ユダ族の神を祀る八幡神

 「続日本紀」に記載されている「広幡乃八幡大神」は、現存する古文書の中で使われている「八幡」という文字の中でも、最も古い事例です。その八幡神を祀る八幡神社の総本社が、宇佐八幡宮とも呼ばれる宇佐神宮です。宇佐神宮は6世紀、欽明天皇の時代に現在の九州の大分県宇佐市に建立されました。社伝によると紀元571年に八幡神が現れ「誉田天皇広幡八幡麿」、つまり「我、誉田天皇(ホムタノスメラミコト)は広幡八幡麻呂なり」と告げたそうです。誉田天皇とは、応神天皇の死後に贈られた諡号(贈り名)であることから、八幡神のルーツは3世紀後半の応神天皇まで遡ることになります。そして、八幡神の宣言もあり、いつしか応神天皇は八幡神と同一視され、天皇が神として祀られるようになったのです。

 第15代の応神天皇は、実在した天皇であることがわかっていますが、その出自については諸説があります。その謎を解明する鍵が、八幡神社と秦氏の関係に秘められているのです。まず、八幡神「ヤハタノカミ」の「ヤハタ」という名前の発音が、秦氏の「ハタ・ハダ」と同様に、ヘブライ語でイスラエル12部族中のユダ族を意味する「ヤフダ」に酷似していることに注目です。「八幡」は元来、「矢羽田」と書き、それを「ヤハダ」と発音したことから、ヘブライ語で「ユダ族」を意味する「ヤフダ」が語源であったと推測できます。となると、「八幡神社」とは元来「ユダヤ神社」、もしくは「ユダ族の神社」という意味を持つ名称であったことになります。秦氏がユダ族であるとするならば、八幡神として秦氏に崇められた応神天皇も、同じユダ族の出身であると考えるのが妥当でしょう。古文書には、応神天皇の時代に秦氏が大挙して日本に渡来したことが記載されていますが、それは正に、秦氏と応神天皇が同族の出であることの裏付けであり、ユダ族を中心としたイスラエル部族が渡来してきたことを象徴している出来事ではないでしょうか。

 また、聖書にはユダ族の象徴が「獅子」であると明記されていますが、その「獅子」を具現化した像が、日本の神社の境内に安置されている事実も見逃せません。この「獅子」の像とは、狛犬(こまいぬ)と呼ばれる主に石で造られた像のことです。狛犬は、古くから秦氏の手がけた神社に散見され、秦河勝が祀られている大避神社の社殿前にも左右に一対置かれています。その後、狛犬は徐々に広まり、平安時代には多くの神社に定着し、現在でも、日本全国各地の寺社で見かけることができます。つまり、秦氏の関わった神社においては、ユダ族の象徴である狛犬を安置することにより、ユダ族である秦氏の存在を密かにアピールしていたのです。


引用元:日本とユダヤのハーモニー