるだろう。だが、一応街にある宿屋も確認しておくか。そう決断して、彼はチェスターへと向き直った。

 

「なら、次は宿だ」

「ふむ?」

「この街の宿屋をいくつか教えてくれ。寝床は重要だ」

 

 真面目腐った顔で頼むルドウイーク。対してチェスターは肩を竦めると、懐から一枚の紙を取り出した。そして更にインクと羽ペンを取り出してそこに幾つか印を書き込んでいき、それが済むと紙をルドウイークに対して差し出してくる。

 

「ほれ、宿についてはこの紙に書いてやった。これで構わないかね?」

 

 その紙には簡易なリヴィラの地図が記されており、そこに宿があると思しき場所に名前と印がつけられている。確かに、これでも十分過ぎるほど宿の位置が分かる。だが今まで自分の足で街を案内していたにも拘らず突然このような形に切り替えたチェスターの思惑を読めず、ルドウイークは少々困惑した。

 

「……この地図でも確かに分かるが、突然どうしたね? 今までは、その足で実際に案内してくれたろうに」

 

 尋ねたルドウイークに対して、チェスターは腕を組み、そして片方の手で天井を指した。その先では、天井より生えた大水晶が煌々と輝いており、朝日の如き明るさを18階層全体にもたらしている。

 

「すまないが時間切れ(タイムアップ)だ。そろそろ別の用事の時間でね、ここらでお暇させて頂きたい。報酬分は十分に働いたと思うが……」

 

 上を見上げるルドウイークに、申し訳なさなど一片も見えぬ声色で答えるチェスター。その言葉が真実かルドウイークは訝しんだ。だが、一瞬して考え直す。

 

 確かにこの男は怪しい。だがそれは、その多くが外見の占める要素ではないか? もし本当の事を言っているとしたら失礼にも程があるやも知れぬ。実際彼の案内は有用な物だった。

 

 ――――引き留める理由も無いか。既に宿屋の場所についての情報は自身の手元にある。

 

「ああ。随分助けられた。後は私だけで構わんよ」

「そうか。では、私はここらで失礼させてもらおう。ではな」

 

 チェスターはそれだけ言うとすぐさま踵を返し、大股でその場を去って行った。後ろ手に手をひらひらと振るその背中を見送って、ルドウイークもまたその場を離れ、地図にある宿を巡るため歩き出す。

 

 あばら家めいた建築といくつもの水晶の突き出た通りには既に、幾人かの冒険者が姿を現している。それらとすれ違いながら地図を読み、一件目の宿を目指すルドウイーク。地図には宿の場所だけではなく共通語(コイネー)によって店の名まで記されていたが、その多くが経営者の名と思しき人名が含まれている。

 

 どうやら、この街では自身の店に己の名を付けるのが通例になっているようだ。その例に漏れる店は当然いくつも存在したが、店の区別を付きやすくするために人名が付けられているのだろうか。ルドウイークはそんな事を思いながらも、向かおうとしている宿の名をぼそりと呟く。

 

「ふむ……【ヴィリーの宿】、か……」

「呼んだか?」

 

 突然横からかけられた声に、ルドウイークは思わず飛び退きそうになった。

 

 そこに居たのは、先程から同じ方へ向かって歩いていた獣人の青年。中肉中背、ぼさぼさの髪の彼は、ルドウイークとは対照的に興味深そうにルドウイークを見つめている。

 

「俺の宿に何か用なのかい、兄さん」

 

 首を傾げて尋ねる男。その口調からして、彼こそが今から向かおうとしていた宿の主である【ヴィリー】なのだろう。ルドウイークはこの偶然に動揺しながらも、偽る事も無いと考え正直に事情を話した。

 

「あ、いや……この街に来るのは初めてでね。宿を見て回ろうとしていた所なんだ」

「おー、そうかいそうかい。だったら案内するぜ。ウチはリヴィラの中でもかなり上等な宿だから期待してくれよな」

 

 ルドウイークが答えるとヴィリーはどこか嬉しそうに、積極的に案内を買って出た。それを幸運と取るべきか少し悩みつつも、ルドウイークはそれを了承して彼の後を追い始める。

 

