鳥取城跡(鳥取県鳥取市東町)
1581年(天正九年)7月12日の今日は、羽柴秀吉が鳥取城を包囲した日です。
主君である織田信長の命により、秀吉は中国地方を攻めていました。
鳥取城をめぐる毛利勢との籠城戦は、「飢え殺し」とのちに言われるほど凄惨なものになります。
鳥取城の包囲後、秀吉が行なったのは徹底的な兵糧攻めです。
まずは城周辺で販売されている米を買い占めて、城への食料の供給を断ちます。
さらに、城周辺に住む村民を襲い、城へと逃げ込ませたのです。
食料の供給もないまま籠城する人が増えれば、食料の枯渇は避けられません。
城内の人々は雑草や家畜を食べて飢えを凌ぎますが、それもすぐに無くなってしまいます・・・。
包囲から二ヶ月後、飢餓の極限状態を迎えた人々が食べたのは、恐ろしいことに死者の肉です。
この惨状を見かねた城主・吉川経家はついに降伏したのでした。
あまりに悲惨すぎるこの話は、歴史にかんするドラマや映画で描写されることはほとんどありません。
それでも、こういった悲劇の上に歴史が成り立っていることは覚えておきたいものです。
鳥取城跡は、日本でここ鳥取城だけにあった「巻石垣」が復元されています。
江戸時代に、元々あった普通の石垣が崩れそうになったため、その防護のために上からかぶせるように作られたそうです。
最初から丸く作ったわけではなかったんですね・・・!
結構想像していたより大きく、これだけでも訪れる価値があると思います。
吉川経家(
戦国時代の武将。
豊臣秀吉が中国地方に攻め入った際に、鳥取城を守りました。
その際、自刃したときのための首桶を用意するほど、覚悟を決めていたそうです。
兵糧攻めにより敗戦が決定的になると、覚悟していた通り自刃しました。
1978年1月8日から12月24日に放送されたNHK大河ドラマ「黄金の日日」(おうごんのひび)は、「飢え殺し」を、放映できるギリギリの部分まで映像化した数少ない作品です。
放送期間:1978年1月8日-12月24日(全51回)
黄金の日日は、最高視聴率34.4%という高い数字を記録した作品です。
「清洲会議」や「真田丸」の脚本家である三谷幸喜さんも、この作品を「一番はまった」大河ドラマといっているそうです。
何よりも、この豪華な出演者に驚きです!
今日は、そんな鳥取城の籠城戦が始まった日です・・・。
改めて、食べ物やそれを作っていただいた方々に感謝して、「いただきます」を言いたいと思います。
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