本州最北端、北海道に最も近い青森県では以前からヘブライ民族の渡来が噂されており、モーセの墓やイエス・キリストの墓まであることは有名です。この墓の信憑性は疑わしくとも、ユダヤ人と何らかの関わりが無ければ、このような墓が日本に建てられる理由を見出すことができません。青森県の戸来(へらい)村もヘブライに起因しているという説があり、また八戸(はちのへ)はヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」が元来の呼び名ではなかったのかと、取り沙汰されています。
その青森県で唄われる民謡の中に「ナギャド・ヤラ」があります。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』ではこの青森民謡が大きく取り上げられ、いかにしてヘブライ詩歌が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説されています。その内容には首をかしげるようなコメントも少なくありませんが、ヘブライ語が日本民謡と囃子言葉のルーツにあるという見解においては概ね、本シリーズの主張と共通点を見出すことができます。早速「ナギャド・ヤラ」をヘブライ語で読んでみることにしました。
まずこの民謡のメインテーマとなる「ナギャド・ヤーラヨー」ですが、「ナギャド」は王子、主権者を意味する(nagid、ナギッド)です。また「ヤー」は神を意味する言葉であり、イザヤやヨシヤのように語尾に「ヤ」がつくと、神にちなんだ名前となります。すなわち「ナギャッド・ヤ」は「神の子」を意味します。次に「ラ」ですが、これは(raah)そのままの発音で「見る」を意味します。ヘブライ語ではこの「見る」という言葉の中に「啓示を受ける」、「ビジョンが与えられる」、「自分から求めて学ぶ」という宗教的なニュアンスも含まれています。最後の「ヨー」は神の「ヤ」が訛ったものでしょう。すると「ラヨー」は、「神を見よ!」になります。つまり二つの「ヤ」が神を強調する役目を果たし、「ナギャド・ヤーラヨー」は「神の子、その神を見よ!」というメッセージになります。
次は「ナギャド・ナサレ・ダーデ・サーイェ」です。ナギャドは前述した通りヘブライ語で「王子」を意味し、その後に「ナサレ」が続きます。この言葉は新約聖書にも記載されている「ナサレのイエス」という表現にも見られるイスラエルの地名であり、イエスキリストの出自に関わる場所として有名です。「ダーデ」はダビデ王のことを指す言葉と考えられます。すると文字通り「ナギャド・ナサレ・ダーデ」を読めば、「ダビデの子孫であるナザレの王子」に関する記述であることがわかります。また(sair、サーイェ)はヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、(laazazel、ラアザゼル)という言葉と繋がって、スケープゴート、すなわち「身代わり」という意味になります。それ故、ここでは「サーイェ」が「身代わり」の意味を持つ言葉の略称として用いられ、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている屠られた子羊、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」のことを唄っているのではないかと考えられます。つまるところ、身代りというのはイザヤ書にも記載されている油注がれた者、メシアが人々の罪を背負って代わりに死ぬことを意味しているとも考えられます。
最後に「ナギャド・イウド・ヤーラヨー」に注目です。三連の囃子詞の中間に「イウド」という発音の言葉が含まれていますが、これは(yehudi、イフディ)というヘブライ語とほぼ同じ発音であることから、神の民であるユダヤ人を意味すると考えられます。するとこのフレーズは「ユダヤ人(子孫)である神の子を見よ!」と理解することができます。
この青森民謡の囃子詞には、ユダヤ人のメシア、神の子についてのメッセージが秘められていることに驚きを隠せません。西アジアから大勢の渡来人が、古代、青森県周辺を訪れ、そこに集落を形成したのでしょうか。今でも青森県に存在する戸来(ヘライ)村は、ヘブライ村ではないかとも言われ、東海岸の拠点となった港町が神の名前を意味する、八戸「ヤへ(エ)、ハチノヘ」、とも読めることが、その証であるように思えてなりません。