「しっかし、こんな時間に辿り着くとはなぁ。兄さんアンタ、夜通しダンジョンを降りてきたのかい?」

「いや、本当は朝から潜る予定だったんだが、今後忙しくなりそうでね。今後の予定との兼ね合いもあって、今降りざるを得なかったというか」

「オイオイ良く生きて辿りつけたな。そういう風に浮足立った奴ってのは、たいてい死んじまうもんだぜ?」

「幸運……だろうな。それ以外あるまい」

「ふぅん……そういやアンタ、もしかして単独(ソロ)かい? 地上までどうやって戻るつもりなんだ? まさか一人で昇ろうってんじゃねえだろうな」

「物流の運び手たちが居るだろう? うまい事、そこに同行させてもらえればと思っている」

「あー、そいつら丁度今日出る予定だな。腕がありゃ同行も許されると思うが、早くした方がいいぜ」

「そうか」

 

 二人は他愛のない話を続けながら、街の中心を過ぎたあたりにあるというヴィリーの宿に向かう。リヴィラの街がある島は湖側に向かい昇る傾斜があり、道も坂道気味になっていて時折段差もある。その複雑さはまるでヤーナムのようだと、ルドウイークがどこか懐かし気に目を細めながら余り広さの無い路地を歩いていると、先導していたヴィリーが立ち止まり片手で前を指した。

 

「着いたぜ、あそこがウチの宿だ」

 

 上げた腕の先には、整えられた洞窟の入口。天然の洞窟をそのまま利用しているのか、半ば無理矢理に据え付けられた看板や飾り布が妙にルドウイークの目を引く。その少し斜めに傾いた看板には、彼の持つ地図同様共通語(コイネー)で【ヴィリーの宿】と記されていた。

 

「さて……中も見せてやっから、ちょっとここで待っててくれ。今貸し切りの客がいてよ……ま、もうチェックアウトしてるだろうが、万一って事もある」

「何か問題があるのか?」

「そいつら、男女の二人組でよ……わかるだろ?」

「ああ、そうか。では待っていよう」

 

 ヴィリーの伝えんとした事を言外に感じ取ったルドウイークはヴィリーに首肯一つ返して送り出した。そして彼は近場の石段に腰を下ろすと、疲れからか大きく溜息を吐き深呼吸する。だがそこで、彼は平和なはずのこの階層にそぐわぬ臭いに眉を顰めた。

 

 ――――――血の匂い? ルドウイークが訝しんだ、その時。

 

「うわあああああっ!?!?」

 

 洞窟の中からヴィリーの悲鳴が鳴り響く。その悲鳴にルドウイークはすぐさま反応して宿へと飛び込み、広々とした通路を駆け抜け尻餅を付いたヴィリーの元へと辿りついた。

 

「ヴィリー、どうした!」

「あ、ああ……! あれを……!」

 

 部屋の前で腰を抜かしたヴィリーが指差す先、そこにルドウイークは視線を向ける。

 

 そこに有ったのは、無惨にも頭を砕かれた死体。部屋中がぶちまけられた血と脳漿(のうしょう)で汚され、床に力なく横たわり下半身のみに衣服を纏ったその死体の周りには血溜まりが出来、異臭を放っている。更には部屋中の調度品が引き裂かれ、死体の物と思われる荷物は酷く散らかされ荒らされていた。

 

「なんだ……? 殺しか……?」

 

 眉を顰め、その様を観察するルドウイーク。すると一人、悲鳴を聞きつけたか外から一人の犬人(シアンスロープ)の女が走り込んで来た。

 

「おいヴィリー何があった!? クソ血生(グセ)ェぞ!?」

「こ、殺しだ! 殺されてんだよ人が!」

「あァ!? っておいおいマジか……う゛えっ……! ひっでぇなこりゃ……!」

「【ボールス】を、あの野郎を呼んできてくれ! 頼む!!」

()ーった、ちっと待ってろ! そっちの白いの、ヴィリーを頼んだ!」

「ああ、任せてくれ」

 

 その犬人の女はルドウイークにヴィリーを任せるとあっという間にその場を離れ姿を消してしまう。現場にはルドウイークとヴィリー、そして無惨に殺害された死体のみが残される事となった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 部屋の惨状に吐き気を催したヴィリーを表に連れ出し、介抱していたルドウイークの元に先の女に連れられた幾人かの冒険者が到着したのは、それからしばらくしての事だった。既に騒ぎを聞きつけたか、大して広くも無い路地には野次馬が集まり始めている。

 

 先頭に立つのは強面の眼帯をかけた筋骨隆々とした中年の男、【ボールス】。自身も換金所を経営する彼はこのリヴィラでも最も強いレベル3の冒険者であり、同時に街の顔役でもある。ギルドによる統治が及ばぬこの街で、他のファミリアとの折衝(せっしょう)を一手に担っているのが彼だ。

 

