紀元前8世紀、国家の崩壊を目前にしたイスラエルの10部族と南ユダ王国2部族に対し、預言者イザヤはユダ王国の首都、エルサレムから南北の同朋に対して警告のメッセージを投げかけていました。66章からなるイザヤ書の前半39章にはこの緊迫した時代を背景に大胆な予言が綴られており、その殆どが国家の崩壊に象徴される神の裁きについての記述です。しかし所々に希望と救いのメッセージが書かれている点も見逃せません。イザヤ書には幾度となく島々についての記載があり、特に東方の「海の島々」や聖なる山に、救いの道が残されているということが、ほのめかされているように伺えます。そしてイザヤは「神が我らと共におられる」を意味する「インマヌエル」という言葉を用いて、幼子が「驚くべき指導者、力ある神」の象徴となり、イスラエルが救われて平和の道を見出すことができることを語りました。
当時、現実的な問題として北イスラエル王国はアッシリアによる攻撃を目前に控えていただけでなく、南ユダ王国も崩壊するのは時間の問題であったのです。その緊迫した政治情勢を背景に、イスラエルの民の多くは、一刻も早く国外へ脱出することを望んでいたに違いありません。アッシリア帝国による侵略の恐怖にさらされる中、神の御告げを信じてその教えを求めた民は、イザヤの言葉をどのように受け止めたのでしょうか。
イスラエルの救いの象徴ともいえる「インマヌエル」には、別名で「速やかな略奪と捕獲」(マヘル・シャラル・ハシ・バズ)という、間近に迫る戦争と略奪を暗示する名も与えられました(8章1節)。その言葉の通り、これらの預言の直後、前731年にはダマスコ(現・ダマスカス)が陥落し、それから9年後の前722年には北イスラエル王国が滅亡し、アッシリアの占領下に置かれたのです。しかし、神を信じる民にとってこの「インマヌエル」の預言は、イスラエルの崩壊を予知するだけに留まらず、と同時に自国の民が速やかに「略奪と捕獲」を成し遂げるごとく、イスラエルの救いの道が開かれていくという希望を説いた言葉でもあったのではないでしょうか。そのシンボルがイザヤの子、マヘル・シャラル・ハシ・バズであり、その恩恵にイスラエルの民が預かったが故に、「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見」、「分捕り物を分ける時に楽しむように」喜ぶことが予知されたのでしょう。そしてイザヤ8章9節には、「国々の民よ、打ち破られてわななけ!遠く離れたすべての国々よ。耳を傾けよ。腰に帯をして、わななけ」(8章9節)とあり、インマヌエルの群れには、行き着く所どこでも、速やかに相手を征服することができる力と権威が与えられたと信じられるようになったのではないでしょうか。
その結果、預言者イザヤの言葉に励まされた大勢の民は、イザヤのリーダーシップに従い、北イスラエル王国が崩壊し、南ユダ王国も滅びるその直前に国を離れ、新天地に向けて旅立ったと考えられるのです。北イスラエル王国がアッシリヤからの侵略の恐怖に慄いていたころ、エルサレムの宮殿で仕えていたイザヤは、東の国々、海の島々(24章15節)に救いがあることを悟り、宮で仕える働き人や家族らと共に東方の島々に向けて旅立つ準備をし始めたと考えられます。そして実際に北イスラエル王国が滅び、その後、南ユダ王国では一旦は、ヘゼキヤ王による宗教改革が行われるも、その将来には国家の滅亡が間近に迫っていたことがイザヤには見えていました。そして、「あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でもイスラエルの神、主の御名を尊べ」という神の声、そしてそれらの島々や、そこに聳え立つ山や高い丘に祝福が訪れるという預言が思い起こされたのではないでしょうか。イザヤの目は、明らかに東方に向いていたのです。