剣山の水に潜む救いのメッセージ

画像 剣山に纏わるヘブライルーツと空海との関連を探る為、剣山周辺の歴史的背景を調べ、特に地名や古くから言い伝えられている言葉に注目してみました。まず、剣山という言葉ですが、ヘブライ語の(tsur、ツル)は岩を意味し、(kir、キ)は「壁」ですから、「ツルキ」は「壁の岩」の意となります。これは「天の岩戸」だけでなく、イスラエルのエルサレムにある「嘆きの壁」を連想させます。神が秘蔵されている聖所の周辺には、常に「壁の岩」があったのです。

 その剣山の麓には、日本三大秘境のひとつである祖谷山村(いややまそん)があります。この地名はおそらく当て字であり、そのルーツはイスラエルとヤーウェー神の頭文字をとったものか、もしくはイザヤの「ザ」がいつしか省略され、「イヤ」になったと考えられます。この言葉の意味は「神の救い」です。そして祖谷(いや)には、緑の渓谷に架けられた「かずら橋」があります。平安時代末期、平家が祖谷まで落ち延び、そこから剣山へ向かう際に、追手が来たらいつでも切り落とせるようにしたのがこの「かずら橋」であると伝えられています。この「かずら」という言葉の語源は、どうやら「切る」、「切り取る」を意味するヘブライ語の(gazrah、ガズラ)のようです。一般的にかずら橋は、つる性植物の”しらくちかずら“を編んで作られていることから、そう呼ばれていると考えられています。しかし、それだけでは「かずら」の語源を解明するには至りません。

 つる性植物を編んだ綱は、いつしか切られる定めとなっていた為、その植物をヘブライ語で「ガズラ」と呼ぶようになったのでしょう。ここにもユダヤのルーツが秘められていることがわかります。

画像 しかし、何故平家は祖谷まで逃げてこなければならなかったのでしょうか?平家物語によると、壇ノ浦の戦いで安徳天皇は三種の神器と共に入水したとされています。しかし、安徳天皇は密かに四国に落ち延び、そこで病に倒れる直前、平家の再興を祈願し剣を山中に奉納したことから「剣山」と呼ばれるようになったとも語り継がれています。安徳天皇とユダヤの秘宝の関連性は定かではありませんが、いずれにしても、古来から剣らしき秘宝が剣山に隠されていた可能性があることが伺えます。

 その剣山から流れ出る水は祖谷川となり、四国山地を刻み、日本有数の大河である吉野川に注ぎ込まれています。吉野川は、ヘブライ語で「神の救いの川」の意味です。ヘブライ語で「神の救い」の「ヨシュア」(Yehoshua)の「ヨシュ」と、「川」を意味する(nahar、ナハー)という言葉が合わさり「ヨシュナハー」となり、それが訛って「よしのがわ」と発音されるようになったと考えられます。

 そして天皇一行が吉野川を渡る際に、橋の代わりに栗の木を架けて川を渡られたことから、その場所は、栗枝渡(クリシト)と呼ばれるようになりました。この言葉の響きは、何を意味するのでしょうか。

 剣山から思いがけず古代日本のロマンが蘇ってきました。四国に聳そびえ立つ剣山の「壁の岩」の中に神の秘宝が奉納され、そこから流れ出る恵みの水が「神の救いの川」として祖谷川から吉野川へと注がれ、その川を「キリスト」と共に渡り、救いにあずかるという不変のメッセージがここに集約されていたのです。その恵みのメッセージは、様々な伝承の中に、見え隠れするヘブライ語のカーテン裏に隠されながら、後世に伝えられるべく、今日まで守られてきたのです。