そして「君が代」の意味がふた通りあるということも、議論を醸し出しています。「君」という文字には、「あなた」という意味と、「君主」という意味があります。それゆえ「君が代」は、一般庶民を指した「あなたの代」、もしくは「天皇の御代」いずれの意味にも解することができ、本来の意味が不透明なままです。また代々に渡る繁栄を言い表すために使われた「苔のむすまで」という独特の表現が、はたして「天皇の御代」の永続性を語るにふさわしい美しい言葉の響きを持つかどうかについても疑問が残ります。さらに「千代」がなぜ「万代」ではなく、それよりも短い「千代」に限定され、しかも「センダイ」ではなく「チヨ」と発音され、その続きの「八千代」も「ヤチヨ」と発音されるに至ったのでしょうか。
しかも「君が代」の歌詞には、口ずさむだけで不思議と伝わってくるユダヤの響きがあります。ヘブライ語で神を意味する「ヤ」、「ヨ」という発音が「千代に八千代に」というフレーズに3回も繰り返されているだけでなく、そこに含まれる「チヨニ」という言葉の発音は、ヘブライ語では「シオンの民」を意味する言葉に酷似しています。また、ヘブライ語で救いを意味するish、「イシ」や、ヤーウェーの神を象徴する「イワ」、また物事が成就することを意味する「ナリッテ」等、ヘブライ語と思われる言葉が歌詞の中に散見され、ただならぬ予感がします。そしてこれは単なる錯覚や妄想ではありませんでした。驚くことに、一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞は、最初から終わりまで一貫した意味を持つヘブライ語で書かれていたのです。つまり「いろは歌」と同様に、傍目には日本語で書かれているようであっても、その文脈にはヘブライ語で別のメッセージが秘められていたのです。
「君が代」は、元来ヘブライ語で書かれた歌であり、その歌詞に日本語がオーバーラップして、これらふたつの原語が巧みに組み合わさり、日本語でも読み通せるようにした歌といえます。折句の真髄を極めた天才的な作品のひとつである「君が代」には、古代、日本に移住してきた神の民、ユダヤ人の神に対する熱い思いと、その信仰告白とも言える大切なメッセージが幾つも含められています。その事実を当初から隠蔽する必要があったのでしょうか。いつしかヘブライ語ルーツは日本語のオブラートに包み隠され、表面的には和歌として継承されました。そのヘブライルーツの歌を芸術的に日本語のように見せかけて流布させたのは、奈良時代後期から平安時代初期にかけて都の周辺に結集した、ヘブライ語と中国語、日本語を熟知し大陸文化に精通する学者らと考えられます。そしてその首謀者の筆頭として、日本が誇る聖人、弘法大師が含まれるのです。今や、古代日本の歴史観を塗り替える時が到来したと言えます。
「君が代」の歌詞は、「きみがよは」から始まります。このフレーズは、ヘブライ語で読むと、「クム・ガ・ヨワ」という3つの言葉に分けられます。「クム」はヘブライ語の(kum、クム)が語源であり、立つ、または起き上がることを意味します。次に(gaah、ガ)には、「クム」と類似した「立ち上がる」という意味だけでなく、「相手を誉め称える」というニュアンスも含まれていることに注目です。そして「ヨワ」は神を意味する「ヤーウェー」の発音が多少訛って「ヨーワー」に転化したものでしょう。YHWHという神聖な神の名を意味する言葉は、人間が発音できないように当初から母音が無いため、YHWHに任意の母音を充てて「ヤーウェー」とも「ヨーワー」とも発音することができます。すると「キミガヨワ」は、ヘブライ語で「立ち上がって神を誉め称えよ!」と解釈できます。
「君が代」に続く歌詞も、ヘブライ語で解釈できます。「チヨニ」は(tsiyoni、チヨニ)とヘブライ語で綴りますが、これは一般的な言葉として「シオンの民」を意味します。そこに神を意味する「ヤ」を付加して「ヤ・チヨニ」とすれば、「神の(シオンの)民」、または「神の選民」と理解できます。つまり「千代に八千代に」は、ヘブライ語で「シオンの民、神の選民」を意味したのです。
次に「サザレ」ですが、これはヘブライ語で「サッサ」と「サリー(ド)」と発音する2つの言葉が合成された言葉です。「サッサ」は(sasah、サッサ)、喜ぶこと、そして「サリード」は(sarid、サリー)、「残りの民」を意味します。旧約聖書の教えでは、「残りの民」という表現はイスラエルの民の中でも生き残り、神の国を相続する恵みに預かる「神の選民」を意味することから、「ササリー」「ササレー」は直訳で、「喜べ、(神の国を相続する」残された民よ!」という意になります。
