伊勢神宮の内宮にある御正殿に至る石段を上り、板垣南御門の前に立ちますと、幕屋の垂幕のような御幕(おんまく)と呼ばれる生絹でできた布がかけられており、そこで来訪者は参拝を行います。皇大神宮は綺麗な長方形の板垣に囲まれており、天幕とは材質は異なるものの、その質素な造りと形状、敷地内のレイアウトには類似点が多々、認められます。
また、幕屋の時代の後に建造されたエルサレム神殿とも、類似点がみられます。伊勢神宮では御垣内に入りますと、そこには中重鳥居と呼ばれる二本の柱がありますが、これらの鳥居では、その柱にしめ縄をかけて二本の柱を結ぶことがあります。旧約聖書の列王記上七章を読みますと、エルサレムにソロモン王が神殿を建てる際、その入口に二本の柱を設置したという記載があります。この青銅でできた二本の柱の頂には丸い柱頭があり、鎖で編んだ市松模様の飾り紐をその柱頭に巻きつけることになっていたのです。その他、多くの神社に見られる狛犬と呼ばれる向かい合った獅子像と同様に、エルサレム神殿においては玉座の両側に二匹の獅子が立っていたという記述が聖書に残されています(列王記上10章19節)。
更に宗教的儀式においても、類似点は枚挙に暇がありません。神社においては手水舎(てみずや)といって、手を洗い、口をすすぎ、禊をする清めの場所が設けられ、その洗い場を通り過ぎると、檜で造られた拝殿と本殿と呼ばれる聖所、二つの間があります。その本殿の東側は格子であり、西側の部屋には霊が祭られています。イスラエルの神殿においても、幕屋に入る前に祭壇のそばにある洗盤の水で、まず手足を洗うことが義務付けられていたのです。さらにその奥は、神社と同様に檜で造られた聖所と、その奥にある至聖所の二つの間に分かれています。そして神社では拝殿より先には一般庶民が入れないように、イスラエルの聖所も祭司しか出入りすることができませんでした。そして、奥の至聖所には、大祭司が年に一度だけしか入ることが許されていないだけでなく、至聖所は常に西側に配置されていたのです!更に伊勢神宮にお参りに行くとすぐに気がつくことですが、目に見える形で祭られている神々の像が存在しません。これは偶像礼拝を禁じているイスラエルの信仰と同様であり、幕屋やエルサレム神殿にも拝む対象となる神々の像は一切ありませんでした。また神官が着る真っ白でフサのついた着物と、古代ユダヤ教における祭司の服装も実に良く似ています。これらは全て偶然の一致といえるのでしょうか? ユダヤと日本のハーモニーには不思議な旋律があるようです。