 無論、それも善意からでは無く、利益を求める強欲な冒険者の(さが)から来るものだが……それでも彼はこのリヴィラの顔役としてよくやっている。そんな彼が久方ぶりにここで起きた殺しの話を聞いてこの場に現れるのは、至極当然の事であった。

 

「おう、ヴィリー。殺しがあったってな、どうなってる?」

「ああ……」

 

 尊大に尋ねるボールスに、多少動揺の収まって来たヴィリーが立ち上がり、事情を説明し始めた。

 

「昨晩、二人組の冒険者が来てよ……全身鎧(フルプレート)の男とローブの女、両方顔を隠してたんで、何処の誰かはわからねえ。くたばってやがったのは男の方だ。頭をぶっ潰されて、中身ぶちまけられてやがる」

 

 それを聞いてボールスは、周囲に居た内の一人に中を確認してくるよう指示した。そしてその者が現場の部屋の場所を聞いて中へと入って行くのを見送ると、ヴィリーに話の続きをするように促した。

 

「そんで? 女の方はどうした?」

「朝来た時には、どこにも。影も形もありゃしねえ」

「って事は、そいつが犯人って事か」

「いや、事件に巻き込まれて(さら)われた可能性もある。早合点は良くないだろう」

 

 早々に結論を出そうとしたボールスに、ルドウイークが口を挟んだ。それに対してボールスは不愉快そうにルドウイークを睨みつけ、ヴィリーに対して素性を訪ねる。

 

「おいヴィリー、この白い野郎は何だ?」

「ああ、偶然俺と一緒に死体を見つけたんだ。名前は……」

「<ルドウイーク>だ。ルドウィークでは無い」

「細かい奴だな。そんでルドウイーク、テメェの言う事に筋は通ってんのか?」

「いや。それはこれからだ…………私もある程度死体は見慣れている。良ければ協力させてくれ」

「勝手にしやがれ」

 

 ルドウイークの申し出に一度周囲の者たちに目を向けた後、吐き捨てるように言うボールス。その彼の元に、先程宿の中に消えて行った者が青ざめた顔で耳打ちをした。それを受けたボールスはすぐさま周囲の何人かに指示を出す。

 

「よしテメェら、とりあえず街から出てく奴を足止めしとけ! 少なくとも、よっぽどの有名人でもなきゃ外に出すんじゃあねえぞ! おいヴィリー、お前は俺と来い。中を見せろ。それと二人ぐらい、宿の入り口を見張っとけ!」

 

 指示を終えると、ボールスは部下とヴィリーを引き連れ洞窟の中へと足を踏み入れた。その後にルドウイークも続き、事件の有った部屋へと向かって歩いてゆく。

 

「チッ、随分と派手にやられてやがるな」

 

 その部屋の惨状を見て悪態をつき、ボールスは強まった異臭に鼻を摘む。部屋の状態は発見時のままであり、相も変わらず凄惨だ。ボールスはそこに無遠慮に踏みこむと死体の前にしゃがみこんでその体を検めだす。しかし直接死体に触れるのは(はばか)られるのか手を出す事は無い。

 

 暫くそうして死体を眺めていたボールスは、再びヴィリーに目を向けて幾つかの質問を尋ね始めた。

 

「なぁヴィリー、こいつの正体に繋がるモンはねえのか? 身元不明の死体じゃ調べ様が無えぞ」

「俺だって知らねえよ。こいつら、破格の値段で部屋を借りたいって言ってやがったからな。どっさり現物の魔石渡されて、俺もろくに確認せず通しちまった」

「バカ野郎、せめて証文ぐらい作れよ……」

「いや、こいつらのお楽しみを聞いて愉しむ趣味もねえし、魔石だけ貰ってさっさと離れちまったんだ。くたばっちまえとは思ってたけど、あの時はこんな事になるなんて……」

 

 ボールスの指摘に、困ったように頭をかくヴィリー。するとその後ろに控えていたルドウイークが慎重に部屋に上がり込んで、死体に触れぬように検め始めた。その手慣れた様子に、ボールスはヴィリーに耳打ちする。

 

「おい、この野郎なんなんだ? 随分と慣れてるみてえだが」

「いや、俺も知らねえ……今日リヴィラに来たばっからしいが、宿を案内してくれって頼まれてよ……」

「今日来たばっかなのにお前のこと知ってたのか? 怪しいとは思わなかったのかよ?」

「いや、偶然俺から話しかけたんだ。それに死体見て随分と驚いてたし、殺しとは無関係だと思うぜ」

 

