さて、「新撰姓氏録」には、秦氏が仁徳天皇より姓を賜った際の記述があり、そこには「ハタ」の当て字として「秦」ではなく、「波多」と書かれています。これこそ、秦氏がイスラエルの出自であり、しかも元来ユダヤ教の一派であったキリスト教の影響を強く受けた民族であることの証しではないでしょうか。また、ヘブライ語で「ユダ族」を意味する「(ヤ)フダ」に「波多」(ハダ、ハタ)を当てたと考えることもできます。さらに、秦氏がイスラエル系の景教信望者であるだけでなく、その王系であるユダ族の血統であることも、ほのめかしていると推測できます。秦氏の氏神は大辟大明神ですが、「辟」に「もんがまえ」を加えると景教におけるユダ族のダビデを意味する「大闢」になることからしても、秦氏の出自がイスラエルの王族であるユダ族に繋がっており、しかも景教を信仰していた可能性は高いと言えます。
その秦氏は、自らの氏寺である広隆寺だけでなく、全国各地に数多くの神社を建立しました。例えば、全国で見かける八幡神社は、八幡様や八幡宮等を含めると、少なくとも1万社以上も存在し、稲荷神社と並んで日本人にとっては大変なじみの深い神社です。その八幡神社の創設にも秦氏が深く関与しています。そして八幡神社の成り立ちを検証することで、秦氏がユダ族の出であることが、より明確になります。
引用元:日本とユダヤのハーモニー