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: この文書について... : 『アサイラム・ピース』より6編 : 頭の中の機械   目次

解説

久霧亜子

アンナ・カヴァンは一九〇一年フランス生まれ。少女時代をヨーロッパの数ヵ国およびカリフォルニアで過ごし、ビルマや南アフリカ、ニュージーランド、スカンジナビアなどで暮らしていたこともある。二度結婚。二度離婚・息子が一人いたが、第二次大戦で戦死、本名不詳。(追記:本名ヘレン・ウッズ、その後、最初の結婚でヘレン・ファーガスンとなった。)

二〇年代から三〇年代にかけて、カヴァンはヘレン・ファーガスンという名で伝統的なロマンティック・ノヴェルを書いていたが、三〇年代半ばごろからヘロインを常用しはじめ、それど同時に作品も、ときすまされた感覚によってとらえられた幻想的な内面世思の表現に変わっていった。頭の中の機械、不可視の看守――束の間の救済の幻想を抱いたかと思うと、次の瞬問には 全てが否定されてしまう……カヴァンの作品は多かれ少なかれ、このパターンの繰り返しである。オールディスはカヴァンの名に『審判』の K をみているが、それ以上に 作品そのもの、そして救いへの希望と絶望に終始したカヴァン自身の存在がきわめてカフカに近いものであるといえるだろう。

12 号に掲載した「頭の中の機械』および本号で紹介した五篇はいずれも、Asylum Piece (療養所断片)という短篇集におさめられたもので、これは精神病院に数度入院した経験をもとにして書かれている。ここに描かれた静かな絶望と呼ぶべき救いのなさは、カヴァンの精神存在を何よりも明瞭に語っている。カヴァンは自殺未遂や薬の定量超過事件を何度も起こしているが、死が決して救いにならないことは彼女自身が、最もよく知っていたに違いない。カヴァンにできることは、ただその奥深い世界をさまよい、みつめ、そして書きつづけることだけだったのである。

一九六八年、ロンドンの自宅のベッドで死んだカヴァンの傍には、ヘロインが入ったままの注射器が置かれてあった。



hiyori13 平成18年7月6日