大和民族の魂の故郷「高天原」の謎

 紀元前722年、北イスラエル王国がアッシリアによって占領され、南ユダ王国も崩壊の危機に直面していたちょうどその時、アジア大陸では騎馬民族の台頭と共に西アジアから東に向かって民族大移動が始まりました。イザヤの教えに導かれ、大勢の民の中には、長い年月をかけて遠く離れた東の島々にまで到来した者もいたことでしょう。そして北イスラエル王国が占領され、多くの民が離散し始めてからおよそ60年後、大陸を越えた東の島々で天皇家の歴史が始まりました。神武天皇が初代天皇として即位した紀元前660年はイスラエル国家の崩壊と年代的に一致することから、倭国における新王朝の始まりは、イスラエルのダビデ王朝の継承である可能性を残します。もし、日本の古代史にイスラエルからの渡来者が本当に関わっているとするならば、その因果関係を理解するヒントを、イスラエル史やアジア大陸の歴史と地理、そしてイスラエルの母国語であるヘブライ語と日本語との関係にも見出すことができるはずです。よって、これらの史実に注視することは大事であり、ヘブライ文化だけでなく、古代シュメールの文化についての理解を深めることも有益であり、今まで考えもつかなかった新しい歴史観が浮かび上がってくることになります。

 古事記が単なる創作神話ではないことを思わせるキーワードのひとつが「高天原」です。高天原とは、日本神話では天上の神々のいる場所とされています。漢字の意味は明確ですが、何故、それを「タカマガハラ」と読むかは理解しづらいのです。天地ができる最初、天つ神々は高天原で相談しあい、イザナギとイザナミを天から派遣して矛で海をかき回させ、地を固め日本の島々を作らせました。これが古事記の冒頭にある「国生み神話」です。その「タカマガハラ」と呼ばれる場所が、アジア大陸に実在していたのです。

 聖書に登場するアブラハムという人物は、今日でもキリスト教やイスラム教を含む多数の宗教において「信仰の父」として崇められています。そのイスラエルの先祖にもあたるアブラハムの故郷の地 が、西アジアのタガーマ州にあるハラン という町、すなわちタガーマハランなのです。アブラハムの父、テラはメソポタミア圏にあるウルという大都市に住んでいましたが、神からの命をうけてアブラハムと共に約束の地、カナンに向けて旅立つのです。その旅の途中でタガーマのハランに長い年月、滞在することになったのです。何故、旅の途中で神がアブラハム一家に対してハランに滞在することを命じたかは定かではありませんが、何らかの計画があったことに違いありません。少なくともタガーマハランは、約束の地へ向かう途中に存在するアジア大陸の高原であり、天に近く、そして下界を見下ろすことのできる静かな聖地であったことから、民族移動という大事な場面で、十分な休息と準備をする為の聖なる拠点として位置づけられたはずです。そして年月をかけて人々が精神面においても成長し、清められるという意味合いにおいても、大変重要な役割を果たした場所となったことでしょう。そして十数年経った後、満を持してアブラハム一家は約束の地へと、タガーマハランから旅立つのです。

 アブラハム一家が神の命に従い、ハランから約束の地イスラエルに移住してから12世紀という長い年月を経た後、国家を失ったイスラエルの民は、神から与えられた約束の地を離れ、新天地を求めて東方へと大陸を横断しました。その際、親族が多く居住していたことで知られるアブラハムの故郷、 タガーマハランをまず目指したと考えられます。東方へ向かう途中の高原に在る町でもあり、群衆が結集してそこにリーダーが集い、今一度、民族移動の在り方を相談し、神の導きを伺うには最適の場所として考えられたはずです。そして祖先の発祥の地であるタガーマハランにおいて一時の休息をし、民族のルーツを再確認した後、再び東を目指して旅立っていくのです。タガーマハランはアブラハムが約束の地に向かう前に心の準備をしたイスラエル人の故郷の地として、多くの民の心に深く印象づけられたことでしょう。こうしてタガーマハランから多くの群衆が東の島々に渡った後、その先祖の故郷は、大陸の遥か彼方に永遠に存在する民族移動の原点、アブラハムの故郷の地の代名詞として、徐々に神話化されていくことになります。

 タガーマハランは実際に存在する地名であるだけでなく、タガーマ州の地域は大麦とエンマ麦の驚異的な収穫量を記録したことが遺跡から発掘された記録に残されています。古事記には、天つ神が高天原で育てた稲を苗裔である天皇に与えたため、天皇が地上を支配するようになることが記載されており、その背景には、麦や高度な稲作技術が西アジアからの渡来者と共に日本列島に持ち込まれたと考えられます。これは弥生時代の新しい解釈における前7-8世紀頃の農耕技術の導入時代とも一致することから重要な検証事項です。古代日本史は、このようにアジア大陸全体の歴史を広い視野で見つめ直した上で、背面下にあるイスラエル民族の移動の軌跡を考慮することにより、その真相が明らかになってきます。


引用元:日本とユダヤのハーモニー