空海が灌漑治水を手がけた動機とは

 「かごめかごめ」をヘブライ語で訳すと、その全容は、「誰が守るのか? 誰が契約の箱に安置されている神器を取り出すのか? それを取り除き、お守りと差し替えよ。そして誰もいない荒地に水を引き、そこを聖地として支配せよ」となります。この歌のメインテーマは「神器を守ること」です。その為に、「荒地に水を引いて」新たなる聖地を造るのですが、この一見不可解な文脈に、作者の真相を解き明かす重大な鍵が秘められています。

 「荒地に水を引く」という表現は、旧約聖書において、神の祝福が再び訪れることを意味します。更にイザヤ書には「城壁の間に水溜めを造り、古い池の水を入れた」という記述だけでなく、「高い丘の上に水路が造られて水を運ぶ」ことや、「水のない地を流れる水路」、「不毛の高原に大河を開く」という表現等、山の上に水路を造成して貯水する記述が、見受けられます。これらに共通するキーポイントは、不毛の山地に水を引くことによって「荒れ野が園」になり、「花が咲く」聖地となることです。イスラエルの首都エルサレムも元来、水源の乏しい山の上に築かれた街ですが、ヘゼキヤ王の時代に、城の中心部に向かって水路のトンネルが掘られ、街に水が供給されるようになり、神の都として栄えました。また、イザヤ書には「東の海の島々」において神を拝するという記述もあることから、その聖なる山が日本列島のどこかに存在しても不思議ではありません。

 これらの文献に着眼したのが空海です。ヘブライ語を熟知して旧約聖書に精通し、しかも灌漑土木技術を学び、実際に水路を造る技量を持っていた偉人は、空海以外に存在しません。そして荒れ野の山に水が沸いて花が咲き、病人が癒され、主の栄光が訪れるという聖書の言葉どおり、空海もまた、聖なる山に水路を造り、そこに神の栄光が宿ることを願ったのです。その史実を歌ったのが「かごめかごめ」であり、その作者は紛れもなく空海だったのです。

 遣唐使として中国に渡り、聖書の教えに触れた空海は、帰国して15年後の821年、今日の香川県にある日本最大の灌漑用溜池として知られる満濃池の改修を3ヶ月で完了させ、多くの農民を救済しました。その他、空海が関わった井戸や溜池が日本全国に複数存在することからしても、空海の灌漑事情に対する情熱を垣間見ることができます。空海は海外の文化人らも驚嘆させた程の偉大なる宗教家、詩文家、また書道家でありながら、その天分のみならず、土木灌漑建築という全く異なる分野においても、当時の最先端技術と情報を唐より持ち帰り、即座に活用しました。空海弘法大師が灌漑治水を学んだ理由は、単に庶民の救済だけでなく、神の神器を秘蔵するための聖なる山を見出し、そこに水を引くという天命を悟ったからに他なりません。そして全国をくまなく行脚して水路を造り続けながら、その聖地の場所を遂に見出し、そこに水路を造成して神器を埋蔵したと考えられます。それ故、イスラエルの神器が日本に運ばれて秘蔵されているという風説は、あながち作り話ではなく、実は本当のことが古代から伝承されてきた可能性が高いのです。

 その後、空海はこの聖なる山の周囲を取り囲む小高い山々に、多くの霊場を定め、それらを「四国八十八箇所」の巡礼場としてこの世に知らしめ、不動の名所としたのです。それは正に空海にとって、イザヤ書の予言が成就する時でもありました。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」。


引用元:日本とユダヤのハーモニー