イザナギ神話の謎に潜むイスラエルの影

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 紀元前8世紀、国家の崩壊に局面した北イスラエル王国では、無数の民が祖国を脱出することとなりました。当時、大勢の迷えるイスラエルの民に対して救いのメッセージを投げかけたのが、予言者イザヤです。イスラエルの宗教的リーダーであり、王をはじめとする多くの民から厚い信望を受けていたイザヤは、国家を救う鍵を握っていたのです。そのイザヤが国家の滅亡について既に預言していたこともあり、神を信じる多くの民は、その言葉に従い、「日の出」方角にある「海の島々」を目指したのではないでしょうか。まず、イザヤに導かれた親族、その他、祭司を含む要人らで構成される先行隊は、おそらく船で旅立ったと考えられます。そして無数の民は、その後を追うように、極めて困難なアジア大陸の横断を決行したと考えられます。もしこれらが史実に沿っているとするならば、イザヤが日本の神話に登場するイザナギの実物像である可能性が浮上します。

 日本書紀や古事記に書かれている神話とは、七世紀の宮廷知識人が単に複数の神話を織り込みながら編纂した物語ではなく、実際に起きた史実をこと細かく記録し、それらのデータを収集して編纂した結果、史書としてまとめあげられたと考えられないでしょうか。史書には多くの実存する地名や名称が含まれていますが、それらに伴い、多くの神々の名前や人名が登場するということは、これらの名前が単なる創作とは考えにくく、むしろすべて実在した人物を象徴的に証しているからこそ、史書には大変細かな記述が系統だって綴られているという見方の方が理解しやすいのです。それゆえ、史書の記述は安易に神話として片付けるものではなく、イザヤがイザナギに象徴される人物であると仮定することも決して論外ではないことがわかります。 むしろそこには、新天地を求めたイスラエルの民が故郷の西アジアの地を離れて東の島々に天下り、 大和の国を建国するに至る様々な民族移動についての出来事が記録され、その記述が編纂されていく上で、神話化された可能性があると考えるべきではないでしょうか。

 預言者イザヤと日本の古代史は、切り離して考えることはできません。日本書紀には初代神武天皇が大和を平定した時、八咫烏(ヤタガラス)がエシキとオトシキの元に遣わされ「天神の子、汝を召す、イザワ、イザワ」と鳴いたと書いてあります。大言海によるとイザワは「イザヤと同じ」とあり、八咫烏が「イザヤ」と鳴くこと自体、少なくとも神武天皇とイザヤの間には何らかの関係があったと考えられます。また日本の皇祖である天照大神をまつる伊勢神宮の奥宮である「伊雑(いざわ)の宮」ではイスラエルのシンボル、ダビデの星と思える六芒星が正式な紋となっていることからしても、八咫烏が鳴いた言葉は、正に預言者イザヤを呼び求めているような響きがあります。さらに伊勢神宮の参道沿いに設置されている石灯篭には、そのダビデの星と、皇室の紋である菊の紋が一緒に彫られています。日本建国の神である天照大神を祭る伊勢神宮のシンボルとしてイスラエルと同様の紋が古代より採用され、その奥宮が「イザヤの宮」と呼ばれているだけでなく、八咫烏が叫び、「さくらさくら」の歌でも多くの国民により繰り返し歌われてきた「イザヤ」こそ、古代日本史の立役者であることの裏付けと考えられます。

 そこで古事記や日本書紀に登場し、イザヤと頭2文字を共有するイザナギ・イザナミの語源に注目してみました。この2つの名前については、「伎」を男の義、「美」を女の義と解釈して「誘い君」と「誘い姫」の意味とする説や、「イザ」をタガログ語等で第1を意味するISAと考えた上で、ナキとナミを南方諸島にルーツのあるラキ(男、夫)、ラミ(女、妻)として理解するという説、そしてイザを単なる地名として古語のアキ、アミに結びつけ「イサ国の男神、女神」と考える説など、解釈は様々ですが、どれも説得力に欠けています。

 そこで古事記や日本書紀に登場し、イザヤと頭2文字を共有するイザナギ・イザナミの語源に注目してみました。この2つの名前については、「伎」を男の義、「美」を女の義と解釈して「誘い君」と「誘い姫」の意味とする説や、「イザ」をタガログ語等で第1を意味するISAと考えた上で、ナキとナミを南方諸島にルーツのあるラキ(男、夫)、ラミ(女、妻)として理解するという説、そしてイザを単なる地名として古語のアキ、アミに結びつけ「イサ国の男神、女神」と考える説など、解釈は様々ですが、どれも説得力に欠けています。

 イザナギの名前の意味は、実はヘブライ語の「イザヤ」に由来していたと考えられるのです。預言者の名前である「イザヤ」はヘブライ語で「神の救い」を意味し、頭文字2つの「イザ」は「救い」を意味します。また、王子、統治者のことをヘブライ語では(nagid、ナギッド)と呼び、実際の発音は語尾が脱落する為、「ナギッ」となります。例えば旧約聖書のダニエル書9章25節では、油注がれた、選ばれた王子のことを(メシアッ・ナギッ)と呼び、この言葉は救世主を意味する言葉でもあります。そして「イザ」の語尾に王子、君主を意味する「ナギッ」を付け加えると実際の発音は「イザャナギッ」となり、「神の救いの君主」「イザヤ王子」の意味となります。

 その「イザャナギッ」と極めて類似した発音を持つ「イザナギ」の正体こそ、預言者イザヤではないでしょうか。実際に島々を航海し続けて探しあてた神からの使者であり、イスラエル国家のリーダーとして偉大な働きを成し遂げた人物であったからこそ、イザヤは島々を生んだ神として、史書に登場したと考えられるのです。 「イザヤ王子」、「統治者イザヤ」という意味となる「イザヤ・ナギッ」という言葉は、宗教的リーダーであった預言者イザヤを指すことに何ら問題ありません。またヘブライ語にはナギッドと同義語の(ナミ)と発音される言葉もあり、「イザナミ」もイザナギと同様に、「イザ」と合わさり、「救いの統治者」を意味する「イザナミ」の語源となり、イザナギの妻にあたる「イザナミ」の呼び名になったと思われます。
 
 古事記には、これらイザナギとイザナミの二尊が日本に最初に天下り、日本の島々を生み出した話が書かれています。これは正にイスラエルを脱出してアジア大陸を横断してきたイザヤとその家族一行が、共にイスラエルを脱出した祭司やレビ族と共に海を渡り、日本へと東漸した後、神から約束された島々を見出して行くありさまを描いているようです。そして多くの島々を船で渡り巡りながら、 「国土をよく整えて作り固めていく」という過程が、神話化したものと考えられます。


引用元:日本とユダヤのハーモニー