高野山は819年頃、空海が開いた「紀伊山地の霊場と参詣道」としてあまりに有名であり、世界遺産にも指定されています。ところが実際に高野山という山は存在しません。和歌山県の北東部に位置する高野山は、山の固有名称ではなく、標高900メートルを誇る八つの峰々に囲まれた一帯を指しているのです。てっきり高野山を空海が見つけて、そこに寺を建立したと思われがちですが、実際は、聖地とするべき山々を見出した空海が、その地域を高野山と名づけたにすぎないのです。コウヤはヘブライ語で(kolya、コーヤ)、もしくは(koakhya、コッヤ)と書くことができます。前者は「イスラエルの声」意味する(コーイスラエル)の「声」を意味する「コー」という言葉に「ヤ」を加えてコーヤ、つまり「神の声」となります。後者の場合「いと高き力」、「優勢」を意味する(コッエルヨン)というヘブライ語に含まれる神の名、エルヨンという言葉を「ヤ」に置き替えて、「コッヤ」つまり「神の力」となります。エルヨンには「いと高き」という意味があることから、「高野」という漢字をあてたのかもしれません。神の声が響き渡る山、そして神の力を肌に感じずにはいられない壮大な大自然に囲まれた聖地が高野山なのです。空海の熱い思いが、その名前に込められています。
しかし、あれ程四国の剣山と吉野川を愛し、88箇所の巡礼所まで創設した空海が、なぜ自らの宗教哲学の集大成とも言える大本山を四国に造らず、紀伊の山々を選び、そこを新たなる信仰の聖地としたのでしょうか。その謎を解く鍵は、かごめかごめの歌のヘブライ語訳をガイドラインとして、2つの吉野川沿いに聳え立つ剣山と高野山、そして伊勢神宮と天皇が住まわれる京都御所の位置関係を理解することから始まります。
剣山と伊勢神宮を直線で結ぶと、その線上に高野山が存在することに注目してください。しかも驚くことに、伊勢神宮から京都御所と高野山までの距離を地図で測定すると何と共に108.5㎞。完璧なまでに一致しています。もはや偶然の一致とは言えません。