 そんな二人の会話を他所に、死体を検めていたルドウイークは立ち上がって部屋を見渡す。そして得心が行ったように一度頷くと、腕を組んで何事かを思案し始めた。それを見て、恐る恐るヴィリーが声をかける。

 

「なぁルドウイーク、何か分かったのか?」

「ああ……先ほどは巻き込まれたのではないかなどと言ったが、どうやらその女が下手人のようだ」

「だから言ったじゃねえか。そんで、その理由は?」

「見てくれ」

 

 ルドウイークは二人を手招きして、まず死体の首を指差した。そこにははっきりと、強い力で締め付けられた跡が刻まれている。

 

「まず、この男は首を絞められ、へし折られて殺害されている。この跡を見ればわかるだろう」

「確かにな。んで、これで何が分かるんだ?」

「痕の様子からして素手での絞殺だな。その大きさからして、少なくとも大男では無い事が解る。そして、同時に下手人はこの男よりも数段上の実力の持ち主だ。そうでも無ければ素手での絞殺など難しいだろう」

「じゃあよ、こいつの実力が分かればあの女のレベルも予想できるのか?」

「可能性はあるな。だが、それだけの魔石を持って来た男を殺しているんだ。間違っても弱くはあるまい」

「確かにな……おい、誰か【開錠薬(ステイタス・シーフ)】持って来い! 急げ!」

 

 ボールスが声を張り上げると、外に居た冒険者の一人が慌ててその場を離れる足音が聞こえて来た。それを聞き届けたボールスは、先程疑念を向けていたのが嘘の様に真剣な面持ちでルドウイークに続きを促す。

 

「そんで、他には何がある?」

「ああ、次はこれだ」

 

 言ってルドウイークは床を指差した。そこには血溜まりを踏んだと思しき一つの足跡。ここに居る三人の誰のものでもないそれは、そこに居る誰の者よりも小さいものであった。

 

「この足跡。大きさと靴の形からして、少なくともこの男の物ではあるまい。まぁ既に靴は履き替えているだろうから、手掛かりにはならないと思うが……まず間違いなく女の物だろう」

「なるほど……そんじゃあ、とりあえずその女を探させるか。重要参考人、って奴だな…………ヴィリー、女の特徴はなんかねえか?」

「いや、ローブを着てて顔ははっきりと見てねえ。だが、体つきだけ見ても相当良い女だったぜ。身長は……俺より少し小さいくらいだったかな」

「十分だ。リヴィラの奴らは美人に目がねえからな。目撃情報の一つや二つあるはずだぜ」

 

 話を聞き、そこから犯人像を割り出して捜索の算段を付ける二人。それを他所に、ルドウイークはぶちまけられた頭の欠片を眺めていたが、そこで一つの違和感に気づいた。

 

 ――――少ない。頭の中身は盛大にぶちまけられているにも拘らず、顔の表面に当たる部分が見当たらない。まさか顔を剥がしでもしたのか? そうなれば、その女が高い実力だけではなく、危険な精神性の持ち主でもある可能性が出て来る。それに剥がした顔をどうしたというのか…………殺しの証拠として持ち去ったならば、そもそも殺しを生業とする者の仕業と言う線もあった。

 

 恐るべき可能性に思い至って、ゾッとするルドウイーク。その時外の野次馬たちが妙にざわつき出した。何事かと部屋の入り口に目を向けると、何人かの足音が部屋の前で立ち止まって、見張りをしていた者達を説き伏せて入り口にかけられた布を潜って来た。

 

「――――ッ!」

 

 まず入って来た三人が、部屋の中の惨状に息を飲む。皆、まだ歳若い少女たちだ。良く似た顔の造形をした二人のアマゾネス、そして金髪金眼の、女神にも匹敵する美貌の持ち主――――

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン?」

 

 訝しむように呟いたルドウイーク。その後ろにいつだか【豊穣の女主人】亭で見た小人(パルゥム)の団長とハイエルフの副団長、知らぬエルフの少女が続く。

 

 資金調達のため、深層に向かおうとしていた【ロキ・ファミリア】の到着、そして介入。それを機として、この殺人事件は更なる波乱をこのリヴィラに齎そうとしていた。

 




二巻分への関わりは外伝側です。

身を隠す算段の為にダンジョンに潜ったのに善人さが災いして騒動を見て見ぬふりできず巻き込まれるなんて、やっぱ慣れない事するもんじゃ無い(確信)
原作から大筋が変わる事は無いとは思いますが、彼にはこの騒動にも頑張って望んでもらいたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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