「イシノ」は、「イェシャ」というヘブライ語で救いを意味する(ヘブライ語入る)(yesha、イェシャ)に、「人間」、「人類」を意味する(enosh、イノシュ)を複合して「イェシィノ(シュ)」という、「人類の救い」を意味する言葉として理解できます。また、「イシノ」の「ノ」を祈りの願いを込めた感嘆詞と捉えるならば、「イェシャノ」を単に、救いを求める祈りの言葉として理解することもできます。すると「ササレーイェシィノ」はヘブライ語で、「喜べ! 神の選民は人類の救いを」、もしくは「喜べ、神の選民よ。救われよ!」という意味になることがわかります。
「細石」の後には「巌となりて」という歌詞が続きます。一般的には、小粒のさざれ石が長い年月を経て堆積し、いつしか大きな岩に変貌する意味であると解釈されていますが、実はこのフレーズも貴重な宗教メッセージを含むヘブライ語によって書かれていたのです。「巌となりて」は、「イワ・オト・ナリテ」という3つのヘブライ語に分けられます。まず、「イワ」は、神を意味するヘブライ語の子音(yhwh)に任意の母音をつけて、日本流の「神」の呼び名、「イワ」と呼ばれるようになったと考えられます。ヘブライ系ユダヤ人のことをアラム語では「IWARAA」、「イワラ」と呼んだり、神の民を「YEHUDI」、「イフディ」、「イワデ」と呼んで、「イワ」という発音が含まれるのも、それらに「神」の意が含まれているからに他なりません。そして新約聖書においてはイエス・キリストが「救いの岩」と呼ばれ、「岩」が神の象徴として受け止められるようになったことも、「岩」という字が「イワ」と読まれるようになった所以と考えられます。
次の「オト」の語源は、ヘブライ語で印やサインを意味する(ot、オト)です。この言葉には神の証や予言に関わるニュアンスが含まれています。つまり「イワ・オト」と繋がるヘブライ語は、「神の印」や「神の証」の意味になります。それは言葉を言い換えれば、「神の予言」とも解釈できるでしょう。そして「ナリテ」は「成就する」「完成する」という意味を持つ(nali-atah、ナリァタ)というヘブライ語がその語源です。「ナリ」には「得る」、「アタ」には「来る」の意味があり、この2つの言葉が繋がり「成就する」という言葉になります。するとどうでしょう。「イシィノ・イワオト・ナリタ」をヘブライ語で読むことにより、明確にその意味を理解できることがわかります。それは「人類が救われ、神の予言が成就した!」という、信仰告白の文章だったのです。
最後に、「苔のむすまで」という締めくくりの言葉をヘブライ語で解釈してみましょう。この言葉の響きは、君が代の限りない繁栄を詠う言葉にしては、今ひとつ理解しづらいと思う方も少なくないでしょう。しかしながらヘブライ語で読むことにより、これまでの歌詞の流れに沿って、歌全体の文脈を理解することができます。「コケノ」の原語はヘブライ語で(kol-kano、コカノ)と書き、実際の発音は「コ(ル)カノ」です。「コル」は「すべて」を意味します。続く「カノ」は基礎、台の意味を持つ言葉です。ふたつのヘブライ語を合わせると「すべての場所」の意味となることから、「コカノ」は「全地」と解釈することができます。そして、歌詞の最後の「ムスマデ」は「語られる」、「鳴り響く」という意味を持つ(mushma、ムーシュマ)です。ヘブライ語の文法上、ムーシュマッテはその女性形として語尾にtの発音が付加されています。すると、「コカノ・ムーシュマッテ」はヘブライ語で「全地に鳴り響く」、「全地に向けて語られる」という意味であることがわかります。
「君が代」の歌詞には、その表面的な日本語の意味合いとは別に、神の選民であるイスラエルの民に託された使命を信仰告白文にした、力強いメッセージが秘められていたのです。「立ち上がって神を誉めよ!」という意味を持つ「クムガヨワ」という掛け声が、「シオンの民、神の選民!」に呼び掛けられ、国家の滅びから逃れた民は、神の大いなる恵みを授かる「残された民」として喜んだのです。そして神が約束された救いの御計画は成就し、その証が全地に語られる、というのが原語から理解できる歌の主旨です。「君が代」のメッセージは、神の約束と恵みを唄う、信仰の賛歌と言えます。
「立ち上がれ! 神を讃えよ! 神の選民であるシオンの民よ。
喜べ! (神の国を相続する)残された民よ!
人類に救いが訪れ、神の預言は成就した。全地にあまねく宣べ伝えよ。」
引用元:日本とユダヤのハーモニー