剣山に対する空海の想い

 2008年末に「かごめかごめ」の翻訳を手がけるまで、大昔に「契約の箱」が四国の剣山に隠されていた可能性があるとは、夢にも思いませんでした。 数年前、宇野正美氏が執筆した「古代ユダヤは日本で復活する」という書籍を本屋で見かけ、そこには剣山に関する記述があったことを、かすかに覚えていましたが、当時は気にもかけませんでした。確かに、全国各地で開催される祭りの象徴でもある神輿は、契約の箱をモデルとしてデザインされた可能性が高いと考えられる為、契約の箱が今でも日本のどこかに秘蔵されている可能性は否定できません。しかしその場所を特定することは、容易でないと考えたのです。

 ところが、今回の連載で「かごめかごめ」をヘブライ語で読み続けている内に、思いもよらず、その作者と思われる空海と、四国剣山の繋がりが、自然と心の中に浮かび上がってきたのです。そして契約の箱が剣山に埋蔵されたと仮定することにより、多くの謎が解き明かされることがわかりました。ヘブライ語を使って日本語の歌や詩を解釈しながら、日本文化に潜むユダヤのルーツを解き明かしていくことを目的とした本コラムでの「かごめかごめ」の解釈の結果が、剣山の貴重な存在を示唆していることに今更ながら驚きを隠せません。

 果たして、空海の故郷、四国の剣山が「日本とユダヤのハーモニー」の原点となりうるのでしょうか。空海はその想いをどれだけ理解し、心に秘めていたのでしょうか。イスラエルの史実とヘブライ語を学んだ空海が、意図的に仮名文字の創作や、和歌や詩に含まれる折句等を通して、神の存在に纏わるメッセージを、古代日本文化の礎に織り込んだのでしょうか。「日本とユダヤのハーモニー」が、単なる妄想か、学者のロマンか、筆者の思い込みか、それとも史実に基づく重大な見解かを見極める急所に辿り着いたと言えます。

 百聞は一見にしかず、早速、四国の徳島を昨年末、訪ねてみました。そして、剣山を取り囲むように巡る四国八十八ヶ所、述べ1200㎞にも渡る遍路を、少しでも空海の思いを知ろうと、第一番霊山寺から第十二番焼山寺まで、2日間に渡り、極寒の最中、走ることにしたのです。初日は一番札所から第十一番の札所のある藤井寺までの遍路を目指しました。そして第十番の切幡寺に辿り着き、その高台にある奥の院まで階段を登りつめ、ふと振り返って遠くにそびえ立つ山々を見渡した時、山々のかなた向こうに、その頂上だけが、ほんのわずか突き出している剣山が見えたのです。そして、感激の余り、意気揚々と「剣山に向かって進もう!」と、次の第十一番藤井寺まで進んだ所で日没です。翌日、剣山の方角にある第十二番札所へ向かったのですが、その山道は噂の通り大変険しく、丸1日かかってやっとの思いで第十二番の焼山寺に辿りつきました。ところが、そこからは険しい峡谷の壁に立ちふさがれて、すぐそばの剣山を見ることができないのです。大自然そのものに阻まれ、人間の力では神に辿り着くことはできないことの象徴とも言えるのが、焼山寺なのです。遍路と呼ばれる旅路は、第十二番を最後に剣山を背にして、第十三番札所以降へと続いて四国を一周します。

 ここに空海の「神隠し」八十八にちなんだ八重の想いを感じないではいられません。神が見えてくるようで見えず、近寄り難い不思議な存在。聖域であるが故に、人間がたやすく歩み寄ってはいけない場所、それこそが空海の愛してやまなかった剣山だったのではないでしょうか。